◎ サー・ピーター・ヴィッカース・ホールの予言が的中した「脱工業社会」
300人委員会は、その数多くの提携組織を通じて、レーガンの大統領としての職責を無に帰する事が出来た。ヘリテージ財団のスチュアート・バトラーは、此の件に関して「右翼は80年に勝利したと考えたが、事実は敗北したのだ」と語った。バトラーはここで、右翼が勝利したと考えたとき、レーガン政権の要職がヘリテージ財団が任命したフェビアン主義者に占拠されてしまった事に気付いたと云う事を言っている。
バトラーは、合衆国の右翼思想の中に、合衆国のフェビアン主義者の頭でありヘリテージ財団の第1人者のサー・ピーター・ヴィッカース・ホールが公然と選挙戦中にその意見を述べていた左翼急進主義の原理を注入したと説き続けているのだ。サー・ピーター・ヴィッカース・ホールは保守系の「頭脳集団」を切り回している間ですら、フェビアン主義者のままでいた。英国の寡頭軍事産業一族ヴィッカースの一員として、彼は強固な地位と絶大な力を持っていた。ヴィッカース一族は第1次世界大戦時に対立する両陣営に武器を供給し、ヒットラーの興隆時にも再び武器を供給した。
ヴィッカースは表向きカルフォルニア大学の都市・地域開発協会に属していたが、英国労働党の頭で300人委員会の会員であるアンソニー・ウェッジウッド・ベンの長年に渡る腹心の友であった。ヴィッカースもベンも共に、世界最初の洗脳団体であるタヴィストック研究所の構成員と同じ扱いを受けている。ヴィッカースはタヴィストック研究所の訓練を受けた非常に効果的な演説をする。次はその一例である。
「二つのアメリカがある。一つは19世紀の重工業を基礎にした社会である。もう一つは古 いアメリカの破片の上に建てられた成長する雑工業化社会である。来るべき数十年の内に起 こる経済的・社会的破局は、これら二つの社会の間に起こる危機である。この二つの社会は 根本的に相容れぬものであり、共存する事が出来ない。雑工業化社会の末期には重工業社会 を粉砕し消滅させるに違いない(これは、産業の基盤を破壊する演説である!忍)」
この演説は81年に行われた事を想起して頂きたい。合衆国(自由主義国)の経済と産業が如何にサー・ピーターが予告したとおりに正確に進行したかが分かるはずである。関係者から91年の景気後退はいつまで続くのかと聞かれた時に、私はこのサー・ピーターの演説を引用し、95?96年には終わらないだろう、事態は我々知っている60?70年代とは違うからだと説明しておいた。
演説が行われて間もなく、私は自分のニュースレターでもそれを紹介したが、如何にそれは予言的であったことか。だが、この事は、300人委員会とその執行機関であるローマクラブが既にアメリカについて述べていた事に照らし合わせれば予測は可能であった。
サー・ピーターが遠回しに言った事は何だったのか?普通の日常用語に直せば、彼は、古いアメリカ人の生活様式と憲法に基づいた真実かつ信頼出来る連邦政府は、新世界秩序によって破壊されつつあると云う事であり、我々が知っているアメリカを其の様に進める、さもなければ粉々にしてしまうと言っているのである。
◎ 心霊術師か、魔法使いか、それともイカサマ占い師か?
先に述べたように、300人委員会はしばしばはっきりと見える存在でもある。サー・ピーターは例外ではなかった。サー・ピーターが次の様に演説を結んでいるのを見れば、彼が何処から来たかが明らかになるだろう。
「私はヘリテージ財団や類似の団体と働けて大変幸福である。真のフェビアン主義者は更 に急進的な思想を新右翼に期待する(この新右翼の代表が、国内の改革路線の人達である !忍)。この10年以上、英国国民は絶えず、如何に産業が落ち目になっているかという 宣伝の集中砲火を浴びている。この事は全て事実であるが、宣伝の真の効果は国民の士気 阻喪にある(正確にはタヴィストックの新科学(ニューサイエンス関係の科学者達が仕掛 けた)」
「経済の更なる悪化は米国(自由主義国!忍)においても同様であろう。人間に困難な選 択を迫るには、これ(混乱、士気阻喪)が必要である。将来に対して何らの計画もなく、 あるいは、有権者が前進を阻むならば、想像も出来ないほどの大規模な社会的混乱が起こ るであろう。アメリカ(自由主義国!忍)の都市の外観は荒涼としたものになろう。都市 の中心部ではまだ何か出来ようが、それとても基本的には都市は縮み上がり、工業の基礎 は滅亡に瀕する。こうして社会痙攣が生じるのである」
サー・ピーターは心霊術師か、大評判の魔法使いか、それともイカサマ占い師か?
その答えは「全て否」である。サー・ピーターは、かっては産業の巨人であったアメリカ合衆国の静かな死を宣告する300人委員会=ローマクラブの下書き原稿をすらすらと読み上げる朗読者に過ぎない。ここ10年間のサー・ピーターの予言を振り返るならば、彼こそが300人委員会の計画に従って産業国アメリカを事実上潰滅させ、終焉に導いたと云う事を、誰が疑えようか?彼の予言は、驚くほど正確であると証明されてこなかっただろうか?実に殆ど一言一句あますところなく正確に、予言は実現されてきたのである。
サー・ピーター・ヴィッカース(サー・ピーター・ヴィッカース・ホールの義父)はスタンフォード研究所が出版した『人間イメージの変革』と題する報告書の作製に協力した。この報告書をもとに、レーガン政権に対して3000ページもの重大勧告が送られたのである。その上、英国MI6上級情報将校としてサー・ピーター・ヴィッカースはヘリテージ財団に多大な事前情報を提供出来る地位にある。
300人委員会とNATOの会員としてサー・ピーター・ヴィッカースは、NATOがローマクラブを指導して、アメリカが進もうとしている方向を全く変えさせる社会プログラムを開発させた。ローマクラブは、タヴィストック研究所の指導のもとに、スタンフォード研究所(SRI)に対して、アメリカだけでなく大西洋同盟とOECD加盟のどの国にも適用出来るようなプログラムを開発する事を要請したのである。
レーガン大統領に3000頁に及ぶ「勧告書」を送ったのは、さーー・ピーターの子分格であるスチュワート・バトラーであった。この勧告書には疑いもなく、国会議員で300人委員会の上級会員であるアンソニー・ウェッジウッド・ベンが表明した見解のいくつかが含まれていた。ベンは80年12月8日にワシントンで会った社会主義インターナショナルの会員に、「もし諸君がレーガンの信用失墜を促すような人物情査をするなら、即ちボルカーを信用失墜させることになり、我々はその下で繁栄出来る」と語っている。レーガン政権に採用されて適用されたパトラーの勧告は、レーガン政権下に進められた貯蓄貸付制度と銀行業界を崩壊に導く結果となった。ベンが「人物情査」すると言ったのは、実はレーガンが洗脳されるべきだという意味だったのである。
◎ 鉄鉱業を解体させたフリードマンと黒い貴族ダヴィニョン
フォン・ハイエクーーヘリテージ財団の創立者であるーーが弟子のミルトン・フリードマンに、一例として、レーガン政権の下でまず最初に鉄鋼産業、次いで自動車産業と住宅産業の崩壊を促進させ、アメリカを非産業化させるローマクラブの計画を統轄させた事に留意する価値がある事を忘れてはならない。
フランスでは、黒い貴族の一人であるエディエンヌ・ダヴィニョンが、300人委員会の一員として同国の鉄鋼産業を解体させる任務を割り当てられた。仕事を失っている何十万という鉄鋼と造船所の労働者の内、誰がダヴィニョンの名を耳にしたことがあるだろうか。コールマン博士が『世界経済評論』誌の81年4月号でダヴィニョン計画を公表した。
運命の12月、ワシントンDCで開かれた第10回ローマクラブ総会には、イランから来た見知らぬ人物が参加したが、アヤトラ・ホメイニの特使であるバニサドルであることが分かった。とりわけ80年12月の非公開会議で行われたある演説が私の注意をひいた。それは主にフランソワ・ミッテランの演説だったからだが、この人物はフランスの政権から放逐され、ダメになったと考えられていた男だった。だが、コールマン博士は自分の情報源から、あらかじめミッテランが埃を払って引っ張り出され、政界に復帰しつつあると聞いていた。それだけに彼が何を語るか、コールマン博士にとっては非常に関心の的になっていたのである。
「産業資本家の発展は、自由とは全く相容れない。我々は彼らに終止符を打たねば ならない。20世紀と21世紀の経済システムは、既に恐るべき結果をもたらして いる核エネルギーの領域をはじめ人間を粉砕する道具を用いることだろう。」
ミッテランがエリゼ宮に帰還したことは、社会主義の勝利であった。それは300人委員会が何事かを予告すれば、ミッテランの場合に見られたように、彼が何日か前にパリの政治グループに明らかに完全に拒否されたとしても、力ずくで、あるいはどういう手段を用いても、自らの予告を実現する力があることを証明している。
◎ 狡猾な左翼ウォルター・リップマンの指導を受けたADLグラハムの凄腕謀略
もう一つ、80年12月のワシントン会議には、別のグループの代表が「オブザーバーの資格で」参加した。それは「アーウィン・スアル」という名でも知られるADL(ユダヤ名誉毀損防止連盟)の事務調査局の長、ジョン・グラハムであった。
