筆坂失脚事件考 |
(最新見直し2007.6.6日)
関連サイト「筆坂の日共党中央批判考」
(れんだいこのショートメッセージ) |
日共党中央は、「筆坂失脚事件」というケッタイナ事件を引き起こして今なお鉄面皮な自己肯定し続けている。それに惑わされる方も同責だろう。しかし、れんだいこは認めないし許さない。以下、本事件を検証する。 筆坂氏は、著書「日本共産党」(新潮新書、2006.4.20日初版)を出版し、この事件の概要を補足した。これを参照し、書き改めることにする。 2005.9.28日、2006.4.19日再編集 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その104 | れんだいこ | 2005/09/27 | ||||||||||
【「筆坂失脚事件」考】 2003.6.23日、突如「筆坂失脚事件」が報ぜられた。この時日共は、第7回中央委員会総会を開いており、30数年ぶりの新綱領採択問題で緊迫した遣り取りが為されているものと思われていたが、何と23日の閉会の席上発表されたのは「筆坂氏の常任幹部会委員ポスト解任決定」であった。 筆坂は、以降、例の党規約により沈黙を余儀なくされた。ところが、次第に我慢できなくなったようで、2005.7.7日、離党届を提出し、常任幹部会で承認された。党幹部が「除名処分」を受けた事例は故野坂参三名誉議長など過去に3件あるが、幹部経験者が自ら離党したケースは「前例がない」(党関係者)とされる。 その筆坂が、2005.9.29日号の週刊新潮に「日本共産党への弔辞」と題する小論を寄稿している。早速日共は、赤旗に「『週刊新潮』編集部の質問と日本共産党広報部の回答」、「『週刊新潮』での筆坂秀世氏の一文について」(日本共産党中央委員会広報部)を発表し、反論しているが中身がお粗末極まりない。 本来、「筆坂失脚事件」は考察するに値するほどの事件ではないのだが、日共の相変わらずの詭弁が満展開しており、例によって丸め込まれている向きも有るので、れんだいこが叩いておく。 サイトとして「筆坂失脚事件考」(http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nikkyonofuhaico_fudesakaziken.htm) に記した。お読みくだされ。 |
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重要なことは次のことにある。判明することは、「筆坂セクハラ事件」とは、「たかがという程度のセクハラ事件」を利用して、法皇不破が、党内序列№4の筆坂政策委員長を強引に失脚せしめた政治主義的暴君事件であり、根っからのイエスマンでしかなかった筆坂が唯々諾々することにより一夜にして執り行われた儀式であった」ということである。 行政調査新聞は次のように見立てている。
行政調査新聞の指摘は正しい。とはいえ、戦前戦後の党中央に立ち現われた宮顕系の運動を本来の党運動とごちゃまぜにして、依然として日共美談に捉われすぎているようにも思える。宮顕―不破系運動の胡散臭さを知らず、戦前から不屈の主義に殉じた正義清潔の共産党観にとらわれていれば、「にわかに信じられない」であろうが、既に「宮顕ー不破ー志位系運動を異筋のエセ運動」と喝破しているれんだいこ史観から見れば、これぐらいの芸当は案外朝飯前だろう。 翻って、この事件の背景にどのような事情があったのであろうか、これが詮索されねばならない。この事件の特質を確認しておくと次のように云えよう。
凡そ以上の点の問題を孕んでおり、そのそれぞれを検討するのに、凡そ共産党という名に恥じる醜悪な内容であるというよりもっと低レベルなものであり、又一つ歴史博物館の標本にしておくに値するものである。日頃保守反動として批判している自民党の党運営システムの方がまだしも近代的で、日共のそれは封建的王朝的なものであり、今時このようなシステムの上にあぐらをかいて平然とし得る政党は珍しかろう。グロデスクを通り越して戯画的でさえある。このことを明らかにするのが「筆坂失脚事件」考察の意義となろう。 「筆坂失脚事件」考察にはもう一つの意味がある。れんだいこの見るところ、筆坂の党内履歴は、不破の声音まで似せてしゃべる芸で不破の寵児となり、党内出世階段を上り詰めていったところに特徴がある。いわゆるれっきとした不破派の一員である。その筆坂が失脚したのは如何なる理由であったのかが詮索されねばならない。 これを紐解く鍵は、「筆坂の最近の精力的な活動と国民的人気」にあったように思われる。本来なら喜ばしいことであるが、党中央が宮顕ー不破系のスパイ派により占拠されている日共にあっては通じない。宮顕ー不破系は、コントロールの利かない「国民的人気才子」を粛清する。筆坂がそういう面で頭角を現してきた以上いつか粛清される運命にあった。かくて、「たかが程度のセクハラ事件」が引き金となった。 こたび法皇不破の猜疑と他の茶坊主どものジェラシーが一蓮托生し、「たかが程度のセクハラ事件」を奇禍としての不破の鶴の一声で志位、市田、浜野ラインが作動し、新綱領討議で余念無いはずの第7回中央委員会総会前後に斬って捨てた。そういう経緯が見えてくる。 もう一つ特殊な興味が有る。れんだいこが気になることは、当時筆坂の声音が不破離れしつつあったことである。ということは、不破の茶坊主的地位から自律しようとしていた矢先に放逐されたということになる。ひょっとして新綱領の内容を廻る見解対立があった可能性さえ考えられる。しかし、日共はこの種の遣り取りを開示しないので外からでは分からない。いずれにせよ、宮顕―不破系の口先の言辞とは裏腹な凡そ本来の共産主義とは無縁なエセ主義者による反動的党内統制の罠により筆坂が放逐された、と受け取るべきであろう。 それにしてもこの党の政争は信じられないほどチマチマしたものに堕してしまった。そこには識見、理論、青写真を争うようなものは何も無い。構改派、親ソ派、親中派との論争を最後としてその種の対立は終わっている。今や、イエスマン関係下でのミニ権力闘争しかなく、その理由付けも不倫だのセクハラだのこういうのばっかしや。エセイズムとイスト運動の行き着いた腐敗局面であろう。 2005.9.27日 れんだいこ拝 |
【「筆坂失脚事件考」まえおき】 |
まず、「筆坂失脚事件」の経過を確認しておく。日共側の説明だけでは真実が見えてこないので、こたび筆坂が明らかにした経緯を下に真実に迫ることにする。先に、インターネット新聞「行政調査新聞」が、9.22日付けで「あきれた『粛清』劇……日共大物国会議員、筆坂秀世氏失脚の深層」でこの問題を深く掘り下げているので、これをテキストとしつつれんだいこ風に整理し直してみる。 ちなみに、同紙は、1983(昭和58).11.30日付けで「田中事件の本質とロッキード事件の真相」を手掛けており、れんだいこの見るところ世に阿(おも)ねず孤高のジャーナル精神を発揮し続けている。こたびの筆坂失脚事件考察も又その価値は大きい。 |
【「筆坂失脚事件」その1、筆坂警告処分までの動き】 | ||||||
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5.27日、党本部に「ある女性党職員」から、概要「酒席で党の大幹部である筆坂氏からセクハラ行為を受け、大変なショックと精神的苦痛をこうむった」との訴えが為された。このことは、後日記者会見の場で、市田書記局長が明らかにする。 | ||||||
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6.9日、朝から日共の常任幹部会(不破、志位、市田の党三役を含む21名からなる日共最高幹部の執行機関、筆坂も政策委員長としてその一員に加えられている)が開かれた。この日は、年内に予想された解散総選挙に向けての方針の検討を議題にする予定だったが、この議題は午後に行われることにされ、午前中を特別に「筆坂に関する飲酒に伴う女性党員からの訴えの問題の処理」に当てた。
「事実問題の調査」を行った浜野忠夫副委員長から冒頭報告があり若干の質疑があった後、筆坂から反省の弁を述べる発言がされた。その際、筆坂は、市田の助言に従い、余計な弁解をせずに次のような自己批判書を読み上げた。
その後、浜野から「今回の事態について、筆坂氏から率直な自己批判がされたし、警告処分ということで処理したい」との提案が為された。不破議長や志位委員長を含む常任幹部会の全員が了承し、筆坂は、4つ有る処分のうち最も軽い「警告」処分となった。いわば口頭注意で、後は中央委員会総会で報告され、了承を取り付けることで一件落着する筋道がつけられた。 これで事は片づくはずだった。午後からは、予定通りの議題が常任幹部会で話し合われた。 |
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【「筆坂失脚事件」その2、急転直下、筆坂解任処分への動き】 | |||||||||||
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「不穏な動き」をキャッチした浜野副委員長らは、地方遊説に出掛けていた市田書記局長を急遽東京に呼び戻し、鳩首会議を始める。 | |||||||||||
6.14日午前、テレビ対策会議を行った後、議員宿舎に戻っていたところ、夕方になって突然、浜野忠夫副委員長から「直ぐに党本部に来て欲しい」との電話があり、党本部へ駆けつけると、「国会で不穏な動きがある。明日のテレビ出演は市田さんに代わってもらう」と告げられた。そのうち市田書記局長も出先から戻り、両名から6.16日の常任幹部会を欠席するよう申し渡された。 筆坂は、「病気理由でテレビ出演をキャンセルしたのだから、自宅に数日間は待機してほしい」との浜野の要請を受けて、自宅に蟄居した。 |
