「サンデー毎日誌上の不破と中曽根対談」考

 

更新日/2017.8.26日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 2009.7.7日、赤旗が、「『世紀の顔合わせ』不破・中曽根対談 マルクス、共産党論、そして核密約 『サンデー毎日』19日号」と題した記事を掲載している。これを確認しておく。

 2012.1.3日 れんだいこ拝


【赤旗の「サンデー毎日誌上の不破と中曽根対談」記事】
 2009.7.7日、赤旗が、「『世紀の顔合わせ』不破・中曽根対談 マルクス、共産党論、そして核密約 『サンデー毎日』19日号」と題した記事を掲載している。これを確認しておく。

 2009年7月7日(火)「しんぶん赤旗」

 「世紀の顔合わせ」不破・中曽根対談 マルクス、共産党論、そして核密約 『サンデー毎日』19日号


 7日発売の『サンデー毎日』(7月19日号)が「世紀の顔合わせ」と銘打った日本共産党の不破哲三前議長と中曽根康弘元首相の異色の対談を掲載しています。話題は、初めての出会いから旧制高校の思い出、国会論戦からマルクス、核密約問題までスケール大きく広がりました。


 最初の論戦は40年前にこの場所で

 「最初にお会いしたのは毎日新聞社のこの部屋(5階貴賓室)ですね」。不破氏は、中曽根氏にこう切り出しました。これは毎日新聞が1968年から69年にかけて安全保障問題で各党を順に政権与党と野党に見立てた政党討論会を行ったときのことです。「共産党政権への質問戦」(69年)のとき、大臣役が不破氏で「野党」自民党からの質問者のトップバッターが中曽根氏だったのです。

 これが、中曽根氏51歳、不破氏39歳での初論戦でした。

 不破氏が「中曽根さんは『共産党政権になると徴兵制をやるのか』なんて(笑)なかなかの“野党”ぶりでした」、質問戦でも「引き際」を心得ていてパッと話を変える、「うまい戦法をとる政治家」だったと振り返ります。

 国会論戦でも、70年の「沖縄国会」でのエピソードが紹介されました。不破氏が「安保条約の建前からいえば、どの基地を返してもらうかではなく、どこを貸すべきかの視点で議論せよ」と迫ったとき、質問後、廊下で中曽根氏が待ちうけ「今の話が沖縄の根本問題なんだ」と“激励”したのです。

 中曽根氏、 マルクスの話に水を向けて

 不破氏の『マルクスは生きている』を送ってもらったという中曽根氏。マルクスの『資本論』に徳川幕府末期の日本が出てくることについて、「駐日(英)公使オールコックの日本旅行記『大君の都』を読んでいたから、との解釈が(不破氏の本に)出てきますね」と水を向けます。不破氏はマルクスと日本との関係について調べた経緯を説明。「選挙で多数を得て社会主義政権を作るべきだと説いた革命家は、マルクスが最初だと思いますね」と紹介します。

 中曽根氏もマルクスについて「根底には“平等の思想”というような考え方がありますね。資本主義の中の『不平等的要素』や『弊害』に対する指摘は非常に鋭いし、現実においても力があった」と感想をのべました。

 中曽根氏がマルクスを学んだのは「旧制高校時代」。お互いの旧制高校時代の思い出にも花を咲かせました。

 「『おっかない』党だと思っていたが」(中曽根氏)

 ここで、中曽根氏が昔、共産党をどう見ていたかを語ります。「戦後の一時期、共産党が暴力革命に傾斜した印象が強く、『おっかないものだ』と思いました」。そのイメージを変えたのが、不破氏の登場だったと振り返ります。「ところが、不破さんのような市民的で教養主義を備えた幹部が出てきて、その言動や行動で共産党のイメージを修正した。…『これは強敵が現れたな』と思いましたね」

 志位・オバマの書簡交換、「政権交代」論…

 対談は、内外の今の政治にも及びました。国会論戦の近況に続いて話題になったのは、核兵器廃絶をめざすと明言したオバマ米大統領と日本共産党の書簡交換。中曽根氏は「いいチャンスを狙ったね。共産党の外交戦略が柔軟性を持ってきた」と評価します。不破氏は「大変な評価をいただきまして(笑)」と応じました。

