日共問題考

 (最新見直し2014.03.22日)

【日共理論のネオシオニズム拝跪性を弾劾する】
 宮顕-不破-志位系党中央の理論の特徴について考えたことがあるだろうか。れんだいこは、この党中央の変態性に気づいているのでいつでも客観化している。その目で見ると、日共理論は、マルクス主義と云うよりネオシオニズムに酷似していることに気づかされる。案外とこのことが知られていない。一体全体、宮顕-不破-志位系党中央の理論で、組織論でも運動論でもマニュフェストでも歴史論でも、ネオシオニズムのそれと食い違う箇所を探すのはよほど困難である。日共理論は、一から十までネオシオニズム理論を下敷きにしている。果たしてこういうことが偶然に起こるだろうか。それにも拘らず、多くの者は、現下日共理論をマルクス主義の現代的創造的適用と了解したがっているように思える。しかし、それは、そう受け取る者達のマルクス主義的理解の貧困さを物語っているだけのことである。思えば、原典を離れての注釈書流行りの時代だから仕方ないのかもしれない。

 ここでは、日共の第二次世界大戦歴史観を検証する。第二次世界大戦史観とその後の反戦平和理論は対のものであるが、マルクス主義のそれと云うよりは如何にネオシオニズムの観点丸出しであるかを確認してみたい。これが如何に酷いものであるかは、試みに、日共の中東問題理論を炙り出せばよい。彼らがどのような見解を披瀝しているのか、イスラエルとどう関わろうとしているのか確かめればよい。透けて見えてくるのは、彼らのいわゆるテロ批判が、イスラエルの建国以来の国家テロには向かわず、イスラムのレジスタンス派のテロをのみ殊更に採り上げて批判を集中していることである。

 彼らの第二次世界大戦論を見よ。不破のそれは特に「民主主義対ファシズムの闘い」であり、前者の連合国が後者の枢軸国を破った聖戦として意義づけられている。これにより、連合国を極力美化し、枢軸国を極力ファナティックなものとして描くことになる。その例証は枚挙にいとまない。次の一例を示しておこう。

 2007.4.15日付け赤旗は、「ナチ擁護 独首相が批判 “問題直視さけられない”」なる次の記事を掲載している。

 【ベルリン=中村美弥子】

 ドイツ南西部バーデン・ビュルテンベルク州のエッティンガー州首相(キリスト教民主同盟=CDU)が、第二次世界大戦中のヒトラー・ナチ政権下で海軍法務官を務めたフィルビンガー元同州首相を擁護する発言をしたことが、強い批判を招いています。メルケル首相は十三日、電話でエッティンガー州首相を厳しくたしなめました。

 州首相発言 内外から辞任要求

 エッティンガー氏は十一日にあったフィルビンガー氏の葬儀で、「フィルビンガー氏はナチ時代、人を死に至らしめるような判決を下したことはなかった」と述べ、ナチ支配下で従属を余儀なくされた被害者だと主張しました。

 しかし、この発言はこれまでに明らかにされてきた歴史的事実と異なります。一九六六―七八年にバーデン・ビュルテンベルク州首相だったフィルビンガー氏は、ナチ政権下、海軍法務官として兵士二人に死刑を求刑しました。同氏はこの事実がメディアに暴露されたことをきっかけに、州首相の座から失脚しました。今月一日に九十三歳で死去したフィルビンガー氏が、自らの過去を悔い改めたことはありませんでした。

 エッティンガー州首相の発言について、CDU党首でもあるメルケル首相は、元州首相としてのフィルビンガー氏の功績を認めながらも、「ナチ時代の重大な問題についても問われてきた」と表明。ナチ被害者の感情をくみ取るならば、この問題を直視することは避けられないとの考えを示しました。

 独ユダヤ人中央評議会のクノブロッホ会長は、エッティンガー州首相の発言を「危険であり、(ナチによる迫害の)生存者にとって侮辱的な歴史のわい曲だ」と非難。ドイツ国内外から同州首相の辞任を求める声が上がっています。


 これのどこが問題なのかと云うと、第二次世界大戦を「民主主義対ファシズムの闘い」と位置づけ、戦後60年余の今もなおナチスに対する徹底征伐思想に依拠しているところにある。「同氏はこの事実がメディアに暴露されたことをきっかけに、州首相の座から失脚しました。今月一日に九十三歳で死去したフィルビンガー氏が、自らの過去を悔い改めたことはありませんでした」とあるように、ナチス派は死してなお鞭打たれんとしている。それでいて、ナチスの犯罪についての歴史検証が十分かと云うとそうでもなく、問答無用式に断罪され続けている。

 これまで何万ベンとなく、ユダヤ人ガス殺600万人説やアンネの日記を引き合いに出して、ナチスのユダヤ人迫害が如何に酷いものであったかが語られてきた。その根絶を目指すため、今日でも世界中でプロパガンダされており、ナチス残党狩りが演ぜられている。しかし、今日の思潮は、「ナチスのユダヤ人迫害の実態」を廻って論争過程にある。むしろ、「己を絶対善、政敵を絶対悪」として描きプロパガンダし続けるネオシオニズム特有の勝者の論理ではないかとの疑惑を増しつつある。

 この観点から、ナチスドイツと同盟した日本帝国主義も断罪されている。ユダヤ人ガス殺600万人説に相当するのが日本では南京大虐殺事件である。他にも百人斬り事件、従軍慰安婦事件、三光作戦等々がある。いずれも、日本軍部の犯行を極力ファナティックなものに描くことに特徴が認められる。靖国神社問題はこれらに関係している。

 しかしこれは、マルクス主義のものではない。ネオシオニズムのものである。日共は、ネオシオニズム理論を振りまきながら、マルクス主義的なそれであるかのように見せかけている。日本の戦後歴史教育も又概ねこの構図での学習を標準としてきた。故に、反戦平和運動を担う者はごく自然にユダヤ人ガス殺600万人説、南京大虐殺説を反戦平和運動の基点として学ばされてきた。その癖、米英ユ軍の無差別都市爆撃、v\dj、長崎への原爆投下については調法なロジックで免責している。

 れんだいこが思うに、本来の反戦平和運動は、ユダヤ人ガス殺600万人説、南京大虐殺説を足場に構築する必要はない。日本的立場としては、幕末維新以来の富国強兵化の道のりを検証し、近隣アジア諸国へ平然と軍靴を乗り入れ日本帝国主義的聖戦へと導いた経緯を検証し、その敗北を期して不戦の誓いを立てることにより戦後の国是とした歩みを学ぶ方がより肝腎だ。最初の被爆国としてノーモア広島・長崎的原水禁運動を世界に広げた方が値打ちがあろう。西欧諸国なら、近代以来の絶えざる国家間戦争と世界植民地化の道のりを総括するのが良い。

