狭山事件史年表

【狭山事件、闘争の年表】
1963 .1日 事件発生。女子高生N・Yさんが自転車で下校途中に不明になる。何者かによって自転車と脅迫状が自宅にとどけられる。(午後7時40分発見)
5.2日 深夜、脅迫状で指定された身代金受け渡し場所の「佐野屋」周辺に警察が張り込む。犯人があらわれたが逃走し、取り逃がす。
5.3日 山狩り捜査開始。Nさんのものと思われる自転車の荷台の“ゴムひも”が発見さえる。
5.4日 N・Yさんの死体発見。警察庁長官辞表提出。
5.11日  “スコップ”が麦畑から発見される。警察が「死体埋没に使用されたもので、Iさんの養豚場のもの」と発表。(Iさんへの確認は5.20日)
5.23日 石川一雄さん(当時24歳)が別件で逮捕される。第1回家宅捜索(2時間17分、刑事12人)。
5.25日 教科書・ノート類発見。
6.17日 石川さんを保釈直後に再逮捕。身柄を狭山署から川越署分室に移送。
6.18日 第2回家宅捜索(2時間8分、刑事14人)
6.20日 石川さん、このころから自白をはじめる(3人共犯自白)。
6.21日 カバン「発見」
6.23日 石川さん単独犯行自白開始。
6.26日 第3回家宅捜索(24分、刑事3人)。第1回、第2回の家宅捜査で発見されなかった“被害者の万年筆”が台所の鴨居(カモイ)から発見される。
7.2日 “被害者の腕時計”が捜査済みの道路から発見される。
7.9日 石川さん、N・Yさん殺しで浦和地検に起訴され、浦和拘置所へ移送される。
9.4 第1審第1回公判(浦和地裁)。石川さん起訴事実を認める。
1964 2.10日 第11回公判。原検事、死刑を求刑。
3.11 第1審浦和地裁、第12回公判で、内田裁判長が石川さんに死刑判決を言い渡す。
3.12日 石川さん、東京高裁に控訴。
9.10日 第2審第1回公判(東京高裁)。石川さん、N・Yさん殺害を否認、無実を訴える。
1968 11.14日 第30回公判にて、“脅迫状の筆圧痕”問題が新事実として弁護団より提出される。
1971 5.29日 「狭山差別裁判に対する公正裁判要求、石川一雄氏の即時釈放」を求める百万人署名、始まる。
1974 10.31 第2審東京高等裁判所、寺尾正二裁判長が無期懲役の判決を言い渡す(寺尾判決)。石川さん・弁護団、最高裁判所へ即日上告。
1976 6.23 石川さんの不当逮捕13年に抗議して、各地で同盟休校をはじめとした闘いがおこなわれる。
1977 8.9 最高裁判所(第2小法廷)、口頭弁論もおこなわずに上告棄却の決定。
8.11日 石川さん・弁護団、最高裁判所へ異議申し立て。
8.16日 最高裁判所、異議申し立てを却下(15日付)。原判決の無期懲役が確定。
8.30 石川さん・弁護団、東京高等裁判所へ第1次再審請求を申し立て。
1980 2.7 東京高等裁判所第四刑事部(四ツ谷裁判長)が、再審請求棄却の決定。
2.12日 東京高等裁判所へ異議申し立てをおこなう。
1981 8.25日 東京高等裁判所五刑事部(荒関裁判長)が、事実調べを一切おこなわず異議申し立てを棄却決定。
3.30日 石川さん・弁護団、最高裁判所へ特別抗告。
7月 東京高検が証拠開示(小名木証言など重要な新証拠発見)。
1985 5.28 最高裁判所第2小法廷、第1次再審請求の特別抗告を棄却。
1986 8.21 東京高等裁判所第4刑事部へ第2次再審請求(小名木さんの新供述、筆跡鑑定など提出)。
11.12日 家宅捜索にかかわる元刑事7人の新証言(鴨居に万年筆はなかった)。
12.5日 東京高検に証拠開示請求。
12.18日 4通の筆跡鑑定、浜田意見書提出。
1988 9.2 東京高検が芋穴のルミノール反応検査報告書を証拠開示。(芋穴に血痕反応はなかった)その他の証拠は開示を拒否。
1990 12.20日 再審請求補充書(総合的補充書)を提出。