 日米核密約をめぐる熱い議論のあと、対談の結びとなったのは、次の総選挙への見方でした。

 中曽根氏は「次の総選挙で野党政権が成立する可能性もあり得る」とし、「政党や政治家は今から大変化への処し方、構えを備えた認識力を持たなきゃいかんでしょう」と発言。続いて不破氏。「『政権交代』という4字だけが表に出て、現政権への対抗軸が明確でない点で、状況は93年とよく似ている。結局、当時の非自民連立政権(細川政権)がやったのは政党助成金と小選挙区制だけ…『政権交代』だけで選挙をやったら何が起きるのか、今回もまったく分かりません」

 それを受ける形で、中曽根氏が「不破さんと私はそういうことも心得て、いろいろ判断していかないといけないね」と締めくくりました。

 不破・中曽根対談で浮かび上がった 日米核密約の真相」を転載しておく。
 中曽根元首相、日本への核持ち込みを認める

 『サンデー毎日』の不破・中曽根対談で中曽根康弘氏が、核兵器を搭載した米軍艦船が「安保条約の下、(日本への)領海通過や一時寄港もあり得ると考えるのが常識」「米国の艦船が日本に入る時だけ核を外すなど考えられない」と述べ、日本への核持ち込みの可能性を認めていることが注目されます。

 中曽根氏は、「政府の非核三原則(持たず、つくらず、持ち込ませず)については、その実態と形式的な表現や国会における答弁が、ある時代において乖離(かいり)しているのは意識していました」「81年にライシャワー元駐日米大使が『核武装した艦船が入港したり、領海を通過することはあり得る』と発言した時は『正直なこと言ったな』と思いました」と述べています。

 首相在任当時は、きまり文句の建前答弁をしていた中曽根氏の発言だけに、重い意味をもつ言明でした。

 核密約とは、日米両政府間の文書での協定

 いま問題の核密約とは、60年の安保条約改定のとき、“核を積んだ軍艦や飛行機の出入りは自由、そのときは事前協議はいらない”旨を確認しあった秘密協定のこと。この協定について、中曽根氏は不破氏の質問に、「それは見たことないね」と答えました。

 不破氏は、これが口約束などではなく、日米の政府代表(藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使)が文書に正式のサインもした秘密協定であること、これが半世紀たったいまも生きていて、日本への核持ち込みの状態が続いていることを指摘しました。

 1963年――引き継ぎなしで起こった日米危機

 この密約問題では、もう一つ奇怪なことがあります。国と国との公式の協定なのに、岸信介内閣が結んだあと、そのあとの政権にきちんと引き継いできた形跡がないのです。そのために、次の池田勇人内閣のとき、日米政府間に危機的な事態が起こりました。63年、池田首相が国会で「核を積んだ米軍艦の日本寄港は認めない」と答弁したことが、アメリカで大問題になり、ケネディ大統領が秘密裏に緊急の御前会議を開くところまでいったのです。

 不破氏は、この問題をとりあげました。

 「(そのとき)ケネディ政権はライシャワー大使に、大平正芳外相(当時)と会って直接確かめるよう要請した。ライシャワーの報告電報では『大平外相は(密約のことを)知らなかったけれども動じなかった』(笑)と。これが、60年の密約に続く重大な秘密合意となりました」

 奇怪な仕組み――歴代の外務次官が首相・外相を選別

 これで日米政府間の食い違いは解決しましたが、引き継ぎ問題の奇怪な真相が、最近の元外務次官の一連の証言で、ようやく明らかになりました。

 密約は、歴代、事務方の外務次官から外務次官に引き継がれ、彼らの目からみて信用のおける首相や外相にだけ知らせてきた、というのです。だから、5年も首相をつとめた中曽根氏にも、密約は知らされなかったのでした。

 不破氏は、ここに国の責任の所在にかかわる大問題がある、と言います。

 「00年の党首討論で、小渕さん(恵三元首相)は私に『絶対にない』と答えました。報道によれば、小渕さんは外相時代に(外務事務)次官から密約を知らされた首相の一人なんです」

 「知らされなかった首相・外相は怒るべきじゃないか」(不破氏)

