筆坂の日共党中央批判/考

 (最新見直し2006.5.30日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 日共の政策委員長として権勢を振るってきた筆坂が失脚し、離党後半年余こたび「日本共産党」の題名の著作を発刊した。2006.4.20日初版であるが、実際には数日前に発売された。セクハラ事件については、既に「筆坂失脚事件考」で考察している。これに日共党中央は久方に大仰な対応で反論体制を敷いた。早速の4.19日に不破議長が、4.20日、幹部会副委員長・浜野 忠夫が、4.21日、志位委員長が反論を赤旗に掲載した。

 おかしなことに今のところ「さざなみ通信」でさえ、関連の投稿がさほど為されていない。2チャンネルに「筆坂秀世『日本共産党』(新潮新書)を読む」のスレッドが立ったが、内容のある議論が為されていない。寒いことである。例によって、れんだいこが斬り込むことにした。

 2006.4.22日 れんだいこ拝


れんだいこのカンテラ時評その160 れんだいこ 2006/04/20
 【れんだいこの書評「筆坂秀世著『日本共産党』」】

 れんだいこは、「左往来人生学院掲示板」での2006.4.17日付投稿「れんだいこのカンテラ時評第159」で次のように記した。
 こたび筆坂が興味深そうな暴露本を出版したようである。宮顕がどう不破がどうというより、自身が参席した幹部会の会議の様子をこそ明らかにさせるべきであろう。左派運動の指導部としては凡そ不具合な陰険謀議にうつつを抜かしていただろうと思われる。

 早速書店に行き、筆坂著「日本共産党」(新潮文庫、2006.4.20日初版)を購入して中身を確認した。れんだいこの予想通りの日共党中央の腐敗を内情暴露しており、いわば内部告発本となっている。(実際には筆坂は離党しているので、正しくは内部告発というより内情告発と云うべきだろう) 筆坂は、日共党中央からの迫害が予見される危険を顧みず、何故敢えて我が身に引き受けたか。ここに関心がもたれる。

 れんだいこは、次のように推理する。その1の理由として、筆坂は、宮顕ー不破ラインの不倒翁執行部による党中央の腐敗が一般に予想されている以上に酷いものであり、自身の人生の過半を投じた党活動履歴の自負に賭けてこれを告発せざるを得なかった。その2の理由として、宮顕ー不破ラインの不倒翁執行部の腐敗は、もはや自浄能力を欠いているどころか養分を吸い尽くした後の立ち枯れ木状態にあり、むしろ筆坂の駄目押しを期待していると読んだ。その3の理由として、その2に関連して、党中央にはもはやかっての宮顕御用的特務機関の威力が無く、彼らも党中央の腐敗を持て余しており、故に迫害されない。迫害されるほどの力が無い。

 筆坂は以上のいずれかの読みから「日本共産党」を出版したものと思われる。れんだいこに云わせれば、筆坂の告発は、党中央に居合わせた者からの宮顕ー不破ライン執行部の際限の無い腐敗暴露という点で希少価値がある。その威力は、袴田の「昨日の友へ」以来のものであろう。袴田が宮顕を、筆坂が不破を告発したことになる。願うらくは、筆坂は、知りえた情報をもっと公開し、歴史に遺さねばならない。それは、党中央潜入スパイ派の実態を暴露する意味で貴重なドキュメント証言となろう。

 彼らは、能力の不足により党指導を歪めたのではない。党の換骨奪胎を狙う異分子故に能力を党指導を歪めるように使う。御身保全だけでは理解できない数々の反革命的悪行に手を染めている。筆坂が暴露すればするほど、れんだいこのこの指摘の正しさが確認されることになるだろう。故に、筆坂は口封じされる運命にある。永遠にか金銭でか、それは分からない。

 筆坂の告発は、日共の現綱領、現路線を概ね肯定的に捉えた上で、派生的腐敗を告発するというスンタスに特徴がある。故に、不破ー志位執行部は逆に反撃し辛(づら)い。党内事情の酸いも甘いも、手の内を知り尽くした相手であるだけに、これまでと同じような批判を浴びせる訳にはいかない。そういう意味で、当面様子見の黙殺以外に手の施しようが無いと思われる。

 れんだいこの診るところ、筆坂の政治能力は宮顕ー不破イデオロギーにかなり深く洗脳されており、その分詰まらない。如何にうまく使われ、使い捨てにされたのかの両面に於いて、使い捨てにされたことによる反発から事を為している様子は伝わるが、如何にうまく使われたのかの分析がまるで出来ていない。

 筆坂が正気に戻るにはもう少し日数がかかるのかも知れない。付言すれば、かっての新日和見事件の被害者達の心情もそのようなものであった。彼らは決して日共の路線批判にまでは向わない。その分物足りない。

 以上が、筆坂の内情告発に対するれんだいこの総合感想である。以下、個別に検討してみたい。

 まず、宮顕観について見ておく。筆坂は次のように述べている。
 「あの戦時中の過酷な弾圧下で、12年間も牢獄につながれながら非転向を貫いた宮本氏は、私たちにとっては次元が違いすぎて憧れることすら憚られるほどの大きな存在であった。私が日本共産党に入党して以降も、『仮に宮本さんのような弾圧を受けたら黙秘で頑張ることができるか』と自分に問いかけ、到底その自信がない自分に恐れおののいたものである。戦後、今の共産党の路線をつくりあげたのは、間違いなく宮本氏の卓越した政治的眼力とリーダーシップであった」。

 「筆坂の宮顕観」は、拵えられた通説に過ぎない。れんだいこは、宮顕論でそのウソを告発し抜いている。にも拘わらず何の弁証も無くこれを無視し続け、通説の俗説に固執するのはいわば「サバの頭」を信仰しているに過ぎない。そう思いたい故に我はそう思う、という手合いに漬ける薬は無いので処置無しと云える。

 れんだいこ史観によれば、宮顕が「12年間も牢獄につながれながら非転向を貫いた」という神話自体のウソさ加減に思い至らない頭脳では政治指導者としてそれだけで失格であろう。逆に、「即時虐殺された幹部が居る中で、何故宮顕だけが非転向を貫けたのか」を問うことこそが事態の核心に迫ることのできる道である。

 実際には、数々の資料と証言を付き合わせれば、宮顕は監獄内で放し飼い状態にあり、特段の拷問も受けていないと理解すべきである。従って、「仮に宮本さんのような弾圧を受けたら黙秘で頑張ることができるか」などと問い、恐れおののく必要は無い。「黙秘で頑張ることができる」などという事は在り得ない。それが在り得たという事は、宮顕と当局が共同して拵えた神話であり、ここに疑惑を持たねばならない。

 何なら、当時の特高の誰それに確認すればよかろう。「当時、黙秘で、取調べを頑張り通すことが出来ましたか」と。れんだいこの結論は「有り得ない」。故に、それを在り得たとするのは、陰謀により生み出されたフィクションでしかない。

 故に、筆坂の「宮本氏の卓越した政治的眼力とリーダーシップ」を高く評価する見識もいただけない。実際は、日共を今日の如く役立たずにしてしまった路線を敷いた張本人であり、それも意図的故意に「闘う日共解体戦略」に基づき持ち込まれたものに過ぎない。もうこれぐらいにしとこ。

 次に、筆坂が、数々の疑惑追及につき国会で追求したことを次のように自画自賛している。
 「田中金脈事件、ロッキード事件、KDD汚職、KSD汚職、内閣官房機密費問題、ムネオ事件等々、日本共産党が抜きん出た調査力を発揮した汚職・腐敗事件は多い」。