ADLは英国情報機関の三つの分局、即ちMI6や国防情報局などの英国情報機関によって完全に操作されている。スアルの膨大な汚れたトリックは、ロンドンのイーストエンド地区の下水道からかき集めたものだ。スアルはジェイムズ・ボンドばりの手を使う超極秘機関SIS[秘密情報局=MI6の公式名称]の現役である。何人にもADLの力と勢力範囲を過小評価させてはならない。スアルは、ホールその他のフェビアン主義者達と密接に連繁して活動する。彼はミルナー卿、ローズ、バージェス、マックリーン、キム・フィルビーを生んだ共産主義教育センターそのものである英国のオックスフォードとケンブリッジの両大学は長い間エリートの息子や娘だけが入れる所で、親たちは英国上流階級の中でも「貴族階級」だった(東京大学の共産主義者が増えたのは、英国の大学の影響かな?忍)。スアルはオックスフォードでは青年社会主義連盟に加わり、そののちほどなく英国情報機関の補充要員に選ばれた。その後、スアルはアメリカ合衆国に配属され、同国左翼の中で最も狡猾なウォルター・リップマンの保護と援助を受けた。
リップマンは、急進派をスポイルする作戦として産業民主連盟と民主学生協会を設立運営した。リップマンの二つのプロジェクトは、彼が重要な会員であり、アメリカに触手をのばす300人委員会の「党機構」に不可欠の部分であった。スアルは米国の司法省と強いコネがあり、彼が狙ったどんな人間の情報ファイルでもFBIから入手する事が出来る。司法省は彼が欲しいときにはどんな物でも与える命令を出している。
スアルの活動の中心は、「右翼グループと個人を監視する」事である。ADLは国務省から便宜を与えられ、同省の情報員を巧みに使っている。国務省には「恐れを知らぬ反ユダヤ活動家」を装う右翼情報員の産卵場がある。情報収集グループには4人の頭がいる。このスパイ・グループは過去20年に渡って活動を続けている。彼らは、毒々しい反ユダヤ新聞を発行し、広い範囲に及ぶ反ユダヤの本を売る。その中心的な分子はルイジアナで活動している。このグループの会員はキリスト教の右翼サークルで人気を集めている作家である。スアルはアブスキャム事件[FBI捜査官がアラブ実業家を装って上下両院議員をおとり捜査で摘発した事件]に深く関わっていて、しばしば警察等の法執行機関から内偵やおとり捜査で警察官を援助するよう要請されている。
スアルには、ヘリテージ財団が新しく大統領を選ぶまで「レーガンを尾行」し、もしレーガンが財団の望む路線から逸脱したり、ちょっとでも目隠しを外そうとしようものなら2、3発威嚇射撃のようなものを加える役目を与えらた。スアルはヘリテージ財団を快く思わない面倒な右翼顧問を、男でも女でもレーガン政権から遠ざける援助を行った。そのような人物の一人に、レーガンの労働長官レイ・ドノヴァンがいた。彼はADLの政治謀略部のおかげで席を移されたのであった。
ヘリテージ財団が提出した三千人の推奨リストに上がっている人物の一人、ジェイムズ・ベイカー三世は、大統領に送ったスアルのドノヴァン憎悪の書簡を選んだ仲介者であった。
◎ メキシコ学生反乱を画策したCIA「離脱者」フィリップ・エイジー
もう一人の重要な謀略者は、CIA「離脱者」フィリップ・エイジーであった。300人委員会の会員でないにも関わらず、彼はメキシコ問題担当官となり、王立国際問題研究所(RIIA)と外交問題評議会(CFR)に随って行動した。
記録によれば、合衆国で起こった事は何一つとして、RIIAの承認なしに行われたものはない。それは、最初は、チャーチルとルーズベルトとの「公然」たる同意(それ以前には秘密の合意があったが)に始まり、合衆国の情報機関が英国の情報機関と機密情報を共有せざるを得ないような事態が継続して進行しているのである。これがチャーチルとハリファックス卿がうそぶく両国間のいわゆる「特別な関係」であり、この「特別な関係」は、英国の利益とりわけ300人委員会の最も重要な会員の一人、エリザベス女王一族が大きく関与しているブリティッシュ・ペトロリアム[ヨーロッパの三大石油会社の一つ]の利益を代行して合衆国がイラクに仕掛けた湾岸戦争に至るまで継続している。
1938年以来、いかなる情報活動もこの特別な共同命令構造を通じて行われなかったものはなかった。フィリップ・エイジーはイエズス会・フリーメーソンの環に組み込まれたノートルダム大学を卒業後CIAに加わった。エイジーは最初、68年のメキシコ大学の反乱の背後にある情報職員として私の関心を引いた。
メキシコ学生反乱の最も重要な問題点の一つは、ニューヨーク、ボン、プラハ、西ベルリンでの学生反乱と全く同じ時期に起こされた事であった。専門的な総合判断とこのような作戦に不可欠である国際刑事警察機構(インターポール)の特別な情報ネットワークを考慮すれば、学生の反乱であろうと、一般には一国の指導者の解任であろうと、時を同じくして地球規模の活動を慎重に起こす事が出来るのは、300人委員会であると考える事はさして困難ではない。「オリンピアンズ」なら全て1日の内に成し遂げられる仕事である。
エイジーはメキシコとプエルトリコのテロリスト・グループに直結していた。そして、この間に彼はキューバの専制者フィデル・カストロの腹心の友となった。
これらの作戦を展開したエイジーは、「はぐれ」情報員として行動したと考えてはならない。反対に彼はこれら全ての任務遂行中、CIAの為に働いていたのである。が、カストロのDGI(キューバの情報機関)が彼を「暴露」した時、問題が起きた。彼は二重の役割が明るみに出されるまでCIAの一員として任務を遂行していたのである。これにはキューバのルールドに設置された西欧でも最大のソ連の盗聴施設がからんでいた。同施設は各種信号と暗号解読の3千人のソ連専門家を抱え、同時に数千種の電気信号を傍受出来る性能があった。議会の議員や愛人との私的会話に至るまで、ルールドではエイジーの電話が数多く傍受され、強力な証拠となったのである。
今日、我々(自由主義国)は「共産主義は死んだ」と聞かされている。だが合衆国は、一戸一戸の家の敷居に至るまで繰り広げられている広範なスパイ作戦を一向に解消しようとしない。
ルールドにはファックスや電動タイプライターが放つ最も弱い「嵐」の信号でさえも補足する性能がある。即ち、どんなファックス送受信やタイピングでもその内容が分かりさえすれば、暗号が解読出来るのだ。ルールドは未だに合衆国の心臓に突きつけられた匕首のまま残っているのである。こんな場所が今も尚、存在している理由は全く無い。もし合衆国とロシアが真にお互いに平和を保とうとするなら、なぜこのような大規模なスパイ作戦を行う必要があるのか?この奇妙なことを裏書きする単純明白な事実がある。KGBは職員を削除しようとせず、むしろ90年から91年にかけて要員を補充増加しているのである。
◎ イラン国王を失墜させたバーナード・レヴィン=ローマクラブ計画
バーナード・レヴィンと言っても、おそらく合衆国ではあまり知られていないだろう。頽廃的な「ポップ・スター」やハリウッドの最新の惨めな「暴露」とは異なって、もし目に触れるとしても、学界の人間でも稀にしか聞かない名前である。が、ローマクラブの支配下にあるアメリカの学界の何百という学者の中で、レヴィンが特に注目すべき点がないとしても、イラン、フィリピン、南アフリカ、ニカラグア、韓国の破壊という役割を担っているという点では、大いに注目する必要がある。
イランの国王の失墜は、バーナード・レヴィンとリチャード・フォークが仕組み、ロバート・アンダーソンのアスペン研究所の指揮による計画によって実行されたものである。『時代展望とモラル』という題名の、いかにして各国政府と指導者の士気を挫くかを述べたローマクラブの出版物の執筆者がレヴィンである。ここに同書の抜粋を掲げる。
「恐怖戦術を通して士気を挫く主要な技術の一つは、正確には次の方法である。 狙いをつけた人物が、自分は何処にいるのか、何を期待していいのかがはっきり分からな い状態にさせる。加えて、相反する情報を与えながら、懲罰と報償の間を彷徨させて再計画があるのかどうかを知ろうとする事を止める。このような情況にさらされると、目標を 抱き、危険を冒して目標に到達する意志のある人間でも、何をなすべきかと、心が激しい 葛藤に巻き込まれ、行動が麻痺するのである」
ローマクラブの青写真は個人に対してのみならず国家に対して、特に各国の指導者に対しても適用される。我々合衆国の人間は「ここはアメリカだ。そんなことは、ここでは起こらない」と言う。
しかし私は、ここアメリカでそういう事が「起こっている」のだという事を、そしておそらく他の国々ではもっと頻繁に起こっているのだと云う事を、証明してみせよう。レヴィン=ローマクラブ計画は、最終的には、我々が何事であれ全て我々の為になる様に計画されていると思い込ませる所まで士気阻喪する様に仕組まれている。我々は、羊のようにローマクラブの命令に従う事になるであろう(それが、大量虐殺の始まりである)。
★完全に洗脳されたアメリカ
◎ 英国情報部によって仕込まれた人物、ホメイニとエリツィン
