「米国:あるユダヤ国家」(イズラエル・シャミール著、バルセロナより愛を込めて氏翻訳)

 「阿修羅ホロコースト3」のイズラエル・シャミール著、バルセロナより愛を込めて氏翻訳の「米国:あるユダヤ国家1」を転載する。

 『米国:あるユダヤ国家』(イズラエル・シャミール著)全文和訳、第1回

 このイズラエル・シャミールの文章『米国:あるユダヤ国家(原題:A Yiddishe Medina)』は、9・11直後、2001年の秋に書かれました。ただ冒頭の部分は2006年6月に付け加えられたものです。

 米国とイスラエルの関係は以前から様々な議論を呼んでいますが、自らユダヤ人であるシャミールは、米国は当初からの「ユダヤ国家」である、と喝破しています。それは単に指導部にユダヤ人が多いばかりではなく、根本的な国家のありかた、国民の精神構造そのものが「ユダヤ」である、という意味です。

 おそらくこのシャミールの文章は、近代と現代の世界を理解する際に、決定的な意味を持つものでしょう。米国だけでなく、欧州も、そしてもちろん日本も。米国はイスラエルの「実の姉」なのです。欧州は言ってみれば「義理の妹」(欧州にとってイスラエルは「小姑」)かもしれません。そして日本は? それは各自でお考えください。

 この文章は長編ですので1週間ほどかけて4回に分けて投稿し、私からのコメントは第4回目の投稿にレスとしてつけておきます。[1],[2]などは原作者がつけた注釈ナンバーです。その他の私からの注釈は【訳注: 】の形で訳文の中にはめ込んでおきます。

 またこの文章の中には、日本語ではその違いやニュアンスが非常に翻訳しづらいJew, Jews, Jewish, Jewry, Judeo-, Judaismなどが多く出てきます。普通に「ユダヤ人」と訳す場合はa Jew や(the) Jews、また形容詞的に「ユダヤの」「ユダヤ人の」はJewishですが、紛らわしい場合には原文を添えておきます。

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 http://www.israelshamir.net/English/Medina.htm

 私の文章リストの読者諸氏はいつも十分に時間を先回りしておられる。時には数年の先を。つい最近、米国の主流派が「ユダヤ・ロビー(Jewish Lobby)」についての議論を始めたばかりなのだが、このサイトで我々は2001年にそのテーマを表面化させていた。実際のところ、そのとき我々が語ったことは現在もなお適切なままである。そこで2001年の私の論文A Yiddishe Medina(イーディッシュ語:あるユダヤ国家)を再掲しよう。これは拙著Galilee Flowersに収められた文章だが、この本の中で私は次のように問いかける。

【訳注:Galilee Flowers「ガリラヤの花」は2005年秋にシオニストの圧力によってフランス語版の発刊を禁止された。英語版は通信販売で手に入る。詳しくは下のUrl。】

 http://www.booksurge.com/product.php3?bookID=GPUB02699-00003

 《米国のイスラエル支持は、イスラエル・ロビーのためなのだろうか、あるいは「米国企業の真の利益」のためであろうか? ドンピシャリの答はこうだ。ユダヤ・ロビーはイスラエル右翼の支持基盤が外にあふれ出たものであり、一方で米国は、要するに中東の外にも利害関係を持つより大きな「ユダヤ(Jewish)」国家なのである。》

 ある意味で、この論文は私の著述の集大成なのだ。

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 米国:あるユダヤ国家(原題:A Yiddishe Medina) イズラエル・シャミール著

 T

 米国は長い戦争に向かおうとしている。それは「対テロ戦争」と呼ばれるが、しかしその名前は「敵に対する戦争」という以外の意味は持たない。ノーム・チョムスキーが面白い定義をしてくれた。「テロリズムとは我々に対して為されることをいう」と。しかしながらこの戦争の只中で、何万人もの我々のアダムとイブの兄弟たちが爆撃を受けナパームに焼かれ核攻撃で死ぬだろう。少年たちも少女たちも、まだ生まれていない子供たちも老人たちも、復讐の神の祭壇に捧げられ儀式として屠られるだろう。

 ブッシュ大統領はその企てを「十字軍」と呼んだ。その呼称は我々の記憶の中から、十字架を手に持ち、唇で我々の主の名を唱え、長く苦しい巡礼の冒険に出るアキテーヌの騎士たちや信心深いフランクの戦士たちのことを思い起こさせる。実際にはもっとひどいものだった。十字軍は西側のジハードであり数多くの流血を引き起こした。十字軍兵士たちは乱暴で見境が無く、世界で最も美しいキリスト教の都市であるコンスタンチノープルを略奪した。そしてエルサレムの聖なる土地を血みどろにしたのだ。十字軍の年代記家であるカエンのラドゥルフ(Radulf of Caen)は自分の戦友たちについてこう書いた。《シリアのマアラの街では「鉄串に刺し貫いた赤ん坊を火で炙って貪り食った」。》彼らは野蛮な連中だったが、私は、これらの殺し屋と肉食獣どもの名がブッシュの十字軍の連合によってこれ以上汚されることの無いように願うものである。彼らはこのほとんど非キリスト教的な、というより反キリスト教的な感覚に、復讐ではなく、栄光を求めていたのだ。
 
 そもそも福音の精神は復讐を拒絶するものである。これが教会とシナゴーグの非常に大きな違いなのだ。この二人の姉妹は2000年前に生まれた。この内蔵された違いはこれら二つの信仰の間にある分離として受け継がれている。キリスト教徒が敵のために祈れと呼びかけられるのに対して、ユダヤ人は復讐を夢見るように期待されるのである。

 U

 旧約聖書のユダヤ教(Judaism)はユダヤ人とキリスト教徒の信仰の祖形なのだが、「メシア」に対して二つの異なった解釈を含んでいた。共に旧約聖書の中に見出すことができる。キリスト教徒とユダヤ人の間にある分離は、それそれの新しい信仰がその二つの解釈の片方を取り上げて支配的にしたものである。キリスト教徒にとってキリストは救済するためにやって来たが、ユダヤ教徒にとってメシアは復讐するために来るのである。この点は、ヘブライ大学のイスラエル・ジャコブ・ユヴァル(Israel Jacob Yuval)教授の最新の著書「子宮の中の二つの国(Two Nations In Your Womb[1])」の中で説明がなされている。ユヴァルが呼ぶ「復讐に満ちた救済」が、アシュケナジ・ユダヤによって昔のパリサイ派のテキストから取り出され、そしてシナゴーグの支配的な教義となったのである。

