第3章、ユダヤ鏡

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「ユダヤ鏡」と題して、ユダヤの民の信仰の狂気、悪魔性が縷々明らかにされている。我々はこれをどう評するべきだろうか。


V ユダヤ鏡

 ユダヤ四千年の歴史と現代に於けるユダヤの動きとを知るためにはユダヤ魂の本質を見ることが必要であるが、そのためにはユダヤ聖典乃至ユダヤ法典に就くことの必須であることは、既に本書の第一部(特にその二)で説いた通りである。而して我々は、この要求に応ずるために、既に「ユダヤの世界支配綱領」(東京市麹町區内幸町幸ビル政經書店發行)に於てこの種の材料を相当量に提供したのであった。本書の以下の部分に收載するものは、該書を補遺する目的にて新たに訳出された材料であるが、これのみからもユダヤ魂の本質の大綱は明らかになるであらう。なお「タルムード」に関しては、その注目すべき部分の集成の翻訳が近く本書肆から出される予定となっていることをここに予告しておきたい。

 一、シュルハン・アルフ(Schulchan aruch)・・「用意の出來た食卓」・・


 第一卷 生存の途

 厠に行かば、祝祷を唱うべし、坐するまで衣を脱ぐべからず。石片あるいは木片にて〇〇を探り刺激すべし。但し之は坐する前に行うべし。然らずば妖術にかかる恐れあるべし。東西の間にて排便をなすべからず。但し排尿は東西の間にてなすも差支えなし。東区の間にて××をなすべからず。野原の垣の蔭にて排尿するはよろし。急ぎて坐しあるいはりきむことなかれ。〇〇を右手にて淨め、あるいは陶器片にて淨むべからず。立ちて放尿すべからず。ォに注ぐことなからんためなり。排尿の際〇〇の下部以外に觸るべからず。〇〇の無益に失わるることなき爲なり。排尿に際し××を以て助くるも差支えなし。厠に行く事を我慢する者は誠を侮れるなり。
 次の人々は手を洗うべきなり。即ち、床より起上りし者、厠あるいは浴室より出で来たりし者、爪を切りし者、髮を刈りし者、靴を履きし者、身体に止れる蟲に觸れあるいは衣服の蟲を除ける者、頭髮を櫛けづる者、身体の通常蔽れたる個所に觸れし者、墓所より出で来たりし者、死者と同じ屋根の下に在りし者、瀉血療法を受けし者等これなり。

 かかる事を爲して手を洗わざる者は、彼若し学者ならば学びし事を忘るべし。もし学者ならずば狂気てなるべし。瀉血法を受けて手を洗わざる者は、7日間絶えず恐怖に襲わるべし。髮を苅りし後は3日間、爪を切りし後は1日間かくなるべし。顏を洗いてよく乾かさざる者は、顏の皮膚に疥癬を生ずべし。
 厠より出で来たりし時は次の祝祷を唱うべし。「人間に智恵を與えまた孔を與えて創造せる神を讚えまつる」と。
 朝早く総附祷衣を着たる後は経筒を持つべし。この経筒は「汝聴け」の祈及び朝祷を唱うる間携うべし。経筒は羊皮紙の袋に入れ、この袋には次の聖句を記すべし。即ち、エジプト記13の2と10、エジプト記13の11と16、申命記6の4と9、申命記11の13と21。経筒を携うる事を守らば、その報は大なるべし。これを守らざる者は罪あるイスラエル人なり。経筒は本来終日携うべきなれど、かくなすには上よりも下よりも風気の気味無き淨き身体なるを要す。総(Zizith)なる語はその字母の現はす数に従い数うれば600となる。これに総の糸の数と結び目の数5を加えれば613となり、トーラ(旧約聖書の最初の5卷)の誡律禁令の全数に等し。
 早朝唱うべき祝祷は、今日に於ては(ユダヤ)教会堂に於て唱う。総てのイスラエル人は日々少なくとも106の祝祷を唱へざるべからず。かってダビデ王の治世に日々百人のイスラエル人死したるも、人その原因を知らざりき。終にダヒデ、聖靈の御告により、総てのイスラエル人は日々百の讚祷を唱うべき事を知りたり。また総てのイスラエル人は日々次の如き祷句を唱ふべし、「永遠者にして我らの神なる万物の主よ。汝、我らを非ユダヤ人として創り給わず、奴隸として創り給わず、女とても創り給わざりしにより、我ら汝を讚え奉る」と。

 然れども「汝は我らをユダヤ人として創り給いしにより」と附け加うべからず。その故は、かってタルムード学者等或る大集会に於て、人間の創造せられしはよき事なりや否やを議し、人間は創られざりし方更によかりしならんと決議したればなり。その理由は、人間には総ての掟を守る事不可能なるのみならず、罰を免るることもまた不可能なればなり。

 祈祷する際には人糞より四エレルを隔てざるべからず。祈祷する人悪臭を出だせる時は、臭気消え去るまで祈祷又は学習を続くべからず。隣人の時も同樣なり。便器は厠の如く見做すべし。女の身体の通常蔽れたる個所にして拳の幅程も露出せる時は、裸体と見做すべし。また女の歌声も同樣と見做すべし。

 カヂス祷。之はユダヤ人の甚だ尊重するところの祈祷なり。これを唱うる際には兩足を一つの足の外見を呈する如く揃へざるべからず。「聖にして尊く栄光に滿てる」の句を唱うる時、身体と踵を高く挙ぐるなり。この祈祷はカルデア語にて唱えらる。その故は、タルムードに教える如く、イスラエル人その始唱者の言葉に應じて、「その大なる御名はほむべきかな」と答える度毎に、主なる神は頭を動かして言はん、「その父の卓より追はれたる子等は禍なるかな。人々の崇むる父は、その子を卓より追払いし者にて、禍なるかな、」と。天使かくの如く神の悲しめるを見る時は、彼ら我らに不利なる事を言うべし。故にこの祈祷はカルデア語にて唱へざるべからず。天使はカルデア語を解する事能はざればなり。
 十人(ユダヤ人)一所に集り、カヂス祷を唱ふる同は、彼等以外の者もアーメンを和唱するを得。但し多くの人々の主録によれば、糞あるいはアクム(訳註、非ユダヤ人)両者を隔てざるを要すと言う。
 高き所に於て、又床の中、あるいは椅子腰掛けの上に立ちて祈るべからず。但し職人等はかくなすもよし。・・祈祷は教会堂に於て会衆と共に行うべし・・会堂内にて唾を吐くも差支えなし。但し唾は足にて踏み消すべし。・・若し虱に刺されし時は、これを手にて捕うる事なく、衣にて捕えて棄去るべし。・・君侯と礼儀に適える応酬を爲し得ざる程の酩酊者は祈祷を爲すべからず。もし爲さば、その祈祷は忌むべき行にして、酒気の去れる後改めて祈らざるべからず。誰にても強き酒4分1マースを一息に飲める者は、酒気の去るまで祈るべからず。
 あるいは人祈祷中に、十字架あるいは類似の物を手に抑えたる非ユダヤ人と行会う時は、祈祷文中の身を屈むべき箇所に至るとも身を屈する勿れ。
 総ての祭司は(その資格ある場合には)始唱者がu祭司」なる呼声にて促せる時は、直ちに民を祝福せざるべからず。これを爲さざるは、掟を守らざるなり。祭司は会衆を祝福するに、靴下を履くとも靴は履くべからず。又あらかじめレビ族の者をして手を洗はしむべし。祭司四分の一マースの酒を一息に飲める時は、会衆を祝福すべからず。

 祭司の娘アクム(非猶太人)教に改宗し、或は〇〇を行へる時は、人々此の祭司を敬ふの要なし。娘その父の神聖を汚したればなり。
 或人夢を見てその意を知らざる時は、祭司會衆を祝福する時、その前に進み出づるべし。

 ユダヤ會堂は町の最も高き場所に建てられ、町内の他の總べての建物より高かるべし。・・會堂に於ける祈祷終らば其處より學舍に行け。學舍に行きし後業務に就くべし。非猶太人と合資仲間となるなかれ。或教法師は之を差支へなしとす。いづれよにせよ、非猶太人の祝祭日以外には彼等と商取引を爲すは差支へなし。
 食前に手を洗ふべしとの掟は嚴しく守るべし。之を怠る者は追放刑に處せられ、貧困に陷り、此の世より除かるべし。
 食事中に話す事勿れ。(窒息することあればなり。)食事中に怒るべからず。人の盃に殘せしものを飮む勿れ。教養なき世人と食卓を共にするは學者に相應しからぬことなり。アクム(非猶太人)の家を見たる者は、(箴言一五ノ二十五)「主は高ぶれる者の家を倒し給はん」と言ふべし。