 不破氏は続けます。 「取り決めができて以降、首相が23人、外相は34人。密約を知っていたと指摘されるのは、締結の当事者を含め首相5人と外相6人です。密約を知らされなかった首相や外相は怒るべきじゃないですか」ここで不破氏のいう、密約を知っていたことが明確な5人の首相とは、密約を結んだ本人の岸氏とライシャワー氏に知らされた大平氏、次官が知らせたという宇野宗佑氏、橋本龍太郎氏、小渕氏です。誌面では、密約討論はここで終わっていますが、対談を傍聴した『サンデー毎日』の山田道子編集長が、語っていることを紹介しておきます。

 「不破氏は誌面で紹介したよりもっと細かく追及。『日本が核問題で世界にモノが言えるようになるためにも、中曽根さんは一肌脱ぐべきだ』と迫ったことを付け加えておきたい」(編集長後記)

(私論.私見)

 この対談は、対談の中身に意味があるのではない。不破と中曽根がかくも和気藹藹に対談している事実、赤旗が、これを提灯記事にしている事実の政治史的重みを探ることに意味がある。この両名の政治的絆、地下水脈での盟友ぶりを確認すべきである。この絆がいつ頃から形成されていたのか。決してこの対談で始めて意気投合したと云う訳ではあるまい。ここに政治の闇がある。この意味は案外重い。推測するのに、この両者の公然対談は、不破―中曽根を操る陣営の気の緩みか、勝者側の勝ち鬨とも云える傲慢不遜さのどちらかだろう。どちらでも良いのだが、両者の長年にわたる蜜月ぶりを確認すべきである。この証拠物件となったところにに意味がある。

 2012.1.3日 れんだいこ

【中核派の不破VS中曽根対談論評】
 中核派機関誌前進紙上のサンデー毎日」対談 不破・中曽根 日共は「資本主義の防波堤」[既成政党](2009-07-27/2401号) を転載しておく。
 週刊『前進』06頁(2401号3面5)(2009/07/27)

 「サンデー毎日」対談 不破・中曽根 親密な関係 首切り民営化の元凶と歓談 日共は「資本主義の防波堤」に

 「世紀の顔合わせ」なる触れ込みで、元首相・中曽根康弘と日本共産党前議長・不破哲三が「サンデー毎日」(7・19号)誌上で対談している。現役を退いたとは言え、中曽根は日本帝国主義の頭目の一人で、1982年から87年の5年間の首相として、「戦後政治の総決算」を掲げて日本の軍事大国化を推進しただけでなく、米帝レーガン、英帝サッチャーとともに、新自由主義政策を進めた元凶である。何よりも国鉄分割・民営化を強行した張本人である。労働者階級としては絶対に許すことのできない、不倶戴天(ふぐたいてん)の敵だ。

 中曽根に褒められ有頂天の不破

 ところが、不破ときたら終始和気あいあいと旧交を温めているのだ。そこには非和解の階級対立を背景にした対決姿勢はまるでない。打倒対象どころか、懐旧談に花を咲かせる「元国会議員」仲間なのだ。1969年に不破が衆院議員に初当選し、翌年総括質問した際に、中曽根が質問を高く評価して激励してくれたということなどを不破が得々と語っている。中曽根も、「不破さんのような市民的で教養主義を備えた幹部が出てきて、その言動や行動で共産党のイメージを修正した」などと褒めそやす。それに不破は礼を述べて悦に入っている。実におぞましい対談である。

 ここで重要なことは、不破が「暴力革命ではない」ことを強調し、それを中曽根が高く評価していることだ。中曽根は、日共が革命政党ではなく、むしろ徹底的な反革命政党であることを確認した上でその利用価値を認めているのだ。また、志位委員長がオバマ大統領と書簡を交換したことを評価した中曽根が、「共産党の外交戦略が柔軟性をもってきた。これは第一歩であって、次に進んでもらいたい」と激励し、不破は「大変な評価をいただいて」と有頂天になっている。


 自民党の終わり共に嘆き悲しむ

 対談は最後に、「政権交代」問題に及び、不破は「現政権への対抗軸が明確でない点で、状況は93年(の政権交代)によく似ている」とし、「結局、当時の非自民連立政権がやったのは政党助成金と小選挙区制だけで、これが政治を小さくした根源だと中曽根さんも考えておられますよね」と同意を求めている。なんと、不破は自民党支配の終わりが誰にも明白になっている時に、それには言及せずに、「野党政権になっても政治が小さくなるだけ」と中曽根の共感を求めているのだ。破綻した新自由主義政策の元凶である中曽根に、大恐慌が起こり、自民党支配が根底的に崩壊しようとしているまっただ中で、なんという会話を交わしているのか。階級的立場を投げ捨てると、こういうことになる。自民党支配の終わりをプロレタリア革命の勝利に結びつける労働者階級の闘いと真っ向から敵対するということだ。

