「狭山裁判闘争」に見せる日共理論の悪質性考

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元).6.7日

【「狭山裁判闘争」に見せる日共理論の悪質性考】
 日共の極右反動理論を証左する代表的論文二例をここに掲げ、逐条コメントしてみる。一つは、「1975.1.11日付け日共赤旗論文「『一般刑事事件』民主的運動」考」であり、もう一つは1977.12.2〜3日付け赤旗のたいなか いちろう(日本共産党中央部落対策委員会)による「『公正裁判要求』といっているが、解同の狭山闘争の破たんと害悪」である。総評すればこれは極右ファシストの理論であり、現下日共党中央がこういう勢力に牛耳られていることが判明する。しかし、これを排撃できない日本左派運動も不明を愧ずるべきであろう。

 2004.3.17日再編集 れんだいこ拝


1975.1.11日付け日共赤旗論文「『一般刑事事件』民主的運動」考】
 日共は、1975.1.11日付赤旗論文「『一般刑事事件』民主的運動」を掲載している。それまで曲がりなりにも支援してきた石川氏救援活動そのものから召還する反動的見地を披瀝しており、「日共の狭山闘争からの撤退と無縁化決意」なる路線転換を内外に表明したことになる。

 論文は、概要「左翼的装いをこらした反共暴力の犠牲者に対する救援、彼らの暴力から国民の生命と人権を守る活動が、新しい救援運動の重要な課題になっている」という逆さま観点を打ち出し、狭山事件を1974.10月末の東京高裁による有罪判決を論拠として一般刑事事件の問題とした上で、その救援活動及び政党の取り組みに次のような批判を加えた。まさに日共の反動性を証左する格好標本足りえている。

 次のような詭弁を弄している。逐条これを批判してみる。
 「国民の人権と民主主義を守り、国民への冤罪を許さないという態度を当然の前提としつつも、革新政党があれこれの刑事事件を取り上げ、『冤罪事件』としてその救援の課題を提起する場合、問われている刑事事件の内容が重大であればあるほど、その態度表明に関して慎重であるべきことは、当然である」。
(私論.私見) 「日共の冤罪事件慎重取り扱い論」批判
 ナンセンスの極みであろう。「問われている刑事事件の内容が重大であればあるほど」政党の態度表明は重要であり、「慎重であるべきことは、当然である」にしても、見解留保は許されない。つまり、逆さまなことを云っていることになる。詭弁の一種である。
 「革新政党が十分な事実の根拠もなしに、あるいは『権力』とその『犠牲者』という図式に安易に訴えて、特定の刑事事件について『有罪』や『無実』ないし『冤罪』などの態度を表明することは、国民に対して極めて無責任なことになる。もし、特定の判断が誤っておれば、世論を誘導して、反社会的犯罪を合理化する結果となり、その有害な影響ははかり知れぬものとなるからである」。
(私論.私見) 「日共の態度表明無責任論」批判
 ナンセンスの極みであろう。「特定の刑事事件について『有罪』や『無実』ないし『冤罪』などの態度を表明することにつき慎重であるべきである」などという政治理論が共産党から聞かされてたまるかよ。この論法で行けば、世の冤罪事件に対しては司直の手に委ねて指をくわえて待ち受けるしかなくなる。無茶な話だ。
 「従って、革新政党は勿論、民主的救援運動の場合も一般刑事事件に関して救援活動を行うのは、その主要課題に照らしてもよくよくのことである。とりわけ、強盗殺人のような反社会的犯罪に関する事件は、被告が真犯人でないことが諸般の事情によって確認できるのに、不当なやり方で被告とされているときに限って、救援活動の対象とすることができる。つまり、明白に無実の犠牲者であると確認できる具体的資料や情況がある場合に限って、基本的人権と社会正義を貫く立場から民主的救援運動の手をさし伸べることができる。被告の無実が確認されないまま、『冤罪』だと断定して救援運動を行ったり、『情状酌量』的な救援活動を行うことは、原則としてやるべきことではない」。
(私論.私見) 「日共の救援運動手かせ足かせ論その一、救援運動制限」批判

 ナンセンスの極みであろう。救援運動は、「不当なやり方で被告とされているときに限って、救援活動の対象とすることができる」、「『冤罪』だと断定して救援運動を行ったり、『情状酌量』的な救援活動を行うことは、原則としてやるべきことではない」と云うが、その言に拠っても、冤罪であるかどうか誰が判定するのかネ。司直の手に委ねるしかないというのであれば、冤罪事件の取り組みなぞできやしない。救援運動が嗅ぎつけ、責任を持てるかどうかで判断して取り組む以外にないではないか。逆に、司直の判定前に「冤罪ではない」と誰が判断するのかネ。党中央ならそれができるなぞとは噴飯ものだわ。それにしても、こうも冤罪事件に関わることを拒否しようとする日共の姿勢には寒いものがある。

