日本在地型社会主義その1、幕末維新以後百年の歩み

 (最新見直し2006.4.13日)

 日本左派運動のねじれを質す為には、少なくとも幕末維新から説き起こさねばならない。れんだいこは、山陰基央氏の著書「世界最終戦争」(マネジメント社、1999.2.25日初版)より多くの着想を得た。但し、れんだいこは山陰氏の見解と等値ではないので、れんだいこ風に咀嚼し直して新たに言葉を紡ぎたい。


 幕末志士の社会主義革命、百姓派の社会主義革命、
 「自由、平等、博愛」、「公正、平等、福祉」、「富の均等配分と弱気者を援ける」という思想。「企業は天下の公器とする意識」。

 武士の廃業。有能な武士の官吏登用。「一道、一都、二府、47県」。国家有為の人材の育成と活用。

 山陰基央氏は、著書「世界最終戦争」の「社会主義の時代は終わった」の中で次のように述べている。 概要「明治維新とは、天皇制社会主義の体制を創造した革命であった。まさに、日本独自の社会主義革命であった。日本はヨーロッパの社会主義とは異なる社会主義へと突っ走っていたのである。」


 昭和7年、内務省に入った灘尾末吉(東大卒、後の厚相、文相)は、国民健康保険法の立案を命ぜられ、昭和13年「灘尾立案」に基づき、国鉄、海運、工場などの労働者に施行された。その数は日本労働総人口の40%に及んだ。更に、「農村漁村の婦人の健康問題」に取り組み、殊に「妊産婦の衛生と健康管理」に心を砕いた。昭和36年、国民健康保険法が全国民に施行された。これと併行して各種の医療保険が施行された。これはアメリカにも無い制度であった。

 山陰基央氏は、著書「世界最終戦争」の「社会主義の時代は終わった」の中で次のように述べている。
 概要「これは資本主義の中から生まれる思想ではない。まさに、『日本型社会主義』の成果である。それだけではない。最高税率85%に至る累進課税や相続税も社会主義のものであり、不動産売買における過酷なキャピタルゲイン税もまた社会主義の手法である。とにかく、日本は社会主義の元祖ソビエトにすらない、自由主義市場経済の形を取りながら、あらゆる社会福祉を充実してきた。その時間は、明治維新以来100年の努力であった」。

 自民党ハト派とは愛国的社会主義の原理。自己責任を軸に個人の自由、企業の自由、それを補完する最低限水準の保障による平等。日本型社会主義による政体。経済は実需的で投機的ではない。戦後日本は、アメリカ型の民主主義による自由主義的政治を標榜しつつも、実態は幾多の規制に縛られた官僚型社会主義国家。社会思想的には「資本主義を前提にしつつその悪弊を改良して社会主義の理想に近づけるという思想」である民主社会主義。

 ソ連崩壊後、中国は社会主義市場経済という体制移行を図り始めた。

 山陰基央氏は、著書「世界最終戦争」の「社会主義の時代は終わった」の中で次のように述べている。
 「明治以降の日本を『帝国主義国家』と定義する者はマルクス社会主義(共産主義)系の知識人であり、日本を『全体主義・軍国主義国家』と定義する者は一部の自由主義者(国際主義者)とマルクス系の社会主義者である。更に、日本を『資本主義国家』と定義する者達はマルクス系社会主義者の群れであり、『労働組合』系の運動家達である。その実、日本の政体は、明治以来『天皇制社会主義』と云うか『民主社会主義』と言うべき国家であった。徳川幕藩体制(封建社会)が崩れ、『明治維新政府(統一日本)』が出来上がると、世界に類例の無い『王政復古』の政体となった日本であるが、その実は社会主義国家であった」。
 「日本の戦後政策は、自由民主主義の名に於ける民主社会主義手法による財政運営がなされてきた。それは、マルクス社会主義の政党(社会党、共産党など労働組合を基盤とする政党)が要求するものを合理的に援用してきたからである」。

 反権力、反国家、親ソ、親中、親マルクス。






(私論.私見)