 イスラエル・ユヴァル博士がエルサレムで復讐の神学に関する彼の洞察にあふれた本を出版したときに、イスラエルの学会の同僚たちには大きな熱狂で受け入れられたのだが、米国のユダヤ人学者はこれを嫌った。エツラ・フレイシャー(Ezra Fleischer)博士は強烈な批判を書いた。その中には次のような言葉がある。《そのような本は出版されなかったらよかったろうに。しかし出版されてしまったからには、忘却が宣告されるべきである。》[これは2006年6月に英語訳が出版されたばかりだ。]

 ユヴァル教授は数多くの古いユダヤ教の教本をこの見地の根拠として引用する。《終りの日(メシアが来るとき)には、神は破壊し、殺し、そしてイスラエルの民以外のあらゆる国民を絶滅させるだろう》。これは13世紀ドイツのユダヤ人によって書かれたSefer Nitzahon Yashanによるものである。典礼詩人であるクロニムス・ジュダ(Klonimus b. Judah)は《ゴイムの死体であふれる神の手》の幻影を見た。

 それよりももっと恐ろしい血と破壊に満ちた夢は、11世紀の終りに起こった最初のユダヤ人への襲撃に先立つものである。十字軍によるユダヤ人への猛攻の100年前に、R.シモン・イツァーク(R. Simon b. Yitzhak)は神に《あなたの剣を取ってゴイムを皆殺しにする》ように呼びかけている。彼らの破滅を急がせるために、欧州に住むユダヤの賢人たちはキリスト教徒とキリストに対して新たな恐るべき呪いの文句を採用し、過越の祭(Passover)やヨム・キップール(Yom Kippur:贖罪の祭)の典礼の中に導入した。それは2世紀にそこに組み込まれた呪いに付け加えられたものである。

 その「復讐のメシア」はキリスト教神学の中で実際には別の名前を持っている。彼は「反キリスト」と呼ばれる。キリスト教神学者たちはこの黙示録の登場人物の性質を詳しく探求しようとしてきた。ダマスカスの聖ヨハネ(St John the Damascene:7〜8世紀の人物)は、反キリストはキリスト教徒とキリストに敵対して、ユダヤ人の元にユダヤ人のために現れるだろう、と預言した。(ダマスカスの聖ヨハネはイスラムの友人であり、永遠のコーランに関するイスラムの教義をロゴスについてのキリスト教的な教えの形として解釈した。)教父たちは「反キリストの出現」をユダヤ教の一時的な勝利と見なした。10世紀にはビザンチンの聖アンドリュー(St Andrew the Byzantine)が、イスラエルの王国は再建されそれが反キリストにとっての飛躍台となるだろう、と預言した。このようにして、ユダヤ教とキリスト教の神学者たちは、彼らのメシアがテーゼとアンチ・テーゼ、つまりキリストと反キリストとしてお互いに敵対しあうことにおいて、一致しているのである。

 黙示録とイスラエルの親近性は米国にいる何百万人もの敬虔なキリスト教徒によって感じさせられる。彼らは反キリストの登場がキリスト再臨の前段階であると教えられている。しかし彼らは牧師たちによって誤誘導され、不合理な結論を描いて反キリストの側に立つことを決意している。彼らは次の言葉を忘れている。《人の子は己につきて録(しる)されたるごとく逝(い)くなり。されど、災いなるかな》反キリストの側につく者よ。
【訳注:新約聖書マタイ26−24:聖書では「されど、災いなるかな、人の子(=キリスト)を裏切る者よ」と述べられている。】

 ユダヤ人は反キリストではない。しかし「復讐のメシア」の思想は非常に危険なものだ。そしてそれは対決し論破すべきものである。それは、旧約や新約の手段を用いて、あるいは普遍的な人間的コンセプトを用いて為されることが可能だろう。そうしなければ、この思想は我々の論調に毒を盛ることになるだろう。

 V

 米国の満ち満ちた復讐心を米国のユダヤ(Jewry)のせいにするのは間違っているだろう。米国はそこに住むユダヤ人にとって特別なものであり、キリスト教徒たちは取りとめも無くまとまった「ユダヤ-キリスト教徒(Judeo-Christians)」、もっと正確に言えば「ユダヤ-アメリカ人(Judeo-Americans)」なのだ。彼らの大部分がキリストの精神をほとんど全くと言って良いほど持っていないからである。カール・マルクスはこのように言った。《キリスト教世界を覆うユダヤ精神の実質的支配は、北アメリカで二律背反的ではない完全な実現を成し遂げている。》

 多くの米国の公的な人士たちは、ユダヤ人も非ユダヤ人も、復讐を叫んでいる。

 【訳注:この文章は9・11事変の直後に書かれた。】

 《このような連中に対する取り扱いを始めるためのたった一つの方法がある。それは、たとえ直接に即座にはそのことに関わっていないとしても、その中の一部を殺さねばならない、ということなのだ。》[2]

 これは元国務長官のローレンス・イーグルバーガー(Lawrence Eagleburger)の言葉である。彼はドイツに対する要求(毎年30万ドル)のためのユダヤ人組織を率いている。

 《この想像を絶する21世紀のパール・ハーバーに対する返答は、それが即断できるほどに単純であるべきだ。クズ野郎どもを殺せ、である。両目の間に銃弾をぶち込み、やつらを木っ端微塵に吹き飛ばし、必要なら毒殺する。これらの虫ケラどもを飼っている都市や国については、それらを爆撃してバスケット・ボール・コートの大きさにバラバラにしてしまうこと。》

 こう語ったのはニューヨーク・ポスト紙のスティーヴ・ドンリーヴィー(Steve Donleavy)である[3]。リッチ・ロウリー(Rich Lowry)はワシントン・ポスト紙に書いた。

 《もし我々がダマスカスやテヘランの一部を平らにしてしまうなら、何かそのようなことなら何でもよいのだが、それは解決の一部分である[4]。》

 最も引用のしがいがあるのはアン・コウルター(Ann Coulter)のものだろう。彼女はワールド・ジューイッシュ・レビューの人気の高い著者であった。

 《この特別なテロ攻撃で直接に関与する正確な個々人の居所を完璧に突き止めているようなときではない。・・・。我々は彼らの国に侵攻し、そのリーダーを殺し、そして彼らをキリスト教徒に(!?)改宗させるべきだ。我々はヒトラーやその高官たちでさえ居所を突き止めて罰することに完璧さを求めてはいなかった。我々はドイツの都市を絨毯爆撃した。我々は民間人を殺した。あれは戦争だったのだ。そしてこれも戦争なのだ。》