 此處に〇〇器官に就き教へて曰く、人それを飢ゑしめなば、そは充ち足りてあるべし。人それを充たしむれば、そは飢ゑるなり。即ち滿足せしむれば愈々多く求むるなり。未だ滿一歳に充たざる幼兒の眠れる床にある女と××をなさば、その幼兒痙攣を起すべし。然れども幼兒寢臺の後部に眠れる時、又は人その手を幼兒の上に置かば、幼兒は害を受けざるべし。
 総べてイスラエル人は、己が生計を立つる爲に他人の扶助を要する者といえども、安息日を尊びてこの日には他の日よりよき飮食をなすべきものにして、一週間の間その爲に節約し貯うべきなり。安息日及び他の祭日には小麦粉の特別なるパンを燒くを習慣とす。マナは、詰物せるパイの如く、上下より、即ち下は土にて上は露にて蔽はれてありしなり。安息日には非猶太人の燒きたるパンを食すべからず。
 非ユダヤ人に公衆浴場を貸すべからず。安息日の前夜に器物又は工具を非ユダヤ人に貸すは差支へなし。然れども牛を貸すべからず。安息日には牛も休むべしと(ユダヤ人に)命じられたる故なり。たとひ非猶太人、安息日には牛を休ましむべしと約束すとも、貸すべからず。非ユダヤ人は信ずべからざる者なればなり。安息日の前夜に船に乘るとも誡律遵奉上差支へなし。但し安息日には航行せずとの表面上の契約を船頭と結ぶべし。安息日の前夜は七パルサ(二千八百歩)以上行くべからず。時刻迄に歸り來るを得んがためなり。金曜日(の晝)には通常以上の食事をなすべからず。婚約の宴もなすべからず。これ安息日に食慾盛ならんがためなり。特に敬虔なる人々は、金曜日に斷食するを習とす。これ安息日に食慾更に盛ならんためなり。安息日には音響を生ずるが如き事を爲すべからず。從つて樂器も奏すべからざるなり。

 或人旅路にありて、既に安息日となれるに、金錢を携へ居り。また驢馬と非猶太人を伴へる時は、驢馬に金を積むことなく、安息日の間は之を非猶太人に積み移すべし。安息日に於ける驢馬の休息は命じられたるところなれども、非猶太人の休息に就きては命ぜらるる無き故なり。
 ユダヤ会堂より出でて家に帰れる時は、直ちに食事をなすべし。女もまた安息日を守る義務あり。カヂス祷を唱うる前には飮食すべからず。酒を容れたる盃はよく滿たし置くべし。家人は各々この酒より充分一口宛飮まざるべからず。
 ××は安息日の快楽に属す。故に学者は身体健かなる時は、安息日毎にその〇と××すべし。安息日には婚約せる〇〇と××するもよく、その際傷害又は苦痛に関しては之を顧慮するの要無し。
 前夜に悪しき夢を見たる時は安息日に断食するもよし。これ天に記されたる罪罰の書を破り去らんがためなり。
 安息日には多くの果物、高價なる食物、珍味、香料を食はん事を努むべし。これ多くの祝祷を唱ふる事を得んためと、また出來得べくんば、その數百に充たんが爲なり。一週の間常に學ぶを事とせる學者は、安息日には一層盛に飮食をなすべし。
 安息日にも第三の食事を爲すべく努むべし。腹滿ち居る時と謂へども卵一個位は食すべきなり。然して後は晩祷の時まで何物も食すべからず。たとひ水なりとも攝るべからず。この時刻に背神者の靈は地獄に歸り行き、その安息日に再び出で來るものなるが故なり。
 ユダヤ會堂に於ては(酒を祝福する際)豫言者エリヤフを囘想し、彼の來りて救濟を告げ知らせん事を祈るを習慣とす。即ちエリヤフは安息日以外の週日にのみ來るべし。安息日及び祭日には規定の範圍二千エルレより遠くに歩み出づるべからざる故なり。
 タ息日には走るべからず。大股に歩むべからず。何物も手に持つべからず。女は身に飾を附すべからず。
 女は安息日に化粧をなすべからず。又よき顏色を得んがためなりとも、櫛にて顏を擦でるべからず。又髮を櫛けづり、編むことをなすべからず。これ拔毛の恐れあればなり。但し髮を分けることは、手にてなす時は、差支へなし。
 安息日にも牛を外出せしむることを得。然れとも積荷無きを要す。牛といえども安息日に働くを許されざる故なり。
 安息日に歯痛起りたる時は、非ユダヤ人の手に依りてのみ拔齒を許さる。苦痛を感ずる場合には、週日に於ては凡て薬を用うるを得れど、安息日には指を咽喉に差入れて嘔吐する方法以外の治療を許さるることなし。
 生命に危険ある時、安息日を汚すも差支えなし。例えば近隣に火災起りたる時の如きこれなり。生命の危險を見るに、多数を標準とすべからず。例えば一つの屋敷内に九人の非ユダヤ人と一人のユダヤ人ありとせんに、その中の一人朽ちたる他の家に行き、その家彼の上に崩れ落ちたりとせんに、遭難者がユダヤ人なるか非ユダヤ人なるか不明なる時は、直ちに碎屑を除き、出來得べくんば彼を救うべし。然れども若し彼等十人共に最初の屋敷より出行き、彼等の中の一人のみ或る屋敷に赴きて倒壞家屋の爲埋められし時は、それが非ユダヤ人のうちの一人なる時は、安息日に此の倒れし家屋を片附ける事勿れ。

 ユダヤ人の乘れる船が難船して洋上に漂へるを見る時、洪水にてユダヤ人の危險に在るを見る時、ユダヤ人の非ユダヤ人に迫害さるるを見る時は、必ず安息日を破り、隣人(ユダヤ人)を救出せざるべからす。
 出産に臨める女の爲に(仕事に依って)安息日を破るを得。非ユダヤ女に対しては安息日に一切の助産をなすべからず。
 境界の抹殺・・これに依つて或場所より他所へ物を運ぶことが許容されるのであるが・・の方法は次の如くにして可能なり。即ち、安息日には二千エレルを限り歩むを許されるが故に、もしユダヤにして二千エルレ以上を行かんと欲せば、安息日の來らざる金曜日の内に二千エルレの終の地點に一塊のパンと一片の煮たる若くは、燒きたる肉を適宜に置き、祝祷を唱へよ。然る時は翌日その場所より更に二〇〇〇エルレ行くことを許さる。彼處にて彼若くは彼の仲間は備へ置けるパン或は肉を食すべし。然して彼若くは彼の仲間、上述の儀式を更に續くることを得。
 安息日に火災起これる時は、三度の食事に充分なる食物を携へ出すことを得れど、そはかの「境界の抹殺」の方法に従って之を運ぶことを得る場合に限らる。
 安息日にも祭日にも寡婦と××すべからず。
 天使に就き教えて曰く、安息日には各々ユダヤ会堂より出づるや、二人の天使彼の身近にあり。一人は善き天使にして一人は悪しき天使なり。ユダヤ人大いなる敬虔を以てカヂス祷を唱うれば、天使達彼と共に家に行き、彼の頭に手をのせ、「汝の悪はのぞかれ、汝の罪は淨められたり」と言わん。或る人は此の二人の天使を安息日の夜を司る二つの星座、即ち蠍と火星なりと考う。
 安息日の終りには香料を嗅ぐべし。安息日には、惡しき魂地獄より連行され、地獄の惡しき臭氣擴ぐる故なり。カバラ派(ユダヤ密教派)の主張に依れは、安息日には總べてのイスラエル人は飮食の欲求の盛なるため、更に他の一の靈魂の賦與さるとのことなり。
 月始めの日に平生よりもよき食物を攝る事は神旨に適ふなり。
 新月の日には斷食すべからず。
〇新月の日の爲に特別の祈祷定められあり。新月の日の祈祷文の「新月を再び與へ給ふ主を讚へまつる、汝のつくりし創造主をほめまつる、汝の創造主をほめ奉る」を唱ふる時は、ユダヤ人は兩足を揃へて三度踏び上り、次の如く祈祷を續く、「イスラエルの仇に恐と怖とのあらんことを、汝の強き腕の中にて彼等の石の如く動く能はずなり、また彼等石の如く默せん事を」と。
〇踰越節の前日は午前十時以後酵母を入れたる物を食すべからず。踰越節に骨牌遊びをなすべからず。骨牌は澱粉にて粘着せるものなれば、その幾分にても食物の中に落つる恐れある故なり。總べての猶太人男女が假令少年少女なりとも踰越節に飮むべき四杯の酒は、定まれる方式に從ひ飮むべきなり。然らざる時は義務は果されざるものとす。赤き酒を飮むはよき事なり。然れども非猶太人、猶太人に不利なる種々の惡しき噂を爲す故に近年は赤き酒を飮まざるなり。「汝を拜せざる民と汝の名を呼ばざる國々の上に汝の怒を注ぎ給へ」との詩篇の聖句を唱ふる時は、戸を開きて唱ふべし。・・そは埃及に於ける徹夜の夜を記念せんが爲なり。メシヤ來りてゴイ(非猶太人)の上に怒を注ぐ時まで、恐るることなく戸を開きおくを得べし。終りに「來年はエルサレムに於て」と言ひて互に挨拶をなせ。次に三つの歌を唱し、その第一の中にては神を呼びて、「ユダヤ人の神よ」と言ふべし。・・踰越節の夜徹宵寢ねずしてトーラを學ぶ者は、その後一年間は生を享くるべく、まス不幸にも遇ふことなきを保證さる。
 ユダヤ人は、いわゆる半祭日にも働くべからず。但し非ユダヤ人に利子を取りて金を貸すは差支へなし。必要なき限り手紙を書くべからず。必要ある場合といえども第一行を斜に書くべし。非ユダヤ人により包囲されたる町の住民は断食すべからず。力を失わざらんためなり。悪霊に憑かれたる人間も同樣なり。
 10月の第8日には断食すべきなり。この日には王タルメイ(プトレマイオス)ユダヤ人を強いて聖書を希臘語に翻訳せしめたればなり。(Kol Nidreなる祈祷はカルデア語にて書かれ、次の如し)

