筆坂失脚事件考

 (最新見直し2007.6.6日)

 関連サイト「筆坂の日共党中央批判考

 (れんだいこのショートメッセージ) 
 日共党中央は、「筆坂失脚事件」というケッタイナ事件を引き起こして今なお鉄面皮な自己肯定し続けている。それに惑わされる方も同責だろう。しかし、れんだいこは認めないし許さない。以下、本事件を検証する。

 筆坂氏は、著書「日本共産党」(新潮新書、2006.4.20日初版)を出版し、この事件の概要を補足した。これを参照し、書き改めることにする。

 2005.9.28日、2006.4.19日再編集 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その104 れんだいこ 2005/09/27
 【「筆坂失脚事件」考】

 2003.6.23日、突如「筆坂失脚事件」が報ぜられた。この時日共は、第7回中央委員会総会を開いており、30数年ぶりの新綱領採択問題で緊迫した遣り取りが為されているものと思われていたが、何と23日の閉会の席上発表されたのは「筆坂氏の常任幹部会委員ポスト解任決定」であった。

 筆坂は、以降、例の党規約により沈黙を余儀なくされた。ところが、次第に我慢できなくなったようで、2005.7.7日、離党届を提出し、常任幹部会で承認された。党幹部が「除名処分」を受けた事例は故野坂参三名誉議長など過去に3件あるが、幹部経験者が自ら離党したケースは「前例がない」(党関係者)とされる。

 その筆坂が、2005.9.29日号の週刊新潮に「日本共産党への弔辞」と題する小論を寄稿している。早速日共は、赤旗に「『週刊新潮』編集部の質問と日本共産党広報部の回答」、「『週刊新潮』での筆坂秀世氏の一文について」(日本共産党中央委員会広報部)を発表し、反論しているが中身がお粗末極まりない。

 本来、「筆坂失脚事件」は考察するに値するほどの事件ではないのだが、日共の相変わらずの詭弁が満展開しており、例によって丸め込まれている向きも有るので、れんだいこが叩いておく。

 サイトとして「筆坂失脚事件考」(http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nikkyonofuhaico_fudesakaziken.htm)
に記した。お読みくだされ。
 重要なことは次のことにある。判明することは、「筆坂セクハラ事件」とは、「たかがという程度のセクハラ事件」を利用して、法皇不破が、党内序列№4の筆坂政策委員長を強引に失脚せしめた政治主義的暴君事件であり、根っからのイエスマンでしかなかった筆坂が唯々諾々することにより一夜にして執り行われた儀式であった」ということである。

 行政調査新聞は次のように見立てている。
 「日共が長年抱えてきた秘密主義体質に加え、いまだ民主国家に適応することの出来ない陰謀主義的、かつ人権無視の体質を引きずっていることを確信させる事実内容が含まれている」。
 概要「筆坂氏告発に関わった人物連関図と不可解な経過には謀略性が見られる。民主国家の中では許しがたい卑劣な謀略が画策された気配が濃厚である。『清潔』を看板にしてきた党の中で起きたとは、にわかに信じられない謀略であった」。

 行政調査新聞の指摘は正しい。とはいえ、戦前戦後の党中央に立ち現われた宮顕系の運動を本来の党運動とごちゃまぜにして、依然として日共美談に捉われすぎているようにも思える。宮顕―不破系運動の胡散臭さを知らず、戦前から不屈の主義に殉じた正義清潔の共産党観にとらわれていれば、「にわかに信じられない」であろうが、既に「宮顕ー不破ー志位系運動を異筋のエセ運動」と喝破しているれんだいこ史観から見れば、これぐらいの芸当は案外朝飯前だろう。

 翻って、この事件の背景にどのような事情があったのであろうか、これが詮索されねばならない。この事件の特質を確認しておくと次のように云えよう。
その1  セクハラ事件訴追という名目を借りた党内序列№4の高位にある日共党幹部の失脚事件であったこと。
その2  その際、処分時にも処分後にも本人の弁明の機会を与えず最高指導者不破の一刀両断で措置しているという凡そ近代法治主義の原則に違反する遣り方であったこと。
その3  党内序列№4の党幹部の失脚が理論的な政争に絡んで為されたのではなく茶坊主間のジェラシーに拠っていたこと。
その4  党中央はこの経過を未だに居直りつつ正当化し続けていること。

 凡そ以上の点の問題を孕んでおり、そのそれぞれを検討するのに、凡そ共産党という名に恥じる醜悪な内容であるというよりもっと低レベルなものであり、又一つ歴史博物館の標本にしておくに値するものである。日頃保守反動として批判している自民党の党運営システムの方がまだしも近代的で、日共のそれは封建的王朝的なものであり、今時このようなシステムの上にあぐらをかいて平然とし得る政党は珍しかろう。グロデスクを通り越して戯画的でさえある。このことを明らかにするのが「筆坂失脚事件」考察の意義となろう。

 「筆坂失脚事件」考察にはもう一つの意味がある。れんだいこの見るところ、筆坂の党内履歴は、不破の声音まで似せてしゃべる芸で不破の寵児となり、党内出世階段を上り詰めていったところに特徴がある。いわゆるれっきとした不破派の一員である。その筆坂が失脚したのは如何なる理由であったのかが詮索されねばならない。

 これを紐解く鍵は、「筆坂の最近の精力的な活動と国民的人気」にあったように思われる。本来なら喜ばしいことであるが、党中央が宮顕ー不破系のスパイ派により占拠されている日共にあっては通じない。宮顕ー不破系は、コントロールの利かない「国民的人気才子」を粛清する。筆坂がそういう面で頭角を現してきた以上いつか粛清される運命にあった。かくて、「たかが程度のセクハラ事件」が引き金となった。

 こたび法皇不破の猜疑と他の茶坊主どものジェラシーが一蓮托生し、「たかが程度のセクハラ事件」を奇禍としての不破の鶴の一声で志位、市田、浜野ラインが作動し、新綱領討議で余念無いはずの第7回中央委員会総会前後に斬って捨てた。そういう経緯が見えてくる。

 もう一つ特殊な興味が有る。れんだいこが気になることは、当時筆坂の声音が不破離れしつつあったことである。ということは、不破の茶坊主的地位から自律しようとしていた矢先に放逐されたということになる。ひょっとして新綱領の内容を廻る見解対立があった可能性さえ考えられる。しかし、日共はこの種の遣り取りを開示しないので外からでは分からない。いずれにせよ、宮顕―不破系の口先の言辞とは裏腹な凡そ本来の共産主義とは無縁なエセ主義者による反動的党内統制の罠により筆坂が放逐された、と受け取るべきであろう。

 それにしてもこの党の政争は信じられないほどチマチマしたものに堕してしまった。そこには識見、理論、青写真を争うようなものは何も無い。構改派、親ソ派、親中派との論争を最後としてその種の対立は終わっている。今や、イエスマン関係下でのミニ権力闘争しかなく、その理由付けも不倫だのセクハラだのこういうのばっかしや。エセイズムとイスト運動の行き着いた腐敗局面であろう。

 2005.9.27日 れんだいこ拝


【「筆坂失脚事件考」まえおき】
 まず、「筆坂失脚事件」の経過を確認しておく。日共側の説明だけでは真実が見えてこないので、こたび筆坂が明らかにした経緯を下に真実に迫ることにする。先に、インターネット新聞「行政調査新聞」が、9.22日付けで「あきれた『粛清』劇……日共大物国会議員、筆坂秀世氏失脚の深層」でこの問題を深く掘り下げているので、これをテキストとしつつれんだいこ風に整理し直してみる。

 ちなみに、同紙は、1983(昭和58).11.30日付けで「田中事件の本質とロッキード事件の真相」を手掛けており、れんだいこの見るところ世に阿(おも)ねず孤高のジャーナル精神を発揮し続けている。こたびの筆坂失脚事件考察も又その価値は大きい。

【「筆坂失脚事件」その1、筆坂警告処分までの動き】
 2003.5.26日夜、筆坂は、秘書と「ある女性党職員」との3名で、赤坂の焼肉店で食事をした後、カラオケボックスに向かった。この時、どちらが誘ったのか不明であるが、チークダンスやデュエットに興じ、その際体を抱きしめたり、肩に回した手を腰まで下げ撫で回した。筆坂によれば、「それぞれに楽しい時間を過ごしたつもり」で、彼女は嫌がっている様子ではなかった、と云う。「ある女性党職員」が新たに筆坂の国会秘書になる予定で、当日はその為の歓迎会的意味の食事会であった、とのことのようである。
(私論.私見) 「筆坂セクハラ事件化の愚劣と筆坂の弁明愚劣」について
 これが問題とされ、筆坂セクハラ事件を生み出していくことになる。つまり、筆坂のセクハラ事件なるものは、カラオケボックス内で女性職員とデュエットで腰に手を回して歌い、チークダンスを踊ったことが発端だった、ということになる。何のことはない「この程度」のことが大事件化させられ、公党の代表的地位にある者が議員辞職されたことになる。これは逆の意味で「政治の冒涜」だろう。

 そういう当たり前の見識が働かず、筆坂叩き側も叩かれる方も両者が「例によってさもマジメに変に」対応していくことになる。れんだいこは、この党のそういう嫌らしさこそを問いたい。

 2005.9.25日再編集 れんだいこ拝
 「ある女性党職員」はそも何ものぞ。何やら胡散臭い気がするが表に出てこないので分からない。その「ある女性党職員」がその日夜遅く帰宅した事を亭主が訝(いぶか)り、叱責し、歓迎会の様子を根ほり葉ほり聞きただした、と云う。「ある女性党職員」は、悩んだ末に「以前からの知り合い」であった同僚の女性国会秘書何と、「志位衆議院議員・党委員長秘書」に相談した。
 そして、志位の秘書が連絡を取ったのが「共産党国会秘書団の女ボス」と云われている何と、「市田参議院議員・党書記局長秘書」であり、この秘書が「セクハラ疑惑を書記局に訴えるよう指図した」、と云う。
(私論.私見) 志位委員長と市田書記局長の両秘書の暗躍について
 これが真実なら、日共№2と№3の国会秘書が、「筆坂下ろし」に関与していることになる。これを党内抗争と云わずして、何というだろうか。こうなると、政敵潰しの美人局(つつもたせ)の観がある。
 5.27日、党本部に「ある女性党職員」から、概要「酒席で党の大幹部である筆坂氏からセクハラ行為を受け、大変なショックと精神的苦痛をこうむった」との訴えが為された。このことは、後日記者会見の場で、市田書記局長が明らかにする。
 6.5日、筆坂は、党本部10階の部屋に呼ばれ、そこで志位委員長、市田書記局長、浜野副委員長の3名により事情聴取された。「5.26日の夜、赤坂のカラオケボックスで党の内部規定で禁止されている『外部飲酒』に秘書と女性職員を誘い、酒を飲んでデュエットやダンスをして体に手を触れた」のではないかと調査問責された。

 筆坂は、「ある女性党職員」と何度かチークダンスを踊り、腰に手を回してデュエットで数曲歌ったことは事実であると認め、「不快な思いをさせたなら謝罪したい」と述べている。

 その時、自己批判書を書かされ、処分に就いては6.9日の常任幹部会で審議されることになった。筆坂氏の自己批判文は概要つぎのようなものであった。
 「(今回の件について)私の行為によって不快な思いをさせてしまった女性に謝罪するとともに、国政に期待された国民、共産党を支持していただいた有権者、支持者、後援会員、党員の期待を裏切ったことをおわびする。今後は一人の党員として初心に立ちかえって生きていく所存です」。
 志井、市田、浜野は、日共トップの不破議長に事の次第を報告し、問題処理について判断を仰いだ。不破は次のように指示している。
 「筆さんは、以前から外で飲酒して女性との悪ふざけがあると噂があるから、反省してもらった方がいい。そういう分野は浜野さんの専門だから、浜野さんの方で処置を考えなさい」。
(私論.私見) 「不破の対応」について
 「結論ありき」で、宮顕直伝の自らは手を染めようとしない伝統的な遣り口が透けて見えてこよう。
 6.9日、朝から日共の常任幹部会(不破、志位、市田の党三役を含む21名からなる日共最高幹部の執行機関、筆坂も政策委員長としてその一員に加えられている)が開かれた。この日は、年内に予想された解散総選挙に向けての方針の検討を議題にする予定だったが、この議題は午後に行われることにされ、午前中を特別に「筆坂に関する飲酒に伴う女性党員からの訴えの問題の処理」に当てた。

 「事実問題の調査」を行った浜野忠夫副委員長から冒頭報告があり若干の質疑があった後、筆坂から反省の弁を述べる発言がされた。その際、筆坂は、市田の助言に従い、余計な弁解をせずに次のような自己批判書を読み上げた。

 「軽率な行動を反省している。今後、二度と同じ誤りを繰り返さないよう注意していくつもりであるし、相手に深く謝罪したい。常任幹部会が決定するどんな処分をも甘んじて受ける」。

 その後、浜野から「今回の事態について、筆坂氏から率直な自己批判がされたし、警告処分ということで処理したい」との提案が為された。不破議長や志位委員長を含む常任幹部会の全員が了承し、筆坂は、4つ有る処分のうち最も軽い「警告」処分となった。いわば口頭注意で、後は中央委員会総会で報告され、了承を取り付けることで一件落着する筋道がつけられた。

 これで事は片づくはずだった。午後からは、予定通りの議題が常任幹部会で話し合われた。

 6.10日、志位委員長の党首討論の準備会議に出席した。
 6.12日、書記局会議が開かれ、筆坂は、次期総選挙の政策宣伝責任者に任命された。筆坂は、セクハラ事件で「警告」処分を受けたばかりなので尻込みしたが、市田書記局長の推挙もあって引き受けた。筆坂は、引き続き変わりなく政策分野の責任者として総選挙準備の仕事にとりかかった。
 その日の午後、NHKから6.15日の日曜討論への出演要請があり、市田書記局長、志位委員長、不破議長の決裁も下りて、出席予定となった。筆坂は、NHK「日曜討論」出演の準備に他の政策スタッフと共にとりかかった。6.15日のNHK「日曜討論」への筆坂出演は赤旗で予告された。

【「筆坂失脚事件」その2、急転直下、筆坂解任処分への動き】
 6.14日、突然状況が変わった。日共書記局に「脅迫ファックス」が届いた。差出人は、「不正をただす国会秘書(国会を良くする国会秘書の会)」からのもので、次のような文面であった。
 概要「セクハラ議員は自民党だけではない。共産党の最高幹部にもいる。しかし、甘い処分で済まされようとしている。こんなことは許されない。厳しい処分をしなければ、7中総の機会にこの事実を公表する」。
(私論.私見) 「脅迫ファックス」の発信元について
 この「脅迫ファックス」が胡散臭い。「7中総」と云う党内用語を自然に使っていることからも党内からの告発であることが読み取れる。書記局宛に直接ファクシミリを送れるのは部内の人間だけで、当然党内からの告発になる。党中央が各部局のファックス送信記録と受信時間の照合をすれば、送り主の部署ぐらいは簡単に特定できる筈のところ詮索されていない。おかしなことである。
 「脅迫ファックス」が党本部内から発信されていたことが間違いないとして、その背景にはどのようなものがあったのであろうか。「マスコミ関係者」は次のように述べている。
 「マスコミ記者の間でも、誰があの『脅迫ファックス』を送ったかの目星はついています。女ボス傘下のグループにいる女性国会秘書です。この女性国会秘書には、部内の男性職員のセクハラ行為を同じようにファックスで告発し、処分させた実績があります」。
 概要「筆坂告発に走った女性秘書グループは、普段から論客としてテレビ、国会で活躍する筆坂氏に対して妬み、『あんな大酒飲みのセクハラ常習者が党幹部にいるのは許せない』と話し合っていた経緯が有る」。
 「筆坂氏が政策や国会対策の責任者として、重大問題を国会で取り上げる際に優秀な秘書をあちこちから抜擢してチームを組ませて仕事をさせることも、件の女性秘書グループの怒りをかっていたという」。
 「彼女たちの怒りが頂点に達したのは、鈴木宗男衆議院議員の疑惑追及の仕事をまとめた本が出版された時だったそうです。あの本(「ムネオ追及300日」新日本出版社)は、マスコミや国会関係者の中でちょっとした話題になったもので、共産党議員の国会論争だけでなく調査や準備に関わった国会秘書たちの活躍ぶりが実名で載っていたのです。皆、筆坂氏が抜擢した秘書たちでした」(国会記者クラブ関係者)。
(私論.私見) 「脅迫ファックス」の差出人と「党本部に渦巻いていた筆坂ジェラシー」について

 上述の伝に拠ると、筆坂の精力的な議員活動ぶりがジェラシーを生み出し、そこから発生する足の引っ張り合いとして「脅迫ファックス」が発信されたことになる。これが事実とすると、この党は何と云う腐敗ぶりであることか。

 「不穏な動き」をキャッチした浜野副委員長らは、地方遊説に出掛けていた市田書記局長を急遽東京に呼び戻し、鳩首会議を始める。
 6.14日午前、テレビ対策会議を行った後、議員宿舎に戻っていたところ、夕方になって突然、浜野忠夫副委員長から「直ぐに党本部に来て欲しい」との電話があり、党本部へ駆けつけると、「国会で不穏な動きがある。明日のテレビ出演は市田さんに代わってもらう」と告げられた。そのうち市田書記局長も出先から戻り、両名から6.16日の常任幹部会を欠席するよう申し渡された。

 筆坂は、「病気理由でテレビ出演をキャンセルしたのだから、自宅に数日間は待機してほしい」との浜野の要請を受けて、自宅に蟄居した。
(私論.私見) 「党中央の筆坂への常任幹部会への欠席と自宅蟄居の申し渡し」について
 筆坂は、党中央により「常任幹部会への欠席と自宅蟄居」を申し渡され、その言い付けを守った。他方、党中央は、筆坂が急遽体調不良となり欠席したとか、自主的に自宅蟄居したとか詭弁している。誰が信じようぞ。
 6.15日、市田書記局長がNHK「日曜討論」に出演した。
 6.16日、党常任幹部会が開催され、「重大な事態」についての報告がされ、6.9日の「警告処分」が無効とされた上に「筆坂政策委員長の参議院議員辞職、党役員からの罷免処分」が新たに決定された。「欠席裁判」であった。
(私論.私見) 「筆坂欠席の上での『参議院議員辞職、党役員からの罷免処分』の不明朗さ」について
 「欠席裁判」状況で、この処分を断行させるには党の最高権力者、不破議長の了承無しにはできない。不破は、一旦決まった「警告処分」を覆し、「議員辞職・役員罷免」の処分を強行させたことになる。

 この流れを見ると、筆坂のセクハラ事件は口実で、「筆坂失脚の罠」が仕掛けられ、不破議長の総指揮の下粛々と断が下されて云った、ことが判明する。「筆坂氏に対する処分をやにわに急いで強行した。『出来レース』の匂いがプンプンだ」(雑誌コラムニスト)ということになろう。
 6.17日夕刻、本部10階の会議室に来るように連絡が有り出かけると、市田と浜野が待っており、「実はこういうものが来ていたんだ」とA4のファックス1枚文を見せられた。

 浜野が、筆坂に対し、「中央委員を罷免する。参院議員も辞職して貰うとの決定を前日の常任幹部会で行った」旨、通告した。自分が知らぬ間に、国会議員・党最高幹部から「ヒラ職員」に格下げされてしまった筆坂は、「議員辞職、役員罷免」という処分変更を一方的に申し渡された。筆坂は、この処分に対しその場で不承不承ながら了承した。両名から、「つらいだろうが、筆さんには記者会見してもらう」と指示された。
 6.18日、市田書記局長から、「指導部(不破議長のこと)の判断」であるとの申し渡しで、会見中止が指示された。会見で記者質問を受けると、相手の女性に二次被害が及ぶ可能性が有るとの理由付けだった。筆坂は、国会議員のケジメ責任として会見をしたいと何度も要望したが、禁止された。
 筆坂は、6.24日の市田書記局長による処分発表の直前に参議院宿舎を引き払った後、以前から埼玉県に所有している私宅で暮らす。「ひっそり隠れていろ」と指示されそれに従った。
(私論.私見) 「マスコミの筆坂インタビュー懈怠」について
 これが事実なら、不思議なことにというか有り得ないことに、マスコミは自宅に蟄居している筆坂にインタビューしていない。「雲隠れ」と云われるほどのものでないのに不自然に「放置」されたことになる。

 その理由として、「共産党関係者が流す情報のため、週刊誌記者等は山梨県や伊豆半島の共産党保養施設に張り込んだ程でしたが、このために筆坂氏本人に対する取材活動が遅れてしまいました」(テレビ局記者)、概要「筆坂隔離説、つまり『地方の党所有施設に筆坂氏を確保している』との噂が党本部関係者や赤旗記者から流れていたという事実があり、報道陣はこれに振り回された」とされている。

 マスコミは、いろいろ口実を付けているが、出来たはずの筆坂の弁明取材をやり過ごしている。しかし、けったいな話だ。「筆坂隔離説」があろうが無かろうが、筆坂の自宅に出向くことはイロハのイであろうに。要するに、党中央の顔色を伺い自主的に抑制したということだろうに。宮顕―不破系日共にはこういう裏権力的なところがあり、これにマスコミがひれ伏しているだけのことではないのか。 
 以上の経過を辿って、突然の「筆坂の常任幹部会委員ポスト解任決定」記者会見へと繋がる。