 【訳注:コウルターは、ドレスデンなどのドイツの都市を空爆によって廃墟にしたのが「我々」つまりユダヤ人であったことを、うかつにも認めている。】

 この記事を書いたあと、彼女は正しくもその新聞社をクビになり、そしてネオコンのユダヤ雑誌Commentaryに席を置いている。

 米国の新聞に見えるこの復讐心に満ちた精神は、西側の論説の中では常軌を逸脱している。もしあなたがキリスト教やイスラム教の地にある文学を綿密に調べたなら、あなたは復讐が重要な本の主題としてはまれであることに気付くかもしれない。ニコライ・ゴーゴリ(Nikolai Gogol)は「恐るべき復讐」と呼ばれる中世風の短編を書き、プロスペル・メリメ(Prosper Merimee)はコルシカの盗賊に関する「コロンバ」という短編小説を書いた。お好きなように。英国人たちは復讐というものを非常に非英国的な傾向と見なした。確かにそれはクリケットとは違う。「復讐心に満ちた」というのは、あらゆるキリスト教やイスラム教の文化の中では否定的な言葉なのだ。対称的に、ユダヤ教の文化は復讐の観念で充満している。旧約聖書から真っ直ぐつながっているからである。それは新約聖書やコーランによる補正のためのフィルターを通さないのである。

 我々ユダヤ人が誰よりもよくそれを知っている。輝かしい米国ユダヤ人のジャーナリストであるジョン・サック(John Sack)はその「目には目を」の中でこれを記した。この本は、第2次世界大戦の後でドイツの一般市民に対して行われたユダヤ人の恐ろしい復讐に関する背筋の凍るような本である。この本は、拷問、「法の外での殺人」、集団毒殺、その他のホラーを告げているのだ。あなたはこの本を手にできないかもしれない。ユダヤ人支配者がその出版を抑え本屋から締め出すことに成功したからだ。

 驚くようなことではないが、イスラエルは日常の政策の中に復讐を導入している。パレスチナに対するイスラエルの攻撃は peulot tagmulと、つまり復讐の行動と呼ばれた。これらの行動の一つが、(後に首相となる)アリエル・シャロン将軍によって1953年10月14日に遂行された。その時に彼とその兵士たちはおよそ60名の農民、女性、子供をギビヤの村で殺害したのだ。1982年のレバノン侵攻は、そこで2万人ものレバノン人、パレスチナ人、キリスト教徒とイスラム教徒を殺したのだが、それはロンドンのイスラエル大使に対する殺害の試みに対する復讐の行動だったのである。最近のインティファーダの期間に、イスラエル・テロのあらゆる行動は、イスラエルと米国のユダヤ人所有(Jewish-owned)のメディアによって、「報復」あるいは「仕返し」と呼ばれた。

 【訳注:1953年のギビア村での虐殺に関しては次の文章を参照のこと。
 http://nilemedia.com/Columnists/Ahmed/2001/May/Nailing_Sharon.html

 このユダヤ人の復讐熱は厳しい大西洋の渡航にも生き抜いた。米国ユダヤ人はハリウッドを創出した。そしてハリウッドは復讐をそのメイン・テーマにしたのである。最近の「三銃士」のアメリカ再映画化では、ダルタニャンは復讐の精神で動かされている。そんなモチーフが原作やフランス映画ではほとんど表れないにも関わらずである。実際には、レイディー・ウインターの息子であるモードレッドは悪いやつで、彼が復讐の夢をあたためているのである。しかし新しいアメリカ映画にとっては、それはユダヤ系米国人によって作られたものだが、復讐は正当な感覚なのである。ある意味ではアメリカ映画はユダヤ人の集団的深層意識の表現であって、そしてそれがアメリカ的心理の創造における主要なファクターだったのだ。ハリウッドから、復讐に満ちた精神が地球の上にあふれ出た。そして間違いなく我々が今住んでいる世界を作り上げる補助となったのである。

 言い換えると、ユダヤの陰謀など何の必要もなかったのである。トライヤー・ラビ(Trier Rabbi)の孫であり、自身は教会の中で育ったカール・マルクスは、1840年代(!)には、米国が(人種的な意味でユダヤ人が一人でもいたのかどうか)「ユダヤ的」精神を持つ国になっていたことに、そして貪欲と不和の「ユダヤ的(Jewish)」イデオロギーを抱いていたことに気付いた。マルクスの弟子であるワーナー・ソンバート(Werner Sombart)は米国のユダヤ精神に関して類似の結論に達した。彼の意見によると米国はユダヤ人とともに育ちそのごく初期からユダヤ人に作られていたのだが。比較的未熟な米国はユダヤのメンタリティーの衝撃に耐えることができず、そしてユダヤ国家(Jewish State)、イスラエルの姉となったのである。

 このことは米国ユダヤ人の成功を説明する。「ユダヤ」国家で本物のユダヤ人がより成功しやすいことはまさに当然と言える。その突然の栄光と豊かさへの上昇を、のぼせ上がりと自画自賛の原因とすべきではない。他に求めるべきだ。偉大な米国の哲学者インマニュエル・ウォーラースタイン(Immanuel Wallerstein)の論理に沿うならば次のように言える。今の時代において物質的な成功は道徳的な欠損の印である。「成功」と富は神の恵みの印ではないのだ。いずれにせよ、貧乏人を祝福する神のものではない。泥棒の集団で成功する人間は神の目にかなうことはない。飢え死にしつつある何百万人もの人々と恵まれすぎる少数者のいる我々の世界は、不道徳的であり反キリスト教的である。ユダヤ-アメリカの「十字軍」と同じくらいに反キリスト教的である。

 この説明によって先に我々が掲げた疑問に答えることができる。米国のイスラエル支持は、イスラエル・ロビーのためなのだろうか、あるいは「米国企業の真の利益」のためであろうか? ドンピシャリの答はこうだ。ユダヤ・ロビーはイスラエル右翼の支持基盤が外にあふれ出たものであり、一方で米国は、結局は中東の外にも利害関係を持つより大きな「ユダヤの」国家なのである。

 この仮定は多くの疑問を説明し尽くす。それはイスラエル支持が驚くべき99%という投票結果であることを説明する。それはホロコースト博物館、ホロコースト研究、およびホロコースト映画を説明する。それは米国の生活でユダヤ人が中心になっていることを説明する。現在の米国は世界的な出来事を伝統的なユダヤの位置から見ているようにである。「それはユダヤ人にとって良いことなのか?」と。