 筆坂が思いつくままに挙げた「日本共産党が抜きん出た調査力を発揮した汚職・腐敗事件」は曲者である。れんだいこの観るところ、日共の疑惑追及は背後で操作されたような訴追の仕方が多く、むしろそこをこそ詮索すべきであろうに、筆坂は今に至るまで無自覚なようである。

 時に特ダネを飛ばすが、不自然に入手された特ダネが多い点を気にかけるべきだろう。特に、政府自民党内のタカ派とハト派の抗争に於いて、専らハト派の不祥事追求に精力的になる癖の原因を解明すべきだろう。中曽根ー小泉系譜のシオニスタン系タカ派の汚職・腐敗事件例えばFX選定事件、ダグラス・グラマン事件、リクルート事件等々に関して、誇るほどの訴追をしなかった原因をこそ探るべきだろう。

 筆坂はその他、幹部会、党財政、政党助成金、民主集中制、党勢拡大運動、選挙総括、党内選挙、党内人事、党指導部、党員、拉致事件、自衛隊、皇室、民主連合政府等々に関わる諸問題での党中央の対応を批判している。それぞれの論点を列挙すればキリが無いので割愛するが、宮顕ー不破ー志位党中央の恐るべき空疎な指導ぶりを明らかにしている。

 要するに、「至らない者が至ろうとして生起させた諸問題ではなく、党中央が党をわざと至らせない為に仕組んだ数々の不祥事問題」として受け止めない限り理解できない、ということである。ここを見抜かずにマジメそうに注進する者が後を絶たないが、党中央は分かった上で意図的故意にやっているという認識に立つ必要がある。たとしたら、注進者より役者が上ということになろう。このことが分からない下手な役者の正義ぶりが多過ぎる。

 2006.4.20日 れんだいこ拝

【不破議長の反論】
 2006.4.19日、赤旗は、不破議長の「筆坂秀世氏の本を読んで」を掲載した。これは貴重な反論ゆえ転載しておく。

 2006年4月19日(水)「しんぶん赤旗」 筆坂秀世氏の本を読んで 不破 哲三

 筆坂秀世氏が、『日本共産党』(新潮新書)という本を出しました。氏は、二〇〇三年六月にセクハラ事件で党中央委員罷免の処分を受け、参議院議員を辞職したあと、二年ほど党本部に在籍しましたが、〇五年七月、みずから離党を申し出て日本共産党を離れました。同年九月二十九日号の『週刊新潮』に「日本共産党への『弔辞』」と題する「特別手記」を掲載し、党に敵対する立場を明確にしました。

 この本を読んだ不破哲三前議長から、次の一文が本紙に寄せられましたので、掲載します。

 ここまで落ちることができるのか

 筆坂秀世氏の日本共産党攻撃の書を読んでの感想は、一言でいえば、ここまで落ちることができるのか、という驚きである。

 筆坂氏によれば、自分は「プライドを取り戻す」ために党を離れ、共産党の「実像」を国民に知らせるためにこの本を書いた、とのことである。

 しかし、彼が自分の「プライド」を傷つけられたという筆坂問題とは、だれかが彼をおとしいれたという問題ではなく、彼自身がひきおこした問題である。筆坂氏自身がやった行為について、一女性からセクハラの被害をうけたという訴えがあり、当人にただしたら、訴えの事実があったことを認め、女性への謝罪の意思を示すとともに、自分の性癖についても、「刹那(せつな)的な享楽」を求めて同じような行為に出たことがこれまでにもあったことを認め、そのことを自分から「自己批判書」に書いて提出した。それにたいして、規約にてらして処分をおこなったのが、筆坂問題だった。

 しかし、今回の本では、自分の行為で被害を受けた女性への一言の謝罪の言葉もなく、「なぜセクハラという訴えになったのか、今もって不可解」と、問題がまるで“冤罪(えんざい)”であったかのように見せかけている。本当に“冤罪”だと思ったのなら、なぜ、そのとき、正々堂々と自分の態度を説明しなかったのか。そして、いま、問題を“冤罪”にすりかえることで、自分の“プライド”を取り戻そうとしているのだとしたら、それは、人間のモラルというものを、自分本位の立場で、あまりにも安易に捨て去ることではないか。

 筆坂問題で、被害を受けたのは、当の女性だけではない。全国の多くの党員が国民のあいだでの活動でどんなにつらい思いを経験したか。国民のあいだでの日本共産党の信頼性がどれだけ傷つけられたか、党が受けた打撃は、はかりしれないほどのものがあった。しかし、全国の党員たちのそういう思いには、筆坂氏はまったく目を向けようとはしない。それどころか、日本共産党を攻撃する本のなかで、自分こそ草の根の党員の代表者だ、といったそぶりで、党中央への文句をならべて見せる。

 私は、これまでの党生活のなかで、党員としての立場を捨てて敵対的な立場に移った人びとを少なからず見てきたが、このような厚かましさは、私の経験にはほとんど前例がないものである。

 驚かされたことは、もう一つある。たとえ、政治的にどんな立場をとろうと、言論で活動しようとする者なら、事実を尊重するという精神は、欠くことのできない資格条件となるはずである。しかも、筆坂氏は、この本の発行にあたって、かつて党の常任幹部会委員の部署にあったものとして、外からは見えない“日本共産党の本当の姿”を書くということを最大の売り物にしている人物である。

 私は、筆坂氏の次々持ち出してくる“本当の姿”なるものに一つ一つ付き合うつもりはないが、私の立場上、どうしても触れる責任があると思う二、三の点についてだけ、発言しておきたい。

 筆坂氏の語る「真相」とは……

 私は、ある週刊誌にこの本の予告的な報道記事が出たとき、それを読んで目を疑った。記事には、「宮本顕治氏(97)の議長引退の真相が初めて明かされた」というリードがつけられ、本文には、筆坂氏の本からの次のような引用があった。

 「宮本氏は……まだ引退するつもりなどなかった。不破氏が数日間の大会期間中、その日の日程が終わると東京都多摩市の宮本邸まで行って、『引退してほしい』と説得し続けたのである。(中略)宮本氏の秘書をしていた小林栄三常任幹部会委員(当時)も同行したように聞いている」。

 党の大会のことをまったく知らない人ならいざ知らず、少しでも大会の様子を知っている人なら、党の委員長であるとともに大会での中央委員会報告の報告者である私が、日々の日程が終わったあと、毎晩、伊豆多賀の大会会場から東京に取って返し、宮本邸を訪問しては伊豆多賀にとんぼがえりをしていたなどとは、想像しがたいことだろう。実際、日本共産党が、伊豆多賀の党学校で大会を開くようになってから、すでに二十九年たつが、その間の十一回の大会期間中、私が東京に帰ったのは、二〇〇〇年秋の自民党内の“反乱”――いわゆる“加藤の乱”――の時、大会への報告を終えたあと、国会議員の責任として、夜の衆院本会議にかけつけ、未明に大会会場に帰ったという経験が一度あるだけだ。

 “本当にこんなことが書いてあるのか”と半信半疑の気持ちで、後日、発売された本を開いてみると、「宮本議長引退の真相」と銘打った部分に、予告されていた通りの文章があった。

 これは、筆坂氏の頭のなかでつくりだされた虚構と妄想の世界での話としか、考えられない。

 宮本さんの退任の経過について

 筆坂氏がつくりだした「真相」なるものが、マスメディアでずいぶん流布され、誤解も広まっているので、私は、当事者の一人として、正確な事実をお伝えする責任を感じている。