 これらを為すには歴史検証が必要で、人民大衆が個々に歴史に通暁する以外に方法がない。左派運動は、そういう運動を創りだすべきであった。実際には、歴史検証を怠り、ごく安易にユダヤ人ガス殺600万人説、南京大虐殺説を唱えることによって反戦平和の橋頭堡としてきた。かく駄弁するのが反戦平和運動かの如く装ってきた。これは安逸であり、ネオシオニズムに操作されたものでしかない。今やそう知るべきだろう。

 2007.4.17日 れんだいこ拝

【日共理論のネオシオニズム呼応性を弾劾する】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK143」のgataro氏の2013.2.10日付け投稿「<英フィナンシャル・タイムズ> 「日本の病の基本的な原因は「過剰な民間貯蓄」である。より正確には、企業が投資に比べ極…」に触発され、以下のことを書きつけておく。れんだいこの興味は文の内容にあるのではない。英フィナンシャル・タイムズが、 「日本の病の基本的な原因は過剰な民間貯蓄である。より正確には、企業が投資に比べ極めて過剰に収益をため込んでいることにある」、「均衡ある経済へのカギは巨額の利益を使うことのできなかった企業寡占体からそれを引き離すことだ。国民が所得増の恩恵を受けるようにすべきだ」と主張し、これに呼応する形でマスコミが提灯言説を掲げるのはいつものこととして、共産党の笠井氏が早速に国会質疑で「内部留保還元を」とぶっていることへのイカガワシサの検証にある。

 2013.2.9日付け赤旗は、「笠井氏 内部留保還元を/首相 「経営者に要請する」/働く人の所得増こそ」との見出しを掲げ、8日の衆院予算委員会での笠井亮議員の質疑内容を記事にしている。「“企業の収益が上がれば賃金もやがて上がる”というアベノミクスの論拠を突き崩して、働く人の所得を増やすことこそ必要だと強調しました」云々。ここにいつもの日共らしさが垣間見える。個々の部分的発言ではさもらしく色々主張する。その限りでは問題ない。だがしかし、主たる論調の意図はいつもネオシオニズムの意向に添っている。これが日共口舌である。本件では、ネオシオニズムの日本の国民資産の剥ぎ取り指令が介在しており、日共の「働く人の所得を増やすことこそ必要論」は、これだけを取り上げるとその通りなのだが、ネオシオニズムの意向に添った発言であることもその通りである。このことに注目を換気したい。

 思えば、ネオシオニズム奥の院が田中角栄征討を指令するや金権批判で呼応したこと、内治より外治に資金誘導する為の方策を打ちあげるや公共事業批判に精力的になったこと、田中真紀子征討を指令するや真紀子批判、鈴木ムネオ征討を指令するやムネオハウス批判、小沢一郎を指令するや小沢批判に精力的になったこと等々数え上げればキリがない。要するに、ネオシオニズム奥の院の指令を日共言葉に翻訳し、要するに日共流で引き受けると云う習性が見える。

 日共のこの根深い好ネオシオニズム体質を訝らず、戦前の日本共産党と戦後の宮顕―不破―志位系日共とを同じラインで結び、生活者利益擁護の点ではまだしも原則的であった戦前の日本共産党の好評論を横滑りさせて現下の日共好評論に繋げる者が多い。しかしそれは知の貧困と云うべきではなかろうか。それはあたかも、容量5リットルのビンが10リットルの水を受け半分を垂れ流ししている様に似ている。この域の観点から、れんだいこの日共論、政論を得意げに批判する若造に食いつかれたら、れんだいこはどう対応すべきか。それは、囲碁6段の者が初段の者に滔々と囲碁論聞かされる破目に遭うのに似ている。恐れ入りやの鬼子母神ではなかろうか。

 かく問うべきところ、「共産党自体はあまり好きじゃないけど、言ってる事は筋が通っている」なるおべんちゃらは日共問題を隠す役割を果たす裏からの御用発言でしかない。

 2013.2.10日 れんだいこ拝

 れんだいこのカンテラ時評№1215  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 3月21日
 日共問題考その1  

 「日共問題」とは、優れて政治学的なリアリティーのある問題である。しかしながら学的考察が為されていない。いわゆる当たり障りのない対象を見つけて上品ぶって論ずるのを倣いとする学問と云うものの限界と云うか似合わないのであろう。学問と云うものは往々にしてそういうものであるからして実践的に役立つことが少ない。本稿では、そういう学問の檻を蹴破って赤裸々に考察し、迷える羊たちの一助になることを期する。

 2014年3月、かって失敗せしめられたモスクワオリンピックの失地挽回として国家を挙げて取り組んでいたロシア主催のソチオリンピックのさなか、かってソビエト連邦を構成し、その崩壊後に独立国家として自己形成していたウクライナがロシア衛星圏から離れ、西側諸国衛星圏に入ると云う政変が発生した。その結果、ウクライナの一角を占めるクリミアが逆にウクライナから離れて親ロシアの独立国家として自己形成する動きに出ると云う政変へと転じた。これを仮に「2014クリミア騒動」と云う。これに至る経緯を略せば、そういう事変である。このクリミア騒動をどう評するかが問われている。

 ここで、日本共産党が見せたクリミア騒動論を採り上げ、「日共問題」との絡みから考察しておくことにする。余りにも典型的な日共らしさが垣間見えるからである。日頃は党名が共産党であるからして、それらしい理論と実践下にあるので「日共問題」が浮上することはない。但し、ここ一番の煮詰まった状況下では決まって「日共らしさ」に豹変する。このことが改めて確認できる格好教材となっている。

 前置きはこれぐらいにして本論に入る。共産党の志位委員長は、クリミア騒動をどう論じたか。3.19日付けの赤旗「ロシアはクリミア併合を撤回せよ 世界の平和秩序を覆す覇権主義は許されない」は、「クリミアの独立とロシア併合は国連憲章、国際法の原則に反した侵略行為そのものであり、断じて許されない」とする立場から、ロシアの大国主義、覇権主義批判へと続け、ソチオリンピックのさなかに発生したウクライナの西側諸国入り政変を事実上後押ししている。

