[604] 太田龍氏が私のことに言及しているので、私の考えを書きます。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2007/08/08
副島隆彦です。 下↓の「602」番で、 太田龍氏 のホームページの連載文の中に、私、副島隆彦に対する言及があると、隠密剣士という私たちの会員が、転載してくれている。
私は、太田龍という言論人については、次のように考えている。
1. 私は、一度だけ、8年ぐらい前(2000年?)に、さる出版社の編集者を介して、東京の神田でお会いしたことがある。
私、副島隆彦が太田龍氏に対して、強い関心を抱いたのは、日本を代表する「ユダヤ陰謀論の唱道者」としての太田氏ではない。
1988年ごろに、ニューヨークタイムズ紙などのアメリカの大新聞などの主要紙が、「日本ではユダヤ陰謀論と反ユダヤ主義(アンチ・セミティズムanti-Semitism
、=セム語族系への人種差別言論)が蔓延している。これを放置してはならない」という論調の記事を書いた。その時、日本では、宇野正美(うのまさみ)氏と、太田龍氏が、言論弾圧にあって、このお二人の本は、実質的に、新聞宣伝できなくなった。イスラエル大使館広報部が、直接、日本の大手の新聞社各社に圧力をかけて、この二人の本は広告を出せなくなったので、従って、出版社各社の「自主規制」で、いくつかの出版社からは、本が出せなくなった、と私は聞いた。
おそらく、このことは事実だろう。いかなる事態であろうと、たとえ名誉毀損の訴えで、出版の指し止め判決が出ようと(つまり、被告である著者と出版社の敗訴)、私は、一切の言論は自由でなければならないと、考える、この場面では原理主義の人間であるので、宇野正美氏と、太田龍氏への言論弾圧に反対する。
私は、太田龍氏の本を、1990年代に、書店で時々見かけた。パラパラとめくった程度であって、失礼ながら、これまで一冊も買ったことが無いので、しっかりと読んだことはない。私の家の本棚に一冊も無い。太田氏には申し訳が無いが、私は、彼の本をまともに読んだことがない。
従って、以下の、まず、太田龍氏の文章の中の、(7)の 私、副島隆彦への非難は許容しない。
(転載貼り付け始め)
(7) そして、いかにして自分は、安全地帯に居て、筆者(太田)の著述の中の自分に都合のよい部分を、こっそりと剽窃できないものか、と。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。ここの「自分は、安全地帯に居て」 の、「自分」というのは、副島隆彦のことだが、私、副島隆彦は、これまで、言論戦と思想運動において、安全地帯にいたことは一度もない。いつも弾の当たりそうなところで生きてきた。だから、以上の、太田龍氏の書き方は、妥当ではない。 そのあとの、「筆者(太田)の著述の中の自分に都合のよい部分を、こっそりと剽窃できないものか、と。」
の「こっそりと剽窃」 したのではないか、と太田龍氏は、私、副島隆彦に対して、書いている。
私は、人(ほかの言論人、学者、知識人)の文章を、「こっそりと剽窃(ひょうせつ)」するような人間ではない。私は、自分が、勉強になった、と思い、すばらしい内容だと思う文章は、著者、出典明示で、いつもかならず、引用文にする。それは、著作権法(これは、国際条約を日本国内でも批准=ひじゅん=して出来た法律)にある、ウライト・オブ・クオート(批評のための原著作から引用をする権利)として定められている。 私は、人の創見(そうけん、アイデア)と、文章 を盗用、盗文する人間ではない。
ところが、上記の太田氏の文は、「(副島隆彦は) 筆者(太田)の著述の中の自分に都合のよい部分を、こっそりと剽窃できないものか、と。」 と、「ものか、と」と書いているので、「剽窃した」とははっきり書いていないので、私は、太田氏を、名誉毀損で訴えることが出来ない。 なかなか、狡猾(こうかつ)な爺(じい)さんである。
太田龍氏は、私、副島隆彦が、ご自分の著作の中から、剽窃、盗用した、と明らかに考えられる箇所があったら、その部分を、明示して、私が盗用した、とお思いになる部分の私の文章も明示していただきたい。 それは、上記の(7) を書いた人間の責任として、どうしてもやらなければ済まないはずである。 あるいは、アイデア盗用でもいい。私、副島隆彦が、太田龍の思想や、分析や、情報の公公開から、影響を受けたと思われる、箇所があれば、その部分を明示してください。 それができないと、上記の (7)の文は、名誉毀損ということになります。 太田龍氏を支持する者たちであってもいいので、この仕事をやってください。こういうことは、徹底的になされなければならない。