 それはダーバンでの米国の退場を説明する。G.W.ブッシュは欧州や日本との軋轢など気にもかけずに京都条約を無視した。彼はその戦略兵器条約を破棄する一元的な決定でロシアと中国を困らせることに何の遠慮もしなかった。しかしここで彼は彼の主人の声を聞いたのである。アフリカとアジアへの激しい拒否、アフロ・アメリカン社会への侮辱的な拒絶、人種主義に対する偉大な戦いの拒否は、米国がイスラエルの姉妹国家となっているさらなる証拠である。
【訳注:これは当然のことながら、2001年9月、9・11直前に南アフリカのダーバンで開かれた世界人種差別撤廃会議で米国とイスラエルが途中退場したことに関するものである。参照: http://www.imadr.org/japan/interview/wcar.international-news1.htmlダーバン世界会議をめぐるニュース(日本語)】

 最近になって、ウラジミール・プーチン大統領は、ニューズウイークとのインタビューで、チェチェン人に対する攻撃を正当化しようとした[5]。彼は、チェチェンの指導者が「ユダヤ人の絶滅をおおっぴらに呼びかけた」と語って、アンチ・セミット(anti-Semite)の隊列に対する彼の戦いへの批判を追い払ったのである。現在、チェチェンにはユダヤ人はいない。そしてもしアンチ・セミティズム(anti-Semitism)が本来の意味の「反ユダヤ的(anti-Jewish)偏見や人種主義」を保つものであるとしたら、チェチェン人指導者のユダヤ人に対する見解は不適切である。我々が他の所で議論したように[6]、もはやこのような形ではアンチ・セミティズムは存在していない。しかし今やその言葉は新しい意味合いを持っている。それはマッカーシー時代の「反アメリカ主義」に、あるいはブレジネフのソ連での「反ソヴィエト」に相当するものになってきたのだ。

 米国人たちはユダヤ人に対する忠誠心を問われていると感じるときにはいつでも緊張し縮こまる。米国であろうがどこであろうが、新しい米国のパラダイムを拒否する者は、誰であろうが定義どおりのアンチ・セミットなのだ。これが、ユダヤ起源の善良な者達――ノーム・チョムスキーでもウッディ・アレンでも、聖パウロでもカール・マルクスでも――「アンチ・セミティズム」と呼ばれる理由なのだ。彼らはいつもユダヤ人社会から拒絶される。しかし彼らの名前は彼らが攻撃した構造を守るために利用されるのだ。

 ユダヤ人社会に対する攻撃を人種主義の一形態と見なすことはできない。通常の人種主義は極めて簡単に許されるからだ。もしそれがアラブ人(ユダヤ人の新しい敵)や黒人(ユダヤ人の旧敵)に対して向けられるものならば特にそうである。それは「不敬罪」として取り扱われるのである。ソヴィエト連邦でユダヤ人の権力が上昇した時期(1917〜1937)には、人々は反ユダヤ主義の非難を受けると銃殺された。ストラスブールのマンフレッド・ストリッカー(Manfred Stricker)はその地の大学をシュヴァイツァー博士にちなんで名前を付けるキャンペーンを行ったが、その一方でユダヤ人社会はその都市とほとんど縁の無いユダヤ人学者の名前を好んだ。結果として、マンフレッド・ストリッカーは6ヶ月の懲役刑に処せられたのだ。アレキサンダー・キャンセラー(Alexander Chancellor)はガーディアンに(“It is not Black and White”という見出しをつける約束で)オランダの右翼主義者の殺人について書いた。そう、彼はイスラム教徒たちの敵だったが、彼はユダヤ人たちとはうまくやっていた。そしてそれゆえに彼は悪いやつではなかったのである。

 ハーヴァードやエモリィなどのアイヴィー・リーグの大学で学生に語ったときに、私は、彼らが「アーノルド・トインビー(Arnold Toynbee)」の名を知らないことに気が付いた。この英国最大の20世紀の歴史哲学者は一つの間違いをしでかしたのだ。彼はパレスチナ人の悲劇について語ったのである。彼はまたアフリカ人の奴隷をユダヤ人のホロコーストに匹敵する悲劇として引用した。結局、彼は米国人の意識から消され姿を消した。G.K.チェスタートン(Chesterton)によって書かれたノンフィクションを米国や英国の本屋で探すことは決して不可能というわけでもない。この素晴らしいエッセイストは書店でほとんど存在しない「キリスト教部門」であると見なされ、彼の数少ない再版本が「悪い教皇」と「ラビ・イエス」の間に挟まれている。

 この言論界における影響は、米国の(そして欧州の)知識人の従順さを説明している。ユダヤ-アメリカ国家の中で、ユダヤ人たちはその「教会」を、その思想的な支配体制を形作る。一人の知識人にとって、アンチ・セミットと呼ばれるよりは小児性愛者と呼ばれる方がまだましなのだ。

 【脚注:注釈箇所についての著者からの補足】

[1] Publisher: Alma/Am Oved, Tel Aviv, 2000, ISBN 965-13-1428-1,
English translation http://www.ucpress.edu/books/pages/8335.html or cheaper: from Barnes and Noble http://search.barnesandnoble.com/booksearch/isbnInquiry.asp?z=y&endeca=1&isbn=0520217667&itm=1
[2] CNN, 9/11/01
[3] 9/12/01
[4] --Rich Lowry, National Review editor, to Howard Kurtz (Washington Post, 9/13/01)
http://nilemedia.com/Columnists/Ahmed/2001/May/Nailing_Sharon.html
Nailing Sharon for Qibya will bring peace By Ahmed Amr 5/31/2001
[5] 2.7.01
[6] The Third Dove


 『米国:あるユダヤ国家』(イズラエル・シャミール著)全文和訳、第2回

 これは次の拙稿の続きです。(4回シリーズの第2回)
 http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/296.html
 『米国:あるユダヤ国家』(イズラエル・シャミール著)全文和訳、第1回

 この文章はイズラエル・シャミールによる、2001年秋、9・11事変直後の作品です。

 原文Url http://www.israelshamir.net/English/Medina.htm

 [1],[2]などは原作者がつけた注釈ナンバーです。その他の私からの注釈は【訳注: 】の形で訳文の中にはめ込んでおきます。またこの文章の中には、日本語ではその違いやニュアンスが非常に翻訳しづらいJew, Jews, Jewish, Jewry, Judeo-, Judaismなどが多く出てきます。普通に「ユダヤ人」と訳す場合はa Jew や(the) Jews、また形容詞的に「ユダヤの」「ユダヤ人の」はJewishですが、紛らわしい場合には原文を添えておきます。