 時事通信配信「安倍首相の対ロ姿勢 『だらしない』 志位共産委員長」によれば、もっとあからさまに、志位委員長が記者会見を開き、安倍首相の「力を背景とする現状変更の試み」批判に対し、「こわごわものを言っている。文字通りの侵略、併合であり、国連憲章違反と批判できないのはだらしがない」と批判し、対ロ制裁に関して、「国際社会と足並みをそろえることが大事だ」とも述べたことを報じている。

 衆知のように領土紛争、独立問題、衛星圏入り問題等は優れて高度な政治課題であり、一刀両断式の理論で片付くほど容易い問題ではない。最終的に高度な政治判断が問われるものであり、日本国憲法前文が安逸には語らず一般原則のみ示し、9条では「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と記して、軍事紛争に至る動きを不訴求と弁えているころの事案である。

 これを勘案すれば、志位委員長は、「ウクライナの西側諸国入り政変」を不問とすることで事実上の後押しをし、返す刀で、クリミア騒動におけるロシアの介入に対し断固たる批判の舌鋒を鋭くし、対ロ制裁論に傾斜しているのは公正な立場でも護憲的態度でもない。共産党がその昔、ソ連衛星圏下での活動を是としていたことを思えばお笑いでしかない。「志位委員長発言」は、「国際社会と足並みをそろえることが大事だ」論を公然と唱えることで、国際責任果たせ論に繋がる素地をつくっている。何のことはない中曽根以来の大国責任論でもっての国際責任果たせ論と通底していることを証している。更に云えば、日本共産党が本質的に米英仏の西側陣営と与していることをあけすけに語っているとも云えよう。

 このことが如何に由々しき弁であるか。かっての帝国主義論がいかほど有益な理論であったかの評価は別として、共産党が今やかくも帝国主義諸国家と理論的実践的軌道を一にしていることになるが、これをどう評するべきだろうか。「志位委員長発言」はクリミア騒動におけるロシアの介入に対して強硬に批判しているが、「ソチオリンピック下のウクライナの西側諸国入り政変」については一切不言及なところがミソである。この党は、こういう詐術的言い回しを得意としている。

 さて、本稿の結論に入る。これまでも共産党の理論と実践には胡散臭いところが多々見えている。近いところでロッキード事件の徹底解明論による有能政治家・田中角栄の訴追、その系譜の小沢一郎の訴追、云うところの検察正義論、各種選挙戦に於ける政権与党を有利にする役割しか果たさない全選挙区立候補方式、最近とみに関心が集まりつつあるムサシマシーンによる不正選挙の疑いに対する不言及、戦後政治の良策であった公共事業敵視的不要論、リストラを論じているときに残業問題持ち出し論等々挙げればキリがない。

 これらの悪行に、こたびの「志位委員長発言」が被さっている。これをどう推理すべきだろうか。れんだいこは、「日共問題」の琴線に触れていると見る。即ち、こたびの「志位委員長発言」を通して、共産党が実は「親西側陣営、反ロシア陣営下の政党」であり、その西側陣営を裏でコントロールするのが国際金融資本であるとするならば、これに親しい政党であることを自己暴露した声明と確認している。れんだいこは今や国際金融資本の陰謀的世界支配活動に対して国際ユダ屋と命名している。これによれば、日本共産党は既に国際ユダ屋配下の政党と云っても過言ではなく、平素は正体を現さないが、こういう局面が煮詰まったときに表すということになる。こういう風に論ぜられるぐらい、こたびの志位発言は意味が大きいと評したい。日本共産党が共産党としてではなく日共と侮蔑される所以である。

 れんだいこのカンテラ時評№1216  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 3月22日
 日共問題考その2

 先のれんだいこブログ「日共問題考」が反響を呼んでいるようなので、もう少し掘り下げ論拠に関わることを述べておく。「日共問題」の決定的な始発証拠とでもいえる「宮顕免責疑惑」を確認しておく。まともに書けば文が長くなるので例証を略し趣意のみ書き付けておくことにする。

 「宮顕疑惑」は数々あるが、ここでは「宮顕免責疑惑」を取り上げる。これは、戦前の党中央委員小畑の査問致死事件に於ける宮顕犯罪いわゆる「宮顕リンチ事件」に対する戦後に於ける「無罪放免の怪」のことを云う。その宮顕が、戦後直後の党運動を指揮した徳球に代わって1955年の六全協で党中央を掌握し、その後を長年にわたって最高指導者として君臨し続け、以降その系の不破、志位が党中央に納まり続けていることにより今日まで「解決済み」としている事案のことである。

 これが本当に「解決済み」なのかと云う議論が実際に国会でされている。1974(昭和49)年から1976年のロッキード事件直前まで、民社党が火付け役で論戦となっている。これにつき、ロッキード事件のどさくさで掻き消され今日に至るまで再燃していないが火種は燻り続けている。これの考察につき、ここでは略す。れんだいこは、「解決済み」に関わったユダヤ教ラビにしてGHQ民政局法務部顧問の肩書きを持つ「ハワード・マイヤーズ」の登場そのものに重大性を見ているので、これに言及してみたい。こう問う研究者はいない。恐らく、れんだいこが初指摘であろう。

 「ハワード・マイヤーズ」なる名前が実名であるのかどうかも疑わしいが、そういうユダヤ教ラビが唐突に登場し、超法規的権力を行使し宮顕を窮地から救うと云う履歴を遺している。共産党が今もこの時手にした「復権証明書」を盾にして「解決済み」としている訳であるが、何故に「ハワード・マイヤーズ」が登場し采配を振るったのか、ここが闇となっている。「ハワード・マイヤーズ」が登場し、宮顕を救った裏に、どの時点からかは明らかにできないが、宮顕が以前も以降も連中の支配下にあることを物語っているとみなしている。これの詳細は以下のサイトに記しているので参照されたい。

 その要点を少し解説しておく。戦後のGHQ指令により治安維持法違反容疑で拘束されていた社会主義者、宗教家らが一斉に無罪釈放とされたが、宮顕、袴田の場合には同志殺人事件による殺人犯として起訴されていた為にいわゆる併合罪の者にまでは適用されなかった。これをどう救済するのかが「ハワード・マイヤーズ」の任務であった。宮顕の場合、加えて更に「生命の危篤」を理由として他の被告よりも一足早く釈放されており、これをどう法的に処理すべきかと云う問題があった。宮顕が何故に一足早く釈放されたのか、「生命の危篤」でない者に対するそのような名目での出獄が許されるのか、これをどう法理論的に始末すべきかで議論されたが妙案はなかった。「ハワード・マイヤーズ」の知恵をもってしても理論的に正当化できなかった故に、「将来に向てその刑の言い渡しを受けざりしものとみなす」の文言だけの復権証明書での免責となった。それは露骨なまでに超法規的措置であることを示しており、法理論的に処理する厄介な仕事が残されたままになっている。

