共産党が庶民の味方だって?バカバカしい、何という無知だ。下の書き込み一つ見てもわかるだろ。
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永井 隆雄
「党職員こそ残業もボーナスも交通費も出ないのに『赤旗』配達までやらされたワーキングプアそのものだった」(元共産党議員公設秘書)。『蟹工船』ブームで入党者急増の日本共産党は「現代の駆け込み寺」だって=野村旗守 2009年3月19日(木)0時0分配信
SAPIO 文=野村旗守(ジャーナリスト)
『蟹工船』ブームで、日本共産党が完全に息を吹き返した。07年秋から昨年末までの入党者数は1万4000人にも上る。朝日新聞(1月11日付)は、派遣切りにあった若者たちが共産党に集う様子を「まるで現代の『駆け込み寺』だ」と持ち上げた。しかしどうもこの「駆け込み寺」、票集めのために急ごしらえで作られたプレハブだったようだ。「格差社会を糾し、平和と憲法を守り抜く確かな野党」それが日本共産党だと、志位和夫委員長はことあるごとに強調する。昨年2月の国会質問では、「日雇い派遣は人間を消耗品のように使い捨てにしている」と福田康夫前首相に迫り、それがネットの無料動画で流れると「就職氷河期世代」と呼ばれる若年非正規労働者層からやんやの喝采を浴びた。志位委員長のみならず、議員団や機関紙『赤旗』も、「共産党は派遣法改正に反対を唱えた唯一の政党」だと、ここ数年呪文のように繰り返している。たとえばこんな具合だ。「日雇い派遣、偽装請負、ワーキングプア。なぜこんな非人間的な労働が広がったのか。きっかけになったのが一九九九年の労働者派遣法の大改悪です。このとき他党がみな賛成するなかで、今日の深刻な事態を予測して反対の論戦を展開したのが日本共産党でした」(『しんぶん赤旗』08年8月17日付)。続けて同紙は、「当時は孤立したたたかいに見えましたが、政府も与野党もこぞって派遣法の改正を言い出しているいま、ここまで状況を動かした『決定的な場面』として光っています」と誇らしげに書く。
しかし、本当にそうだったのだろうか? たしかに99年の派遣法改正後、非正規雇用労働者の待遇問題などについて国会質問したのは、小池晃議員や小沢和秋議員ら共産党の議員たちだった。彼らは法律の名称を「労働者保護法」と改称することや、派遣業務の対象を縮小することなど、党としての改正案を提案していた。しかし、当時の共産党が組織を挙げてこの問題に取り組んでいたのかとなると、甚だ疑問である。当時、小沢和秋議員の秘書だった篠原常一郎氏が振り返る。「派遣法改正で今後大量の失業者や貧困層が出現するだろうと予測し、党としてこの問題に取り組むべきだと最初に提案したのは我々です。ところが、党の幹部たちの反応はさっぱりで、一様に苦虫を噛み締めたような顔をしていました。というのも、支援対象に野宿者(ホームレス)を含めたからです。幹部たちは、野宿者などはルンペンプロレタリアートであって、相手にすべきではないと言うのです。彼らは何十年も前の発想で、ルンプロに対する支援なんていうのは、(彼らがニセ左翼と呼んでいた)新左翼の連中がやることだ、くらいに思っていたのでしょう。そうじゃなくて、時代が変わったんだ、いまは誰もが明日はホームレスになるかもしれないのだと、いくら説明しても理解できない様子でした」。
「ウチは慈善団体じゃない」と言い放った党幹部
つまり、派遣などの非正規雇用労働者問題に取り組んできたのは共産党のなかでもごく一部であって、党幹部らは派遣法改正など歯牙にもかけていなかったのだ。あまつさえ彼ら党官僚は、「そんな票にもならないことをなぜやるんだ。ウチは慈善団体じゃない」とまで言い放ったという。「共産党に入ればまともな会社には就職できない。運良く入れても出世できない。そういうリスクを負ってでも人助けがしたいと思って入党したのに、『ウチは慈善団体じゃない』とは何事か。それが世の中の風向きが変わった途端、コロッと変わって『格差是正の日本共産党です』と、こうです。何たる偽善でしょうか」。
