「部落問題にからむ中学校長変死事件」

 (最新見直し2009.8.29日)

【「中学校長変死事件」】 
 インターネットサイト【部落解放同盟犯罪史】において「もっこす」氏が、「部落」誌上に掲載された「揺らぐ筑紫の解同王国 全解連福岡県連書記次長.植山光郎」(1994.1月号第573号、2月号第574号)を転写している。れんだいこはその労を評すが、横山なる者の文章に賛同する姿勢についてナンセンスと云いたい。以下、今日段階の日共の反動的体質を知るのに、植山なる者に体現した本章を考察する。日共盲従派の病膏肓振りが知れるであろう。れんだいこが意訳概要しつつ適宜なコメントを付けておく。

【「中学校長変死事件の概要」】
 小郡中学校の廣木一貫校長(54)が、解放同盟主宰の糾弾からみで失踪、その後変死体で発見された。部落解放同盟筑後地区協議会(平井安次委員長)と小郡市教委、福岡県教委らから、自校生徒の発言を理由に9.25日に糾弾され、その二日後に消息を絶ち、失踪後13日目の10.9日、熊本県菊池市の山中で縊死遺体で発見された。この事件の背景と経過を見て行くことにする。

【「事件の発端」】
 おかしなことだが、肝心かなめの事件の発端の様子について断片的にか明らかにされていない。そもこういうところに姑息さと不誠実さが認められる。れんだいこが無理やり拾い出すと次のような経緯であったようである。まず、小郡中学校の生徒の発言で「差別事象」が発生した。珍妙なことに、生徒のどういう発言であり、どこが問題とされたのかは不明である。どちら側の父親か定かでないが、「子どもの父親が騒がないでほしいとの要請があった」ようであるが、差別発言が事件化していくことになる。
(私論.私見) 日共の「『差別事象』の問題化に対する日共見解」について

 日共系は、子供のどういう発言が為され、それが何時の頃なのか巧妙に開示を避けているので、れんだいことしては判断留保せざるを得ない。問題は、解放同盟の事件化に行き過ぎがあったのかどうかの精査であろうが、本事件はもう一つ、日共がこれを非難するのにどういう論理で対応しようとしたのか、ここに核心がある。

 小郡市議会定例会議での日共の魚住市議の質疑内容が手がかりを与えてくれる。魚住市議は、概要「学校のなかで穏やかに指導するのが当然であった生徒の発言問題を部落解放同盟が『差別発言』と断定し、責任が学校にあるといって大掛かりな糾弾を行った」と非難している。「揺らぐ筑紫の解同王国 植山光郎」は、「子どもの発言が差別発言となるかという問題です」との認識を披瀝している。

 答弁に立った福田教育長代理・林教育部長は、「相手が被差別部落の出身であり、(『部落』という言葉が)いためつける言葉として知ってつかった、小学校の人権学習でだされた言葉、マイナスイメージとして生徒のなかに入っていたから、差別発言ととらえた。校内での教育指導については、さまざまなケースがあるが、差別そのものについて不十分な認識にもとづく発言であり、学校から指導をもとめられた。確認会は、主催は小郡中で、相手をうちのめす言葉として使われたことを全員で確認した。教育課題は本市同和行政の課題。参加するのは当然」と、事件化の流れを是認している。

 これに対し、魚住市議は二回目の質問で、「子どもたちに『部落』と知らせたのは、小学校の狭山ゼッケン登校で部落民宣言をさせたからだ。子どもたちが『部落』と聞いてイヤな顔をするのは、特設同和授業で教師が子どもたちに『部落』を『イヤな言葉』として教えたからだ。原因は学校の同和教育だ。ゼッケンをつけた公開学習会はどこにあるのか。まさに糾弾会だ。大阪高裁判決で糾弾権があるように市はいうが、82年の最高裁判決で破棄されている。糾弾にしても、自粛問題にしても相手の言論を封じるやり方では問題は解決しない」と問題点をただし、再答弁を求めている。

 さて、日共のこの指摘は妥当だろうか。れんだいこは次のように逆質問してみたい。

 「小学校の狭山ゼッケン登校で部落民宣言をさせた」ことの非を衝いているが、いけないことだろうか。
 「子どもたちが『部落』と聞いてイヤな顔をするのは、特設同和授業で教師が子どもたちに『部落』を『イヤな言葉』として教えたからだ」との見解を披瀝しているが、「『部落』が『イヤな言葉』として通用している現実を教える」ことがいけないのなら、どのように教えるのが相応しいのか見解を披瀝せよ。それとも「寝た子を起すな論」が良いと云うのなら、その旨はっきりせよ。
 「原因は学校の同和教育だ。ゼッケンをつけた公開学習会はどこにあるのか。まさに糾弾会だ」との見解を披瀝しているが、「ゼッケンを付けなければ良いのか」見解を披瀝せよ。「学校の同和教育そのものがいけないのか」 見解を披瀝せよ。「どういう同和教育が望ましいのか」見解を披瀝せよ。