 つい先日、志位が、従軍慰安婦問題に絡む河野談話に関連して、次のような素敵な法話を説いて聞かせてくれている。「都合の悪い歴史を隠蔽し改竄することは最も恥ずべきこと。そのような勢力に未来は決してない。歴史の真実に正面から向き合い誠実かつ真摯に誤りを認め未来への教訓とする態度をとってこそ云々」。これはその通りで、どうぞこの法話通りに宮顕問題に立ち向かってほしいと思う。志位よ、まさか手前らのことは別で、この弁は相手を責めるときのみに使うと心得ての便法ではあるまいな。それは余りに恣意的であるぞよ。

 「戦後の釈放時の疑惑考、「復権証明書」の疑惑考」
   (marxismco/nihon/
        miyakenco/rinchizikenco/zikenco10_1.htm)
   「GHQ民政局法務部顧問ハワード・マイヤーズ考」
   (marxismco/nihon/
        miyakenco/rinchizikenco/zikenco10_2.htm)

 この事件の問題性は、日本共産党のトップがユダヤ教ラビハワード・マイヤーズ」を表とする秘密結社的黒幕の支配下にあり、日頃は共産党と云う党名からして共産党らしい活動をするものの、一朝事あるときには、その黒幕の指令通りに動く傀儡でしかないことを物語っていると云う意味で見逃せない。この黒幕を仮に「国際ユダ屋ネオシオニスト」と命名する。とすると、要するに、共産党の最高指導者が国際ユダ屋に弱みを握られて操作されている関係にあると云うことになる。庶民の味方、正義の党、キレイ潔癖清潔が売りの日本共産党が実はそういう黒幕のコントロール下にあると云うことである。こう理解しないと「ハワード・マイヤーズ」の登場と、それによる超法規的措置による免責が説明できないのだから、如何に口から泡を吹こうと致し方あるまい。

 こういう事例は何も共産党だけではない。左派圏の社会党(現在の社民党の前身)も然りであり、似たような弱みを握られており、戦後の社共運動は連中にコントロールされて来た歪んだ歴史を持つ。これは何も日本だけのことではない。これについては略す。共産党、社民党は政権的には野党であるが与党も事情は然りで、首相となり政権を運営するような人物はほぼ全てコントロールされている人物ゆえに首相になりえていると思えばよい。これは戦後来一貫してそうである。

 日本の戦後政治史上、この仕掛けから逃れていたのは唯一、田中角栄であったと思われる。その為であろう、国務省宛「角栄レポート」が詳細に記されているのは知る人ぞ知るところである。戦後保守ハト派系の吉田茂、その門下生の池田隼人、田中角栄、大平正芳、鈴木善幸及びそのラインが相対的に自律していたと思われる。この系以外はほぼ全て篭絡されていると思えばよい。戦後日本は戦後保守ハト派系にリードされ、奇跡の戦後復興、引き続いての世界史上に輝く高度経済成長を遂げてきたが、その日本の更なる成長がコントロールし難き事態になるのを危ぶんだ国際ユダ屋が、時の表の権力者キッシンジャーを頭目としてロッキード事件を画策し、角栄の政治生命を断った。この時、直前までリンチ事件と復権疑惑で立ち往生させられていた宮顕が党の総力を挙げて精力的に角栄追討戦に精出したことは衆知の通りである。

 これを境に、戦後保守ハト派系が冷や飯を食わされ続け、逆に国際ユダ屋の子飼い下にある戦後保守タカ派系が権力を握ることになった。これを分かり易く云えば中曽根-ナベツネ系の天下になった。以来、この徒弟が日本政治を牛耳って今日まで経緯している。ここに日本政治が少しもまともにならない理由がある。これが今日に至る日本斜陽化、政治貧困の主因である。それはそうだろう、日本のための政治をするのではなく、黒幕の指令通りに施策するのだから、ろくなものにはなりはすめえ。

 もとへ。「共産党の日共化問題」の本質はここにある。野坂然り、宮顕然り、不破然り、志位然りで、ろくでもないもんが党中央の最高指導者に納まり党活動を逆漕ぎしていると思えばよい。ここでは野坂、不破、志位のイカガワシサには触れないが、叩けば埃が出る者ばかりであることを指摘しておく。不破が宮顕に継ぐ大物なので、不破については折を見て別稿で論じたい。彼らの毒牙が左派圏に回っているので今日の如くある。れんだいこが著作した学生運動然り、その他その他の大衆団体の分裂と抗争にほぼ全て関わり悪事を働いている。こう捉える者は少なく、逆に本物の野党であり名指導者であるとして評するのが通用しているのがお笑いである。

 こうなると、党員、支持者たる者よ、そろそろ憤然とすべきではなかろうか。そういうイカガワシイ最高指導者に道理なり倫理道徳を聞かされる必要がないし、いざの局面での逆指揮に従うべきではないのは当たり前のことである。実際には、党中央がそういう者である故に過剰な党中央拝跪を説かれ、従順な子羊にされている訳であるけれども。かく見立てができれば簡単で、本稿を読んでからには党中央指令に造反し、あるいは公然と談判状を突きつけるのが良い。これにより党内に瀰漫する心身症の相当なる回復が見込めることになるであろう。

 れんだいこのカンテラ時評№1217  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 3月30日(日)
 日共問題考その3

 久しぶりに日共問題に言及しているが、ここで「日共問題考その3」として「議事録抹消先鞭役としての日共批判」をしておく。これもいつか言いたかったことである。これを正確に云えば、議事録抹消の先鞭役が日共かどうかは分からない。但し、分からないのは、れんだいこだけではなく他の者も同じようなので仮に先鞭役としておく。先行事例があれば、これが確認でき次第に表記換えするつもりである。ここで云う「議事録」とは「国会質疑議事録」のことを云う。