【「筆坂失脚事件」その3、筆坂解任突然の発表】
 6.23日、「筆坂失脚事件」が報ぜられ、翌6.24日、日共書記局長・市田忠義(参議院議員)が国会内の記者会見で、概要「筆坂参議院議員(55)に酒席での女性に対するセクシュアル・ハラスメントがあったとして、23日付で党中央委員から解任した」を発表した。前後は分からないが、常任幹部会委員・政策委員長(書記局長代行)の筆坂秀世(参院議員、党内序列№4)は、突如国会議員の辞職願を倉田寛之参院議長に提出した。筆坂の議員辞職に伴い、同党の比例名簿で次点の小林美恵子氏が繰り上げ当選した。
(私論.私見) 「国会議員が理由開示無く突如辞めさせられることの不正」について
 行政調査新聞社は次のように述べている。
 「筆坂は有権者の投票を得て公職について参議院議員である。議員を辞めさせることの当否について(「辞職」という形とはいえ)、本人の意思が聞かれない上、有権者に何ら説明しないまま党最高幹部たちの一方的決定で断行することは、民主国家のルールに抵触する暴挙である。まして、国民に良く知られている身分でありながら、自らの口で何ら弁明すら話す機会の与えられないままの議員辞職は、筆坂氏と家族の人権をも蹂躪して省みないものといえる」。

 正論だろう。
  筆坂のプロフィールは次の通り。
 1948年2月、兵庫県生まれ。同県立伊丹高を卒業後、三和(現UFJ)銀行勤務を経て67年に共産党に入党し、87年に党中央委員に就任した。国会議員秘書を経て、95年の参院選で比例代表で初当選し、01年参院選でも党の比例代表名簿2位で2回目の当選を果たした。97年9月からは党政策委員長を務めている。02年からは市田忠義書記局長の病気療養に伴い、党書記局長代行も兼任した。

 党を代表する論客として知られ、国会質問のほかテレビ出演も多く、ソフトな語り口で人気があった。著書に「航空機疑獄の全容」(共著)、「都市問題への新しい視角」などがある。

 この筆坂は、日共党幹部の中では珍しく国民的人気を得ており、次のような評価を受けていた。
 「筆坂議員には、他の共産党幹部に無い魅力がありました。高卒の銀行員出身でカラオケ好き、以前に衆議院候補をやっていた選挙区の新宿界隈では『陽気な筆さん』で通る飲み屋街の人気者でした。参議院議員当選後は、時の首相をキリキリ舞いさせるほどの論客として活躍して『茶の間の人気者』になっていきました。その一方で、さんざんやっつけられた首相経験者に『ああいう感覚の野党議員は初めてだ。ヤラレタと思う反面、何か親しみが湧いてくる不思議な魅力を持つ議員だ』と言わしめています。不景気に苦しむ庶民の共産党支持者にとって、筆坂議員は東大出が多く『冷たい』印象の共産党幹部たちと違って自分たちと同じ肌合いを感じさせる身近な国会議員だったのでしょう」(政治評論家)。

【「筆坂失脚事件」その4、筆坂解任突然発表後の日共の動き】
 政党幹部がセクハラ行為の責任をとって国会議員を辞職するという「セクハラ辞職」は極めて異例だ。一体、この党は何がどうなっているのだろう、一体何事が起ったのかと当然の関心を呼んだが、これに対する日共党中央の返答は、これ以上の詮索は被害者の人権に関わると述べるだけで真相を闇に葬ろうとして恥じなかった。結果、憶測が飛び交うだけとなり、人の噂も75日を待つだけの日にち薬期待となった。

 以下、日共の対応を見てみる。

 6.24日、筆坂処分が発表される。赤旗に党中央声明文が発表されたが、「市民的道徳に反するセクハラ行為があった」と断罪する一方で、「党最高幹部にふさわしくない」どのような行為があったのかについては全く明らかにしなかった。
 その後、共産党中央に抗議が殺到し、しばしば記者会見を開く。その際の党中央の弁明は、「被害を受けた女性のプライバシーに関わる事で、二次被害を広げる」として、事実解明の道を閉ざしつづけた。

 日共党中央のこの姿勢は次のように批判されている。
 「これでは、真相がどこにあるのか、有権者には全くわからないことになります。問題は、個人が特定されないことが重要なのであり、『セクハラ』の言葉をまるで重大犯罪を示すキーワードの如く使い、一方的に筆坂前議員を糾弾するようなやり方に、ほとんどの記者たちは違和感を覚えました」(大手新聞政治部記者)。
(私論.私見) 「党中央弁明の第二次被害の恐れ論」について
 丁度折柄、自民党幹事長山崎の愛人騒動が重なっていた。これまで、日共はこの種の醜聞への突っ込みを得意としていた(創価学会のドン池田大作報道を想起せよ)が、自身のことになるとこのお粗末な弁明は何だ、という怒りが湧き起こったが当然のことだろう。
 志位委員長が記者会見の際、「今後はこういう誤りが起きないように、『外部飲酒禁止』の党の内部規定を徹底したい」と発言し物議を呼ぶことになる。

 共産党本部へ抗議が殺到し、志位が「党に飲酒禁止の内部規定はなく、職員の自主的な申合せだと発言訂正」。これもウソだと云う事が判明し、更に騒動を生む。
(私論.私見) 「志位委員長の『外部飲酒禁止規定撤回弁明』」について
 志位委員長の弁明は、「外部飲酒禁止規定の徹底」が非常識と批判を浴びるや、「そういう規定は無い。職員の自主的な申合せ」へと転換したが、これがウソだと槍玉に挙げられることになった。この対応もお粗末極まるだろう。しかし、これはお粗末というよりも根本的な人間性の問題であろう。ところで、こういう御仁が人様に倫理だ道徳だを説くのを得意とする。全く馬鹿げている。
 7月に入ってから、週刊誌関係者の間で、「筆坂氏は相手の女性をレイプしたらしい」との話がまことしやかに囁かれ始めた。「おおっぴらに情報が飛び交い、記者たちが裏取りに回りはじめたきっかけは、テレビ出演もする有名なフリージャーナリストがホームページ上で『筆坂は相当ひどいことを密室でやったらしい』と書き込んでからでした。しかし、どうも話の筋を聞いてみると『付き合いのある党本部関係者から飲み屋で聞いた』とのことだった。この『党本部関係者』とは、共産党書記局の職員でした」(週刊誌記者)。つまり、共産党の本部関係者、それも幹部の情報を一手にあずかる書記局職員が「レイプ」説を流したことになる。
(私論.私見) 「怪しげなレイプ説の出所」について
 行政調査新聞は次のように述べている。
 「セクハラで筆坂氏の処分を世間に納得させられなかった日共本部は、筆坂氏に対する直接取材を妨害するために居所についてのガセネタを流し、一方で『実際はレイプか、レイプに近いひどい行為があった』と噂を流す。本紙は、明らかに日共本部関係者によって画策されたと見られる『筆坂糾弾』世論づくりの謀略があったと判断する。それが、どのレベルの幹部の指示によるものかは知る由も無いが、日共内部からこうした虚偽情報が流されることは、人権上も極めて重大かつ陰湿な行為だと言わざるを得ない」。

 こうなると、日共党中央は、謀略を弄んだということになる。しかしあまりに事が重大ゆえに、れんだいこはそれが事実ならと保留しておく。しかし有り得る話だ。
 この間、筆坂は、党本部と「記者会見させろ」、「させない」の押し問答している。筆坂氏が「幽閉中」に我慢なら無くなって記者会見を強行しそうになると、それをキャッチした党本部は浜野を押しかけさせ宥める、という繰り返しとなった。
 7.18日、不破は、「共産党創立80周年」をの記念講話を行う。この時、「市民道徳について」触れ、選挙で敗北しても「自らの責任」は絶対に言及しなかった不破が、二度も「申し訳ない」と聴衆に頭を下げた。
(私論.私見) 「事件は不破が黒幕だったとしたらどうなるか」について
 これについては多いに有りうる話であり別途考察する。
 8.1日、事件から1ヶ月経ち、政策委員会のスタッフとして党本部に復帰することになった。代々木の党本部に出勤する筆坂を通信社記者が発見。通勤途上での目撃情報も寄せられていた。筆坂氏の自宅がほどなく見つかり、マスコミ記者が訪問した」(フリージャーナリスト)が、筆坂氏は、取材に対しては「ノーコメント」の態度だった。しかし、落ちついた応対が何人もの記者に強い印象を与えたという。

 次のように感想されている。
 「筆坂氏に直接面会した記者が、『うしろめたいことのある人物が、あのようににこやかな対応はとれない。本人はいたって元気だったが、それだけに共産党の不可解な対応に怒りを感じた』と話していました」。
 しかし、実際に復帰してみると、仕事が与えられず、飼い殺し状態となった。所属支部も決められず、「党籍が移っていないので、支部会議にも出席できない」扱いであった。

 市田、浜野から声が掛かることも無く、「触らぬ神に祟りなし」となった。筆坂は、次のように抗議している。
 「あなた方は私の事件について手厳しい発現をする。なのに、当事者の私だけが口を封じられる。そんな馬鹿なことがあるか。確かに、自分は規律違反を犯したかもしれないが、私にも人格が有る。ここまでやる人間に対し、『同志』なんていう言葉は二度と使わない」、「二人からは何の反論もありませんでした」。
(私論.私見) 「筆坂の怒り」について
 「筆坂の怒り」はもっともなようなれど、日共の「楯突いた者への飼い殺し」は従前からの常套手法ではないか。筆坂はそのイエスマン根性で、今までは飼い殺しさせる方に居たのではないのか。たまたま逆の立場になったからといって「初めて気がついた」ように云うのはウソっぽ過ぎよう。まっそれもいいか。気づかないよりは気づいた方が良かろうから。
 8月に筆坂が党本部の職員として復帰を果してから、「文春」、「新潮」等の週刊誌で真相の一端が暴露されはじめた。今まで、「秘密主義」のカーテンに阻まれてなかなか世に出なかった日共本部内の確執が、赤裸々にされていった。世間の論調は、「最高幹部のスキャンダル失脚」から「冤罪」論の方向へ大きく転換していった。
 2004.11月頃、筆坂の妻(某地区委員会で支部長として熱心に活動していた)が見かねて、不破議長に手紙を差し出す。これをきっかけに、筆坂は不破と会い、不破から「財界研究をして欲しい。その成果を党の出版物で発表すれば、筆坂さんの名誉回復にもなる」と云われ、この仕事を引き受けた。

 この研究成果は、党の理論政治誌前衛の2004.12月号、2005.2月号に掲載された。しかし、この時も一悶着あり、不破議長が論文と同時に自己批判文の併載を要求し、筆坂が抵抗している。結局、「自己批判文の掲載には納得できない」ことを記した文書を志位に渡す。
 期日は不明であるが、「セクハラ現場」にいた筆坂の秘書が、日共党中央の措置に納得できず離党している。さらに筆坂の妻も離党している。
(私論.私見) 「不破の絶対権限」について
 要するに不破の機嫌を取れば引き立てられ、損ねれば冷や飯食わされるというだけの構図が透けて見えてこよう。

【「筆坂失脚事件」その5、筆坂離党後の日共の動き】
 2005.7.7日、筆坂は7日に離党届を提出し、7.19日の常任幹部会で承認された。党幹部が「除名処分」を受けた事例は故野坂参三名誉議長など過去に3件あるが、幹部経験者が自ら離党したケースは「前例がない」(党関係者)とされる。7.21日、「筆坂離党」が判明した。
 有田芳生氏の「酔醒漫録」が、2005.7.21日付日誌の中で貴重な内幕を明らかにしているので転載しておく。
 7月21日(木)午後、いつものようにジムで泳ぎ、神保町の東京堂書店で『酔醒漫録』100冊にサインをして1階の売り場に行くと光文社の新海均さんと会った。フリーになったときにお世話になっていらいの付き合いで、最近では8月4日に出る『きけわだつみのこえ』についての原稿(『小説宝石』8月号)を依頼されていた。近くのベルギービールの店「ブラッセルズ」でビールを1杯、「萱」へ。昔の同僚たちと政治談義をしながら飲む。そのひとりは共産党の筆坂秀世参議院議員秘書だった篠原常一郎さん。驚いた。「セクハラ」疑惑で議員を辞職させられ、その後もさまざまなことがあった筆坂さんが共産党を離れた。そもそも「セクハラ」疑惑そのものが冤罪の可能性がきわめて高い。その場にいたのは3人。新しい女性秘書の歓迎会をカラオケで行い、そこで筆坂さんは女性秘書と踊った。それが秘書のご主人(党員)の怒りを買い、さらには議員秘書の古参女性に伝わり、匿名のファクスが本部書記局に送られる。発信元も発信者もいまでは特定されている。

 詳しい経過は省略するが、かくて筆坂さんは議員を辞職させられ、やがて政策委員会に復帰する。ところが党費を払おうとしても誰も受け取ろうとしないだけではなく、会議に呼ばれることもなかったという。そこで書留で不破哲三議長の自宅に送ることになる。「セクハラ現場」にいた男性秘書は離党。さらに某地区委員会で支部長として熱心に活動していた筆坂さんの奥様も離党。もちろん共産党中央の措置に納得できなかったからだ。筆坂さんは7日に離党届けを出し、19日の常任幹部会で承認された。共産党の幹部が処分ではなく離党するのはきわめて異例なこと。筆坂さんは近く共産党の指導部体制の現状について見解を明らかにする。
 2005.9月、筆坂の「日本共産党への弔辞」と題する小論が、9.29日号の週刊新潮に掲載された。早速日共は、赤旗に「『週刊新潮』での筆坂秀世氏の一文について」(日本共産党中央委員会広報部)、「『週刊新潮』での筆坂秀世氏の一文について 」(日本共産党中央委員会広報部)を発表し、反論した。


 【「筆坂失脚事件」参考資料】

【2003.6.24日付け日共中委会書記局声明】
 日共の「筆坂秀世常任幹部会委員・参議院議員の中央委員罷免と議員辞職について」を転載しておく。

(1)5月27日、ある女性から、日本共産党本部に、「筆坂秀世さん(党常任幹部会委員・参議院議員)から酒席でセクハラ行為をうけ、精神的な苦痛をこうむった」との訴えがありました。 6月5日の党の調査にたいし、筆坂同志は、この女性の訴えが事実であることを認め、自己批判するとともに、被害を与えた女性に深く謝罪したいとのべました。党の役職を辞任し、また、議員を辞職したいと表明しました。

(2)セクシャル・ハラスメント(セクハラ)は、女性の尊厳と人格をいちじるしく侵害する行為として、社会的にその根絶がもとめられています。日本共産党第22回大会で改正した党規約は、「党員の権利と義務」の冒頭に、「市民道徳と社会的道義をまもり、社会にたいする責任をはたす」という問題をあらたに掲げました。それは、日本の社会の現状からみても、わが党がこの面でも積極的役割をはたすことが重要だからです。

 筆坂同志の行為は、社会的にも、わが党の規約にてらしても、許されないことです。とりわけ、常任幹部会委員、政策委員会責任者、参議院議員をつとめ、党を代表する立場にあるものの誤りとして、その責任は重大です。

 常任幹部会は9日と16日の2回の会議で慎重に検討し、党規約にもとづく処分として、筆坂同志を中央委員から罷免することを確認し、中央委員の罷免は、中央委員会の承認を必要とする事項であることから、21日開催の第7回中央委員会総会に提案することを決定しました。幹部会の議を経て、第7回中央委員会総会は23日、筆坂同志の罷免を承認しました。

(3)筆坂同志は、この処分をうけ入れ、深い反省にたって、一党員として再出発したいとのべました。また、参議院議員を辞職する手続をとりました。ことがらの性格からみて、議員辞職は当然のことです。

(4)わが党が公認候補とし、当選させていただいた国会議員が、任期の半ばでこういう形で辞職せざるをえなくなったことは、有権者、党員、支持者のみなさんの期待に背くものであり、党として申し訳ないことだと考えています。


【2003.6.25日付け日共党中委常任幹部会声明】
 日共の「セクハラ問題とわが党のとった措置について」を転載しておく。
(1)
 この間、筆坂秀世常任幹部会委員・参議院議員が、セクハラ行為をおこなっていた事実が判明し、中央委員からの罷免と議員辞職という、たいへんに残念な事態が、おこりました。その事実経過と党のとった措置については、すでに二十四日付けの書記局コメントで発表しているとおりです。

 この事態にたいして、多くの党員や支持者のみなさんから、批判や怒りの声がよせられていますが、私たちは、これを厳粛にうけとめています。全党の先頭にたって奮闘する重責をおっている私たち常任幹部会のメンバーの一人であった同志の誤りによって、全国各地でさまざまな困難や苦労もかかえながら党の前進のために奮闘されているみなさんに、つらい思いをさせてしまったことは、ほんとうに申し訳ないことです。

(2)
 筆坂同志の誤りは、常任幹部会の一員がおかしたものであり、常任幹部会として、その責任をまぬがれるものではありません。しかし誤りが明らかになって以降にわが党がとった対処は、道理にたったものであると、私たちは確信しています。そのことを、どうかみなさんにご理解いただきたいのです。

 第一に、わが党は、女性からセクハラ行為の訴えがよせられたさい、けっしてこれをあいまいにする態度をとらず、事実関係を厳正・公正に調査し、それにもとづいて筆坂同志にたいするきびしい処置を決めるとともに、みずから問題を公表する態度をとりました。

 いま日本で、社会の退廃現象がさまざまな形で問題となり、そのなかでセクシャル・ハラスメント(セクハラ)は、女性の尊厳と人格をいちじるしくふみにじる人権侵害として、職場でも、学校でも、社会でも、その克服が重要な課題となっています。

 わが党の規約では、「党員の権利と義務」の冒頭に、「市民道徳と社会的道義をまもり、社会にたいする責任をはたす」と明記しています。わが党が、セクハラの克服でも、率先したとりくみと積極的役割をはたさなければならないことは、当然のことです。そして、党の規約は、党内でどんな任務や立場にある同志も、ひとしく守らなければならないものであり、そこからの逸脱があったさいには、だれであれ厳格な対処が必要となってきます。とりわけ常任幹部会委員という重責をになうものにたいしては、そのことがいちだんときびしくもとめられることは、当然です。

 わが党が筆坂同志の誤りにたいして、中央委員の罷免と議員辞職という措置をとったのは、こうした立場からのものでした。

 この処置の内容について、両面からの意見があることは、よく承知しています。私たちは、セクハラ行為のおこなわれた状況と行為の内容について、両者の説明をよく聞き、確定できる事実にもとづき、また筆坂同志の立場の特別の重さもそれにくわえた上で、この措置が適当だと判断したものです。

(3
 、第二に、わが党は、この問題の解決と公表にさいして、訴えをおこなった女性の人権とプライバシーを守ることを、何よりも重視してきました。

 この問題を公表するにあたって、わが党は、(1)ある女性から「筆坂氏から、酒席でセクハラ行為をうけ、精神的な苦痛をこうむった」という訴えがあったこと、(2)その訴えの内容について筆坂同志が事実であることを認め、被害をあたえた女性に深く謝罪したいという表明があったこと、(3)常任幹部会、幹部会での審議のうえ、第七回中央委員会総会で、党規約にもとづく処分を決定したこと、(4)党のとった措置について、被害をうけた女性の納得をえられたこと――など、国民のみなさんにたいして報告すべき必要な基本的事実は、すべて明らかにしています。

 一部の商業マスコミは、わが党がそれ以上の事実の詳細を公表しなかったことについて、「秘密体質」「隠蔽体質」などと批判していますが、この批判はまったくあたりません。なぜなら必要以上に細部にわたる事実を公表することは、被害をうけた女性の特定につながることにも、女性にいっそうの精神的苦痛をあたえることにも、なりかねないからです。

 セクハラ問題の対処にあたって「被害者のプライバシーを守る」ことは鉄則中の鉄則です。この立場から、被害をうけた女性にさらに苦痛をあたえる不要な詳細にたちいることはけっしてしない――この原則をつらぬくことこそ責任ある対応であると、わが党は確信しています。

(4)
 わが党が今回とった措置にたいして、多くの批判とあわせ、党内外の少なくない人々から「共産党ならではの筋の通った対処だ」という声もいただいていることを、私たちは感謝の気持ちをもって受け取っています。私たちは、この痛苦の問題の教訓を生かして、政治的にはもちろん、社会的道義の面でも、国民の深い信頼がえられるように、全力をつくす決意です。

 二十一世紀の日本とわが党の指針となる歴史的な綱領改定案を、全党の英知で練り上げる全党討議がはじまっています。総選挙・参院選挙の勝利をめざし、党を強く大きくする「大運動」も、これからのとりくみがいよいよ重要となっています。

 党員のみなさん、後援会員のみなさん、支持者のみなさんが、今回の問題でとった中央委員会の措置について、どうかご理解いただき、ともに意気高く新たなたたかいにのぞむことを、強く願ってやみません。中央委員会常任幹部会は、みなさんとともに、このたたかいの先頭にたち、あたえられた責任をはたす決意です。