 宮本さんの議長退任が決まったのは、一九九七年九月の第二十一回党大会だったが、その一つ前の第二十回党大会(一九九四年)の直前に、宮本さんは、脳梗塞(こうそく)の発作を起こしてたおれ、大会には出席できなかった。その後、一定の回復をして、中央委員会の総会には顔をだしあいさつや発言をしていたが、病気の進行とともに活動上の困難が強まってきた。九七年を迎えたころは、中央委員会総会への出席でも車いすが必要となり、発声の苦しさも周囲から目にみえるようになった。

 九七年五月の中央委員会総会で、九月に大会を開くことが決まったあと、私は、長くいっしょに活動をしてきた者として、宮本さんの退任の問題について、二人での話し合いを始めた。高齢という問題もあるが、いまの健康状態で議長の職務を続けることは、党全体にとっても、ご当人にとっても適切なことではない、と考えての提起だった。戦前・戦後、党中央で一貫して活動してきたただ一人の幹部という経歴からの思いもあり、一致した結論にいたるまでには、時間がかかったが、九月に入って間もなく、話し合いがまとまった。大会にたいする報告を承認する中央委員会総会(九月二十日)を終えたあと、私と志位書記局長(当時)の二人が宮本さんと会い、二人が議長退任の申し出を受けた。この間、筆坂氏がいうような、小林栄三さんが、私に同行したり、話し合いに同席したりした事実はまったくない。

 こうして、宮本さんの退任の問題は、大会開催(九月二十二日)までにすっかり解決していたことだった。

 党大会では、二日目の夜、常任幹部会を開いて、宮本さんの退任問題を報告、翌三日目には、夕方から幹部会および中央委員会総会をひらいて、同じ報告をおこなった。このことを前提にして、中央委員会として大会に提案する中央役員および名誉役員の推薦名簿を作成した。

 この日程を見ていただければ、筆坂氏のいう「真相」など、入り込む余地がまったくないことがお分かりいただけるだろう。

 自分でつくった「ガセネタ」を自分で流す

 さらに重要なことがある。いま説明した日程には、筆坂氏自身も参加していた。彼は、当時、中央委員で幹部会委員だったから、大会三日目の二つの会議には参加して、その報告を聞いていた。だから、自分の記憶に忠実でさえあるならば、筆坂氏がいうような日程などありえないこと、つまり、自分が「真相」として宣伝するものが、小泉首相の用語法にならえば「ガセネタ」であることを重々承知していたはずである。

 なぜ、このような「ガセネタ」が筆坂氏の頭に浮かんだのか、それは私の知るところではない。しかし、まったく事実になく、道理から言ってもありえない「真相」話を、彼が自分でつくりあげて、それをこの本を通じてマスメディアにふりまいたことは、まぎれもない事実である。民主党のメール問題では、「ガセネタ」の情報源と流布者は別人だったが、筆坂氏の場合には、「ガセネタ」の情報源と流布者が同一人物なのである。それだけ、その罪の重いことは明りょうだろう。

 筆坂氏の本には、日本共産党の内部事情なるものについて、数多くの「真相」話がもりこまれている。しかし、もっとも人目を引く「真相」話としてマスメディアに売り込んだ「宮本議長引退の真相」なるものが、こういう手法で製造された「ガセネタ」だったとなると、その他の「実像」話のつくられ方も、おおよそ想像がつくのではないだろうか。

 「不破議長時代の罪と罰」とは……

 筆坂氏は、その本の後半に「不破議長時代の罪と罰」という章をたてて、「本当に不破議長は完全無欠なのだろうか」と問いかけている。この問いかけはまことに奇妙なものである。どんな人間でも「完全無欠」な人間などありうるはずはないし、私自身についていえば、私は“よりよく、より欠陥すくなく”あることを願いはしても、“完全無欠”な人間になることなど考えたこともない。

 しかも、もう一つ奇妙なことがある。筆坂氏の問いかけは、政策や理論の分野を問題にしているようなのだが、その点で、彼が私の誤りあるいは失敗として問題にしているのは、次の章の「日本共産党の無謬(むびゅう)性を問う」をあわせても、拉致問題での外交交渉を論じた党首討論(二〇〇〇年十月)と民主連合政府のもとでの自衛隊の扱いについてのテレビ討論での発言(同年八月)と、二つの点しかない。私が日本共産党の議長をつとめたのは、第二十二回大会(同年十一月)から第二十四回大会(二〇〇六年一月)までの五年二カ月だが、その全期間を筆坂式で調べても、この二つの問題点しか見つからなかったのだろうか。しかも、二つの問題点なるものは、どちらも私が議長になる以前のことであって、それを「委員長時代」ではなく、「議長時代」の「罪」に数え入れるのは、「看板に偽りあり」ということになろう。

 提起されている二つの問題点については、どちらも、ここに「罪」を求めるのは筆坂氏の独断にすぎない。

 拉致問題での外交交渉についていえば、私が提起したのは、拉致問題とは北朝鮮の国際犯罪にかかわる問題であることを十分に意識した、緻密(ちみつ)な外交努力を求めたのであって、これを“拉致棚上げの主張”と非難するのは、まったくの曲解である。

 その後、小泉首相の第一次訪朝のさいに、北朝鮮側が、拉致という国際的な犯罪行為を犯したことを部分的にもせよ認めた、という展開があった。この第一歩を、問題の根本解決に前進させるためには、国家的な国際犯罪という拉致問題の重大な性格を正面からとらえて、それにふさわしい緻密な外交態度をとることが、いよいよ重要になってきた。そこに、拉致問題の現状の大きな特徴があることを指摘しなければならないだろう。

 また、テレビでの安保論争についていえば、このとき、私が論戦の当事者として確認したのは、私たちの安保政策に、憲法完全実施および国際的な平和秩序の確立にいたる過程での対応論が十分に整理されていない、という問題だった。私たちは、その年の党大会では、それまでの政策をさらに大きく発展させ、民主連合政府のもとで、国民合意のもとにすすめる段階的な安全保障政策と対応する自衛隊政策を決定した。私たちの政策のこうした発展のプロセスは、公開された形で明らかになっていることで、筆坂氏の“内幕”話などが入り込む余地は、なんら存在しない。

 なお、こうして確立した民主連合政府下に憲法完全実施に進む段階的な政策は、次の大会での綱領改定のさい、党の基本政策の一部として、党綱領にとりいれたことを、付記しておこう。


Re:れんだいこのカンテラ時評その161 れんだいこ 2006/04/22
 【不破の筆坂の党批判反論をれんだいこが駁す】

 筆坂の内情告発「日本共産党」を読んで、不破議長はよほど頭にきたらしい。至るところに配慮を欠いた反論をしていることが透けて見えてくる。れんだいこが筆坂になり代わって反論しておこう。

 不破は、「筆坂秀世氏の本を読んで」(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-19/2006041925_01_0.html)で次のように反論している。早くも例の茶坊主が不破反論に沿ってヨイショし始めている。馬鹿馬鹿しいから取り上げない。今のところ、れんだいこのように筆坂の方がまだしもましという観点から立論する者はいないようである。この後は分からないが。

 不破は、筆坂が「日本共産党への『弔辞』」と題する「特別手記」(2005.9.29日号週刊新潮)、「日本共産党」(新潮新書、2006.4.20日初版)により、「党に敵対する立場を明確にしました」と云う。それはそうだろう。問題は、不破が、筆坂の訴えに聞く耳をどれだけ持つことが出来るのかにある。

 不破は、「ここまで落ちることができるのか」という見だしで次のように述べている。早速例のセクハラ事件に反論し、今更冤罪と云うのなら、「なぜ、そのとき、正々堂々と自分の態度を説明しなかったのか」と批判している。