1991 8.20 81人の法学者が事実調べを求める署名を東京高裁に提出。
10月~ 社会党国会議員による仮出獄連続要請行動(千葉刑務所および法務省へ)(92.4月まで)。
1992 7.7 第1回家宅捜査をおこなったD元刑事が「カモイに万年筆はなかった」と証言(鴨居は捜索済みだった)、「家宅捜索時に鴨居に万年筆はなかった」)が明らかに
9.8日 東京高裁が検察官に求意見。
12.7日 検察官が意見書を提出。
12.11日 東京高裁が弁護団へ求意見。
1993 3.15日 弁護団が意見書を提出(人形運搬・筆跡意見書も提出)。
5.14日 殺害方法についての法医学鑑定書、筆跡に関する調査報告書、自白の信用性などについての意見書追加書面を提出。
1994 3.4日 近藤裁判長が退官。後任に高木俊夫裁判長。
12.21日 石川さん、仮出獄によって31年7ヶ月ぶりに故郷狭山の土をふむ。
1996 8.21日 IMADR(反差別国際運動)が国連人権小委員会で狭山事件の証拠開示を訴える。
12.21日 石川さん、徳島でながく狭山を支援してきた早智子さんと結婚。
1997 2.18日 弁護団、追加意見書(筆跡)を東京高裁に提出。
10.14日 石川さん、高木裁判長と面会。
1998 10.28 ジュネーブの国際人権規約委員会で狭山事件の証拠開示について委員から質問がなされる。
11.6日 国際人権B規約委員会が最終見解で「弁護側がすべての証拠にアクセスできるよう法律および実務を改めること」を勧告。
11.12日 狭山現地に火事で焼失した石川さん宅の勝手場、カモイの復元が完成。弁護団は東京高裁に現場検証を要求。
12.8日 弁護団が14回目の面会。指紋に関する元警察鑑識課員の鑑定書提出。指紋検出実験の実施を求める。
1999 3.23日 弁護団が東京高検の検察官と証拠開示について折衝。
多数の未開示証拠と証拠リストが存在することを確認。証拠リストの開示を求める書面を提出。
弁護団が高木裁判長と15回目の面会。指紋についての鑑定人尋問、復元カモイの検証を求める書面を提出。
6.10日 東京高検の亀井検事と証拠開示について折衝。
東京高裁に齋藤鑑定を提出。
6.23日 東京高裁・高木裁判長と面会。事実調べと証拠開示の勧告を求める。
7.9日 東京高裁第四刑事部・高木俊夫裁判長が事実調べもおこなわずに抜き打ち的に再審請求を棄却。弁護団から提出された多くの無実を示す新証拠の事実調べもせず、第2次再審請求を棄却し。「東京高検には、 狭山事件に関する未開示の証拠 が2メートル以上もあるのに、 開示していない」。
7.12日 弁護団が東京高裁に異議申立。
2000 3.3日 東京高検の麻生検事と証拠開示の折衝。未開示証拠は(積み上げれば)2メートルぐらいと述べる。
3.31日 弁護団が東京高裁第5刑事部・高橋省吾裁判長と面会。
齋藤2次鑑定など新証拠と異議申立補充書を東京高裁に提出。
4.1日 東京高検の担当検事が麻生検事から松本検事に。
6.28日 弁護団が東京高検の江幡検事と折衝。(6月に担当検事が松本検事から江幡検事にまた交代)。
8.2日 高橋省吾裁判長と面会。9月末には狭山再審弁護団新証拠を提出。
9.26日 狭山弁護団が新鑑定提出へ。
10.31日 狭山事件の再審を求める中央集会(日比谷野外音楽堂)。
2001 2.13日 東京高検の担当検事が交代(江幡検事→杉本一重検事 會田検事以来7人目)。
10.31日 狭山事件の再審を求める中央集会(日比谷野外音楽堂)。
2002 1.23日 東京高等裁判所刑事第5部の高橋省吾裁判長再審棄却決定。
1.29日 「東京高裁の棄却決定は到底納得できない」として、最高裁に特別抗告。
5.23日 5.233不当逮捕40ヶ年糾弾中央総決起集会(日比谷野外音楽堂)




(私論.私見)