 「この贖罪節より來るべき贖罪節までに吾等が心に誓約し、誓言し、追放し、結合する總べての誓約・結合・誓言・追放・剥脱・處刑・節制に對し、吾等は此處に豫め悔いるものなり。故にそれらは赦され、改められ、止められ、取消され、破毀されて無效となり、存立せざるべし。即ち吾等の誓約は誓約ならず、吾等の約束は約束ならず、吾等の誓は誓ならざれ」。  

 (ブリムの祭は十二月の第十三日に行はる。エステルによりユダヤ人の自由を得しを記念する爲にして、此の日猶太會堂にてはエステルの物語、即ちエステル書を讀むなり。この祭に於てはかく言ふべし。)「ハマンは呪はれよ、モルデカイに祝福あれ。ゼレシ(ハマンの妻)は呪はれよ。エステルに祝福あれ。總べての偶像禮拜者は呪はれよ。」エステル書にてハマンの名の讀まるる毎に槌にて卓を叩き、ハマンの像を毀べし。此の祭日に大なる宴を催ほすはよきことなり。此の祭日には「ハマン呪はれよ」と「モルデカイに祝福あれ」との區別を知らざるまでに多くの酒を飮むべし。ブリムの祭に醉ひて隣人に損害を與ふるも、之を賠償する必要なし。假裝して女は男の衣服を、男は女の衣服を着ける慣習、及び盜み合ひの慣習も、此の日には罰を受くることなし。