 れんだいこが何を論拠としているのか、以下これを明らかにしておく。直接的には「1988.2.7日、衆院予算委員会での共産党の正森成二議員と浜田幸一委員長の遣り取りで勃発した宮顕犯罪の一つとしての小畑中央委員リンチ致死事件(通称「宮顕リンチ事件」)を廻る質疑議事録の抹消事件」のことを云う。事件の概要は「補足・浜田幸一元自民党代議士の貴重な事件分析」に記す。ここで確認すべきは、「国会質疑議事録の抹消」がこの時から始まり、これがその後に定向進化し、今では至るところで瀰漫しており、その元一日的意味があるということである。

 日共が国会を足がかりとする政治運動に着手して以来、数々の眉唾な動きが認められる。その最たる例が近現代政治家の中での傑出した逸材であった田中角栄を失脚せしめる為に相当な役割を果たしたことであろう。他にも戦後政治の善政機軸であった公共事業を敵視し遂に今日ある如くな惨状に追いやったことが挙げられる。箱物行政批判もその流れのものである。歴史観的には、戦前の第二次世界大戦に至るまでの歴史の流れをフリーメーソン史観で捉え、民主主義陣営対全体主義陣営の戦いであったなどと歪曲し、「国際ユダ屋の覇権との戦い」であったと云う面をおくびにも出さず、勝者側の「民主主義陣営」の戦勝国論理&論法を振り回し今日まで説教し続けている例も挙げられよう。

 大衆団体運動、例えば学生運動、原水禁運動、新日本文学運動、部落解放運動、日中友好協会その他その他に関わっては分裂させ、結果的に運動体的利益を毀損せしめ今日の惨状に追いやった主因をなしていることも挙げられよう。滑稽なことに、これらの党史、運動史を極力残さないよう指導し、それが証拠にホームページを見よ共通して出て来ない。仮に記せば噴飯もののご都合主義記述に偏っている。「国会質疑議事録の抹消」は、そういう変態運動の一コマを語るものでしかないが、その影響力が無視できないと云う意味で取り上げるに値する。

 「国会質疑議事録の抹消」が何故に弾劾されるべきか、それは自明である。常識的に見て、実際に審議された遣り取りは議事録に記録されるべきであり、抹消などが許されて良いわけがない。仮に問題発言がなされ悶着したとして、その結末までの一部始終をも議事録にすれば良いだけのことで、「抹消」と云うような「あったことをなかったことにする措置」は許されない。国政の最高権限を詠う国会の場での質疑なら厳重にそうあるべきである。

 それをかの時、いとも簡単に「議事録抹消」させ、その悪弊がその後の政治に影響し、先の民主党政権下では閣僚会議をはじめとする重要会議の議事録不存在にまで発展し、福島原発事故後の東電対応では「議事録黒塗り&抹消」のオンパレードへと繋がっている。こういう事態の始発をなしたのが「1988.2.7日の議事録抹消事件」である。この悪弊が常態化しているという意味で、日共責任が免れ難い。

 かの時、ハマコーは、審議を混乱に導いた責任に対しては陳謝するが、議事録抹消は政治信条に関わるからできないと突っぱねている。後日、「私の発言の議事録からの削除だけは絶対に認めるわけにはいかなかった」と述べている。そこへハマコーの親分格の金丸が登場し、1・質疑発言を取り消し議事録から抹消するか、2・予算委員長の辞任かのどちらかを選べと迫られることになった。ハマコーはその両方を拒否し、結果は、議事録抹消及び予算委員長辞任となった。以降、実質的にハマコーの政治生命が断たれ要職に就くことはなかった。その後、ラスベガス賭博散財事件、借金事件等で顰蹙を買うことになるが、これも何がしか仕掛けられた裏事情があった気がしないでもない。

 それはともかく、日共が国会を足がかりとする政治運動に着手したこと自体は良いとして、何か有益なことをしているのかと問うと見えてこない。逆の事象ばかりが目に付くことが奇妙過ぎる気がしてならない。党名が共産党だからして平素は弱者の側からの発言をするが、それは当たり前で特段に評価する必要はない。いざ鎌倉の時の日共対応が問題だ。どこから入手したのか分からない情報を元に国際ユダ屋が狙い撃ちする政敵を葬る為に暴れ馬的活躍をするところが奇妙である。れんだいこの今日的立論は、「国際ユダ屋に飼われた左からの突撃隊」的役割をしていると見なしている。この見当はあながち的外れでないと思っている。ここに闇がある。以上、本稿を「日共問題考その3」とする。

 れんだいこのカンテラ時評№1219  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 4月10日
 日共問題考その4

 「日共問題考1」でクリミア騒動に見せる志位委員長見解のトンデモぶり、「日共問題考その2」で戦後の宮顕釈放及び復権問題に於ける疑惑、「日共問題考その3」で国会議事録削除の先駆けぶりを論じた。ここでは「日共問題考その4」として、はるか昔のことになるが「50年分裂」時の1951年の東京都知事選、大阪府知事選に党中央と宮顕派がそれぞれ別の候補を推して激しく対立したと云う「二人候補事件」を取り上げておく。

 この不祥事はよほどの事情通でなければ知られていない事案である。これを為した方の宮顕派は、自らが党中央に楯突いた分派史が、その後の宮顕派系党中央の政権運営に好ましくない悪行の為であろう封印している。ご都合主義的に脚色されたものではない正確な党史を遺さねばならない所以がここにある。

 「二つの共産党による二人候補事件」を少し詳しく確認しておく。1951.4.23日、第2回一斉地方選挙が行われた。共産党は、都道府県議6名、市区町村議489名を当選させている。この時の共産党は事実上分裂していた。これについて簡略に説明しておくと、前年の1950年初頭の「スターリン論評」を廻って、日本共産党内のことは日本共産党で解決するとして自主独立の立場を保持せんとする徳球-伊藤律系党中央(所感派と呼ばれる)に対して国際共産主義運動の規律に従うべしとする国際派の党内抗争が勃発した。

 今日、宮顕系党中央の功績として自主独立路線を挙げる向きの者が多いが、日本共産党の自主独立路線の嚆矢は、この時の徳球-伊藤律系党中央(所感派)の対応に始まるものであり、この時の宮顕系の対応は真反対の「スターリン論評」に従うべし論を唱え国際共産主義運動団結を擁護せよの立場から党中央を批判していた。こういうことを史実的に確認せねばなるまい。