【確認会、糾弾会の様子】
 同和推進教員がまず解同支部に知らせ、校長は市教委に報告、校内の意見がまとまった段階で校長が解同地協に正式に報告、小郡市指導による小・中学校合同の確認会、糾弾会が当該学校の主催で行われることになった。確認会には福田教育長、県教委北筑後教育事務所主事など関係職員が出席、行政代表として教育長が挨拶。参加者全員(33人)で、子どもの発言を「差別事象」として確認した。

 9.25日、続いて糾弾会が開かれた。部落解放同盟筑後地区協議会(平井安次委員長)と小郡市教委、福岡県教委主宰で、「司会はゼッケンをつけた同推と運動団体役員。私が行政を代表して挨拶をした。経過報告、問題提起は同推がおこない、地域の人が差別のひどさを訴え、これに教員がこたえるかたちですすめられた。まとめは解同役員(組坂繁之解同県連書記長)がした」。この時、小郡中学校の廣木校長は、自校生徒の発言を廻る対応を糾弾された模様である。

【校長の失踪、市教委の対応】
 小郡中学校の廣木校長は、糾弾会の二日後に消息を絶ち失踪した。校長が失踪した翌日、小郡市教委は緊急に校長会を招集して「とにかく命にかかわる重大な事態。はやく廣木先生の行方を捜し出すように」と指示をだし、同時に箝口令をしいた。植田富男教頭が窓口になり対応することになった。

 失踪13日目の10.9日、校長は、熊本県菊池市の山中で縊死遺体で発見された。校長の遺体が発見された際のPTA役員会への説明は、「校長は鬱病だった。学習会と校長の自殺は関係ない」と、もっぱら校長の資質問題にすりかえて弁明している。

【日共の逸早い事件対応と告発運動】
 「部落問題にからむ校長変死事件」の発生に対し、何かと解放同盟と対立している日共系が逸早く事件の真実解明に着手した。全解連福岡県連、日本共産党福岡県委員会、地元の同筑後地区委員会、福岡県同和教育研究会、自由法曹団福岡支部の五団体が調査団のよびかけ団体となり、現地合同調査団を結成することを申し合わせた。全解連は独自にビラを作成、「=小郡中学校の校長自殺事件=解同、行政による糾弾会直後、いのち断つ」を大見出しに、「これが事件の真相です 父母の本音は先生、子どもたちは犠牲者 『子どもの発言』は差別ではない」を小見出しとして、「子どもと教育を守るために私たちは真相を糾明します。皆さんの協力を」と訴える教宣活動に入った。

 10.20日、現地合同調査団の15団体、33名が、赤旗、福岡民報、小倉タイムス、朝日、毎日、読売など報道関係者と共に、午前10時に小郡市役所のロビーに集まった。全解連本部からも急遽、村崎勝利副委員長ら二人が福岡入りした。全解連本部のなみなみならぬ決意が窺えよう。

 調査は急遽、市議会の大会議室に変更して行うことになり、午前中、市教委の福田大助教育長ら小郡市教委の三人から事実経過の説明をうけた。福田教育長が校長失踪に至るまでの糾弾会の経緯を説明した。 次に、調査団との質疑に入った。
質問  「教育の主体性」について如何。
福田教育長の答弁  「校内の問題は校内で解決するのが原則であるが、小郡市同和教育基本方針には『差別の現実に学ぶ』としてあり、地域(解同)と連携することになっている」。
質問  「解決する前に、その日に解同に報告しているが・・」 。
福田  「今回の場合、5月20日に校長から報告をうけた。できることなら学校で解決するように指導したが、それがだんだんと・・・・そうできなかった」。
質問  「文部省の方針は学校の問題は、学校の主体で教育的に配慮して解決するとなっているが・・」。
福田  「文部省の方針はきいているが、矛盾しないと思う。指摘の点を考えるなら、改める点はあらためなければならない。運動団体の介入は教育については、させないように努力する」。
質問  「廣木校長の自殺について如何」。
福田  「推測でものは言えないが、学習会(糾弾会)と関連ないとはいえない。悩みは公的な悩みだったと思う」。

 現地合同調査団の調査活動の報告にもどる。調査団はこのあと三班にわかれ情宣活動に入った。宣伝班は全解連のビラ千枚を、西鉄小郡駅前と市役所を中心とした繁華街、一部は同和地区に入って配布した。福田教育長は、調査会直後、病気を理由に緊急入院、病室には「面会謝絶の封印」がされている。「緊急入院は、小郡市当局や解同側の政治的配慮のにおいがする。教育長の口封じであろう」。

 11.23日、「小郡中糾弾、校長自殺事件」の真相糾明をもとめる県民集会が小郡市内で開かれた。集会後、600人の参加者は拳をつきあげ、口々に「解同は教育に介入するなー」、「小郡市は真相を市民の前に明らかにせよー」と訴え、デモ行進した。「デモ行進の一歩は、真相糾明をもとめる一歩であり、それは筑紫の解同王国・小郡の崩壊の地響きでもあった」。
(私論.私見) 日共の事件対応考
 日共の「逸早い事件対応と告発運動」には何ら問題はない。あるとすれば、この党は、なぜかくも解同、新左翼、創価学会―公明党問題になると戦闘的になり、政府与党の反動攻勢に対してはお茶を濁すような反対運動しか組織しないのだろうか、というチンチクリンぶりであろう。この体質は、宮顕―不破系日共運動の牢たる胡散臭さであり、凝視されねばならない。この観点を持たないと、「部落問題にからむ校長変死事件」に対する理解は一知半解なものにしかならない。