【〔2003.6.25日付け毎日新聞〕共産党:筆坂議員のセクハラ辞職 活動に打撃 説明も不十分】
 2003.6.25日付け毎日新聞は、桜井茂記者の「共産党:筆坂議員のセクハラ辞職 活動に打撃 説明も不十分」を掲載している。これを転載しておく。
 共産党政策委員長の筆坂秀世参院議員(55)のセクシュアル・ハラスメントによる議員辞職は、綱領改定による「ソフト路線」で支持拡大をめざしていた党活動の出はなをくじいた。党側は処分を発表したが、事実関係はほとんど説明せず、閉鎖的な党体質の改善が依然、進んでいない矛盾もあぶりだした。

 筆坂氏は不破哲三議長、志位和夫委員長、市田忠義書記局長に次ぐ最高幹部とあって、党側の調査も限られた幹部の手で慎重に進められた。女性の訴えが5月27日、党本部事務局に入った後、党側は筆坂氏と女性双方から事情聴取を重ね、事実を認めた筆坂氏は常任幹部会で「申し訳ない」と謝罪。こうした状況から、筆坂氏は今月15日のテレビの討論番組を「体調不良」を理由に欠席し、代わって市田氏が出席した。

 共産党はスキャンダルには厳格に対処しており、最近では00年5月に元常任幹部会委員の市川正一・元参院国対委員長を「不倫」による党規律違反行為を理由に除名処分にした。厳しい処分は党が女性の地位向上などに関する政策を積極的に掲げてきたこととも無縁ではない。

 党所属国会議員40人のうち、女性は3割超の13人。地方議員4029人のうち、女性が他党を圧する1289人に上るのも、40万人の党員の4割を占める女性が原動力となっており、女性問題に敏感にならざるを得ない。24日の代議士会でも女性議員から「セクハラ行為があったことを女性議員としてどう説明すればいいのか」との戸惑いの声が上がった。

 一方、党側は市川氏の処分発表時も事実関係をほとんど公表せず、今回も「女性の人権を守る立場から差し控えたい」(市田氏)と説明を拒んだため、党外からは「国会議員に選んだ人への説明が必要じゃないか」(上野公成官房副長官)との疑問の声も出た。

 筆坂氏の中央委員罷免の処分を決めた23日、党は中央委員ではない国会議員への説明会を夜に開いたが、事実関係の説明はなかった。国会議員の一人は「せっかく新しい共産党としてスタートしようとしているんだから、指導部はもっと説明をしてほしい」と不満を漏らした。


【筆坂問題・日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり】 れんだいこ 2003/06/25
 「不破哲三議長、志位和夫委員長ら党最高指導部である常任幹部会委員(22人)の一人の共産党の政策委員長(書記局長代行)・筆坂秀世は24日午前、セクハラ(性的嫌がらせ)問題の責任をとって参院議員の辞職願を倉田寛之参院議長に提出した。同党は既に、23日に閉会した第7回中央委員会総会で、筆坂氏の常任幹部会委員ポストの解任を決定した」とある。

 共産党議員がスキャンダル絡みで議員辞職するのも極めて珍しいが、名誉幹部・市川正一の不倫騒動除名事件もある。ネット検索に拠れば、「彼はこわもての書記局員として不倫どころか党員の恋愛にも干渉して,非人間的幹部の代表のような存在でした。これが裏でこっそり夫のある女性を口説いていたのですから,多くの事情に詳しい共産党員は当然と受け止めています」とある。要するに、「不倫はいけません」と人前で説法している者が、裏で不倫を強要していたという不快な事件であった、ということになる。

 同じ意味で、筆坂の場合、不破の声音まで真似る茶坊主ぶりで党内出世階段を駆け上がってきた御仁が、酒席のこととは言いながらセクハラして問題にされ元の木阿弥の平党員の地位に戻ったという不快な事件となった。

 ところで、事は国会議員であり、それこそ公人的地位のものである。日共は問責・調査の結果を報告する義務があるだろうに、口で民主主義を云う割には臭いものに蓋で居直ろうとしている。党内だけのことであれば、党員が要求しない限り勝手かも知れないが、公職の者の場合にはそれでは許されないだろう。勝手に立候補したり辞められては、俗に税金返せということになろう。

 れんだいこのアンテナに気にかかることがある。おりしも党綱領草案の発表と審議の最中のタイミングでこの事件が起こっていることである。これは何か臭い。偶然にすれば、不破綱領の出端(でばな)をくじいたことになる。この場合、茶坊主の不祥事件として受け取るのを相当とする。

 それにしても自民党の山崎幹事長の例を思えば、自民党の場合下半身事件には滅法おおらかであり、日共の場合すぐさま斬って捨てられるということになる。但し、自民党の場合、ムネオと真紀子に対しては徹底的に追い詰め収監さえ辞さないという意味で政敵に対しては断固として権力を行使する癖があるように思われる。金が絡んでもチョンマゲ議員の場合にはおおらかであることを思えば首肯されるであろう。

 さて、一つ気になることがある。この間、筆坂の声音がやや不破離れをして地声に変わりつつあった。このことは筆坂が不破の茶坊主的立場から脱落し始めていたことを物語る。おりしも新綱領の策定中である。ひょっとして、新綱領採択反対派的地位に居たということはないのか。れんだいこの関心はこの辺りにある。

 筆坂失脚事件の全貌が分からないので全くの推測に過ぎないが、この党中央の場合裏でこそこそする牢とした習性があるのでいろいろ勘ぐってみたくもなる。れんだいこは、今回の志位の未練のない始末ぶりから釈然としないものを受け止めている。

 そういう意味からも、日共党中央は事件の全容を明らかにすべきである。それは君達のお気に入りの「現体制内でも可能な民主主義の実践」という見地からして、当然にクリヤーせねばならぬであろう。つまりすぐそこにある試金石となっているだろう。

 結論として思うことは、日共の腐敗振りの瀰漫である。その背景には、異邦人的宮顕-不破-志位一派が党中央を占拠し、支離滅裂な理論をこねくり廻し、党内をヒラメの目構造に仕上げ、平和と民主主義と道理と正義を説く割に少しも自ららが言説と実践に責任を持っていないという三枚舌、二面性問題があり、党員は下から上まで既に詭弁疲労しているという事情があるように思われる。

 しかしこの腐敗は、表権力の小泉のそれと符牒しているように思える。今はそういう時代なのだろう。おまけ。この党ほど人に道徳を説く例を知らない。れんだいこが関わっていた70年代にもよく聞かせてくれた。その党中央でかような事件が頻発しているということが口アングリのポカンだわ。

Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり れんだいこ 2003/06/27
 筆坂失脚問題について、党中央はあろうことか「我が党中央は筆坂に責任を取らせこんなに素敵に処理した。そこか゜他党とは一味もふた味も違うところだ。意気高く新たな戦いに向かおう」などという論調で逆に胸を張る変態声明を出している。しかし又もや、さすがわ我が党中央、云うことが素晴らしいなどと阿諛追従するシナリオが待ち受けているのだろうか。

 ともかく、ピンチをチャンスに変える詭弁術を習うために全文ここに掲げる。れんだいこのこの所為に対し、この党は著作権違反などと云うだろうか。何せ便利な著作権棒を抱えているから分からない。

 セクハラ問題とわが党のとった措置について――党員、後援会員、支持者のみなさんに、ご理解をおねがいします 2003年6月25日 日本共産党中央委員会常任幹部会

(1)

 この間、筆坂秀世常任幹部会委員・参議院議員が、セクハラ行為をおこなっていた事実が判明し、中央委員からの罷免と議員辞職という、たいへんに残念な事態が、おこりました。その事実経過と党のとった措置については、すでに二十四日付けの書記局コメントで発表しているとおりです。

 この事態にたいして、多くの党員や支持者のみなさんから、批判や怒りの声がよせられていますが、私たちは、これを厳粛にうけとめています。全党の先頭にたって奮闘する重責をおっている私たち常任幹部会のメンバーの一人であった同志の誤りによって、全国各地でさまざまな困難や苦労もかかえながら党の前進のために奮闘されているみなさんに、つらい思いをさせてしまったことは、ほんとうに申し訳ないことです。

(2)

 筆坂同志の誤りは、常任幹部会の一員がおかしたものであり、常任幹部会として、その責任をまぬがれるものではありません。しかし誤りが明らかになって以降にわが党がとった対処は、道理にたったものであると、私たちは確信しています。そのことを、どうかみなさんにご理解いただきたいのです。

 第一に、わが党は、女性からセクハラ行為の訴えがよせられたさい、けっしてこれをあいまいにする態度をとらず、事実関係を厳正・公正に調査し、それにもとづいて筆坂同志にたいするきびしい処置を決めるとともに、みずから問題を公表する態度をとりました。

 いま日本で、社会の退廃現象がさまざまな形で問題となり、そのなかでセクシャル・ハラスメント(セクハラ)は、女性の尊厳と人格をいちじるしくふみにじる人権侵害として、職場でも、学校でも、社会でも、その克服が重要な課題となっています。

 わが党の規約では、「党員の権利と義務」の冒頭に、「市民道徳と社会的道義をまもり、社会にたいする責任をはたす」と明記しています。わが党が、セクハラの克服でも、率先したとりくみと積極的役割をはたさなければならないことは、当然のことです。そして、党の規約は、党内でどんな任務や立場にある同志も、ひとしく守らなければならないものであり、そこからの逸脱があったさいには、だれであれ厳格な対処が必要となってきます。とりわけ常任幹部会委員という重責をになうものにたいしては、そのことがいちだんときびしくもとめられることは、当然です。

 わが党が筆坂同志の誤りにたいして、中央委員の罷免と議員辞職という措置をとったのは、こうした立場からのものでした。

 この処置の内容について、両面からの意見があることは、よく承知しています。私たちは、セクハラ行為のおこなわれた状況と行為の内容について、両者の説明をよく聞き、確定できる事実にもとづき、また筆坂同志の立場の特別の重さもそれにくわえた上で、この措置が適当だと判断したものです。

(3)

 第二に、わが党は、この問題の解決と公表にさいして、訴えをおこなった女性の人権とプライバシーを守ることを、何よりも重視してきました。

 この問題を公表するにあたって、わが党は、(1)ある女性から「筆坂氏から、酒席でセクハラ行為をうけ、精神的な苦痛をこうむった」という訴えがあったこと、(2)その訴えの内容について筆坂同志が事実であることを認め、被害をあたえた女性に深く謝罪したいという表明があったこと、(3)常任幹部会、幹部会での審議のうえ、第七回中央委員会総会で、党規約にもとづく処分を決定したこと、(4)党のとった措置について、被害をうけた女性の納得をえられたこと――など、国民のみなさんにたいして報告すべき必要な基本的事実は、すべて明らかにしています。

 一部の商業マスコミは、わが党がそれ以上の事実の詳細を公表しなかったことについて、「秘密体質」「隠蔽体質」などと批判していますが、この批判はまったくあたりません。なぜなら必要以上に細部にわたる事実を公表することは、被害をうけた女性の特定につながることにも、女性にいっそうの精神的苦痛をあたえることにも、なりかねないからです。

 セクハラ問題の対処にあたって「被害者のプライバシーを守る」ことは鉄則中の鉄則です。この立場から、被害をうけた女性にさらに苦痛をあたえる不要な詳細にたちいることはけっしてしない――この原則をつらぬくことこそ責任ある対応であると、わが党は確信しています。

(4)

 わが党が今回とった措置にたいして、多くの批判とあわせ、党内外の少なくない人々から「共産党ならではの筋の通った対処だ」という声もいただいていることを、私たちは感謝の気持ちをもって受け取っています。私たちは、この痛苦の問題の教訓を生かして、政治的にはもちろん、社会的道義の面でも、国民の深い信頼がえられるように、全力をつくす決意です。

 二十一世紀の日本とわが党の指針となる歴史的な綱領改定案を、全党の英知で練り上げる全党討議がはじまっています。総選挙・参院選挙の勝利をめざし、党を強く大きくする「大運動」も、これからのとりくみがいよいよ重要となっています。

 党員のみなさん、後援会員のみなさん、支持者のみなさんが、今回の問題でとった中央委員会の措置について、どうかご理解いただき、ともに意気高く新たなたたかいにのぞむことを、強く願ってやみません。中央委員会常任幹部会は、みなさんとともに、このたたかいの先頭にたち、あたえられた責任をはたす決意です。

Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり れんだいこ 2003/06/28
 筆坂失脚問題はやはり釈然としない。党中央のリードの通りのセクハラで処分したと云うのが実際だったとしても、セクハラつうのは国会議員の座を今日に明日に俄かに辞めさせねばならぬ重度の罪なのだろうか。政治責任という意味では、再選しないとの申し渡しと本人受諾の弁を添えての声明処理でも良いのではないのか。

 そうせずに斬って捨てた背景が釈然としない。おりしも党綱領草案の出された直後のことである。関係なくてもいろいろ考えて見るのが普通の感性だろう。

 ところで、セクハラについて考えて見る。だいたいセクハラよりも程度から云えば痴漢行為の方が悪いのでは無いのか。痴漢行為よりも強姦やレイプ行為の方が悪いのでは無いのか。これに職権地位利用とか甘言が加わればより悪質になる。以上を踏まえて、あたかもセクハラがこの世の罪で一等悪いとするような処理なぞ、それこそおかしくはないのか。

 正義の党、清潔の党の売りゆえかような処分したと云うのなら、セクハラや痴漢や強姦やレイプ行為を生まないような発生源対策の方こそ尊ばれるべきで、最高幹部の行為としてかような事件が続発することこそ責任問題なのではないのか。

 世間では、良いか悪いかは別として部下の不祥事には上司が一緒に頭を下げる。ところがこの党はどうだ。こんなに素敵に処理した。これこそ共産党の誇るべき進退処理法だ。感激してくれたかと胸を張る。変な上司がいるわさ。

 れんだいこの拘りは次のことにある。この党がそのように責任取るのなら、もっと悪い例が一杯あるのではないのか。それもこの機会についでに直してくれるか。その例をこれから挙げる。

 第一は、何てたって戦前の査問リンチ致死事件に対するお詫びと死者小畑の名誉回復である。れんだいこ検証に拠れば、小畑はかの時代の当時四人しかいない最高幹部の一人であり、査問理由であるスパイ容疑は冤罪であった。むしろ、査問した側の宮顕ー袴田グループの方がスパイ臭い。にも拘らず、小畑はあたかも平党員のような扱いでスパイ摘発過程で不幸にも持病を併発してポックリ死したとして処理されている。これに対する丁重なお詫びと責任取ることこそ真に望まれているのではないのか。

 しかし驚くことに、さざなみ通信編集部も通信を見る限り未だに党中央の弁明を信じて宮顕を擁護している。れんだいこの投稿は全く無視されていることになる。それならそれでどこが読み取り違いなのか明らかにすれば良いのに。それが議論というものだろうに。

 話を戻す。目下党中央は、規約改正、党史改竄、綱領改変の三悪行に着手し、来る党大会で三点セット完遂を目論んでいるが、問題はその中身である。過去の言説を変えるなら変えれば良かろう。但し、なぜ変えるのかその理由を開示するのがまっとうというものだろうに。

 それらが一切無く、当然自己批判も無く、不都合なところの削除と隠蔽と詐術的書き換えと居直りでオンパレードし、至るところご都合主義的に書き換えている。この諸行為こそ、政治的には最悪のセクハラでは無いのか。

 こういうところでは厚顔無恥にふるまい、茶坊主粛清では得々としてその様を報告する。しかも事件の内容については被害者の立場を考慮して明らかにせざるを良しとするなぞの理屈をこねる。立場を考慮しつつ明らかに出来る範囲までを公にするのが勤めであろうに。とにかく重宝な理屈を持っている野郎たちには違いない。

 ムネオハウス問題もそうだ。あれほど厳しく追い詰めながら、目下の軍事立法、自衛隊のイラク出動等についてはおざなりの反対声明でお茶を濁している。秘書給与問題でも真紀子批判していた矢先に、お前のところはどうなんだと云われたら自主献金で何ら問題無いと云う。とにかくこの連中の手にかかったら、相手が全部悪く自分たちはいつも潔癖、正義のようだ。話が通じないこと夥しい。

 これがカルトの世界のことならそれも良かろう。マルクスの後裔を自称しながら正反対のことを為して平然としている故に、しかもその弁に唯々諾々しないと反共主義なぞというレッテル批判を弄ぶ連中ゆえに、こういうことを書いてみたくなった。

Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり れんだいこ 2003/07/01
 筆坂セクハラ失脚事件が尾を引いているようである。2003.6.25日今度は日共中央委常任幹部会名で「セクハラ問題とわが党のとった措置について」声明が出されている。有事立法の成立に続いてイラクへの自衛隊公然派遣等重要課題が待ち受けている政治状況で何ともはや無様というか滑稽な話である。以下、声明にコメント付ける。

 この党はとにかく自己批判というのを知らない。如何なる事態に陥っても自己肯定と自画自賛に終始する。こたびの経過に対する「秘密体質」、「隠蔽体質」批判に対して次のように反論している。「必要以上に細部にわたる事実を公表することは、被害をうけた女性の特定につながることにも、女性にいっそうの精神的苦痛をあたえることにも、なりかねないからです」。

 事実経過を明らかにせよ要求に対して、「必要以上に細部にわたる事実を公表要求」とオーバーに書き換え、被害者のプライバシー擁護論でねじ伏せようとしている。これが逆の立場なら説明責任があると指弾しているところである。池田大作批判とゴシップ報道では最も執拗に機関紙まで使ってやっているのに、逆に取材される番になるや緘口令を敷く。それでも記事が出ると出版指し止め要求はむろんJRに吊り広告許すな論で押しかけたりする。それらを思えばまことに重宝なお口をしていることが分かる。

 いつ、どこで、誰が、何を、どのようにを被害者のプライバシーに配慮しながら概要を明らかにすることは可能であるにも拘わらず、これを意図的に避けている節がある。この得手勝手なご都合主義の論理は、今後日共の舌戦に決定的な鈍りをもたらすであろう。

 形式的には「筆坂同志の誤りは、常任幹部会の一員がおかしたものであり、常任幹部会として、その責任をまぬがれるものではありません」と云いながら、党中央の責任問題という観点からの謝罪は一切しない。トカゲの尻尾切りをしたこと、厳罰に処したことをむしろ誇る。

 しかし、誇る先から変調さが見えてくる。筆坂処分は如何なる調査機関で審査されたのか。「常任幹部会、幹部会での審議」とあるが、最高指導部には指導部特権のようなものがあって、調査問責機関では審査されないということか。実際には、不破の胸先三寸と茶坊主の追従で決せられているのではないのか。そうとすれば、とんと機関運営に馴染まぬ私物化がはびこっていることになる。それは北朝鮮体制と同種同根ではないのか。

 「とりわけ常任幹部会委員という重責をになうものにたいしては、そのことがいちだんときびしくもとめられることは、当然です」とある。ここでいう「そのこと」とは何であろう。聞いてみれば、「重罰」と云っていることになる。これは転倒論理であろう。求められているのは、不祥事抑制の厳しい「倫理」であろうに。

 そう認識して「倫理が一番厳しく求められている党中央に何ゆえこの種の事件が発生し続けるのか」と問い、その原因の究明に向かう、これが普通の話では無かろうか。重罰処理論は肝心のここへ向かう問いかけをシャットアウトする弁という意味で反動的である。

 一体、日共党中央はこれまで、聖人君子的モラルを説き続けてきたのではないのか。その説いている側の最高指導部ないしその秘書、家族に次々と不祥事が発生しているということが問題にされているのであり、不快感を覚えている訳である。それを重罰言い訳で済まそうというのは子供だましのすり替えである。

 結びは、「中央委員会常任幹部会は、みなさんとともに、このたたかいの先頭にたち、あたえられた責任をはたす決意です」とある。何の変哲も無い言葉のように思えるが、この言葉の言外の意味を受け取れば問題があることが知られねばならない。

 かって野坂は、選挙に負けたときの言い訳として、責任取るのはブルジョア法的所作、我々ともなると責任を軽々しく放棄しないのが責任などという煙り巻き話法を特異としていたが、不破も又まことに野坂の弁明と波長が一致しておりこの種の論法を好む。

 今回の件でも、「不祥事をまず謝罪し、二度とこういう事件が起きないように党中央が率先反省し教訓とすることで理解を賜りたい。職責を賭けて私は誓う」と述べるべきところを「重罰で禊は済んだ。同志諸君さぁ頑張ろう」なる無内容極まる呼びかけしか為していない。まったく一事万事姑息卑怯な輩である。

Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり れんだいこ 2003/07/03
 筆坂セクハラ失脚事件はなお尾を引きそうである。事件の概要が未だ知らされないがいずれ公開される日がくるだろう。現時点で漏洩されていることで重要と思われるポイントは次のことにあるように思われる。日共の発表に拠れば、被害女性が中央委員会に訴え出たのは5月27日で、事件そのものは「5月27日の3、4日前」であると云う。その数日前を特定していくと、何と「03不破綱領」とも呼ぶべき新綱領草案が提案された6中総に重なることになる。

 実際には、6中総の前日か第一日目辺りになりそうである。とすれば、こたびの不祥事が単なるセクハラ事件では無くなる。本来であれば、40数年ぶりの書き換えとなる新綱領が提起され党中央内が著しく緊張しくいて然るべきところ、党内序列№4か5の立場にある最高指導部の一員が弛緩した痴漢行為をしていたということになる。このあまりのお粗末さに対して、多くの者は筆坂の個人的資質を指弾するであろう。