 不破よ、すり代えるな。筆坂は、著書の中で「不自然な経緯」の方に重点を置いて弁明している。お前が為すべきは、「不自然な経緯」に対する否定弁論である。特に、記者会見をしたかったと述べている。不破の指示で直前にキャンセルされたと述べている。これを釈明してみ。

 「筆坂氏の語る「真相」とは……」という見だしで次のように述べている。冒頭、「私は、ある週刊誌にこの本の予告的な報道記事が出たとき、それを読んで目を疑った」と述べている。これは、事前のゲラ刷りのことであろう。不破はそういうものが手に入るようである。

 筆坂の宮顕引退時の経緯に関する記述に触れて、事実と齟齬していることを縷々聞かせる。しかし、筆坂のそれは、末尾が「ように聞いている」とあり、伝聞ということを明示している。そんなものを「事実と齟齬している」と批判しても意味が無かろう。

 筆坂の宮顕引退時の経緯に関する要点は、不破が宮顕に引導を渡したこと、それにより宮顕の法皇的地位を不破が継承したことを示唆していることにある。不破よ、批判するのなら、それが事実と違うのかどうかを弁明してみ。

 お前はこたび、「宮本さんの退任の問題について、二人での話し合いを始めた」、「一致した結論にいたるまでには、時間がかかったが、九月に入って間もなく、話し合いがまとまった」、「私と志位書記局長(当時)の二人が宮本さんと会い、二人が議長退任の申し出を受けた」ことを明らかにした。十分すぎるほど、筆坂の指摘を裏付けているではないか。「この日程を見ていただければ、筆坂氏のいう『真相』など、入り込む余地がまったくないことがお分かりいただけるだろう」と反論したつもりのようだが、俗に云うヤブヘビになっているではないか。

 「自分でつくった「ガセネタ」を自分で流す」という見だしで次のように述べている。「自分が『真相』として宣伝するものが、小泉首相の用語法にならえば『ガセネタ』であることを重々承知していたはずである」という反論もヤブヘビだ。今日の政治状況で、小ネズミが粗雑に使用した「ガセネタ」用語を使う神経が、お前の親小ネズミぶりを思わず吐露している。普通には、政敵の愛用語は安易に借用しないものだ。れんだいこはそう思う。

 「不破議長時代の罪と罰とは……」という見だしで次のように述べている。筆坂の不破批判が、「拉致問題での外交交渉を論じた党首討論(二〇〇〇年十月)」と「民主連合政府のもとでの自衛隊の扱いについてのテレビ討論での発言(同年八月)」の「二つの点しかない」と捻じ曲げた上で次のように云う。

 「私が日本共産党の議長をつとめたのは、第二十二回大会(同年十一月)から第二十四回大会(二〇〇六年一月)までの五年二カ月だが、その全期間を筆坂式で調べても、この二つの問題点しか見つからなかったのだろうか。しかも、二つの問題点なるものは、どちらも私が議長になる以前のことであって、それを「委員長時代」ではなく、「議長時代」の「罪」に数え入れるのは、「看板に偽りあり」ということになろう」。

 これこそ、極め付きの詭弁、すり替え、歪曲であろう。筆坂の不破批判は総花的にあれこれ述べている。決して、拉致問題や自衛隊問題を廻る対応の拙さだけを批判しているのではない。実際に著書を読めば分かることだ。

 次に、「委員長時代ではなく議長時代の罪に数え入れるのは看板に偽りあり」とはどういう意味か。お前が委員長であろうが議長であろうが一貫して党の最高指導者であったお前の指導を批判しているのだろうが。委員長と議長の区別をして難癖つけて何か事態が変るのか。お前はいつもこういう小手先の批判逃れをする。

 「提起されている二つの問題点については、どちらも、ここに「罪」を求めるのは筆坂氏の独断にすぎない」という見だしで次のように述べている。筆坂の批判を「まったくの曲解」だとか、「私たちの政策のこうした発展のプロセスは、公開された形で明らかになっていることで、筆坂氏の“内幕”話などが入り込む余地は、なんら存在しない」と述べることで反論したつもりのようだが、何も云っていないに等しい。

 筆坂はかって党の政策委員長の立場にあった。離党して初めて党の利益を逃れて公平な立場から当時の政策のあれこれを見直す機会を得た。見えてきたものを日本人民大衆に告げる責務を感じた。これが筆坂の偽らざる気持ちであろう。その気持ちに応えるお前の対応は、スピッツがキャンキャン吼えているような代物で、党の最高指導者の風格のそれではない。お前が慌てて感情的に反論したにせよ、そういうことが透けて見えてくるだけの話でしかない。

 最後に伝えておく。この種の論争の場合、最低限必要なことは、当の筆坂の著書に当ることである。その上で、不破の反論を精査することである。当の著書を読まずに読んだ気にされ、不破の反論で事足れりとするのは、いつもながらの煙巻き論法に巻かれるだけのことであろう。

 もう一つ最後に気にかかることを記しておく。筆坂は何気なく次の事実を明らかにしている。2004.11.17日、日共の不破夫妻が、東京元赤坂の迎賓館で、デンマークのマルグレーテ2世女王夫妻招待の夕食会に招かれ参列した。日本側の主賓は天皇皇后夫妻で、夕食会への参加は、日本の政党関係では不破夫妻だけだったとのこと。不破は、見知っている人として俳優の岡田真澄氏や外務省から宮内庁に移っていた役人がいたと伝えている。

 これは何なんだ。政界関係者の中でなぜお前だけが選ばれてこういうところへ出向いたのだ。妙に引っかかるものがある。

 2006.4.22日 れんだいこ拝

【浜野副委員長の反論】
  2006.4.20日、赤旗は、筆坂問題を廻る幹部会副委員長・浜野忠夫の「筆坂秀世氏の本の虚構と思惑」を載せた。これを転載しておく。

 2006年4月20日(木)「しんぶん赤旗」 

 筆坂秀世氏の本の虚構と思惑 浜野 忠夫

 筆坂秀世氏の著書『日本共産党』は、党の内部をよく知る者の“客観的な日本共産党紹介”という体裁を取っているが、端的にいえば、党に敵対する転向者、変節者にお決まりの、虚偽に満ちた自己弁護と党攻撃が、その主要な内容である。この本の何よりの“売り”が、日本共産党のトップの内情をよく知る筆者によるものだという点だから、以前から常任幹部会で活動し、筆坂氏にかかわるセクハラ問題の調査や処分を直接担当した私から、若干の反論をしておきたい。

 セクハラ問題での開き直り

 筆坂氏のセクハラ事件は、党の重要幹部が引き起こした不祥事として、党内外に大きな衝撃を与えた。筆坂氏は、本のなかで、国民との接点で苦労して活動している党員の気持ちに深い理解を寄せているかのようにいうが、それが装いに過ぎないことはすぐわかる。それら苦労している党員・支持者にはかり知れない困難をもたらした自らの不祥事についてのおわびの言葉も、反省もない。それどころか、肝心の被害女性への謝罪さえない。あるのは党への非難なのである。

 「同席した秘書も、その女性が…大いに楽しんでいたと証言している。それがなぜセクハラという訴えになったのか、今もって不可解というしかない」――訴えたのがおかしい、何か裏があったに違いないというのが、氏がこの本で表明している今の心境なのである。

 氏のセクハラによる被害者からの訴えを受けて、志位委員長、市田書記局長、それに私の三人がただちに筆坂氏に会って事実をただすと、氏は率直に事実を認めた。その際、みずから「常任幹部会委員も参議院議員も辞める」といい、涙を流して悔悟の気持ちをのべたのである。そして、事件後最初の常任幹部会会議(二〇〇三年六月九日)の席上、氏が読み上げた「自己批判書」には次のようなくだりも含まれていた。