 「弁護士としての活動や立場を、そのまま民主的救援運動の態度だとしたり、その弁護士が進歩的の人で、『冤罪』だと云っているから民主的救援運動も機械的にその見地から直ちに活動すべきであるといったことは妥当ではない」。
(私論.私見) 「日共の救援運動手かせ足かせ論その二、弁護士活動放置主義」批判
 ナンセンスの極みであろう。弁護士と救援運動が深く関わることこそ救援運動であろう。弁護士を裸にして良いというような運動論を聞かされるとは。
 「政党−特に日本共産党のような綱領、目的をもつ政党が、党として、刑事事件の被告やその関係者の訴えがいろいろあることを決定的理由として、冤罪事件だという確固とした自らの主体的確信無しに、その救援を軽々に政治運動化し大衆運動化することは著しく無責任のそしりを免れないように、本来、強姦・殺人などの刑事事件は、凶悪犯罪として社会的にも糾弾され、その被害者の人権を保護する性質のものである以上、この種の条件の被告とさけている者を救援されるべき犠牲者として扱うには、明確な諸般の事情に基づき、第三者でもそれらを冤罪事件として断定でき、そのことに確固とした政治的・社会的責任を負えるものでなくてはならない」。
(私論.私見) 「日共の冤罪事件取り組むな論」批判
 ナンセンスの極みであろう。「明確な諸般の事情に基づき、第三者でもそれらを冤罪事件として断定」できるのなら、そもそも裁判なぞ不要であろう。「真相は藪の中」の部分も含めて、冤罪の臭いがあれば調査に乗り出し、救援運動の必要ありと見なせばそれに取り組む。政党がこれを後押しするのは当然ではないか。万一間違いが判明すれば自己批判せざるを得ない。そういう運動経験を通じて能力が試練向上していくというのが弁証法だろう。「冤罪事件取り組むな論」を聞かされるとは。
 「我が党がそういう慎重な態度をとることに対して、誰も無責任に非難することは許されない。又、全ての裁判に何人も要求できる『公正な裁判』という一般的な立場にあるからといって、軽々に、あれこれの刑事事件についての『公正裁判要求運動』を―特に被告関係者や弁護人のそういう訴えがあるからということを主な理由にして―党や民主的救援運動の課題にしていくのも、重大な責任を伴う誤りである」。
(私論.私見) 「日共の救援運動過度責任伴う論」批判
 ナンセンスの極みであろう。もう無茶苦茶でござる。
 「民主的救援運動は、誰かに依頼されて救援活動を行うものではなく、その政治的ないし社会的判断によって、自発的に犠牲者救援活動を行うものである。民主的救援運動が一般刑事事件について救援運動をするときは、あくまで明白な無実を確信できるときであり、何よりもそれは、民主運動と国民に対して民主的責任を負わなければならないのである」。
(私論.私見)「日共の救援運動取締り論」批判
 ナンセンスの極みであろう。もう無茶苦茶でござる。それにしても正気だろうか。こういう論法に拠れば、権力は大概のことが許され、これに抗議する者には過大な自重が望まれることになる。これは当局にのみ好都合な代弁でしかないではないか。


「『公正裁判要求』といっているが、解同の狭山闘争の破たんと害悪」(1977.12.2〜3日付け赤旗記事、たいなかいちろう)考】
 これまた稀代の悪文であろう。この言及によれば、当初の日共系救援活動さえその意義を否定していることになる。救援会がもし自律的であるといのなら、このたいなか論文に抗議でもしたのだろうか。それをしていないとなると、「日共系弁護活動」と看做されるのはむしろ正確を射ておりしようがないではないか。

 「公正裁判要求」といっているが 「解同」の「狭山闘争」の破たんと害悪

 「解同」朝田・松井派は近年、反共暴力策動の道具として「狭山差別裁判糾弾闘争」なるものにとりくんできた。ことし八月九日、最高裁第二小法廷は、石川一雄被告の上告を棄却し「無期徴役」を確定したが、「解同」は、この決定を「重大な敗北」とうけとめ、危機感をつのらせるとともに「狭山闘争」のたて直しに狂奔している。「解同」はいま再審請求をかかげ「部落解放中央共闘会議」とともに労働組合や学者、文化人、宗教家、さらには地方自治体などに署名や支援決議、はてはかれらの集会への大量動員や公費動員などをひんぱんに要請するばかりか、トロッキスト暴力集団とも野合している。