 れんだいこは違う。筆坂は、こたびの新綱領のエエ加減さを見抜いており、新綱領が左派としては最後の皮一枚で繋がっている代物で凡そまともには読むに値しない無内容なものであることを知っており、ならばと6中総の意義なぞそっちのけで我は我の道を行くとばかりにセクハラ行為に及んでいた可能性がある。これが真実なら、不破の怒るまいことかは。

 否、違う。あるいは、それなりに精神的ストレスがたまりいわばはけ口としてセクハラ行為にうつつを抜かしていた可能性がある。俗に、やっておれないよという倦怠気分の反映だろう。

 このいずれであったにせよ、筆坂を重罰で処してどうだ他党のやり方とは違うだろう、この重罰こそ共産党の清廉潔白の証である、同志諸君早く禊して引き続き党中央と一丸になって盛り上げてくれ給え、などとの弁明が底なしの欺瞞だということが分かる。

 論者曰く、「事件そのものを隠蔽することなく、別の口実で筆坂氏を更迭するのでもなく、セクハラの事実をきちんと公表して、議員辞職という形をとったことは、評価できることである。クリーンなイメージを最大限重視している党としては、重大な打撃になることを承知でこの道を選択することには、相当の勇気がいったと思われる(もちろん、被害者本人の承諾を得ていることが前提であるが)」。この評価はお人好し過ぎようしピンぼけだろう。

 ここへきて、日共党中央は、「党の本部専従に、自宅以外での飲酒を内部規定として禁じている」その昔の規定を再確認して徹底させようとしている。志位委員長が2日、記者団に対して「規定は酒のトラブルがあった1970年代に設けた。公的な酒席を除いて原則、外部飲酒を禁じ、やむを得ない場合は事前に届け出る。罰則はない。厳しすぎるかもしれないが、外部飲酒は事故につながる」と説明したようだ。

 党員諸手を挙げて結構結構こけ結構と云っているなら、れんだいこは何も云う必要も無い。しかしだ、常識的に考えてだ、共産党員は酒を飲む席であろうが無かろうが党員自身が「自由・自主・自律」的に他の者と交わり、TPO弁えながらその胸のうちを語る、というのが望まれているのだろう。オルグというのはそうして始まるのではないのか。「自宅以外の飲酒厳禁」とは、まるで、党中央が幼稚園の先生で党員がその生徒のような関係でのお尻たたきであり、馬鹿げているというか滑稽であろう。

 事件の概要を明らかにせよなる要求に対する党中央の弁明も痴呆的だ。「発表の仕方も含めた措置は被害女性も納得しており、事実関係を公表しなかった点は女性の意向を踏まえたもの」てなこと云っているが、一市民の場合なら成り立つかも知れない、しかしこたびは国会議員の議員辞職問題が絡んでいる。しかも常々日共を代表して見解を述べていた者がある日突然議員辞職し、別の御仁に代わったのだ。

 こたびは、「党内問題であり、党員は入党前に規約を読んで入党しており、党内でどういう処理しようと党外の者にあれこれ云われる筋合いでのものでは無い」とは述べていないが、代わりに被害者の立場尊重論なるもので丸め込もうとしている。これはこれで乗り切れるかも知れないが、問題は、これまでのように日共が他党やその党員批判し始めたとき、同じ論法でやり返されたらどうするかだ。口をもぐもぐさせればよいという訳には行かない、もはや詭弁を弄すなと叱りつける訳にも行かなくなった、ということだ。

Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり れんだいこ 2003/07/05
 筆坂セクハラ失脚事件はなお激震中であり、次第に不破―志位系党中央の舌をもつれさせつつある。

7.2日志位委員長は「党本部職員の外部飲酒を禁止の内部規定を徹底する方針」(党関係者によると、党本部職員が1970年代に飲酒による交通事故などを相次いで起こしたことをきっかけに、党本部職員対象の内部規定に「外部飲酒禁止」を明記。どうしても必要がある場合は相手や場所、目的などを文書で届け、許可を取らなければならない)を明らかにした。

共同通信に拠れば、記者団から「退勤時に党員同士が飲みに行くのも外部飲酒か」、「女性とのデートは」などの質問が出たが、志位氏は「いずれも外部飲酒に当たる」と述べ、届け出は必要との認識を示した、とある。

 これに対し、党内外から「子ども扱いだ」などと反発の声が漏れたのは当然。7.3日小泉首相もこれを面白がり、首相官邸で記者団に次のように答えている。「随分堅苦しい制度だね。息が詰まらないかね。自由なおおらかな社会の方がいいでしょ。自民党じゃ考えられないね」と語った。

 遂に志位は、「自宅で飲むことまで規制はしないが、今後はもっと厳格にする」と意味不明の弁明をせざるを得なくなった。7.5日赤旗は同党にとっては異例の自己批判調で、「セクハラ問題にかかわる会見での発言についての訂正とおわび」を声明し次のように述べている。「共産党首脳が自らの発言を撤回するのは極めて異例」で突破口となったが、それにしてもけったいなところから風穴が開いたもんだ。

 志位は次のようにコメントしている。「私の発言のなかで、セクハラの再発防止の一つとして、飲酒の問題をのべたのは、まちがいでした。そういうことは、常任幹部会でも決定していません」、

 「セクハラの問題と飲酒の問題は、まったく別個の性質の問題でした。三十年ほど前、党の本部関係者の深酒のうえでのトラブルの反省から、『外での飲酒は、羽目を外さないよう、できるだけ慎み、節度をもって』という自主的な申し合わせを決めたことがありますが、『外部飲酒は原則禁止』ととられる発言をしたことは私の勘違いであり、事実にあわない説明でした。しかもこれをセクハラ問題と結びつけることで、間違いを大きくしました。これらの発言は撤回したい。わが党の立場に誤解をあたえる発言をしたことは、たいへん申し訳ないと考えています」。

 要するに、不破辺りからもう少しお口を上手に廻せ、揚げ足を取られているぞお叱りを受け、例の何を何を云っているのか分からない玉虫色発言で捉えどころの無いものに切り替えた、というところが真相だろう。

 しかし、れんだいこが引き続き痛打しておこう。志位は同党では珍しい自己批判をさせられたが、肝心なことに何も言及していない。その一は、或る事件において被害者の利益を守るという法益論を振りかざせば、事件の概要を説明しなくても良いのかどうか。この論理を今後の基準に適用するのか。こたびは追及される側に回ったが、追及する側に立った時に相手が同じように言えば「さいざんんすね」と納得するのかどうか、これを明らかにせねばならない。

 その二は、同党の顔でもあった最高指導部にして国会議員がある日突如議員辞職した。これに当り、その原因、本人の弁明ないしは謝罪、処分側の論理を並列で明らかにするのが公明正大である思われるが、何ゆえ本人を秘匿するのか。

 本人処罰の審査機関は規約に則って為されたのか、不破の私物化機関で胸先三寸で処分されたのではないのか、議会主義の党、国民の政党を名乗るのならとりわけこれらの疑問に答えねばならない。

 その三、同党の書記局次長、参議院議員の地位にある者がセクハラ行為で失脚したことに関して、同党中央の責任は無いのか。当人を厳罰に処したとして胸を張るのは下劣なやり方ではないのか。 自己批判するのならトカゲの尻尾切りで済まそうとした行為をこそ自己批判すべきではないのか。

 その四、新綱領草案発表最中の出来事であるが、党中央がその審議、質疑をそっちのけで筆坂問題に汲々していたとしたなら、新綱領草案は改めて提出され審議されるべきではないのか。

 その五、本質上これが一番問題と思われるが、同党の組織原理は一体どうなっているのか。体制内改良派として純化していくのは勝手だが、民主集中制という名の党中央集中制組織論がなぜ必要なのか。その体制になってもはや五十年、その間何度も道徳、倫理、道理を説きまくっており、それでもこたびのような不祥事が起こり、他にも同種事件が漏洩しつつあるが、一体その統制的組織構造が逆に犯罪を生みつつあるのではないのか。組織論だけ党中央集中制に固執する意図は奈辺にありや。この疑問に答えねばならない。

 一体、日共の組織論は、「私考える人、あなた下世話活動する人」というような党中央頭脳、一般党員手足論というアナクロ唯物論に立脚しているが、これこそ「本部詰職員の無届外部飲酒禁止」お触れが出された背景にあるのではないのか。訂正で済むような問題ではなく、そのようなお触れが何ゆえ安易に出し得るのかが問題であり、それは王朝体制に起因しているのではないのか。日共にとって党員はかっての「煮る焼く自由の陛下の赤子」となっていないか。

 志位委員長は「党本部職員の外部飲酒を禁止の内部規定を徹底する方針」打ち出しの際、これは党内に限り適用され、万一同党が政権掌握の際には規制されませんのでご安心を的なコメントをつけていたように記憶するが、この論理こそ暴言であり諸悪の根源では無いのか。

 世間に打ち出し出来ないようなものを党内に適用するな、党内でミニチュアながら成功事例となったものを世間に拡大せよ。これはイロハのイであろうが、日共は何ゆえ逆なことをしようとするのか。もっとも抑圧の成功事例など持ち込まれては困るのだが。

Re:週刊誌は・・・・まだ れんだいこ 2003/07/06
 皆さんちわぁ。筆坂問題を語ります。世の中は優しさ系の人が増えて筆坂つうのは国会議員辞めても当たり前だ酷すぎる論がはやっているけど、れんだいこはそうは思わないんだな。

 だいたいセクハラつうのは、痴漢前行為のようなことを云うのではないのか。レイプ未遂に至る前の行為ではないでせうか。なぜセクハラが、痴漢よりもレイプ未遂よりもレイプ既遂よりも重度の罪のような責められ方せねばならぬのだ。考え出したら、脳が悪くなるわ。

 恐らく、上役の真似をしてかどうか、相手が合意してない行為を地位利用とか職権とか甘言で迫ろうとしていたのだろうが、それならそれで余計に事件の概要を明らかにすべきだろう。あまりにも腐敗した党中央やその№4の人格が分かろうというものだ。

 それとさぁ、被害者っていうけれど、セクハラ当りで事件の概要さえ明らかにしてはいけないほど人権擁護されねばならぬものなんかいなぁ。被害者はセクハラ受けたら町を歩くことも出来ないほど恥ずかしいかいなぁ。れんだいこにはとてもそんな風には考えられない。

 その利益と突如国会議員辞めさせられた事件の概要を明らかにすることとの比較考量的利益を考えて、今までは明らかにする方向にきていたのではないかなぁ。明らかにする度合いについては結構線引きできていると思うけどね。

 もうこれからはこの種の事件はヴェール被せが流行りそうで、酒の肴にもなりそうにないな。やった方にはいい世の中になったような。何せ行為が知らされてなくて済むということだからねぇ。と書いたもんの実際はセクハラ程度のものではなかったということかいなぁ。

 敢えて書こうセクハラ程度の問題で、こんなにもけじめつける政党こそ恐い話ではないかな。正式の審査機関も経ずにバッサリやられてらぁ。ほんでもってやった方にもっとひどい事件があるなんてことは世の中によくある話だわな。

 しかしこの党はその腐敗に相応しく、変なことでこけたなぁ。

【共産党の禁酒“騒動” 本当はあった内部文書】 
 党防衛の自覚高め敵の攻撃を粉砕…バッジは所定の位置につけろ/遅刻は報告し、所在明らかに
 内部規定で外部での飲酒を禁止しているかどうかをめぐってどたばたを繰り広げた共産党。志位和夫委員長は「自主的な申し合わせで、(内部規定といったのは)勘違いだった」と文書規定がないことを強調して“一件落着”とする方針だった。しかし、「まるで親心のように」(党関係者)外部での飲酒禁止を明記した非公式内部文書は存在していた。市田忠義書記局長はこの文書について「誰がつくったのか、私は知らない」としているものの、複数の同党関係者は「規制は緩和されたが、現在も拘束力を持っている」という。

 「党防衛にたいする自覚をたかめ 敵のいかなる攻撃をも粉砕するために」と題された非公式文書は三十三年前の昭和四十五(一九七〇)年に作成されたもので、志位氏が今月二日の記者会見で「七〇年代につくられた」と説明した「内規」にあたると推測される。

 外部での飲酒禁止の規定は「飲酒は原則として家でおこない、帰宅の途中や面識のないものとは飲酒しない。とくに重要なものを持っている時には外では絶対に飲まない」という内容だ。その後、党内で「厳し過ぎる」と緩和を求める声が相次いだため、運用上は「上部組織に報告して許可を得る」ことを条件に認められるようになっていたという。

 ただ、「帰りにちょっと一杯」は許されない状況は同じだ。

 さらに、この文書の第一項は「米日反動と反党売党集団の党破壊から党を防衛するために不断に革命的警戒心をたかめ、敵のいかなる動向もただちに部と支部(班)に報告し組織的に粉砕する」というもの。「革命」のため組織防衛と党内規律の維持に躍起となる共産党の姿を浮き彫りにしている。

 第二項以降は“硬軟”とりまぜた内容。「不審なもの」との交遊・接触の禁止、身辺調査を規定している一方、党本部内では「規定のバッジを所定の位置に正しくつける」ことや、「遅刻、欠勤の場合は部の責任者に必ず報告し、勤務員の所在は常に明らかにしておく」といった「教育的指導」(党関係者の一人)もある。

 四十五年は宮本顕治氏(現・名誉役員)が書記長から委員長に就任し、党指導の全権を完全掌握した時期。共産党はそれ以前の二十年間を「反動・反共攻撃に対する厳しい闘争の二十年だった」と総括しており、内部文書もこうした認識の下で作成されたようだ。

 市田氏は七日の産経新聞の取材に対し、「(志位)委員長が記者会見で述べた通り。(文書化されていない申し合わせであることに)間違いはない」と述べ、“自宅外禁酒”の文書や内規の存在を否定しているのだが…。


【共産党、「禁酒」の文書存在 志位発言を事実上、訂正】
 共産党広報部は8日、自宅外での飲酒を原則禁止する内部文書が存在することを明らかにした。志位委員長は4日の記者会見で「党本部職員らの自宅外での飲酒を原則禁止する内部規定はなく、節度を持って慎むという申し合わせだった」と説明、内部文書の存在を否定していた。

 今回、同党が存在を認めたのは「党防衛にたいする自覚をたかめ 敵のいかなる攻撃をも粉砕するために」とする文書。70年3月に党本部細胞(支部)委員会が取り決めたもので「飲酒は原則として家でおこない、帰宅途中や面識のないものとは飲酒しない。とくに重要なものを持っている時には外では絶対に飲まない」としている。広報部では「職員の自主的な取り決めで、上部機関からの強制ではない」と説明している。(朝日07/08 21:01)


Re:ネタにはならん、それはナゼだ。 れんだいこ 2003/07/10
 まーさんちわぁ。

> 筆坂さんのセクハラ問題を何故どこも取り上げないのか。答えは簡単。
> 忘れられそうな党とそこそこの知名度の人だったからっていうのと、長崎の子ども殺人事件に集中しているってのと、まぁそんなところでしょう。

 とは思わないなぁ。裏工作のほどは分からないけど指令が出ている気がしますね。大政所からみて今や日共は体制ガス抜き屋として重宝な存在ですからね。体制側としても露骨に助っ人に出たという感じですね。

 もう一つ、かなり最近の事例ですが、日共は2003.2.19日「公党中傷の謀略本広告 規制せよ 日本共産党がJR東日本に要請」記事を載せていますが、これがかなり効いているのではないでせうか。下手に日共批判記事を書くと、出版社のみならずつり広告を許したことでJRまでいちゃもんつけられる。「日本共産党中央委員会は十八日、JR東日本にたいし、この広告の掲示を規制するよう強く要請する申し入れをおこないました」とある通りです。

 「JR側が、公党を中傷する広告を出版社の発行物というだけで無条件に認めることは、車内広告が政治的役割を果たすことを避けるとしているみずからの基準を無意味にするものであり、中傷や謀略に加担する役割を担っていると批判しています」と理屈を付けている。

 この党のご都合主義は、他党批判のつり広告には無関心を装っていることです。もっともそれもいかんということになれば凡そ政治的な記事は書けなくなります。そういう事態をそも水先案内した日共の責任が浮き彫りになるでせうから、わが党の問題以外には関せずとダンマリ決め込んでおります。ご都合主義の所以がここにあります。

 恐らく、日共批判記事は面倒くさいことになるという自主規制が働いているのが真因ではないでせうか。いやそうではないというお考えの方はご意見ご開陳ください。

 日共の口先での民主主義擁護と実践での破壊行為を峻別してみる必要があります。宮顕―不破指導部が党内に敷いている体制は逸早く戦前型に復古させたものとなっております。治安維持法体制下にあるとも云えそうです。それでいて世間に憲法護れなどと打ち出ししていますが、有り得てはならないって。

Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり れんだいこ 2003/07/10
 皆さんちわぁ。不破―志位は云えば云うほど墓穴を掘りつつある。うまいこと云う方が居られるようで、「ウソと詭弁の自転車操業」だって。

> 筆坂セクハラ失脚事件はなお激震中であり、次第に不破―志位系党中央の舌をもつれさせつつある。

 こんな手合いにこれまで倫理だ道徳だ道理だを説教せられていたんだということを大衆的に確認せねばなるまい。実際、過度に道理を説く者にはいかがわしい者が多いつうのは経験則で云えるわな。恐らく近々赤旗の配布体制がストップするでせう。

【2003.7.10日付け赤旗、飲酒問題の「産経」報道について】
 産経新聞八日付が日本共産党本部勤務員の「外部での飲酒禁止を明記」した内部文書があったと報道。この記事についての各社からの問い合わせにたいし、中央委員会広報部は同日、次のように説明しました。

 八日付「産経」が報道したものは、調べてみたところ、一九七〇年三月の「本部細胞委員会」の決めたものだと分かりました。当時、本部からの帰宅途中の党員の飲酒先をつけねらって、スパイ工作をしたり、文書をねらったりする公安警察の動きが、非常に目だった時期でした。それに対応するために、本部勤務の党員で構成する党細胞(当時の基礎組織の名称、現在の党支部)が、自主的に決めたものです。“就業規則”的な文書ではありません。

(私論.私見)「『外部での飲酒禁止規定』は単なる申し合わせ弁明」について
 かように居直るのなら、当初志位委員長の「『外部での飲酒禁止規定』徹底化させる弁明」の自己批判が必死ではないか。党の№4の地位にあった者の失脚に関連しての弁明に纏わっており、いささか重大すぎる言い直しではないか。ましてや、この弁明のほうがウソだと判明したら、それこそ責任問題ではないのか。

【「スパイに注意」文書がスパイされていた  天邪鬼(03/7/10)】(「JCPウオッチ」投稿文より
 共産党本部専従の外部飲酒問題が思わぬ展開となっている。外部飲酒の禁止がセクハラと全く関係がないのはいうもおこがましいが,70年代にそうした決定か通達があったことは,志位氏の会見直後に,ネット上でも本部専従だった有田氏やさざなみ編集部が指摘したことで「確認できる」。

 当時末端の細胞役員だった小生も防衛上の問題が再三起こるので本部専従の外部飲酒を禁止したかもしくは制限したと聞いた記憶がある。小生でも覚えているくらいだから自主的な申し合わせだとか,羽目をはずさないようにという飲酒のマナーだとか,出鱈目なごまかしをし始めた時,後で恥を書かなければとかげながら心配になってきた。

 産経新聞が8日にhttp://www.sankei.co.jp/news/030708/morning/08iti002.htm と報道して,その心配が的中した。
 それを受けて,共産党広報部が会見し,朝日がhttp://www.asahi.com/politics/update/0708/007.htmlの記事を掲載し、
 10日付赤旗もhttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-07-10/02_03.html

 と発表した。本部専従の外部飲酒禁止の理由が「本部からの帰宅途中の党員の飲酒先をつけねらって、スパイ工作をしたり、文書をねらったりする公安警察の動きが、非常に目だった時期でした。」というのは,小生の記憶ともあっている。ただ,これを決めたのは本部細胞委員会が自主的にしたことだというのはおかしい,末端の小生なども知っているということは(ただどういうルートで知らされたかの記憶は定かではない)書記局の指導に基づいて行われたことだとしか考えられない。記者が共産党のことに無知なのをいいことにしていつまでも嘘の自転車操業を続けるのだろうか。

 それよりもあきれてしまったのは,産経のソースは同新聞のポジションから考えて,公安(警察,公調など)関係者だと推測される。何のことはない,公安から党を防衛すため外での飲酒は止めましょうという細胞の決定が,公安の手に渡っていたのである。70年代と言えばまだ,共産党員ゆえに就職できなかったり,左遷されるなどの不利益をこうむる党員が後をたたなかった時代である。そんな時本部がたびたび防衛策を講じても常にスパイに汚染されていたことを白日にさらしてしまった。間抜けさ加減には開いた口がふさがらない。

 同時に委員長や書記長は私は知らないということを強調しているようだが,スパイの存在によって不利益をこうむったかもしれない一般党員に思いをはせたのだろうか。こんなことがあっても党員は黙って中央のやることに白紙委任を続け,幹部はけなげな顔をして弁解(嘘の自転車操業)をつづけるのが誠実だとでも思っている。

Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり れんだいこ 2003/07/12
 おっちゃん皆さんちわぁ。裏版の「赤旗配達員募集」はとても貴重な情報ですね。遂に、日共は「セク旗」の配布に支障をきたし始めており、部外者を有料で雇ってのチラシ配布同様の取り扱いへ転じた模様です。紙面には伝えるほどの何も書かれていないからしてこの動きはますます加速するでせう。

 政界予見士たる能力を持つれんだいこがもう一つ放っておきませう。どうやら、日共党中央内では、不破―志位グループと市田グループの間で微妙な対立が発生している模様です。今後の成り行きが注目されます。筆坂失脚も党中央内の既に収拾し難き同床異夢化に原因があり、そういう党内対立が微妙に絡んでいる気がします。

 市田書記局長の発言は次の通り。「今最も求められることは事件の背景、動機をつまびらかにし、再発防止の手立てを講ずることだ」。

 これは、長崎市の男児誘拐殺人事件をめぐっての鴻池防災担当相による「市中引き回しの上打ち首にするが宜し」発言に対して為されたコメントであるが、ポカンと口アングリさせられるのはれんだいこだけでは無かろう。

 これを、党中央による筆坂失脚事件からの逃亡、鴻池防災担当相失言問題へのすり替え誘導の動きとみなすべきだろうか。しかし、発言内容があまりにもあてこすり過ぎる。「今最も求められることは事件の背景、動機をつまびらかにし、再発防止の手立てを講ずることだ」は、明らかにこの間の不破―志位指導部の詭弁術を撃っている。

 故に、只今日共党中央内には抗争発生中、但しあまりにも低次元のあてこすり段階と見なしたい。問題は、今のところはあてこすりであっても次第に増幅して蹴落とすか落とされるのかの深刻な対立に発展するという場合もあるということで、れんだいこはそういう風に発展するだろうと予見している。

 なぜなら既に党内細胞にはフラストレーションが溜まり過ぎており、引き続き従来式の脳軟化指導を続ければ、遂には「青春を返せ」から「人生を返せ」に至り、党中央は袋叩きにされる日もくるかも知れない。そういう意味で、7.18日の「日本共産党創立81周年記念講演会」が面白くなった気がする。

Re:日共三枚舌運動が行き着いた腐敗ぶり れんだいこ 2003/07/14
 しかしこの党中央の得手勝手性は底なしである。というか開いた口が塞がらない。筆坂セクハラ事件のことはもうすっかり忘れて、長崎男児殺害事件を廻る鴻池青少年育成担当相の暴言に対して、埼玉・土屋知事の政治資金規正法違反事件に対して、とても素敵な批判声明を発している。こういうことをシラフでできる日共党中央よ、オオカミ少年もさすがに脱帽だわな。

 この間の日共の三枚舌を検証して見よう。その1、党の政策委員長(書記局長代行)・筆坂秀世のセクハラ事件と筆坂の国会議員職並びに党の要職からの解職を同時報道。他党に出来ない果敢な処理であると自画自賛。その2、事件の概要を明らかにせよ要求に対して、「被害者の利益」を考え、隠蔽するを正義とすると弁明。その3、酒席の不祥事の再発防止として、過去の内規である「無届け外部飲酒禁止」を再徹底すると表明、その4、そんな無茶なという抗議に、志位委員長が謝罪。この時、そのような内規は存在せず自主的な申し合わせに過ぎないと弁明。その5、内規は存在するのではないのかという疑惑に、調査したところ1970.3月に「本部細胞委員会」が自主的に決めた申し合わせであり、就業規則的な文書ではないと再弁明。

 れんだいこは、最高指導部の一員の不祥事をこんなに上手に切り抜ける弁明を知らない。事件の概要の隠蔽の理屈付け、党規約に則った審議機関に諮ることなく恣意的なトップ裁定で誤魔化し、バッサリ切り捨てたことで党中央を免責させ且つむしろ逆に誇るその手口。「無届け外部飲酒禁止」の内規徹底声明が批判を浴びると、今度は急遽「そのような内規は無い」と訂正し、更に自主的な申し合わせ規律に過ぎないと云いかえる。

 これだけお口を上手に廻されると、もはや批判する甲斐さえなくこちらが萎える。このような手合いを相手するのは全てが無駄のような気がしてどうでも良くなる。この党中央の減らず口にはもう語るに任せよという気がしてくる。と思っていたが、この時期に二つの舌下事件が起っており、これに対する党中央の批判を聞かされるにつきやっぱ黙って居れない。そこで以下コメント付けておく。

 2003.7.12日赤旗は、長崎男児殺害事件を廻る鴻池青少年育成担当相の暴言「犯罪者の親は市中引き回しの上打ち首にするが宜し」を伝え、これを次のように批判している。同日、市田書記局長は、「鴻池防災相の本日の発言は、国政、とりわけ、政府の青少年育成推進本部の副本部長の任に携わる者にあるまじき、節度も道理も欠いたものであり、憤りを禁じえない。今回の不幸な事件にあたって、いま、もっとももとめられることは、事実を厳正に調査するとともに、事件の背景、動機をつまびらかにすることをつうじて、再発防止の手立てを講ずることである。そうした努力もなしに、やみくもにこういう発言をすることは、最悪の対応といわなければならない」。

 同日、埼玉・土屋知事の政治資金規正法違反事件による辞意表明を伝え、7.14日埼玉党委員会は、「県議会で知事に辞任を求めた唯一の党」を誇り、「今回の辞意表明は当然のこと」と表明し、「不正に流用した政治資金の流れの徹底糾明は『政治とカネ』をめぐる腐敗を根絶するためには欠かせない」と主張し、更に土屋知事の県政私物化の解明も必要だとして、県政私物化の実態を解明する調査特別委員会の設置を求めた。見出しは、「真相解明へ臨時議会開催を」となる。

 皆さん、筆坂事件のほどぼりが冷めぬうちのこうした他党ないし他者批判の姿勢が信じられますか。れんだいこなぞシラフではとても駄目だ、今日も一杯やって脳神経を麻痺させようと思う。それを思えば、日共の本部詰員というのはエライ。シラフでこれをやり過ごし、今日も明日も体制修繕に余念が無い。その感性は筋金入りでないと勤まらないだろう。理屈は合ってる。

【「日共党創立81周年記念講演会での不破議長講話原文」】
 不破は、党創立81周年の記念講話で、筆坂事件に言及した。2003.7.19日付け赤旗の「日本共産党創立81周年記念講演会 不破議長 綱領改定案の内容と魅力を語る 21世紀の日本と世界 今日の課題から未来社会まで」の関連部分を転載しておく。
 私たちは、三年前の党大会で、規約を改定いたしました。第五条「党員の権利と義務」の冒頭に、「市民道徳と社会的道義をまもり、社会にたいする責任をはたす」、このことを明記いたしました。これまでは、党員の権利、義務といえば、党のなかでの規律の問題がやはり第一でした。大会の報告でも強調したのですが、私たちは、「党と社会との関係、そこでの党員のあり方を第一に重視するという見地」で、規約のこの改定をおこなったのであります。

 今回の問題にたいしても、私たちは、この精神を最優先にしてあたりました。処分の内容、その重さについては、いろいろな意見がありうることであります。私たちは、この問題で、道義を守ることの重要性に加え、筆坂さんの地位と立場の重さを考えて、役職からの罷免という措置を決めたのであります。党の指導部の一員が、このような誤りを犯し、有権者から与えられた国会議員の地位をひかざるをえなくなったことについて、党中央を代表して、心からのおわびを申し上げるものであります。

 私たちは、今回の問題を取り扱うにあたって、被害を受けた女性の立場を考慮して、事情の詳細は発表しませんでした。これは、セクハラ問題では、とるべき行動の基準の一つだと考えています。この点について、いろいろな批判が出たので、若干、のべておきたいと思います。

 一つは、筆坂さんがもっと重大な誤りを犯していることを隠すために、事情説明をしないのだ、という批判がありました。私たちは、そんな姑息(こそく)なごまかしは、絶対にいたしません。むしろ、筆坂さんの地位の重さを考えて、より、厳しい処分をしたのであります。その経緯は、当時発表した常任幹部会の文書(「しんぶん赤旗」六月二十六日付)で、説明した通りであります。

 もう一つ、これは説明責任を回避したものだ、共産党の“隠ぺい体質”のあらわれだ、こういう批判もありました。私は、この批判は、汚職などの政治的な不祥事と今回の事件とを混同したものだと考えています。

 政治的な腐敗事件なら、事件の背景は何か、人脈的にどういう関連があるか、当然、これらが問われます。その説明を避ける政党があれば、説明責任が問われるでしょう。しかし、今回の事件では、わが党には、政治的に隠すべきなにものもありません。発表する点で私たちがもっともつらかったのは、指導部の一員で、国会議員であるものが、この種の誤りを犯し、党が処分したという事実そのものでありました。そしてまた、問題の核心も、ここにありました。

 それ以上の説明をせよと要求されても、結局それは、事態の状況描写につながらざるをえないのであります。私たちは、これは二次被害を生むおそれがあると考えて、こういう態度をとったものであります。セクハラ問題では、どんな範囲の言動がそれに含まれるか、被害者のプライバシーを守り、二次被害を起こさないようにどんな注意が必要かなど、社会的モラルの基準が確立しはじめたところであります。今回、各方面からいただいた、いろいろなご意見を見ても、こういう問題の見方には、かなり違った意見が、まだあることを感じました。

 しかし、政党としては、極力、確立しつつある基準に沿った行動をする責任があると考えており、そういう考え方、そういう気持ちで、この問題にあたってきたことを、ぜひ、見ていただきたいと思います。

(私論.私見) 「不破弁明の詭弁」について
 「筆坂さんの地位と立場の重さを考えて、役職からの罷免という措置を決めたのであります」について。国会議員でもある筆坂の議員剥奪や役職罷免措置は、然るべき管轄の党機関で審議して後処分となるべきであろう。不破議長のよしんばそれが幹部会を通じてであれ、鶴の一声で決定されるなどという手法が前近代的だろうに。不破よ、お前にそういう権限があると云うなら党規約何条の何々と明示して見よ。

 「第二次被害考慮論」について。この論で、事件の概要さえ明らかにする必要が無いと居直ったが、これは特に警察が多用する弁であるが、それとの違いを述べて見よ。

 「政治的事件とセクハラ事件の質的差異論」について。だから、セクハラ事件については概要を明らかにしなくても良いなどという弁明が通用するか。党の顔の一人でもあり国会議員であったものを失職させた重みをこそ考え、ギリギリのところまで明らかにして支持者及び世論の納得を得ることこそ「問題の核心も、ここにありました」であろうに。

 「そういう考え方、そういう気持ちで、この問題にあたってきた」について。典型的な居直りであろうに。この御仁の口にかかったら、黒を白に白を黒にどうでも言い換えることが出来ることが分かる。全くくだらない。下部党員がこういう弁明を真似すると口が捩じれて戻らなくなるだろうに。

【革マル派「解放」1867号「日共・松竹が自己批判」】
 「阿修羅政治版10」で、竹中半兵衛氏が2005.7.22日付で「日共・松竹が自己批判 (革マル派「解放」1867号):日共内部の事情」を紹介している。これを転載しておく。

 あっしらさん、久しぶりです。筆坂もすでにロートルだろうけども、セクハラを口実として単に幹部からの降格されただけとしても、降格当時は日共の綱領改定が眼前に迫っていて自衛隊合憲、天皇制容認を不破・志位がぬけぬけと語っていた背景があります。そのときの筆坂の立場がどうだったのか、これを明らかにせず単にセクハラで処分したとのみ公表したところにヒントがあると思います。筆坂セクハラ事件はいまだに謎だと思います。

 また、最近の「解放」を読んでみると日共に対する自衛隊・憲法問題でのイデオロギー闘争に追い詰められ、返答に窮しまくり、「党運営」に混乱をきたしているのが実情でしょう。おまけに選挙では敗北しているのに不破・志位指導部は居直りを決め込んでいる。実際問題として「党運営」どころじゃない。党が音を立ててバラバラに崩壊しつつある。穿った見方でいえば、筆坂はこの混乱を機会に、長年身をささげてきたけど除名はまぬかれていたとしてもウダツがあがらぬわけで恨みは相当あったでしょうな。そこで共産党に見切りをつけ、筆坂は離党した、ってのが実情じゃないでしょうかね。ま、「カス」かどうかは今後の身の振り方を見なけりゃわかりませんが。この手の(長年共産党に在籍した)連中が共産党の対極に移行し熱心な反共宣伝をはじめた例は挙げるまでもなく衆知のところ。離党したとはいえ内部事情は格別に詳しいわけで、どこへ情報が齎されるか。共産党もこれで息の根をとめられる羽目になるかも。

 日共・松竹が自己批判 (革マル派「解放」1867号)http://www.jrcl.org/liber/l1867.htm(「解放」http://www.jrcl.org/

 日共・松竹が自己批判 〝自衛隊は違憲と明記しなかったのは誤り〟?不破=志位の官僚的のりきり策

 転向スターリン主義党の不破=志位指導部が、断末魔の叫びをあげはじめた!「憲法と自衛隊との共存」論の犯罪性を暴き弾劾するわが革命的左翼のイデオロギー的砲火のまえに、代々木中央はノックダウンし、ついに白旗を掲げたのである。日本共産党が発行する『議会と自治体』第八四号(五月号)に掲載された、党政策委員会・松竹伸幸の〝自己批判文〟(「前号『九条改悪反対を全国的規模でたたかうために』に関連して」写真参照)こそ、屈服の紋章にほかならない。

 「〔前号の松竹論文にたいして〕憲法や自衛隊の問題で日本共産党の見解が変わったのか、などの疑問も寄せられています。」
 「前号論文のなかには、自衛隊が憲法違反であると明記された箇所がありません。それを明記しないまま、『自衛権や自衛隊に反対しているわけではありません。むしろ、自衛隊は活用しようというのが、私たちの現在の立場です』とのべ、海外で戦争する国にすることに反対する一致点をつくろうと提起しています。これは、自衛隊は違憲であるという見地を堅持し、それを一貫して主張すべきとする日本共産党の基本的な見地と異なるものでした。」

 「自衛隊が憲法違反であると明記された箇所がありません」だと! 『議会と自治体』第八三号において松竹は、「自衛隊はできるだけ持たないようにしようとか、侵略に対抗するのに自衛隊を使わない方がいいとか、そんなことで一致点をひろげるのでは」なく、「自衛隊を活用するという点では気持ちを共有していることを、率直に表明するのです」などと書きなぐった。この駄文は、ほかならぬ日共議長・不破のご託宣――「憲法と自衛隊との共存」「国内と海外での平和的活用」――を党員むけに〝わかりやすく〟解説したものだ。

 不破式「共存・活用」論の反動性を間髪おかず徹底的に暴露したわが同盟のイデオロギー闘争によって、日共党内に不破=志位指導部にたいする疑問・反発が広範にうみだされている。「本当にこんなことを言っているのか?!」「『共存』なんて言う奴は変質者だ!」……党内の大動揺にアワを食った不破が、彼ら下部党員を懐柔しダマクラカスために、トカゲのシッポ切りよろしく松竹に〝自己批判〟を強要し、〝党としては自衛隊は違憲であり解消すべきという立場なのヨ〟という「党の基本的な見地」なるものをおしだしてみせた、というわけだ。これぞわが革命的批判の物質力に震えあがった代々木中央の悲鳴よ!

 松竹の〝自己批判〟と軌を一にして、四月二十六日に「憲法改悪反対闘争促進のための全国交流会」と称する全国党機関・支部代表を集めた〝内部固め〟がおこなわれた。この場で憲法改悪反対闘争本部長・上田耕一郎が「党の二重の役割」(三中総でうちだされたそれ)を発揮せよ、とアジテーション。大阪代表などが「革マル派は、日本共産党打倒をかかげ、九・一一テロを礼賛しているなど、共闘の対象とはなりえない」などということを、ことさらにガナリたてた(「しんぶん赤旗」四月二十八日付の「学習・党活動のページ」)。

 これほどまでに不破=志位指導部は、わが同盟の革命的批判とその日共党内への浸透を〝急迫不正の侵害〟だと感覚して、官僚的自己保身の虜になっているのだ。だからこそ、三中総(四月六~七日開催)の幹部会報告においては「党の二重の役割」なるものをもちだした。「政治的立場、思想・信条の違いをこえて、憲法改悪反対の一点での共同を広くつくりあげていくための役割」と、「党の独自の政治的役割」とを区別。後者の立場では「憲法九条の完全実施(自衛隊の解消)」という方針を「広く明らかにしていく」とか、「憲法改悪反対のたたかいと結びつけて……『日米同盟』の侵略的変質に反対し、日米安保条約廃棄の世論と運動を広げる」とかということを党内むけにアピール。これが下部党員を丸めこむためののりきり策。姑息ななしくずし! 松竹は、三中総でうちだされたこの弥縫策にのっとって〝自己批判文〟を書かされたというわけだ。

 だが、こんなツギアテでは何の役にもたたない。松竹が〝自己批判〟の最後に「あらためて強調」していることはといえば、「九条反対のたたかいは、〔自衛隊は違憲という〕認識を一致点として求めるものではありません」ということ。もちろんこれは松竹のツッパリでもなんでもない。「『自衛隊の現状を憲法に書くだけの改憲なら賛成』と考えている人々もふくめ……広く大同団結をかちとることが何よりも肝要」というのが三中総で謳われた方針なのだから。ここまで「開明的」ブルジョアジーの方ばかりに顔をむけていながら、〝自衛隊解消〟という文言だけ書きこめば下部党員なんて丸めこめるだろうと代々木中央が考えているとすれば、オメデタイことこのうえなし!

 だいたい「党の基本的な見地」なんて言ってみても、いまの党中央にとって、「(自衛隊は)〝第九条違反〟という認識と、〝自衛隊の解消によって第九条の完全実施にすすむ〟という目標」〔松竹が引用している第二十三回党大会(〇四年)・綱領改定報告〕などは、〝オールドな〟党員を欺瞞するための純然たるお題目。

 そもそも、第二十二回大会(二〇〇〇年)において「自衛隊の段階的解消」方針とセットで〝解消にいたる以前には有事の際に自衛隊を活用する〟と宣言した時点で、自衛隊解消という「目標」なるものは永遠の彼岸においやられた。そしてついに、〝自衛隊解消に至るまでは憲法と自衛隊との共存と国内および海外での平和的活用が基本だ〟(「朝日新聞」二月三日付)とまで言い切ったのが、不破じしんではないか。「自衛隊違憲」とはいうものの、「解消」は遠い未来の問題として完全に彼岸化し、現段階においては、むしろ憲法と自衛隊の共存をはかり、積極的に活用するべきだ、と主張しているのが、不破をはじめとする代々木官僚どもだ。オメデタイ松竹(梅)は、代々木官僚のこの本心をストレートにあらわしたにすぎない。

 代々木官僚よ、松竹論文は「党の基本的見地と異なる」といいながら、不破の「共存・活用」論は正しいと居直りつづけるつもりか?!
 松竹の欺瞞的〝自己批判〟は、改憲の濁流にもまれる代々木丸のグラグラ・沈没寸前ぶりを誰の目にも明らかにした。さらにさらに追撃のイデオロギー闘争を!