 次に、日共の告発方向を疑惑してみよう。全解連のビラの見出しに「父母の本音は、先生、子どもたちは犠牲者 『子どもの発言』は差別ではない」とある。「『子どもの発言』は差別ではない」と公言するからには、子供の発言を開示せねばなるまい。それをしないままに批判するのは「知らしむべからず拠らしむべし」の典型的なお上手法ではないのか。

 次に、調査団による市教委との遣り取りで「教育の主体性」論議をしているが、日共系の「教育の主体性論」とは単に「学校内のことは学校内で解決しよう」的なものであり、文部省による官僚的統制が貫徹されている中でのそのような主張はむしろ反動的なのではないのか、見解を披瀝してみよ。

 次に、、「解同は教育に介入するな論」の反動性はどうだろう。解同の手法に行き過ぎがあったとしたら、それよりもなお高次な運動を創出する方法でもって批判すべきではないのか。この点で、日共の非難の作用は、学校教育を単に文部省の教育政策のレベルに落とし込むだけのことになるのではないのか。

【日共の情宣活動の奏効】
 その後の調査活動は次の通り。事件の震源地である学校側のガードは堅く、中学校は教頭の不在とPTAの会議を理由にして調査に応じなかった。「この問題について、コメントは教頭に窓口一本化している」との返事で玄関払い。もう一方の小郡小学校は校長が調査に応じたが、終始ノラリクラリとした応対で要領を得ない。次に、糾弾会に出席していた久留米市の県教委北筑後教育事務所の金子裕幸副所長と面会を求めたが、事前の約束に反してきゅうきょ「出張」で不在。代わりに尾花正樹所長と面会することになったが、「自分は(確認会、糾弾会に)出ていないから、知っていることしか言えない」、「そんなに言うんだったら退席する」と席を立ちかかるなど喧嘩腰の対応に終始した。先の福田教育長との遣り取りで「確認会では参加者の全員で差別発言と確認した」との答弁が為されていたが、同所長は「出席した職員が子どもの発言を差別発言と確認したかどうかわからない」と曖昧にし、その矛盾を追求されるや「確認会へはオブザーバー的参加であった」と発言、責任回避に終始した。

 この間、全解連の調査活動と宣伝活動が浸透し始めた。校長自殺事件の真相は、小郡市を中心に三井郡から久留米市などの筑後地方一帯に燎原の火のごとく急速にひろがりだした。次のような文面のビラが撒かれている。
  「行政や解同、これに加担する同和教育推進教員らの解放教育グループの連中が、どんなに真実の隠蔽に狂奔しても、市民は真相の解明をもとめている。『ヴェ、ナロード(人民の中に)』はレーニンだ。私たちは小郡市民の良心に依拠し、市民を信頼して、市民とともにをスタンスに、真相を糾明する。12年前、いまの小郡市と同様に解同ファッショ、乱脈不公正の同和行政体制だった北九州市を変革したのは、土地転がし疑惑糾明をもとめる市民の18万人署名の市民運動だった。小郡市は人口4万9千人。北九州の二十分の一だ。できないことはない。状況はかならずかわる 」。

 「小郡市内の一母親」からの手紙には次のように認められている。
 「校長先生を死に追いやった人権とは、いったい何なのでしょう?ある幹部は『同和』で幾多の財をなすと聞きました。はたして人間解放を願う多くの人たちの声が繁栄されているのでしょうか? 一部の幹部は栄耀栄華の世界にどっぷり漬かっているのでは。現在のような運動、同和教育のやり方では、絶対に差別はなくならない」。

 かく解同の利権あさりと解放教育を批判して いる。 他にも、次のような市民の声が紹介されている。
 「ビラを読みました。解放同盟だけではなく、学校や行政にも責任がある。解同に頭が上がらないのは問題。徹底して真相を明らかにしてほしい」。
 「99,9%は解同のやり方に批判をもっているが、口に出していえない。いつかは、こうなるだろう(自殺者がでる)と思っていた。ビラをみてあんたたちに頑張ってほしいと思って電話した。しかし、ほんなごと、あんたたちはエズウ(怖く)ないか」。

 「人権と民主主義を守る小郡市民の会」が結成された。その趣意書には次のように記されている。
 「いま小郡市では、発達段階にある子どもたちの未熟な理解からの言動が『差別事件』として社会問題化されています。これは、子どもの人権をいちじるしく損なうものです。さらに、教師や父母の教育権を奪い、部落問題解決のための自由な言論が抑圧されている事態があります。これは、民主主義の原則を破壊する」。

 「羊のように解同に従順だった市民が同和問題で口を開きだした」とコメントされている。。
(私論.私見) 日共の情宣論理考
 「『ヴェ、ナロード(人民の中に)』はレーニンだ。私たちは小郡市民の良心に依拠し、市民を信頼して、市民とともにをスタンスに、真相を糾明する」とあるが、とんだところにレーニンが出てくるもんだ。この筆者のレーニン観を凝視せよ。どこの世界に、権力と闘う方向においてではなく、大衆団体の一つと闘うのにレーニンを持ち出す馬鹿が居るぞ。