 党史は1950年6月の朝鮮動乱勃発。これに伴う共産党の非合法化。国際派の分派組織公然旗上げ。徳球-伊藤律系党中央主要幹部の北京亡命。北京機関の立ち上げへと至る。これにより共産党内は党中央所感派(徳球派、伊藤律派、志田派、野坂派等々)、国際派(志賀派、宮顕-袴田派、春日(庄)派、神山派)、中立派(中西功派、福本和夫らの統一協議会派)に分裂した。徳球-伊藤律系党中央が「50年テーゼ」を打ち出し党内団結を呼びかけたが、宮顕-袴田派の執拗な反党中央姿勢の硬化により亀裂は深まるばかりと云う状況に突入していた。

 補足しておけば、この当時これだけの分派が存在したと云うことは、当時の党規約が今日ほど分派禁止規約にしていなかったことを物語っていよう。この当時の党大会時には党中央の議案に対して党内反主流派の対案が提出されることもままあり、見解の分かれそうな重要事案を廻っては喧々諤々の党内議論が為され、後日の証として発言議事録を克明に残すことを作法としていた。これにより当時の党史が解明できる果実を生んでいる。それに引き換え、55年の六全協で宮顕派が党中央を壟断して以来、幹部会議事録が公開されることはない。在りし日の徳球-伊藤律系党中央時代の在り方とは全く別の強権的な党中央集権制が生み出され、その後の党員が易々とこの論理論法を受け入れ今日に至っている。この為、徳球-伊藤律系党中央時代のような党史解明ができずブラックボックス化している。

 もとへ。この時期に「二人候補事件」が発生している。この時の東京都知事選、大阪府知事選に際して、党中央は独自候補を立てず社会党候補を「社共統一候補」として推薦するという選挙方針をとり、東京都知事に加藤勘十を、大阪府知事に杉山元治郎を推した。「社会党の受け入れ為しに一方的に社共の統一候補として社会党候補者を推薦するという選挙方針をとった」との評があるが「一方的」であったかどうかは分からない。いずれにせよ要するに共産党が自前候補を出さずに社会党候補を推進したことになる。これに対し、宮顕が指導する統一会議派は、反帝の態度が曖昧な候補の推薦を無原則的と批判し、独自候補として東京都知事に哲学者の出隆、大阪府知事に関西地方統一委員会議長の山田六左衛門を出馬させた。

 宮顕らによる独自候補擁立方針に対して、同じ反党中央の間でも異論が出た。中西派は、機関誌「団結」紙上で、党内が別々の候補で争うことに反対し、選挙候補の統一を呼びかけた(「団結」第23号「地方選挙闘争の基本問題」他)。福本グループの統一協議会は、国会選挙以外の地方選挙は一切ボイコットせよと主張した。野田ら国際主義者団派は、「平和綱領」を承認する候補者だけを支持せよと呼びかけた(「火花」3月第5号「地方選挙と日本プロレタリアートの任務」他)。こうして事態は互いが云いたい放題の求心力なき、否、遠心力が働くばかりの党となった。

 こうして戦前戦後通じて初めて「二つの共産党」が別々の選挙戦を戦うという珍事態が現出した。特に宮顕系の統一会議派は、党中央臨中派の地方選挙方針を激しく批判しつつ、独自候補運動の正当化を喧伝した(「党活動」3.10日付け「革命的議会主義と当面の地方選挙闘争」他)。選挙戦を通じて、党中央臨中派と統一会議派が大衆の面前で抗争を展開し、相互悪罵戦の泥仕合を演じている。党外大衆の困惑は不信と失望へと向かった。投票結果はそれぞれ惨敗となった。得票数等の詳細は分からない。

 この事件を今日的にどう評するべきか。少なくとも宮顕系統一会議派の分裂候補戦略戦術は党を愛する者の所業ではなかろう。宮顕の党活動履歴に見えてくるのは、この残酷非情さである。より深く党を思っての反党中央活動なら許容されようが、最終的に党中央を牛耳る狙いばかりの反党中央活動履歴しか見えてこない。れんだいこが宮顕をしてスパイMに成り代る形で党中央に闖入してきた腹に良からぬ企みを持つ異邦人であると断定する所以である。後に宮顕派が党中央を掌握した時の党内縛りぶりを見よ。手前らが反主流の時には公然たる分派活動を行っているのに、手前らが党中央になるや分派活動を徹底弾劾弾圧して恥じない。その二枚舌に対して痛憤せざるを得ない。

 宮顕系党中央は、手前らの党中央固めに不利となる事象事件については封印する癖がある。科学的社会主義なるものを自称しているが、その科学たるや科学がその実態を知れば卒倒するような御都合主義的なもので単に科学を冠しただけに過ぎない。にも拘わらず多くの者が言葉のトリックに騙されてしまう。言語及びその概念及び論理学に弱いとこういうことになると云う見本であろう。

 興味深いことを補足して締め括りとする。共産党は、1951年の都知事選での醜態が因縁となって、その後の都知事選にも何がしか変態が付きまとっているように思われる。今年の2014都知事選もその格好例なのではなかろうか。これに関する詳しい説明は省くが、脱原発派に勝利する可能性があったにも拘わらず、その芽を潰すが如くに日共的に立ち回っている。元首相コンビの細川-小泉連合が脱原発を掲げて参入してくる気配を察知するや、前回大敗した元弁護士会会長・宇都宮をいち早く担ぎ出し脱原発票を端から二分させる分裂選挙に突入させている。結果的に原発稼動派の枡添当選に裏から寄与している。しかも、これに対する総括は、宇都宮票が細川票より2万6千票多かったことを手柄に「一本化すべきなら宇都宮に一本化するのが筋だった」なる弁で切り返して正当化している。

 これをまじめに批評する政論もあるが、れんだいこには馬鹿馬鹿しい。このところの選挙がムサシマシーンの工作するところのものであり、そのような数値をまじめに検討してどうなろうか。分裂選挙そのものと出てきた数値に対して工作側の意図を読む方がよほど科学的だろう。更に云えば日共の新たな変態史ぶりを確認すれば良いだけのことである。

 日共問題考その5
 「れんだいこの日共問題考5」は、日本左派運動の衰退に対する日共党中央の指導責任無痛性を問う。れんだいこは、この無痛性を疑惑しており尋常ではないと思っている。そう思わない支持者が居るのは勝手で類は類を呼ぶと云う現象であろう。

 日本左派運動圏で日共に対する批判論者は多い。共通して如何に日共党中央が路線的に間違っているかを左から右から論じ、それで事足りているように見える。れんだいこは、そういう日共批判をしない。理論的に日共批判をして事足りている者たちこそ浅知恵と思っている。日共問題の肝は、日本左派運動の無効化請負の為に闖入してきた異邦人が党中央を占拠して悪指導しているところにある。本当の日共批判は、彼らが日本左派運動の撹乱と衰退をこそ使命として党中央に登壇し悪指導していることを見抜いて放逐せねばならぬところ、そういう連中のそもそもいい加減なロジックをまじめに衝いてその間違いを理論的に指摘して事足れるとしているところがいただけない。