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筆坂は、党中央により「常任幹部会への欠席と自宅蟄居」を申し渡され、その言い付けを守った。他方、党中央は、筆坂が急遽体調不良となり欠席したとか、自主的に自宅蟄居したとか詭弁している。誰が信じようぞ。 | |||||||||||
6.15日、市田書記局長がNHK「日曜討論」に出演した。 | |||||||||||
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【「筆坂失脚事件」その3、筆坂解任突然の発表】 | ||||||
この筆坂は、日共党幹部の中では珍しく国民的人気を得ており、次のような評価を受けていた。
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【「筆坂失脚事件」その4、筆坂解任突然発表後の日共の動き】 | ||||
政党幹部がセクハラ行為の責任をとって国会議員を辞職するという「セクハラ辞職」は極めて異例だ。一体、この党は何がどうなっているのだろう、一体何事が起ったのかと当然の関心を呼んだが、これに対する日共党中央の返答は、これ以上の詮索は被害者の人権に関わると述べるだけで真相を闇に葬ろうとして恥じなかった。結果、憶測が飛び交うだけとなり、人の噂も75日を待つだけの日にち薬期待となった。 以下、日共の対応を見てみる。 6.24日、筆坂処分が発表される。赤旗に党中央声明文が発表されたが、「市民的道徳に反するセクハラ行為があった」と断罪する一方で、「党最高幹部にふさわしくない」どのような行為があったのかについては全く明らかにしなかった。 |
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この間、筆坂は、党本部と「記者会見させろ」、「させない」の押し問答している。筆坂氏が「幽閉中」に我慢なら無くなって記者会見を強行しそうになると、それをキャッチした党本部は浜野を押しかけさせ宥める、という繰り返しとなった。 | ||||
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8.1日、事件から1ヶ月経ち、政策委員会のスタッフとして党本部に復帰することになった。代々木の党本部に出勤する筆坂を通信社記者が発見。通勤途上での目撃情報も寄せられていた。筆坂氏の自宅がほどなく見つかり、マスコミ記者が訪問した」(フリージャーナリスト)が、筆坂氏は、取材に対しては「ノーコメント」の態度だった。しかし、落ちついた応対が何人もの記者に強い印象を与えたという。 次のように感想されている。
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しかし、実際に復帰してみると、仕事が与えられず、飼い殺し状態となった。所属支部も決められず、「党籍が移っていないので、支部会議にも出席できない」扱いであった。 市田、浜野から声が掛かることも無く、「触らぬ神に祟りなし」となった。筆坂は、次のように抗議している。
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8月に筆坂が党本部の職員として復帰を果してから、「文春」、「新潮」等の週刊誌で真相の一端が暴露されはじめた。今まで、「秘密主義」のカーテンに阻まれてなかなか世に出なかった日共本部内の確執が、赤裸々にされていった。世間の論調は、「最高幹部のスキャンダル失脚」から「冤罪」論の方向へ大きく転換していった。 | ||||
2004.11月頃、筆坂の妻(某地区委員会で支部長として熱心に活動していた)が見かねて、不破議長に手紙を差し出す。これをきっかけに、筆坂は不破と会い、不破から「財界研究をして欲しい。その成果を党の出版物で発表すれば、筆坂さんの名誉回復にもなる」と云われ、この仕事を引き受けた。 この研究成果は、党の理論政治誌前衛の2004.12月号、2005.2月号に掲載された。しかし、この時も一悶着あり、不破議長が論文と同時に自己批判文の併載を要求し、筆坂が抵抗している。結局、「自己批判文の掲載には納得できない」ことを記した文書を志位に渡す。 |
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期日は不明であるが、「セクハラ現場」にいた筆坂の秘書が、日共党中央の措置に納得できず離党している。さらに筆坂の妻も離党している。 | ||||
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要するに不破の機嫌を取れば引き立てられ、損ねれば冷や飯食わされるというだけの構図が透けて見えてこよう。 |
【「筆坂失脚事件」その5、筆坂離党後の日共の動き】 | ||||
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【「筆坂失脚事件」参考資料】
【2003.6.24日付け日共中委会書記局声明】 | |
日共の「筆坂秀世常任幹部会委員・参議院議員の中央委員罷免と議員辞職について」を転載しておく。
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【2003.6.25日付け日共党中委常任幹部会声明】 | |
日共の「セクハラ問題とわが党のとった措置について」を転載しておく。
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【〔2003.6.25日付け毎日新聞〕共産党:筆坂議員のセクハラ辞職 活動に打撃 説明も不十分】 | |
2003.6.25日付け毎日新聞は、桜井茂記者の「共産党:筆坂議員のセクハラ辞職 活動に打撃 説明も不十分」を掲載している。これを転載しておく。
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【筆坂問題・日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり】 | れんだいこ | 2003/06/25 |
「不破哲三議長、志位和夫委員長ら党最高指導部である常任幹部会委員(22人)の一人の共産党の政策委員長(書記局長代行)・筆坂秀世は24日午前、セクハラ(性的嫌がらせ)問題の責任をとって参院議員の辞職願を倉田寛之参院議長に提出した。同党は既に、23日に閉会した第7回中央委員会総会で、筆坂氏の常任幹部会委員ポストの解任を決定した」とある。 共産党議員がスキャンダル絡みで議員辞職するのも極めて珍しいが、名誉幹部・市川正一の不倫騒動除名事件もある。ネット検索に拠れば、「彼はこわもての書記局員として不倫どころか党員の恋愛にも干渉して,非人間的幹部の代表のような存在でした。これが裏でこっそり夫のある女性を口説いていたのですから,多くの事情に詳しい共産党員は当然と受け止めています」とある。要するに、「不倫はいけません」と人前で説法している者が、裏で不倫を強要していたという不快な事件であった、ということになる。 同じ意味で、筆坂の場合、不破の声音まで真似る茶坊主ぶりで党内出世階段を駆け上がってきた御仁が、酒席のこととは言いながらセクハラして問題にされ元の木阿弥の平党員の地位に戻ったという不快な事件となった。 ところで、事は国会議員であり、それこそ公人的地位のものである。日共は問責・調査の結果を報告する義務があるだろうに、口で民主主義を云う割には臭いものに蓋で居直ろうとしている。党内だけのことであれば、党員が要求しない限り勝手かも知れないが、公職の者の場合にはそれでは許されないだろう。勝手に立候補したり辞められては、俗に税金返せということになろう。 れんだいこのアンテナに気にかかることがある。おりしも党綱領草案の発表と審議の最中のタイミングでこの事件が起こっていることである。これは何か臭い。偶然にすれば、不破綱領の出端(でばな)をくじいたことになる。この場合、茶坊主の不祥事件として受け取るのを相当とする。 それにしても自民党の山崎幹事長の例を思えば、自民党の場合下半身事件には滅法おおらかであり、日共の場合すぐさま斬って捨てられるということになる。但し、自民党の場合、ムネオと真紀子に対しては徹底的に追い詰め収監さえ辞さないという意味で政敵に対しては断固として権力を行使する癖があるように思われる。金が絡んでもチョンマゲ議員の場合にはおおらかであることを思えば首肯されるであろう。 さて、一つ気になることがある。この間、筆坂の声音がやや不破離れをして地声に変わりつつあった。このことは筆坂が不破の茶坊主的立場から脱落し始めていたことを物語る。おりしも新綱領の策定中である。ひょっとして、新綱領採択反対派的地位に居たということはないのか。れんだいこの関心はこの辺りにある。 筆坂失脚事件の全貌が分からないので全くの推測に過ぎないが、この党中央の場合裏でこそこそする牢とした習性があるのでいろいろ勘ぐってみたくもなる。れんだいこは、今回の志位の未練のない始末ぶりから釈然としないものを受け止めている。 そういう意味からも、日共党中央は事件の全容を明らかにすべきである。それは君達のお気に入りの「現体制内でも可能な民主主義の実践」という見地からして、当然にクリヤーせねばならぬであろう。つまりすぐそこにある試金石となっているだろう。 結論として思うことは、日共の腐敗振りの瀰漫である。その背景には、異邦人的宮顕-不破-志位一派が党中央を占拠し、支離滅裂な理論をこねくり廻し、党内をヒラメの目構造に仕上げ、平和と民主主義と道理と正義を説く割に少しも自ららが言説と実践に責任を持っていないという三枚舌、二面性問題があり、党員は下から上まで既に詭弁疲労しているという事情があるように思われる。 しかしこの腐敗は、表権力の小泉のそれと符牒しているように思える。今はそういう時代なのだろう。おまけ。この党ほど人に道徳を説く例を知らない。れんだいこが関わっていた70年代にもよく聞かせてくれた。その党中央でかような事件が頻発しているということが口アングリのポカンだわ。 |
Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり | れんだいこ | 2003/06/27 |
筆坂失脚問題について、党中央はあろうことか「我が党中央は筆坂に責任を取らせこんなに素敵に処理した。そこか゜他党とは一味もふた味も違うところだ。意気高く新たな戦いに向かおう」などという論調で逆に胸を張る変態声明を出している。しかし又もや、さすがわ我が党中央、云うことが素晴らしいなどと阿諛追従するシナリオが待ち受けているのだろうか。 ともかく、ピンチをチャンスに変える詭弁術を習うために全文ここに掲げる。れんだいこのこの所為に対し、この党は著作権違反などと云うだろうか。何せ便利な著作権棒を抱えているから分からない。 セクハラ問題とわが党のとった措置について――党員、後援会員、支持者のみなさんに、ご理解をおねがいします 2003年6月25日 日本共産党中央委員会常任幹部会 (1) この間、筆坂秀世常任幹部会委員・参議院議員が、セクハラ行為をおこなっていた事実が判明し、中央委員からの罷免と議員辞職という、たいへんに残念な事態が、おこりました。その事実経過と党のとった措置については、すでに二十四日付けの書記局コメントで発表しているとおりです。 この事態にたいして、多くの党員や支持者のみなさんから、批判や怒りの声がよせられていますが、私たちは、これを厳粛にうけとめています。全党の先頭にたって奮闘する重責をおっている私たち常任幹部会のメンバーの一人であった同志の誤りによって、全国各地でさまざまな困難や苦労もかかえながら党の前進のために奮闘されているみなさんに、つらい思いをさせてしまったことは、ほんとうに申し訳ないことです。 (2) 筆坂同志の誤りは、常任幹部会の一員がおかしたものであり、常任幹部会として、その責任をまぬがれるものではありません。しかし誤りが明らかになって以降にわが党がとった対処は、道理にたったものであると、私たちは確信しています。そのことを、どうかみなさんにご理解いただきたいのです。 第一に、わが党は、女性からセクハラ行為の訴えがよせられたさい、けっしてこれをあいまいにする態度をとらず、事実関係を厳正・公正に調査し、それにもとづいて筆坂同志にたいするきびしい処置を決めるとともに、みずから問題を公表する態度をとりました。 いま日本で、社会の退廃現象がさまざまな形で問題となり、そのなかでセクシャル・ハラスメント(セクハラ)は、女性の尊厳と人格をいちじるしくふみにじる人権侵害として、職場でも、学校でも、社会でも、その克服が重要な課題となっています。 わが党の規約では、「党員の権利と義務」の冒頭に、「市民道徳と社会的道義をまもり、社会にたいする責任をはたす」と明記しています。わが党が、セクハラの克服でも、率先したとりくみと積極的役割をはたさなければならないことは、当然のことです。そして、党の規約は、党内でどんな任務や立場にある同志も、ひとしく守らなければならないものであり、そこからの逸脱があったさいには、だれであれ厳格な対処が必要となってきます。とりわけ常任幹部会委員という重責をになうものにたいしては、そのことがいちだんときびしくもとめられることは、当然です。 わが党が筆坂同志の誤りにたいして、中央委員の罷免と議員辞職という措置をとったのは、こうした立場からのものでした。 この処置の内容について、両面からの意見があることは、よく承知しています。私たちは、セクハラ行為のおこなわれた状況と行為の内容について、両者の説明をよく聞き、確定できる事実にもとづき、また筆坂同志の立場の特別の重さもそれにくわえた上で、この措置が適当だと判断したものです。 (3) 第二に、わが党は、この問題の解決と公表にさいして、訴えをおこなった女性の人権とプライバシーを守ることを、何よりも重視してきました。 この問題を公表するにあたって、わが党は、(1)ある女性から「筆坂氏から、酒席でセクハラ行為をうけ、精神的な苦痛をこうむった」という訴えがあったこと、(2)その訴えの内容について筆坂同志が事実であることを認め、被害をあたえた女性に深く謝罪したいという表明があったこと、(3)常任幹部会、幹部会での審議のうえ、第七回中央委員会総会で、党規約にもとづく処分を決定したこと、(4)党のとった措置について、被害をうけた女性の納得をえられたこと――など、国民のみなさんにたいして報告すべき必要な基本的事実は、すべて明らかにしています。 一部の商業マスコミは、わが党がそれ以上の事実の詳細を公表しなかったことについて、「秘密体質」「隠蔽体質」などと批判していますが、この批判はまったくあたりません。なぜなら必要以上に細部にわたる事実を公表することは、被害をうけた女性の特定につながることにも、女性にいっそうの精神的苦痛をあたえることにも、なりかねないからです。 セクハラ問題の対処にあたって「被害者のプライバシーを守る」ことは鉄則中の鉄則です。この立場から、被害をうけた女性にさらに苦痛をあたえる不要な詳細にたちいることはけっしてしない――この原則をつらぬくことこそ責任ある対応であると、わが党は確信しています。 (4) わが党が今回とった措置にたいして、多くの批判とあわせ、党内外の少なくない人々から「共産党ならではの筋の通った対処だ」という声もいただいていることを、私たちは感謝の気持ちをもって受け取っています。私たちは、この痛苦の問題の教訓を生かして、政治的にはもちろん、社会的道義の面でも、国民の深い信頼がえられるように、全力をつくす決意です。 二十一世紀の日本とわが党の指針となる歴史的な綱領改定案を、全党の英知で練り上げる全党討議がはじまっています。総選挙・参院選挙の勝利をめざし、党を強く大きくする「大運動」も、これからのとりくみがいよいよ重要となっています。 党員のみなさん、後援会員のみなさん、支持者のみなさんが、今回の問題でとった中央委員会の措置について、どうかご理解いただき、ともに意気高く新たなたたかいにのぞむことを、強く願ってやみません。中央委員会常任幹部会は、みなさんとともに、このたたかいの先頭にたち、あたえられた責任をはたす決意です。 |
Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり | れんだいこ | 2003/06/28 |
筆坂失脚問題はやはり釈然としない。党中央のリードの通りのセクハラで処分したと云うのが実際だったとしても、セクハラつうのは国会議員の座を今日に明日に俄かに辞めさせねばならぬ重度の罪なのだろうか。政治責任という意味では、再選しないとの申し渡しと本人受諾の弁を添えての声明処理でも良いのではないのか。 そうせずに斬って捨てた背景が釈然としない。おりしも党綱領草案の出された直後のことである。関係なくてもいろいろ考えて見るのが普通の感性だろう。 ところで、セクハラについて考えて見る。だいたいセクハラよりも程度から云えば痴漢行為の方が悪いのでは無いのか。痴漢行為よりも強姦やレイプ行為の方が悪いのでは無いのか。これに職権地位利用とか甘言が加わればより悪質になる。以上を踏まえて、あたかもセクハラがこの世の罪で一等悪いとするような処理なぞ、それこそおかしくはないのか。 正義の党、清潔の党の売りゆえかような処分したと云うのなら、セクハラや痴漢や強姦やレイプ行為を生まないような発生源対策の方こそ尊ばれるべきで、最高幹部の行為としてかような事件が続発することこそ責任問題なのではないのか。 世間では、良いか悪いかは別として部下の不祥事には上司が一緒に頭を下げる。ところがこの党はどうだ。こんなに素敵に処理した。これこそ共産党の誇るべき進退処理法だ。感激してくれたかと胸を張る。変な上司がいるわさ。 れんだいこの拘りは次のことにある。この党がそのように責任取るのなら、もっと悪い例が一杯あるのではないのか。それもこの機会についでに直してくれるか。その例をこれから挙げる。 第一は、何てたって戦前の査問リンチ致死事件に対するお詫びと死者小畑の名誉回復である。れんだいこ検証に拠れば、小畑はかの時代の当時四人しかいない最高幹部の一人であり、査問理由であるスパイ容疑は冤罪であった。むしろ、査問した側の宮顕ー袴田グループの方がスパイ臭い。にも拘らず、小畑はあたかも平党員のような扱いでスパイ摘発過程で不幸にも持病を併発してポックリ死したとして処理されている。これに対する丁重なお詫びと責任取ることこそ真に望まれているのではないのか。 しかし驚くことに、さざなみ通信編集部も通信を見る限り未だに党中央の弁明を信じて宮顕を擁護している。れんだいこの投稿は全く無視されていることになる。それならそれでどこが読み取り違いなのか明らかにすれば良いのに。それが議論というものだろうに。 話を戻す。目下党中央は、規約改正、党史改竄、綱領改変の三悪行に着手し、来る党大会で三点セット完遂を目論んでいるが、問題はその中身である。過去の言説を変えるなら変えれば良かろう。但し、なぜ変えるのかその理由を開示するのがまっとうというものだろうに。 それらが一切無く、当然自己批判も無く、不都合なところの削除と隠蔽と詐術的書き換えと居直りでオンパレードし、至るところご都合主義的に書き換えている。この諸行為こそ、政治的には最悪のセクハラでは無いのか。 こういうところでは厚顔無恥にふるまい、茶坊主粛清では得々としてその様を報告する。しかも事件の内容については被害者の立場を考慮して明らかにせざるを良しとするなぞの理屈をこねる。立場を考慮しつつ明らかに出来る範囲までを公にするのが勤めであろうに。とにかく重宝な理屈を持っている野郎たちには違いない。 ムネオハウス問題もそうだ。あれほど厳しく追い詰めながら、目下の軍事立法、自衛隊のイラク出動等についてはおざなりの反対声明でお茶を濁している。秘書給与問題でも真紀子批判していた矢先に、お前のところはどうなんだと云われたら自主献金で何ら問題無いと云う。とにかくこの連中の手にかかったら、相手が全部悪く自分たちはいつも潔癖、正義のようだ。話が通じないこと夥しい。 これがカルトの世界のことならそれも良かろう。マルクスの後裔を自称しながら正反対のことを為して平然としている故に、しかもその弁に唯々諾々しないと反共主義なぞというレッテル批判を弄ぶ連中ゆえに、こういうことを書いてみたくなった。 |
Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり | れんだいこ | 2003/07/01 |
筆坂セクハラ失脚事件が尾を引いているようである。2003.6.25日今度は日共中央委常任幹部会名で「セクハラ問題とわが党のとった措置について」声明が出されている。有事立法の成立に続いてイラクへの自衛隊公然派遣等重要課題が待ち受けている政治状況で何ともはや無様というか滑稽な話である。以下、声明にコメント付ける。 この党はとにかく自己批判というのを知らない。如何なる事態に陥っても自己肯定と自画自賛に終始する。こたびの経過に対する「秘密体質」、「隠蔽体質」批判に対して次のように反論している。「必要以上に細部にわたる事実を公表することは、被害をうけた女性の特定につながることにも、女性にいっそうの精神的苦痛をあたえることにも、なりかねないからです」。 事実経過を明らかにせよ要求に対して、「必要以上に細部にわたる事実を公表要求」とオーバーに書き換え、被害者のプライバシー擁護論でねじ伏せようとしている。これが逆の立場なら説明責任があると指弾しているところである。池田大作批判とゴシップ報道では最も執拗に機関紙まで使ってやっているのに、逆に取材される番になるや緘口令を敷く。それでも記事が出ると出版指し止め要求はむろんJRに吊り広告許すな論で押しかけたりする。それらを思えばまことに重宝なお口をしていることが分かる。 いつ、どこで、誰が、何を、どのようにを被害者のプライバシーに配慮しながら概要を明らかにすることは可能であるにも拘わらず、これを意図的に避けている節がある。この得手勝手なご都合主義の論理は、今後日共の舌戦に決定的な鈍りをもたらすであろう。 形式的には「筆坂同志の誤りは、常任幹部会の一員がおかしたものであり、常任幹部会として、その責任をまぬがれるものではありません」と云いながら、党中央の責任問題という観点からの謝罪は一切しない。トカゲの尻尾切りをしたこと、厳罰に処したことをむしろ誇る。 しかし、誇る先から変調さが見えてくる。筆坂処分は如何なる調査機関で審査されたのか。「常任幹部会、幹部会での審議」とあるが、最高指導部には指導部特権のようなものがあって、調査問責機関では審査されないということか。実際には、不破の胸先三寸と茶坊主の追従で決せられているのではないのか。そうとすれば、とんと機関運営に馴染まぬ私物化がはびこっていることになる。それは北朝鮮体制と同種同根ではないのか。 「とりわけ常任幹部会委員という重責をになうものにたいしては、そのことがいちだんときびしくもとめられることは、当然です」とある。ここでいう「そのこと」とは何であろう。聞いてみれば、「重罰」と云っていることになる。これは転倒論理であろう。求められているのは、不祥事抑制の厳しい「倫理」であろうに。 そう認識して「倫理が一番厳しく求められている党中央に何ゆえこの種の事件が発生し続けるのか」と問い、その原因の究明に向かう、これが普通の話では無かろうか。重罰処理論は肝心のここへ向かう問いかけをシャットアウトする弁という意味で反動的である。 一体、日共党中央はこれまで、聖人君子的モラルを説き続けてきたのではないのか。その説いている側の最高指導部ないしその秘書、家族に次々と不祥事が発生しているということが問題にされているのであり、不快感を覚えている訳である。それを重罰言い訳で済まそうというのは子供だましのすり替えである。 結びは、「中央委員会常任幹部会は、みなさんとともに、このたたかいの先頭にたち、あたえられた責任をはたす決意です」とある。何の変哲も無い言葉のように思えるが、この言葉の言外の意味を受け取れば問題があることが知られねばならない。 かって野坂は、選挙に負けたときの言い訳として、責任取るのはブルジョア法的所作、我々ともなると責任を軽々しく放棄しないのが責任などという煙り巻き話法を特異としていたが、不破も又まことに野坂の弁明と波長が一致しておりこの種の論法を好む。 今回の件でも、「不祥事をまず謝罪し、二度とこういう事件が起きないように党中央が率先反省し教訓とすることで理解を賜りたい。職責を賭けて私は誓う」と述べるべきところを「重罰で禊は済んだ。同志諸君さぁ頑張ろう」なる無内容極まる呼びかけしか為していない。まったく一事万事姑息卑怯な輩である。 |
Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり | れんだいこ | 2003/07/03 |
筆坂セクハラ失脚事件はなお尾を引きそうである。事件の概要が未だ知らされないがいずれ公開される日がくるだろう。現時点で漏洩されていることで重要と思われるポイントは次のことにあるように思われる。日共の発表に拠れば、被害女性が中央委員会に訴え出たのは5月27日で、事件そのものは「5月27日の3、4日前」であると云う。その数日前を特定していくと、何と「03不破綱領」とも呼ぶべき新綱領草案が提案された6中総に重なることになる。 実際には、6中総の前日か第一日目辺りになりそうである。とすれば、こたびの不祥事が単なるセクハラ事件では無くなる。本来であれば、40数年ぶりの書き換えとなる新綱領が提起され党中央内が著しく緊張しくいて然るべきところ、党内序列№4か5の立場にある最高指導部の一員が弛緩した痴漢行為をしていたということになる。このあまりのお粗末さに対して、多くの者は筆坂の個人的資質を指弾するであろう。 れんだいこは違う。筆坂は、こたびの新綱領のエエ加減さを見抜いており、新綱領が左派としては最後の皮一枚で繋がっている代物で凡そまともには読むに値しない無内容なものであることを知っており、ならばと6中総の意義なぞそっちのけで我は我の道を行くとばかりにセクハラ行為に及んでいた可能性がある。これが真実なら、不破の怒るまいことかは。 否、違う。あるいは、それなりに精神的ストレスがたまりいわばはけ口としてセクハラ行為にうつつを抜かしていた可能性がある。俗に、やっておれないよという倦怠気分の反映だろう。 このいずれであったにせよ、筆坂を重罰で処してどうだ他党のやり方とは違うだろう、この重罰こそ共産党の清廉潔白の証である、同志諸君早く禊して引き続き党中央と一丸になって盛り上げてくれ給え、などとの弁明が底なしの欺瞞だということが分かる。 論者曰く、「事件そのものを隠蔽することなく、別の口実で筆坂氏を更迭するのでもなく、セクハラの事実をきちんと公表して、議員辞職という形をとったことは、評価できることである。クリーンなイメージを最大限重視している党としては、重大な打撃になることを承知でこの道を選択することには、相当の勇気がいったと思われる(もちろん、被害者本人の承諾を得ていることが前提であるが)」。この評価はお人好し過ぎようしピンぼけだろう。 ここへきて、日共党中央は、「党の本部専従に、自宅以外での飲酒を内部規定として禁じている」その昔の規定を再確認して徹底させようとしている。志位委員長が2日、記者団に対して「規定は酒のトラブルがあった1970年代に設けた。公的な酒席を除いて原則、外部飲酒を禁じ、やむを得ない場合は事前に届け出る。罰則はない。厳しすぎるかもしれないが、外部飲酒は事故につながる」と説明したようだ。 党員諸手を挙げて結構結構こけ結構と云っているなら、れんだいこは何も云う必要も無い。しかしだ、常識的に考えてだ、共産党員は酒を飲む席であろうが無かろうが党員自身が「自由・自主・自律」的に他の者と交わり、TPO弁えながらその胸のうちを語る、というのが望まれているのだろう。オルグというのはそうして始まるのではないのか。「自宅以外の飲酒厳禁」とは、まるで、党中央が幼稚園の先生で党員がその生徒のような関係でのお尻たたきであり、馬鹿げているというか滑稽であろう。 事件の概要を明らかにせよなる要求に対する党中央の弁明も痴呆的だ。「発表の仕方も含めた措置は被害女性も納得しており、事実関係を公表しなかった点は女性の意向を踏まえたもの」てなこと云っているが、一市民の場合なら成り立つかも知れない、しかしこたびは国会議員の議員辞職問題が絡んでいる。しかも常々日共を代表して見解を述べていた者がある日突然議員辞職し、別の御仁に代わったのだ。 こたびは、「党内問題であり、党員は入党前に規約を読んで入党しており、党内でどういう処理しようと党外の者にあれこれ云われる筋合いでのものでは無い」とは述べていないが、代わりに被害者の立場尊重論なるもので丸め込もうとしている。これはこれで乗り切れるかも知れないが、問題は、これまでのように日共が他党やその党員批判し始めたとき、同じ論法でやり返されたらどうするかだ。口をもぐもぐさせればよいという訳には行かない、もはや詭弁を弄すなと叱りつける訳にも行かなくなった、ということだ。 |
Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり | れんだいこ | 2003/07/05 |
筆坂セクハラ失脚事件はなお激震中であり、次第に不破―志位系党中央の舌をもつれさせつつある。 7.2日志位委員長は「党本部職員の外部飲酒を禁止の内部規定を徹底する方針」(党関係者によると、党本部職員が1970年代に飲酒による交通事故などを相次いで起こしたことをきっかけに、党本部職員対象の内部規定に「外部飲酒禁止」を明記。どうしても必要がある場合は相手や場所、目的などを文書で届け、許可を取らなければならない)を明らかにした。 共同通信に拠れば、記者団から「退勤時に党員同士が飲みに行くのも外部飲酒か」、「女性とのデートは」などの質問が出たが、志位氏は「いずれも外部飲酒に当たる」と述べ、届け出は必要との認識を示した、とある。 これに対し、党内外から「子ども扱いだ」などと反発の声が漏れたのは当然。7.3日小泉首相もこれを面白がり、首相官邸で記者団に次のように答えている。「随分堅苦しい制度だね。息が詰まらないかね。自由なおおらかな社会の方がいいでしょ。自民党じゃ考えられないね」と語った。 遂に志位は、「自宅で飲むことまで規制はしないが、今後はもっと厳格にする」と意味不明の弁明をせざるを得なくなった。7.5日赤旗は同党にとっては異例の自己批判調で、「セクハラ問題にかかわる会見での発言についての訂正とおわび」を声明し次のように述べている。「共産党首脳が自らの発言を撤回するのは極めて異例」で突破口となったが、それにしてもけったいなところから風穴が開いたもんだ。 志位は次のようにコメントしている。「私の発言のなかで、セクハラの再発防止の一つとして、飲酒の問題をのべたのは、まちがいでした。そういうことは、常任幹部会でも決定していません」、 「セクハラの問題と飲酒の問題は、まったく別個の性質の問題でした。三十年ほど前、党の本部関係者の深酒のうえでのトラブルの反省から、『外での飲酒は、羽目を外さないよう、できるだけ慎み、節度をもって』という自主的な申し合わせを決めたことがありますが、『外部飲酒は原則禁止』ととられる発言をしたことは私の勘違いであり、事実にあわない説明でした。しかもこれをセクハラ問題と結びつけることで、間違いを大きくしました。これらの発言は撤回したい。わが党の立場に誤解をあたえる発言をしたことは、たいへん申し訳ないと考えています」。 要するに、不破辺りからもう少しお口を上手に廻せ、揚げ足を取られているぞお叱りを受け、例の何を何を云っているのか分からない玉虫色発言で捉えどころの無いものに切り替えた、というところが真相だろう。 しかし、れんだいこが引き続き痛打しておこう。志位は同党では珍しい自己批判をさせられたが、肝心なことに何も言及していない。その一は、或る事件において被害者の利益を守るという法益論を振りかざせば、事件の概要を説明しなくても良いのかどうか。この論理を今後の基準に適用するのか。こたびは追及される側に回ったが、追及する側に立った時に相手が同じように言えば「さいざんんすね」と納得するのかどうか、これを明らかにせねばならない。 その二は、同党の顔でもあった最高指導部にして国会議員がある日突如議員辞職した。これに当り、その原因、本人の弁明ないしは謝罪、処分側の論理を並列で明らかにするのが公明正大である思われるが、何ゆえ本人を秘匿するのか。 本人処罰の審査機関は規約に則って為されたのか、不破の私物化機関で胸先三寸で処分されたのではないのか、議会主義の党、国民の政党を名乗るのならとりわけこれらの疑問に答えねばならない。 その三、同党の書記局次長、参議院議員の地位にある者がセクハラ行為で失脚したことに関して、同党中央の責任は無いのか。当人を厳罰に処したとして胸を張るのは下劣なやり方ではないのか。 自己批判するのならトカゲの尻尾切りで済まそうとした行為をこそ自己批判すべきではないのか。 その四、新綱領草案発表最中の出来事であるが、党中央がその審議、質疑をそっちのけで筆坂問題に汲々していたとしたなら、新綱領草案は改めて提出され審議されるべきではないのか。 その五、本質上これが一番問題と思われるが、同党の組織原理は一体どうなっているのか。体制内改良派として純化していくのは勝手だが、民主集中制という名の党中央集中制組織論がなぜ必要なのか。その体制になってもはや五十年、その間何度も道徳、倫理、道理を説きまくっており、それでもこたびのような不祥事が起こり、他にも同種事件が漏洩しつつあるが、一体その統制的組織構造が逆に犯罪を生みつつあるのではないのか。組織論だけ党中央集中制に固執する意図は奈辺にありや。この疑問に答えねばならない。 一体、日共の組織論は、「私考える人、あなた下世話活動する人」というような党中央頭脳、一般党員手足論というアナクロ唯物論に立脚しているが、これこそ「本部詰職員の無届外部飲酒禁止」お触れが出された背景にあるのではないのか。訂正で済むような問題ではなく、そのようなお触れが何ゆえ安易に出し得るのかが問題であり、それは王朝体制に起因しているのではないのか。日共にとって党員はかっての「煮る焼く自由の陛下の赤子」となっていないか。 志位委員長は「党本部職員の外部飲酒を禁止の内部規定を徹底する方針」打ち出しの際、これは党内に限り適用され、万一同党が政権掌握の際には規制されませんのでご安心を的なコメントをつけていたように記憶するが、この論理こそ暴言であり諸悪の根源では無いのか。 世間に打ち出し出来ないようなものを党内に適用するな、党内でミニチュアながら成功事例となったものを世間に拡大せよ。これはイロハのイであろうが、日共は何ゆえ逆なことをしようとするのか。もっとも抑圧の成功事例など持ち込まれては困るのだが。 |
Re:週刊誌は・・・・まだ | れんだいこ | 2003/07/06 |
皆さんちわぁ。筆坂問題を語ります。世の中は優しさ系の人が増えて筆坂つうのは国会議員辞めても当たり前だ酷すぎる論がはやっているけど、れんだいこはそうは思わないんだな。 だいたいセクハラつうのは、痴漢前行為のようなことを云うのではないのか。レイプ未遂に至る前の行為ではないでせうか。なぜセクハラが、痴漢よりもレイプ未遂よりもレイプ既遂よりも重度の罪のような責められ方せねばならぬのだ。考え出したら、脳が悪くなるわ。 恐らく、上役の真似をしてかどうか、相手が合意してない行為を地位利用とか職権とか甘言で迫ろうとしていたのだろうが、それならそれで余計に事件の概要を明らかにすべきだろう。あまりにも腐敗した党中央やその№4の人格が分かろうというものだ。 それとさぁ、被害者っていうけれど、セクハラ当りで事件の概要さえ明らかにしてはいけないほど人権擁護されねばならぬものなんかいなぁ。被害者はセクハラ受けたら町を歩くことも出来ないほど恥ずかしいかいなぁ。れんだいこにはとてもそんな風には考えられない。 その利益と突如国会議員辞めさせられた事件の概要を明らかにすることとの比較考量的利益を考えて、今までは明らかにする方向にきていたのではないかなぁ。明らかにする度合いについては結構線引きできていると思うけどね。 もうこれからはこの種の事件はヴェール被せが流行りそうで、酒の肴にもなりそうにないな。やった方にはいい世の中になったような。何せ行為が知らされてなくて済むということだからねぇ。と書いたもんの実際はセクハラ程度のものではなかったということかいなぁ。 敢えて書こうセクハラ程度の問題で、こんなにもけじめつける政党こそ恐い話ではないかな。正式の審査機関も経ずにバッサリやられてらぁ。ほんでもってやった方にもっとひどい事件があるなんてことは世の中によくある話だわな。 しかしこの党はその腐敗に相応しく、変なことでこけたなぁ。 |
【共産党の禁酒“騒動” 本当はあった内部文書】 党防衛の自覚高め敵の攻撃を粉砕…バッジは所定の位置につけろ/遅刻は報告し、所在明らかに |
内部規定で外部での飲酒を禁止しているかどうかをめぐってどたばたを繰り広げた共産党。志位和夫委員長は「自主的な申し合わせで、(内部規定といったのは)勘違いだった」と文書規定がないことを強調して“一件落着”とする方針だった。しかし、「まるで親心のように」(党関係者)外部での飲酒禁止を明記した非公式内部文書は存在していた。市田忠義書記局長はこの文書について「誰がつくったのか、私は知らない」としているものの、複数の同党関係者は「規制は緩和されたが、現在も拘束力を持っている」という。