【解同の反撃と日共の対応】
 解同が反撃に出た。解同筑後地協、部落解放共闘筑後地区連絡会議の連名でビラが出された。ビラには、「子どもの教育権より党利党略優先」という見出しで、「前校長先生の死を悼み、生徒の動揺を沈静化する努力をしてきたが、日共=全解連による無法なデマ宣伝で、子どもたちが混乱している」と書かれていた。

 解同ビラに対し、日共系は次のように批判している。
 「お定まりの反共宣伝。反共宣伝ですべてを糊塗できるという考えこそ、差別主義そのものではないか」。
 「すべての差別に反対を」運動方針にしている団体が使う手ではなかろう。ビラの内容からしても、また、ビラの配布の主力部隊は同推を主体とした解放教育グループによるものだった。解同の姿がない。
 解同の威を借る同推らが「解放・えせ人権教育」をひけらかして、「陰の校長」として学校教育に君臨している。
 同推らのビラまきは、自己陶酔している解放教育を墨守するための行動にちがいない。校長自殺の真相糾明が、自分たちの解放教育、確認・糾弾に及ぶことを恐れている。だから、市民や私たちの真相糾明をもとめる運動に、解同よりも危機感をつのらせている。
 県教委は、民主教育を否定することで一致する、この反共=解放教育体制を容認しながら、同推教員を政治的に利用しているのである。ここに、福岡県の教育反動の本質がある。許しがたい。
(私論.私見) 日共の解同批判考
 日共系の解同批判の論理をれんだいこが批判してみる。1の「お定まりの反共宣伝論」について。日共は、自身に反対する勢力に対して決まって「反共攻撃」なるフレーズを浴びせる。しかし、れんだいこが見るところ、日共党中央は反共主義者の巣窟である。これを批判すれば「反共攻撃」とは、あまりにご都合主義の謂いではないか。とにかく珍妙な理屈である。

 2の「解同の姿がない論」について。(ボソボソ)オマエモナー。3の「『解放・えせ人権教育』をひけらかして、「陰の校長」として学校教育に君臨している」論について。(ボソボソ)解同のそれを「解放・えせ人権教育」と批判するのならば、日共系の運動はどういう教育を目指しているのか。4の「自己陶酔している解放教育論」、「市民や私たちの真相糾明をもとめる運動に、解同よりも危機感をつのらせている」について。(ボソボソ)この勘ぐりはまさに党利党略的なものではないか。語るに落ちるとはこのことだ。5の「反共=解放教育体制論」について。(ボソボソ)文部省の教育反動こそが批判されるべきであるのに、 福岡県の教育反動の本質を「反共=解放教育体制」にすりかえて主敵とする論法は悪質であろう。

【解同系と日共系の死闘】
 11月下旬、日共系は、現地で真相糾明県民集会を開くことにした。現地合同調査団の5団体に、福岡県労働組合連合会や人権と民主主義を守る小郡市民の会、福岡県歴史教育者協議会など県下の民主団体が参加して「解同の糾弾と小郡中校長自殺真相糾明県民集会実行委員会」を結成、主催することにした。

 この動きに対し、11.6日と9日、小郡市長田籠勝彦、同教育長福田大助の連名で、全解連福岡県連と筑後地協に「小郡市における学校教育の確立のための申し入れ」が為された。この申し入れは、小郡市の松尾助役、井上・中学校長会代表、稲田小学校長会代表、寺崎・小学校PTA会長ら、県教委の丸林第二指導部長、同和対策課の県職員らなど約20人前後が県連事務所にやって来て為された。だが、肝心要の小郡市長、教育長、市同研会長、中学校PTA会長ら当事者の姿はなかった。申し入れもわずか15分。一見、温厚そうな松尾助役が代表として「自粛申し入れ」を読み上げた。

 内容は、全解連などの「諸活動によって市民や中学校の生徒が動揺し、傷つけあい暴力事件に発展するなど、落ち着いた学校生活が送れない状況にあり、憂慮している。これ以上の混乱をさけるために、小郡中学校に係わる諸活動の自粛を求める」ものであった。自粛の申し入れは、「小郡市同和教育研究協議会」(古賀寿男会長)、「同市中学校長会代表」(井上勘嗣・大原中学校長)「同市小学校長会」(稲田保夫・東野小学校長)、「小郡中学校PTA会長」(酒井矢吉)「小郡小学校PTA会長」(寺崎敏文)、「小郡市同和対策事業実施連絡会」(六区長)からも同時にあった。内容は、全解連にたいする「一切の教宣活動の自粛」で共通していた。

 全解連等県連事務所は、これを「小郡市と市教委、県教委による公然たる言論弾圧」と捉え、 申し入れにたいし次のように返答した。
 意訳概要「小郡中学校の正常化はもとより望むところだが、校長の自殺事件の真相を解明して、この異常な事態を改善することこそ、教育の正常化にとって不可欠ではないのですか」、「うわさが一人歩きをしているとか、生徒が動揺しているというが、そのような実態があるのか」、「子どもの父親が騒がないでほしいというのに、この要請を無視して、発言を社 会問題にして糾弾した結果、校長が自殺した。自粛し、反省すべきはあげて小郡市側にあるが、どうか」。