国が「救う」ように見える強力な指導者が突然表れたなら、極度に疑わしいと見なければならない。ホメイニはイランの救世主として突然表れる前に、特にパリに滞在中に英国情報部によって長年に渡って仕込まれた人物である事を想起されたい。ポリス・エリツィンも同じくMI6・SISに仕込まれた経歴がある。
ローマクラブは、300人委員会から与えられた合衆国を「軟化させる」権限を遂行していると固く信じている。合衆国の国民に仕掛けられた戦争が45年もたった今日、誰が此の戦争を遂行したか疑う事が出来ようか?よく見回して、如何に我々の士気が阻喪したかを見てみるがいい。麻薬、ポルノグラフィ、ロックンロール「音楽」、フリー・セックス、家族の崩壊、レズビアン、ホモセクシャル(男は、生体的に女が必要としている構造になっている。だからこそ、女は、家庭を守る努力をしないと社会は崩壊する。男を正しく導く仕事は、女性の仕事だから。男は性的本能を何かに変更して行動を取っている。しかし、善なる方向に変更すれば良いが、悪なる方向に変更する可能性が残っている。神の法は、自分の家族を愛する如く他を愛せよでその方向性を戒めている。だからこそ、正しい家族のあり方を真剣に考え守る仕事を女性に与えているのです。女性が自己見失うと国家は崩壊する。そしてこの神の法を壊す勢力は全て悪魔に魂を売った人間である。共産主義者は、将に人間の本能の部分を悪用しているのです。それによって、社会を混乱させようとしているのです。そういう人達に全て戦わなければならないのです。今、天上界は聖戦に入っているのです。その先頭指揮者が千乃先生です。ユダヤの神エホバを信じている人達全てこれら悪魔に魂を売った人達に戦いにせよ。はっきり言って、その企業は全て倒産しても良い。日本国家の復興が神の国造りになるのです!忍)。そして最終的には、母親による何百万という幼児の殺人。かって墜胎のようなおぞましい犯罪が行われた事があっただろうか?(此の問題は難しい。子供を育てるには、両親の強い責任がある。此の責任を果たすことが出来ない場合は、子供が大人になった時が一番惨めな生活をさせられるのです。子供が、「自分が、この世に生まれなければ良い」と考えて悪魔に魂を売って悪の方向に走るならば(結果的、裁判によって死刑を宣告するならば)、この子供の苦しみさせた両親の責任が重いのです。それならば、子供の意識がまだ育っていない3ヶ月の間に墜胎した方が子供にとっても幸せなのです。3ヶ月の間は人間としての意識がないのです。でも、出来るなら家族計画を立てて墜胎するより避妊をした方がまだ人間として正しい営みだと思います!忍)
精神的にも道徳的にも破滅した合衆国、3千万人の労働者から仕事を奪った合衆国の産業破壊、考えられるあらゆる犯罪の恐ろしさ汚水溜めろなった巨大都市、他国の3倍の犯罪発生率、400万人のホームレス、風土病と化した政府の腐敗ーーこれらを見れば、合衆国が新暗黒時代の統一世界政府の武力を待たずして既に内部から分裂させている。彼らはシオニスト国イスラエルの為に闘う根本主義、福音主義などの大群のカリスマを養成しつつある。
大量虐殺の湾岸戦争の期間に私は、なぜ「イラクに対するキリスト教徒の戦争」に反対出来るのか問う手紙の山を頂戴した。イラクに対する(300人委員会の)戦争をキリスト教根本主義者が支持するのは聖書的ではないと疑う事が、果たして出来ないであろうかーー結局は、銃撃が始まる前にビリー・グラハムがブッシュ大統領の為に祈らないであろうか?聖書は「戦争と、その噂」について語っていないであろうか?此の手紙の山は、タヴィストック研究所がいかに懸命に努力しているかを明瞭に示している。キリスト教徒根本主義者達は、計画通りにイスラエルを支持する途方もない勢力になるであろう。
悲しむべき事に、こうした「めでたい」人々は、自分達がローマクラブによって目に余るくらい悪用されて来たことを全く理解していない。彼らの意見と信仰が自分自身のものではなく、アメリカ全土に展開する300人委員会の何百という「頭脳集団(シンクタンク)」がでっち上げたものであることを全く理解していないのである。言葉を換えて言えば、合衆国の他の人々と同じく、キリスト教根本主義者達と福音主義者達は完全に洗脳されているのである。
◎臨終を迎えるアメリカ
我々国民(アメリカ国民)は、かって全世界の羨望の的であったあめりか合衆国とアメリカ人の生活様式の臨終を将に受け入れようとしているのだ。これは、たまたま我が国アメリカに降ってわいた、陳腐な「時代は変わる」症候群であると考えないで頂きたい。時代は何も変えない。「人間」が時代を変えるのである。
300人委員会とローマクラブをヨーロッパの団体と考えるのは誤りである。ローマクラブは合衆国においてその影響力を行使し、ワシントンDCに支部を置いている。クレイボーン・K・ペル上院議員はその頭であり、会員の一人はかって下院エネルギー政策を掌握し、何処から「環境保護論者」達の核エネルギー反対が出てくるかを見るのは、さして難しい事ではないのである。
ローマクラブ最大の成功物語は、21世紀に向かって合衆国が強力な産業国家になるのを阻止する為に、核エネルギーに関して議会をしばり続けている事だろう。静止沈船所、合衆国のあちこちに放置されたままになっている様々の熟練工達ーーこれらはローマクラブの反核政策の結果である。
これらが再整備される事は二度とないのではないだろうか。
他に、合衆国のローマクラブの会員には、議会調査局のウォルター・A・ハーン、古参の経済人アン・チーザムとダグラス・ロスの任務は、彼自身の言葉に寄れば「ローマクラブの視点を立法に捉え、豊饒という幻想を合衆国から放逐すること」であった。アン・チーザムは「未来の為に議会を清浄化する家」と呼ばれる組織の理事であった。彼女の任務は、占星術やニューエイジの[鬼面人を驚かすお化け]に感じやすい議員を拾い出す事であった。ある時期には、彼女の教室には百人を越える議員がひしめいた。毎日行われるアンの集会では、彼女の「オカルト洞察」に基づいて作られた様々の占星術的な「予見」が開陳された。議員の他に、この集会に参加した著名人には、マイケル・ウォルシュ、ソーントン・ブラッドショーーー300人委員会の主要な人物ーーと、オールステート保険会社副社長ディヴィッド・スターンライトがいる。
300人委員会の重要な会員には、NATOの会員を兼ねた者がいる。という事実を忘れてはならない。これらの会員はいくつかの事務所を持っている。NATO=ローマクラブの会員の中には、NATOの元米国大使だったハーランド・クリーヴィランド、アスペン研究所の理事ジョセフ・スレイター、元合衆国国家安全保障局の最高スタッフだったドナルド・レッシュ、またジョージ・マッギー、クレイボーン・K・ペルがいるが、以上はほんの一部に過ぎない。300人委員会は、大使や長官として、その手先を政府、議会、大統領の諮問委員会といった合衆国の筋肉や神経に植え込んだのである。
◎誰が大統領になろうと300人委員会の決定は守らねばならない
カルヴィン・クーリッジが大統領に立候補して以来、選挙で、誰がホワイトハウスに席を占めようとも、300人委員会が政府の枢要な地位に手先を送り込んで於けるようになっている。例えば、フランクリン・D・ルーズベルトの時代から、大統領選挙の立候補者達は選ばれ、誰云うともなしに、300人委員会の道具として振舞っている外交問題評議会(CFR)の「お気に入り」と呼ばれる様になっている。
とりわけ1980年の選挙では、政府高官のどの椅子にもCFRの会員が座っていた。その為に、謀略者達にとっては、誰が大統領選で勝利しようとも一向に構わなくなった。ヘリテージ財団やCFRのようなトロイの木馬によって、新政府の重要政策立案部門は全てCFRが指名した人物が椅子を占めた。それよりも以前、60年代には、NATO=ローマクラブのイエスマンが席を占め、300人委員会の執行機関であるローマクラブとCFRのお墨付きの重要政策を確実に実行していたのである。84年と88年の二つの選挙には、この長きに渡るパターンがそのまま踏襲された。
ジョージ・シュルツは、300人委員会が選んだ国務長官であった。シュルツは一環して、CFRを仕切る元締であるペクテル社の要職という立場を利用して、彼が所属するキッシンジャー・コネクションをうさんくさいと思っているかも知れない国々に接近させた。
カーター政権は、鍵になる地位に、陰謀の積極的加担者を送り込む事に拍車をかけた。カーターが大統領に当選する前に彼の選挙参謀であったハミルトン・ジョーダンは、もしサイラス・ヴァンスかブレジンスキーがカーター内閣に入る約束をしてくれたら、自分は、辞任しようと言った。彼らはそうした。が、ジョーダンは辞任しなかった。カーターが、ポール・ボルカーを選んだことは(事実、デイヴィッド・ロックフェラーがボルカーに約束を取り付けたと語った)、ローマクラブが敷いた路線によって合衆国経済が破綻するそもそもの始まりであった。
◎ゴールド・ダイヤモンドが目当ての南ア殺害戦争
英国植民地資本主義は、常に英国の寡頭支配者による封建的特権制度の頼みの綱であったし、今日も依然としてその事に変わりはない。