 第二卷 智恵の教え
〇すべてのイスラエル人は一定の法式に依り、動物及び動物視されている非ユダヤ人を屠ることを許さる。
〇或る人刀を壁に突立てんとして投げしに、途中獣の首に当りてその獸を屠るに至りし時は、この屠殺は正式のものと見做され得るものなり。
〇非ユダヤ人の刀なりとも、之を研ぎ、或は十度硬き土に突差したる時は、これを用ひて屠るを許さる。
〇家禽の中、鵝鳥・鴨・鷄・鳩・鶉・雀は食種に供するも可なり。然れども此の他のものは食用に供すべからず。その故は、これらの鳥は、餌を食する時、先づそれを足にて蹂り、後に嘴にて引裂く故なり。・・屠りし後は血を蔽ひ隱さざるべからず。その故はカイン、アベルを殺せし時、彼アベルを幾度か打ちまた刺したるにも拘らず、その魂彼の身體より去ることを欲せざりしかば、カイン遂にアベルの首を切り落したるに、その時鹿來りて血を足にて掻き集めたれはなり。・・屠りし後は、屠殺者は家禽獸を切開き、何より先づ肺を檢すべし。その肺完全ならば、その禽獸は食用に供し得べきなり。肺葉の一が大に過ぎ他が小に過ぎる時、或はそれぞれの位置に異常のある時、この禽獸は食用に供することを許されず。
〇血を飮むことの禁ぜらるるは、その血が祭壇に注ぎ得べきものたる時のみなり。されは煮られたる血又は凝固せる血は飮むことを許さる。
〇卵を食するには、汚れなき鳥類のもののみを選ぶべし。その卵の一方の尖りたる鳥、例へば鷄の如きは汚れなきものなり。魚の血も飮むことを許されたれど、器に集めて飮むべからず。人間の血に關しても同樣にして、之を食することは禁ぜらるることなし。
〇穢れたる畜獸又は野獸若くは法に則りて屠られざる畜獸の脂肪及び尿は用ふべからず。或教法學者は尿は差支へなしとも言へり。
〇ユダヤ女を求め得る場合には、異邦女の乳を幼兒に吸はしむべからず。異邦女の乳は心眼を閉ざし、惡しき性格を形成するが故なり。
〇淀める水に住む蟲類は、之を食するも差支へなし。利未記に禁じたるは地を匍ふ蟲類のみなればなり。
〇熱き乳を容れたる鍋に肉片の落ちたる時は、假令橄欖の實程の小なるものといへども、その乳は非猶太人をして試味せしむべし。彼もし肉の味ありと言はば、この乳は用ふべからず。
〇ユダヤ人も非ユダヤ人の判斷に信を置く事を、非猶太人をして知らしむべからず。
〇然れど金錢の損害の生ずる恐れある時は、如何がはしき事をも許す教法學者に萬事を委ぬることを得。
〇教法學者がユダヤ人にアクム(非猶太人)のパンを食することを禁じたるは、彼等との間に姻戚關係の生ずることを防がんが爲なり。またアクムの酒を飮むとこの禁ぜらるるも、彼等と姻戚となること無からんが爲なり。然れども、アクムをして飮料を持ち來らしめ、自宅にてそれを飮むは差支へなし。
〇ユダヤ人の居合はせざる場所にて非ユダヤ人の搾れる乳は、之を用ふべからず。
〇口の開きゐたる飮料は用ふべからず。肉と魚を同時に食すべからず。もししかせば癩病となる故なり。人間の汗は有毒なり。但し顏の汗は然らず。
〇アクムより借金の代りに穢れたる物品を受取るも差支へなし。これ彼等の手中より何物かを救出すことなればなり。
〇非ユダヤ人の酒を飮む事、及びその一切の享受使用を禁ず。かかる酒は偶像に供へらるる類のものなれはなり。ユダヤ人の酒と雖も非ユダヤ人がそれに觸れたる時は、この酒は用ふべからざるものなり。非ユダヤ人の酒の容器を持上げ或は運び歩くべからず。但しユダヤ式に封印されたるものはこの限りに非ず。
〇十字架の繪は、人々それを拜跪する時には、偶像と見做さるべきものにして、禁制品なり。
〇或人、偶像禮拜に密着して建てられたる家を持ちたるに、その家倒れたる時は、再び元の如く建つることを禁ぜらる。その時彼のなすべきは、前よりもやや多く間隔を取り、その空地を棘或は人糞にて充たすことなり。
〇ユダヤ人にして偶像の名に於て誓ひ或は誓約を爲せる者ある時、彼は三十九の毆打刑に處せらるべし。必要の場合と雖も、偶像の名を口にすべからず。非ユダヤ人の祭日の中、人間の名を有するものは、之を呼ぶも差支へなし。但し、非ユダヤ人の爲す如く尊敬の念を以てすべからず。偶像を嘲りながらも、次の如く非ユダヤ人に言ふことは許さる、「汝の神汝を助けよかし」又は「汝の神汝の業に惠を垂れ給はんことを」と。
〇非ユダヤ人の祭日前三日間は、彼等より物を買ひ、或は、保存され得べき物を彼等に賣る事を禁ぜらる。また彼等と貸借する事をも禁ず。但し、口約を以て貸したる負債を彼等に支拂はしむる事は差支へなし。然るに現在に於ては、彼等の數多數なる故に、證文ある負債をも彼等より受取るべし。かく爲すは、彼等の手より物を救出すこととなればなり。非ユダヤ人の間に住み、常に彼等と取引を爲す必要ある時は、敵對關係を生ぜしむるが如き事はすべて避くるを可とす。この故に異邦人の祭日には彼等と共に喜ぶべし。かくすることにより彼等の機嫌を取り得る故なり。
〇アクムの祭日に彼等に贈物をすべからず。然れども現今に於ては、贈物を爲さんと欲する時は、彼等の降誕節より一週間後の「新年」と呼ばるる日に於て之を爲すべし。彼等それを縁起よきこと見做すべけれはなり。
〇洗禮に用ふるものなる事判明せる場合には、非ユダヤ人に水を賣るべからず。
〇知人に非ざる非ユダヤ人に施物を與ふべからず。然れども非ユダヤ人の中に居住する場合には、その貧民を養ひ、病者を訪ひ、死者を葬り、悼み、喪に在る者を慰むるもよし。これ平穩無事のためなれはなり。イスラエル人は、己が食物を食する場合と雖も、非猶太人と同一食卓に坐するべからず。非ユダヤ人の婚禮の宴に招かれたる時は、假令イスラエル人は、己が食物を食じ、己か召使によりて給仕さるる場合と雖も、其處にては食すべからず。
〇非ユダヤ人の客亭に家畜を入るべからず。その故は、非ユダヤ人は家畜と××をさす疑あればなり。非ユダヤ人と唯二人にて居ること勿れ。その故は彼等は殺人をなす疑あるものなればなり。・・公共の浴場に裸體にて入る習慣ある場合に、既に浴槽内に非猶太人居る時は、イスラエル人は入浴すべからず。若しイスラエル人先にその中に居らば、出づべからず・・イスラエルの女は、假令非ユダヤ人が彼等の妻も共に在る時と雖も、その一人或は多數と共に居るべからず。・・非ユダヤ人に技藝を教ふべからず。
〇安息日を穢す恐れある如き病或は傷は、一般に有能と認められざるアクムに治療せしむべからず、流血を恐るる故なり。病人の生死疑はしき場合と雖も、アクムに治療せしむべからず。但し死亡の確かなる場合は、アクムに治療をせしむるも可なり。一時間ほどの生命は顧みられざるが故なり。アクムしかじかの藥劑良し或は惡しと云ふ時はそを信ずるもよし。但しその藥劑をアクムより買ふべからず。 あらゆる誡律は、それを遵奉することに依つて生命に危険ある場合には、生命を救ふ爲にそを破るも差支へなし。但し、偶像を拜む事、禁じられたる女と交はること、殺人を犯すことの三つは然らず。若し金錢にて身を救ひ得る時は、全部を引渡すべし。
〇偶像禮拜に歸依せる非猶太人及び賎しき牧人は之を殺すことを許さず。されど彼等が危險に面しまた死に瀕せりとて彼等を救ふことは許されず。例へば彼等の一人の水に落ちたる時、報酬ある場合と雖も彼を救ひ上ぐるべからず。また彼等を瀕死の病よりも癒すべからず・・報酬ある場合と雖も。然れども吾等と彼等との間に敵意の生ずるを防止する爲ならば、報酬無き場合にも彼等を救出しまた癒すことを許さる。然れども偶像を拜む者、罪を犯す者、掟と豫言者を否む者は、之を殺すべし。而して公然と殺すを得ば、その如く爲せ。しかするを得ざる場合には、彼等の死を促進せよ。例へば彼等の一人井戸に落ちたる時、その井戸に梯子あらば、之を取去り、直ちに再び持來るべしとの遁辭を用ひ、かくすることにより落ちたる者の身を救ひ得べき道を奪ふべし。
〇トーラによれば、利子を取りてアクム(非ユダヤ人)に金を貸すは差支へなし。但し教法學者は生活に必要なる範圍の額の利子のみを取るを許さるのみ。然れども現在に於ては、如何樣に之を取るも差支へなし。
〇ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取るべからず。唯アクムよりのみ之を取るべし。而してかかる取引は使者をして之をなさしむべし。使者ならば、かく爲しても、罪を犯したるには非ずして、誡律もまた遵守されたるなり。・・貸出に際し取極められたる多額の利子は、誡律を以て禁ぜられたるものなる故に、法廷に於て返金請求の訴訟を受くることあるべし。裁判官は斯かる貸主を拘束して、氣を失するまで鞭打たしむるを得れども、貸主の財産は之を沒收するを得ず。
〇非ユダヤ人の如き衣服を着け、彼等の風習を模することあるべからず。あらゆる點に於て彼等と異なるべし。但し非猶太人の君主の身近に在る時は、是等すべてをなすことも許さる。