 この追求に対し、松尾助役らは「今日は、議論をしに来たのではないので」と返答を拒んだ。

 日共系は、申し入れに対し、次のように「由々しき干渉」として批判している。
 概要「私たちへの教宣活動、一切の諸活動の自粛要請は、集会、結社及び言論、出版、その他一切の表現の自由を保障している日本国憲法第21条を否定する暴挙以外のなにものでもない。行政が憲法に抵触する言論、表現の自由を制限することは、普通ではない。ところが解同に脅える小郡市と解同を政治的に利用する県教委は、こと同和問題にことよせて、言論の弾圧にでたのである。ことは民主主義の問題である」。

 ところで、解同側の「小郡市の教育と人権を守る市民会議」(蔵光正彦会長)は、「共産党=全解連のウソの記述に憤慨された福田教育長は、共産党=全解連に直接抗議文を持っていかれますが、共産党=全解連は受け取らず、福田教育長は内容証明付きで共産党=全解連に郵送されるのです」とのビラを出している。日共系は、「事実をすりかえ、反論されれば、それこそウソがばれるのに、平気でビラにする神経が私にはわからない。短いセンテンスなのに共産党=全解連の記述が4回もでている。ただ共産党=全解連と書けば、市民が、また同和地区住民が信じるとでも思っているのか。この反共主義、アナクロニズムは度し難い」と批判している。
(私論.私見) 日共のご都合主義考
 日共は、市当局の申し入れに対し、何と日本国憲法第21条を持ち出し、言論、表現の自由を主張して反論している。しかし、この論を展開していけば、解放同盟の人権教育も是認すべきだろう。少なくとも、手法の是非を問うのは良いとしても、「部外者の学校教育への干渉を排する論」はナンセンスとなるのではないのか。どちらの論理が、文部省の統制主義教育に道を開いているのか、自明ではないか。勝手なときに憲法論を持ち出すご都合主義よ。

【市当局が日共系の会場使用拒否通達を出し紛糾する】
 小郡市は、日共系に対して教宣活動の「自粛」の要請にとどまらず、真相糾明県民集会にも干渉し始めた。小郡市はいったん使用を許可した小郡市東町公園の使用を取り消しにでた。 この公園の利用については、地元の魚住清文市議(共産党)が11月5日、「人権と民主主義を守る会の集会」会場にと小郡市に使用許可を申請、市は同8日付けで「樹木を大切にし、美化に努めること」と条件をつけて使用が許可されていた。それを、12日になって突然、公園使用の許可取り消し文書が魚住市議に通知されてきた。通知には取り消し理由の記載が無く、「許可しておりま すが、取り消させて頂きますのでよろしくお願い致します」とだけ通告されていた。日共系は、県民集会の主催者実行団体の一員でもある自由法曹団福岡支部の福岡第一法律事務所と対策を協議、17日「人権と民主主義を守る小郡市民の会」の魚住清文代表名で福岡地方裁判所に行政処分執行停止(仮処分)を申請して争うことにした。

 裁判所が小郡市に対し、使用許可取り消し理由の開示を促しところ、1・集会に使用させれば史跡公園の石碑などの毀損が予測される。2・「ビラなどで(真相糾明集会の)開催を知った部落解放同盟等の団体が刺激され、(主催する側の)全解連との間で不測の事態が発生し、公園周辺住民を巻き込んでの混乱を招くおそれがあり、また、一般市民の公園としての利用が疎外される、というものだった。「こんな稚拙 な屁理屈では裁判所はだませない」。

 19日、福岡地裁第二民事部の牧弘二裁判長は、日共系の主張を百パーセント認める判決をくだした。判決文は次のように述べている。
 「申立人の本件市民の会の集会は、基本的には憲法で保障された集会の自由ないしは表現の自由に属するものでありから、それが政治的主張を含むものであっても、公 園使用の目的に反しない限り、右集会等による活動は保障されなければならないものである。・・・申立人らの公園使用によってにわかに反対の立場の団体等との対立抗争が激化し、集会の当日などに収拾し難い事態が生じるとは認めることができない」。

 県民集会の会場許可取り消し裁判の顛末を赤旗が、19、20日の社会面で三段記事(西日本版)の扱いで報道した。
(私論.私見) 市当局の日共系の会場使用拒否考
 市当局のこの策動は許されない。その背景事情が不明であるが、市当局は何でかような稚拙な対応をするのだろう。一般に、市民による政治運動は極力尊重されるべきで、これが民主主義の基礎である。解同系であろうが日共系であろうがその他系であろうが言論、集会、結社の自由は擁護されねばならない。法治主義の枠内における喧喧諤諤、政治闘争の坩堝(るつぼ)は何ら問題なく、むしろ社会発展に有益という観点が欲しい。

