議事録抹消先鞭役としての日共批判

 (最新見直し2014.03.30日)

 「議事録削除」考 れんだいこ 2004/05/31
 国会が面白くないですねぇ。民主党の馬鹿たれどもは何を遠慮して小泉ごときを奉ったような質疑を遣り取りしているのだろう。やっぱ左派党派が追い詰めないと面白くない(念のため、この場合、共産党や社民党のこというてるのではないよ)。まぁまぁまぁの庇い合いで論戦にならない。今や自・公・民与党体制ができた感がある。10分ほど耳を傾けたが聞くのやめた。

 さて、「参院決算委:柏村議員の反日発言 議事録から削除」についてコメントしておく。れんだいこには、「議事録から削除」なる芸風がどこから生まれたのか興味がある。どなたか教えてくれはれ。れんだいこの知る限り、その昔ハマコーが「小畑中央委員リンチ致死事件国会質疑事件」を起こしており、これに日共が猛然と反発し、すったもんだの挙句、「質疑発言の中の人殺し部分を取り消し、議事録から抹消する」ことになった。これ以前にもこういう姑息なことが行われていたのかどうかわからないが、常識的に見て、実質的に審議された遣り取りを「議事録から抹消」するなどという事が許されて良いわけがなかろう。

 ハマコーの偉いところは次のことにある。審議を混乱に導いた責任に対しては陳謝するが、議事録抹消は政治信条に関わるから出来ない旨を最終返答している。「私の発言の議事録からの削除だけは、絶対に認めるわけにはいかなかった」とある。しかし、これによりハマコーの政治生命が断たれていくことになる。

 「参院決算委:柏村議員の反日発言 議事録から削除」はこのことを思い立たせる。2004.4.26日、自民党の柏村武昭参院議員が決算委員会で、イラクで人質にされた日本人について「反日的分子」と発言した。5.31日、同委理事会は、「反日」などの表現を議事録から削除することを決めた。柏村氏は「(発言は)間違っていない」と述べ、自身では撤回しない意向を示した。

 削除するのは、柏村氏が「反日的分子のために数十億円もの血税を用いることに強烈な不快感を持たざるを得ない」と発言した部分の「反日的」と「危険地域への反日活動家の一時出国制限」と述べた中の「反日」の2個所。扱いを一任された鴻池祥肇委員長が同日の理事会で職権により削除を提案、了承された。柏村氏は、同委で外国人犯罪の増加を指摘する中で「中国なんかはろくな裁判もない」とも述べたが、これは既に自身で削除を申し立てた。「反日発言」に関しては「政治信条に基づく」として、委員長に一任していた。柏村氏は「言葉狩りで委員会審議に支障が出てはいけないので一任した。『反日』は辞書で意味を調べたうえでの発言だ。騒がれたのは意外だった」と述べた(2004.5.31日付け毎日新聞、月足寛樹)、とある。

 れんだいこは思う。国会議員の発言は、内容吟味以前の問題であり、議事録に残されるべきではなかろうか。何の正義でさようなことがまかり通るのだろう。そういうことを繰り返せば、国会議員の質疑の重みもなくなろうに。なるほどどうせピリッとした遣り取りはしていないのだから、そのぅつまり体裁だけでも気になるという訳か。しかしなぁ、その昔より「頭隠して尻隠さず」という諺がある。議員にせよマスコミにせよなんでこのことを指摘しないのだろう。この国の自称知者たちの「頭隠しクセ」はこれもほとんどビョ-キの世界みたいな気もする。

 2004.5.31日 れんだいこ拝

 【国会質疑削除考
 「ライブドア社長ホリエモンの送金指示メール偽造事件」をめぐって腹立たしいことがあるので、備忘録的に書き付けておくことにする。全ては永田議員の勇み足的処理で、永田議員及び国対委員長・野田議員の責任を問う形で決着したが、果たして永田議員の単独プレイであったのだろうか。民主党若手ホープの永田議員をして爆弾発言させるシナリオに巻き込まれた可能性は無いのか。永田議員は、党を挙げて全面支援するとの言質により質問に臨んだのではないのか。前原代表の強烈な後押しなしにはなし得なかったのではないのか。永田議員はかくて、党執行部の後押しを得て質問に立ったが、民主党執行部は、小ネズミ首相の即座のガセネタ指摘により腰砕けになった。永田議員は梯子を外され、病院へ隔離させられた挙句、議員辞職を余儀なくされようとしている。しまいには、前原ー鳩山ー永田は、わざわざテレビ映り仕掛けの衆人環視の中でお詫び珍芸する始末となった。れんだいこは、全てが臭いと思う。