ボーア人[オランダ系白人]として知られるようになった南アフリカの貧しく教育のない牧歌的な人々は、1899年に血に汚れた英国貴族階級の手中に落ちたとき、ヴィクトリア女王によって容赦なく遂行された胸のむかつくほど残忍な戦争が、BEIC(英国東インド会社)の中国阿片貿易による「速成の財産」から富豪達の懐に流れ込んだ信じ難いほどの大金によって賄われたとは、夢にも思わなかったであろう。
300人委員会のセシル・ローズ、バーニー・バルナト、アルフレッド・バイアットという会員達が、戦争を煽動し誘導した。ローズはロスチャイルド家の主要代理人で、ロスチャイルドの銀行は阿片取引より流れ込む現金に浸ってゲップが出るほどであった。これらの強盗・泥棒・嘘つきどもーーローズ、バルナト、オッペンハオマー、ジョエル、バイアットーーが南アフリカのボーア人から生得の権利、即ち彼らの土地の下に横たわっていたゴールドとダイヤモンドを取り上げたのである。
南アフリカのボーア人は、彼らのゴールドとダイヤモンドの販売より得られた何十億に次ぐ何十億ものドルからビタ一文も受け取らなかった。
300人委員会はこの莫大な宝物を素早く全面的に掌握した。この支配は現在も会員の一人サー・ハリー・オッペンハイマーによって維持されている。平均的な南アフリカ人は金及びダイヤモンド産業から一人あたり年額100ドル受け取るだけで、毎年毎年流出する何十億ものドルは300人委員会の銀行家達の下へ行く。それはかって記された歴史年代記の中でも最も不潔で邪悪な、貪欲と窃盗の、そして民族殺害の物語の一つである。
英国国王は、どうやってこの巨額の分け前になるド肝を抜くような欺瞞をまんまとやりおおせる事が出来たのか。それほどの超人的な仕事には、謀略家どもの権力機構から伝えられる日々の命令を実行する献身的な代理人を随所に潜り込ませて、巧妙に組織化する事が必要である。
第1段階は新聞による宣伝活動で、ボーア人達が、未開の野蛮人達で、ほんのちょっぴり人間だが、ボーア共和国においてイギリス市民の投票権を拒否していると描いてみせた。次に、トランスヴァール共和国の指導者ポール・クルーガーに対して要求を突きつけた。勿論クルーガーはこれには応じない。その後、一連の事件を企ててボーア人達を挑発し仕返しさせようと謀ったが、それもうまくいかなかった。そこで悪名高いジェイムソン襲撃事件が起こる。この事件では、ジェイムソンなる人物が武装した数百人の一団を率いてトランスヴァールを攻撃した。その後直ちに戦争が起こった。ヴィクトリア女王はその時、かって世界に登場した中でも最大規模で最もよく装備の行き届いた軍隊の戦列をしいた。ヴィクトリア女王の考えでは、戦争は2週間で終わるはずだった。なぜなら、ボーア人は常備軍はなく、訓練済みの国民軍もなく、英国下層階級から引っ張ってきた彼女の40万の兵士達にかなうはずもなかったからだ。ボーア人達は百姓やその息子達で、其の数は8万を越えなかったーーその一部は14歳の若さだった。ルディヤード・キプリングも戦争は一週間以内に終わるだろうと考えていた。ところが、片手にライフル銃、もう一方の手に聖書をもったボーア人達は、3年間持ちこたえた。「戦争は1週間で終わると考えて、我々は南アフリカへ行った。」とキプリングは言った。「ところが、ボーア人達は我々に際限もなく教訓を与えた」。
今日、同じ「教訓」を300人委員会に与える事が出来る。もし、私達の憲法が象徴するありとあらゆるものを蚕食してやるぞと恫喝している巨大な怪物に対する闘いにこの国を導いてくれる善人で、かつ真実の指導者達8万人(此の役割が日本国家である。で、戦争は、北朝鮮を経由して中国と戦う。そして、ロシアと戦う準備をする。それが出来たら其の後ろにいるアメリカと英国の国際金融家達を全て捕まえる!忍)を我々(自由主義国)が召集出来さえすれば、と。
戦争が1902年に終わった後、トランスヴァール・オレンジ自由州ボーア共和国の不毛の草原の下に横たわる想像を絶する財産、金とダイヤモンドを英国国王はしっかりと掌握しなければならなかった。これは、アーサー王とその騎士達の伝説に由来する「円卓会議」を通じて行われた。円卓会議は、厳密には300人委員会によって設立された英国情報部MI6の一作戦部局である。これはローズ奨学金計画と共にアメリカの中核地帯に突き刺さった短刀である。円卓会議はセシル・ローズによって南アフリカに設立され、英国のロスチャイルド家が資金を提供した。その目的は、英国国王に忠実で英国国王の為に莫大な金とダイヤモンドの財宝を確保してくれる事になる商業指導者を訓練することであった。
南アフリカ人達は生得の権利を一政変によって盗み去られてしまったが、其の政変たるや、とてつもなく大規模かつ全面浸透的で、統一中枢部隊にしてはじめてやりおおせたはずのものであった。その統一部隊とは300人委員会であった。これが成し遂げられた事は、論を待たない。
30年代の初期までに、英国国王は世界でかって発見された金とダイヤモンドの最大の供給源の首根っ子を押さえていた。いまや300人委員会は、麻薬取引からあがる莫大な財産と、南アフリカの鉱物・金属資源という同じく莫大な財産の両方を意のままにする事が出来た。世界の財政的支配は完璧だった。
★新たな攻撃目標「アメリカ」
◎ 世界中に散開した円卓の騎士達
円卓会議は政変で中枢の役割を果たした。円卓会議の明確な目的は、南アフリカを平らげた後では、アメリカ独立戦争[1776?83]によって得た合衆国の利益を減少させ、もう一度合衆国を英国の支配下に連れ戻すことだった。そういう企てには組織力が不可欠だったが、ロンドンのロスチャイルド一家の子分アルフレッド・ミルナー卿がそれを提供した。円卓会議会員の選択にはフリーメーソンのスコティッシュ・ライトの原理を用い、選ばれた者達はケンブリッジ大学とオックスフォード大学で猛訓練を受けた。それを油断なく見守ったのが、自称「老学校共産主義者」ジョン・ラスキンとMI6工作員T・H・グリーンであった。ローズ、ミルナー、ジョン・ウィーラー・ベネット、A・D・リンゼイ、ジョージ・バーナード・ショー、それにヒットラーの大蔵大臣ヤルマール・シャハトらを生んだのは、キリスト教福音主義派牧師の息子グリーンだった。
円卓会議は、広大な包括的な300人委員会の一分野に過ぎないのだ。それでも円卓会議自体が、迷路のように入り組んだ会社、機関、銀行、教育施設からなり、それだけで、資格のある保険統計士に分類させても一年はかかるだろう。
円卓の騎士達は世界中に散開した。彼らが活動する全ての国で、財政・金融政策及び政治の支配権を掌握するためである。南アフリカでは、ボーア戦争で英国と闘ったズマップ将軍が「転向」して英国情報部の軍事的政治的工作員となり、英国国王の大義を信奉する者となった。後年の事であるが、合衆国に内部から穴を開ける仕事はウィリアム・ヤンデル・エリオットに与えられた。政治家ヘンリー・キッシンジャーを生みだし、300人委員会に対する合衆国首席顧問としての地位に流星のように登場する責任を担ったのは、この人物である。ウィリアム・ヤンデル・エリオットは「オックスフォードのアメリカ人」であった。この事は、既に300人委員会によく奉仕していたとしても、委員会の仕事で更に高い務めを果たすには必須の過程であった。
エリオットは17年にヴァンダービルと大学を卒業したのち、ロスチャイルドーウォーバーグ銀行網によってリクルートされた。サンフラシスコの連邦準備銀行で働き、重役に出世する。そこから彼はロスチャイルドーウォーバーグの情報将校として活動し、彼が監視している合衆国の重要な地域についてレポートした。エリオットのフリーメーソン的才能を監視していた者達は彼をローズ奨学生に推薦し、1923年に彼はオックスフォード大学ベイリャル校へ行く。この「夢見る尖塔」の中には、陰謀のネットワークと西側世界の未来の裏切り者達が隠されていた。
ベイリャリ校は円卓会議の人材募集センターだったし、いまもやはりそうである。タヴィストック研究所の代表者にしてベイリャル修士T・H・グリーンの後継者となっていたA・D・リンゼイの指揮する徹底的な洗脳を施された後、エリオットは円卓会議に迎えられ、王立国際問題研究所(RIIA)に送られて課題を与えられた。その課題とは、合衆国に帰って学術(アカデミック)の世界で指導者となることであった。
円卓会議の運営哲学は、円卓会議の騎士達を社会機構を通じて社会政策を立案実行する地位につけることであった。こうすれば、ラスキンが言うところの「大衆ども」は操作出来るはずであった。会員たちはタヴィストック研究所での課程を受けた後、最高レベルの銀行業務へ浸透していった。その課程は英国王室の親友レコンスフィールド卿が立案作製し、後にはラザール・フレール社の運営を続けていたロバート・ブランドが指揮した。RIIAは英国君主制との全面的な接続機関であったし、今もそうである。
円卓会議の副産物の一部が、卓抜な政治家であり、故ウィンストン・チャーチルの娘婿であるダンカン・サンディズによって設立・運営されるビルダーバーガーズ、私が1983年の『国際銀行家の陰謀ーーディッチレー財団』という著作で暴露した銀行家の秘密クラブのディッチレー財団、三極委員会、合衆国大西洋評議会、そしてロバート・アンダーソンが代表を務めているが、表から巧妙に隠された真の創立者がRIIAのバロック卿であるアスペン研究所である。