 これと似て非なるものとして日共に対するスターリニズム批判がある。れんだいこは、この論も受け入れない。なぜかというと、スターリニズム批判は、日共党中央の異邦人性を指摘せず、彼らに日本左派運動内の一角に座るべき座を与えた上で、そのスターリニズム的偏向を糾すと云う意味合いを持っているからである。結果的に日共党中央の異邦人性問題から目をそらし免責する役割を果たしている。そういう訳で、れんだいこ史観に照らせばスターリニズム論の見地よりする批判は的を離れ過ぎている。あくまで日共党中央批判の的は「日本の共産党運動壊滅請負の為に闖入してきた異邦人性」に対するものでなければならぬ。スターリニズム論は、この見地に対するすり替え捻じ曲げ批判でしかないと思っている。

 思えば、日本の反日共運動、新左翼運動の伸び悩みと結果的な衰退は、日共党中央問題を的確に見据え、変質させられている日本共産党に変わる本来の左派運動の主体創出という肝要テーマに基づく正しい理論を獲得できなかった為ではなかろうか。日共党中央指導の理論的間違いを指摘して足りてみたり、スターリニズム論の見地から批判するぐらいでは日共問題は解けない。あくまで「日本の共産党運動壊滅請負の為に闖入してきた異邦人性」に対する的確な批判を通して日本共産党に変わる真の左派運動の主体創出に向かわない限り意味をなさないし実を結ばないであろう。このそもそもの構図上の間違いが日本の反日共運動、新左翼運動の伸び悩みを招いていると評するべきではなかろうか。

 れんだいこがなぜかくも断定的に日共党中央問題に言及するのか。それは、総論として日本左派運動史を紐解き、各論として戦前党史、戦後党史、宮顕論、野坂論、不破論、志位論を照覧し、連中が明らかに日本左派運動の無効化請負の為に闖入してきた異邦人であることを断定的に確信しているからである。こう理解すれば日本共産党の変調運動が整合的に理解でき逆は逆になる。然るに世の識者の多くは腐っても鯛的評価でやり過ごしている。どちらの認識が真なるか、そろそろはっきりさせても良いのではなかろうか。

 これを補足しておく。日共問題をありきたりの日頃の共産党的対応でもって評価しても意味がない。それは党名からして当たり前のことであり、見るべきはいざ鎌倉的な肝腎なときの日共対応であろう。れんだいこには何一つとして得心できる指導はない。逐一記さないが変態指導のオンパレードである。だがしかし、こういうことが自然偶然にあり得るだろうか。これを他の理由でどうやって説明できるだろうか。更に云えば、日共運動が国際ユダ屋の左からの御用聞きと思えば整合的に理解できる。となるとそう認識すべきではなかろうか。れんだいこは今のところこの持論を覆す例に出会っていない。この観点につき世に賛否を問いたいと思う。

 2014.4.18日 れんだいこ拝

 この謂いの一つの例証として国会議員数について確認しておく。戦後の党運動は徳球系のそれと宮顕系のそれと質が違うので区分して確認せねばならない。徳球系の最大議席は1949年の戦後第3回目の第24回総選挙での35議席である。芦田内閣の崩壊から3カ月後の総選挙で、社会党惨敗、吉田系民主自由党と共産党が躍進した。各党の議席を確認しておくと民主自由党264(←解散時152)、民主党69(←90名)、社会党48(←111名)、共産党35(←4名)、国協党14(←29名)、労働者農民党7(←12名)、その他29名である。この時の共産党の選挙結果を解析すると議席は4議席から35議席、得票数は約100万票から約300万票、得票率は3.7%→9.8%となっている。これを戦後直後の混乱期に因を求めるのは失当であろう。徳球系党中央の議会闘争が概ねに於いてその他の闘争と正しく結合されており、その上で経験を積み重ね、漸く実を結び始めた故にと考えるべきであろう。

 徳球は、2月の党中央委員会総会で「反動中の反動、民自党が過半数を占めたことは、決して我々が勝利に酔っ払っておるときではなく、更に緊張し、一層の奮闘をしなければ為らないときであることを教えている」、「理論拘泥主義(宮顕派のこと)が極めて強烈な害毒を流したこと。また現に流しつつあることに対して重大な関心を払わねばならぬ。上級機関の決定を根掘り葉掘り正しいか正しくないか検討するという馬鹿げた規約無視までやってのけるのがこの特徴である」と報告している。意味深ではなかろうか。

 これに対して、宮顕系の最大議席は1979年の第35回総選挙での41議席である。この時の共産党の得票数、得票率が分からない。この時の疑問は、41議席時の共産党の活躍が妙に記憶がないことである。議員立法なりの諸権利を得ると思われるが特段の功績を聞かない。以降、漸次長期低落傾向のまま今日へと至っている。問題は、これを痛苦に受け止めることが露もなく、選挙のたびに科学的社会主義が聞いて呆れるこじつけで勝利総括し続けていることである。不破ともなると政界のしゅうとめ的な発言で今日でも一家言し続けている。この居直り現象をどう理解すれば整合的だろうか。常識的には指導者たる者は頭を丸めて出直さなければならないところ一向に悪びれた様子がない。捲土重来の掛け声しているが真剣みは感じられない。れんだいこは、本質的には日本左派運動衰退化請負人としては首尾よく任務遂行故の痴態ではないかとみなしている。故に宮顕、不破、志位のご満悦振りが見られるのではなかろうか。こう解する以外に解けない。他の理由があるとすれば天然ボケと云うことになるが却ってオカシイだろう。誰か他に解ける者がいるなら聞かせてくれと思う。

 お笑いは民主連合政権構想の顛末である。1960年代半ば頃より「70年代の遅くない時期までに民主連合政権を樹立する」との旗振りがあり党勢は1970年代までは上向していた。先の話しであったその70年代が過ぎると「20世紀の遅くない時期までに」となり、21世紀になると「21世紀の早い時期までに」となり、今日では恥ずかしくなったのだろう聞こえなくなっている。不破ともなると、そもそもそういう縛りの青写真を持つことが間違いだった論でいけしゃぁしゃぁと逆説教で事なかれしている。更に「本物の野党論」を編み出し政権構想論そのものを捨て去って唯我独尊している。党内がこれで治まるのだから党外のれんだいこが云う必要もないがお笑いはお笑いであろう。