 「(今回のような行為は)程度の差こそあれ、これまでもあったことを否定できません。ただ、これまでは、誰からも訴えられることはなかったというだけです」

 「私が、共産党に入党した時には、理論的にも未熟そのものでしたが、いまよりもはるかに誇りをもっていたように思います。共産党員である以上、『まわりの人から尊敬されるいい人〔に〕ならなければ』『悪いことはしない』『俺たちが日本の未来をつくるんだ』『みんなのために献身的に働く』等々、本音でそう思って活動していましたし、勉強もしました。だからこそ頑張れたのだと思います。/ところがいまはどうかといえば、この原点というか、この気持ち、姿勢が欠如してきていることが、今回のことにつながっているのではと、いま思っています」

 「女性にたいする自分の感情です。そう強く自覚していたとはおもはないのですが、たとえば、『女性は可愛ければよい』『所詮、女は色取り』というような蔑視があったのかもしれません」

 「今回の私の行為は、どうにも弁解できないものであり、また、弁解するつもりも毛頭ありません。…入党の原点をたえず見つめなおす必要があると考えています」「いかなる処分も受け入れる覚悟です」

 事件後二度目の常任幹部会会議で、筆坂氏の党中央委員罷免・議員辞職勧告という方向を決め、市田書記局長と私が筆坂氏に会ってそれを伝えた際も、氏はそれを素直に受け入れた。処分を決定する幹部会会議と中央委員会総会に出席し、弁明する権利があることを伝えたが、「弁明することはない。出席しない」と明言し、「党にたいへん迷惑をかけた。申し訳ない。忙しいときにこんなことで手をわずらわせて…」などとのべて、涙ながらにわれわれと握手を交わしたのである。私は、このときの彼の言葉や態度は、当時の彼の偽りのない真情だったと思っていた。

 しかし、この当時の自己批判の言葉・態度と、今回の本での言い分が、正反対のものであることは明白である。氏は今度の本のなかで、「共産党員といえども人間である以上、恋もすれば、遊びもするし、酒も飲む。その結果、時には活動をサボタージュしたり、誤りだって犯すこともある」としたうえで、日本共産党内での「自己批判」という問題に言及している。

 「そうそう簡単に自己批判をすることなど、本当に可能なのだろうか。…自己批判なるものを突き詰めていくなら、それまでの自分の生き方、歩み、性格そのものを否定することにだってなりかねない」「(いまの党内では)『自己批判』すらも形式的になり、建前にしか過ぎなくなっているのだ」。自分の自己批判も本心ではなかったですよという予防線のつもりだとすれば、氏の人間性の根本が問われよう。

 氏は、本のなかで、氏の議員辞職の際あるいはその後、氏に記者会見をさせなかったという党の対応にかんして、「共産党からはめられていた猿轡(さるぐつわ)」などの語も使いながら、この対応のために「最後のプライドまでズタズタにされてしまった」とうらみをのべている。あの当時記者会見して“自分ははめられたのだ”といいたかったとでもいうのだろうか。当時の氏の心境からすれば、ただただ謝罪するしかなかったはずではないか。記者会見すれば、セクハラの具体的内容について根掘り葉掘り尋ねられ、それが結果的に、被害者の二次被害を強めることにしかならないことを心配して、止めたのである。

 氏は、「(離党したのは)プライドを取り戻したかったからだ」「プライドを持たない人生などありえない」などと、「プライド」を繰り返している。ここでいう「プライド」が、自己批判のなかでいった「誇り」とはまったく別物であることは明白である。

 氏が党員としての本当のプライド、誇りをもっていたとするなら、傷ついた氏のプライド、誇りは、氏自身の党内での地道な努力によってのみ回復しうるものだった。常任幹部会は、その道をけっして閉ざすことはしなかった。しかし、筆坂氏は、結局その道を進むことができず、いま、自分ではなく党の方が間違っていると主張することで、自分の「プライド」を取り戻そうというのだ。党攻撃によって自らの正当化をはかってきたこれまでの転向者、変節者たちと、何ら変わるところはないのである。セクハラ問題にかんして、氏は、当初の反省を完全にかなぐり捨てて開き直り、党が悪いと主張しているのである。

 偽りの“内幕”話のねらい

 筆坂氏の本に付された帯には、「これが実態だ! 元・最高幹部が赤裸々に明かす『革命政党』の全貌」という文字が躍っている。筆坂氏を励まして離党を勧め応援している人々が、なによりも期待するのは、「共産党ナンバー4」だったと自認する筆坂氏が、日本共産党の指導的中枢の“赤裸々な内情”を、恨みを交えて暴露することである。氏の出版を報じた各紙の見出しも、「共産党批判本」あるいは「暴露本」「内幕本」などとして扱っている。

 もともと日本共産党には、「ナンバー1、2、3…」などという序列はない。党の規約にもとづく任務の分担、機能の分担はあっても、身分的な序列や上下関係はないのである。筆坂氏のように、自分のことを「最高幹部」「ナンバー4」などと自認し、売り物にするような人はいない。それは、筆坂氏が常任幹部会委員、政策委員長などの任務を、身分のように考えていたことの証しでしかない。

 宮本顕治氏引退の経緯にかんする筆坂氏の「暴露」が虚偽であることは、すでに不破前議長の昨日付「しんぶん赤旗」の文章で明白に証明している。「内幕本」「暴露本」の一番の“売り”がこの程度なのだから、他は推して知るべしである。

 筆坂氏は、常任幹部会会議で「志位氏が議題のまとめをするたびに、不破氏が『僕は違うな』といってひっくり返す」「これが週一回の会議のたびごとに繰り返される」、そのために志位氏は「ついにまとめができなくなってしまった」などと書いている。これもマスコミ受けを狙った筆坂氏一流の偽りである。

 筆坂氏が常任幹部会のメンバーだったのは、九七年九月の第二十一回党大会後から、中央委員を罷免された〇三年六月までのことである。志位氏が委員長になったのは、〇〇年十一月の第二十二回党大会以後のことだから、筆坂氏はこの大会以後の二年半を問題にしているようだ。

 常任幹部会の会議では、常に率直な討論がおこなわれている。問題によっては、異なる意見・見解が表明されて議論になることがあるのも当然である。不破氏も、そうした流れのなかで発言している。当時の不破氏が、中央委員会議長としての責任、長い経験と知恵、蓄積に立って出した意見の多くがまとめの内容にとりこまれたのは、当たり前のことである。いうまでもなく、不破氏が意見を出したために、志位氏のまとめができなくなったなどということは、一度もない。毎回、議論のあった問題には志位氏がまとめをし、それが「常幹会議要旨報告」となって中央役員や党本部の各部局の責任者に届けられている。

 筆坂氏が、常任幹部会の“内部事情”をあれこれいいたてるねらいは明白である。自分を、そういう常任幹部会の不当な処分の犠牲者に描き出して、「筆坂=被害者」論をひきたたせるとともに、あわせて、党中央の“対立”を宣伝し、日本共産党の信用を落とす――ここからすけて見えるのは、反共派の立場に身を落とした者の、おなじみの謀略的手口である。

 党員への「共感」を装うが…

 筆坂氏は本のなかで、「こつこつと地道に活動している党員や地方議員には、いまでも素直に頭が下がる思いだ」と語り、氏をたずねて来る党員や地方議員から聞いたと称する苦労話への共感などをのべている。さらに募金、党勢拡大、選挙などの活動について「一般党員」への同情をにじませるような口調で、あれこれならべたてたうえで、筆坂氏が最後にのべる結論は、つぎのようなものである。