300人委員会は、その数多くの提携組織を通じて、レーガンの大統領としての職責を無に帰する事が出来た。ヘリテージ財団のスチュアート・バトラーは、此の件に関して「右翼は80年に勝利したと考えたが、事実は敗北したのだ」と語った。バトラーはここで、右翼が勝利したと考えたとき、レーガン政権の要職がヘリテージ財団が任命したフェビアン主義者に占拠されてしまった事に気付いたと云う事を言っている。
バトラーは、合衆国の右翼思想の中に、合衆国のフェビアン主義者の頭でありヘリテージ財団の第1人者のサー・ピーター・ヴィッカース・ホールが公然と選挙戦中にその意見を述べていた左翼急進主義の原理を注入したと説き続けているのだ。サー・ピーター・ヴィッカース・ホールは保守系の「頭脳集団」を切り回している間ですら、フェビアン主義者のままでいた。英国の寡頭軍事産業一族ヴィッカースの一員として、彼は強固な地位と絶大な力を持っていた。ヴィッカース一族は第1次世界大戦時に対立する両陣営に武器を供給し、ヒットラーの興隆時にも再び武器を供給した。
ヴィッカースは表向きカルフォルニア大学の都市・地域開発協会に属していたが、英国労働党の頭で300人委員会の会員であるアンソニー・ウェッジウッド・ベンの長年に渡る腹心の友であった。ヴィッカースもベンも共に、世界最初の洗脳団体であるタヴィストック研究所の構成員と同じ扱いを受けている。ヴィッカースはタヴィストック研究所の訓練を受けた非常に効果的な演説をする。次はその一例である。
「二つのアメリカがある。一つは19世紀の重工業を基礎にした社会である。もう一つは古 いアメリカの破片の上に建てられた成長する雑工業化社会である。来るべき数十年の内に起 こる経済的・社会的破局は、これら二つの社会の間に起こる危機である。この二つの社会は 根本的に相容れぬものであり、共存する事が出来ない。雑工業化社会の末期には重工業社会 を粉砕し消滅させるに違いない(これは、産業の基盤を破壊する演説である!忍)」
この演説は81年に行われた事を想起して頂きたい。合衆国(自由主義国)の経済と産業が如何にサー・ピーターが予告したとおりに正確に進行したかが分かるはずである。関係者から91年の景気後退はいつまで続くのかと聞かれた時に、私はこのサー・ピーターの演説を引用し、95?96年には終わらないだろう、事態は我々知っている60?70年代とは違うからだと説明しておいた。
演説が行われて間もなく、私は自分のニュースレターでもそれを紹介したが、如何にそれは予言的であったことか。だが、この事は、300人委員会とその執行機関であるローマクラブが既にアメリカについて述べていた事に照らし合わせれば予測は可能であった。
サー・ピーターが遠回しに言った事は何だったのか?普通の日常用語に直せば、彼は、古いアメリカ人の生活様式と憲法に基づいた真実かつ信頼出来る連邦政府は、新世界秩序によって破壊されつつあると云う事であり、我々が知っているアメリカを其の様に進める、さもなければ粉々にしてしまうと言っているのである。
◎ 心霊術師か、魔法使いか、それともイカサマ占い師か?
先に述べたように、300人委員会はしばしばはっきりと見える存在でもある。サー・ピーターは例外ではなかった。サー・ピーターが次の様に演説を結んでいるのを見れば、彼が何処から来たかが明らかになるだろう。
「私はヘリテージ財団や類似の団体と働けて大変幸福である。真のフェビアン主義者は更 に急進的な思想を新右翼に期待する(この新右翼の代表が、国内の改革路線の人達である !忍)。この10年以上、英国国民は絶えず、如何に産業が落ち目になっているかという 宣伝の集中砲火を浴びている。この事は全て事実であるが、宣伝の真の効果は国民の士気 阻喪にある(正確にはタヴィストックの新科学(ニューサイエンス関係の科学者達が仕掛 けた)」
「経済の更なる悪化は米国(自由主義国!忍)においても同様であろう。人間に困難な選 択を迫るには、これ(混乱、士気阻喪)が必要である。将来に対して何らの計画もなく、 あるいは、有権者が前進を阻むならば、想像も出来ないほどの大規模な社会的混乱が起こ るであろう。アメリカ(自由主義国!忍)の都市の外観は荒涼としたものになろう。都市 の中心部ではまだ何か出来ようが、それとても基本的には都市は縮み上がり、工業の基礎 は滅亡に瀕する。こうして社会痙攣が生じるのである」
サー・ピーターは心霊術師か、大評判の魔法使いか、それともイカサマ占い師か?
その答えは「全て否」である。サー・ピーターは、かっては産業の巨人であったアメリカ合衆国の静かな死を宣告する300人委員会=ローマクラブの下書き原稿をすらすらと読み上げる朗読者に過ぎない。ここ10年間のサー・ピーターの予言を振り返るならば、彼こそが300人委員会の計画に従って産業国アメリカを事実上潰滅させ、終焉に導いたと云う事を、誰が疑えようか?彼の予言は、驚くほど正確であると証明されてこなかっただろうか?実に殆ど一言一句あますところなく正確に、予言は実現されてきたのである。
サー・ピーター・ヴィッカース(サー・ピーター・ヴィッカース・ホールの義父)はスタンフォード研究所が出版した『人間イメージの変革』と題する報告書の作製に協力した。この報告書をもとに、レーガン政権に対して3000ページもの重大勧告が送られたのである。その上、英国MI6上級情報将校としてサー・ピーター・ヴィッカースはヘリテージ財団に多大な事前情報を提供出来る地位にある。
300人委員会とNATOの会員としてサー・ピーター・ヴィッカースは、NATOがローマクラブを指導して、アメリカが進もうとしている方向を全く変えさせる社会プログラムを開発させた。ローマクラブは、タヴィストック研究所の指導のもとに、スタンフォード研究所(SRI)に対して、アメリカだけでなく大西洋同盟とOECD加盟のどの国にも適用出来るようなプログラムを開発する事を要請したのである。
レーガン大統領に3000頁に及ぶ「勧告書」を送ったのは、さーー・ピーターの子分格であるスチュワート・バトラーであった。この勧告書には疑いもなく、国会議員で300人委員会の上級会員であるアンソニー・ウェッジウッド・ベンが表明した見解のいくつかが含まれていた。ベンは80年12月8日にワシントンで会った社会主義インターナショナルの会員に、「もし諸君がレーガンの信用失墜を促すような人物情査をするなら、即ちボルカーを信用失墜させることになり、我々はその下で繁栄出来る」と語っている。レーガン政権に採用されて適用されたパトラーの勧告は、レーガン政権下に進められた貯蓄貸付制度と銀行業界を崩壊に導く結果となった。ベンが「人物情査」すると言ったのは、実はレーガンが洗脳されるべきだという意味だったのである。
◎ 鉄鉱業を解体させたフリードマンと黒い貴族ダヴィニョン
フォン・ハイエクーーヘリテージ財団の創立者であるーーが弟子のミルトン・フリードマンに、一例として、レーガン政権の下でまず最初に鉄鋼産業、次いで自動車産業と住宅産業の崩壊を促進させ、アメリカを非産業化させるローマクラブの計画を統轄させた事に留意する価値がある事を忘れてはならない。
フランスでは、黒い貴族の一人であるエディエンヌ・ダヴィニョンが、300人委員会の一員として同国の鉄鋼産業を解体させる任務を割り当てられた。仕事を失っている何十万という鉄鋼と造船所の労働者の内、誰がダヴィニョンの名を耳にしたことがあるだろうか。コールマン博士が『世界経済評論』誌の81年4月号でダヴィニョン計画を公表した。
運命の12月、ワシントンDCで開かれた第10回ローマクラブ総会には、イランから来た見知らぬ人物が参加したが、アヤトラ・ホメイニの特使であるバニサドルであることが分かった。とりわけ80年12月の非公開会議で行われたある演説が私の注意をひいた。それは主にフランソワ・ミッテランの演説だったからだが、この人物はフランスの政権から放逐され、ダメになったと考えられていた男だった。だが、コールマン博士は自分の情報源から、あらかじめミッテランが埃を払って引っ張り出され、政界に復帰しつつあると聞いていた。それだけに彼が何を語るか、コールマン博士にとっては非常に関心の的になっていたのである。
「産業資本家の発展は、自由とは全く相容れない。我々は彼らに終止符を打たねば ならない。20世紀と21世紀の経済システムは、既に恐るべき結果をもたらして いる核エネルギーの領域をはじめ人間を粉砕する道具を用いることだろう。」
ミッテランがエリゼ宮に帰還したことは、社会主義の勝利であった。それは300人委員会が何事かを予告すれば、ミッテランの場合に見られたように、彼が何日か前にパリの政治グループに明らかに完全に拒否されたとしても、力ずくで、あるいはどういう手段を用いても、自らの予告を実現する力があることを証明している。
◎ 狡猾な左翼ウォルター・リップマンの指導を受けたADLグラハムの凄腕謀略
もう一つ、80年12月のワシントン会議には、別のグループの代表が「オブザーバーの資格で」参加した。それは「アーウィン・スアル」という名でも知られるADL(ユダヤ名誉毀損防止連盟)の事務調査局の長、ジョン・グラハムであった。