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 IV

 米国はユダヤ-キリスト教国家(a Judeo-Christian state)になったのだが、ユダヤ人、イスラエルそして米国の三角関係の中で《誰が誰を支配しているのか》という問題は単純なものではない。この3名の人間ドラマはバーミューダのそれよりも不可思議で間違いなくずっと危険な三角形を形作る。半年前に、ある怪しげな情報源が、シャロンが閣議で次のように語ったと伝えた。「米国については心配するな。そこは我々のコントロールの下にある」。この言葉は否定されたのだが、しかし、パレスチナの反乱が急激にヨシュア・スタイルの絶滅作戦に転化していく間に、その一方で米国は「テロに対する戦争を支持している」のだ。疑念は膨らむ。

 「ユダヤ民族("the Jewish People")」(あるいはユダヤJewry、またはユダヤ人The Jews)として知られる共同体的実体の存在自体がたびたび否定される。200年ほど前にはユダヤ(Jewry)はフランスや教会と同じくらいに明確な形で存在していた。我々の先祖はこの超地上的な国家のメンバーだったのだ。それは一つの権威主義的な擬似犯罪集団(semi-criminal order)であり、富豪やラビたちによって運営されていた。その指導部であるKahal(ヘブライ語で共同体)が重要な決定を行い、普通のユダヤ人(Jews)は彼らの指示に従った。その指導部は、ちょうどあらゆる封建領主がそうだったように、ユダヤ人の生命と財産を奪い取ることができた。ゲットーの壁の中には意見の自由は存在しなかった。反抗的なユダヤ人は死をもって罰せられた。解放の時代がやってきたとき、Kahalの権力は内と外から打ち破られた。ユダヤ人たちは自由になりそれぞれの国で国民となったのだ。

 現在、ヨセフを知らない新しい世代のユダヤ人が現れてきている。長年の言い訳がましい洗脳によって、彼らは、どうして我々の父祖たちがユダヤ共同体の鉄の壁を破りたいと望んだのかの理由を忘れさせられた。ユダヤの概念(the notion of Jewry)は未解決の点となっている。我々ユダヤ人(Jews)の子孫は、我々が住む国の国民なのか、それともユダヤ族(the Jewish People)の国民なのか? 「ユダヤ(Jewry)」はあらゆる国家が存在するのと同様に存在しているのか、あるいは単に言葉のあやに過ぎないのか?

 ここにパラドクスがある。ユダヤ人の(Jewish)指導者はユダヤ(Jewry)をステルス・ジェット機のようであるように望んでいる。あるときあなたはそれを見るが次の瞬間には見えない。爆撃を受けるときにどこにも高射砲は無い。彼らは言う。「それはヒトラーが言ったことだ」、あるいは「それはあの偽書であるユダヤ長老の議定書の作者が発明したものだ」と。そして彼らはイスラエルの建国宣言にもまたそれが書かれていることを言い忘れる。イスラエルは実際に「ユダヤ民族の国家(the State of the Jewish People)」として描かれている。そしてそれが、目に見える(そして国境線に囲まれた領地を持つ)ユダヤ(Jewry)の部分として不相応な注意と影響を引き付けている理由なのだ。それが、テル・アヴィヴの大使としての地位が各国の外交官としてのキャリアにとって最も高く最も望ましいものであることの理由となっている。「ユダヤ民族(the Jewish People)」というコンセプトは国際法の中でユニークな認識を受けた。それはユダヤ民族(the Jewish People)が1950年と1991年に、現在のドイツによって遺言の無いユダヤ人たちの残余資産の受取人であると宣言されたときだった。イスラエルの刑法は、ユダヤ人個人、その健康、生命、財産および尊厳に敵対する行為を行った地球上に住むあらゆる人間を裁いて罰することを許可している。たとえそのユダヤ人がイスラエル国家と何らの関係も持たない場合でも同様である。

 我々は解放された世代のユダヤ人の両親を持つ者達だが、その我々が誰よりも驚いている。ユダヤ(Jewry)の奇跡的な復活に対して何の準備も無かったのだ。つい最近にそれは消え去ったばかり、実際に死刑を宣告されて、そして我々は自らを自由な人間と見なすようになったばかりなのだ。我々の生きている時代に、物事は根本的に変わってしまった。現在、我々はこの実体に忠実であることを宣言するように呼びかけられている。あるいは追放と屈辱、またはもっと悪い運命に悩むのか、である。ユダヤ(Jewry:どうかこの言葉を数百万人の中世ユダヤ人の子孫と混同しないでもらいたいのだが)は世界政治にその場を回復させ、唯一の超権力である米国の精神を征服したのである。

 イサァク・ドイチャーはユダヤ人のマルクス主義者でトロツキーの伝記作家なのだが、この現象に気付いたほとんど最初のユダヤ人であった。彼は「誰がユダヤ人か(Who is a Jew:出版the Jewish Quarterly, London 1966)」の中で、ユダヤ人(Jews)とユダヤ(Jewry)を区別するように提案した。ユダヤ人(Jews)が様々な意見と生き方を持つ個人である一方で、ユダヤ(Jewry)は国家機関に準ずるもの(a quasi-national body)であり独自の指導部とアジェンダを持っている。彼の意見では、ユダヤ(Jewry)は姿を消しつつあったが、第2次世界大戦の灰の中から「ユダヤ(Jewry)のフェニックスが起き上がった」のである。「私はユダヤ人(Jews)が生き残ってユダヤ(Jewry)は死んでもらいたかった。」と彼は書いたのだが、「ユダヤ人の絶滅がユダヤに新しい寿命を与えたのだ」。

よみがえったユダヤ(Jewry)の自己推薦による指導部は、超富豪のマモン崇拝者【訳注:マモンは貨幣の神】たちとつながりを作り権力の絶頂を成し遂げた。彼らはそのカルトと反対者の欠如に酔いしれている。彼らは戦争犯罪人シャロンを支持するが、彼を余りにも弱いとみなす。彼らは米国の超タカ派であるポール・ウォルフォヴィッツをも不満に思った。イスラエルの政治家たちは誰でもこれを知っていて気にかける。米国にもどこにでもパレスチナでの終りの無い戦争を望むユダヤ人権力者たちがいる。彼らは第2次世界大戦にロシアと米国の軍隊によって救いがもたらされたことを理解している。それはキリスト教世界に対する彼らの個人的な勝利として、またユダヤ(Jewry)の新たな世界的超権力の時代の印としてであり、それはタルムードとカバラの教えの中で約束されていたものである。

 イサァク・ドイチャーはイスラエルにおける変化を彼らの影響であるとする。

《富豪の米国ユダヤ人は、ニューヨーク、フィラデルフィア、あるいはデトロイトで、キリスト教徒である仲間や友人たちに混じる「世界的な資本家」なのだが、心の中で『選ばれた民』のメンバーであることを誇っている。そしてイスラエルでは彼は宗教的な反啓蒙化と反動に都合よく影響力を行使する。彼は種族的・タルムード的な排他主義と優越性の精神を生かし続ける。それがアラブ人に向かっての敵対心を養い増殖させるのだ。》[7]