 最後のクエスチョンである。共産党運動の今日的在り方がまじめな動機の線から生まれるだろうか。理論とかの問題ではないのではなかろうか。れんだいこの結論は既に出ているが、あくまでも仮説なので注意深く検証し続けているのが実際である。

 れんだいこ史観はこれだけではない。これまでの弁を第一の矢とすれば第二の矢にも目を向けねばならない。第二の矢とは、日本左派運動理論に於けるマルクス主義の見地よりするそれの相対化に向かわなければならない。今やマルクス主義そのものを歴史弁証法のふるいにかけ、新時代の理論獲得、形成に向かわなければならない。その為にマルクス主義の正確な理解をせねばならず、そのマルクス主義の正確な理解が覚束ない状況にあってはお話しにならない。今はそういうレベルである。一応マルクス主義の正確な理解を済ませたとして、向かうべきは、そのマルクス主義の偏狭性から脱皮して本来の瑞々しい共同体運動、その真の意味であるたすけあい運動に転換せねばならない。これが第二の矢である。

 次に第三の矢がある。第三の矢とは、第二の矢の延長上にある導きの星理論を云う。これを演繹的に活用するもよし帰納的に活用するもよしであるが、たすけあい運動の理論的核を獲得せねばならない。

 ざっとこういう構図になっている。

 2014.4.18日 れんだいこ拝

 大阪維新・馬場議員の日共批判考その1
 2016.1.27日、大阪維新の会の馬場伸幸幹事長馬場氏は、質問の冒頭で、2015.11月の「大阪府知事、大阪市長ダブル選」で、維新が自民と対決し完勝したものの、この時の共産が自民候補を積極的に支援したことを「異様な光景」と指摘。更に「(ダブル選で)自民党を一番熱心に支持した共産党と国会で自民党に対立している共産党は一体どちらが本当の共産党なのでせうか」と問うた。これを仮に「馬場質問」と命名しておく。維新の会には何の興味もないが、この問いは相当に重要と考えるので本稿をものしておく。久しぶりの日共批判になる。

 補足しておけば、この時、志位委員長は直後に記者会見を開き、「馬場質問」に対して、「我々には答弁する権利がない。そういう席で他党を論難するのは国会質問のルール違反だ。ルールをわきまえてほしいと強く言いたい。私に答弁させてくれるんだったら別だが、そういう場じゃない」と強く反発した。これはそうかも知れない。但し、共産党がこの謂いを守っているのかどうかの証にする為に魚拓しておく。

 私が何故に「馬場質問」を重視するのか。それは、2015.11月の「大阪ダブル選」で、「共産党が熱心且つ積極的に自民党候補を支援」したのは史実であり、「共産のタカ派系自民支援」に興味を覚えるからである。馬場幹事長の「自民党支援する共産党と自民党対立す共産党は一体どちらが本当の共産党なのか」は当然の問いであろう。これに対する私の解は、日共とタカ派系自民は平素は対立し、いざ鎌倉時には同盟化するのが本質であり、ロッキード事件以来定式化されている。「大阪ダブル選」は共産のこの本質を久しぶりに露呈させたと読む。ちなみにこの本質が共産を日共と呼ばせることになっている。

 これは共産と自民だけを見ても分からない。こういう時には「れんだいこの国際ユダ邪論」を媒介させねばならない。これによれば、国際ユダ邪の御用聞きの表が自民で裏が民主、介添えが維新である。表の咬ませ犬が公明で裏の咬ませ犬が共産、社民である。大衆団体や新左翼の過半も同様に位置づけられている。これが国際ユダ邪系日本政治の型である。この型からはみ出る政党や政治家は検察、税務署、マスコミを使って潰される。こう心得ねばならない。

 この国際ユダ邪系日本政治の型スクラムがあるから第三の党が生まれない。生まれようとすると表の党と裏の党が挟み撃ちするからである。これが日本政治貧困の仕掛けである。この仕掛けによって原発撤退できない訳である。脱原発は当り前なのに、日本政治は結果的に逆の再稼働一直線街道をひた走り続けている。狂気政治であるが狂気が余りにも平然と行われるので誰も奇異に思わない。そのうち大咎めに遭い、遅かりし由良の助になるであろう。最近の不正選挙問題に関してどの政党からも疑問の声、糾弾の声が上がらないのもこれ故である。

 「共産党の自民党支援」は国政選挙、首長選挙でも確認できる。国政選挙に於ける共産党の全区立候補、首長選挙に於ける候補擁立は、弱い方の野党の分裂を招いており、強い方の与党の自民党と公明党は団結している。これでは勝てるものが勝てなくても当り前だろう。こうして大騒ぎした割にはさほど変わり映えしない選挙結果になる。但し、弱い方の野党の団結は沖縄で実現しており成功事例となっている。この成功事例が全国に及ばないのは偶然ではなく及ばないように申し合わせていると読むしかなかろう。目下の野党連合論は風呂屋の三助の云うばぁで実現することはあり得ない。

 思えば、小沢派の政党活動軌跡は唯一この国際ユダ邪同盟スクラムに風穴を開ける試みであった。しかしながら小沢派は、民主党を政権にありつかせて以降の2009年9月より以降は用済みの要らん子扱いの冷や飯組にされ、それも次第にイジメに遭い仕舞いには党外に放逐されてしまった。この間、その小沢派のドン小沢を最も精鋭的に叩き続け、検察正義論で焚きつけたのは日共であった。記憶に新しかろう。小沢派はその後、生活の党を立ち上げ、一人党の山本太郎を巻き込み現在に至っているが、このラインからしか日本の未来は開けないのは自明であろう。

 野党連合論で云えば、この生活の党に社民党が連動し共産党が連動し、民主と維新の一部が連動し、労組と大衆団体が連動し、国際ユダ邪系スクラム対抗スクラムを組むのが自然な流れである。これを仮に「社共生活連合」と命名する。共産がこれに向かって汗をかかねばならない時に民主との連合を呼びかけるのは有害無益なお遊び以外の何物でもない。こうして時間と労力の無駄をし続け、「社共生活連合」にネグレクトし続けるところに胡散臭さを見て取るべきではなかろうか。これがれんだいこの解である。史実は小説より奇なりで、今後の政局がれんだいこ解の正しさを実証しよう。



 



(私論.私見)