【さざなみ通信の「筆坂政策委員長・参議院議員がセクハラで辞職」】
 さざなみ通信の(S・T編集部員)は、筆坂問題に関し、2003.6.25日付けで「筆坂政策委員長・参議院議員がセクハラで辞職」と題し、次のような見解を打ち出している。これを転載しておく。
 すでに、報道などで周知のように、党の政策委員長で、参院の比例選出の国会議員である筆坂秀世氏が女性に対するセクハラが原因で国会議員を辞職することが、24日に党の記者会見で発表された。これは党内のみならず、国内にも大きな衝撃を与えた。国会議員が性的な不祥事で辞職するのは、数十年ぶりのことだそうである。しかも、それが共産党の顔とでも言うべき筆坂議員であったことは、大きな驚きをもって迎えられた。

 党自身の発表によると、被害女性が中央委員会に訴え出たのは5月27日で、事件そのものはその数日前に酒の席で起こった。このことを筆坂氏本人に党が確認したところ、事実を認め、その場で国会議員の辞職を申し入れるとともに、一党員としてやり直したいとの意向を表明した。党中央は、この事実を踏まえて、7中総で筆坂氏の中央委員の役職を解くとともに、その事実について総会の場で報告し、記者会見でも明らかにした。

 事件そのものを隠蔽することなく、別の口実で筆坂氏を更迭するのでもなく、セクハラの事実をきちんと公表して、議員辞職という形をとったことは、評価できることである。クリーンなイメージを最大限重視している党としては、重大な打撃になることを承知でこの道を選択することには、相当の勇気がいったと思われる(もちろん、被害者本人の承諾を得ていることが前提であるが)。

 しかしながら、この事件の詳細については、党内でも、また今回の記者会見でもまったく明らかにされていない。被害者のプライバシーを尊重してとのことであるが、この説明はわからないでもないが、被害者の個人的プライバシーにかかわらない範囲でも、もっと明らかにするべきことはあるはずである。たとえば、セクハラが悪質なものであったのかどうか(誰もその様態を細かに描写せよとは言っていない)、その酒の席はどういう性格のものであったのか(筆坂氏が個人的に飲みに行った場だったのか、それとも党関係者が多数いたかなり公の酒の席だったのかどうか)、被害者が党関係者かどうか(これは党内の権力関係にかかわるので、重要な事実である。もし被害者が党関係者であり、筆坂氏が党内の権力関係を悪用してセクハラに及んだとすれば、酒の席で羽目をはずしてしまったというレベルではなく、より重大なものになる。それは市民道徳の問題ではなく、政治的問題である)、等々。これらはいずれも、セクハラの重大性をはかるうえで欠くことのできない要素である。にもかかわらず、これらの点について、党中央はすべて「発言を控えさせていただく」として頑強に事実の公表を拒否している。

 これはきわめて問題である。まず第一に、筆坂氏は単なる党役員ではなく、国民によって選挙で選ばれた国会議員である。職を辞するかぎりは、国民に対するそれ相応の説明責任があるはずである。
 第二に、今回事件がおきた「酒の席」というのが、筆坂氏が個人的に飲みに行った場ではなく、そこに多数の党役員がいたかなり公の酒の席であった可能性がきわめて高い。というのは、記者会見で明らかにされたように、事件は、5月27日の「数日前」に起きている。この日付は6中総の開催時期と見事に重なっている。6中総が開催されたのは、5月24日と25日である。もしかしたら、6中総の終わったあとに、「打ち上げ」として党役員や本部職員などが多数参加した酒宴が行なわれ、そのときに起きた事件かもしれない。とすれば、筆坂氏個人の責任のみならず、そこに参加していた党役員全員の責任が問われなければならないだろう。

 また、共産党は、党の本部専従に、自宅以外での飲酒を内部規定として禁じている。もしこの酒の席が、誰かの自宅以外の場であるとしたら、党幹部自身が自らの定めた内規を破っていたことにもなる。
 さらに、今回の事件が、そのときたった一回だけ起きた偶発的なものだったのか、それとも同じようなことが何度か繰り返されていて、被害者がついに中央委員会に訴え出たものなのか、この点も明らかにされなければならない。もし後者だとすれば、問題はより根深いものとなり、党指導部全体の責任がより厳しく問われることになるだろう。

 なお、この事件をめぐって一部に、党内抗争の現われであるかのような陰謀論が見られるが、それはまったく荒唐無稽な議論である。国会議員がセクハラで辞職することによって党が受ける打撃の方がはるかに大きい。筆坂氏は忠実な不破派であったし、また党内における不破氏の権力は絶対的なものであって、党上層に反乱分子がたとえ現われたとしても(その可能性自体、現在の党の水準からすればありえないが)、ごく普通の党内手続きで反乱分子を取り除くことができたろう。今回の事件は、何よりも、新しい改良主義路線によって世論に取り入ろうとした不破指導部にとって、その出鼻をくじくとてつもなく大きな打撃となるスキャンダルである。彼らにはそれを隠蔽する動機はあっても、あえてそれをでっち上げる動機はかけらもない。

【日共の「週刊新潮』編集部の質問と日本共産党広報部の回答」】
 2005.9.16日、日共党中央は、2005.9.29日号に掲載された筆坂の「日本共産党への弔辞」小論に対し、「週刊新潮』編集部から日本共産党広報部に寄せられた質問と、同日おこなった日本共産党広報部からの回答」を発表した。これを転載しておく。
 (1) 筆坂氏は「セクハラ」事件を理由に、二〇〇三年六月、政策委員長および国会議員を辞職しております。その経緯をお聞かせください。

 二〇〇三年六月、女性党員から党中央委員会に、筆坂氏からセクハラ被害を受けた旨の訴えがありました。常任幹部会として、必要な調査を行うとともに、筆坂氏を呼んで訴えが事実であるかどうかを確かめました。筆坂氏は、訴えの事実を認めるとともに、自己批判の文書を提出し、過去の問題にまでさかのぼって、自分のその弱点についての反省を述べました。その後開かれた常任幹部会会議でも、筆坂氏は、訴えられた事実を認め、自己批判を述べるとともに、いかなる処分も受ける旨、言明しました。常任幹部会は、こうした経過の上に立って、筆坂氏を党中央委員会から罷免するという規約上の処分を決定したものです。この処分は、幹部会を経て、中央委員会総会で決定されました。

 なお、議員辞職は、規約にもとづく処分ではなく、常任幹部会が道義上の立場に立って筆坂氏に勧告し、筆坂氏がこれを受け入れておこなったものです。

 (2) 上記処分決定にあたり、共産党本部に一枚の「セクハラ」事件に関する「怪文書」が届き、それにより筆坂氏に対する処分が変更されたということはございませんか。

 常任幹部会は当初、ことが公表されたときに、被害者が受ける影響などを考慮して、常任幹部会の内部にとどめる処分とすることを確認しました。

 しかし、これは、常任幹部会の規律担当者の思い違いで、規約の規定によれば、党中央委員にたいする処分は、すべて中央委員会総会での決定を必要とするものであり、常任幹部会の内部にとどめる処分はありえません。そこで、次の常任幹部会で、(1)で述べた処分をあらためて決定しました。

 なお、処分の最終決定をおこなった常任幹部会会議には、筆坂氏は「体調不良」を理由に出席しませんでしたので、翌日、常任幹部会のメンバーが、確認した内容を伝えましたが、筆坂氏は、それを全面的に受け入れることを表明しました。さらに、この問題を報告・審議する幹部会会議および中央委員会総会で弁明を述べる権利があると伝えたのにたいしても、「事実はその通りであり、弁明するつもりはない」と答えました。

 処分の決定は、以上の経過によるものです。

 (3) 議員辞職にあたり、筆坂氏が記者会見を開こうとしたことに対して、共産党が何らかの指示をしたという事実はございますか。また、同時期、筆坂氏が外部の人間と接触することに対して、共産党から何らかの指示を出したという事実はございますか。

 記者会見をすれば、質問がセクハラ事件の具体的内容に集中することが予想されました。そうなると、被害者の人権とプライバシーの侵害という二次被害の危険が生まれます。それは避けるべきだという判断から、記者会見をしないこと、また記者との個別接触をしないように話しました。

 (4) 二〇〇三年八月に筆坂氏が共産党の政策委員会のスタッフとして職務復帰して以降、共産党は筆坂氏にどのような職務を与えていたのですか。

 政策委員会の一員としての仕事についてもらっていました。

 (5) 筆坂氏が共産党本部に職務復帰して以降、市田忠義書記局長が筆坂氏に対して、記者会見を開く意思があるか否か確認した事実はございますか。

 そのような事実はありません。

 (6) 筆坂氏が議員辞職して以降、暫くの間、どこの支部にも属さず、党費も納めていなかったというのは事実ですか。また、事実だとすれば、その期間はどれくらいで、その理由は何だったのですか。

 手続き上の手違いから所属支部が確定しないかのような状態がしばらくつづいていました。筆坂氏からその事実を指摘して改善の要望があり、ただちに所属支部を明確にする措置をとりました。

 (7) 筆坂氏が『前衛』(二〇〇四年十二月号)に論文を掲載するにあたり、同時に自己批判文の掲載を条件にしたというのは事実ですか。また、事実だとすればそれは誰の指示だったのですか。

 財界研究の論文執筆という問題は、最初、不破議長が筆坂氏に提起したことでした。論文が仕上がって『前衛』誌などに掲載することになれば、筆坂氏の党機関紙誌での、事件後初めての公的な発言であり、セクハラ問題について、筆坂氏自身がどういう立場に立っているかについての自己検討を述べることが、不可欠の前提になります。不破議長は、最初に研究問題を提起したさい、この問題をあわせて話し、筆坂氏がそれに同意して、論文の作業にとりかかったことでした。論文の冒頭に自己批判の文章が書かれたのは、こういう経緯によるものです。

 (8) 筆坂氏は本年七月に共産党を離党したわけですが、事前にその旨を告げられた志位和夫委員長と筆坂氏とのやり取りをお教えください。

 筆坂氏から、志位委員長あてに、離党と本部勤務員辞職の申し出があったので、志位委員長が会って意思を確認しました。離党の意思が固かったので、志位委員長はこれを了承しました。そのさい、筆坂氏は「離党しても、党を裏切ることはしない」と言明しました。正規の手続きをとった上で、七月十九日、離党と本部勤務員辞職が認められたことを、人事局から筆坂氏に伝えました。

 (9) 筆坂氏の離党は、新聞紙上で記事になりました。その際、共産党はその事実を新聞社の取材に対して認めていらっしゃいましたが、公表にあたり筆坂氏ご本人の許可は得ていたのですか。

 党は、一般的にいえば、離党した党員について個別に発表することはしていません。しかし、筆坂氏は、国会議員としてあるいは党幹部として公的な活動にあたっていた人物です。党の側から離党についての発表をすることはしませんでしたが、離党手続きがとられた翌々日の七月二十一日夜、マスコミから寄せられた「離党は事実かどうか」の問い合わせに、離党の事実を認める回答をしました。この場合に、本人の許可が必要とは考えていません。

 (10) 筆坂氏の離党が公表された後、不破哲三議長と筆坂氏との間で会話が交わされたことはありませんか。あるとすれば、それはどのようなやり取りだったのですか。

 筆坂氏の離党についてのマスコミ報道のあと、不破議長の自宅に筆坂氏から電話がかかってきたとのことです。不破氏は、筆坂氏の最後のあいさつかと思って対応したようですが、電話の内容は、「なぜ自分に断らず、マスコミに離党の事実を認めたのか、プライバシーの侵害だ」という“抗議”でした。不破議長は、これにたいして“そのような抗議には根拠がない”旨答えました。


【日共の反論「週刊新潮での筆坂秀世氏の一文について」】
 2005.9.22日、日共党中央は、日本共産党中央委員会広報部名で、赤旗「週刊新潮での筆坂秀世氏の一文について」を発表した。これを転載しておく。

 一、今週発行された『週刊新潮』(九月二十九日号)に、筆坂秀世氏の一文「日本共産党への『弔辞』」が掲載されました。

 これに先だって、十六日、『週刊新潮』編集部から「共産党広報部」あてに、「小誌『週刊新潮』九月二十一日発売号において、筆坂秀世・元共産党政策委員長のインタビュー記事を掲載する予定です。つきましては、いくつか質問させていただきたく存じます」「お忙しい中、たいへん恐縮ですが、本日(九月十六日)中にご回答いただければと存じます」として、十項目の質問がよせられました。広報部は、その日のうちに、質問にそくして回答をおこないました。

 ところが『週刊新潮』編集部は、わが党の回答について一言もふれることなく、筆坂氏の言い分を一方的に掲載しています。筆坂氏の一文は、セクハラをおこなったという事実は認めているものの、その後、党がとった対応について、事実をゆがめる内容がふくまれています。そこで、わが党が編集部にあてた回答文を、ここに公表するものです。

 二、筆坂氏の“経過説明”には、事実に反する点が多く含まれていますが、主要な事実は、編集部あての回答文のなかで説明されているので、ここでは、筆坂氏が力を入れている処分決定の経過について、若干の補足的な説明をおこなっておきます。

 (1)この問題では、被害者から訴えのあったセクハラ問題については、事情を聞いた最初のときに、筆坂氏は、事実は被害者の訴えのとおりだと認め、提出した自己批判の文章で、過去にも触れながら、自分にそういう弱点があるという反省を書き、いかなる処分も受け入れると述べ、常任幹部会の会議でも、同じ態度をとりました。

 自分が事実を認め反省の言葉を述べたことは、筆坂氏も、否定できないようで、筆坂氏は、セクハラ問題の有無ではなく、もっぱら「処分の経過」を問題にしています。

 (2)筆坂氏は『週刊新潮』の一文のなかで、自らの処分の経過について、二〇〇三年六月九日の常任幹部会では警告処分とされていたが、その後、「筆坂氏のセクハラの事実を公表する」とした告発のファクスが党本部にとどけられたため、六月十六日の常任幹部会で、中央委員罷免へと処分内容が変更されたと述べています。

 しかし、筆坂氏の処分の事実経過は、回答文で述べているとおり、(1)常任幹部会は当初、ことが公表されたときに、被害者が受ける影響などを考慮して、常任幹部会の内部にとどめる処分(具体的には警告処分)とすることを確認した、(2)しかし、これは、常任幹部会の規律担当者の思い違いで、規約の規定によれば、党中央委員にたいする処分は、すべて中央委員会総会での決定を必要とするものであり、次の常任幹部会で中央委員罷免という処分をあらためて確認した――というものです。

 この経過のなかで、告発のファクスが党本部によせられたことをはじめ、筆坂氏の問題について、さまざまな情報や意見が常任幹部会によせられた事実がありますが、筆坂氏の処分は、回答文で述べているように、党規約の厳正な適用という立場からおこなわれたものです。

 ところが筆坂氏は、このいきさつについて、浜野副委員長から、「もし(告発者によって)公表されると常任幹部会が甘い処分をしたと批判される、そこで中央委員を罷免する」とつげられたと述べています。

 しかし、これは事実の正確な記述ではありません。浜野副委員長が、そこで述べたのは、「先の常任幹部会で警告処分を確認したが、党規約の運用について思い違いがあった。中央委員の処分は、中央委員会総会で決定しなければならず、その処分内容は内部にとどめることはできず、公表しなければならない。公表する以上は、筆坂氏の社会的責任の重さからみて、中央委員罷免とせざるをえない」ということでした。

 浜野副委員長の説明にたいして、筆坂氏は、涙を流しながら、「忙しい時にこんなことで何度も手をわずらわせて申し訳ありません。処分内容は全面的に受け入れます」と表明しました。

 さらに、この問題を報告・審議する幹部会会議および中央委員会総会で弁明を述べる権利があると伝えたのにたいして、筆坂氏は、「事実はその通りであり、弁明することはありません」と答えました。これが処分の決定までの事実経過です。


【行政調査新聞の「日共大物国会議員、筆坂秀世氏失脚の深層」】
 「阿修羅空耳の丘版29」の2003.9.23日付エンセン氏の投稿文「日共大物国会議員、筆坂秀世氏失脚の深層 行政調査新聞」を転載しておく。
 あきれた「粛清」劇……日共大物国会議員、筆坂秀世氏失脚の深層


 突然のNHK出演降番

 去る6月24日、意外な話題が政界をにぎわした。「筆坂秀世参議院議員、セクハラで辞職」……日本共産党の市田忠義書記局長・参議院議員が国会内の記者会見で、沈痛な面持ちで発表した同僚幹部のスキャンダルであった。

 しかし、これはマスコミ界にとって「青天の霹靂」ではなかった。それを逆上る一週間前、「筆坂議員、スキャンダルで辞職か」の噂が国会記者クラブを流れ、ちょうどその折りに行われた日共国会議員団の定例記者会見で参議院議員の引退表明があった際、詰めかけた新聞記者の多くが「筆坂問題じゃないのか」とため息を漏らしたというのだ。

 「ことの始まりは、6月15日だった」と本紙記者に語るのは、大手新聞政治部記者。「共産党きっての論客として、テレビ出演で人気のあった筆坂氏があらかじめ『赤旗』で予告されていたNHK『日曜討論』の出演をとりやめ、代わりに市田書記局長が出た。あまりに突然なので『おかしい』との憶測が広がり、共産党番記者が急遽とんだのです」……その中で、記者たちは日共関係者からある感触を得た。「どうも、筆坂は女問題でクビになるらしい」との観測だったという。

 「セクハラ摘発」の裏に「夫婦喧嘩」

 こうしたマスコミの動きの裏で、筆坂氏をめぐって日共常任幹部会は二転三転の混乱を繰り返していた。既に週刊誌等で事実の一端は明らかになっているが、筆坂氏の「セクハラ」なるものは、実際はカラオケボックス内で共産党女性職員とデュエットで腰に手を回して歌い、チークダンスを踊ったという程度のことが発端だった。

 この女性職員は、新たに筆坂氏の国会秘書になる予定で、マスコミに「5月26日夜」と報じられているカラオケ・パーティーは、以前からの筆坂氏の議員秘書も交えた「歓迎会」だったという。この事実に関連し、本紙はマスコミ関係者から重大な事実を打ち明けられた。「要するにたいした問題じゃなかったんですよ。ところが、つまづきのきっかけになったのが、この女性職員の亭主。この人も共産党系団体の役員なんですが、病気休職中らしくいつも家に居る。その上、異常な妬きもちやきらしくて、『歓迎会』で遅く帰宅した妻を叱責し、筆坂氏らと何をしたのか根ほり葉ほり聞きただしたというんです」……。

 このマスコミ関係者によると、件の女性職員が悩んだのは「党の最高幹部・筆坂氏によるセクハラ」よりも、嫉妬に燃える亭主の異常な怒りであったというのだ。「女性職員は、悩みを以前からの知り合いであった同僚の女性国会秘書に相談したそうです。この秘書も、たまたま共産党最高幹部である衆議院議員の国会秘書なんですが、実は名うての『セクハラ摘発マニア』でした」。

 相談を受けた党最高幹部の女性国会秘書は、他の同僚女性に次々に話を広げていったという。その中で、相談内容の『夫婦喧嘩』は消えてしまい、筆坂氏による腰に手を回したデュエット、チークダンスの方ばかりに尾ヒレがついて膨らみ「セクハラ行為」に発展していった。

「ここで乗り出したのが、共産党国会秘書団の女ボスというべき人物でした。この女ボスは、筆坂氏が国会秘書時代に同僚だった30年近いキャリアの大ベテラン秘書で、『飛ぶ鳥を落とす勢い』で出世したかつての同僚、筆坂氏に対して不快な感情を抱いていたといいます。ここから『筆坂のセクハラ疑惑』が書記局に告発され、市田書記局長と浜野忠夫副委員長の耳に入ったのです」(マスコミ関係者)。

 市田と浜野(非国会議員)は、6月5日に筆坂秀世氏を呼び出して「5月26日の夜、赤坂のカラオケボックスで党の内部規定で禁止されている『外部飲酒』に秘書と女性職員を誘い、酒を飲んでデュエットやダンスをして体に手を触れた」事実を認めさせたという。その際、「セクハラ」「市民道徳に反する行為」云々の話は一切無く、ただ「女性職員に不快な思いをさせた点は問題である」との指摘を受けた筆坂氏は、「不快な思いをさせたなら謝罪したい」と述べたのみだったという。

 その後、市田と浜野は日共トップの不破哲三党議長に事の次第を報告し、問題処理について判断を仰いだ。不破氏は、「筆さんは、以前から外で飲酒して女性との悪ふざけがあると噂があるから、反省してもらった方がいい。そういう分野は浜野さんの専門だから、浜野さんの方で処置を考えなさい」と述べたという。

 党の一女性職員の家庭における「夫婦喧嘩」が、党中枢を動かす騒ぎにまで発展したという訳である。

 覆った決定……「警告処分」が一転して「議員辞職・役員罷免」へ

 6月9日、朝から日共の常任幹部会が開かれた。常任幹部会とは、不破、志位、市田の党三役を含む21名からなる日共最高幹部の執行機関で、筆坂氏も政策委員長としてその一員に加えられていた。この日は、年内に予想された解散総選挙に向けての方針の検討を議題にする予定だったというが、この議題は午後に行われることにされ、午前中だけ特別に筆坂氏の「飲酒に伴う女性党員からの訴えの問題の処理」が議題にされた。

 「事実問題の調査」を行った浜野忠夫副委員長から冒頭、報告があり若干の質疑があった後、筆坂氏から反省の弁を述べる発言がされたという。その際、筆坂氏は「軽率な行動を反省している。今後、二度と同じ誤りを繰り返さないよう注意していくつもりであるし、相手に深く謝罪したい。常任幹部会が決定するどんな処分をも甘んじて受ける」と述べた。その後、浜野氏から「今回の事態について、筆坂氏から率直な自己批判がされたし、警告処分ということで処理したい」との提案がされ、不破議長や志位委員長を含む常任幹部会の全員が了承したという。

 これで事は片づくはずだった。午後からは、予定通りの議題が常任幹部会で話し合われた。筆坂氏は、引き続き変わりなく政策分野の責任者として総選挙準備の仕事を分担した。そして、15日に予定されたNHK「日曜討論」出演の準備も他の政策スタッフと共にとりかかったのである。しかし、14日、突然状況が変わった。日共の書記局に「脅迫ファックス」が届いたというのだ。「国会を良くする国会秘書の会」を名乗る人物からのもので、「ある最高幹部国会議員のセクハラは目に余る。厳しい処分がされないなら、社会に告発する」と記されていたという。

 「国会に不穏な動きがある」……こんな思いにかられた浜野氏らは、パニックに陥った。そして、地方遊説に出掛けていた市田書記局長を急遽東京に呼び戻し、筆坂氏のテレビ出演を「病気による体調不良」という理由でキャンセルしたのである。この間、「病気理由でテレビ出演をキャンセルしたのだから、自宅に数日間は待機してほしい」との浜野副委員長の要請に応えて、筆坂氏は自宅から外出しなかった。

