宮顕ー不破系日共の除名、除籍、離党通史

 (最新見直し2006.6.7日)

 宮顕体制確立過程における除名、除籍ないし自主脱党の歴史は次の通りである。とりあえず思いつくままに記しておく。
1953(昭和28)  9.15日、伊藤律が除名された。
1954(昭和29)  7月中旬、花田清輝更迭。
1956(昭和31)  中央常任幹部会員で書記局員でもある志田重男が突然失踪。
 かっての「臨中」議長で徳球派最高幹部の一人であった椎野悦郎が除名された。こうして伊藤、志田、椎野の徳球時代の最高幹部が相次いで失脚させられた。志田派、志田派ら所感派残党の除名
1958(昭和33)  元茨城県委員・大池文夫らの除名。
 6.1日、全学連執行部の香山健一、島成郎、森田実らを党規約違反として除名。13名を党員権制限の厳格処分。いわゆる「代々木事件」又は「6.1事件」と呼ばれる。年末までに72名が処分された。
 10月、第7回党大会を廻る東京都委員会との抗争により、野田弥三郎、山本正美、武井昭、片山らを除名。
 第8回党大会への過程での1959年「現代の理論」弾圧事件。
 港地区委員会の反乱事件で党中央批判組を除名。
1960(昭和35)  安保闘争期に大量離党。
1961(昭和36)  伊藤律と最も親しい党歴を持っていた徳球系残存指導幹部であった長谷川浩除名。
 東京都委員会事件。
 同大会直前の統制委議長・春日(庄)の離党
 同亀山幸三、内藤知周、山田六左衛門、西川彦義、内野壮児、原全五らの、いわゆる構造改革派の大量除名。
 新日本文学グループの小林勝、柾木、岡本、大西、小林祥らを除名。
1963(昭和38)  佐賀県の前中央委員波多然とそのグループが離党。
1964(昭和39)  志賀らソ連グループ除名。
 神山、中野グループ除名。
1966(昭和41)  西沢、安斎ら中共グループ除名。




(私論.私見)