(れんだいこ私論.私見)
 この憎々しげな表現は何ゆえのものだろう。解同が「狭山闘争のたて直しに狂奔している」という表現は、「狭山闘争の立て直しに反対」という姿勢を見せていることになる。「トロッキスト暴力集団とも野合している」も同様である。まずはここを確認しておきたい。
 六年後にいいはじめた「差別裁判」論

 「解同」は、「狭山裁判」を「部落民に対する差別的偏見と予断によって終始つらぬかれている。したがってこの裁判は差別裁判とならざるをえない」(「狭山差別裁判糾弾要綱」一九七〇年五月)、「たたかいの勝利は、狭山差別裁判の本質をはっきりと認識することをなしにはありえない」(「狭山差別裁判糾弾要綱」第二集、一九七〇年十一月)「差別的予断と偏見を政治的に利用した権力犯罪である」(一九七七年大会方針)と断定し、今回の最高裁の上告棄却決定を「狭山闘争を弾圧し、部港解放運動と反差別、反権力共同闘争を破壊せんとし」(第三回中央委、「解放新聞」一九七七年九月二十六日)たものだとして、「権力」闘争にみたてている。
(れんだいこ私論.私見)
 日共は、狭山闘争を権力闘争に見立てることに反対という観点が打ち出されている。とにかく政治化するのが嫌いな変な共産党ではある。
 狭山事件とは、一九六三年五月、埼玉県狭山市で女子高校生がなにものかによって強姦、殺害された事件である。この事件の容疑者として逮捕された石川被告は、当初、自分がやったと自白し、第一審で死刑の判決をうけた。そのあと、石川被告は、東京高裁の第一回公判(一九六四年)で自白を撤回し、犯行を否認する態度をとり、現在も否認しつづけている。こうして「狭山事件」の裁判では起訴状にあるように、石川一雄被告が強姦殺人という反社会的行為を実際にやったのかあるいはやらなかったのかが、中心的に争われた。
(れんだいこ私論.私見)
 この論によれば、日共は、石川被告の「逮捕一週間後の自供」の証拠価値を重視していることになる。
 ところで「解同」は、控訴番も半ばすぎた一九六九年十一月に、トロッキスト暴力集団が浦和地裁に火炎びんを投げこみ、、「石川青年即時奪還」をさけんで妄動をはじめたあと、急にこの問題にとりくみはじめ、石川被告が未解放部落の青年であることを理由に、この裁判自体を「差別裁判」だときめつけ「石川青年の即時釈放」(一九七〇年大会方針)をいいはじめた。

 「解同」は一九六〇年代後半から、部落住民にたいする「差別的偏見と予断」が「一般的、普遍的に存在」するなどとのべて、部落住民以外のすべての人々を「差別者」ときめつけ、部落排外主義の立場をとってきたが、この「差別裁判」論はその延長線上のものだった。
(れんだいこ私論.私見)
 この論に拠れば、日共は、狭山裁判に対する「差別裁判論」は「解同」の部落排外主義に論拠しているとみなしていることになる。
 犯罪をおかしても罰すべきてない?

 かれらの論法でいくなら、部落住民にかんする事件は、真犯人であろうとなかろうと、すべてが「部落差別」を基礎とする「差別裁判」ということになるのである。しかも、かれらは「差別裁判」だと決めつけることによって「石川青年の即時釈放」を要求し、かれらに同調しないものや、証拠にもとづく公正な裁判を要求してたたかっていた人たちまで「差別裁判」の加担者だと攻撃した。これが、部落住民なら、どんな犯罪をおかしても裁判をうけたり、罰せられたりすべきてはないとする、きわめて反社会的な主張であることはあきらかである。

 もともと、ある裁判の基本性格を「差別裁判」と断定するには捜査、起訴、審理、判決という訴訟の過程に、ことさら差別観念をあおったり、未解放部落住民であることを最大の理由として処罰するなどの明確な事実がなければならないが、「狭山裁判」をそうしたものと断定する根拠はないのである。