篠原氏はそう憤る。篠原氏は79年に入党。95年に参議院議員(当時)・筆坂秀世氏の公設秘書となった。その後、03年に筆坂氏がセクハラ問題で党の役職を罷免されると、これに抗議して翌年除名処分を受ける。篠原氏によれば、共産党の下部専従の生活は、それこそ「ワーキングプア」そのものだったという。「一応給料は出ていましたが、残業代はつかず、ボーナスも出ない。しかも遅配欠配が多く、交通費などの諸経費は自分で稼げというのが党の方針でした。だから私も、月に一度沼津の港から届くアジの開きをトラックに積んで、党員や支援者の家を回って売って歩きました。給料日前は飯が食えなくて、支援者の家に上がりこんで食べさせてもらっていました」。その後、議員秘書となった篠原氏は、当時の不破哲三委員長ら、党官僚たちの〝ノーメンクラツーラ(赤い貴族)〟さながらの華麗な暮らしぶりを垣間見ることになる。「不破氏には神奈川県の津久井湖畔にある豪華別荘(現在は自宅になっている)のほか、全国に複数の別荘があった。津久井には、護衛、運転手、2人の料理人など、常時5人ほどが泊まりこんでおり、彼らの住む別棟までありました。彼らはみな党中央委員会の職員で給与は党から出ていますが、普通だったら年収1億円以上なければできないような生活でしたよ」。また、当時の不破氏には国会議員として支給される2000万円ほどの歳費(うち700万円ほどは党にカンパ)のほか、年に数点発行される著書の印税もあった。党員や支持者に売るのだが、内容は不破氏の講演テープを起こしたものが多く、実際に書いているのは秘書たちだ。不破氏ばかりでなく、下部職員が低賃金に苦しむなか、常任幹部と呼ばれる20名ほどの最高幹部らも1000万円以上の年収を得ていたという。
これら篠原氏の証言が本当ならば、とんだ労働者の味方である。共産党は、94年に制定された政党交付金を「憲法違反だ」と言って、受け取りを拒否している。これを言ったのは故・宮本顕治元委員長だったと言われており、「支持政党にかかわらず国民の税金が各党に配分される政党助成金制度は、国民の思想・信条の自由を侵している」というのがその理由だ。しかし、志が高いのはまことに結構だが、その一方で共産党が現実にやっていることはどうなのか。02年、元共産党国会議員秘書で、拉致問題に関わって党を除名された兵本達吉氏らが「党ぐるみで組織的、系統的に、しかも長年にわたって年間何億という資金を国会議員秘書の給与から搾取していた」と、共産党を東京地検特捜部に告発したことがあった。兵本氏が89年から98年まで10年間の給与明細をすべて調べたところ、参議院から支給された1億173万円のうち4813万円、つまり半分近くは党によって「ピンはね(兵本氏)」されていたという。しかも、このような秘書たちの給与からの天引きによって、最盛時には年間3億~6億円にも及んだ〝差額〟の使途は、一般党員はもちろん、「カンパ」したことになっている秘書本人にも一切知らされていなかった。このときの告発は不起訴処分になったが、捜査にあたった検察側は「これで共産党財政の外堀と内堀を埋めることができた。次は本丸を狙えます」と兵本氏に語っていたという。
ここ最近、『蟹工船』ブームも手伝って「一気に1万4000人もの党員が増えた」と怪気炎を上げる日本共産党だが、前出の篠原氏は「高齢化が進み、活動家の主力は60代から70代。亡くなる人も含めて、実際は減っている数のほうが多いはず」と推測する。この件について党中央委員会に尋ねたところ、「1万4000人というのは入党者が急増したので特別に出した数字であって、全体の党員数は今年開かれる予定の党大会までわからない」との回答を得た。また、若者の入党者が増えたからといって、『赤旗』の部数はかならずしも増えていない。それもそのはずで、一日1000円足らずで生活しているワーキングプア層に、日曜版も含めて4000円近い購読料など払えるはずもないのだ。今後とも引き続き財政難が予想される日本共産党。意地を張らずに「やっぱり政党交付金をください……」と恥を忍んで素直に申し出たほうかよろしいのでは?
2013年6月7日 0:22 · 公開 永井 隆雄
九大での指導教授が共産党員でした。共産党系の教員は、月刊経済によく登場しています。その教授(准教授)が、党員の給与遅配や待遇の劣悪なことを問題にしていました。また、赤旗はほとんど無報酬で党員によって配達されています。末端の党員もいますが、彼らには報酬は基本的にありません。雇われている場合は生活保護水準が目安です。3人
· 2013年6月7日
https://m.facebook.com/takao.nagai/posts/497491780324720
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