 民主党が真に反省せねばならぬのは、かような執行部を生み出したことに対する責任ではあるまいか。民主党はこのところ、鳩山ー岡田ー前原という党内右派系列に執行部を占めさせてきているが、それが次第に反感と失望を生み出しているのではないのか。この連中の憲法改正及び自衛隊の武装海外派兵感覚は、自民党若手に比して何ら遜色のない「改革派」である。本来なら、自民党内で活動すればよいものを、ポスト制限によりあぶれたことにより民主党に鞍替えしてきた連中ではないのか。そういう系譜の者どもによる二大政党制は本来の意味でのものではない。我々は、こういうことを確認すべきではなかろうか。

 それはともかく、「国会質疑の議事録削除」について考察する。民主党は、「自民党からの公開質問状に対する回答」として、様々に陳謝した挙句、「衆議院予算委員会及び国家基本政策委員会の議事録については、ご要求通り該当個所の削除に応じます」と回答している。れんだいこは、たかが飲酒とタバコぐらいのことで、しかも卒業式の二次会という宴席の場でのことで、苫小牧高校野球部の春の甲子園大会出場辞退を余儀なくされる風潮にも不快を感じているが、「国会質疑の議事録削除」にはもっと不快を感じている。

 誰も問題にしていないようだが、「国会質疑の議事録削除」とは何ぞ。国会議員が国会という場で為した発言は永久に取り消しが出来ないことこそ政治改革の第一歩ではないのか。発言の訂正及び陳謝は有り得て良い。それらは全て付帯されるべきだろう。だがしかし、何の理由で、実際に為された発言を議事録から削除せねばならぬのか。これこそ国民を愚弄する臭い話ではないのか。自民党が要求し、民主党も何の違和感もなく応じているようだが、社民党、共産党も特段の抗議をしていないようだが、一体どういうことなんだ。

 みんなもなぜ問題にしないのか。マスコミは相変わらず、苫小牧高校野球部の春の甲子園大会出場辞退当然論的立場から関係者を批判しているが、バカも休み休み言いたまえ。現役選手の重度の不祥事ならともかくも、オービーの素行にまでなぜ責任を被らねばならないのか。あるいは選手登録されなかった部員の不祥事でも同様の辞退が強制されているようだが、そういう一蓮托生制は行き過ぎではないのか。社会的マナーは、相互の「自由、自主、自律」により獲得形成すべきもので、相互監視制度から強制されるものでは無かろうに。この行き過ぎが咎められないのはなぜなんだ。

 マスコミは、逆から批判するのを得意技にしており、「国会質疑の議事録削除」についても然りのようである。誰も問題にしていない。れんだいこはこの際確認しておきたい。一体、「国会質疑の議事録削除」は戦前の帝国議会でも常用されていたのであるのか。戦後の国会ではいつ頃から始まったのか。諸外国でも同様の措置を採っているのか。これらの点に付き、どなたかご教示賜りたい。

 参考までにお伝えすれば、れんだいこの知る限りでは、1988.2.7日の衆院予算委員会での浜田幸一委員長の「宮顕のリンチ疑惑発言」の取り消しが初見である。この時、日共の宮顕ー不破は、ハマコー発言を議事録から削除することに成功している。そういう経緯があるので、日共は、こたびの永田議員の発言削除に対しても何の発言も出来ないのは理屈である。むしろ、そういう前例を作った党である故に、「国会質疑の議事録削除」を不審がる資格さえない。

 それはともかく、「国会質疑の議事録削除」は、これが度重なれば歴史の偽造になりはすまいか。どういう法益があってさようなことをするのか、れんだいこにはどうしても解せない。れんだいこは他にも、引用、転載に承諾要す著作権論にも疑問を持っている。れんだいこ解釈の誤りを指摘してもらいたい。

 最近気づくことに、市井の会話の中に「意味が分からん」というぼやきのようなフレーズが流行っている。世相は時代を敏感に反映している。確かに、諸事万事精査されぬままに美名の掛け声だけでゴリ押しされており、「意味が分からん」時代になっているのではなかろうか。


 2006.2.5日 れんだいこ拝

 れんだいこのカンテラ時評№1217  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 3月30日
 日共問題考その3

 久しぶりに日共問題に言及しているが、ここで「日共問題考その3」として「議事録抹消先鞭役としての日共批判」をしておく。これもいつか言いたかったことである。これを正確に云えば、議事録抹消の先鞭役が日共かどうかは分からない。但し、分からないのは、れんだいこだけではなく他の者も同じようなので仮に先鞭役としておく。先行事例があれば、これが確認でき次第に表記換えするつもりである。ここで云う「議事録」とは「国会質疑議事録」のことを云う。