 また「解同」はこの事件自体があたかも「部落解放運動」への弾圧事件だったかのようにみせかけている。だが「狭山事件」は、松山事件のような政治的背景のある謀略事件と全く性格がちがい、石川被告は、事件当時、部落解放運動とはなんのかかわりももっておらず、警察や検察当局がこの事件から部落解放運動の組織や活動の弾圧にすすむということもなかったのてある。
(れんだいこ私論.私見)
 ここの下りは全編暴論であろう。まず、「部落住民なら、どんな犯罪をおかしても裁判をうけたり、罰せられたりすべきてはないとする、きわめて反社会的な主張であることはあきらかである」とは、何と狭山裁判を捻じ曲げていることだろう。石川被告が逮捕一週間後に自供し、裁判になって自白を翻した。この時、日共は、当初の自白を重視せよ論を唱えていることになるが、何と反動的なことか。

 石川被告が取り調べ段階での狡猾な誘導に抗し切れなかったこと、公判で無実を述べたことに真実があるとみなすなら、冤罪事件の可能性を嗅ぎ取り運動に取り組むのは左派運動としては当たり前のことである。それがなぜ、「部落住民なら、どんな犯罪をおかしても裁判をうけたり、罰せられたりすべきではないとする、きわめて反社会的な主張」と見なされねばならないのか。日共のこの論に潜む権力側との親疎性を窺うべきであろう。

 中段は、狭山裁判は冤罪事件ではないと主張していることになる。後段は、政治的弾圧事件ではないと述べていることになる。共に無茶な暴論である。
 暴力集団と野合するための小道具

 さらに、かれらは「狭山闘争」を国家権力への直接的打撃を目的とする「権力闘争」なるものにみたてているが、これはトロッキストが「狭山闘争」を「(日帝)の侵略、反戦、暗黒の攻撃の決定的一環」などとのべて、暴力、妄動の口実にしているのに追随し、野合するためのものである。

 この数年間、「解同」は「差別裁判」論をかかげトロッキスト暴力集団と野合してきた。そして、その当然の結果として、かれらの「狭山闘争」は矛盾を深め、破たんをきたした。とくに裁判での敗北は、かれらの内部に敗北感をひろげ、闘争にたいする確信を弱まらせることになって、運動に深刻な打撃もあたえた。このことは、かれら自身、「組織内外に強い敗北感がひろがり、闘争に一定の停滞がみられたことは残念」(一九七六年大会方針)、「もたれあい共闘の実態の克服がなによりも重要である。集会共闘、スローガン共闘は自立した共闘の未成熟を示している」(一九七七年大会方針)とのべ、総評をはじめとする一部労働組合を「狭山闘争」へまきこんだにもかかわらず調子よく進んでいないことを認めざるをえなかった。
(れんだいこ私論.私見)
 ここの下りは、日共が狭山闘争の盛り上がりに敵対する火消し論を説いていることになる。

 「差別裁判」論から「公正裁判要求」へ

 「解同」は、こうした「狭山闘争」のいきづまりをまきかえすえめ、「部落差別にもとづく権力犯罪としての狭山差別裁判の性格をしっかりと把握して闘うとともに、真実をもとめ、正義を愛する立場から公正裁判を要求する誠実な人びとを広く結集」(一九七六年大会方針)するとの方向をうちだした。つまり「差別裁判」論が破たんしたことから、こんどは、公正裁判の要求をもち出すことで打開しようとこころみたわけである。ことし一月二十八日、野間宏らを中心に「狭山事件の公正裁判を求める会」を発会させたのも、そのあらわれであった。

 しかし、「解同」のいう「公正裁判要求」は、世論をあざむく策略でしかない。それはなによりも「解同」自身が、これまで公正裁判を求めてきた人たちをはげしく攻撃してきた事実が証明している。たとえば、事実に即した公正裁判を要求し、献身的な調査活動をおこなってきた人々、とくにその中心にあった石川被告の主任弁護人の中田弁護士らにたいし、「解同」は「差別裁判」論をうけいれないことを理由にして、裁判からの排除策動を系統的につよめ、石川被告をして中田弁護士らを非難、攻撃させることによって、結局、中田弁護士らに弁護をやめざるをえなくさせたのである。もともと、「解同」の「差別裁判」論は、公正裁判論の否定のうえにくみたてられたものだった。

 このように、「解同」がいまになって、公正裁判要求をいいだしてきたことは、「解同」の「狭山差別裁判」論の破たんとそれをおおいかくそうとする欺まん的な策略によるものである。したがって、その実体は「差別裁判」論となんら変わらない。その実際をつぎに具体的にみてみよう。