 筆坂氏の自宅待機中にどんでん返しが起こった。筆坂氏に知らされないまま、6月16日に開催された党常任幹部会で「重大な事態」についての報告がされ、9日の「警告処分」が無効とされた上に「参議院議員辞職、党役員からの罷免」の処分が新たに決定されたのである。「欠席裁判」状況で、こうした処分を断行させたのは党の最高権力者、不破哲三議長であった。

 「筆坂転落」……日共権力者を驚かした予想外の反応

 「議員辞職、役員罷免」……自分が知らぬ間に、国会議員・党最高幹部から「ヒラ職員」に格下げされてしまった筆坂氏は、17日に処分変更を一方的に申し渡されたという。しかし、党役職は党内人事といえ、筆坂氏は有権者の投票を得て公職について参議院議員である。議員を辞めさせることの当否について(「辞職」という形とはいえ)、本人の意思が聞かれない上、有権者に何ら説明しないまま党最高幹部たちの一方的決定で断行することは、民主国家のルールに抵触する暴挙である。まして、国民に良く知られている身分でありながら、自らの口で何ら弁明すら話す機会の与えられないままの「議員辞職」は、筆坂氏と家族の人権をも蹂躪して省みないものといえる。

 「私たちの問題意識は、共産党がたとえ党幹部とはいえ有権者の判断を仰いで公職についたものを辞職させることに、どんな基本的スタンスをとるか。民主国家の担い手としての資質が問われるのではないか、ということでした。ところが、6月24日やその後に共産党が繰り返した記者会見、新聞発表では『被害を受けた女性のプライバシーに関わる事で、二次被害を広げる』として何ら具体的事実を明らかにしない。これでは、真相がどこにあるのか、有権者には全くわからないことになります。
問題は、個人が特定されないことが重要なのであり、『セクハラ』の言葉をまるで重大犯罪を示すキーワードの如く使い、一方的に筆坂前議員を糾弾するようなやり方に、ほとんどの記者たちは違和感を覚えました」(大手新聞政治部記者)

 6月24日の記者会見、日共機関紙「赤旗」に発表された声明などは筆坂氏について「市民的道徳に反するセクハラ行為があった」と断罪する一方、「セクハラ」という曖昧な言葉で濁して、「党最高幹部にふさわしくない」どのような行為があったのかについては全く明らかにしなかった。

 「最近、週刊誌等で次々に暴露されている事実を見れば、結局、具体的に明らかにすべき事実すら見当たらないような珍事であったことが明らかです。でも、あの時は日共本部関係者が声を潜めて言ったもんでした。『愛人を非道なやり方で弄んだ山拓が告発されても、自民党と国会の要職に居すわっている。それに比べて、モラルの問題に厳格な態度をとるわが党は良識ある国民の共感を得られるはずだ』とね」(通信社の共産党番記者)。

 恐らく、日共最高指導部内にはそんな計算があったのだろう。しかし、事の進展は彼らの計算通りにはならなかった。日共党本部には、「国会議員辞職・役員罷免」の発表後に抗議の電話が殺到したというのだ。

 「筆坂議員には、他の共産党幹部に無い魅力がありました。高卒の銀行員出身でカラオケ好き、以前に衆議院候補をやっていた選挙区の新宿界隈では『陽気な筆さん』で通る飲み屋街の人気者でした。参議院議員当選後は、時の首相をキリキリ舞いさせるほどの論客として活躍して『茶の間の人気者』になっていきました。その一方で、さんざんやっつけられた首相経験者に『ああいう感覚の野党議員は初めてだ。ヤラレタと思う反面、何か親しみが湧いてくる不思議な魅力を持つ議員だ』と言わしめています。不景気に苦しむ庶民の共産党支持者にとって、筆坂議員は東大出が多く『冷たい』印象の共産党幹部たちと違って自分たちと同じ肌合いを感じさせる身近な国会議員だったのでしょう」(政治評論家)。

 日共本部に寄せられた抗議は、激しく党執行部を批判するものが圧倒的に多かったという。「東大卒のさえない幹部が妬んで引きずり下ろしたに違いない」「セクハラの度に幹部の首切りをしたら、普通の会社でも潰れてしまう」「頭の固い不破さんなんかに、セクハラの意味なんかわからないのでしょう」等、連日、抗議の電話やファックスが殺到した。これは、志位和夫日共委員長が記者会見の際、「今後はこういう誤りが起きないように、『外部飲酒禁止』の党の内部規定を徹底したい」と口走ったことで更に拍車がかかった。

「酒の問題とセクハラを一緒にするな」「共産党員は、飲み屋を敵視しているのか」等、世間の感覚からずれた発言が筆坂氏に対する不可解な処分と結びついて、激しい共産党批判として広がってしまったのである。

 共産党を取り巻く非難の高まりは、志位氏が「発言訂正」(これも「党に飲酒禁止の内部規定はなく、職員の自主的な申合せだ」等というウソを並べたもので、すぐに底が割れてしまった)を繰り返しても止むことがなかった。市田書記局長や処分を推進してきた浜野副委員長らは、計算違いの事態に当惑した。

 そして、ここで民主国家の中では許しがたい卑劣な謀略が画策されたのである。「清潔」を看板にしてきた党の中で起きたとは、にわかに信じられない謀略であった。

 党本部周辺から流れた「レイプ」説

 7月に入ってからであった。週刊誌関係者の間で、「筆坂氏は相手の女性をレイプしたらしい」との話がまことしやかに囁かれ始めた。「おおっぴらに情報が飛び交い、記者たちが裏取りに回りはじめたきっかけは、テレビ出演もする有名なフリージャーナリストがホームページ上で『筆坂は相当ひどいことを密室でやったらしい』と書き込んでからでした。しかし、どうも話の筋を聞いてみると『付き合いのある党本部関係者から飲み屋で聞いた』とのことだった。この『党本部関係者』とは、共産党書記局の職員でした」(週刊誌記者)。

 共産党の本部関係者、それも幹部の情報を一手にあずかる書記局職員が「レイプ」説を流したのだという。本紙も独自の情報網で調査した結果、新宿や池袋界隈の飲み屋でそのような噂が広まったことを確認した。しかも、複数のマスコミ関係者に対する取材の中で、本紙はもう一つの重大な事実をつかんだ。一時、週刊誌で囁かれた「筆坂隔離」説、つまり「地方の党所有施設に筆坂氏を確保している」との噂も党本部関係者や「赤旗」記者から流れていたという事実である。

 「筆坂氏は、6月24日の市田書記局長による処分発表の直前に参議院宿舎を引き払った後、以前から埼玉県に所有している私宅で暮らしていたんです。共産党関係者が流す情報のため、週刊誌記者等は山梨県や伊豆半島の共産党保養施設に張り込んだ程でしたが、このために筆坂氏本人に対する取材活動が遅れてしまいました」(テレビ局記者)

「セクハラ」で筆坂氏の処分を世間に納得させられなかった日共本部は、筆坂氏に対する直接取材を妨害するために居所についてのガセネタを流し、一方で「実際はレイプか、レイプに近いひどい行為があった」と噂を流す。本紙は、明らかに日共本部関係者によって画策されたと見られる「筆坂糾弾」世論づくりの謀略があったと判断する。それが、どのレベルの幹部の指示によるものかは知る由も無いが、日共内部からこうした虚偽情報が流されることは、人権上も極めて重大かつ陰湿な行為だと言わざるを得ない。

 しかし、このような謀略もマスコミ関係者が展開した取材活動の中で、簡単に崩されてしまった。「転機は、8月1日に代々木の党本部に出勤する筆坂氏を通信社記者が発見してからでした。通勤途上での目撃情報も寄せられていた。筆坂氏の自宅がほどなく見つかり、マスコミ記者が訪問したのです」(フリージャーナリスト)。

 筆坂氏は、取材に対しては「ノーコメント」の態度だった。しかし、落ちついた応対が何人もの記者に強い印象を与えたという。

「筆坂氏に直接面会した記者が、『うしろめたいことのある人物が、あのようににこやかな対応はとれない。本人はいたって元気だったが、それだけに共産党の不可解な対応に怒りを感じた』と話していました」(同前)。

 8月に筆坂氏が党本部の職員として復帰を果してから、「文春」「新潮」等の週刊誌で真相の一端が暴露されはじめた。今まで、「秘密主義」のカーテンに阻まれてなかなか世に出なかった日共本部内の確執が、赤裸々にされていった。世間の論調は、「最高幹部のスキャンダル失脚」から「冤罪」論の方向へ大きく転換していった。

 嫉妬がつくりあげた組織的陰謀

 以上の経過は、週刊誌等であらましが明らかになった事実に、本紙が独自につかんだ情報を加味した「筆坂失脚」劇の経過である。しかし、本紙はこの経過を検証する中で、様々な周辺事実をもキャッチすることが出来た。この中には、日共が長年抱えてきた「秘密主義」体質に加え、いまだ民主国家に適応することの出来ない陰謀主義的、かつ人権無視の体質を引きずっていることを確信させる事実内容が含まれている。

 まず、筆坂氏「告発」に関わった人物連関図と、不可解な経過に見られる謀略性だ。マスコミが日共からの「抗議」や「提訴」に怯えて、報道できなかった「事実」があるという。その「事実」とは、「セクハラ」を受けた女性党職員が相談した相手が志位衆議院議員・党委員長秘書であり、「セクハラ」の事実を書記局に訴えるよう指図した「女ボス」も市田参議院議員・党書記局長の秘書だということだ。これが真実なら、日共ナンバー2とナンバー3の国会秘書が、「筆坂下ろし」に関与していることになる。これを「党内抗争」と言わずして、何だろうか(まして、「記者会見しかしない国会議員」との折り紙がマスコミ記者からつけられた市田書記局長が、筆坂氏のあざやかな国会質問ぶりにコンプレックスを強く感じていたと見る向きもあるので、「日共ナンバー4」たる筆坂氏に市田氏が脅威を感じていたとしてもごく自然に思えるのだ)。

 更に、筆坂氏のNHK出演の降番と処分やり直しのきっかけになった書記局に送られたというファクシミリも、全く不可解なものだ。「本来なら、犯罪的な『脅迫』の実態こそ究明すべきなのに、そこは不問にして筆坂氏に対する処分をやにわに急いで強行した。『出来レース』の匂いがプンプンだ」(雑誌コラムニスト)と言われても仕方がない。だいたい、日共は世間に対して、代表電話とファックス番号一本分しか公開していない。つまり、書記局宛に直接ファクシミリを送れるのは部内の人間だけで、日共指導部が誰の仕業か把握しようと思えば不可能ではない。各部局のファックス送信記録と受信時間の照合をすれば、簡単に特定できるのである。

 「マスコミ記者の間でも、誰があの『脅迫ファックス』を送ったかの目星はついています。女ボス傘下のグループにいる女性国会秘書です。この女性国会秘書には、部内の男性職員のセクハラ行為を同じようにファックスで告発し、処分させた実績があります」(前出マスコミ関係者)。

 筆坂「告発」に走った女性秘書グループは、普段から「論客」としてテレビ、国会で活躍する筆坂氏に対して妬み、「あんな大酒飲みのセクハラ常習者が党幹部にいるのは許せない」と話し合っていたという。

 また、筆坂氏が政策や国会対策の責任者として、重大問題を国会で取り上げる際に優秀な秘書をあちこちから抜擢してチームを組ませて仕事をさせることも、件の女性秘書グループの怒りをかっていたという。

「彼女たちの怒りが頂点に達したのは、鈴木宗男衆議院議員の疑惑追及の仕事をまとめた本が出版された時だったそうです。あの本(『ムネオ追及 300日』新日本出版社)は、マスコミや国会関係者の中でちょっとした話題になったもので、共産党議員の国会論争だけでなく調査や準備に関わった国会秘書たちの活躍ぶりが実名で載っていたのです。皆、筆坂氏が抜擢した秘書たちでした」(国会記者クラブ関係者)。

 嫉妬というものは、どの社会にもつきものである。しかし、嫉妬が組織的陰謀になり、日本政治の中で有為な働きをする国会議員の政治生命を絶つばかりか、家族を含めてその名誉を傷つける譓賰「筆坂失脚」劇に見られる日共内の動きは、単に「党内抗争」にとどまらない民主社会では許されざる犯罪行為だと、本紙は断言する。

 不可解な日共本部の対応のカゲにあるもの……不破氏の組織ぐるみ「蓄財」癖

 それにしても、「天下の公党」ともあろうものが、幹部の酒席でのちょっとしたトラブルに大きく揺らぎ、有為な政治家の命脈を絶つなどということは、常識的思考の範疇で考えの及ぶところでない。まして、不破哲三党議長がその後にとった態度を見ても、「なぜそこまでやるのか」と首をかしげざるを得ないものである。

 7月18日、「共産党創立80周年」を記念して日比谷公会堂で行った不破氏の講演の演題には、不思議なタイトルが付けられていた。「市民道徳について」……このタイトルにピンときたマスコミ記者たちは、ふだんは場違いな講演会場に出掛けていった。講演でマスコミ関係者が印象深く感じたのは、選挙で敗北しても「自らの責任」は絶対に言及しなかった不破氏が、二度も「申し訳ない」と聴衆に頭を下げたことだったという。

 「共産党は、これで身内からの突き上げをなだめ、決着させることを狙ったようです。わざわざ『処分への批判』にも言及し、『最も社会的基準に近いもので』判断したと言い訳までしているくらいですから。聴衆を見回すと、ほとんどが『善男善女』といった人々で、中には涙ぐんでいる人もいたくらいでした」(講演を聞いた新聞記者)。

 しかし、この不破の講演での弁解も、前述した事の経過がマスコミに次々に暴露されると、いつの間にか霞んでいってしまった。中には「何でわざわざ寝た子を起こすようなことをしたのか」との批判を寄せた共産党支持者も出たという。

 一旦決まった「警告処分」を覆し、「議員辞職・役員罷免」の処分を強行させたのは、前述したように日共最高権力者たる不破哲三氏である。「天下国家」を論ずべき公党のトップ、押しも押されもせぬはずの我が国における共産主義運動の第一人者が、なぜカラオケボックス内のトラブルやファックス一枚の「脅迫状」にこだわり、自ら火消しを画策するのか。その背後が、この度の事件の経過でマスコミに一部把握されるに至った。

「この間、マスコミ界の共産党ウォッチャーは『議員引退』を表明した後の不破氏の動向に注目してきました。政界引退後も、党内運営には意欲満々、それどころか明らかに『独裁』的傾向が強くなっていると感じられたからです」(新聞社論説委員)。

 ここ数年にわたり、地道に調査されてきたのが不破氏の資産や収入の状況だった。「特に注目されていたのが、印税収入です。建前上、『党幹部は著作の印税を党に寄付する』とされてきた。ところが、この間、官報に掲載される不破氏の党への寄付額は、約700万円前後と他の著作も出していない国会議員に比べても低いくらいです」(同)。

 週刊誌報道によれば、不破氏の年間の印税収入は1000万円にのぼり、年収は約4000万円程度にもなる。「不破氏の著作の出版は、共産党という安定した市場を持つので業界としても参入したい分野です。以前は共産党が株主である新日本出版社や、共産党関係者が経営する大月書店等でしか出版されませんでしたが、ここ数年になって不破氏のサイドから積極的に『部外出版』の企画が入ってくるようになりました」(出版社編集部)。

 本紙が共産党系列出版社と取引のある業者たちから得た証言をまとめると、次のような構造があるという。不破氏や一部の幹部(兄の上田耕一郎副委員長を含む)が出す書籍については無条件で出版が認められるが、他の幹部のものは「許可制」になっており、書記局の事前検閲を受ける他、出版時期についても相談した上でないと認められない。そして、もし不破氏が出版を予定している書籍とテーマが重複するものは、先に上梓していても出版時期を遅らせるように出版側(多くの場合、共産党系出版社)を通じて申し渡される。不破氏の著作については、特に上製判で出版して定価をつり上げ、印税(定価に対する定率で決定)の実額が大きくなるように配慮される。

 正に「排他的独占」体制で不破氏の著作は出版され、共産党員には「学習文献」として購入が「赤旗」紙上や日共上部機関の指導で推奨され、確実な印税収入が得られるシステムが構築されているのである。「共産党系以外での出版を増やそうとしているのは、国会議員を辞めた後も高い収入を確保したいとの意図があるためのようです」(同前)。

 最近になって日共関係者は、「筆坂氏のセクハラは、たいした問題ではない。しかし、末端の地方組織の党職員が薄給、あるいは給与遅配で生活が苦しいにも関わらずがんばっているのに、筆坂氏が酒を飲んで遊び歩くということが許せないので」との説明を流しているようだ。しかし、上記の不破氏による印税獲得システムから見れば、笑止千万な話と言わざるを得ない。不破氏が印税獲得に熱心なことは、最近も「資本論講座」とか、「○○講座」なるものを身内を集めて開き(党本部職員の職務を中断させ、人集めをしているという)、その講演でしゃべった内容を録音・編集させて雑誌に発表させた後、すぐに書籍にまとめさせているという事実から伺うことができる。党の役職を利用した呆れた「練金術」の展開だ。これこそ、カラオケボックス内の「セクハラ」どころでない、薄給や遅配にあえぐ末端党職員への道義的裏切り行為だ。

 こうして得た収入を、銀座や歌舞伎町で酒を飲むわけではない不破氏は、どうやって使っているのか。我々は、「労働者政党」の党首らしからぬ不破氏の「蓄財」への執念の一端をつかんだ。不破氏は、こうして得た所得を神奈川県津久井の自宅山荘の購入や増改築につぎこんできたのである。

 「さすがに後ろめたかったのでしょう。土地の購入者は、最初は夫人名義になっています。数年を経て本人(本名=上田建二郎)名義に変えられた。一昨年には、山荘の大幅な建て替えがありました。登記された建物は、本人名義と党名義。しかし、今度の特徴はどこからどこまでが本人財産で、党財産なのか不明確なことです」(公安関係者)。

 更に本紙は、不破邸の建て替えに付随してある疑惑が生じているとの情報を得た。

「不破氏が旧東京6区で衆議院議員に立候補して以来の有力な後援者が、従来の不破氏の土地に隣接して土地を買ったのです。今回の建て替えは、この土地にまたがって増築したもののようです」(同前)。

 件の土地は、名義変えがされていないままだと言われる。この情報は以前から流れており、複数のマスコミ関係者が調査してみたが、該当する土地が山林であるため、土地公図との比較がむずかしくどこからどこまでが旧来の不破氏所有地であり、また新たに「寄進」された土地であるか確認することが困難だという。

 「不破氏が筆坂氏の失脚を自ら画策したのは、世間の共産党追及の火の粉が自分にかかってくることを異常に恐れているからです。結局、共産党勢力の消長よりも自らの生活の安泰に関心の多くが行ってしまっているため、冷静さを欠いた対応が墓穴を掘りつつあるように見えるのですが」(同前)。

 本紙記者も、不可解な共産党幹部失脚劇の経過を辿る中で、予想外の事実や情報に接することとなり驚いている。残念ながら、本紙としても前述の不破氏をめぐる「土地寄進」疑惑(結局、名義を変えないままある人物から土地使用の便宜の提供を受けているのは、無届で贈与を受けているのと同じである)の真偽について完全に裏付けることはできなかった。しかし、事実が必ず国民の前に明らかになることは、論を待たない。

 「正義」「民族の誇りと自主性の回復」「アジア人民との連帯による共存共栄」を掲げる本紙は、我が国が進むべき道について日共と一致する点があることを感じている。しかし、今回の事件の経過を調査する中で、日共はいまだ我が国が国是としつつある民主国家のルールにそぐわない、陰湿な「個人独裁」「秘密主義」「人権蹂躪」体質があると判断せざるを得なかった。この悪しき体質を克服しない限り、口でいかに美言を吐こうとも我が国民から「日共は北朝鮮の兄弟分」との意識をぬぐい去ることはできないであろう。

 日共はかつての「武装革命」方針から転換し、「議会を国民のために活用する」「国民への奉仕」を方針にして地方議員や末端党員を先頭にした献身的活動を展開してきた。そこは大いに評価すべきことである。本紙としても、地方、国政問わず共産党が正義をつらぬき、立派に国民に対する責務を果たしている時、大いに称揚してきたことを自負している。

 それだけに、いわば共産党が国民と共に育ててきた有為な政治家をわずかな過ちのみを理由に切り捨て、本人と家族の人権を蹂躪すると共に国民を欺いていることは、全く許しがたく感じている。不破氏を先頭とする日共指導部がその悪しき体質について猛省し、自ら国民の前に真相を明らかにし、本当に責任をとるべき最高幹部が自ら範を示すことを強く求める。これなくして、日共が「国民政党」として我が国政界で活躍する余地はますます失われていくことだろうことは、間違いない。

 http://www.gyouseinews.com/domestic_prospect/sep2003/001.html


【「筆坂失脚事件」で何が問われているのか】
 筆坂の「日本共産党への弔辞」に対し、日共は、赤旗に「『週刊新潮』編集部の質問と日本共産党広報部の回答」を載せている。これを叩いておく。れんだいこは、「筆坂失脚事件で何が問われているのか」を書き付け、世に問うことにした。日共不破よ、茶坊主どもよ、心して聞け恥よ。