この「富豪のユダヤ人」が遠く離れたイスラエルだけに影響を与えるとするのは奇妙だろう。彼の影響力はむしろ自分の国、米国の中でより強いのである。そこで彼は同じ『種族的・タルムード的な排他主義と優越性』の思想を、アメリカの「ユダヤの(Jewish)」精神と十分に調和させて、推し進めるのだ。

 これらの富豪たちはパレスチナの土地など必要としない。彼らがイスラエルに移住してブドウ畑で働くことはない。彼らはイスラエルとその国民を、世界規模のゲームの中で取替えの効く道具として利用する。彼らはキリスト教徒たちの同情を弱さの印であると誤解する。彼らは彼らの親愛の情を服従であると誤解する。ネズミをくわえた猫のように、彼らはキリスト教が終に死んでしまうときを、それが反応をやめてしまうかどうかを、チェックするために生誕教会で賭けをする。同時に、彼らはエルサレムのモスクを脅かし、そして米軍の巡行ミサイルをバグダッドに導く。キリスト教とユダヤ教の代りに、彼らは新たな信仰を導入する。彼らは十字架の地位をホロコーストに置き換え、キリストの復活をイスラエル国家の創設で置き換える。彼らにとっては、キリスト教徒とイスラム教徒の聖地に対するユダヤのコントロールが、彼らの支配の目に見える証拠なのだ。両者の破壊が全面勝利のサインなのかもしれない。ある意味で彼らは正しい。一つの社会はその神聖な価値を失えば滅亡に追いやられるだろう。

 多くのユダヤ人とユダヤ人の子孫たちはユダヤ(Jewry)の観念に脅かされている。彼らは通常は「十把一絡げなとらえ方」や「民族全体に対する非難」つまり「ヘイト・モンガー」に反対する。最初のうち私は彼らの反応にびっくりした。後になって私は彼らの反応が他の人々によっても同様に使うことができるくらいに良いものであると思った。良いものを打ち捨てるのは残念である。例を挙げよう。

−あなたはどうしてアメリカ人が広島に原爆を落としたなどと言うのだ? 私はアメリカ人だが私は広島に原爆を落とさなかった。
−あなたは「イギリス人がインドを支配した」という。ナンセンスだ! 私はインドを支配しなかった何百人もの貧しいイギリス人を知っている。
−あなたはアルジェリアの解放を求めている。これは反フランス主義だ! 本当に違いがあるのはフランス人とアルジェリア現地人の間にではなく、文明かされた人々とイスラムの過激主義の間だ。
−ロシアの帝国主義政策? それはロシア人たちへの嫌悪を引き起こす人種主義的な難癖付けだ。

 たぶんあなたはこれが馬鹿げているというように受け取るだろう。ポリシーはエリートたちによって考案され、多かれ少なかれ意識的な多数派によって実行され、アウトサイダーはその結果に苦しむ。ユダヤ(Jewry)は他のあらゆる国家や国際企業と変わるものではない。ユダヤの指導部はポリシーを持っておりそれを変更できる。当然、普通のユダヤ人たちはそれに従うことも拒否することもできる。


VI

 このことはそれほど機密情報とは思えないが、あなたはあまりこれを大声で言うべきではないだろう。ユダヤの指導階層はブッシュに自分たちを「叔父さん(uncle)」と言うように命令することができるし彼はそれに従うだろう。これはフランス語で言うところの「a Polichinelle secret【訳注:公然の秘密、とでも訳すべきか?】」である。世界の他の場所は、極東から北欧に至るまで、これを十分に知っている。そして時として不注意な首相か議会の演説者がつぶやいてしまう。米国議会は常にそのような危機を切り抜け、そしてその攻撃者のつぶやきに対する強烈な反論を行う。ちょうど飲み友達の前では女房の怒りが怖いことを認めようとしない恐妻家のように。

 あなたは、米国がアフリカ人、WASPs、フリーメーソン、あるいは灰色のエイリアンによって動かされている、と言うことができるし、それに対して何の反応も起きないだろう。あなたはこの地が企業群、スタンダード・オイル、そしてボーイングによって調整を受けていると言うこともできるが、誰もそれには反対しないだろう。しかし一言でも「ユダヤ人が米国を動かしている」と言ったが最後、あなたは大変なトラブルに放り込まれることになる。さてそれでは、実際に米国でのユダヤ人はどのような地位にいるのだろうか?

 これはいろんな方法で描くことができる。彼らは新しいユダヤ-アメリカ的信仰の教会(つまり思想的装置)を代表する。彼らは米国のバラモン階級【訳注:インドのカースト制度で最高位の司祭・僧侶カースト】である。彼らは、もし支配的少数種族でないというのなら、むしろ極めて卓越したものと呼んでもよい。この点は奇妙に聞こえるかもしれないがしかし唯一というわけではない。つい最近まで英国はイートン卒業生の小さなカーストによって運営されていた。どんなユダヤ人と比べてもひけをとらぬほど排他主義的で、彼らは自分たちのグループ内で婚姻関係を結ぶことすらした。

 これが、どうしてパウエルとブッシュがシャロンに命令を下すことができないし、しようとしないのか、の理由である。彼らは何らかの自由な役割を持っている。ただし、ユダヤ民族(the Jewish People)が2つの心を持っている限り――その単一の実体がまだ自分の欲するものを決めていないうち――なのだが。今や、明らかにそのユダヤ人たち(the Jews)(ユダヤ人(Jews)に対抗するものとしての)が一つの共通意思、単一の目的と権力への意識によってまとまっている。権力中毒と統一性がこの用心深い民族の仮面を落とさせ、見せ掛けの素振りをやめさせているのだ。この新しい開けっぴろげさが、ユダヤ人たちの精神とその貨幣神崇拝者(Mammonite supporters)に対する前例の無い洞察を我々に提供するのである。

本物の言論人であるシカゴ・トリビューンのロン・グロスマンは次のように書いた[8]。『自称ヒューマニストとして、私は、戦車が都市を、それが誰の都市であろうとも、蹂躙するという考えから来る恐怖に震え上がってしまう。私の頭は、ベツレヘムとラマラでの市街戦(というより虐殺)のテレビ映像に悲しみで垂れ下がってしまう。しかしちょっと言いたいことがある。講義も説教もしないでくれ。我々の善意に訴えかけることはもう水に流してくれ。』