2. 次に、私が、太田龍氏、お会いしたかったのは、日本における、ユダヤ陰謀論の草分けとして、評判の良い本の著者として、ではなくて、日本の新左翼(しんさよく、ニュー・レフト)運動の創成期(1956年ごろから)の重要な自分としてである。
戦前、戦後の日本の左翼 (=社会主義者たち。 日本共産党が、カトリックの総本山のヴァチカンのように、強大で神聖であり、戦前も戦後も、日本の理想主義の知識人層のほとんど90%以上が、日本共産党の権威に服していた。の理科系の大学教授たちであってもそうだった。 当時の日本共産党は知の権威であった。それに対して、日本社会党は、日本国の国民民衆、労働組合員たちにとてのソフトで温和な指導者たちであった) の中から、生まれた、1956、7年の 「ハンガリー動乱」を契機にした、反ソビエトの民衆暴動、民衆蜂起、であった東欧各国の、モスクワ・クレムリン独裁体制(=ソビエト帝国)への反抗、抵抗があった。それの日本への波及と余波(アフターマス)としての、新左翼(ニューレフト)運動の創成期(=日本トロツキスト同盟)の主要な活動家像のひとりが、太田龍氏である。
このことは、ここの「今日のぼやき」の2年ぐらい前の文章に、「太田龍論」として、もっぱら、この日本新左翼運動の創業期のひとりとしての、太田龍氏を、書いている。私が、そのなかで、一番書きたかったのは、「やがて、革マル派、中核派、第四インターナショナル派、として分裂してゆき、凄惨(せいさん)な、殺し合いに入っていった、日本の過激派運動の、創業期の一人として、可哀想に、死んでいった若者たちに対して責任を感じないのか」という一点であった。そのうち、私のこの「太田龍論」を、再度、続編も書いて、今日のぼやきに、載せようと思う。
東京の飯田橋から日大の方に降りて行ったところの、ウニタ書店という、共産党の権威に逆らって、はやい時期から、新左翼運動を応援した経営者がいて、そこに集まった、きわめて敏感な感受性をした、若者たちがいて、彼らが、「君、この本知っている?」「ポーランドやハンガリーで今、起きていることを知ってる?」と、語りあった者たちの中から、のちの新左翼党派の指導者たちが、余れたのだ。革マル派(革共同、かくきょうどう)の創業者の黒田寛一(くろだかんいち)や、そこから分裂した、中核派の最高幹部で後に、マサカリで革マル派に殺された本多延ヨシ(ほんだのぶよし)や、第四インター(=ヨントロと呼ばれた)の西キョウジュたちであり、そして、太田龍氏も、そこにいたのだ。
私、副島隆彦が知りたくて本人に確認したかったのは、その一点だ。ユダヤ陰謀論のような与太話(よたばなし)など、どうでもいい。
多くの日本の若者たちが、1960年代末から70年の前半までに、「内ゲバ」と称された惨忍な殺し合いで、どれだけの多くの人間が、死に、そして身体障害者になっていったことか。私は、あの時代の少年兵であり、目撃者であるから、すべてのことを書き残してゆく。それが、自分の同時代人への務めだ。 太田龍は、その創業期からの、歪(ゆが)んだ精神をした人間のひとりである。すべてを切開(せっかい)しなければならない。 1980年代から、自分だけ勝手に、ユダヤ陰謀論の、世界的な風潮を、目ざとく手に入れて、いち早く、日本でのユダヤ陰謀論の主導者となって転身した、その変わり身の良さには、ひとりの日本知識人としての、連続性の表明が無い。自分の思想転向経緯の説明が無い。
レオン・トロウツキーでさえが、ヤコブ・シフとマックス・ウオーバーグ(アメリカ英語読み。スイス・ドイツ語読みなら、マックス・ワールブルグ、大きくは、ロックフェラー家の大番頭たち) に巨額の資金をもらって、亡命先のニューヨークで豪遊していた、という事実を、アメリカの真実言論派(しんじつげんろんは、truth
activists トゥルース・アクティヴィスト