「党防衛にたいする自覚をたかめ 敵のいかなる攻撃をも粉砕するために」と題された非公式文書は三十三年前の昭和四十五(一九七〇)年に作成されたもので、志位氏が今月二日の記者会見で「七〇年代につくられた」と説明した「内規」にあたると推測される。 外部での飲酒禁止の規定は「飲酒は原則として家でおこない、帰宅の途中や面識のないものとは飲酒しない。とくに重要なものを持っている時には外では絶対に飲まない」という内容だ。その後、党内で「厳し過ぎる」と緩和を求める声が相次いだため、運用上は「上部組織に報告して許可を得る」ことを条件に認められるようになっていたという。 ただ、「帰りにちょっと一杯」は許されない状況は同じだ。 さらに、この文書の第一項は「米日反動と反党売党集団の党破壊から党を防衛するために不断に革命的警戒心をたかめ、敵のいかなる動向もただちに部と支部(班)に報告し組織的に粉砕する」というもの。「革命」のため組織防衛と党内規律の維持に躍起となる共産党の姿を浮き彫りにしている。 第二項以降は“硬軟”とりまぜた内容。「不審なもの」との交遊・接触の禁止、身辺調査を規定している一方、党本部内では「規定のバッジを所定の位置に正しくつける」ことや、「遅刻、欠勤の場合は部の責任者に必ず報告し、勤務員の所在は常に明らかにしておく」といった「教育的指導」(党関係者の一人)もある。 四十五年は宮本顕治氏(現・名誉役員)が書記長から委員長に就任し、党指導の全権を完全掌握した時期。共産党はそれ以前の二十年間を「反動・反共攻撃に対する厳しい闘争の二十年だった」と総括しており、内部文書もこうした認識の下で作成されたようだ。 市田氏は七日の産経新聞の取材に対し、「(志位)委員長が記者会見で述べた通り。(文書化されていない申し合わせであることに)間違いはない」と述べ、“自宅外禁酒”の文書や内規の存在を否定しているのだが…。 |
【共産党、「禁酒」の文書存在 志位発言を事実上、訂正】 |
共産党広報部は8日、自宅外での飲酒を原則禁止する内部文書が存在することを明らかにした。志位委員長は4日の記者会見で「党本部職員らの自宅外での飲酒を原則禁止する内部規定はなく、節度を持って慎むという申し合わせだった」と説明、内部文書の存在を否定していた。
今回、同党が存在を認めたのは「党防衛にたいする自覚をたかめ 敵のいかなる攻撃をも粉砕するために」とする文書。70年3月に党本部細胞(支部)委員会が取り決めたもので「飲酒は原則として家でおこない、帰宅途中や面識のないものとは飲酒しない。とくに重要なものを持っている時には外では絶対に飲まない」としている。広報部では「職員の自主的な取り決めで、上部機関からの強制ではない」と説明している。(朝日07/08 21:01) |
Re:ネタにはならん、それはナゼだ。 | れんだいこ | 2003/07/10 |
まーさんちわぁ。 > 筆坂さんのセクハラ問題を何故どこも取り上げないのか。答えは簡単。 > 忘れられそうな党とそこそこの知名度の人だったからっていうのと、長崎の子ども殺人事件に集中しているってのと、まぁそんなところでしょう。 とは思わないなぁ。裏工作のほどは分からないけど指令が出ている気がしますね。大政所からみて今や日共は体制ガス抜き屋として重宝な存在ですからね。体制側としても露骨に助っ人に出たという感じですね。 もう一つ、かなり最近の事例ですが、日共は2003.2.19日「公党中傷の謀略本広告 規制せよ 日本共産党がJR東日本に要請」記事を載せていますが、これがかなり効いているのではないでせうか。下手に日共批判記事を書くと、出版社のみならずつり広告を許したことでJRまでいちゃもんつけられる。「日本共産党中央委員会は十八日、JR東日本にたいし、この広告の掲示を規制するよう強く要請する申し入れをおこないました」とある通りです。 「JR側が、公党を中傷する広告を出版社の発行物というだけで無条件に認めることは、車内広告が政治的役割を果たすことを避けるとしているみずからの基準を無意味にするものであり、中傷や謀略に加担する役割を担っていると批判しています」と理屈を付けている。 この党のご都合主義は、他党批判のつり広告には無関心を装っていることです。もっともそれもいかんということになれば凡そ政治的な記事は書けなくなります。そういう事態をそも水先案内した日共の責任が浮き彫りになるでせうから、わが党の問題以外には関せずとダンマリ決め込んでおります。ご都合主義の所以がここにあります。 恐らく、日共批判記事は面倒くさいことになるという自主規制が働いているのが真因ではないでせうか。いやそうではないというお考えの方はご意見ご開陳ください。 日共の口先での民主主義擁護と実践での破壊行為を峻別してみる必要があります。宮顕―不破指導部が党内に敷いている体制は逸早く戦前型に復古させたものとなっております。治安維持法体制下にあるとも云えそうです。それでいて世間に憲法護れなどと打ち出ししていますが、有り得てはならないって。 |
Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり | れんだいこ | 2003/07/10 |
皆さんちわぁ。不破―志位は云えば云うほど墓穴を掘りつつある。うまいこと云う方が居られるようで、「ウソと詭弁の自転車操業」だって。 > 筆坂セクハラ失脚事件はなお激震中であり、次第に不破―志位系党中央の舌をもつれさせつつある。 こんな手合いにこれまで倫理だ道徳だ道理だを説教せられていたんだということを大衆的に確認せねばなるまい。実際、過度に道理を説く者にはいかがわしい者が多いつうのは経験則で云えるわな。恐らく近々赤旗の配布体制がストップするでせう。 |
【2003.7.10日付け赤旗、飲酒問題の「産経」報道について】 |
産経新聞八日付が日本共産党本部勤務員の「外部での飲酒禁止を明記」した内部文書があったと報道。この記事についての各社からの問い合わせにたいし、中央委員会広報部は同日、次のように説明しました。
八日付「産経」が報道したものは、調べてみたところ、一九七〇年三月の「本部細胞委員会」の決めたものだと分かりました。当時、本部からの帰宅途中の党員の飲酒先をつけねらって、スパイ工作をしたり、文書をねらったりする公安警察の動きが、非常に目だった時期でした。それに対応するために、本部勤務の党員で構成する党細胞(当時の基礎組織の名称、現在の党支部)が、自主的に決めたものです。“就業規則”的な文書ではありません。 |
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かように居直るのなら、当初志位委員長の「『外部での飲酒禁止規定』徹底化させる弁明」の自己批判が必死ではないか。党の№4の地位にあった者の失脚に関連しての弁明に纏わっており、いささか重大すぎる言い直しではないか。ましてや、この弁明のほうがウソだと判明したら、それこそ責任問題ではないのか。 |
【「スパイに注意」文書がスパイされていた 天邪鬼(03/7/10)】(「JCPウオッチ」投稿文より) |
共産党本部専従の外部飲酒問題が思わぬ展開となっている。外部飲酒の禁止がセクハラと全く関係がないのはいうもおこがましいが,70年代にそうした決定か通達があったことは,志位氏の会見直後に,ネット上でも本部専従だった有田氏やさざなみ編集部が指摘したことで「確認できる」。 当時末端の細胞役員だった小生も防衛上の問題が再三起こるので本部専従の外部飲酒を禁止したかもしくは制限したと聞いた記憶がある。小生でも覚えているくらいだから自主的な申し合わせだとか,羽目をはずさないようにという飲酒のマナーだとか,出鱈目なごまかしをし始めた時,後で恥を書かなければとかげながら心配になってきた。 産経新聞が8日にhttp://www.sankei.co.jp/news/030708/morning/08iti002.htm と報道して,その心配が的中した。 それを受けて,共産党広報部が会見し,朝日がhttp://www.asahi.com/politics/update/0708/007.htmlの記事を掲載し、 10日付赤旗もhttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-07-10/02_03.html と発表した。本部専従の外部飲酒禁止の理由が「本部からの帰宅途中の党員の飲酒先をつけねらって、スパイ工作をしたり、文書をねらったりする公安警察の動きが、非常に目だった時期でした。」というのは,小生の記憶ともあっている。ただ,これを決めたのは本部細胞委員会が自主的にしたことだというのはおかしい,末端の小生なども知っているということは(ただどういうルートで知らされたかの記憶は定かではない)書記局の指導に基づいて行われたことだとしか考えられない。記者が共産党のことに無知なのをいいことにしていつまでも嘘の自転車操業を続けるのだろうか。 それよりもあきれてしまったのは,産経のソースは同新聞のポジションから考えて,公安(警察,公調など)関係者だと推測される。何のことはない,公安から党を防衛すため外での飲酒は止めましょうという細胞の決定が,公安の手に渡っていたのである。70年代と言えばまだ,共産党員ゆえに就職できなかったり,左遷されるなどの不利益をこうむる党員が後をたたなかった時代である。そんな時本部がたびたび防衛策を講じても常にスパイに汚染されていたことを白日にさらしてしまった。間抜けさ加減には開いた口がふさがらない。 同時に委員長や書記長は私は知らないということを強調しているようだが,スパイの存在によって不利益をこうむったかもしれない一般党員に思いをはせたのだろうか。こんなことがあっても党員は黙って中央のやることに白紙委任を続け,幹部はけなげな顔をして弁解(嘘の自転車操業)をつづけるのが誠実だとでも思っている。 |
Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり | れんだいこ | 2003/07/12 |