 分割・民営化の大攻撃には沈黙

 対談を通じて、不破は中曽根政治の最も重大な核心点に一切触れない。意識的に避けている。今日の民営化攻撃の出発点となった国鉄分割・民営化についてだ。中曽根がやった階級的犯罪の中でも最も激しく悪辣(あくらつ)な攻撃だった国鉄分割・民営化。20万人の国鉄労働者が放り出され、200人もの自殺者を出した、戦後最大の国家的不当労働行為を指揮したのが中曽根だ。

 中曽根は後に、「国労をつぶせば総評・社会党が崩壊する。明確に意識して(国鉄分割・民営化を)やった」と述懐している。国家の総力を挙げて民営化・労組破壊の攻撃に踏み込んだのだ。「戦後政治の総決算」や「行政改革でお座敷を大掃除して床の間に立派な憲法を安置する」と言ってきた中曽根の突破口が国鉄攻撃だった。この国鉄分割・民営化こそ、今日に至る大量の労働者の非正規職化とワーキングプア化をつくり出した出発点だ。

 闘う労働者から見れば、そんな大悪党・中曽根と同席すること自体が許せない。ところが不破は、中曽根に一言の批判も発しないばかりか、沈黙を守ることで完全に免罪しているのだ。中曽根の攻撃にもかかわらず、国鉄分割・民営化は完成せず、破産している。動労千葉が2波のストで反撃し、1047名解雇撤回闘争が20年以上にわたって続き、今日の道州制・民営化・労組破壊の攻撃の前に立ちはだかっているのだ。

 日本共産党は、この闘いの発展に恐怖し、「解雇撤回」の旗を引き下ろし、政府・自民党に頭を下げ「政治解決」を図る4者4団体の中心として、闘いの破壊に奔走している。4者4団体の裏切りと、不破・中曽根対談のこの「超」の付く親和的雰囲気とは一体のものだ。資本家階級には卑屈にはいつくばり、闘う労働者に対しては屈服を強要して襲いかかる。

 この対談で不破の視野には労働者階級人民は入っていない。完全にブルジョアジーに向かって語っているのだ。日本共産党は、この資本主義の危機の中で、けっして危険な政党ではありません、道州制・民営化にも協力して、資本主義の救済に力を注ぎます、と売り込んでいるのだ。

 スターリン主義の反動と闘おう

 日共はどこまでもスターリン主義である。一国社会主義論と世界革命の裏切りを本質とするスターリン主義は、自己の延命のために、崩壊にあえぐ帝国主義の最後の防波堤となるのだ。30年代の大恐慌下で、ルーズベルトを支持し、米帝の行う戦争に率先協力したアメリカ共産党。ナチス・ヒトラーと手を結び、それが破産すると米英帝国主義と組み、「民主主義とファシズムの戦い」として第2次大戦に参戦したスターリン。不破はその後継者だ。資本主義社会を転覆する労働者階級の自己解放闘争の思想であるマルクス主義を裏切り、「労働者階級」も「労働組合」も綱領から追放した日共の路線と思想が、不破の言葉から見えてくる。まさに日本共産党こそ、日帝・中曽根とともに階級的に打倒すべき反革命だ。そのことを分かりやすく示してくれたことで、大きな役割を果たした対談だと言えよう。(高田隆志)

(私論.私見)
 中核派の不破VS中曽根対談論評の視点は良い。問題は、不破と中曽根が地下水脈で繫がっていた動かぬ証拠として本対談を見つめることができるかどうかである。この点でなお弱い。その理由として、現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義論を持ち合わせていないからだと考える。国際金融資本帝国主義論を確立していれば、不破と中曽根が共に配下の同じ穴のムジナであることが容易に透けて見え、どういう狙いか弾みかは別として本対談に行きついたことが分かる。ここが急所であり、マルクス主義的観点からの批判はまだぬるい。

 2012.1.3日 れんだいこ




(私論.私見)