党の地方選挙の推移、歴史的不可逆的後退現象 |
(最新見直し2012.11.2日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
2002年現在日共の国政から地方まで含めた各種選挙での「歴史的不可逆的後退現象」が見られるようになっている。この動きは否応なく宮顕―不破―志位と続いてきた「日共50年の負の歴史」の破産へ向かうことになるだろう。これを論証すれば長くなるので結論的要旨だけ記すとこういうことが云える。 宮顕―不破―志位系党中央にとってこれを是認せしめる全ての基準が各種選挙への取り組みであり、一進一退経過であった。この「一進一退」は、ダラ幹党官僚にとってまことに都合が良かった。大進出すれば政治責任がいや増しに問われることになるし、少々の後退であれば次回の雪辱を期すという風にテンションを高めていくことができたから。こうして、新左翼系諸派が戦後憲法体制の議会でさえ軽視し、「ブルジョア階級支配のイチジクの葉に過ぎない」などと駄弁に酔狂している間、唯一日共がこれに正面から取り組み一定の成果を上げてきていた。道中で如何なる国内外の重大事件が発生しようとも、それに対し如何に無能な理論を振り回し、過去の言説に頬かむりし詭弁を弄しようとも、選挙での禊がこれらを全て癒してきた。なぜなら、そのことにより大衆のせつない望みと期待を吸収してきたことにより存在の意義が認められたからである。 だがしかし、仮面左翼にして腐敗せる行動しか為しえないこの党は次第に大衆から失望を買い飽きられてきた。この気分が不可逆的に形成されつつあるのがここ数年の歩みである。つまり、日共は唯一頼みにして来た基盤で崩壊し始めたということである。これが党中央の崩壊に繋がることは必死である。まさに物質的根拠がものをいい、しかるべき現実を創りだしていくことになるだろう。これはほんの少しの予見力で確認できることであり、そう難しい技ではない。 さて、こうなると関心は次のことに移る。大衆の気分をどこの党派が受け止めてくることになるだろうか。各党派とも、それまでの理論的教条との格闘が必要であり、その作業は半端では済まないだろうが、これに成功した党派がぐんぐんと伸びてくるであろう。要するに、能力勝負ということになるであろう。又一つの可能性として勝手連的市民運動が隆盛してくるだろう。だがしかし、日本の国家破産と世界情勢の激動が、何がしかの党派的な恒常的組織力を要求することになり、さすれば両者の自律的連携も又歴史的要請となっていくであろう。又一つの可能性としてれんだいこ党が世に出るのも必要かも知れない。これはまぁ戯言にしても。 2002.9.17日れんだいこ拝 |
「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK138」の脳天気な氏の2012.11.2日付け投稿「つくば市選挙にみる共産党の酷い衰退」を転載しておく。
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(私論.私見)