〇掟(申命記、一八、一三)に依れば、占星術者又は卜筮者の言を容るる事は禁ぜられたり。然れとも月曜日或は水曜日に業を始めざるは慣習にして、是等の日には星(月と水星)の位置惡きが故なり。また滿月の頃にのみ婚姻するを習慣とす。また月の第一日目に新しき書を讀み始めざるを習慣とす。自らの幸運に反すると信ぜらるるところの事は、すべて之を爲し續くべからず。 死者に詢ふことをなす筮者とは、空腹の状にて墓場に泊まり惡しき靈の彼の上に止らんことを計るものなり。病者に向ひて、死後に還り來り、彼に發せらるるすべての問に對し答をなせよと懇望するは差支へなし。死者を呼び出す場合にも、身體に非ずして靈のみを呼び出すは差支へなし。カバラ(譯註、ユダヤの神祕哲學の書)の諸書に依つて何事かを爲すはよし。失せ物に關し惡靈に詢ふはよし。但し良き香の草を火に投じたる香氣にて家を燻らすべからず。かく爲すは、惡魔を禮拜するものと解せらるる恐れあればなり。自ら文身すべからず。但し他人の手を借りて文身するはよし。
〇宣誓を強ひられたる者は、假令(神の)名に依つて誓ふとも、これを心に懸くる事勿れ。斯かるものは宣誓に非ざればなり。王侯或は他の上司がイスラエル人に宣誓の命を與ふる時、彼の同信者に損害を與ふる恐れある時は、眞實を誓ふの義務無し。例へば、一人のイスラエル人或る女を辱めたるや否やに關し誓ふべき場合、證人として宣誓を要求されたる者は躊躇なしに彼の知れるところの反對を宣誓し、後直ちに心中にてこの誓を打消すことを得るなり。かかる誓は強制されたるものと見做され得るが故なり。また或上司がイスラエル人の金或は財産を沒收せんとせし時、そのイスラエル人用心のためにその金或は財産の保管を他の者に託するならば、金錢を保管せるところの者は、宣誓を求めらるるも眞實を自白すべからず。
〇誓約を爲す者は、その誓を守りまた果す場合にも、惡人又は罪人と稱へらるべし。假令イスラエルの神の名に於て誓へる場合と雖も、三人の人の手によりてその誓を解かるるを得べし。而してこの三人は癡人にても差支へなし。
〇ユダヤ人にしてアクムより盜みをなしたる時、もし誓ふことを強制さるるならば、彼はその心の中にて、その誓の無效なることを宣言すべし。そは強ひられたる誓なればなり。
〇婢女或は異邦人の子は兩親に對して恩義を負ふこと無し。婢女或は非猶太女の胎内の子は畜獸に等しければなり。 イスラエル人の間の習慣は、トーラ(律法)と同等の價値あるものなり。
〇教法師にして公然と侮辱を受けたる者は、恥辱に甘んずることなく、侮辱に對して復讎をなさざるべからず。侮辱したる者が赦しを乞ひまた彼にして赦さんと思ふに至る時までは、蛇の如くに怨恨を心の中に懷き居るべし。 各々の町はユダヤ人の兒童教師を任用せざるべからず。然らずんばその町は亡ぼさるべし。
〇女も掟を教ふる時は報酬を期待するを得。但し男の如く多くを期待すべからず。女なるものは、神より之をなすべく命ぜられたるには非ざるなり。少女に律法を教ふべからず。女は眞面目なる心なく輕薄なる者なれば、己が考に從ひ律法より愚かしき事を捏造する故なり。この故に賢者は、「その娘にトーラを教ふるは、罪ある事柄を彼女に教ふるが如し」と言へり。 學舍は會堂よりも聖なるものなり。人死する時、先づ第一に神より尋ねらるるは、彼が果して勤勉に學びしや否やにあり。その時に至りて如何なる行爲をなせしやを問はるるなり。最も多くの知識は夜學ぶ時に得らる。學ぶ時大聲に唱する者は學びしところを良く記憶し、小聲に唱する者は速かに忘る。
〇無事平穩なる爲ならば、非猶太人の貧民を養ふもよし。
〇捕虜となれる間に非猶太人の宗教に改宗したるユダヤ人は、之を身請けすべからず。
〇イスラエルの魂失はるるは、取返しのつかざる大事件なり。されば幼兒にして、割禮前(生後八日以前)に死せる場合には、墓所に於て、祝祷を唱ふることなしに、鋭利なる石を以て割禮を施すべし。彼世に於て、父祖アブラハムは割禮を受けし者を待ち居りて、割禮を受けし者の地獄に落つることを防止しをれり。故に割禮を疎かにすべからず。然らざれば父祖アブラハムを過つべければなり。割禮は次の如く行はる。即ち、包皮を伸ばし、之を櫛状の器具に挾み、その器具に沿ふて切斷して、之を砂中に投棄するなり。次に杯より口一杯に酒を含み、その少量を傷に吹きかけ、殘部を子供の顏に吹きかくべし。之によりて子供をして元氣を囘復せしむるなり。次に割禮施術者は爪を長く生ぜる拇指を以て××下の表皮を引裂き、××を完全に露出せしむべし。之を「露出」と言ひ、之を爲さざる割禮は無效なり。然る後施術者は再び口一杯に酒を含み、傷口より血を吸ひ取るなり。之を「吸ひ出し」と言ふ。次に藥粉を振りかけ、繃帶をなす・・教父敬虔なる者なる時は、豫言者エリヤ割禮の席に連なるなり。故に教會堂の聖檀に向ひて二つの座席を備ふべく、一は教父の爲、他はエリヤの爲なり。儀式終らば、施術者は手を洗ひ、祝祷を唱へ、幼兒に向ひ、「汝生くべし」と言ふなり。然る後、吸い出したる血を吹きかけたる杯に指を浸し、その指を割禮を受けし幼兒の口中に二囘或は三囘押し入れ、次いて教父及び同席の少年等にその杯より飮ましむるなり。 少女は勿論イスラエル人の盟約に加入(割禮を受くること)することを得ず。それ故に、少女生れし時は、生後六週間目の安息日に命名す。
〇奴隸を買ひたる時は、之に割禮を施し、或は施さしむべし。
〇非ユダヤ人にしてユダヤ教に改宗せんとする者は、先づ割禮を受けざるべからず。而して彼に、就中次の如く告げよ。「來世はただ敬虔なる者にのみ約し置かれたるが、その敬虔なる者とはイスラエル人に外ならず。非ユダヤ人は今生過ぎれば根絶し去らるへし」と。彼これ等すべてを受入るる時には、直ちに割禮を施すべし。而してその傷癒えなば、直ちに三人の教法學者の前にて入浴せしめ、この學者等に依りて多くの掟を學ばしむるべし。 女にしてユダヤ教に改宗せんとする者ある時は、イスラエル人の女達彼女を水に浸すべし。教法學者等は戸外に立ち、其處より多くの掟を傳ふべし。然る時教法學者の前にて水に入らざるべからず。但し學等は直ちに面を背け、其處より立去るなり。割禮なかりせば、神は晝と夜を創らず、また天と地をも創造し給はざりしならん。 改宗してユダヤ人となれる者は、同樣にユダヤ教に改宗せるその母或は伯母と婚姻するも差支へなし。改宗者は新たに生れたる者と見做され得る故なり。
〇三百六十五箇條の誡律の一つなりとも犯したる者は、直ちに除名さるべし。除名の期間は三十日以上とす。當該者懺悔を爲さずば、更に三十日間の除名刑に處すべし。而してなほ從はずば、更に三十日の間待ち、然る後追放の刑に處すべし。除名されたる者はある時は、何人も彼の四エルレ以内に坐すべからず。又彼と共に飮食し、祈るべからず。但し、その妻子はこの限りに非ず。彼もし猶太會堂に入り來らば、之を追出すべし。彼は身體を洗ふを許されず、髮を刈り、髯を剃り、靴を履く事をも禁ぜらる。追放刑に處せられたる人死せる時は、裁判官は、命じてその棺の上に石を載せしむべし。人々彼の爲に衣を裂きて哀しむ事なく、その死を悼むことなし。 教法師より告示されたる者は(例へば不遜なる言行の故を以て)、身を隱して自ら恥じ、人の前にては悲歎して笑ふこと無く、業務をも多くは爲す勿れ。二十四項の罪あり、之に觸るる者は除名さる。例へば第八項、その地所を非ユダヤ人に賣りたる者、第九項、非ユダヤ人法廷に於てその隣人(即ちイスラエル人)に對し不當なる證言を爲せる者、等。
〇非ユダヤ人の病人を見舞ふことは許される。・・平穩無事を保つ爲なり。ユダヤ會堂に於て病人を祝福し、彼に新たなる名を與へる慣習あり。名前を改むる事は、神の決定をも取消す力ある故なり。
〇埋葬の濟みたる時は、死者のありたる家のみならずその近隣即ち兩隣三軒の家に於ても、直ちにすべての水を棄去るを慣習とす。その故は、死の使その血の滴を水中に落し、人それによりて死することあれはなり。
〇死者の部屋にては食すべからず。但し死者との間に仕切りを置く時は差支へなし。
〇婚約せる男の父死にたるに、既に婚姻の食事備はり、之を賣る事不可能にして腐敗の虞る場合、或は婚約の女の母死したるに、女の裝身品損ずべしと言ふ場合には、死者を別室に移し、新郎新婦は婚姻の席に行くべし。新郎は最初の××をなさば直ちに新婦より離るべし。而して婚姻の後七日間は宴を以て祝はれ、然の後服喪の日始まるべし。
〇アクムと奴隸の死は之を悼むこと勿れ。彼等の葬式の列に加はる事勿れ。 盜みの故を以て猶太人の法廷より死刑の宣告を受けたる者の爲には、危險なき限りその死を悼まざるべからず。 追放刑を受けし者の死せる時は、之を悼まず。背教者・裏切者に對しても同樣なり。近親の者非ユダヤ人官憲により絞刑に處せられ、その身體なほ朽果てざる時は、親族の者はその事ありし町に留まるべからず。かく爲すは死者に對する侮辱なる故なり。 街上にて葬式の行列と婚禮の行列行き會はば、前者道を讓らざるべからず。 無事平穩のためならば、非ユダヤ人死者の葬ひ、その遺族を慰問するも差支へなし。非ユダヤ人の墓所は祭司を汚れしむる事なし。然れど彼處に赴かざる方更によし。 喪に服する者は、七日の間働くべからず、取引をなすべからず、浴し又は油を塗るべからず、靴を履くべからず、××すべからず、トーラを讀むべからず、また何人にも挨拶すべからず。頭をば布にて卷き、床を逆にすべし。三十日間は髯に手入をなし、髮を刈り、爪を切るべからず。

