「確かな野党論」の詭弁を撃て |
(最新見直し2009.5.5日)
【「確かな野党論」は、宮顕-不破系党中央の愁嘆場理論の可能性大】 |
日共が、いつ頃から「確かな野党論」を唱え始めたのかは知らない。宮顕−不破系日共党中央のイカガワシサを思わない者は、それが真面目な指針として打ち出されていると勝手に仮想して支持しているようである。れんだいこは、宮顕論、不破論で究明しているように、宮顕−不破系日共党中央は日本左派運動の壊し屋であり、放逐する以外にはないという立場を採っている。この観点からすれば、またぞろ怪しい屁理屈を唱え始めたに過ぎないということになる。以下、これを検証する。 2007.3.14日、赤旗は「『たしかな野党』として躍進めざす 志位委員長 日本政治総合研究所で講演」を掲載している。それによると、3.13日、日共の志位委員長は、都内で開かれた日本政治総合研究所(白鳥令理事長)の「政治問題研究会」に招かれた。 司会の飯塚繁太郎常任理事が、「共産党(の党首クラス)をお呼びしたのは、(七〇年代に)当時、書記局長だった不破哲三さん以来。今日は、共産党が新綱領のもとで本格的選挙にいかに臨むかお話しいただきたい」とイントロし、これを受けて志位委員長が、来るいっせい地方選、参院選の二つの全国選挙に臨む日本共産党の立場と政策について講演した。要旨「安倍・自公政権にたいする審判と『二大政党づくり』にたいする審判の二重の審判を掲げ、『たしかな野党』としての役割を正面から訴えてたたかう」と強調した、とある。 れんだいこは、日本政治総合研究所が何者かについて興味があるが、あいにく知識がない。赤旗は、「同研究所は、日本の議会制民主政治の研究を目的に1975年に設立され、経済界、言論界、学会の有志が参加しています」と簡略に紹介している。「経済界、言論界、学会の有志」とあるが、どういう顔ぶれなんだ。 気になってネット検索で調べると、理事長の「白鳥令」氏は、「日本政治総合研究所理事長」の肩書きを持ち、2003.8月、マルタ共和国在東京名誉総領事(日本全土管轄)に就任したとある。「マルタ共和国在東京名誉総領事」とはどういう意味があるのか。何らかの政治的意味があるだろうが分からない。その他プロフィールとして、「現代政治分析論と政策決定論を専攻し、現代の政治状況と政策課題をグローバルな視点から鋭く分析すると同時に、日本の現実政治とも接触し、 日本政治総合研究所理事長として建設的改革プランを多数提言している」とある。 「建設的改革プラン多数提言」の中身を知りたいが記されていない。ホームページ(http://www.ipsj-tokyo.org/)に拠れば、日本政治総合研究所は1975.10月に設立されているようである。偶然かどうか翌年2.4日に始まるロッキード事件の直前と云うことになる。「事業内容」として、1・わが国政治の理論的・政策的研究、2・議会政治推進のための啓発事業、3・若手研究者の育成と研究の助成、4・日本政治の正しい姿を外国に伝えるための国際交流とある。 れんだいこは、事業内容が余りに凡庸なことに少々違和感を覚える。こういう建前を通しては核心が掴めないので、試みに同機関の政治的識見を質した方が早い。1・ホロコースト見解、2・イスラエル問題、3・9.11テロ問題、4・アフガン-イラク戦争、5・自衛隊派兵問題に対する所見を知りたい。これらはいずれも現代政治に色濃く刻印している政治問題であるので、現代政治の研究を標榜している機関であれば、ノーコメントと云う訳には行かないだろう。 以上は国際問題であるが、国内問題で質しても良い。設立直後に遭遇したロッキード事件に対してどのような態度を採ったのか知れたい。学究者として中立的態度を採ったのか、真相究明に積極的に乗り出したのか、田中角栄の政界追放に関与したのかしなかったのか。れんだいこは、これらの諸問題に対する見解を抜け落ちさせたままの現代政治研究というのが気に入らないが、処世術上の策なのであろうか。 もとへ。れんだいこは、こたびの志位講演は、日共が、日本政治総合研究所グループに対し、「確かな野党論戦略」で行くことを宣明したことに政治的意味があったと考える。誰に宣明したのか、それは分からない。1970年代に当時の不破書記局長が招かれていたというのも興味深い。 日共は、上述の志位講演でも分かるように、ここへ来て「確かな野党論」を持ち出し、よほど気に入っているのか多用している。