(れんだいこ私論.私見)
 ここの下りを整序すれば次のようになる。当初、日共は、狭山裁判を「公正裁判要求」として取り組んできた。担当は中田弁護士らであった。しかし、それなら、これまでに述べてきた日共の狭山裁判論と齟齬しているではないか。それはおいておくとして、解同が公正裁判論ではなく差別裁判論で争うべきとして介入してきたことが分かる。これにより、日共系の弁護活動は手を引くことになった。その後、解同は差別裁判論で争ってきたが、1976年大会方針で「公正裁判要求」を打ち出した、ということになるようである。

 暴力集団と一体化する接着剤に

 「解同」幹部がいくら「狭山闘争」を「公正裁判」要求をかかけたものてあるかのようにいっても、それが「差別裁判」論にたった有害をものであることはかれらの運動の実態をみれば明白である。「解同」自身、暴力・脅迫を背景に各地方自治体や各分野の人々に「狭山闘争」への「連帯」「参加」を強要し、これに同調しないものに「差別者」のレッテルをはりつけ、「糾弾」「研修」を強要してきた。 同時に、ここで指摘しておきたいことは、「狭山闘争」を接着剤にトロッキスト暴力殺人集団と野合し一体化していることである。

 「解同」が「狭山事件」をとりあげたのは、当時の委員長だった朝田善之助らのグループが部落解放同盟を私物化し、部落排外主義の方針のもとにわか党攻撃を公然と開始(一九六九年)しはじめたのとほぼ時を同じくしている。また、この年は「同和対策事業特別措置法」の成立を背景に「解同」が無法に同和事業を独占管理し、利権あさりを全国的に展開しだした年でもあった。つまり「解同」は反共、暴力、利権という悪の花を咲かせる道具の一つとして「狭山闘争」をとりあげたのである。

 そして、みのがせないのは、「解同」のこの方針が、トロッキスト暴力集団との野合の道でもあったことである。トロッキストの浦和地裁への火炎ビン投入(一九六九年十一月)という「狭山闘争」なるものについて「解同」は、「差別裁判が……あのようを行動を生みだした」とのべ、みずからの「取りくみの不充分さを点検するとともに差別裁判糾弾のたたかいを全国的規模で展開」(一九七〇年大会方針)するという態度をとった。

 こうして、とりくみの最初からトロッキスト集団と一体となって「狭山闘争」なるものにとりくみはじめたのである。「解同」は、これ以後一貫して「狭山集会」で、「中核派」「社青同解放派」をとのトロッキストと共闘関係をつよめ、かれらの参加を「戦闘的労働者、学生、市民層が拡大し」(一九七六年大会万針)たとして評価してきた。そしてみずからも「石川氏実力奪還」「死闘、決死糾弾」を叫び、さらには「日本共産党の差別敵対粉砕」「差別者集団日共粉砕」などのスローガンをかかげるまでになった。その結果、ここ数年の間「解同」自身「特定セクトの青年部私物化を許さず、青年部活動の統一、強化にとりくむ」(一九七七年大会方針)と書かざるをえないほど、トロッキスト集団が「解同」各県一連や支部へ組織的にはいりこむまでになっている。

(れんだいこ私論.私見)
 ここの下りで、狭山闘争に新左翼の主として中核派、社青同解放派が支援体制を組み、解同がこれと共闘した経過が明らかにされている。問題は、それにより運動が発展したのか齟齬したのかであり、この観点抜きの批判は為にするものでしかなかろう。
 凶悪な挑発妄動を支持、激励

 一方、トロッキスト集団は、数年来「狭山決戦」を「三里塚決戦」とともに「起死回生」のよりどころとして挑発的妄動の場に利用し、最近では「ゲリラ的パルチザン的たたかい」の必要を強調し、実行している。たとえば、東京高裁の寺尾裁判長を出勤中に襲撃(昨年九月)した事件、機動隊との衝突のくりかえし、一連の派出所への放火事件、東京拘置所への無人車突入事件(ことし九月)などなど、かれらの反社会的挑発、妄動は目にあまるものがある。

 そして重大なことは、「解同」がこれらの明白な妄動を批判するのでなく、逆にトロッキストらに「犯行声明」や「実力闘争方針」発表の場を提供し、それを容認、支持、激励していることである。先日ひらかれた「解同」主催の「一〇・三一狭山差別裁判糾弾、再審要求中央総決起集会」(明治公園)は、トロッキスト集団約四千人の動員をうけいれて正式にあいさつさせ、〃昨日最高裁に対し火炎ビン闘争をおこなった〃という犯行をみとめる発言を壇上からさせて大きな拍手をあたえている。
(れんだいこ私論.私見)
 この下りも同前である。
 こどもを闘争の道具にして