【小郡市の同和事業について】
 ちなみに、93年現在の小郡市の人口は4万9千人、年間予算は192億6千万円。小郡市内の同和地区人口は190世帯5百人である。同和予算は93年度当初実績で約4億2千万円。このうち解同関係の予算は1億2千万円。内訳は、まず同和対策費(=4044万7千円)として、解同への団体補助金680万円、筑後地協の解放会館分担金127万2千円、解放基本法制定資金50万円、同和啓発花火30万円、人権パネル10万円、先住民年講演・講師謝礼70万円、同対課職員人件費( 3人)2650万円。ついで隣保館運営費(=5510万1千円)として、同館配置の職員人件費(6人)4800万円、同館清掃費360万円、専用車100万円。 同和教育費(=2374万6千円)は質問教室(促進学級)経費573万5千円、解同の青年・婦人・子供会への団体助成金700万などとなっている。この、ほぼ投げ与えに等しい同和予算の執行状況は、まったく市民に知られていない。

 日共系の次のような評が為されている。
 「解同と二人三脚、絶対不可侵の同和行政、同和教育の実態を市民の批判にさらされるのは解同にあい済まない。まして、解同と行政がつるんだ糾弾がらみの校長自殺事件を市民が知るとやっかいという訳だ。真相糾明ビラでも共産党の場合は『党利党略、同和問題の政治利用』と反共宣伝で片付くが、全解連のビラの場合はそうはいかない。だから私たちのビラに神経をつかっている。解同王国・小郡市では、共産党より全解連の方が行政にとって『やっかいな組織』なのである。

 その行政と解同の露払いをかってでたのが市同研ら解放教育の同推グループ。むしろ校長自殺事件は自分たちの過信からミスリードだったことは先刻承知だろう。私たち全解連に対する行政などの教宣活動『自粛』の申し入れを言論・表現の自由の侵害とうけとめるどころか、憲法違反の反動行為を追認した揚げ句、なんと私たちに『市民代表やPTA会長等の自粛申し入れを踏みにじる日本共産党=全解連の暴挙に抗議の声を。住民無視、混乱だけを狙う日本共産党=全解連』との捏造ビラをだしてきた。その上、宣伝カーをだして『特定政党と全解連のデマ宣伝に騙されないでください』」と流してまわったのである」。

【日共系の県民集会開催される】
 日共系は、19日から20、21日の週末、小郡市内にきゅうきょ現地闘争事務所を設置、政次三七徳県連書記長と筑紫地協の役員らが朝から常駐し、「小郡中校長自殺真相糾明」、「解同は教育介入をやめなさい」の看板をとりつけた宣伝カー二台を準備し、臨戦体勢で臨んだ。平塚新吾県連委員長の指揮の下、「解同の教育介入と校長自殺の真相糾明県民集会」の手書き看板を市内目抜き通りの電柱や街路樹にはりつけてまわった。しかし、せっかくの看板は数時間ともたず撤去される始末となった。

 これについて、次のようにコメントされている。
 「小郡市と解同は、県民集会の開催が市民に知れるのが怖いのだ。徹底した真相隠しだ。知らしむべからずよらしむべしか。市民には全解連の存在すら知らせたくない。小郡において同和団体は唯一解同だけ。行政と運動団体の癒着の構図をみる思いだ」。
 「街頭宣伝で解同らしきものからの妨害があったのは小郡市役所付近でに一回だけだった。そのとき、私たちはマイクのボリュウムをいっぱいあげて「市民のみなさん! 見てください。これが解同の正体です。暴力団のように私たち市民の表現の自由を妨害しようとしています」と訴えると、かれらはあたふたと逃げていったのである。こうして私たちは小郡中事件の真相糾明と11・23県民集会の案内を市内のすみずみまで、宣伝してまわったことはいうまでもない」。

 県民集会の前日(22日)、全国調査団による調査を小郡市に文書で申し入れていた。これに対して小郡市から二度にわたって「受け入れ難い」との返事が全解連県連事務所に届いていた。拒否の理由は3点。ひとつは、これまで二度、貴調査団と会見しているからこれ以上会見は必要ない。二つめは、会見内容が「教育長の言」として、真意が伝わらないまま一部報道され、市民等に誤解と混乱を招いているので、今後このようなことを避ける必要がある。三つめは、学校現場にこれ以上の混乱をさけたい、というものだった。

 果たして当日、全国十三都道府県から全解連中央の中野初好委員長を調査団長に、全教中央の小松正明執行委員など五十人の代表が小郡市役所につめかけた。会場にあてていた小郡商工会議所大会議室を埋め尽くした。中野団長は次のように挨拶した。
 「私の県、広島ではこれまで15年間に15人の校長や教師などが、解同の教育介入のもとで命を落とすなど犠牲になっている。なんとしてもこうした事態を是正しなくてはならない。そのために、わたしたちの部落問題にたいする考え、国民融合の考え方を主人公である市民に広めたい」。

 このあと調査団は商工会議所と道を隔てた小郡市役所に出向き、市教委に調査のための会見を申し入れた。市教委は教育長などの不在を理由に応対を拒否。次に市長、助役に面会を申し入れたが事前に雲隠れしており庁舎内には姿はなかった。応対した総務部長に市長への取り次ぎを申し入れたが埒があかない。
 「役所側の不誠実な対応に全国調査団はカリカリ、総務部長に解同の教育介入と偏向教育の是正を行政執行部に伝えるように強く迫ったが、のらりくらりと人を食った態度は露骨でさえあった。解同にぺこぺこするが市民には横柄な小郡市。横着な応対が、はしなくもその行政姿勢を証明してみせたのである。調査団は怒るまいことか」。