そう、彼らの善意に訴えかけることは水に流してくれ。彼らが善意など何も持っていないからである。「より良い奴隷」は単なる装置だった。そして今、彼らの本当の奴隷たちはそのあらゆる残忍な権力の中に現れているのだ。


VII

 映画の台本に話を移し、この分野からBBCによって提供されるいくつかのスナップ・ショットを交互に出すこととしよう。パレスチナでは、UNRWA 【注記:United Nations Relief and Works Agency for Palestine Refugees in the Near East】の主任であるピーター・ハンセン(Peter Hansen)がこう語った。『我々は全くの恐怖についての報告を手にしています。ヘリコプターが一般市民の居住地区を砲撃しています。戦車によっての組織的な砲撃が何百人もの負傷者を作り出しました。ブルドーザーは難民の家を倒壊させ、食料と医薬品はじきに尽き果てるでしょう。』数十名分もの死体がジェニン難民キャンプの通りに横たわっている。生誕教会は火に包まれている。614年にそうであったように。

 その一方で、何万人ものユダヤ人たちがニューヨークに集まってイスラエルによるパレスチナ人虐殺への支持を見せ付けている。15万人のユダヤ人デモ隊がパリの通りを占領してイスラエルへの連帯を表している。イスラエルの旗をひらめかせ彼らの国旗の色である青と白に身を包み(三色旗は投げ捨てられ忘れられている)、デモ隊は共和国広場からパリのバスティーユ広場まで行進した。フランス語とヘブライ語で歌いながら「昨日はニューヨーク、今日はエルサレム、明日はパリ」と読めるプラカードを掲げていた。

 イスラエルでは、『この首相のように大部分のイスラエル人の熱望を実現させる者は誰一人いない。これは「戦争屋」シャロンによって起こされた戦争ではない。これは我々全員の戦争なのだ。』と、心と自覚のある人物、ギデオン・レヴィ(Gideon Levy)【訳注:イスラエルの日刊紙HAARETZの論説委員で、シャミールの元同僚である】が書いている。『イスラエル人の大部分にによって与えられた圧倒的支持を考えると、シャロンをこの戦争の結果によって非難することもまた非常に難しいだろう。およそ3万人の人間が一個の人間としての義務感に駆り立てられて報告を行い、無関係な容疑で刑務所にいる21名の兵役拒否者と共に、戦争反対運動を起こしている。保守主義者たちは「我々は理由を問わなかった。我々はただ集まって来ただけだ。」と首相に語った。このような時期のイスラエルを特徴付ける症状である『みんないっしょに』を表現しながらである。何万人もの人間がその故郷を離れ普通の生活を捨て去り、そして殺し殺されるために配置された。そうして彼らは「なぜ?」と問うことすらしない。これは群れの行動なのだ。』結論を出したようだね、レヴィ。

 レヴィは思い違いをさせられているようだ。この巨大な粘結力とずうずうしいまでの自民族中心主義こそが本当のユダヤ(Jewry)の強さなのだ。たとえば、マーク・スタイン(Mark Steyn)という男がナショナル・ポストに書いている。『あらゆる文明化された民族はユダヤ人を殺すことは悪いということに同意する。』(「殺すこと」が悪い、というのではないのだ。それならパレスチナ人を殺すことは悪いということになってしまう。ひとえに「ユダヤ人を殺すこと」だけが悪いのである。このアプローチは十戒のユダヤ的解釈に基づいている。「汝ユダヤ人を殺すなかれ」なのだ。キリスト教徒の「汝殺すなかれ」ではない。)

 デイヴィッド・D.パールムッター教授はLAタイムズに書いている[9]。『私は白日夢を見る――こうであってくれさえすれば! もし、1948年、1956年、1967年あるいは1973年にイスラエルがほんの少しだけ第三帝国のようにふるまったとしても、現在は、イスラエル人たちはピザを売ったり食べたりし、楽しみ、そして聖日を心置きなく楽しんでいる、というような。そしてもちろん、シーク教徒たちではなくユダヤ人たちが湾岸の石油を手にしている、というような。そのような白日夢は教育システムから注意深く取り去るべきである。ナチスを再建させないために。だが心配は無用だ! ユダヤ-ナチズム(Judeo-Nazism)は米国では勝利のイデオロギーなのだ。
 もし英国の週刊誌スペクテイターの俗物タキ(Taki)が次のような新しいユダヤ人の熱意と一本気に関する逸話的な事象を広めてくれるのなら愉快なのだろうが。『復活祭の日曜日、昼食をとっている最中に、イスラエルで最も金持ちの女性であるイリット・ランド[10]が、急に私の家に飛び込んできて、アダム・シャピロについて私の友人たちと家族に向かって熱弁をふるい始めた。彼女が私の妻の古い友人で昼食後に立ち寄るように招待されていたにもかかわらず、私は非常に気分を害した。私はイリットに、私の家はイスラエルの占領地にあるのではない、そして今日は復活祭だ、と念を押した。すると、パレスチナ人たちの苦境について私がどのように感じているのか分かったと見えて、彼女は話題を変えた。彼女がその代わりに主題としたことは、新聞を開き、彼らがどのように憎たらしい裏切り者のアダム・シャピロを宣伝しているか、ということだった。』
【訳注:アダム・シャピロはニューヨーク出身のユダヤ人で、親パレスチナ団体である国際連帯運動(ISM)の創始者の一人】

 アダム・シャピロのような少数のユダヤ出身の異端者がますます隅に追いやられつつある一方で、塊となったユダヤ人たちがシャロンとイスラエルを支持するために再結集している。米国の高官たちはその指示のままになるしか選択の余地が無い。米国のキリスト教徒たちはその点をはるか昔に了解した。もしあなたが政治やメディアの中でキャリアを積もうと思うのなら、あなたはひたむきにユダヤ人を支持しなければならないのだ。さもなければあなたは、気が付いたときには犬に投げ与えられているだろう。もし一人の人間が米国権力の高い階級への道を見つけたというのなら、彼は引き上げてくれるロープについて学びそして彼の力の限界を知っているわけである。


VIII

ネイションのエリック・アルターマン(Eric Alterman)は無制限にイスラエルを支持する知識人のリストを公表した。これはエキサイティングな読み物である。

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[反射的にそして無条件にイスラエルを支持すると判断できるコラムニストとコメンタイター]
【訳注:以下このリストは原文のまま取り上げる。各行で最初に人物名があり続いて契約している新聞や雑誌名が続く。】