しかし、これを得意気に吹聴するほど馬鹿さ丸出しと云うことさえ気づかないほど病膏肓のように見える。日共党中央がこれまでも常に無責任で、その場しのぎのキャッチコピーを生み出してきた。れんだいこは、「確かな野党論」は、宮顕-不破系党中央が最後に獲得したお似合いの政治スローガンであり、同時に現下党中央の愁嘆場理論の可能性大と見立てている。宮顕-不破系党中央が行き着いた墓場理論であり、「確かな野党論」瓦解は同時に60有余年に亘った宮顕-不破系党中央の倒壊を意味する危うい理論であり、「確かな野党論」はそういう重要な役割を持つ理論であると判ずる。この文句ほど連中のらしさを示しているものはないと喝破している。 そういうことも分からず、明らかにオカシイこの文句をそうは思わず相も変わらず呪文の如く唱え始めた日共党員のお粗末さがおぞましい。考えてみよ。政党は、党のマニュフェストの実現を目指す為に設立され有機的結合している機関である。これを首尾よくするには政権を取ることが一番である。政権を取って責任政治を行うことこそが、政治責任の一番真っ当な果たし方である。それを目指さず、端から「確かな野党」を目指すと呼号する政党なぞ原理的に許されるだろうか。しかも、民主集中制で党内統制の極みを強要している政党においてをや。「確かな野党論」は、野党を職業に、政治を商売にする道ではないか。 気づくことは、「確かな野党論」の持つ排他性である。云うまでもなく「あちらはニセモノ、こちらが本物」という論理式の上に成り立っている。そういう意味で、日共党中央が、その昔の宮顕の「排除の論理」を未だ忠実に継承していることが分かる。「確かな野党論」は、形を変えた現代版「排除の論理」である。宮顕の「排除の論理」にソウダソウダとうなずいた手合いは、議会闘争に乗り出しても相も代わらず「排除の論理」を基準に物事を考え、運動の指針にすることが分かる。れんだいこ史観によれば、そうやって似ても似つかぬエセ共産運動を振りまいていることになる。人民大衆運動的にはエライ迷惑な話である。 「確かな野党論」が如何に噴飯物かは、その昔の民主連合政権論がいよいよ使い物にならなくなり、それに代わる子供騙しの政治スローガンとして編み出されただけのものでしかないという経緯によって判明する。思い起こせば、民主連合政権論の経緯は次のようなものであった。日共は、1960年代頃より「70年代の遅くない時期に民主連合政府を」呼号し始めた。ところが、70年代を過ぎ80年代になると何の自己批判もなく、「今世紀の遅くない時期までに民主連合政府を」呼号し始めた。ところが、20世紀の終わりになってもその兆しが見えぬとなると、これまたケロッとして「21世紀の極力早い時期に民主連合政府を」と指針したのかどうか。次にやってくるのは、「21世紀の遅くない時期までに民主連合政府を」であろうが、お笑いを通り越していよう。 民主連合政府構想は、この果てしない政権展望の延期に次ぐ延期により色あせてしまい、党員は誰も踊らなくなった。そういう事情により、代わりに打ち出されたのが「確かな野党論」ということになるが、民主連合政府運動よりもはるかに堕落している。もはや政権構想が視野になく、自ら万年野党を居直っているところに特徴が認められる。つまり、自党を万年野党として規定し、誰よりも真の批判政党という役割に価値を見出すという特異な立場を編み出したことになる。これこそ、宮顕-不破系党中央が遂に辿り着いた波止場である。これを打ち出す党中央と、それを受け止める党員の頭脳コードがよほど相互にフィットしているのだろう。何ら違和感なく受け入れられているようである。 れんだいこは、もうずいぶん昔から宮顕-不破系党中央を相手にしていない。そういう距離感があるから直ぐに、馬鹿げた話であることが分かる。と同時に宮顕-不破系党中央には全くお似合いの政治スローガンであることが分かる。要するに、こいつらは、こういうことを唱える手合いだったのだ、始めから。長年徐々に飼い慣らしてきたので、飼いならされた側は分からないのだろうが。 今の日共に今更「共産主義者の宣言」の一節を説いても馬の耳に念仏、猫に小判でしかなかろうが、やはり指摘しておこうと思う。「共産主義者の宣言」は、人民大衆運動内に特定の党派を創り、その党派の独善的利益を求めて運動に介入していくことを邪道として厳しく批判している。