 「共産主義社会などまったく将来の展望がないのだから、無理をせずに、強がらずに、普通の国民に好かれて、国民のために活躍する政党になればよいではないか。国民もそうなることを望んでいる」

 日本共産党は、世界の資本主義国にも例を見ないような異常さを特徴とする自民党政治、大企業本位・アメリカいいなりの政治への確固とした対決者であり、そうした政治の変革を当面の目標としている。さらに、日本共産党は、資本主義の害悪そのものをも乗り越える確固とした未来展望をもって活動する党である。

 支配勢力は、この日本共産党を何よりも恐れ、マスメディアをはじめあらゆる力を動員して、封じ込めようとしてきた。

 日本共産党が活動のなかでぶつかる困難とは、なによりもこの政治条件から生み出される困難であるが、どんな困難をも恐れず、どんな攻撃にも負けず、ねばり強い活動によって国民との結びつきを広げ、前進と勝利への大道を歩みつづけるところに、戦前・戦後の不屈の伝統に裏付けられた日本共産党の本領がある。いま、全国の党員と党組織は、この自覚にたって、党綱領と第二十四回党大会決定を導きに、気概にもえた献身的な活動に立ち上がっている。

 その時に、筆坂氏はいうのである。“そんな活動などやめてしまえ、日本共産党には展望がないのだから、困難をおして活動してもむだだよ”。筆坂氏の「日本共産党」論が、誰を代弁しての「日本共産党」論であるかは、このよびかけ一つ見ても明りょうではないか。

 筆坂氏は、本の結びで「今後、いかなる道を歩むのか、私にもまだ分からない…」と記している。しかし、氏が党の道から完全に離れ、変節と転落の道をひた走っていることは、明白である。(幹部会副委員長)


【志位委員長の反論】
 2006.4.21日、赤旗は、筆坂問題を廻る志位委員長の記者会見での「筆坂氏の本について 誤りの合理化が転落の原因」を載せた。これを転載しておく。
 2006.4.21日(金)「しんぶん赤旗」

 筆坂氏の本について 誤りの合理化が転落の原因 志位委員長が会見で

 日本共産党の志位和夫委員長は、二十日の記者会見で、筆坂秀世氏の本について記者団に問われ、次のようにのべました。やりとりを紹介します。
 ◇

 ――筆坂氏が本を出版したが感想は。

 志位委員長 落ちるところまで落ちた、というのが感想だ。

  ――「しんぶん赤旗」では不破哲三前議長、浜野忠夫副委員長が反論しているが、志位さんの記述もあるが、反論はあるか。

 志位 それも含めて、不破さんの反論、浜野さんの反論で尽くされていると思っています。

  ――読んでみると、暴露本という印象より、共産党にエールを送っていると強調されているが。

 志位 暴露本として宣伝しているではないか。中身もそれを最大の売り物としている。しかし、その暴露なるものの内実がまったく虚偽だったということは、二つの論文が示したとおりだ。

  ――党として対抗措置、法的措置を考えているか。

 志位 これは、言論によって「しんぶん赤旗」で行ったということだ。

  ――なぜ筆坂さんは、委員長によると、落ちるところまで落ちたのか。

 志位 自らの不祥事について、その誤りを結局うけいれることができなかった。それを合理化していった。そしてあたかも、冤罪(えんざい)であるかのようにのべているが、その立場に身を置いていった。そうすると党のすべてが憎悪の対象になっていく。反省ができず、開き直る。まさに、それが落ちていった原因だ。

  ――財政難などの指摘もあった。われわれが地方をまわって、地方の共産党の人をみると、ほんとうに身をもって感じていたことだが、それと中央とのギャップという話もあった。その面で反省点はまったくないのか。

 志位 私たちが、さまざまな党活動の面で苦労しながら前途を開いているのは事実だ。しかし、それは、まさに社会発展の目標を実現する過程のなかでの苦労であり、困難であって、そういうものとして、草の根でこつこつ党員のみんなが打開するためにがんばっている。それにあたかも同情するようなふりをしながら、党を卑劣なやり方で攻撃している。虚偽をもって攻撃している。落ちるところまで落ちたというのは、そういうことです。


【赤旗の反論】
 2006.4.26日、赤旗は、筆逆告発に関連して「『週刊朝日』編集子の不見識」(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-26/2006042604_04_0.html)なる新たな反論を掲載した。これを転載しておく。
 二十四日発売の『週刊朝日』(五月五日、十二日合併増大号)は、「赤い共産党の黒い内幕」(上)と題する、筆坂秀世氏へのインタビューを掲載しました。筆坂氏が最近、『日本共産党』という本を出版したことにかかわっての企画という体裁をとっています。

∫∫

 日本共産党は公党として、筆坂氏の本の内容についてただちに一連の具体的な見解を発表しました――不破哲三前議長の「筆坂秀世氏の本を読んで」(本紙十九日付および日曜版二十三日号)、浜野忠夫副委員長の「筆坂秀世氏の本の虚構と思惑」(同二十日付)、志位和夫委員長の記者会見での記者との問答「誤りの合理化が転落の原因」(同二十一日付)がそれです。

 責任あるメディアなら、その後に筆坂氏にインタビューする以上、反論内容の検討は最小限の前提です。しかし、インタビューを一読してあきれるのは、公党の責任ある反論などまったく無視して、筆坂氏に、本でのべたことを平気でくりかえさせているということです。民主党の「偽メール事件」で問題になったのは、提供された情報を、真偽も確かめずに公的な場で使った議員の無責任さでした。その議員は責任をとって辞職しました。メディアも、筆坂氏の提供する“情報”を可能な確認もせずに使えば同じことです。確認材料が提供されているのですから、なおさらです。

 筆坂氏は、よく知られているように二〇〇三年にみずからがひきおこしたセクハラ問題で、党の役職罷免の処分を受けただけでなく、有権者との関係で責任をとって参議院議員を辞職しました。彼が本のなかで、セクハラ問題があたかも冤罪(えんざい)であるかのように書いたのにたいし、わが党は、事件直後の彼の文書の内容も詳細に示して、当人も疑問の余地なく認めていた事実であったことを明らかにしました。

 ところが、インタビュアーは、わが党が明らかにした事実を筆坂氏にただすこともせずに、「(党の反論を)読んでもセクハラ問題の真相がよくわかりません」などとのべ、「女性は嫌がっていたのですか」という質問を続けて、筆坂氏に本の内容と同様の答えをさせています。

 筆坂氏が本でのべた“内幕”話にしても、わが党はきちんと反論しました。宮本顕治氏引退の真相なるものが、まったく「ガセネタ」としかいいようのないものであったことをしめし、常任幹部会の運営にかかわる問題についても、真実を明らかにしました。

 しかし、この点でもインタビュアーは、「不破さんと志位さんの関係はどうでしたか?」とこれまた本の内容をくりかえさせる質問をしたうえに、宮本氏にかかわる「ガセネタ」問題については触れもしないで、筆坂氏に「本当のことを書いたら…指弾され…参りました」といわせているだけです。

∫∫

 インタビューの内容はこんなものです。そのほかにインタビュアーが筆坂氏から“引き出している”のは、筆坂氏が本で書いたり展開したりさえできなかった、かつて一部週刊誌がとりあげ党がすでに反論したことの焼き直し情報や、「1年ほど前に聞いた話ですが…」「と聞いています。今はどうか知りませんが…」などという筆坂氏の“また聞き”情報、作り話です。インタビューの末尾に「構成 本誌・中村智志」とありますから、インタビュアーの姿勢は、『週刊朝日』編集者の姿勢そのものでしょう。