ADLは英国情報機関の三つの分局、即ちMI6や国防情報局などの英国情報機関によって完全に操作されている。スアルの膨大な汚れたトリックは、ロンドンのイーストエンド地区の下水道からかき集めたものだ。スアルはジェイムズ・ボンドばりの手を使う超極秘機関SIS[秘密情報局=MI6の公式名称]の現役である。何人にもADLの力と勢力範囲を過小評価させてはならない。スアルは、ホールその他のフェビアン主義者達と密接に連繁して活動する。彼はミルナー卿、ローズ、バージェス、マックリーン、キム・フィルビーを生んだ共産主義教育センターそのものである英国のオックスフォードとケンブリッジの両大学は長い間エリートの息子や娘だけが入れる所で、親たちは英国上流階級の中でも「貴族階級」だった(東京大学の共産主義者が増えたのは、英国の大学の影響かな?忍)。スアルはオックスフォードでは青年社会主義連盟に加わり、そののちほどなく英国情報機関の補充要員に選ばれた。その後、スアルはアメリカ合衆国に配属され、同国左翼の中で最も狡猾なウォルター・リップマンの保護と援助を受けた。
リップマンは、急進派をスポイルする作戦として産業民主連盟と民主学生協会を設立運営した。リップマンの二つのプロジェクトは、彼が重要な会員であり、アメリカに触手をのばす300人委員会の「党機構」に不可欠の部分であった。スアルは米国の司法省と強いコネがあり、彼が狙ったどんな人間の情報ファイルでもFBIから入手する事が出来る。司法省は彼が欲しいときにはどんな物でも与える命令を出している。
スアルの活動の中心は、「右翼グループと個人を監視する」事である。ADLは国務省から便宜を与えられ、同省の情報員を巧みに使っている。国務省には「恐れを知らぬ反ユダヤ活動家」を装う右翼情報員の産卵場がある。情報収集グループには4人の頭がいる。このスパイ・グループは過去20年に渡って活動を続けている。彼らは、毒々しい反ユダヤ新聞を発行し、広い範囲に及ぶ反ユダヤの本を売る。その中心的な分子はルイジアナで活動している。このグループの会員はキリスト教の右翼サークルで人気を集めている作家である。スアルはアブスキャム事件[FBI捜査官がアラブ実業家を装って上下両院議員をおとり捜査で摘発した事件]に深く関わっていて、しばしば警察等の法執行機関から内偵やおとり捜査で警察官を援助するよう要請されている。
スアルには、ヘリテージ財団が新しく大統領を選ぶまで「レーガンを尾行」し、もしレーガンが財団の望む路線から逸脱したり、ちょっとでも目隠しを外そうとしようものなら2、3発威嚇射撃のようなものを加える役目を与えらた。スアルはヘリテージ財団を快く思わない面倒な右翼顧問を、男でも女でもレーガン政権から遠ざける援助を行った。そのような人物の一人に、レーガンの労働長官レイ・ドノヴァンがいた。彼はADLの政治謀略部のおかげで席を移されたのであった。
ヘリテージ財団が提出した三千人の推奨リストに上がっている人物の一人、ジェイムズ・ベイカー三世は、大統領に送ったスアルのドノヴァン憎悪の書簡を選んだ仲介者であった。
◎ メキシコ学生反乱を画策したCIA「離脱者」フィリップ・エイジー
もう一人の重要な謀略者は、CIA「離脱者」フィリップ・エイジーであった。300人委員会の会員でないにも関わらず、彼はメキシコ問題担当官となり、王立国際問題研究所(RIIA)と外交問題評議会(CFR)に随って行動した。
記録によれば、合衆国で起こった事は何一つとして、RIIAの承認なしに行われたものはない。それは、最初は、チャーチルとルーズベルトとの「公然」たる同意(それ以前には秘密の合意があったが)に始まり、合衆国の情報機関が英国の情報機関と機密情報を共有せざるを得ないような事態が継続して進行しているのである。これがチャーチルとハリファックス卿がうそぶく両国間のいわゆる「特別な関係」であり、この「特別な関係」は、英国の利益とりわけ300人委員会の最も重要な会員の一人、エリザベス女王一族が大きく関与しているブリティッシュ・ペトロリアム[ヨーロッパの三大石油会社の一つ]の利益を代行して合衆国がイラクに仕掛けた湾岸戦争に至るまで継続している。
1938年以来、いかなる情報活動もこの特別な共同命令構造を通じて行われなかったものはなかった。フィリップ・エイジーはイエズス会・フリーメーソンの環に組み込まれたノートルダム大学を卒業後CIAに加わった。エイジーは最初、68年のメキシコ大学の反乱の背後にある情報職員として私の関心を引いた。
メキシコ学生反乱の最も重要な問題点の一つは、ニューヨーク、ボン、プラハ、西ベルリンでの学生反乱と全く同じ時期に起こされた事であった。専門的な総合判断とこのような作戦に不可欠である国際刑事警察機構(インターポール)の特別な情報ネットワークを考慮すれば、学生の反乱であろうと、一般には一国の指導者の解任であろうと、時を同じくして地球規模の活動を慎重に起こす事が出来るのは、300人委員会であると考える事はさして困難ではない。「オリンピアンズ」なら全て1日の内に成し遂げられる仕事である。
エイジーはメキシコとプエルトリコのテロリスト・グループに直結していた。そして、この間に彼はキューバの専制者フィデル・カストロの腹心の友となった。
これらの作戦を展開したエイジーは、「はぐれ」情報員として行動したと考えてはならない。反対に彼はこれら全ての任務遂行中、CIAの為に働いていたのである。が、カストロのDGI(キューバの情報機関)が彼を「暴露」した時、問題が起きた。彼は二重の役割が明るみに出されるまでCIAの一員として任務を遂行していたのである。これにはキューバのルールドに設置された西欧でも最大のソ連の盗聴施設がからんでいた。同施設は各種信号と暗号解読の3千人のソ連専門家を抱え、同時に数千種の電気信号を傍受出来る性能があった。議会の議員や愛人との私的会話に至るまで、ルールドではエイジーの電話が数多く傍受され、強力な証拠となったのである。
今日、我々(自由主義国)は「共産主義は死んだ」と聞かされている。だが合衆国は、一戸一戸の家の敷居に至るまで繰り広げられている広範なスパイ作戦を一向に解消しようとしない。
ルールドにはファックスや電動タイプライターが放つ最も弱い「嵐」の信号でさえも補足する性能がある。即ち、どんなファックス送受信やタイピングでもその内容が分かりさえすれば、暗号が解読出来るのだ。ルールドは未だに合衆国の心臓に突きつけられた匕首のまま残っているのである。こんな場所が今も尚、存在している理由は全く無い。もし合衆国とロシアが真にお互いに平和を保とうとするなら、なぜこのような大規模なスパイ作戦を行う必要があるのか?この奇妙なことを裏書きする単純明白な事実がある。KGBは職員を削除しようとせず、むしろ90年から91年にかけて要員を補充増加しているのである。
◎ イラン国王を失墜させたバーナード・レヴィン=ローマクラブ計画
バーナード・レヴィンと言っても、おそらく合衆国ではあまり知られていないだろう。頽廃的な「ポップ・スター」やハリウッドの最新の惨めな「暴露」とは異なって、もし目に触れるとしても、学界の人間でも稀にしか聞かない名前である。が、ローマクラブの支配下にあるアメリカの学界の何百という学者の中で、レヴィンが特に注目すべき点がないとしても、イラン、フィリピン、南アフリカ、ニカラグア、韓国の破壊という役割を担っているという点では、大いに注目する必要がある。
イランの国王の失墜は、バーナード・レヴィンとリチャード・フォークが仕組み、ロバート・アンダーソンのアスペン研究所の指揮による計画によって実行されたものである。『時代展望とモラル』という題名の、いかにして各国政府と指導者の士気を挫くかを述べたローマクラブの出版物の執筆者がレヴィンである。ここに同書の抜粋を掲げる。
「恐怖戦術を通して士気を挫く主要な技術の一つは、正確には次の方法である。 狙いをつけた人物が、自分は何処にいるのか、何を期待していいのかがはっきり分からな い状態にさせる。加えて、相反する情報を与えながら、懲罰と報償の間を彷徨させて再計画があるのかどうかを知ろうとする事を止める。このような情況にさらされると、目標を 抱き、危険を冒して目標に到達する意志のある人間でも、何をなすべきかと、心が激しい 葛藤に巻き込まれ、行動が麻痺するのである」
ローマクラブの青写真は個人に対してのみならず国家に対して、特に各国の指導者に対しても適用される。我々合衆国の人間は「ここはアメリカだ。そんなことは、ここでは起こらない」と言う。
しかし私は、ここアメリカでそういう事が「起こっている」のだという事を、そしておそらく他の国々ではもっと頻繁に起こっているのだと云う事を、証明してみせよう。レヴィン=ローマクラブ計画は、最終的には、我々が何事であれ全て我々の為になる様に計画されていると思い込ませる所まで士気阻喪する様に仕組まれている。我々は、羊のようにローマクラブの命令に従う事になるであろう(それが、大量虐殺の始まりである)。
★完全に洗脳されたアメリカ
◎ 英国情報部によって仕込まれた人物、ホメイニとエリツィン