私、副島隆彦はここに入る) が、1980年代から、どんどん暴き立てるようになった。 そうすると、「日本トロツキスト同盟」(これが、日本の新左翼運動の最初の団体)に集まった人たちは、みんな、大きくは世界政治の謀略に操(あやつ)られた愚か者たち、ということになる。事実、そういうことだろう。私、副島隆彦は、「(大きな枠組みの中の)事実しか信じない」と決めいている。いい加減で、あやふやな妄想(もうそう)の類には騙(だま)されない。
私、副島隆彦は、太田龍氏のこの経歴に対して、敬意を表していたので、一度、お会いしたかった。痩(や)せた小柄な、謹厳実直の人物であった。その時、私は、「ああ。この人は、本当は立派な学者さんになって、すぐれた学問研究をなさるべき人だったろうに」と強く思った。太田氏は、柔和で温厚な人であり、あのような「ユダヤが世界を支配する」というような書名の本の書き手だとは、普通の人なら思わないだろう。 私、副島隆彦も「会ってみたら、穏やかな人だったので、拍子抜けした」と、書いてくださる人が多い。
ただし、太田龍氏や、私のような、もの書き、言論人は、いわゆる癇癪(かんしゃく)持ちなので、共通して、激発性の性格をしている。この点は、物書き・言論人を目指さない人は、ご注意ください。「私たち言論人という人種」は、時々、勝手に爆発して、(周囲の、常識的な基準からすれば、)異様な言動をしますから、あまり近寄らない方がいいです。この私の洞察は、はおそらく真実でしょう。出版社の編集者たちは、おそらく、ほとんどが、私のこの意見に泣いて賛成してくれるでしょう。「著者というのは、ほとんどが変人だ。取り扱い注意」だと、彼らは言います。
3.太田龍氏は、お会いして話している中で、私、副島隆彦に対して、「副島さん。いっしょに本を出しましょうよ」と言ってくださった。
彼は、私のアメリカ研究の本のことを知っておられた。おそらく、ある程度は、パラパラとめくって、読んでくださっていたのだろう。あるいは、編集者から、あれこれ聞いてたのだろう。私の主著である、『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』抜きで、日本のアメリカ政治思想研究が成り立つとは、私は、今でも思っていない。私よりも年配の人間たちであっても、私の、この主著に対する敬意だけはあるだろう。私のこの本抜きで、日本の政治知識人業界が成り立つとは、私は思わない。そのように、私はずっと豪語してきた。今もこの考えは変わらない。
私の、この『覇権アメ』を、その内容と質の点で、追い抜くような本が出てくるまでは、私は、自分が、日本国の政治思想研究では、第一人者であると、密かに(でもないか)思っている。 私のこの書き方に対して、反感を覚えるものがいたら、反論せよ。私のこの主著を材料、土台にして、どのようにでも叩(たた)いてみて欲しい。私がここまで言うのだから、誰でもいいから、是非、試みてください。 ですから、太田龍氏の以下の文の、
( 転載貼り付け始め)
(1)このひとはかつて、アメリカのことは何でも知っている。アメリカについての知識はオレサマが日本一、と言った風に自己宣伝していたことがある。
(転載貼り付け終わり)
の箇所は、全体観察としては正確であって、私は納得する。 ただし、「アメリカのことは何でも知っている。オレサマが日本一」と書いたこととはない。「現在のアメリカ政治思想の、各流派、とその思想の原理の研究では、私が一番知っている」と書いてきた。太田龍氏が、私のアメリカ研究のことを、上記のように見ていることが分かった。私のこの本を、細かく検討して、私の主張の間違いとか、欠点とかを、指摘してみてください。私が、自分の書いたことの間違いや、思想の流派の理解で、大きな思い違いを指摘してくれて、私が、それに納得したら、その時は、その人は、私の先生です。 私は、より優れた思想理解と、より優れた頭脳にしか、敬意を表さない。
たかが、おどろおどろしい、ユダヤ陰謀論ごときに、何の敬意を持てると言うのか。私、副島隆彦がやっているのは、「アメリカで、1960年代に生まれた(JFFKが暗殺されたあとから)、ユダヤ陰謀論という、思想流派の中から、真実の部分を、丁寧に拾い集めて、日本人に理解できる範囲で、再構成しなおしたい」ということだ。だから、私は、おかしな、宇宙人とか、爬虫類(レプタリアン)人間が、地球人類を支配している、という、妄想を少しでも共有している、私が、「極北(きょくほく)の人たち」と呼ぶ人たちに対しては、一切の、敬意を持たない。馬鹿だと思っている。 勝手にやって、自滅してゆけばいいと、思っている。軽度の精神障害者か、相当に性格の偏向した人間たちの世界だと思っている。