第三卷 正義の楯
〇現在に於ては、聖地に於て任命を受けざる裁判官と雖も、負債問題、相續問題、小なる刑事問題に關しては判決を下すも差支へなし。その隣人を傷つけし者ある時は、聖地にて任命を受けたるに非ざる裁判官それを裁くを得ず。もし人間、畜獸により傷つけられたる時は、聖地にて任命を受けし裁判官のみこの事件の判決を下すことを得。・・間接に加へられたる總べての傷害及び裏切者に對しては、いづれの裁判所も判決を下すことを得。各裁判所は、罰金支拂の義務ある者を、その義務遂行の完了の時まで、追放の刑に處すことを得。・・隣人を誹謗せし者は、各裁判所はこの者を追放の刑に處することを得。
〇民の不遜にして罪に沈めるを認めし時は、法廷は死刑又は罰金刑を宣告することを得。その裁判官約束の地にて任命を受けざる場合といへどむ、各法廷は死刑その他のあらゆる刑を宣告する權能を有す。當該事件に確證なき場合も同樣なり。法廷は民の放逸を制する爲に、その財産を所有主なき財と宣告し、よしと思ふところに從ひ彼を亡ぼす權能を有す。
〇法廷は三人以上より成立せざるべからず。而してこの三人は教法師たるの要なし。
〇何人も非猶太人の仲介により權利を得る事を許されず。
〇裁判人は總べて十八歳(十三歳と言う人もあり)以上たるべく、×部に少なくとも二本の毛を有せざるべからず。・・酒に醉へる者と雖も金錢問題に關しては判決を下すことを得。・・己より學識劣れる裁判者の許には出頭せざるも差支へなし。
〇法廷召集以前に告發者裁判人の許に來りて贈與を爲したる時は、被告はその裁判人を忌避することを得ず。裁判人多くの書記及び使丁を雇傭せるは、盜みをなさんとする者と同一なり。該地方民に對し多額の入費を生ぜしむる故なり。
〇法廷は被告に對し三囘の召喚状を出して後、更に一日を待ち、なほ彼來らざる時は、その翌日追放刑を下すべし。
〇教法師に關する問題は常に優先權を有す。教法學者は出來る限り寛大に取扱はるべきなり。
〇一人の被告に對し多數の告發者ある時は、被告の友人及び親戚彼の傍に坐するも差支へなし。彼の臆し惑ふ事なからんが爲なり。また告發者は一時に一人を限りて發言すべし。
〇アクム(非猶太人)の裁判官の手に依り或はその法廷にて訴訟をなすべからず。假令、彼等イスラエル人の法律に依る如くに裁くとも、また當事者雙方間にアクムの許にて訴訟すべしとの了解立ちたる時にも、かかる事をなすべからず。アクムの許にて訴訟をなさんとて行ける者は惡人にして、モーゼのトーラ(律法)を涜し、罵り、これに背ける者に等し。法廷は彼を罪し、彼がアクムの手をその隣人より除き去るまで、彼に除名の刑に附す權利あり。
〇イスラエル人を呪ひたる者は、三十九の毆打刑に處せらるべし。教法師を罵りたる者は、追放の罰を受くべし。
〇アクムが猶太人に對して貸金を有する場合に、このアクムに有利にしてイスラエル人に不利なる證言を爲し得るイスラエル人あるも、彼の他には一人の證人も無き時、アクム彼に對し己に有利なる證言を要求したりとせよ。もしその地方のアクムの法律がただ一人の證人の證言により貸金の請求をなし得と定むる場合に於ては、イスラエル人はアクムに有利なる證言をなすべからず。證言をなしたる時は彼を除名すべし。
〇罪人・盜人・強盜・利子を取りて金を貸す者、收税人・園丁・農夫・鳩を鳩舍より飛ばしむる者・博奕打・競馬をなす者等は證人として拒否さるべし。かかる事は盜みの一部なれはなり。
トーラ及びミシュナ(「タルムード」の一部)に精通せざる者は罪人の中に算へらるべし。自ら品位を汚せるもの、即ち市場に於て公衆の前にて食事を爲すもの、裸にて歩む者、非猶太人より公然と施物を受くる者も證人として拒否さるべし。 非猶太人及び奴隸も證言を爲す資格なし。敵・混血兒・裏切者・自由思想家・變節者(背教者、基督教の洗禮を受けたる者)はゴイ(非猶太人)より更に惡しけれは、同じく證言を爲すを得ず。
〇證人は一旦述べたる證言を取消すことを得ず。但し故意に嘘を言ひたる時はその損害を金錢にて償はざるべからず。
〇他の宗教に改宗したる者は、盜賊になりたると等し。
〇疑はしき借用證書は、豫言者エリア來りて裁決をなすまで、その侭になし置くべし。
〇七年目毎の釋放の年は、語りたる總べてのこと(約束・誓約・誓言)より人を釋放す。
〇非猶太人の證人たるところの證書は總べて無效なり。
〇證人は宣誓の際律法の書かれたる卷物(羊皮紙に書かれたる)を手に持つべし。教法學者は經牌を手に取るのみにてよろし。
〇妻より金を借りたる後離縁状を與へし時、或は奴隸より金を借りたる後その奴隸を解放せし時は、その妻或は奴隸に何物も支拂ふの要なし。
〇成人せる非猶太人奴隸は、牧者なく家畜の如し。
〇イスラエル人は非猶太人たるの權利を有することなし。但し非猶太人の不利となる場合は、この限りに非ず。非猶太人はイスラエル人の財産に對し所有權を有せず。
〇壁に面して放尿すべからず。手の幅三つ程隔たりてなすべし。
〇或人ヨーロッパより非猶太人を連れ來れる場合、或若干の都市に於ては之等の非猶太人の取引を爲すを禁ぜらる。隣人(猶太人)に損害を與ふる事無からん爲なり。非猶太人の財産は所有主なき財の如し。最初に來たれる者之を己が所有と爲す。
〇仲間の中より裏切者を除くべき時、各人その費用の寄附をなすべし。
〇或人、非猶太人より田地を買ひたる時は、その隣接地の者は何等の特典を有せず。或人、非猶太人に田地を賣り、或は賃貸せる時は、非猶太人のためその隣人の蒙る恐れある一切の危險の責任を負ひ盡くすまでは、追放刑に處せらるべし。
〇或仕事の協力者の一人が盜みをなし或は掠奪をなしたる時は、その利得を彼の協力者と分たざるべからず。但し損害を生ぜし時は、一人のみにて負擔すべし。金錢の取引を爲す者を雇ひたる時、この雇はれし者の拾得せるものは、總べてこの者の所有に屬すべし。この番頭もし支拂濟の貸金を今一度アクムより徴收せし時は、そは「拾得物」と見做さるるものなり。その理由は、支拂濟の手形は紙の價よりなきものなるが故なり。それ故にかかる金錢をアクムに返却せる番頭も、その主人に辨濟の要なし。但しかかる金錢は本來は貰ひおくべきものなり。・・非猶太人と共同して商社を營むべからず。
〇何物かを贖ひ出さん爲に勞務者を雇へる時は、贖ひ出されたる物は總べて雇ひ主の所有なり。但しもしこの勞務者、贖ひ出しつつある際に「我は之を己一人の爲に贖ひ出すなり」と言ふならば、この時以後彼は最早雇ひ人に非ずとなりて、贖ひ出されたる物は彼一人の所有となるべし。
〇或人アクムより金錢を受取らんが爲に使者を遣はしたるに、アクム誤りて過剩の金額を拂ひ渡せる時は、その總べては使者の所有となる。或人アクムと取引をなせるに、他の仲間來りて彼を助け、桝目・重量・數量にてアクムを欺ける時は、利得は二人にて分つべし。謝禮金を取りて助けし時も、無報酬にて助けし時も、いづれの場合にも然かすべし。
〇非猶太人は所有或は手附金支拂により何物をも己が所有となすことを得ず、賣買證書と全額支拂とによりてのみ己が所有となすべし。
〇土地・奴隸・動産を賣りたる者は、責任を負ふべきなり。例へば、或人來りて、賣却人の有せし負債の故を以て購買物件を買主より奪ひ行ける時は、買主は行きて支拂金額全部を賣却人より取り戻すべし。購買物件は賣却人の負債の故に持ち去られたればなり。但し購買物件を持去りし者アクムなる時は、王の命令或は法官の判決によりて持去りし時といへども、賣却人は損害賠償の義務なし。
〇アクムに對しては詐欺は成立せず。利未記十九章の十一節に「己が兄弟(猶太人)を欺くべからず」とあればなり。然れどもアクムにして猶太人を欺ける時は、詐取せる所のものを我等(猶太人)の法律に從つて返さざるべからず。アクムにして猶太人よりまされる扱ひを受くる事なからん爲なり。
〇アクムより家を借りるに際して掟に違ふべからず。背く者は追放の刑に處せらるべし。
〇其の地の居住者に非ざる非猶太人に何物も贈るべからず。贈物をなすは、特に良く知れる者に對してか、或は彼と平穩無事に暮す爲必要なる場合に於てなり。
〇非猶太人の法廷にて作成されたる讓渡證は無效なり。
〇アクムに贈物を爲せよと命ずる病人の言に從ふべからず。これあたかも己が金にて罪を爲せよと命ずるが如くなればなり。
〇非猶太人が平常居住徘徊する場所に於て遺失物を發見せし時は、之を返却するに及ばず。
〇葡萄園にて草食ふ牛を發見せし人は、それを所有主に牽き行くべし。但しその葡萄園が非猶太人がの所有なる時は、かく爲すに及ばず。
〇拾得物が誰の遺失物なるや不明の時は、豫言者エリヤ來りて決裁をなす時まで己が許に止め置くべし。
〇非猶太人の失ひたる物は、拾得者之を己が許に留め置くべきのみならず、返却することを禁ぜらる。その理由は、申命記の二十二章一節には「汝の兄弟の失ひし物は返却すべし」とあればなり。但し屡々非猶太人の物を返却し、或は盜難より免れしむるを要する場合あるも、そは無事平穩を期する時のみなり。
〇他人より盜みたる者は、所有主を探して盜取品を辨償する義務なし。所有主來りて彼の所有物を持去るまでは、それを手許に取り置きて差支へなし。
〇獸は非猶太人の所有にして、積荷はイスラエルの所有なる時は、手を貸すべからず。然れども、若し牛がイスラエル人の所有にして、積荷が非猶太人の物なる時は、之を助くべきなり。
〇非猶太人、イスラエルに田地を賣り、その代金は受取りたるも、賣買證書をイスラエル人に渡さざりし時は、その田地は、所有主無き財産と見做さるべきものなり。何人もこれを己が所有となして差支へなし。但し代金は之を先のイスラエル人に辨償すべし。
〇長子は他の年少の兄弟の二倍の金錢を受く。 多くの子を有する非猶太人にしてイスラエルの教に改宗せる時は、最初に生れし者を以て長子と見做すべからず。眼病の時その唾にて癒ゆるや否やにより、長子を判別すべし。
〇非猶太人は猶太教に改宗せし彼の父の相續人たるを得ず。また猶太教に改宗せし者も然らざる者の相續人たるを得ず。・・アクムに負債あるイスラエル人は、そのアクム死し、その事に就きて知れるアクム無き時は、その嗣子に支拂をなす義務なし。イスラエル人が非猶太人に改宗せる時も、彼はその親戚の相續者たり得べし。イスラエル人はまた背教者なる親戚の相續をもなし得。また夫は背教者なるその妻に代りて相續をなし得べし。
〇或人盜みをなせるに、他の人來りて盜品を運び去るを手傳ひし場合、この人には後者には罰金支拂ひの義務なし。或人彼の隣人に盜めと言ひて何物かを示し、或は彼を盜みの爲に遣はすとも、遣はしし者には罪なし。その理由は禁ぜられたる事を爲せとの命令は、無效なればなり。遣はしし者は、使者が斯かる事の使を爲すべしとは思はざりき、と言遁るを得べし。
〇既婚の女盜みをなししが、盜品は既に女の手許になく、また彼女に支拂ひの能力も無き時は、被害者は彼女が寡婦となり、或は離別さるるまで待つの他なし。・・盜品が盜人の許にて形を變へらるる時、例へば仔牛が牡牛となりたる如き時は、この變形の理由を以て該物件は盜人の所有となり、盜人は盜取當時の該物件の價格を支拂ふのみにてよろし。
〇イスラエル人、盜人より物を買ひて、他のイスラエル人に之を賣渡したるに、アクム來りて、己が許より盜まれたるなりと言ひ、アクムの法律に依り第二の買主よりその品物を奪ひ去れる時は、かの盜人の確かに判明し居る時は、第一のイスラエル人は第二のイスラエル人に金を返却すべし。然れども盜人の確かに判明し居らざる時は、第一のイスラエル人は第二の人にその金を返却するには及ばず。「恐らくアクム僞を言ひしならん」と言ひ得べければなり。
〇イスラエル人賃金を拂ひて王侯より集税權を得たる場合は、密賣を爲す者はこの集税權を有するイスラエル人より盜むなり。但し集税權を獲得せしものがアクムなる時は、密賣するも差支へなし。こはアクムに負債を支拂はざることに等しく、許されたる處なれはなり。金を支拂ひて集税權を得たるに非ざるイスラエル人は、脱税せんとするイスラエル人を強ひて税を支拂はしむるべからず。王侯、その人民中の一階級に對して法律を發布せる時(例へば利子を取り抵當を入れしめて金を貸すものに對し)、かかる王の法律はイスラエルに對しても效力を有すと認むべからず。勿論、非猶太人王侯の法律がイスラエル人に對して拘束力を有することはあれど、そは王侯がそれに依つて快樂又は利益を得る時のみなり。但しこれは、總べての場合に非猶太人の法律に從ふことを意味するには非ず。もし然する時は、猶太の法律は凡べて覆さるべし。
〇猶太人アクムに物を賣りしに、他の猶太人來りて、そは支拂ひし値に價せずとアクムに言ひたる時は、前者は後者に對し賠償の義務あり。
〇王侯ありてイスラエル人に酒、藁その他のものを差出せよと命ぜし時、密告者ありて王侯の許に行き、「見よ、然々の人、然々の場所に酒、藁を貯へたり」と告げたるために、人行きて之を奪ひ去るならば、密告者は辨償の義務あり。裏切者は、イスラエル人法廷より警告ありし時は、非猶太人の裁判所に訴ふべからず。イスラエル人又はその財産を非猶太人の手に渡し又は彼を裏切る事は、禁ぜられたるところなればなり。然れども密告者にして非猶太人により裏切られし時は、その非猶太人を裏切るも差支へなく、他に逃るる道なき場合は、その非猶太人を殺すとも差支へなし。裏切者は來世の生命に與る事なし。今日にても、密告者(裏切者)は何處にて殺すも差支へなし。彼が密告を爲す前に殺すも差支へなし。先づ彼に警告し、彼之を聽入れざる時は、何人も彼を殺すべし。かく爲す者はよき業をなしたるなり。彼の喉より舌を切り、或は彼の目を潰すもよし。警告の時間なき時は、警告をなさざるも差支へなし。團體を裏切りたる者は非猶太人に渡すべし。彼等この者を毆ち、獄に入れ、罰金を徴せん。或人逃げ隱れて、汝猶太人に對し負債を支拂ふを肯んぜざる時、猶太人この事を密告するならば、彼は甚だ惡しき行爲を爲せるものにして、密告せる者こそかの負債を非猶太人に拂はざるべからず。もしイスラエル人にして他のイスラエル人を明かに三度密告し、或はイスラエル人の金をアクムに裏切り渡せる時は、彼を此の世より除くべき手段方策を購ずるべし。
〇自由思想家及びトーラと豫言者を否む者を殺すは掟なり。公然と刀劍を以て爲し得る時は然なすべし。もし然か爲し得ずば、策計をめぐらして死に至らしむべし。例へば彼等の一人井戸に落ちしに、その井戸の中に梯子あらば、まづ梯子を引上げ「我は我が息子が降ろさんとす。梯子はその後に直ちに汝が許に持來るべし」と言へ。吾等と敵對關係に非ざるアクムは之を殺す要なし。然れども彼等を救ふ事は禁ぜらる。・・如何なる者をトーラを否む者と見做すべきかに就ては、有名なる教法師モシュー・バル・マエモン明らかに、「基督教徒トルコ人等これなり」と言へり。