おっちゃん皆さんちわぁ。裏版の「赤旗配達員募集」はとても貴重な情報ですね。遂に、日共は「セク旗」の配布に支障をきたし始めており、部外者を有料で雇ってのチラシ配布同様の取り扱いへ転じた模様です。紙面には伝えるほどの何も書かれていないからしてこの動きはますます加速するでせう。 政界予見士たる能力を持つれんだいこがもう一つ放っておきませう。どうやら、日共党中央内では、不破―志位グループと市田グループの間で微妙な対立が発生している模様です。今後の成り行きが注目されます。筆坂失脚も党中央内の既に収拾し難き同床異夢化に原因があり、そういう党内対立が微妙に絡んでいる気がします。 市田書記局長の発言は次の通り。「今最も求められることは事件の背景、動機をつまびらかにし、再発防止の手立てを講ずることだ」。 これは、長崎市の男児誘拐殺人事件をめぐっての鴻池防災担当相による「市中引き回しの上打ち首にするが宜し」発言に対して為されたコメントであるが、ポカンと口アングリさせられるのはれんだいこだけでは無かろう。 これを、党中央による筆坂失脚事件からの逃亡、鴻池防災担当相失言問題へのすり替え誘導の動きとみなすべきだろうか。しかし、発言内容があまりにもあてこすり過ぎる。「今最も求められることは事件の背景、動機をつまびらかにし、再発防止の手立てを講ずることだ」は、明らかにこの間の不破―志位指導部の詭弁術を撃っている。 故に、只今日共党中央内には抗争発生中、但しあまりにも低次元のあてこすり段階と見なしたい。問題は、今のところはあてこすりであっても次第に増幅して蹴落とすか落とされるのかの深刻な対立に発展するという場合もあるということで、れんだいこはそういう風に発展するだろうと予見している。 なぜなら既に党内細胞にはフラストレーションが溜まり過ぎており、引き続き従来式の脳軟化指導を続ければ、遂には「青春を返せ」から「人生を返せ」に至り、党中央は袋叩きにされる日もくるかも知れない。そういう意味で、7.18日の「日本共産党創立81周年記念講演会」が面白くなった気がする。 |
Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり | れんだいこ | 2003/07/14 |
しかしこの党中央の得手勝手性は底なしである。というか開いた口が塞がらない。筆坂セクハラ事件のことはもうすっかり忘れて、長崎男児殺害事件を廻る鴻池青少年育成担当相の暴言に対して、埼玉・土屋知事の政治資金規正法違反事件に対して、とても素敵な批判声明を発している。こういうことをシラフでできる日共党中央よ、オオカミ少年もさすがに脱帽だわな。 この間の日共の三枚舌を検証して見よう。その1、党の政策委員長(書記局長代行)・筆坂秀世のセクハラ事件と筆坂の国会議員職並びに党の要職からの解職を同時報道。他党に出来ない果敢な処理であると自画自賛。その2、事件の概要を明らかにせよ要求に対して、「被害者の利益」を考え、隠蔽するを正義とすると弁明。その3、酒席の不祥事の再発防止として、過去の内規である「無届け外部飲酒禁止」を再徹底すると表明、その4、そんな無茶なという抗議に、志位委員長が謝罪。この時、そのような内規は存在せず自主的な申し合わせに過ぎないと弁明。その5、内規は存在するのではないのかという疑惑に、調査したところ1970.3月に「本部細胞委員会」が自主的に決めた申し合わせであり、就業規則的な文書ではないと再弁明。 れんだいこは、最高指導部の一員の不祥事をこんなに上手に切り抜ける弁明を知らない。事件の概要の隠蔽の理屈付け、党規約に則った審議機関に諮ることなく恣意的なトップ裁定で誤魔化し、バッサリ切り捨てたことで党中央を免責させ且つむしろ逆に誇るその手口。「無届け外部飲酒禁止」の内規徹底声明が批判を浴びると、今度は急遽「そのような内規は無い」と訂正し、更に自主的な申し合わせ規律に過ぎないと云いかえる。 これだけお口を上手に廻されると、もはや批判する甲斐さえなくこちらが萎える。このような手合いを相手するのは全てが無駄のような気がしてどうでも良くなる。この党中央の減らず口にはもう語るに任せよという気がしてくる。と思っていたが、この時期に二つの舌下事件が起っており、これに対する党中央の批判を聞かされるにつきやっぱ黙って居れない。そこで以下コメント付けておく。 2003.7.12日赤旗は、長崎男児殺害事件を廻る鴻池青少年育成担当相の暴言「犯罪者の親は市中引き回しの上打ち首にするが宜し」を伝え、これを次のように批判している。同日、市田書記局長は、「鴻池防災相の本日の発言は、国政、とりわけ、政府の青少年育成推進本部の副本部長の任に携わる者にあるまじき、節度も道理も欠いたものであり、憤りを禁じえない。今回の不幸な事件にあたって、いま、もっとももとめられることは、事実を厳正に調査するとともに、事件の背景、動機をつまびらかにすることをつうじて、再発防止の手立てを講ずることである。そうした努力もなしに、やみくもにこういう発言をすることは、最悪の対応といわなければならない」。 同日、埼玉・土屋知事の政治資金規正法違反事件による辞意表明を伝え、7.14日埼玉党委員会は、「県議会で知事に辞任を求めた唯一の党」を誇り、「今回の辞意表明は当然のこと」と表明し、「不正に流用した政治資金の流れの徹底糾明は『政治とカネ』をめぐる腐敗を根絶するためには欠かせない」と主張し、更に土屋知事の県政私物化の解明も必要だとして、県政私物化の実態を解明する調査特別委員会の設置を求めた。見出しは、「真相解明へ臨時議会開催を」となる。 皆さん、筆坂事件のほどぼりが冷めぬうちのこうした他党ないし他者批判の姿勢が信じられますか。れんだいこなぞシラフではとても駄目だ、今日も一杯やって脳神経を麻痺させようと思う。それを思えば、日共の本部詰員というのはエライ。シラフでこれをやり過ごし、今日も明日も体制修繕に余念が無い。その感性は筋金入りでないと勤まらないだろう。理屈は合ってる。 |
【「日共党創立81周年記念講演会での不破議長講話原文」】 | |||
不破は、党創立81周年の記念講話で、筆坂事件に言及した。2003.7.19日付け赤旗の「日本共産党創立81周年記念講演会 不破議長 綱領改定案の内容と魅力を語る 21世紀の日本と世界 今日の課題から未来社会まで」の関連部分を転載しておく。
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【革マル派「解放」1867号「日共・松竹が自己批判」】 | ||
「阿修羅政治版10」で、竹中半兵衛氏が2005.7.22日付で「日共・松竹が自己批判 (革マル派「解放」1867号):日共内部の事情」を紹介している。これを転載しておく。
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【さざなみ通信の「筆坂政策委員長・参議院議員がセクハラで辞職」】 | |
さざなみ通信の(S・T編集部員)は、筆坂問題に関し、2003.6.25日付けで「筆坂政策委員長・参議院議員がセクハラで辞職」と題し、次のような見解を打ち出している。これを転載しておく。
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【日共の「週刊新潮』編集部の質問と日本共産党広報部の回答」】 | |
2005.9.16日、日共党中央は、2005.9.29日号に掲載された筆坂の「日本共産党への弔辞」小論に対し、「週刊新潮』編集部から日本共産党広報部に寄せられた質問と、同日おこなった日本共産党広報部からの回答」を発表した。これを転載しておく。
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【日共の反論「週刊新潮での筆坂秀世氏の一文について」】 | |
2005.9.22日、日共党中央は、日本共産党中央委員会広報部名で、赤旗「週刊新潮での筆坂秀世氏の一文について」を発表した。これを転載しておく。
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【行政調査新聞の「日共大物国会議員、筆坂秀世氏失脚の深層」】 | |
「阿修羅空耳の丘版29」の2003.9.23日付エンセン氏の投稿文「日共大物国会議員、筆坂秀世氏失脚の深層 行政調査新聞」を転載しておく。
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【「筆坂失脚事件」で何が問われているのか】 |
筆坂の「日本共産党への弔辞」に対し、日共は、赤旗に「『週刊新潮』編集部の質問と日本共産党広報部の回答」を載せている。これを叩いておく。れんだいこは、「筆坂失脚事件で何が問われているのか」を書き付け、世に問うことにした。日共不破よ、茶坊主どもよ、心して聞け恥よ。 「筆坂セクハラ事件」の問題は、セクハラにあるのではなく、「セクハラ事件」にまで騒動化させた現下日共の変態性にこそある。もう一つ、「日共党中央内の権力闘争」にこそある。その権力闘争も本来の意味でのそれではなく、単に茶坊主どもの立身出世競争でしかない。不破の余りにも幼稚な私物化状態下の党中央の痴態が見て取れ、こちらの方こそ考察対象にせねばなるまい。 臭いとして「金子満広副委員長失脚事件」と同じで、いわゆる「元請け」立場の不破が「下請け」立場の誰それが頭角を現してくるのを快く思わず、難癖つけて失脚させたということだろう。今小ネズミ首相が自民党内をそのように威圧し始めており、少しはましなのが出てくると二葉の芽を摘んでいるが、宮顕ー不破はそれの元祖的な地位に有り、昔からやっていることだ。 以下、こたびの事件はをどういう風に演出したか見てみる。赤旗曰く、「女性党員から党中央委員会に、筆坂氏からセクハラ被害を受けた旨の訴えがありました」とある。しかし、「訴え」の中身たるやなにぞ。たかがカラオケボックス内でダンスでありディェットであり、その際に筆坂の手が器用に動き過ぎたというだけのことでしかない。なしてこれがセクハラぞ。女性党員は嫌なら帰れば良いだけのことではないか。筆坂が、地位利用して脅迫的に逃げ回る女性党員を追い掛け回し、暴力的に性関係を結んだとか未遂に終わったとか云う話ではない。