日共は歴代の幹部会議事録を公開せよ |
(最新見直し2007.3.7日)
【日共は歴代の幹部会議事録を公開せよ】 |
2007.3.4日のNHK日曜討論を聞きながら思った。話題は、政治家の経費明細を求める領収証論議だった。例によって日共は、政府自民党の金権体質を批判し、独善的見解を披瀝していた。れんだいこの見立てるところ、仮にそれが正論なら手前の党がまず実践せねばならない、ということを逆に指摘しておきたい。日共の場合は、議員が党中央のくびき下にあるから、議員領収証は潔癖であるかも知れない。しかしながら、党全体としての決算書はどうなのだ。日共は経理を明細公開して見せよ。 れんだいこの知る限り、中立公正な監査役を立て精査させねばならない。なぜなら、宮顕-不破系日共党中央は、数次の規約改悪改正を通じて党大会管掌であったものを中央幹部会お抱えの監査役をして任に当たらせているが、取り締まられる側が取り締まるようなもので違反不正だろう。この党の内部ではこういう事例が多過ぎるのに、外に向かっては清廉清潔民主主義貴公子然として攻撃することを得手としている。 日共が議員活動費の経理公開を迫ることがいけない訳ではない。問題は、政治家としてもっと大きな政治責任に対して口をつむっている不正にある。それは何か。れんだいこが指摘すれば、宮顕-不破系日共党中央の議事録の公開である。その議事録がさっぱり公開されていない。これほどの不正が許されることだろうか。政治に於いてはこっちの方が重要であるように思われる。それは、歌手は歌、相撲取りは相撲、碁打ちは棋譜で仕事を証することと似ている。政治は、何を討議したのか、どう指針させたのか、それによって生まれた運動の指導責任が問われねばならない。残念ながら、日共の場合、この辺りの情報が完全封殺され過ぎていよう。 過去、党中央の座から滑り落ちた人士が何人も居るが、口をそろえて堅い。それは恐らく民主集中制的秘密漏洩禁止の党規約に縛られているのだろうが、その規約こそ胡散臭い。党中央の議論内容は極力公開され、それを受けて党内党外で大衆的に討議されるべきである。にも拘らず、中央の座から失脚させられた春日(庄)、袴田、市川、金子、筆坂の誰もが、自身が関わった議論内容を明かしていない。それは、党規約に縛られているのが一つの理由、もう一つの理由として、余りにもお粗末な内容を明るみにすれば自身も火の粉をかぶることを恐れてのことではなかろうか。僅かに袴田、筆坂が議論の様子を開陳しているに過ぎない。 胡散臭い奴はとかく隠す癖がある。我々は、政府の議事録公開を迫ると同じ立場で、政党の議事録をも公開させねばならない。それらは皆貴重な歴史資料となる。仮に差し障りがあるとして、少なくとも50年のスパンでは公開せねばならないだろう。米国の国立公文書館はその先例を示している。少なくとも、そのレベルでは公開せねばならないのではないのか。それこそ民主主義のルールではなかろうかと思うが、肝心のこういうことに関してはダンマリを決めている。 繰り返す。宮顕-不破系日共党中央は、政治資金については執拗に明朗公開を迫っている。それを是とするなら、同じ論理で、党中央内の議論内容を明朗公開せよ。それこそ政治責任ではないのか。徳球-伊藤律系党中央の時代には、党中央内の議論の様子、即ち意見の対立がそれなりに公開されていた。そもそも党中央内での所感派と国際派の対立の様子が漏洩されていたではないか。これについては、「戦後政治史検証」の「1950年上半期」の項に記している。党大会に於ける対案の自由も保障されており、徳球-伊藤律系党中央時代にはそういう公明正大さがあった。 それはともかく、いろんな事情があろうから、その全てをあきらかにせよとは言わない。少なくとも、差し障り無い範囲で構わないから、時の政治課題、党内規律に関する指導の内容を公開せよ。俺のところは非公開、政府自民党に対しては公開せよなる変態運動は通用しない。それが何の疑問も社会的に無く受け入れられているのではあるが。誰か、れんだいこに代わってこの声を要求してみてみ。どういう返答が為されるのかお楽しみだ。 れんだいこが、なぜこの問題に拘るのか。それは、宮顕-不破の左派運動指導者としての異常性と反動的本質を暴きたい為である。不思議なほど、宮顕も不破も大衆闘争の指導経験がない。なさ過ぎる。そういう御仁が指導者として君臨してきた構図が胡散臭すぎる。そういう経歴不審問題を措くとして、その彼らが、時の政治課題に対してどのように議論し、どのように指針させたのか、そこが問われねばならない。今こそその実際を明らかにせよ。れんだいこは、これを要求したい。 れんだいこの推定するところ、宮顕-不破系日共党中央内の議論とは、如何に闘わないか、闘う党派と運動に対してそれに如何に敵対し、沈静せしめるか、そういう議論に終始してきたのではなかろうか。60年安保闘争時のブント批判、70年安保闘争前の全共闘批判、その他ソ共、中共論争、その他内政外交にわたる一切の議論が、そういう議論に終始してきたのではなかろうか。 そういえば、ロッキード事件の際の田中角栄政界追放の動きも異常であった。かの事件により、政府自民党内のハト派とタカ派の宿命的抗争が、角栄-大平連合が鉄槌されたことにより、中曽根から小泉に至るタカ派の自民党支配の呼び水となったのではないのか。これに加担したのが、宮顕-不破系日共党中央の角栄糾弾闘争であった。そう云えば、その過程でのハト派の巻き返しであった細川政権誕生時に、これともっとも鋭角的に闘ったのも宮顕-不破系日共党中央ではなかったか。渡辺治とか云う稀代のペテン師をしゃしゃり出させて煽ったのではないのか。 そういうことを確認したいが為に、れんだいこは、日共党中央の過去の議論史の公開を求める。そこを確認してから次に、意図的故意にそういう悪指導を為す宮顕-不破とは一体何者なのか。そこを問いたい。これを問わなければ、日共の解体-革命的再生を為し遂げられないからである。しかるに、こう問う者が少な過ぎる。相変わらず、戦前の日共活動の恣意的プロパガンダの幻想の上に立って、宮顕-不破系党中央を盲信し、左派的指導が為されているものと勝手に懸想し、その挙句いつでも裏切られている。 れんだいこは、宮顕、不破に対する個人的憎悪は何も無い。あるのは、宮顕、不破の能力は、戦前来の日共には余りにも不似合いな御仁であり、日共指導の最高責任者として指揮させる訳には行かないという正義感だけである。分かり易く云えば、ウソと虚構が嫌なだけである。しかるに、そういう日共党中央が60年有余君臨し、日本左派運動を睥睨している。そういう無茶な構図を一日も早く終えさせたい、そう思うだけである。 それにしても、その日共を批判して生まれた新左翼、あるいは日共から除名されたり飛び出たりして新党を立ち上げた諸党派の不甲斐なさである。何故にこうなるのか。恐らく、重要なところでの認識が間違っており、批判しているようで大きな仕掛けでは染まっているからではないのか。だから、批判が貫徹し得ていないのではなかろうか。この現象は、そう考えないと解けない。だから、れんだいこは、彼らをも当てにしない。自力で理論創造し、新運動を創出する以外にない。道中との共同戦線運動はいくらでもできる相手ではあろうが。 2007.3.7日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)