 「解同」が児童・こどもを「狭山闘争」の道具にしていることも重大である。「解同」は、かれらに盲従する教師集団の育成を通じ、さらには直接的に、公教育の場に教育課程として「狭山闘争」をもちこんで、「狭山集会」報告、「狭山全学学習」、映画「造花の判決」の観賞などの形はもとより、運動会や絵の画題にまで登場させるという形でおしつけている。

 そして、社会的判断力をもたないこともたちに「石川さんがしけいになったら、こんどはわたしたちが、はん人にされるかもしれない」(二年生)という作文をかかせ、また保育園児にまで「石川の兄ちゃん返せ」「日共糾弾」をさけばせている。小・中学生を街頭署名や「集会」デモに参加させ、「同盟休校」をも組織するにいたっている。かれらは、こどもを道具にし公教育を闘争の場に利用する「同盟休校」を、「最高の戦術」として「実力闘争」の柱にさえしている。

 これらの「狭山教育」は、なによりも、親とこどもたちのねがいである教育をうける権利をじゅうりんし、こともの健全な成長と教育の民主的発展に敵対するばかりか、こどもたちの友情、連帯をふみつぶし、非行化現象を促進している。
(れんだいこ私論.私見)
 ここの下りの観点も酷い。狭山闘争の取り組みが如何様に展開しようと、憲法−教育基本法レベル内のことであれば、教師の教育指導には自主・自律性が保障されるべきであろう。これを破壊してきたのが勤務評定導入以来の文部省行政である。この下りでの日共の論法は、文部省の統制強化論に与していることを証している。あろうことか末尾で、「狭山教育」が、「親とこどもたちのねがいである教育をうける権利をじゅうりんし、こともの健全な成長と教育の民主的発展に敵対するばかりか、こどもたちの友情、連帯をふみつぶし、非行化現象を促進している」などと述べている。どういう具体的事例があってこのようなことを述べているのだろうか。

 あまりに悪質な煽り記事ではないか。れんだいこは、ここの文章を廻って公開討論を為すべきであると考える。「たいなか いちろう」を公開の席へ引きずり出すべきであろう。解放同盟は、日共に正式に申し入れすべきであった。こういうところをないがしろにして、個々人の差別言辞糾弾闘争に向かうのは枝葉末節の感が深い。
 公正裁判を追求する道閉ざす

 さらに、批判しなければならないのは、「解同」が「狭山闘争」を政治的に利用していることである。「解同」は一九七四年に革新都政攻撃を集中的におこなったが、そのさい「狭山集会」を口実に全国から動員し、これを革新都政攻撃の圧力とした。また近年、「解同」は「労働組合と部落解放同盟との共闘の前進」を名目に、総評など一部労働組合に「部落解放中央共闘会議」や「部落解放地方共闘会議」への参加をせまっている。そして、一部労働組合をトロッキストと一体化した「解同」の「狭山闘争」に「司法反動との闘い」の名のもとに動員するまでになり、労働者を危険な妄動の共犯者にしようとしている。

 このような「差別裁判」論をかかげた「解同」の無法で反社会的な行動とトロッキスト暴力集団の挑発的妄動が、公正裁判に役立つどころか、最高裁が口頭弁論も開かずに上告棄却をおこなう誘因の一つとなったのである。この意味では、かれらこそ石川被告の公正な裁判をうける権利を追求する道を閉ざし、司法反動を引き出した張本人であるといわねばならない。

 司法反動との闘いを真に進める意味からも、また、「解同」の反共分裂策動、暴力、利権あさりを許さないためにも、かれらの「公正裁判」うんぬんの欺まん策にまどわされず、その「狭山闘争」の実体と役割をきびしく批判していかなければならない。
れんだいこ私論.私見)
 結局、日共が為そうとしていることは、「司法反動との闘いを真に進める意味からも」という建前正義論で、「解同」運動に敵対し、何と!「狭山闘争の実体と役割をきびしく批判していかなければならない」だと。つまり、狭山闘争への公然たる敵対宣言以外に何ものも表明していない。当初主張していた「公正裁判要求運動」を目指すというのでもなく、ただ単に狭山闘争の破壊に狂奔するなどとは、驚くべき日共理論ではなかろうか。この種の論法は他でも聞いたことがあるがそれは云うまい。




(私論.私見)