 「筆坂セクハラ事件」の問題は、セクハラにあるのではなく、「セクハラ事件」にまで騒動化させた現下日共の変態性にこそある。もう一つ、「日共党中央内の権力闘争」にこそある。その権力闘争も本来の意味でのそれではなく、単に茶坊主どもの立身出世競争でしかない。不破の余りにも幼稚な私物化状態下の党中央の痴態が見て取れ、こちらの方こそ考察対象にせねばなるまい。

 臭いとして「金子満広副委員長失脚事件」と同じで、いわゆる「元請け」立場の不破が「下請け」立場の誰それが頭角を現してくるのを快く思わず、難癖つけて失脚させたということだろう。今小ネズミ首相が自民党内をそのように威圧し始めており、少しはましなのが出てくると二葉の芽を摘んでいるが、宮顕ー不破はそれの元祖的な地位に有り、昔からやっていることだ。

 以下、こたびの事件はをどういう風に演出したか見てみる。赤旗曰く、「女性党員から党中央委員会に、筆坂氏からセクハラ被害を受けた旨の訴えがありました」とある。しかし、「訴え」の中身たるやなにぞ。たかがカラオケボックス内でダンスでありディェットであり、その際に筆坂の手が器用に動き過ぎたというだけのことでしかない。なしてこれがセクハラぞ。女性党員は嫌なら帰れば良いだけのことではないか。筆坂が、地位利用して脅迫的に逃げ回る女性党員を追い掛け回し、暴力的に性関係を結んだとか未遂に終わったとか云う話ではない。日共は、おおげさにするのもエエカゲンニセンカイ。

 たかが「ボディタッチ程度のこと」を「セクハラ事件」に仕立てたのが「筆坂セクハラ事件」の真相のようである。こうなると、党中央も党中央なら、その種の行為で役職を棒に振った筆坂も筆坂ぞ。なして抗弁しないのか、ここに問題が宿されている。平素よりイエスマン化を強いられ慣らされているからこういうことになる。

 赤旗曰く、「筆坂氏は、訴えの事実を認めるとともに、自己批判の文書を提出し、過去の問題にまでさかのぼって、自分のその弱点についての反省を述べました。その後開かれた常任幹部会会議でも、筆坂氏は、訴えられた事実を認め、自己批判を述べるとともに、いかなる処分も受ける旨、言明しました」とある。繰り返すが、この程度のことで「過去の問題にまでさかのぼって、自分のその弱点についての反省」などと大げさに云うな。マジにそれを云うなら、不破のそれも「過去の問題にまでさかのぼって、自分のその弱点についての反省」させねばならない。ここでは触れないが、不破の過去にもそれなりのことがある。

 赤旗曰く、「常任幹部会として、必要な調査を行うとともに、筆坂氏を呼んで訴えが事実であるかどうかを確かめました」、「常任幹部会は、こうした経過の上に立って、筆坂氏を党中央委員会から罷免するという規約上の処分を決定したものです。この処分は、幹部会を経て、中央委員会総会で決定されました」とある。

 しかし、これも変な話だ。常任幹部会をして調査問責(普通、これは査問と云う)機関にしていることがそもそもオカシイ。それこそ機関運営主義を逸脱した越権行為ではないのか。党員の規律違反は、機関運営主義の観点から云えば規律委員会あるいは訴願委員会が管掌することではないのか。日共は、この弁で、常任幹部会は何でも裁断できる最高機関であるという実態を思わず露呈させている。その常任幹部会を宮顕ー不破ー志位ラインが牛耳っているとすれば、組織の私物化でしかない。が、これが実態である。

 赤旗曰く、「なお、議員辞職は、規約にもとづく処分ではなく、常任幹部会が道義上の立場に立って筆坂氏に勧告し、筆坂氏がこれを受け入れておこなったものです」とある。もはや注釈は必要なかろう。常任幹部会を仕切る不破が、恩着せがましく慈悲で「勧告」し、筆坂が自ら辞任を申し入れたのだと、聞こえのよいように体裁を取り繕っているだけのことではないのか。

 週刊新潮編集部は、「上記処分決定にあたり、共産党本部に一枚の「セクハラ」事件に関する「怪文書」が届き、それにより筆坂氏に対する処分が変更されたということはございませんか」と問い、「怪文書」を通じて当初の警告処分から罷免処分に向った経緯を質している。

 これに日共党中央は何と応えたのか。赤旗曰く、「常任幹部会は当初、ことが公表されたときに、被害者が受ける影響などを考慮して、常任幹部会の内部にとどめる処分とすることを確認しました」と述べ、当初は比較的処分の軽い警告処分であったことを認めている。ところが、ここから詭弁を弄する。それが罷免処分に代わったのは、「常任幹部会の規律担当者の思い違い」であり、「規約の規定によれば、党中央委員にたいする処分は、すべて中央委員会総会での決定を必要とするものであり、常任幹部会の内部にとどめる処分はありえません。そこで、次の常任幹部会で、(1)で述べた処分をあらためて決定しました」と云う。つまり、当初が規約違反の間違いで、後の訂正が規約遵守であると述べていることになる。

 この詭弁は、日共規約の不備のボロも思わず露呈させている。「規約の規定によれば、党中央委員にたいする処分は、すべて中央委員会総会での決定を必要とする」にせよ、まずは規律委員会あるいは訴願委員会で審議されるべきではないのか。この審議を飛ばしていきなりの「常任幹部会決定」こそ規約違反ではないのか。この規約違反を問わず、「常任幹部会の規律担当者の思い違い」にすり替えていることこそ問題ではないのか。普通これを「鼻くそのなすくり」と云う。

 赤旗曰く、「なお、処分の最終決定をおこなった常任幹部会会議には、筆坂氏は『体調不良』を理由に出席しませんでしたので、翌日、常任幹部会のメンバーが、確認した内容を伝えましたが、筆坂氏は、それを全面的に受け入れることを表明しました。さらに、この問題を報告・審議する幹部会会議および中央委員会総会で弁明を述べる権利があると伝えたのにたいしても、『事実はその通りであり、弁明するつもりはない』と答えました」とある。

 ここが、トドメの大嘘である。してはならない規約違反でも有る「欠席裁判」を「体調不良」のせいにし、「党中央決定の威力による申し渡し」を筆坂が受け入れたことを、あたかも自主的な「全面的に受け入れ」の如く描いている。「弁明の機会を与えた」が、本人が自主的に「弁明するつもりはない」と述べたと云う。赤旗は、「処分の決定は、以上の経過によるものです」と居直っている。

 この下りの大嘘は、こたびの筆坂の「日本共産党への弔辞」が暴いている。事実は、「この処分に対しその場で不承不承ながら了承した」と述べている。「つらいだろうが、筆さんには記者会見してもらう」と指示されたことも明らかにしている。その記者会見が、不破の横槍で二次被害を理由にドタキャンされたことも明らかにしている。

 赤旗曰く、「記者会見をすれば、質問がセクハラ事件の具体的内容に集中することが予想されました。そうなると、被害者の人権とプライバシーの侵害という二次被害の危険が生まれます。それは避けるべきだという判断から、記者会見をしないこと、また記者との個別接触をしないように話しました」とある。

 話は戻るが、「カラオケボックス内ディェット時の腰への手回し」程度で、「二次被害」などとどの面下げてマジに云うのか。党の政策委員長として国民の前に足繁く登場していた国会議員を辞職させるのに、「記者会見をしないこと、また記者との個別接触をしないように話しました」などとどの面下げてマジに云うのか。政治責任の重みから云えば、断じて記者会見するのが筋であろう。ところが、日共内では全てが逆さまになる。

 週刊新潮編集部は、「筆坂氏が議員辞職して以降、暫くの間、どこの支部にも属さず、党費も納めていなかったというのは事実ですか。また、事実だとすれば、その期間はどれくらいで、その理由は何だったのですか」と問い、その経緯を質している。

 赤旗曰く、「手続き上の手違いから所属支部が確定しないかのような状態がしばらくつづいていました。筆坂氏からその事実を指摘して改善の要望があり、ただちに所属支部を明確にする措置をとりました」とある。つまり、「手違いであり他意はなかった」と云っていることになる。しかしなぁ子供だましもエエカゲンニセンカイ。宮地健一氏も新日和見事件でも暴露されているが、手前たちはいつも飼い殺しにするではないか。

 週刊新潮編集部は、「筆坂氏が『前衛』(二〇〇四年十二月号)に論文を掲載するにあたり、同時に自己批判文の掲載を条件にしたというのは事実ですか。また、事実だとすればそれは誰の指示だったのですか」と問い、その経緯を質している。

 赤旗曰く、「財界研究の論文執筆という問題は、最初、不破議長が筆坂氏に提起したことでした。論文が仕上がって『前衛』誌などに掲載することになれば、筆坂氏の党機関紙誌での、事件後初めての公的な発言であり、セクハラ問題について、筆坂氏自身がどういう立場に立っているかについての自己検討を述べることが、不可欠の前提になります。不破議長は、最初に研究問題を提起したさい、この問題をあわせて話し、筆坂氏がそれに同意して、論文の作業にとりかかったことでした。論文の冒頭に自己批判の文章が書かれたのは、こういう経緯によるものです」とある。

 云えば云うほどボロを出している。党中央に絶対権限振るっているのは不破議長であり、筆坂を煮て食うなり焼いて食うのは不破の裁量に任されていることを暴露している。

 週刊新潮編集部は、「筆坂氏は本年七月に共産党を離党したわけですが、事前にその旨を告げられた志位和夫委員長と筆坂氏とのやり取りをお教えください」と問い、その経緯を質している。

 赤旗曰く、「筆坂氏から、志位委員長あてに、離党と本部勤務員辞職の申し出があったので、志位委員長が会って意思を確認しました。離党の意思が固かったので、志位委員長はこれを了承しました。そのさい、筆坂氏は「離党しても、党を裏切ることはしない」と言明しました。正規の手続きをとった上で、七月十九日、離党と本部勤務員辞職が認められたことを、人事局から筆坂氏に伝えました」とある。

 「離党しても、党を裏切ることはしない」とは、筆坂が見聞きしてきた日共の数々の悪行を暴露しないという密約を意味している。

 以下は、遣り取りそのものがくだらなさ過ぎるので割愛する。筆坂が余計にコケにされているだけのことである。これがかっての最高幹部同志の遣り取りかと思うと寂寥を通の越すのはれんだいこだけだろうか。

 2005.9.27日 れんだいこ拝


【日共の反論「週刊新潮での筆坂秀世氏の一文について」】
 2005.9.22日、日共党中央は、日本共産党中央委員会広報部名で、赤旗「週刊新潮での筆坂秀世氏の一文について」を発表した。これを転載しておく。
 一、今週発行された『週刊新潮』(九月二十九日号)に、筆坂秀世氏の一文「日本共産党への『弔辞』」が掲載されました。

 これに先だって、十六日、『週刊新潮』編集部から「共産党広報部」あてに、「小誌『週刊新潮』九月二十一日発売号において、筆坂秀世・元共産党政策委員長のインタビュー記事を掲載する予定です。つきましては、いくつか質問させていただきたく存じます」「お忙しい中、たいへん恐縮ですが、本日(九月十六日)中にご回答いただければと存じます」として、十項目の質問がよせられました。広報部は、その日のうちに、質問にそくして回答をおこないました。

 ところが『週刊新潮』編集部は、わが党の回答について一言もふれることなく、筆坂氏の言い分を一方的に掲載しています。筆坂氏の一文は、セクハラをおこなったという事実は認めているものの、その後、党がとった対応について、事実をゆがめる内容がふくまれています。そこで、わが党が編集部にあてた回答文を、ここに公表するものです。

 二、筆坂氏の“経過説明”には、事実に反する点が多く含まれていますが、主要な事実は、編集部あての回答文のなかで説明されているので、ここでは、筆坂氏が力を入れている処分決定の経過について、若干の補足的な説明をおこなっておきます。

 (1)この問題では、被害者から訴えのあったセクハラ問題については、事情を聞いた最初のときに、筆坂氏は、事実は被害者の訴えのとおりだと認め、提出した自己批判の文章で、過去にも触れながら、自分にそういう弱点があるという反省を書き、いかなる処分も受け入れると述べ、常任幹部会の会議でも、同じ態度をとりました。

 自分が事実を認め反省の言葉を述べたことは、筆坂氏も、否定できないようで、筆坂氏は、セクハラ問題の有無ではなく、もっぱら「処分の経過」を問題にしています。

 (2)筆坂氏は『週刊新潮』の一文のなかで、自らの処分の経過について、二〇〇三年六月九日の常任幹部会では警告処分とされていたが、その後、「筆坂氏のセクハラの事実を公表する」とした告発のファクスが党本部にとどけられたため、六月十六日の常任幹部会で、中央委員罷免へと処分内容が変更されたと述べています。

 しかし、筆坂氏の処分の事実経過は、回答文で述べているとおり、(1)常任幹部会は当初、ことが公表されたときに、被害者が受ける影響などを考慮して、常任幹部会の内部にとどめる処分(具体的には警告処分)とすることを確認した、(2)しかし、これは、常任幹部会の規律担当者の思い違いで、規約の規定によれば、党中央委員にたいする処分は、すべて中央委員会総会での決定を必要とするものであり、次の常任幹部会で中央委員罷免という処分をあらためて確認した――というものです。

 この経過のなかで、告発のファクスが党本部によせられたことをはじめ、筆坂氏の問題について、さまざまな情報や意見が常任幹部会によせられた事実がありますが、筆坂氏の処分は、回答文で述べているように、党規約の厳正な適用という立場からおこなわれたものです。

 ところが筆坂氏は、このいきさつについて、浜野副委員長から、「もし(告発者によって)公表されると常任幹部会が甘い処分をしたと批判される、そこで中央委員を罷免する」とつげられたと述べています。

 しかし、これは事実の正確な記述ではありません。浜野副委員長が、そこで述べたのは、「先の常任幹部会で警告処分を確認したが、党規約の運用について思い違いがあった。中央委員の処分は、中央委員会総会で決定しなければならず、その処分内容は内部にとどめることはできず、公表しなければならない。公表する以上は、筆坂氏の社会的責任の重さからみて、中央委員罷免とせざるをえない」ということでした。

 浜野副委員長の説明にたいして、筆坂氏は、涙を流しながら、「忙しい時にこんなことで何度も手をわずらわせて申し訳ありません。処分内容は全面的に受け入れます」と表明しました。

 さらに、この問題を報告・審議する幹部会会議および中央委員会総会で弁明を述べる権利があると伝えたのにたいして、筆坂氏は、「事実はその通りであり、弁明することはありません」と答えました。これが処分の決定までの事実経過です。

(私論.私見)
 日共党中央広報部の「週刊新潮での筆坂秀世氏の一文について」を解析する。何と日共は、「ところが『週刊新潮』編集部は、わが党の回答について一言もふれることなく、筆坂氏の言い分を一方的に掲載しています」と述べている。「一方的な掲載」を批判しているのか「掲載そのもの」を批判しているのか分からないが、その程度のことは出版の自由、表現の自由の範疇のことではないのか。異論があれば次号で反論掲載すれば良いだけのことではないのか。

 筆坂が「日本共産党への弔辞」で問題とした「処分決定の経過について、若干の補足的な説明を行う」として、当初の警告処分が罷免処分に変わった点について、概要「回答文で述べているとおり常任幹部会の規律担当者の思い違いで内部処理したものであり、規約通りに処理して罷免処分したので異存あるまい」式の返答をしている。

 しかし、党の№4の地位にある者を放逐するのに、「常任幹部会の規律担当者の思い違い」を平然と記す態度は噴飯ものではないのか。いくら詭弁を弄しようとも、既に指摘しているように事件にもならない程度の事を勝手に大げさにさせて失脚させ、巧みに口実つけているだけではないのか。その方が政治責任上重かろうに何を正義ぶっているのだ。

 浜野副委員長の次のような弁「先の常任幹部会で警告処分を確認したが、党規約の運用について思い違いがあった。中央委員の処分は、中央委員会総会で決定しなければならず、その処分内容は内部にとどめることはできず、公表しなければならない。公表する以上は、筆坂氏の社会的責任の重さからみて、中央委員罷免とせざるをえない」を全肯定している。

 これも繰り返すが、中央委員たる者を処分するのに、規律委員会ないしは訴願委員会にもかけずに、欠席裁判の上で常任幹部会でいきなり処分したのではないのか。それこそ党規違反ではないのか。それとも常任幹部会なら何でもできる権限が与えられているというのか。それは不破派の独裁ないしは党の私物化を示しているのではないのか。

 補足して、筆坂の盲従ぶりをさらけ出して、「野副委員長の説明にたいして、筆坂氏は、涙を流しながら、『忙しい時にこんなことで何度も手をわずらわせて申し訳ありません。処分内容は全面的に受け入れます』と表明しました」、「さらに、この問題を報告・審議する幹部会会議および中央委員会総会で弁明を述べる権利があると伝えたのにたいして、筆坂氏は、『事実はその通りであり、弁明することはありません』と答えました。これが処分の決定までの事実経過です」と付け加えている。 

 この言い回しをどう受け取るべきだろうか。いつもの「相手の恥部を拵えておき、必要なときにいつでも晒す手口」ではないか。何回も使えば次第にミエミエで飽きられるというのに寒い話だ。

 2005.9.27日 れんだいこ拝


Re:れんだいこのカンテラ時評300 れんだいこ 2007/06/06
 【筆坂の恐るべき恥ずべき理論貧困考】

 筆坂秀世著「日本共産党」を、れんだいこは読んでいないが、P.114~117に次のように記していると云う。

 あの戦時中の過酷な弾圧下で、一二年間も牢獄につながれながら非転向を貫いた宮本氏は、私たちにとっては次元が違いすぎて憧れることすら憚られるほどの大きな存在であった。私が日本共産党に入党して以降も、「仮に宮本さんのような弾圧を受けたら黙秘でがんばることができるか」と自分に問いかけ、到底その自信がない自分に恐れおののいたものである。戦後、いまの共産党の路線をつくりあげたのは、間違いなく宮本氏の卓越した政治的眼力とリーダーシップであった。

 (引用以上)

 これが宮顕履歴と評価の通説であるが、れんだいこは、論文集宮顕論(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron.htm)でその大ウソを完膚なきまでに論証している。しかし、通説を信仰的に信じたいのだろう、相も変わらず通説が何の疑問も無く受け入れられている。これを如何にすべきか。通じ無い相手には何を云っても通じないと云うことだろうか。

 一応逐一コメントしておく。
 「あの戦時中の過酷な弾圧下で、一二年間も牢獄につながれながら非転向を貫いた宮本氏は、私たちにとっては次元が違いすぎて憧れることすら憚られるほどの大きな存在であった」について。宮顕が12年間収監されていたことは史実であるが、非転向は疑わしい。というより、非転向というよりも元々当局派の者であり、スパイMと入れ替わるようにして党中央に登場してきた形跡がある。よって、調書も取られていないし、特高暴力にも遭っていない。

 当人が「こいつには何を云ってもムダだ」と特高取調官をしてあきらめさせたなどと主張しているのは出鱈目である。それを真に受ける方もデタラメである。この云いに疑問があるならいつでも論戦してみたい。れんだいこの観点は宮顕論に中で述べている。

 「私が日本共産党に入党して以降も、『仮に宮本さんのような弾圧を受けたら黙秘でがんばることができるか』と自分に問いかけ、到底その自信がない自分に恐れおののいたものである」について。筆坂がそう思うのは勝手だが、対象とするなら岩田、(野呂)、小林多喜二等々即刻虐殺された者とか、半死半生の目に遭わされた者とかであろう。みんな黙秘で頑張って命をとられたり同様の酷い目に遭わされた。黙秘で頑張って敵をあきらめさせたなどとの弁を信ずる方がおかしかろう。サヨ圏にはこういう低脳が多い。

 「戦後、いまの共産党の路線をつくりあげたのは、間違いなく宮本氏の卓越した政治的眼力とリーダーシップであった」について。前段の「戦後、いまの共産党の路線をつくりあげたのは、間違いなく宮本氏」は、今日の日共を作り上げたという意味ではその通りである。後段の「宮本氏の卓越した政治的眼力とリーダーシップであった」は噴飯ものである。

 宮顕総路線が今日の日共のテイタラクを作ったのであり、その後半を不破が引き受けた。中共の長征は誇るに足りるものであるが、日共の長征は讃美されるものではなく酸鼻されるべきことである。日共とは名ばかりの、権力には投降型の穏和運動、左に対しては急進的な撲滅運動という変態運動を作り上げ、戦後左派運動の息の根を止めてしまった。大衆団体の反戦平和運動に分裂を仕掛け、影響力を大きく殺いでしまった。戦前の遺産をすっかり食い潰してしまった。

 議会路線を敷いた当初は景気がよかったが、現在は停滞ないしは後退し続けており、それというのも左派的議会闘争など何もしていない故にである。ネオ・シオニスト奥の院の指令に基づき、政敵のスキャンダル暴露党という役割で利用され、これを引き受けているに過ぎない。人民大衆は食傷しきっている。

 筆坂は党の政策委員長を務めた経歴を持つが、その党及び党史に対する知識は驚くほど貧相なものでしかない。離党した彼が為すべきは自己批判であり、それを通しての日共革命ないしは新党創出であろう。そうすれば彼の働きどころは幾らでもあろう。過去に頬かむりしていては信頼は受けられまい。

 2007.6.6日 れんだいこ拝




(私論.私見)