だから、そのあとの太田龍の、
(転載貼り付け始め)
(2)しかし、それは違う。このひとのアメリカ観、とくにアメリカの政治についての知識と認識は、アメリカを占領支配して居る、ユダヤ
イルミナティ フリーメーソン 三百人委員会の檻の中のゴミ情報に過ぎなかった。
(転載貼り付け終わり)
の中の、「三百人委員会」という考えを、私は、採用しない。支持しない。ジョン・コールマンというイギリス情報部員だった (と自称している人。M I 6=エム・アイ・シックス=が、こんな人物を採用しただろうか。 イアン・フレミング著の「OO7」の真のモデルは、ヴィクター・ロスチャイルド卿であって、彼は、イギリス・ロスチャイルド家の当時の総帥であり、ジェイコブ・ロスチャイルド卿の父である) で、アメリカにわたって、それで、よくもああやって生きておれるものだ。きっと、コールマンは、ロックフェラー家が、ロスチャイルドを攻撃するための人材として育てられた、特殊な人間なのだろう、としか、私、副島隆彦は思わない。 ジョン・コールマンの本の、「三百人委員会」という本は、出版社から送られてきたものが、私の書架にはいっている。 バルフォア宣言のあたりは、勉強になった、という記憶がある。
私、副島隆彦は、同様に、「レプタリアン(爬虫類人間、宇宙生物?)が、地球を支配している」という、荒唐無稽なことを書いている、これもイギリス人なのに、「イギリス女王が諸悪の根源だ」と、書いている、デイヴィッド・アイク という人物も支持しない。 こういう人々にはきっと裏の隠された事情があるだろう。
イルミナティ=フリーメイソンリー(マズォニック)についてjは、『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた』を訳しながら、私は、大変、重要なことに気づいて、学習したので、それを日本国内に客観的な事実として伝えよう努力している。このことは、思想・学問研究上も重要だと考えて、いまも、「ラチオ ratio=合理」 と、「リーズン reason
=理性」という強欲と拝金の思想に、ユダヤ思想の根本があるのだ、という大きな理解からの解明作業を今もやっている。
私は、だから、サタニズム(悪魔サタン主義?)などどいう、訳の分からない言葉(フランスで19世紀に使われた言葉。敗戦後の紙芝居(かみしばい)の中のロンブローゾのような妖怪が、地球人類を支配しているなどという荒唐無稽(こうとうむけい)で、単純な考えに全く同調しない。
たしか、アルバート・パイク(南北戦争の時の南軍の将軍の一人で、KKK運動の創始者で、イルミナティの 第4代?の世界中のグランド・マスター)が、たしか、「自分たちの神を、サタンにするか、ルシファー(宵の明星、よいのみょうじょう)にするか」で迷ったそうだ。それで、A.パイクが、サタン( 堕天使の悪魔で、devil
デビル の中のひとりの固有名詞、サタンさん)を捨てて、ルシファーに決めたという。秘密結社のそういう創業者たちの世界だ。
私、副島隆彦は、秘密結社の秘密とかも、すべて公然と、暴き立てたい、と考えている。一切の、妄想や幻想のはいる余地を残さない。
この地上に、陰謀(コンスピラシー)はあるし、恐ろしい秘密結社は、たくさんあるだろう。それらの秘密を、知りうる限りの知識を情報を欧米社会から流れてくるものを、丁寧に、集めて、真実だと思われるものを、慎重に吟味(ぎんみ)して、そして公然と書いて、日本国民に知らせなければならない。その際に、自分自身が、「ミイラ取りがミイラ
mummyになる」ような、愚かなことになってはならない。
すべてを、明確して、明瞭にして、公然と提起して、「闇に隠れているもの」のすべてを、近代学問(サイエンス)の手法で、表に出すべきだ。 悪魔主義( diaborism
ダイアボリズムと総称する。サタニズム ではない ) の一語で、何かが解明されたといことはない。そんな、おどろおどろしいものなど、存在しない。存在するのは、秘密結社の中の、犯罪を共同するための、犯罪行為の秘密の儀式だ。それに参加した者たちは、もう逃げられなくなる。その代わり、組織に忠実であれば、大企業の副社長とか、属国である日本の大臣とかには、してもらえるだろう。彼らは、「けものみち」(松本清張の小説の名)の世界に入り込んだ者たちが。もう引き返せないところに行った人たちだ。裏切れば、きっと、殺されるのだろう。