 23日は勤労感謝の日。県民集会は午後1時から。全国調査団は、それまでの時間を市民への街頭宣伝にあてることにしていた。調査団は中野団長を先頭に四班にわかれ、それぞれ宣伝カーに分乗、マイクとビラで真相糾明を訴える。まず、駅前広場で村崎勝利全解連本部副委員長がマイクをにぎり、駅前周辺の商店街、市民に解同の教育介入の排除と教育の正常化を訴え、全国調査団代表があいさつした。その後、四班の宣伝部隊が小郡市内各地を街宣、「真相の糾明」を訴えてまわった。 「子どもたちと先生が安心して学べる学校教育を!」。

 開会の一時。会場の東町公園に全解連、全教、共産党、市職労、民商など、各団体の赤旗が林立。解同の教育介入を排して、子どもたちが自由にのびのびと勉強できる当たり前の学校教育を小郡市で実現させたい。学校から人権を奪う解同の糾弾を排除しよう。二度と校長自殺事件の悲劇をくりかえすな。その怒り、思いが悪天をついて小郡市に県下、全国からの六百人が参加した。

 集会は各界代表あいさつ、政次県連書記長が、経過を粛々と報告したあと、小郡中に子どもを通学させている父親が地元から報告した。この若い父親は、小郡中では解放教育の結果、先生が同和地区の生徒になにもいえない状態になっていると学校現場の荒廃を紹介。さらに「解同は差別が拡大、潜在化しているというが、自由にものがいえない教育で新たな差別をつくっているのは解同です。今朝、子どもにこの集会で学校のことを発言するがいいか?といったら『大丈夫、息子を信頼してくれ』と逆に励まされた」と発言すると、会場から万雷の拍手。感動にむせぶ婦人、「ガンバロー」の声がとんだ。それは小郡の解放教育にたいする怒りにかわった。

 集会はこのあと、「部落解放同盟の教育介入から子どもと教育を守る運動のよびかけ」として、小郡市と同市教委にたいして(1)二度とこのような事件を生まないため、真相と責任を明らかにすること(2)子どもの発言を「差別」として社会問題にせず、学校の教育課題として処置すること(3)解同の教育介入をいっさい認めず、教育の自主性を守る責任を果たすこと(4)解同の糾弾行為を認めず、これにいっさい協力・関与しないこと、の四点の要求を読み上げ、県民集会の名のもとに参加者全員の拍手で採択、確認した。

 約1時間20分にわたった真相解明県民集会の一部始終は、高性能のラウンドスピーカーにのって市役所周辺の繁華街に流れた。小郡市民にとって、解同・解放教育批判はタブーになっている。そのタブーを白昼堂々と破る県民集会が開かれた。解同批判が一時間以上にわたって、繁華街にふりそそいだ。

 こころなしか集会後、繁華街を経由して西鉄小郡駅前広場まで集会のデモ行進を先導した小郡警察署員たちのやさしかったこと。署員たちは終始笑顔で、デモ隊優先の交通規制。こんなにもやさしい日本の警察ははじめてだ。それほどに解同の日ごろの横暴、解同に屈服した行政のふがいなさを警察の態度が反証してくれた、とある。

 県民集会には地元の小郡市民や教師の姿は少なかった。会場には解同の尖兵よろしく何人かの同推がカメラ、ビデオをもちこみ、「威嚇撮影」をしていたらしい。そういえば私たちは、休日で閉庁の市庁舎の三階から会場全体を撮影する姿を確認している。あとでわかったことだが、小郡市内や三井郡の学校では、集会の直前、教師たちに「県民集会に参加するな」と内々に脅しがあったらしい。それでも私たちにしてみれば予想以上に、教師たちの参加があった。うれしかった。

【日共系市議による市議会での質疑の模様】
 真相糾明の第二ラウンドは、12月の小郡市議会定例会議にもちこまれた。「15日午後、この日、本会議最後の質問者として登壇した共産党の魚住市議は、一時間三十分のもち時間を小郡中問題一本に絞り込んで執行部の見解をただした」。この時の質疑内容が興味深い。

 魚住市議の第1回目の質問要旨は次の通り。
 「今回の小郡中学校の事件は、小郡市民に大きな衝撃を与えています。学校のなかで穏やかに指導するのが当然であった生徒の発言問題を部落解放同盟が差別発言と断定し、責任が学校にあるといって大掛かりな糾弾を行い、校長先生の自殺という痛ましい悲劇が、その直後におこったからです。今議会で、真相の解明を行いたいので市長、教育長の事実にもとづいた答弁を要求するものであります。質問の第一は、子どもの発言が差別発言となるかという問題です。質問の第二は、学校内でなぜ教育的に指導、処理しなかったのかという問題です。第三として、市と市教委はなぜ確認会に出席したのかという問題です。 第四、糾弾会の不当性という問題です。第五、真相糾明の自粛要請は行政の開き直りにあります。(中略) 最後に、公園使用取り消しは言論弾圧の憲法違反行為であります云々」