国が「救う」ように見える強力な指導者が突然表れたなら、極度に疑わしいと見なければならない。ホメイニはイランの救世主として突然表れる前に、特にパリに滞在中に英国情報部によって長年に渡って仕込まれた人物である事を想起されたい。ポリス・エリツィンも同じくMI6・SISに仕込まれた経歴がある。
ローマクラブは、300人委員会から与えられた合衆国を「軟化させる」権限を遂行していると固く信じている。合衆国の国民に仕掛けられた戦争が45年もたった今日、誰が此の戦争を遂行したか疑う事が出来ようか?よく見回して、如何に我々の士気が阻喪したかを見てみるがいい。麻薬、ポルノグラフィ、ロックンロール「音楽」、フリー・セックス、家族の崩壊、レズビアン、ホモセクシャル(男は、生体的に女が必要としている構造になっている。だからこそ、女は、家庭を守る努力をしないと社会は崩壊する。男を正しく導く仕事は、女性の仕事だから。男は性的本能を何かに変更して行動を取っている。しかし、善なる方向に変更すれば良いが、悪なる方向に変更する可能性が残っている。神の法は、自分の家族を愛する如く他を愛せよでその方向性を戒めている。だからこそ、正しい家族のあり方を真剣に考え守る仕事を女性に与えているのです。女性が自己見失うと国家は崩壊する。そしてこの神の法を壊す勢力は全て悪魔に魂を売った人間である。共産主義者は、将に人間の本能の部分を悪用しているのです。それによって、社会を混乱させようとしているのです。そういう人達に全て戦わなければならないのです。今、天上界は聖戦に入っているのです。その先頭指揮者が千乃先生です。ユダヤの神エホバを信じている人達全てこれら悪魔に魂を売った人達に戦いにせよ。はっきり言って、その企業は全て倒産しても良い。日本国家の復興が神の国造りになるのです!忍)。そして最終的には、母親による何百万という幼児の殺人。かって墜胎のようなおぞましい犯罪が行われた事があっただろうか?(此の問題は難しい。子供を育てるには、両親の強い責任がある。此の責任を果たすことが出来ない場合は、子供が大人になった時が一番惨めな生活をさせられるのです。子供が、「自分が、この世に生まれなければ良い」と考えて悪魔に魂を売って悪の方向に走るならば(結果的、裁判によって死刑を宣告するならば)、この子供の苦しみさせた両親の責任が重いのです。それならば、子供の意識がまだ育っていない3ヶ月の間に墜胎した方が子供にとっても幸せなのです。3ヶ月の間は人間としての意識がないのです。でも、出来るなら家族計画を立てて墜胎するより避妊をした方がまだ人間として正しい営みだと思います!忍)
精神的にも道徳的にも破滅した合衆国、3千万人の労働者から仕事を奪った合衆国の産業破壊、考えられるあらゆる犯罪の恐ろしさ汚水溜めろなった巨大都市、他国の3倍の犯罪発生率、400万人のホームレス、風土病と化した政府の腐敗ーーこれらを見れば、合衆国が新暗黒時代の統一世界政府の武力を待たずして既に内部から分裂させている。彼らはシオニスト国イスラエルの為に闘う根本主義、福音主義などの大群のカリスマを養成しつつある。
大量虐殺の湾岸戦争の期間に私は、なぜ「イラクに対するキリスト教徒の戦争」に反対出来るのか問う手紙の山を頂戴した。イラクに対する(300人委員会の)戦争をキリスト教根本主義者が支持するのは聖書的ではないと疑う事が、果たして出来ないであろうかーー結局は、銃撃が始まる前にビリー・グラハムがブッシュ大統領の為に祈らないであろうか?聖書は「戦争と、その噂」について語っていないであろうか?此の手紙の山は、タヴィストック研究所がいかに懸命に努力しているかを明瞭に示している。キリスト教徒根本主義者達は、計画通りにイスラエルを支持する途方もない勢力になるであろう。
悲しむべき事に、こうした「めでたい」人々は、自分達がローマクラブによって目に余るくらい悪用されて来たことを全く理解していない。彼らの意見と信仰が自分自身のものではなく、アメリカ全土に展開する300人委員会の何百という「頭脳集団(シンクタンク)」がでっち上げたものであることを全く理解していないのである。言葉を換えて言えば、合衆国の他の人々と同じく、キリスト教根本主義者達と福音主義者達は完全に洗脳されているのである。
◎臨終を迎えるアメリカ
我々国民(アメリカ国民)は、かって全世界の羨望の的であったあめりか合衆国とアメリカ人の生活様式の臨終を将に受け入れようとしているのだ。これは、たまたま我が国アメリカに降ってわいた、陳腐な「時代は変わる」症候群であると考えないで頂きたい。時代は何も変えない。「人間」が時代を変えるのである。
300人委員会とローマクラブをヨーロッパの団体と考えるのは誤りである。ローマクラブは合衆国においてその影響力を行使し、ワシントンDCに支部を置いている。クレイボーン・K・ペル上院議員はその頭であり、会員の一人はかって下院エネルギー政策を掌握し、何処から「環境保護論者」達の核エネルギー反対が出てくるかを見るのは、さして難しい事ではないのである。
ローマクラブ最大の成功物語は、21世紀に向かって合衆国が強力な産業国家になるのを阻止する為に、核エネルギーに関して議会をしばり続けている事だろう。静止沈船所、合衆国のあちこちに放置されたままになっている様々の熟練工達ーーこれらはローマクラブの反核政策の結果である。
これらが再整備される事は二度とないのではないだろうか。
他に、合衆国のローマクラブの会員には、議会調査局のウォルター・A・ハーン、古参の経済人アン・チーザムとダグラス・ロスの任務は、彼自身の言葉に寄れば「ローマクラブの視点を立法に捉え、豊饒という幻想を合衆国から放逐すること」であった。アン・チーザムは「未来の為に議会を清浄化する家」と呼ばれる組織の理事であった。彼女の任務は、占星術やニューエイジの[鬼面人を驚かすお化け]に感じやすい議員を拾い出す事であった。ある時期には、彼女の教室には百人を越える議員がひしめいた。毎日行われるアンの集会では、彼女の「オカルト洞察」に基づいて作られた様々の占星術的な「予見」が開陳された。議員の他に、この集会に参加した著名人には、マイケル・ウォルシュ、ソーントン・ブラッドショーーー300人委員会の主要な人物ーーと、オールステート保険会社副社長ディヴィッド・スターンライトがいる。
300人委員会の重要な会員には、NATOの会員を兼ねた者がいる。という事実を忘れてはならない。これらの会員はいくつかの事務所を持っている。NATO=ローマクラブの会員の中には、NATOの元米国大使だったハーランド・クリーヴィランド、アスペン研究所の理事ジョセフ・スレイター、元合衆国国家安全保障局の最高スタッフだったドナルド・レッシュ、またジョージ・マッギー、クレイボーン・K・ペルがいるが、以上はほんの一部に過ぎない。300人委員会は、大使や長官として、その手先を政府、議会、大統領の諮問委員会といった合衆国の筋肉や神経に植え込んだのである。
◎誰が大統領になろうと300人委員会の決定は守らねばならない
カルヴィン・クーリッジが大統領に立候補して以来、選挙で、誰がホワイトハウスに席を占めようとも、300人委員会が政府の枢要な地位に手先を送り込んで於けるようになっている。例えば、フランクリン・D・ルーズベルトの時代から、大統領選挙の立候補者達は選ばれ、誰云うともなしに、300人委員会の道具として振舞っている外交問題評議会(CFR)の「お気に入り」と呼ばれる様になっている。
とりわけ1980年の選挙では、政府高官のどの椅子にもCFRの会員が座っていた。その為に、謀略者達にとっては、誰が大統領選で勝利しようとも一向に構わなくなった。ヘリテージ財団やCFRのようなトロイの木馬によって、新政府の重要政策立案部門は全てCFRが指名した人物が椅子を占めた。それよりも以前、60年代には、NATO=ローマクラブのイエスマンが席を占め、300人委員会の執行機関であるローマクラブとCFRのお墨付きの重要政策を確実に実行していたのである。84年と88年の二つの選挙には、この長きに渡るパターンがそのまま踏襲された。
ジョージ・シュルツは、300人委員会が選んだ国務長官であった。シュルツは一環して、CFRを仕切る元締であるペクテル社の要職という立場を利用して、彼が所属するキッシンジャー・コネクションをうさんくさいと思っているかも知れない国々に接近させた。
カーター政権は、鍵になる地位に、陰謀の積極的加担者を送り込む事に拍車をかけた。カーターが大統領に当選する前に彼の選挙参謀であったハミルトン・ジョーダンは、もしサイラス・ヴァンスかブレジンスキーがカーター内閣に入る約束をしてくれたら、自分は、辞任しようと言った。彼らはそうした。が、ジョーダンは辞任しなかった。カーターが、ポール・ボルカーを選んだことは(事実、デイヴィッド・ロックフェラーがボルカーに約束を取り付けたと語った)、ローマクラブが敷いた路線によって合衆国経済が破綻するそもそもの始まりであった。
◎ゴールド・ダイヤモンドが目当ての南ア殺害戦争
英国植民地資本主義は、常に英国の寡頭支配者による封建的特権制度の頼みの綱であったし、今日も依然としてその事に変わりはない。