第四卷 救ひの岩
〇各人(猶太人)は結婚し、子孫を生み、人間の數を増加する義務あり。この義務を怠りたる者は血を流せるに等しき者にて、神の似姿の數を減じ、神がイスラエルより顏をそ向け給ふ原因を作る者なり。この義務は十八歳を以て始まる。十三歳を以て始むるは更によし。但し之より早く爲すべからず。そは姦淫となるべければなり。然れども二十歳まで待つことあるべからず。然せば法律により強制さるることあるべし。一男一女を儲けたる時は、種族繁殖の義務を果たしたるものとす。但し男子は×××に缺陷なく、女子は不妊の徴なきを要す。イスラエル人は同時に幾人にても、養ひ得る限り多くの女を畜ふる事を得。但し賢者は、唯四人の女を持つことを勸めたり。一人の女子に少くも一度の〇〇の機會を得しめんがためなり。女子に對しては種族繁殖の掟は拘束力を有せず。
〇人間に對し或は獸畜に對し避妊の藥を與ふべからず。但し與へたる時も、笞刑を受けることなし。但し女はかかる飮物を攝るもよし。
〇祭司は離縁されたる者、娼婦、汚されたる女を娶る事を得ず。娼婦とは何人の事なるか。總べての非猶太人の娘、及び猶太人の娘にて婚姻すべからざる者と交りたる者は、裸となりたるのみにても、即ち最初に〇〇をなさんとせし時以後、娼婦たるなり。
〇女、動物と交るとも、娼婦に非ず。それ故に教法師も彼女と結婚し得べし。その故は、禁ぜられたる交りをなしたるに非ざればなり。
〇奴隸或は非猶太女より生れたる者の場合以外は、姉妹又は異腹の姉妹と交ることは誡律により禁ぜらる。
〇アクム女と肉體の交りにより婚姻せるイスラエル人、又はアクムと結婚せるイスラエル女は、誡律により三十九の笞刑を受く。女を買ひて偶々非猶太女と××せるものも、笞刑に處せらるべし。非猶太女即ち娼婦と××したればなり。その女彼の雇人(婢或は妾)なりといへども、笞刑を受くべきなり。
〇宵にも、曉にも××すべからず。眞夜中に之を爲すべし。公衆の居る所、燈ある所、及び晝間、また旅路にある時も、之を爲すべからず。好まざる時、彼またはその妻の酒に醉ひたる時、飽食せる時、空腹なる時も、妻と××すべからず。この誡律を守るものは、病となる事なく、絶えて醫者を要せざるべし。
〇女の住める己が家に番人を置く勿れ。かかる事に關しては、監視後見は役立たぬものなればなり。また家令をも置くべからず、彼により己が妻の誘惑さるる事なからんが爲なり。
〇アクムがアクム女を娶りたる後猶太教に改宗し、或はアクムとなりしイスラエル人が改宗後の宗教によりて婚姻したる時再びイスラエル人となりたる場合は、その結婚に關し顧慮するの要なし。故に女は離縁状なしに男の許より去るも差支へなし、假令永年の間同棲せりといへども差支へなし。かかる結婚は姦淫にすぎざるなり。
〇非猶太人より盜みたる物を用ひて女と婚約するは差支へなし。金錢或は婚約の書状は女の手に渡すを要せず、彼女の膝の中に、或は屋敷の庭、田畠の中に投入るるもよし。結婚をなすには紙若しくは陶器片に、「汝は我と結婚せり」と書き之を、二人の證人の前にて女に與ふればよし。離縁状も同樣にして與ふべし。××によりて女と結婚せんとする時は、二人の證人の前にて彼女に、汝はこの××によりわが妻となる、と言ひて、證人の目前にて彼女とともに赴くべし。然して自然的に或は然らざる樣にて××するを得べし。女子齡三年と一日に及びたる時は、父は之を××により婚約せしむる事を得。・・一時に多くの妻を持つ事を得るなり。
〇イスラエル人にしてアクム女若しくは奴隸を娶りし時は、この結婚は無效なり。彼女等は結婚の權なき者なればなり。アクム或は奴隸にしてイスラエル女を娶りし時も、同樣にその結婚は無效なり。花嫁の姉妹、他の宗教に改宗せし時は、婚約を破談となすことを得。
〇日曜日に結婚すべからず。
〇女その父の支配より離れし後は、未だ正式の結婚をなさざる時にも、その夫はこの女の第一の相續人たるなり。
〇同一日に如何程多數の女と〇〇するもよろし。然して之等の女總べてに對し通常の七つの祝福祈祷を唯一度唱へ與ふれば足れり。然れとも各々の女とそれぞれ相應に樂しまざるべからず。即ち處女とは七日間、既に××せし事ある者とは三日間を樂しむべし。
〇花婿、婚宴の費用を支拂はざる時は、花嫁の親戚、彼を強ひて支拂はしむるを得。
〇花嫁は婚禮贈物の證書を受取るまでは、花婿と唯二人となる事勿れ。證書に記せる贈物餘りに少き人の××は姦淫と見做さるべし。女は、死亡若しくは離婚以前に、女の持參金を讓渡するを得ず。女の持參金を受くる者は之に對しその女の扶養の保證を引受くる者なり。
〇もし土地の慣習ならば、最初の××に證人を立つべし。
〇仕事無き者は毎夜××すべし。町の勞働者は一週に二度、町以外に働く者は一度、駱駝を追ふ者は一月に一度、驢馬を追ふ者は一週一度、船乘りは六月に一度、教法師は安息日にのみなすべし。弱き者は何程爲し得るか試さるるなり。××は女の入浴したる日に爲さざるべからず。多くの女を持てる時は、之らを同一の家に住はしむるべからず。
〇夫、××を拒める時は、女に一週三十六銀の罰金を拂ふべし。之を支拂はざる時は、女は即時離婚を要求し、持參金の返還を受くべし。女、××を拒み、また彼と××するを厭ふ故に離婚されん事を願ふ時にも、女は持參金の返還を受くべし。然れども女唯惡意よりして××を拒みし時は、法廷は彼女に使を遣し、彼女に持參金を失ふべしと警告せしむべし。なほ聞かずば、猶太會堂又は學園に於て四月の間、某女はその夫に××を拒めりと告示せよ。然して後彼女は法廷により離婚さるべし。
〇その妻初めて捕はれし時は、夫は彼女を贖ひ出すの義務あり。然れどその爲に彼女の價値以上、即ちかかる女に對し普通拂はるる程度以上を支拂ふの義務なし。
〇女、永く病を患ふ時は、夫は持參金を返し、彼女を去らしむを得。
〇總べての女はその兒に授乳すべき義務あり。然れど離婚されたる時はその義務なし。もし自ら授乳せんと欲する時も、給金を受くるを得ず。
〇既婚の女を傷つけし時は慰藉料及び治療代をその夫に支拂はざるべからず。然れど苦痛・恥辱・美容毀損に對する罰金は、女の所有に歸す。
〇女の見付けし物は、夫の所有となる。
〇女は、その夫は之を自由になし得ずとの條件附にて贈物を受くるを得ず。但し、當該物件が彼女がそれにより身を裝ひ、飮み、又は好むままに振舞ふ爲に與へられたる場合を除く。 女、その夫に金錢を貸したる後、離婚されし時は、彼よりその貸金の返濟を受くる權利無し。
〇持參金は、その夫の死去の日若しくは離婚の日を支拂期日とせる手形の如きものなり。
〇法廷外に於ける誓言は、さまで嚴しからず。これ神により誓ふに非ず、又聖き物を手に取らざる故なり。よつて唯自己が身に呪禍を招くのみ。
〇月の穢れのめぐり正しからざる女その夫の許に留り得るや否やは、他の女達これを決すべし。
〇離縁を期しつつ女を娶るべからず。然れとも豫め女に向ひて、「吾汝と暫しの間婚姻すべし」と言ふ時は之を許さる。第一の女は、彼女に咎めありし時にのみ、離婚し得るも、第二の女は、好ましからざる時にも離婚し得。惡しき女又は品行よからざる女を去らしむるは、神の旨に適ふ故なり。
〇女、卵を燒きて之を食する程の間、他の男と唯二人にて居りし時は、姦淫の疑ひ充分なり。
賢者は命じて、イスラエル人はその女に對し嫉妬深くあれと言へり。その妻に對し嫉妬深き人は、清き靈のやどれる者なり。