 れんだいこが何を論拠としているのか、以下これを明らかにしておく。直接的には「1988.2.7日、衆院予算委員会での共産党の正森成二議員と浜田幸一委員長の遣り取りで勃発した宮顕犯罪の一つとしての小畑中央委員リンチ致死事件(通称「宮顕リンチ事件」)を廻る質疑議事録の抹消事件」のことを云う。事件の概要は「補足・浜田幸一元自民党代議士の貴重な事件分析」に記す。ここで確認すべきは、「国会質疑議事録の抹消」がこの時から始まり、これがその後に定向進化し、今では至るところで瀰漫しており、その元一日的意味があるということである。

 日共が国会を足がかりとする政治運動に着手して以来、数々の眉唾な動きが認められる。その最たる例が近現代政治家の中での傑出した逸材であった田中角栄を失脚せしめる為に相当な役割を果たしたことであろう。他にも戦後政治の善政機軸であった公共事業を敵視し遂に今日ある如くな惨状に追いやったことが挙げられる。箱物行政批判もその流れのものである。歴史観的には、戦前の第二次世界大戦に至るまでの歴史の流れをフリーメーソン史観で捉え、民主主義陣営対全体主義陣営の戦いであったなどと歪曲し、「国際ユダ屋の覇権との戦い」であったと云う面をおくびにも出さず、勝者側の「民主主義陣営」の戦勝国論理&論法を振り回し今日まで説教し続けている例も挙げられよう。

 大衆団体運動、例えば学生運動、原水禁運動、新日本文学運動、部落解放運動、日中友好協会その他その他に関わっては分裂させ、結果的に運動体的利益を毀損せしめ今日の惨状に追いやった主因をなしていることも挙げられよう。滑稽なことに、これらの党史、運動史を極力残さないよう指導し、それが証拠にホームページを見よ共通して出て来ない。仮に記せば噴飯もののご都合主義記述に偏っている。「国会質疑議事録の抹消」は、そういう変態運動の一コマを語るものでしかないが、その影響力が無視できないと云う意味で取り上げるに値する。

 「国会質疑議事録の抹消」が何故に弾劾されるべきか、それは自明である。常識的に見て、実際に審議された遣り取りは議事録に記録されるべきであり、抹消などが許されて良いわけがない。仮に問題発言がなされ悶着したとして、その結末までの一部始終をも議事録にすれば良いだけのことで、「抹消」と云うような「あったことをなかったことにする措置」は許されない。国政の最高権限を詠う国会の場での質疑なら厳重にそうあるべきである。

 それをかの時、いとも簡単に「議事録抹消」させ、その悪弊がその後の政治に影響し、先の民主党政権下では閣僚会議をはじめとする重要会議の議事録不存在にまで発展し、福島原発事故後の東電対応では「議事録黒塗り&抹消」のオンパレードへと繋がっている。こういう事態の始発をなしたのが「1988.2.7日の議事録抹消事件」である。この悪弊が常態化しているという意味で、日共責任が免れ難い。

 かの時、ハマコーは、審議を混乱に導いた責任に対しては陳謝するが、議事録抹消は政治信条に関わるからできないと突っぱねている。後日、「私の発言の議事録からの削除だけは絶対に認めるわけにはいかなかった」と述べている。そこへハマコーの親分格の金丸が登場し、1・質疑発言を取り消し議事録から抹消するか、2・予算委員長の辞任かのどちらかを選べと迫られることになった。ハマコーはその両方を拒否し、結果は、議事録抹消及び予算委員長辞任となった。以降、実質的にハマコーの政治生命が断たれ要職に就くことはなかった。その後、ラスベガス賭博散財事件、借金事件等で顰蹙を買うことになるが、これも何がしか仕掛けられた裏事情があった気がしないでもない。

 それはともかく、日共が国会を足がかりとする政治運動に着手したこと自体は良いとして、何か有益なことをしているのかと問うと見えてこない。逆の事象ばかりが目に付くことが奇妙過ぎる気がしてならない。党名が共産党だからして平素は弱者の側からの発言をするが、それは当たり前で特段に評価する必要はない。いざ鎌倉の時の日共対応が問題だ。どこから入手したのか分からない情報を元に国際ユダ屋が狙い撃ちする政敵を葬る為に暴れ馬的活躍をするところが奇妙である。れんだいこの今日的立論は、「国際ユダ屋に飼われた左からの突撃隊」的役割をしていると見なしている。この見当はあながち的外れでないと思っている。ここに闇がある。以上、本稿を「日共問題考その3」とする。




 



(私論.私見)