【救援闘争史考】 |
(最新見直し2008.9.23日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
狭山闘争の「救援闘争史」を整理しておく事、その経過で発生した「日共系弁護団の解任事件」に目を通しておく必要があるが、こういう重要な事件に対する理論的考察が為されていない。その様は、日本左派運動の無能さを証しているように見える。以下、れんだいこなりにスケッチしておく。「狭山事件と救援会」(1995.3三月、日本国民救援会中央本部)その他を参照した。「救援闘争通史」は、「裁判の経過」サイトに取り込み、ここでは「日共系弁護団の解任事件」を集中的に論ずることにする。 2004.3.16日 れんだいこ拝 |
【「中田弁護人らの辞任声明」】 | |
1975.2月、中田主任弁護人ら七名が石川被告の弁護活動を辞任すると声明した。「中田弁護人らの辞任の声明」は次の通り。
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「中田弁護人らの辞任声明」の史的意味が位置付けなければならないのに案外為されていない。れんだいこが思うに、何事も歴史的経過の中で読み取られねばならない。その全体の流れは、【裁判及び狭山闘争の経過】に記したので、ここでは直近の動きとの関連で位置づける事にする。 |
【狭山事件再審弁護団声明】 |
平成14年1月23日東京高等裁判所第5刑事部高橋省吾裁判長は狭山事件の第2次再審申立に対する棄却決定に対する異議申立を棄却する決定を下した。弁護団は満身の怒りをこめてここに抗議の声明をあきらかにするものである。 |
【「狭山事件・再審請求における最高検の証拠開示等に関する質問主意書」(2003.7.22日提出質問第135号、提出者・北川れん子)】 | ||||||||||||||||
狭山裁判は、現在第二次再審の特別抗告審という段階であるが、一九九九年三月、当時の担当検事が、みかん箱六個分(三メートル)程度もあると回答した証拠の開示を今なお最高検は行おうとしておらず、また、最高裁も開示勧告を行っていない。 狭山事件の被告とされた石川一雄さんは、三十一年七ヶ月にも及ぶ拘禁生活の後、仮出獄された今も『冤罪は晴れた訳ではない。まだ私には見えない手錠がかかっている』と、無実を叫び続けている。石川一雄さんという、「にんげん」一人の命運を左右する重大事に際し、全く不条理なことである。 狭山事件発生の一九六三年五月一日から四十年目の二〇〇三年五月一日、石川一雄さんについて『埼玉新聞』は一面トップで「再審なれば、無罪分かる」と報じ、また『東京新聞』は、現地の埼玉県狭山市で行われた五月一七日集会の模様を翌日一八日に報じており、さらに『朝日新聞』は石川早智子さんの最高裁への要請を五月二三日に、他紙も大・小はあるが狭山事件について報道し、検察官が裁判に証拠として出していない公判未提出証拠の弁護側への証拠開示、事実調べについてふれている。 情報公開が市民の権利として進められている世界的な趨勢の中、アメリカでは世界に先駆け証拠開示が制度化され、イギリスでは証拠開示法が制定されており、オーストラリアでは全面開示する継続的義務が負わされている。カナダでは、マイノリティであり先住民であるネイティブ・カナディアンへの冤罪事件が起こり、証拠開示で無罪となり、政府は王立委員会をつくり証拠開示が行われておれば冤罪は起こらなかったとし、判例で証拠開示を義務付けた。そこでは「証拠は有罪獲得のための手段でない。正義実現のための公共財である」という位置づけがされ、根本的な発想の転換がなされている。このように九〇年代にはイギリスをはじめ先進諸国で証拠開示がルール化、義務化されている。これらは、冤罪や誤判事件の原因調査の中からの教訓として制定されており、世界の流れとなっている。 また、一九九八年十月には、国連の自由権規約委員会が狭山事件を取り上げ、日本政府に対して「検察官手持ちのすべての証拠にアクセス出来るよう」法律や実務を改善することを勧告している。被告にとって有利となる証拠、検事にとって不利な証拠を開示しないことは国際的にも認められないことである。 司法制度改革審議会の最終意見は、「争点整理のための証拠開示の拡充が必要」とし、「証拠開示の時期・範囲等に関するルールを法令により明確化」すべきとしている。審議会の最終意見を受けて、内閣に設置された司法制度改革推進本部の「裁判員制度・刑事検討会」が、証拠開示や国民の司法参加のありかた(裁判員制度)の制度設計や立法化のための検討作業を現在行っている。裁判員制度の導入で、刑事裁判でも一〜二年という迅速化が目前の現在、狭山事件第二次再審の特別抗告審における検察、裁判所の姿勢では冤罪に苦しむ人々をさらに増やしていくのではないかと危惧を抱かざるをえない。 このような状況を踏まえて、以下、質問する。
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(私論.私見)