ボーア人[オランダ系白人]として知られるようになった南アフリカの貧しく教育のない牧歌的な人々は、1899年に血に汚れた英国貴族階級の手中に落ちたとき、ヴィクトリア女王によって容赦なく遂行された胸のむかつくほど残忍な戦争が、BEIC(英国東インド会社)の中国阿片貿易による「速成の財産」から富豪達の懐に流れ込んだ信じ難いほどの大金によって賄われたとは、夢にも思わなかったであろう。
300人委員会のセシル・ローズ、バーニー・バルナト、アルフレッド・バイアットという会員達が、戦争を煽動し誘導した。ローズはロスチャイルド家の主要代理人で、ロスチャイルドの銀行は阿片取引より流れ込む現金に浸ってゲップが出るほどであった。これらの強盗・泥棒・嘘つきどもーーローズ、バルナト、オッペンハオマー、ジョエル、バイアットーーが南アフリカのボーア人から生得の権利、即ち彼らの土地の下に横たわっていたゴールドとダイヤモンドを取り上げたのである。
南アフリカのボーア人は、彼らのゴールドとダイヤモンドの販売より得られた何十億に次ぐ何十億ものドルからビタ一文も受け取らなかった。
300人委員会はこの莫大な宝物を素早く全面的に掌握した。この支配は現在も会員の一人サー・ハリー・オッペンハイマーによって維持されている。平均的な南アフリカ人は金及びダイヤモンド産業から一人あたり年額100ドル受け取るだけで、毎年毎年流出する何十億ものドルは300人委員会の銀行家達の下へ行く。それはかって記された歴史年代記の中でも最も不潔で邪悪な、貪欲と窃盗の、そして民族殺害の物語の一つである。
英国国王は、どうやってこの巨額の分け前になるド肝を抜くような欺瞞をまんまとやりおおせる事が出来たのか。それほどの超人的な仕事には、謀略家どもの権力機構から伝えられる日々の命令を実行する献身的な代理人を随所に潜り込ませて、巧妙に組織化する事が必要である。
第1段階は新聞による宣伝活動で、ボーア人達が、未開の野蛮人達で、ほんのちょっぴり人間だが、ボーア共和国においてイギリス市民の投票権を拒否していると描いてみせた。次に、トランスヴァール共和国の指導者ポール・クルーガーに対して要求を突きつけた。勿論クルーガーはこれには応じない。その後、一連の事件を企ててボーア人達を挑発し仕返しさせようと謀ったが、それもうまくいかなかった。そこで悪名高いジェイムソン襲撃事件が起こる。この事件では、ジェイムソンなる人物が武装した数百人の一団を率いてトランスヴァールを攻撃した。その後直ちに戦争が起こった。ヴィクトリア女王はその時、かって世界に登場した中でも最大規模で最もよく装備の行き届いた軍隊の戦列をしいた。ヴィクトリア女王の考えでは、戦争は2週間で終わるはずだった。なぜなら、ボーア人は常備軍はなく、訓練済みの国民軍もなく、英国下層階級から引っ張ってきた彼女の40万の兵士達にかなうはずもなかったからだ。ボーア人達は百姓やその息子達で、其の数は8万を越えなかったーーその一部は14歳の若さだった。ルディヤード・キプリングも戦争は一週間以内に終わるだろうと考えていた。ところが、片手にライフル銃、もう一方の手に聖書をもったボーア人達は、3年間持ちこたえた。「戦争は1週間で終わると考えて、我々は南アフリカへ行った。」とキプリングは言った。「ところが、ボーア人達は我々に際限もなく教訓を与えた」。
今日、同じ「教訓」を300人委員会に与える事が出来る。もし、私達の憲法が象徴するありとあらゆるものを蚕食してやるぞと恫喝している巨大な怪物に対する闘いにこの国を導いてくれる善人で、かつ真実の指導者達8万人(此の役割が日本国家である。で、戦争は、北朝鮮を経由して中国と戦う。そして、ロシアと戦う準備をする。それが出来たら其の後ろにいるアメリカと英国の国際金融家達を全て捕まえる!忍)を我々(自由主義国)が召集出来さえすれば、と。
戦争が1902年に終わった後、トランスヴァール・オレンジ自由州ボーア共和国の不毛の草原の下に横たわる想像を絶する財産、金とダイヤモンドを英国国王はしっかりと掌握しなければならなかった。これは、アーサー王とその騎士達の伝説に由来する「円卓会議」を通じて行われた。円卓会議は、厳密には300人委員会によって設立された英国情報部MI6の一作戦部局である。これはローズ奨学金計画と共にアメリカの中核地帯に突き刺さった短刀である。円卓会議はセシル・ローズによって南アフリカに設立され、英国のロスチャイルド家が資金を提供した。その目的は、英国国王に忠実で英国国王の為に莫大な金とダイヤモンドの財宝を確保してくれる事になる商業指導者を訓練することであった。
南アフリカ人達は生得の権利を一政変によって盗み去られてしまったが、其の政変たるや、とてつもなく大規模かつ全面浸透的で、統一中枢部隊にしてはじめてやりおおせたはずのものであった。その統一部隊とは300人委員会であった。これが成し遂げられた事は、論を待たない。
30年代の初期までに、英国国王は世界でかって発見された金とダイヤモンドの最大の供給源の首根っ子を押さえていた。いまや300人委員会は、麻薬取引からあがる莫大な財産と、南アフリカの鉱物・金属資源という同じく莫大な財産の両方を意のままにする事が出来た。世界の財政的支配は完璧だった。
★新たな攻撃目標「アメリカ」
◎ 世界中に散開した円卓の騎士達
円卓会議は政変で中枢の役割を果たした。円卓会議の明確な目的は、南アフリカを平らげた後では、アメリカ独立戦争[1776?83]によって得た合衆国の利益を減少させ、もう一度合衆国を英国の支配下に連れ戻すことだった。そういう企てには組織力が不可欠だったが、ロンドンのロスチャイルド一家の子分アルフレッド・ミルナー卿がそれを提供した。円卓会議会員の選択にはフリーメーソンのスコティッシュ・ライトの原理を用い、選ばれた者達はケンブリッジ大学とオックスフォード大学で猛訓練を受けた。それを油断なく見守ったのが、自称「老学校共産主義者」ジョン・ラスキンとMI6工作員T・H・グリーンであった。ローズ、ミルナー、ジョン・ウィーラー・ベネット、A・D・リンゼイ、ジョージ・バーナード・ショー、それにヒットラーの大蔵大臣ヤルマール・シャハトらを生んだのは、キリスト教福音主義派牧師の息子グリーンだった。
円卓会議は、広大な包括的な300人委員会の一分野に過ぎないのだ。それでも円卓会議自体が、迷路のように入り組んだ会社、機関、銀行、教育施設からなり、それだけで、資格のある保険統計士に分類させても一年はかかるだろう。
円卓の騎士達は世界中に散開した。彼らが活動する全ての国で、財政・金融政策及び政治の支配権を掌握するためである。南アフリカでは、ボーア戦争で英国と闘ったズマップ将軍が「転向」して英国情報部の軍事的政治的工作員となり、英国国王の大義を信奉する者となった。後年の事であるが、合衆国に内部から穴を開ける仕事はウィリアム・ヤンデル・エリオットに与えられた。政治家ヘンリー・キッシンジャーを生みだし、300人委員会に対する合衆国首席顧問としての地位に流星のように登場する責任を担ったのは、この人物である。ウィリアム・ヤンデル・エリオットは「オックスフォードのアメリカ人」であった。この事は、既に300人委員会によく奉仕していたとしても、委員会の仕事で更に高い務めを果たすには必須の過程であった。
エリオットは17年にヴァンダービルと大学を卒業したのち、ロスチャイルドーウォーバーグ銀行網によってリクルートされた。サンフラシスコの連邦準備銀行で働き、重役に出世する。そこから彼はロスチャイルドーウォーバーグの情報将校として活動し、彼が監視している合衆国の重要な地域についてレポートした。エリオットのフリーメーソン的才能を監視していた者達は彼をローズ奨学生に推薦し、1923年に彼はオックスフォード大学ベイリャル校へ行く。この「夢見る尖塔」の中には、陰謀のネットワークと西側世界の未来の裏切り者達が隠されていた。
ベイリャリ校は円卓会議の人材募集センターだったし、いまもやはりそうである。タヴィストック研究所の代表者にしてベイリャル修士T・H・グリーンの後継者となっていたA・D・リンゼイの指揮する徹底的な洗脳を施された後、エリオットは円卓会議に迎えられ、王立国際問題研究所(RIIA)に送られて課題を与えられた。その課題とは、合衆国に帰って学術(アカデミック)の世界で指導者となることであった。
円卓会議の運営哲学は、円卓会議の騎士達を社会機構を通じて社会政策を立案実行する地位につけることであった。こうすれば、ラスキンが言うところの「大衆ども」は操作出来るはずであった。会員たちはタヴィストック研究所での課程を受けた後、最高レベルの銀行業務へ浸透していった。その課程は英国王室の親友レコンスフィールド卿が立案作製し、後にはラザール・フレール社の運営を続けていたロバート・ブランドが指揮した。RIIAは英国君主制との全面的な接続機関であったし、今もそうである。
円卓会議の副産物の一部が、卓抜な政治家であり、故ウィンストン・チャーチルの娘婿であるダンカン・サンディズによって設立・運営されるビルダーバーガーズ、私が1983年の『国際銀行家の陰謀ーーディッチレー財団』という著作で暴露した銀行家の秘密クラブのディッチレー財団、三極委員会、合衆国大西洋評議会、そしてロバート・アンダーソンが代表を務めているが、表から巧妙に隠された真の創立者がRIIAのバロック卿であるアスペン研究所である。