George Will, The Washington Post, Newsweek and ABC News
William Safire, The New York Times
A.M. Rosenthal, The New York Daily News, formerly Executive Editor of and later columnist for, The New York Times,
Charles Krauthammer, The Washington Post, PBS, Time, and The Weekly Standard, formerly of the New Republic.
Michael Kelly, The Washington Post, The Atlantic Monthly, National Journal, and MSNBC.com, formerly of The New Republic and The New Yorker.
Lally Weymouth, The Washington Post and Newsweek
Martin Peretz, The New Republic,
Daniel Pipes, The New York Post
Andrea Peyser, The New York Post
Dick Morris, The New York Post
Lawrence Kaplan, The New Republic
William Bennett, CNN
William Kristol, The Washington Post, the Weekly Standard, Fox News, formerly of ABC News
Robert Kagan, The Washington Post and The Weekly Standard,
Mortimer Zuckerman, US News and World Report (Zuckerman is also Chairman of Conference of Presidents of Major American Jewish Organizations ).
David Gelertner, The Weekly Standard
John Podhoretz, The New York Post and The Weekly Standard
Mona Charen, The Washington Times
Morton Kondracke, Roll Call, Fox News formerly of The McLaughlin Group, The New Republic and PBS
Fred Barnes, The Weekly Standard, Fox News, formerly of The New Republic, The McLaughlin Group, and The Baltimore Sun
Sid Zion, The New York Post, The New York Daily News,
Yossi Klein Halevi The New Republic,
Sidney Zion, The New York Post, formerly of The New York Daily News
Norman Podhoretz, Commentary,
Jonah Goldberg, National Review and CNN
Laura Ingram, CNN, formerly of MSNBC and CBS News
Jeff Jacoby, The Boston Globe
Rich Lowry, National Review
Andrew Sullivan, The New Republic
Seth Lipsky, The Wall Street Journal and The New York Sun, formerly of the Jewish Forward
Irving Kristol, The Public Interest, The National Interest and The Wall Street Journal Editorial Page
Chris Matthews, MSNBC Allan Keyes, MSNBC, WorldNetDaily.com
Brit Hume, Fox News
John Leo, US News and World Report
Robert Bartley, The Wall Street Journal Editorial Page
John Fund, The Wall Street Journal Opinion Journal, formerly of The Wall Street Journal Editorial Page
Peggy Noonan, The Wall Street Journal Editorial Page,
Ben Wattenberg, The Washington Times, PBS
Tony Snow, Washington Times and Fox News
Lawrence Kudlow, National Review and CNBC
Alan Dershowitz, Boston Herald, Washington Times
David Horowitz, Frontpage.com
Jacob Heilbrun, The Los Angeles Times
Thomas Sowell, Washington Times
Frank Gaffney Jr, Washington Times
Emmett Tyrell, American Spectator and New York Sun
Cal Thomas, Washington Times
Oliver North, Washington Times and Fox News, formerly of MSNBC
Michael Ledeen, Jewish World Review
William F. Buckley, National Review
Bill O'Reilly, Fox News
Paul Greenberg, Arkansas Democrat-Gazette,
L. Brent Bozell, Washington Times
Todd Lindberg, Washington Times
Michael Barone, US News and World Report and The McLaughlin Group
Ann Coulter, Human Events,
Linda Chavez, Creators Syndicate
Cathy Young, Reason Magazine
Uri Dan, New York Post
Dr. Laura Schlessinger, morality maven
Rush Limbaugh, radio host.

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 『おそらく最も興味深いものはイスラエルを反射的にそして無条件に支持する非ユダヤ人の長いリストだろう。』――このようにカリフォルニア州立大学のケヴィン・マクドナルド(Kevin McDonald)教授は書いた[11]――『イスラエルに対する無条件の支持は米国の主要メディアによって受け入れられる決定的なリトマス・テストである。有望な知識人たちはイスラエル(そしておそらく他のユダヤ人関連の事柄)への献身を示すことによって「業績を上げる」のだ。個々人の態度の結果としてのある種の巨大な選抜要因が無い場合にはこのイスラエルに対する大変な偏りを説明することは困難に思える。そして、このリストに挙げられたユダヤ人は人種的な俳優たちと見なされなければならないが、その一方で、非ユダヤ人たちは間違いなくその地位を手に入れるのに非常に上手な実績作りを行っているだろう。この有力なオピニオン・メーカーに対するリトマス・テストは、ジョー・ソブラン(Joe Sobran)が、米国の外交政策は「何がイスラエルにとって最良なのか」によって検討されるべきものではないと無謀にも示唆したために、ナショナル・レヴューをクビになった事実によってもさらに明らかになるものである。』

 この立身出世主義者たちは米国国民の利益を無視する能力によって選び抜かれたのである。エリートの構成と態度を計るための良い指標はアイヴィー・リーグの大学に入学を許される者たちの中で発見できる。伝統的な米国エリート、つまりWASPが占める割合は85%から35%に縮んでおり、一方でユダヤ人(人口の2%)の割合はすでに40%に届いている。言い換えると、非ユダヤ人がエリートの中で地位を見出すチャンスは大幅に減っているのである。

 このようにして、長期間の選抜過程の後に、親ユダヤ勢力が米国の中で権力と影響力を持つ地位に上ってきたのだ。このすべては次のように告げる。米国はそのイデオロギーの効力によって、ネオ・ユダヤ国家(Neo-Jewish state)になるように、ほとんど運命付けられている。アンソニー・ジャッジ(Anthony Judge)は次のように書いた。『「神が所有する国」としての米国の異常な排他主義的な見解と、「選ばれた民」への神の贈り物としてのイスラエルのそれとの間には、一つの尋常ならざる相似性が存在する。こういった見解が多国の土地に侵入し、現地人たちを追い出し殺し、‘居留地’に閉じ込め、他の文化のある空間に「西欧文明」を拡張させるための戦略的枠組みを発達させるのか、一体なぜだろうか?

 米国の創設者であるピルグリム・ファーザーたちは、自らを新しいイスラエル(a New Israel)と呼んだ。ところがサタンはそのWASPの子孫たちと残酷な取引を行った。彼は彼らを新しいユダヤ人とすることを約束し、そして自らの約束を良いものとしたのである。しかしながら、彼らはユダヤ-貨幣崇拝者同盟(the Judeo-Mammonite alliance)の中でマイナーなパートナーとなってしまい、日々その忠誠を誓うように運命付けられてしまったのである。


【以下、ここまでの作者による注釈】

[7] The Israeli-Arab War, June 1967, New Left Review, 23.6.67
[8] http://www.chicagotribune.com/news/opinion/perspective/chi-0204070422apr07.s
[9] April 7, 2002
[10] I normalised the spelling of her name. Taki the snob had to spell quite an ordinary Jewish name Landoi (var. Landau) in the French way.
[11] in private communication to the author





(私論.私見)