 筆坂氏にとってはメディアに登場できるだけでも大歓迎でしょうが、メディアとしての基本作業を怠っている『週刊朝日』編集者については、辞職した民主党議員と同じように、その姿勢が根本から問われるのではないでしょうか。(Q)

(私論.私見) 筆逆告発に関する日共党中央の執拗な弁明について
 2006.4.24日発売の『週刊朝日』(五月五日、十二日合併増大号)は、「赤い共産党の黒い内幕」(上)と題する、筆坂秀世氏へのインタビューを掲載したとのことである。日共党中央はよほど筆逆告発に脳震盪を覚えているようで、又も反論記事を掲載している。不破哲三前議長の「筆坂秀世氏の本を読んで」(本紙十九日付および日曜版二十三日号)、浜野忠夫副委員長の「筆坂秀世氏の本の虚構と思惑」(同二十日付)、志位和夫委員長の記者会見での記者との問答「誤りの合理化が転落の原因」(同二十一日付)に続く第4弾である。

 その反論の内容たるや、筆坂告発を掲載したことに対する批判であり、曰く「民主党の偽メール事件で問題になったのは、提供された情報を、真偽も確かめずに公的な場で使った議員の無責任さでした。その議員は責任をとって辞職しました。メディアも、筆坂氏の提供する“情報”を可能な確認もせずに使えば同じことです。確認材料が提供されているのですから、なおさらです」。要するに、週刊朝日編集部に対する掲載責任恫喝を加えていることになる。日頃、憲法守れといっている割には底の浅い批判であることが判明しよう。

 許し難いことは、筆坂の参議院議員辞職を、「セクハラ問題で党の役職罷免の処分を受けただけでなく、有権者との関係で責任をとって辞職した」と述べていることである。有権者との関係で責任をとるなら、普通には任期までは務めるのが責任のとり方であろう。どうも議会制民主主義の理念に於いて、この党中央とれんだいこには観点の相違があるようである。

 赤旗記事は、セクハラ問題について、「当人も疑問の余地なく認めていた事実」であり冤罪ではない、と云う。仮にそうでも問題は中身だろう。一緒に焼肉食べて、カラオケ店へ行って、ディェットしながら腰に手を回したあるいはきつく抱きしめたとしても、それがどうしたというのだ。それで、党の政策委員長まで勤めている国会議員を辞職させるのは行き過ぎだろうが。似合いもせぬ聖人君子政治を声高にするのはエエカゲンニセンカイ。

 赤旗記事は、筆坂が暴露した宮顕引退経緯に付き「ガセネタ」と云うが、不破自身が懇切丁寧に引導渡した様子を述べているではないか。それによれば、何の権限でか党幹部会に諮りもせず、不破が長期にわたって引退交渉したと語っているではないか。こういう交渉を不破が単独で為しえるということ自体が規律違反であろうが。聞いてあげるから、不破ならできるという弁明してみ。

 赤旗記事は最後に、「筆坂氏にとってはメディアに登場できるだけでも大歓迎でしょうが」と嫌味を述べた後、週刊朝日編集者に対してメディアの姿勢と責任を問う形で締め括っている。(Q)なるものが書いたようだが、(Q)よ、週刊朝日編集者のこの程度の記事掲載に噛み付くような護憲精神とはどういうものなのかな。日共に不利な記事だけは書いてはいけない言論表現出版の自由うとでも云える新たな便宜法理論でも考案したのかいな。相変わらず便利な口だわな。

 2006.4.26日 れんだいこ拝

【赤旗のマスコミ抗議】
 2006.4.28日、赤旗は、筆逆告発に関連して日本共産党広報部名で、「筆坂本の一方的宣伝は不当 朝日ニュースターに抗議」(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-28/2006042802_03_0.html)なる新たな記事を掲載した。これを転載しておく。
 日本共産党の植木俊雄広報部長は二十七日、朝日ニュースターを訪れ、別項のような抗議の申し入れをおこないました。同社からは、岡崎哲也報道制作局長が応対しました。

 植木氏は、公党が責任ある反論をおこない、重大な虚偽があることを指摘しているにもかかわらず、それを無視し、一方的に宣伝することは、「放送の倫理」からも逸脱していると指摘し、謝罪と是正を求めました。

 岡崎氏は当初、「反論は読んでいた。宮本さんの退任など、『論争』となっている問題は避けた」と答えました。

 植木氏は、「当事者が否定している以上、問題は事実を吟味したのかどうかにある」と指摘しました。

 岡崎氏は「趣旨はわかった。検討し返事をしたい」とのべました。

 抗議

 貴社は、二十六日夜の「ニュースの深層」という一時間番組のなかで、大半の時間を使って新潮新書『日本共産党』(筆坂秀世著)の著者インタビューを放映し、この本とその内容を視聴者に宣伝しました。この番組は、二十七日未明にかけて都合四回放映されました。

 この本は日本共産党を論じたものであり、わが党はすでに、十九日から二十一日の「しんぶん赤旗」紙上で、党の責任ある立場のもの(掲載日付順――不破哲三前議長、浜野忠夫副委員長、志位和夫委員長)が、責任ある態度を表明しました。そのなかでは、筆坂氏の「セクハラ」問題は明白な事実であって“冤罪(えんざい)”などの余地がないものであること、筆坂氏の党幹部批判の根幹が明白な「ガセネタ」にもとづくなど根拠のないものであることなどを、明らかにしています。

 貴社は、公党がこういう責任ある反論――それも重大な虚偽があるという指摘をしているにもかかわらず、その反論の中心点をまったく無視し、一方的に当該の本とその内容の宣伝に終始しました。これは、視聴者に不公正かつ虚偽の情報を伝えることであり、また、日本共産党の名誉を傷つける行為です。

 貴社が遵守すべき放送倫理基本綱領は、「報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない」と定めています。わが党の反論内容を無視した今回の放送は、このような基準からも明らかに逸脱しており、すみやかな謝罪・是正を求めます。

(私論.私見) 筆逆告発に関する日共党中央のマスコミ抗議について
 日共党中央は、いよいよ例のマスコミ機関抗議へと向かいだした。この連中の常であるがこたびも、手前達はフリーハンド、不利益に対しては恫喝という便利な権利意識を披瀝している。「抗議文」によれば、朝日放送テレビは4.26日夜の「ニュースの深層」という番組で、筆坂の新潮新書「日本共産党」出版を採りあげた。どうもそれが気に召さないらしい。

 筆坂が告発本を出版し、マスコミがこれを採りあげ報道したからといって何の咎があろう。ところが、日本共産党の植木俊雄広報部長は朝日ニュースターを訪れ、岡崎哲也報道制作局長に「一方的に宣伝することは、放送の倫理からも逸脱している」として抗議をしたとのことである。その論法を聞けば、とにかく日共の不都合問題を採りあげると、これぐらいの抗議がお見舞いされるぞと恫喝していることになる。日頃民主主義護れといっている割にはする事が違うでないの。

 日共よ、冤罪であろうが無かろうが、焼肉店の後カラオケボックスでディェットし、腰の辺りに手を回し撫でたぐらいで党の政策委員長を辞め、議員辞職までさせられるという神経が分からない。世間はそのことを問題にしているのだろうが。「日本共産党の名誉を傷つける行為」であろうが無かろうが、甘んじて報道自由を守るべきではないのか。「報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない」との放送倫理基本綱領を引き合いに出すのなら、筆逆告発が事実かどうか、討論番組でやりおうたらどうか。「すみやかな謝罪・是正を求める」などは姑息で、バトルテーブルを用意せよと云うのが本筋だろうが。