日共は、おおげさにするのもエエカゲンニセンカイ。 たかが「ボディタッチ程度のこと」を「セクハラ事件」に仕立てたのが「筆坂セクハラ事件」の真相のようである。こうなると、党中央も党中央なら、その種の行為で役職を棒に振った筆坂も筆坂ぞ。なして抗弁しないのか、ここに問題が宿されている。平素よりイエスマン化を強いられ慣らされているからこういうことになる。 赤旗曰く、「筆坂氏は、訴えの事実を認めるとともに、自己批判の文書を提出し、過去の問題にまでさかのぼって、自分のその弱点についての反省を述べました。その後開かれた常任幹部会会議でも、筆坂氏は、訴えられた事実を認め、自己批判を述べるとともに、いかなる処分も受ける旨、言明しました」とある。繰り返すが、この程度のことで「過去の問題にまでさかのぼって、自分のその弱点についての反省」などと大げさに云うな。マジにそれを云うなら、不破のそれも「過去の問題にまでさかのぼって、自分のその弱点についての反省」させねばならない。ここでは触れないが、不破の過去にもそれなりのことがある。 赤旗曰く、「常任幹部会として、必要な調査を行うとともに、筆坂氏を呼んで訴えが事実であるかどうかを確かめました」、「常任幹部会は、こうした経過の上に立って、筆坂氏を党中央委員会から罷免するという規約上の処分を決定したものです。この処分は、幹部会を経て、中央委員会総会で決定されました」とある。 しかし、これも変な話だ。常任幹部会をして調査問責(普通、これは査問と云う)機関にしていることがそもそもオカシイ。それこそ機関運営主義を逸脱した越権行為ではないのか。党員の規律違反は、機関運営主義の観点から云えば規律委員会あるいは訴願委員会が管掌することではないのか。日共は、この弁で、常任幹部会は何でも裁断できる最高機関であるという実態を思わず露呈させている。その常任幹部会を宮顕ー不破ー志位ラインが牛耳っているとすれば、組織の私物化でしかない。が、これが実態である。 赤旗曰く、「なお、議員辞職は、規約にもとづく処分ではなく、常任幹部会が道義上の立場に立って筆坂氏に勧告し、筆坂氏がこれを受け入れておこなったものです」とある。もはや注釈は必要なかろう。常任幹部会を仕切る不破が、恩着せがましく慈悲で「勧告」し、筆坂が自ら辞任を申し入れたのだと、聞こえのよいように体裁を取り繕っているだけのことではないのか。 週刊新潮編集部は、「上記処分決定にあたり、共産党本部に一枚の「セクハラ」事件に関する「怪文書」が届き、それにより筆坂氏に対する処分が変更されたということはございませんか」と問い、「怪文書」を通じて当初の警告処分から罷免処分に向った経緯を質している。 これに日共党中央は何と応えたのか。赤旗曰く、「常任幹部会は当初、ことが公表されたときに、被害者が受ける影響などを考慮して、常任幹部会の内部にとどめる処分とすることを確認しました」と述べ、当初は比較的処分の軽い警告処分であったことを認めている。ところが、ここから詭弁を弄する。それが罷免処分に代わったのは、「常任幹部会の規律担当者の思い違い」であり、「規約の規定によれば、党中央委員にたいする処分は、すべて中央委員会総会での決定を必要とするものであり、常任幹部会の内部にとどめる処分はありえません。そこで、次の常任幹部会で、(1)で述べた処分をあらためて決定しました」と云う。つまり、当初が規約違反の間違いで、後の訂正が規約遵守であると述べていることになる。 この詭弁は、日共規約の不備のボロも思わず露呈させている。「規約の規定によれば、党中央委員にたいする処分は、すべて中央委員会総会での決定を必要とする」にせよ、まずは規律委員会あるいは訴願委員会で審議されるべきではないのか。この審議を飛ばしていきなりの「常任幹部会決定」こそ規約違反ではないのか。この規約違反を問わず、「常任幹部会の規律担当者の思い違い」にすり替えていることこそ問題ではないのか。普通これを「鼻くそのなすくり」と云う。 赤旗曰く、「なお、処分の最終決定をおこなった常任幹部会会議には、筆坂氏は『体調不良』を理由に出席しませんでしたので、翌日、常任幹部会のメンバーが、確認した内容を伝えましたが、筆坂氏は、それを全面的に受け入れることを表明しました。さらに、この問題を報告・審議する幹部会会議および中央委員会総会で弁明を述べる権利があると伝えたのにたいしても、『事実はその通りであり、弁明するつもりはない』と答えました」とある。 赤旗曰く、「財界研究の論文執筆という問題は、最初、不破議長が筆坂氏に提起したことでした。論文が仕上がって『前衛』誌などに掲載することになれば、筆坂氏の党機関紙誌での、事件後初めての公的な発言であり、セクハラ問題について、筆坂氏自身がどういう立場に立っているかについての自己検討を述べることが、不可欠の前提になります。不破議長は、最初に研究問題を提起したさい、この問題をあわせて話し、筆坂氏がそれに同意して、論文の作業にとりかかったことでした。論文の冒頭に自己批判の文章が書かれたのは、こういう経緯によるものです」とある。 |
【日共の反論「週刊新潮での筆坂秀世氏の一文について」】 | |||
2005.9.22日、日共党中央は、日本共産党中央委員会広報部名で、赤旗「週刊新潮での筆坂秀世氏の一文について」を発表した。これを転載しておく。
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Re:れんだいこのカンテラ時評300 | れんだいこ | 2007/06/06 |
【筆坂の恐るべき恥ずべき理論貧困考】 筆坂秀世著「日本共産党」を、れんだいこは読んでいないが、P.114~117に次のように記していると云う。 あの戦時中の過酷な弾圧下で、一二年間も牢獄につながれながら非転向を貫いた宮本氏は、私たちにとっては次元が違いすぎて憧れることすら憚られるほどの大きな存在であった。私が日本共産党に入党して以降も、「仮に宮本さんのような弾圧を受けたら黙秘でがんばることができるか」と自分に問いかけ、到底その自信がない自分に恐れおののいたものである。戦後、いまの共産党の路線をつくりあげたのは、間違いなく宮本氏の卓越した政治的眼力とリーダーシップであった。 (引用以上) これが宮顕履歴と評価の通説であるが、れんだいこは、論文集宮顕論(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron.htm)でその大ウソを完膚なきまでに論証している。しかし、通説を信仰的に信じたいのだろう、相も変わらず通説が何の疑問も無く受け入れられている。これを如何にすべきか。通じ無い相手には何を云っても通じないと云うことだろうか。 一応逐一コメントしておく。 「あの戦時中の過酷な弾圧下で、一二年間も牢獄につながれながら非転向を貫いた宮本氏は、私たちにとっては次元が違いすぎて憧れることすら憚られるほどの大きな存在であった」について。宮顕が12年間収監されていたことは史実であるが、非転向は疑わしい。というより、非転向というよりも元々当局派の者であり、スパイMと入れ替わるようにして党中央に登場してきた形跡がある。よって、調書も取られていないし、特高暴力にも遭っていない。 当人が「こいつには何を云ってもムダだ」と特高取調官をしてあきらめさせたなどと主張しているのは出鱈目である。それを真に受ける方もデタラメである。この云いに疑問があるならいつでも論戦してみたい。れんだいこの観点は宮顕論に中で述べている。 「私が日本共産党に入党して以降も、『仮に宮本さんのような弾圧を受けたら黙秘でがんばることができるか』と自分に問いかけ、到底その自信がない自分に恐れおののいたものである」について。筆坂がそう思うのは勝手だが、対象とするなら岩田、(野呂)、小林多喜二等々即刻虐殺された者とか、半死半生の目に遭わされた者とかであろう。みんな黙秘で頑張って命をとられたり同様の酷い目に遭わされた。黙秘で頑張って敵をあきらめさせたなどとの弁を信ずる方がおかしかろう。サヨ圏にはこういう低脳が多い。 「戦後、いまの共産党の路線をつくりあげたのは、間違いなく宮本氏の卓越した政治的眼力とリーダーシップであった」について。前段の「戦後、いまの共産党の路線をつくりあげたのは、間違いなく宮本氏」は、今日の日共を作り上げたという意味ではその通りである。後段の「宮本氏の卓越した政治的眼力とリーダーシップであった」は噴飯ものである。 宮顕総路線が今日の日共のテイタラクを作ったのであり、その後半を不破が引き受けた。中共の長征は誇るに足りるものであるが、日共の長征は讃美されるものではなく酸鼻されるべきことである。日共とは名ばかりの、権力には投降型の穏和運動、左に対しては急進的な撲滅運動という変態運動を作り上げ、戦後左派運動の息の根を止めてしまった。大衆団体の反戦平和運動に分裂を仕掛け、影響力を大きく殺いでしまった。戦前の遺産をすっかり食い潰してしまった。 議会路線を敷いた当初は景気がよかったが、現在は停滞ないしは後退し続けており、それというのも左派的議会闘争など何もしていない故にである。ネオ・シオニスト奥の院の指令に基づき、政敵のスキャンダル暴露党という役割で利用され、これを引き受けているに過ぎない。人民大衆は食傷しきっている。 筆坂は党の政策委員長を務めた経歴を持つが、その党及び党史に対する知識は驚くほど貧相なものでしかない。離党した彼が為すべきは自己批判であり、それを通しての日共革命ないしは新党創出であろう。そうすれば彼の働きどころは幾らでもあろう。過去に頬かむりしていては信頼は受けられまい。 2007.6.6日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)