歴史の進歩の大道に沿うべきであり、個々の見解の相違を盾に「我こそが正義なり」と棹差していくことを叱責している。これについては、れんだいこ訳「共産主義者の宣言」で確認されれば良かろう。(marxismco/marxism_genriron_gensyo_sengen.htm) れんだいこが拾い出せば次のくだりが認められる。(以下、略) 日頃、マルクス主義文献に馴染んでおれば、特にバイブルとでも云うべき「共産主義者の宣言」の文言に通暁していれば、こたびの党中央の「確かな野党論」が有り得てならない政治スローガンであることを見て取れよう。「共産主義者の宣言」の一言一句は時代と共に変化をこうむるのは致し方ない。しかし、党派的独善的利益主義を排せよの指摘はいわば不易の公理とすべき生脈文言であり、これを変えることは許されない。そういう意味で、「確かな野党論」は破門の言である。 このことを確認するのに、れんだいこ訳でないといけない。というのは、日共系訳は不正解と云うか意図的に意味不明にしている箇所が多過ぎるからである。党中央は、党内学習文献を定め、一見するとマルクス主義原典を読ませようとしているように思える。しかし、少し注意して調べると、原典よりは、価値を落とし込めた注釈書を、即ち宮顕、不破のろくでもない論文を学習指定文献にしていることが分かる。党中央が原典に通暁させたくないのは、下手に知らせるとオカシイデハナイカと指摘されるのを恐れているからであろう。こういうことが見えてくる。西欧では、一応サイトアップされている。日本ではほんの一部が民間有志の手で為されている状況である。日共系出版が著作権を盾に阻んでいる現実がある。もしそうでないというなら、せめて欧米並みにサイトアップできるようにしてみたらどうなんだ。 今日れんだいこは、マルクス主義出藍を宣言している。これは、マルクス主義を学ばなくて良いとするのではない。それに目を通し批判的に摂取し咀嚼したいという意思を込めている。それ故に、マルクス主義評論以前のこととして原典開示を願うものである。且つ正確な訳文開示を願うものである。今はどちらも出来ていない。水準は恐らく戦前と同様ないしはそれ以下であろう。解せないことである。 2007.3.30日 れんだいこ拝 |
【「確かな野党論」の提唱時期考】 | |
「確かな野党論」の提唱時期が気になるので、これを確認する。少なくとも、小泉政権時代の2005.8.2日時点で、来る総選挙(8.30日公示)を前にして打ち出されていることが判明する。日共のホームページは次のように説明している。
つまり、それまでの民主連合政権構想による政権奪取の展望の最終的破産を受けて、これに何ら時こそ半的総括を為さぬまま、便宜的に打ち出された「健全な野党論」にシフトしていることになる。当然、民主党は健全な野党ではない論に通じており、つまり「よりまし運動」を却下させ、原理的な「唯一野党らしいホンモノ野党」なる独善正義のロジックで煙巻きしていることになる。 その実践的帰結は、「民主党の二大政党制的政権交代論」による埋没を恐れてか、反自民での野党連合を拒否し「我が道を行く」ことになる。その結果、自民党と民主党の激戦区に於ける独自候補の擁立により、自公候補の「側面支援」になろうとも、意に介さない。公明党が表から全力で自民党を後押しし、日共が裏からこれに加担すると云う日本政治の特殊性を窺うべきだろう。 党員の多くはかって民主連合政権構想時代に汗を掻いた。今度は「確かな野党論」に向かう。党中央も党中央なら党員も党員と云うべきではなかろうか。 一応確認しておこう。民主連合政権構想はまず「70年代の遅くない時期までに民主連合政権の樹立」として打ち出された。これが流産し、次に持ち出されたのが「今世紀の遅くない時期までに民主連合政権の樹立」であった。これも流産し「21世紀の早い時期までに民主連合政権の樹立」であった。これも破産し、もはや「今世紀の遅くない時期までに民主連合政権の樹立」という展望しか見えないことになった。しかし、もう誰も踊らなくなった。この局面で持ち出されたのが「確かな野党論」である。色あせた民主連合政権論に代わって久々に打ち出された党中央のスローガンに新鮮な響きを感じる党員は幸せと云うべきであろう。 2009.5.5日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)