 お前達はいつも問題を逆に解決しようとする。せめて党内だけにせんと、ご都合主義極まれりは終いには総スカンくらわせられるぞ。

 2006.4.26日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その165 れんだいこ 2006/04/28
 【日共の執拗な元党員攻撃が続いている。あきれはてるのはれんだいこだけか】

 不破は、筆坂の告発によほど頭にきたらしい。赤旗で執拗に攻撃しており、この問題を採りあげた出版社やマスコミに圧力かけ始めている。しかし、やればやるほど馬鹿さ加減が浮き彫りになるだけであろうに、それさえ分からないらしい。

 考えてみれば、筆坂に至るまで過去何人の元大物党員がこういう形で罵倒されたことだろう。何事もやり過ぎると食傷されるということも分からないみたいだ。

 最新の赤旗は、このところ癖になっているマスコミ恫喝を恥ずかしげも無く記事にして嫌らしい形で正義ぶっている。それほどガセネタだと云うのなら、採りあげたことがけしからんというのではなしに、公開討論会を挑まんかい。できるだけたっぷり時間を取って、筆坂が告発した箇所の隅々までガセネタぶりを論えば良い。

 日共よ、お前達の論法から引き出されるべきはそういう態度を採ることである。そこを急に捻じ曲げて、筆坂批判、新潮社批判、テレビ局批判に耽るというのは姑息である。特に、マスコミに権力的容喙をするとなると、日頃の民主主義云々に照らして、云っていることとやっていることが違うがな。

 日共が避けている論点は次のところである。筆坂が、秘書と婦人と焼肉店へ行き、その後カラオケボックスで婦人とディェットし、腰の辺りに手を回した。あるいは撫でた。それは事実であるがそれがどうしたというのだ。それぐらいのことで何で党の政策委員長を辞めさせられ、議員辞職までさせられねばならないのか。それこそ公党暴力ではないのか。どうせ裏の事情があったのだろうが度が過ぎて一線を越えていよう。

 れんだいこには、それが当たり前だという神経が分からない。世間はそのことを問題にしているのだろうが。お前達はそれぐらいのことでかくも制裁を科すほど本当に潔癖か。不破も含めて過去を顧みて述べてみ。

 次のことも云っておく。お前達は、「日本共産党の名誉を傷つける行為」であろうが無かろうが、甘んじて報道の自由を守るべきではないのか。それとも、「公党の名誉を傷つけてはならない」という新法でも出来たのか。日本共産党の名誉をそれほど気にするのなら、他党の名誉も同じように守ってやれや。手前らだけは除外つうのは虫が良すぎよう。

 お前達が、「報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない」との放送倫理基本綱領を引き合いに出すのなら、筆逆告発が事実かどうか、討論番組でやりおうたらどうか。「すみやかな謝罪・是正を求める」などは姑息で、バトルテーブルを用意せよと云うのが本筋だろうが。

 お前達はいつも問題を逆に解決しようとする。選挙に負けた時の責任の取り方もそうだ。責任は誰でも取れる。この後に責任を取るのが真の責任のとり方だと上手に口を動かしては、負けばかりしている。こうして永遠に執行部が維持されるという仕掛けだ。

 エエカゲンにしておかないと最後には閻魔さんに舌を引っこ抜かれるぞ。

 2006.4.28日 れんだいこ拝

【「週刊朝日の5/5・5/12号の筆坂秀世氏と有田芳生氏の対談末尾」】
 週刊朝日の5/5・5/12号の筆坂秀世氏と有田芳生氏の対談末尾に、次のように記されている。
 「本誌は共産党に事実確認などのために質問状を送った。共産党広報部は『筆坂氏は党を裏切って反共活動をしている人物なので、その人物のインタビューに関する質問にお答えする必要はありません』と回答した」。

 これは何を意味しているのだろうか。週刊朝日誌の質問状に対する回答が「答える必要がない」だと。これは、「さざなみ通信」の「組織論・運動論討論欄」の風来坊氏による2006.4.27日付投稿「週刊朝日の筆坂秀世氏と有田芳生氏の対談について」が伝えている。

 赤旗は、筆坂告発を小ネズミ首相ばりにガセネタ呼ばわりしており、赤旗だけ読めばそういう気分にさせられてしまうが、事実は、「事実確認などのための質問状」に対する回答拒否しており、いわば「云い得云い勝ち」という不当なキャンペーンを続けていることになる。当然ながら、事実確認すれば不利になるという事を踏まえての対応であろう。それにしても腐敗である。宮顕ー不破の宿アの体質を又も見させられていることになる。

 2006.5.4日 れんだいこ拝

【薄幸ダイオード氏の「共産党にとって、国会議員は共産党の単なる派遣社員に過ぎない」の指摘考】
 「さざなみ通信」の「一般投稿欄」の薄幸ダイオード氏の2006.5.25日付投稿「共産党は本当に護憲勢力なのか?」は、問題の核心を射ているので転載しておく。
 このサイトにおける筆坂問題に関する議論はあまりに矮小化されている。筆坂氏は共産党員であると同時に、主権者である国民の代表者たる国会議員であった。筆坂問題で最も重要なことは、主権者の代表である国会議員という日本国憲法上の存在が、まるでワンマン経営者が気に入らない従業員をその一存で一方的に解雇するかのように、いとも簡単に罷免されたということだ。共産党国会議員には、日本国憲法上の存在という重みはまったくない。つまり共産党にとって、国会議員は共産党の単なる派遣社員に過ぎないのだ。(共産党議員の給料の支給方法を想起してみよ!)

 「市民の手による平和共同候補・平和共同リスト」の提案を拒否する5/20の「赤旗」の論説を読んだ。確かに説得力の乏しい難解な文章だった。しかし、10回程読んで、要は「我が党は面倒くさいことはやりたくありません!」というのがこの論説の本旨であることに気づき、ようやく解読できた。

 これら共産党の対応を見ていると、そもそも共産党は本当に護憲・活憲勢力なのかという重大な疑念が湧いてくる。やはり共産党は、護憲運動をも自分の党利党略に利用しているだけなのではないか。

 共産党は完全に閉鎖的・排外主義的なムラ社会、セクト的な擬似宗教団体と化しており、党外の人間とのコミュニケーション能力や交渉能力を有する人間など1人もいない。だから他党派との共闘・提携などそもそも不可能なのだ。共産党と社民党との共闘なるものも、共産党の真意やその実効性は疑わしい。共産党は当てにせず、計算からはずして運動を進めたほうが無難だろう。

(私論.私見) 薄幸ダイオード氏の「共産党にとって、国会議員は共産党の単なる派遣社員に過ぎない」について
 薄幸ダイオード氏の「共産党にとって、国会議員は共産党の単なる派遣社員に過ぎない」の指摘は急所を射ている。日共党中央が如何なる弁明をしようとも、国会議員にして党の政策委員長であった筆坂を、あの程度のセクハラ事件で解任議員辞職せしめたのは、「国会議員は共産党の単なる派遣社員に過ぎない」からであろう。

 結局、日共は、議会主義に傾斜したものの、議会制民主主義のルールを遵守しないケッタイナ党中央専制の組織論で運営されていることを自己暴露している。筆坂批判を強めれば強めるほどそのことが際立つという自縛構図になっている。薄幸ダイオード氏の「共産党は完全に閉鎖的・排外主義的なムラ社会、セクト的な擬似宗教団体と化しており、党外の人間とのコミュニケーション能力や交渉能力を有する人間など1人もいない。だから他党派との共闘・提携などそもそも不可能なのだ。共産党と社民党との共闘なるものも、共産党の真意やその実効性は疑わしい。共産党は当てにせず、計算からはずして運動を進めたほうが無難だろう」の指摘も鋭い。

 2006.5.30日 れんだいこ拝




(私論.私見)