 これに田籠勝彦市長次のように答えている。
 概要「市は部落差別をなくし人権確立を重点政策に、各界各層の理解と強い支援をいただき、人権週間では啓発行進パレード、講演会では多くのご協力をいただき お礼申し上げます。小郡中にかかわる件は、教育現場のことなので教育部長に答えさせます。公園使用の問題は、解放同盟からも公園使用願いがだされ、ピケ、衝突、混乱が予想されたので、市民の会に使用取り消しを、解放同盟には不許可をした。混乱回避が目的で言論活動を封じるつもりはなかった」。

 福田教育長は入院中のため林教育部長が立ち次のように答弁している。
 「相手が被差別部落の出身であり、(「部落」という言葉が)いためつける言葉として知ってつかった、小学校の人権学習でだされた言葉、マイナスイメージとして生徒のなかに入っていたから、差別発言ととらえた。校内での教育指導については、さまざまなケースがあるが、差別そのものについて不十分な認識にもとづく発言であり、学校から指導をもとめられた。確認会は、主催は小郡中で、相手をうちのめす言葉として使われたことを全員で確認した。教育課題は本市同和行政の課題。参加するのは当然。公開学習会(糾弾会に出席しないこと)については、総務庁の啓発推進指針は県教委が国の指導文書として扱っておらず、市としてそのような指導はうけていない。情宣活動(の自粛)については、生徒、保護者への動揺があり、地区で登校拒否をおこしかける事態もあり、沈静化にむけて努力していく」。

 魚住市議は二回目の質問で次のように述べている。
 「子どもたちに『部落』と知らせたのは、小学校の狭山ゼッケン登校で部落民宣言をさせたからだ。子どもたちが『部落』と聞いてイヤな顔をするのは、特設同和授業で教師が子どもたちに『部落』を「イヤな言葉」として教えたからだ。原因は学校の同和教育だ。ゼッケンをつけた公開学習会はどこにあるのか。まさに糾弾会だ。大阪高裁判決で糾弾権があるように市はいうが、82年の最高裁判決で破棄されている。糾弾にしても、自粛問題にしても相手の言論を封じるやり方では問題は解決しない」。

 教育部長は、「学校で部落民宣言とか、あいつは部落だとか、そのようなことは指導していない。法的救済がないもとでの糾弾権はある」と答弁。それに対して「糾弾権の根拠を示せ」と再質問され、「県教委の見解にもとづいたもの」と述べている。最後に同市議は「解同や同推らが子どもをこの運動に利用しているがどうか」と見解をもとめている。田籠市長は、「子どもが政争の具につかわれてはいけない」と答弁。「この市長答弁に同対課が『勝手な答弁は相手を利する』とクレームをつけたというから驚く」とある。
(私論.私見) 日共市議・魚住氏の質疑内容について
 日共市議・魚住氏の質疑内容は、日共系の部落問題理論の水準を露骨に表している。果たしてこれがいわゆる共産党の見解かどうか、一考してみる価値があろう。曰く、「学校のなかで穏やかに指導するのが当然であった生徒の発言問題」とあるが、この論法で云えば、「議会のなかで穏やかに議論するのが当然であった国政問題」と言い換えても大差なかろう。そういう極反動理論でしかないということが透けて見えてこよう。

 部落解放同盟の確認会、糾弾会に行き過ぎがあるとしたなら、これに対抗するのはもっと改良された学習会ないしはそれ模様の運動の対置であるべきで、確認会・糾弾会を批判するという論法で「事件化」そのものを有耶無耶にさせよということにはなるまい。日共の場合究極「寝た子を起すな論」でしかなく、それは文部省官僚の願うところの統制主義教育論と通底していよう。

 つまり、日共の部落理論は、部落差別闘争そのものに「左」から敵対するファシスト理論であり、有害無益なそれであることが知られねばならない。宮顕―不破式理論は一事万事がこういう調子のものだということを深く瞑する必要がある。

【「小郡市の人権と民主主義を守る市民の会」の小集会の様子】
 暮れもおし詰まった12月23日。私たちは「小郡市の人権と民主主義を守る市民の会」が開いた小集会に参加した。市民の会の集会は、12月の小郡市議会の報告と県民集会後の市民の反応、小郡中学校の教諭失踪事件と市民の会のとりくみなどを討議するものだった。 「年末というのに市民30人が集まった」。

 「元自衛官も小郡市の同和行政は許せないと入会を約束している。元教師は学校教育を守るために入るという。いま小郡市では動きは小さいが、市民一人ひとりが小郡中問題をようやく自分の問題、地域の問題としてうけとめつつある。この小さな流れが、やがて大河となる日はそう遠くはない」。(了)
(私論.私見) 仰天すべき日共の色目使い方向について

 日共系は、支持者のコメントを載せて大衆操作することが多い。しかし、登場する支持者のヘンチクリンさに仰天させられるのはれんだいこだけだろうか。平然と自民党支持者、町内会長、警察官、自衛隊員らのコメントを得意然として掲げ、「保守層からも支持を受けていることを箔とする正義運動」の演出に使おうとしている。日共の姑息な常套手法であるが、何の事は無い、手前たちの運動がそのレベルの支持者に依拠している変態的な裏からの保守系運動に過ぎないことを自己暴露しているだけではないか。それを得意がるとは、この党中央と下部党員の頭脳は全く狂っているとしか云いようがない。




(私論.私見)