しかし、それを指して、サタニズムなどと言えば済むのではない。これらの問題は、ヨーロッパ近代学問(サイエンス)の方法学(メソドロジー)に乗っ取って、その論理(ロジック)の使い方と理解のし方の枠に従って、出来る限り、厳格・厳密に、「事実の集合」として、細かく解明されなければならない。
私たち、善良なる人間たちは、そういう恐ろしい権力人間たちの世界を知らないで、貧乏しながらも、平和に生きてゆけるのだから、幸せだ。
4.太田龍氏は、次にこのように書いている。
(転載張り付け始め)
(3)更にこのひとは、「小室直樹」と言う学者を、日本最高の学者、と持ち上げ、その小室氏の一番弟子を以て自任
していた。
(4)しかし、小室直樹は、きはめて平凡な米国イルミナティ学界の系列下の売国奴ボンクラ学者の一人であるに過ぎ
ない。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 私は、、「小室直樹と言う学者を、日本最高の学者、と持ち上げ」ている。今でもそうだ。小室直樹だけは、日本のソシアル・サイエンス(人間社会を扱う近代学問)において、本当に天才だ思う。他にはいないようだ。 しかし、私、副島隆彦は、「その小室氏の一番弟子」ではなくて、一番弟子は、橋爪大三郎(はしずめだいざぶろう)東京工業大学教授であり、私は、「100番目ぐらい」の弟子だと思う。残りの弟子たちも筑波大学教授とかいるが、彼らは、そのように自己表明しない。小室直樹から習った、学んだ、と書くことに、差しさわりがあると考えているようだ。
小室直樹先生が、「米国イルミナティ学界の系列下の売国奴ボンクラ学者の一人」であるか否かは、私は知らない。その「米国イルミナティ学界」というのは、何ものなのか、太田龍氏自身も知らないだろうから、そういう無意味な言葉は、使わない方がいいと思う。無意味な言葉は、読んでいる方には分かるので、書き手の知能程度と学識の無さが、露出するので、注意深くなければならない。
私、副島隆彦の前述した、主著である『覇権アメ』に、現在のアメリカの超一流の政治学者たちの世界のことは、分かりやすく書いているので、太田先生も、再度、今度は、パラパラでなく、お読みになったらいい。 この本の間違いとか、欠点とかのご指摘があれば、それに対しては、私は、いつでも、誰からの批判でも、即座にお返事することに決めている。 それぐらい、私は自分の、フィールドワークである、アメリカ思想研究に、自分の領域だという自信をもっている。日本人で、アメリカ政治研究に関心がある人で、私に何か、言える者がいたら、表に出てくるがいい。いい加減なことを、書く(言う)と、鎧袖一触(がいしゅういっしょく)で、叩きのめすだろう。相手がどんな人間でも構わない。 小室直樹先生さえも、私は、このアメリカ研究によって、超えたと、自分では、自負しているのである。
それと、最近は、私は、中国の易姓革命(えきせいかくめい、湯武放伐、 とうぶほうばつ)論を肯定し、日本の愛国派として「日本国天皇は、無前提に、無条件に、日嗣(にっし、太陽の直接の子供)である」とする、天皇崇拝論を、小室先生が「天皇の原理」(文藝春秋社刊)で宣言している立場を批判している。 中華帝国(歴代中国王朝)の皇帝(こうてい)を名乗ったものたちは、簒奪者(さんだつしゃ、覇者、はしゃ)であるが、「自分に天命(天からの命令)が下ったので皇帝(天子、てんし)になったのだ」という、易姓革命説の方が、副島隆彦は、正直だと思う。ここでは、どうでもいいことだが。
太田龍氏には、「西郷隆盛礼賛論」のような本がある。本屋で見かけて、パラパラめくったことがある。あれは、私の書いた「属国・日本論」 のパラダイムの臭いがした。加地将一(かじしょういち)という、剽窃癖のある人物の「操(あやつ)られた龍馬」という本は、私の「属国・日本論」が無ければ、成立しない本だ。私は、こういう点も問いただしたい。
副島隆彦です。 ここで 筆を置いて中断します。 外出しなければいけない時刻になったので、ここまでしか書けない。残りの半分は、時間が出来たら、残りを書きます。 「隠密剣士」の、廊下ひばり君は、よろしく自分の生来の、その適性の仕事をやってください。
副島隆彦拝
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