二、著名なるユダヤ法師の言葉

一、アキバ法師

〇神、アダムとエヴァを總べての天使の面前にて結婚せしめたり。然る後兩人を宴に招き、選びに選びたる天國の珍味と美食とを饗したり。食卓は總べて價知られざる寶石より成れり。各石は長さ百エレ、幅六〇エレにして、美食の粹を以て滿たされたり。給仕の天使は種々なる肉類を焙り、酒を冷せり。
〇神の尊體の長さは二百三十六萬哩なり。即ち腰より上方に向ひては百十八萬哩、下方に向ひても百十八萬哩。首は十萬哩、眼の瞳は一萬一千五百哩、手は各々二十二萬哩にして、手の各指は二十萬哩。神の體を測る哩は通常の哩に非ず。神哩なり。この哩は千神エレなるが、このエレは四神指尺と手の巾一つとなり。然もこの指尺は世界の一端より他端に及ぶなり。
〇天國に於ては、千を千倍せる多數の天使立ちて、食事の間、敬虔なる人々の前に居て、口笛を吹き、提琴を彈じ、鼓を打ち、他の樂器を奏すべし。然して神はその座より立ち上り、正しき者等のために舞を舞ふべし。また、太陽も月陰も、さてはまた恆星も遊星も神の左右に座を占めて、正しき者等の名譽のため跳び躍らん。
〇神を拜せざる者の齒は三度毀たるべし。即ち、一度は此の世に於て、次はメシア來る時に於て、然して最後には來世に於て。然もイスラエル民族を喰ふ者の齒は、二十二エレの長さに伸ぶべし。 HH二、モシェー・バル・マエモン(普通哲學者マイモニデスとして知られる)
〇汝知るべし、イエスの教に從がひて迷へる基督教諸國民は、その信仰には種々あれども、悉く偶像禮拜者なり。故に彼等は偶像禮拜者相應に扱はるべし。これタルムードの説くところなり。
〇教法師を畏るるは神を畏るるなり。
〇猶太人より盜むべからず。
〇トーラを學ぶゴイ(非猶太人)は死罪に當る者なり。但し、七つの現世的誡律を學ぶはよし。
〇人(猶太人)は如何程多くの女を娶るも差支へなし。たとひ百人たりとも差支へなく、然もそれを一時に娶るも、相次ぎて娶るもよし。然して彼の(最初の)妻は、彼が之等の總べての女に對して食と衣を與へまた夫婦としての義務を果す能力を有する限りは、彼の所爲を妨ぐる能はず。
〇賢者命じて曰く、律法によりて禁ぜられたる以外のものを誓約又は誓言を立てて絶つこと勿れ、と。それ故に何人も、許されたる事を絶つことあるべからず。
〇決して偶像禮拜者と事を共にする勿れ。また彼等を憫むべからず。その故は、申命記七章二節にその如く記されたればなり。故に非猶太人が生命の危險に瀕するか、或は河に溺るるを見るとも、之を救助することは許されず。
〇拾得物をゴイに返却せんと思ふは罪なり。ゴイの紛失せる物は、之を己が所有となすも差支へなし。『汝の兄弟の物は總べて之を返却せよ』とタルムードに記されたる故なり。然るにゴイは兄弟に非ざる故に、拾得物を彼に返却する者は罪を犯すなり。かくなすによりこの世の神を拜せざる者の勢を再び増すが故なり。
〇ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。
〇汝殺す勿れ、との掟は、イスラエル人を殺す勿れ、との意なり。ゴイ、ノアの子等、異教徒はイスラエル人に非ず。
〇ノアの子にして離叛し、偶像を禮拜し、或は己が仲間又は仲間の妻を殺すとも、後イスラエルの信仰を受入るる時は、罪無き者なり。然も、イスラエル人を殺す時は、たとひイスラエル教徒となるとも、罪ある者にして、先のイスラエル人の故に殺さるべし。
〇タルムードの誡に於て神は命じて曰く、ゴイに金を貸すには必ず高利を以てすべし、と。これ、彼等が借りたる金により利する事なからんため、且つ又、我等が金錢にて彼等に助力を與ふることなく、むしろ損害を與へんがためなり。
〇第五十の誡は、偶像禮拜者を憫む事を堅く禁ず。
〇ゴイ、計算をなして過つ時は、イスラエル人は、我知らず、と言へ。然れどゴイをして過ちをなさしめんとするはよからず。ゴイ、イスラエル人を試みんとて故意に過ちをなすことあればなり。 HH三、ゲルソン法師
〇惡しき者(非猶太人)を憫むことは、正しき者(猶太人)に相應はしからぬ事なり。

四、ベハイ法師

〇アダムその妻エヴァと離婚せし百三十六年の間、常に女の天使と交はりしが、その間に男の天使生れたり。この男の天使エヴァと交りしが、その間に女等生れたり。
〇タルムードの「マコット」篇に於て教法師達が、聖書の文句(詩篇一四ノ五)はゴイ(非猶太人)にも關するなりと主張するは正しからず。その故はかの文句はゴイより高利を取るを禁ずるが如き命令を些少も含み居らざればなり。むしろこの文句は、ゴイに高利にて貸さざることにより詩篇十四に約束せられたる恩惠を受けんとする人々の取引方法をも束縛しまた困難ならしむるものと見做すべきなり。
〇總べてゴイは月經時の子にして、根絶さるべきものなり。
〇若し此の世にイスラエル人無かりせば、雨も降らず、日も昇ることなかるべし。之ら總べては唯イスラエル人のために行はるるものなり。
〇「汝は主なる汝の神が汝に與へ給ひしすべての民を喰ひ盡さん」との文句(申命記七ノ十六)は、今は亡き吾等の教法師達により次の如く解せられたり。即ち、すべての民を喰ひ盡し、すべての民より掠奪することは、彼等すべてが吾等の權力下に置かれる時に始まるべし、と。
〇教法師の言葉は、生ける神の言葉なり。
〇拾得物を紛失者に返却すべしとの誡は、猶太人に對してのみ守らるべきものにして、ゴイに對しては然らず。この事に就き今は亡き吾等の教法師達の言へるあり。即ち、「遺失物とはすべて汝の兄弟の失ひし處の物を指すものにして、ゴイの失へる者は然らず。その理由は、ゴイは神に屬する者に非ずして、地の邪神に屬する者なる故なり。故にゴイの失へる總べての物は、此の世にては再び見付けらるる事なき遺失物にして、その所有者に還るべきにあらず。財寶は唯イスラエル人にふさはしく、他の民は之に値ひせざるものなれはなり。これ豫言者イザヤ(二六ノ一九)の言へるが如し」と。
〇神を畏るる者は惡しき人(非猶太人)を憎まざるべからず。
〇僞善はこの世に於ては許さる。即ち、背神者に對し慇懃に爲し、彼等を敬ひ、彼等に向ひて「我汝を愛す]と言ふもよし。即ち、必要上止むを得ざる場合、恐怖に驅られたる場合は然り。

五、ヱルハム法師

〇若しゴイにしてイスラエル人に金を貸し、それに對して抵當物を受取りたるに、そのゴイ當該物件を紛失し、他のイスラエル人之を拾得せし時は、拾得者は拾得物をイスラエル人に返却すべきものにして、ゴイに返すべからず。ゴイ抵當物を紛失し、イスラエル人之を拾得せしにより、ゴイは直ちにその質權を喪失せるなり。

六、ヴェネツィア版ミトラシュ(一五一六年版)

〇教法師の日常の言辭も、誡律同樣に重んずべきなり。
〇誡律なくしては世界も存在し得ざる如くイスラエル人なかりせば世界は存在し得ざるべし。
〇レヴィ法師教へて曰く、神が世界の諸々の民を裁き給ふは、彼等が罪の中に眠れる夜の間に於てなり。しかもイスラエルを裁くには、彼等が掟を學ぶ晝に於て之をなし給ふ。
〇割禮を受けて生れし者十三人あり、即ちアダム、セツ、エノク、ノア、タラク、ヤコブ、ヨセフ、モーゼ、サムエル、ダビデ、ヨシア、エレミヤ、エリア之なり。

七、エリエゼル法師

〇メシヤ來る時代に於て各猶太人は、埃及より出で行きたるイスラエル人の數に等しき數の子孫を持つべし。埃及より出で行きし者六十萬人なれは、各猶太人はメシヤの時代の間に六十萬人の子を持つべし。

八、ミトラシュ・コヘレート

〇神言ひ給ふ、我は我が豫言者を畜獸に過ぎざる偶像崇拜の徒の爲に遣はしたるに非ず。人間なるイスラエル人の爲に遣はしたるなり。

九、イェシャ法師

〇世界は唯イスラエル人の爲にのみ創造されたるなり。イスラエル人は實にして、他の民は空なる穀皮のみ。從つてイスラエルの他に民族なし。彼等は悉く空皮に過きざればなり。

十、アハロン法師

〇東西南北の四方角なくして世界の存立し得ぬ如く、イスラエル人無くしては世界は存立し得ざるべし。

十一、「シュルハン・アルフ」の註釋書より。

〇聖書に「隣人」と記されたる個處はいづれも非猶太人を含まざるなり。
〇ゴイの家は獸と家なり。
〇ユダの族より出づる王メシヤはいと美しかるべし。彼は腰に帶して仇に向ひ戰に出づべし。諸王君侯は殺さるべし。彼の足は殺されし者の血により紅く染まり、彼の上衣は勇士の脂にて白くならん。彼の衣服には血飛散り注ぐべし。
〇神はその小指にて一群の天使を燒き亡したり。
〇その時イスラエル人と地の諸族は地獄に來たらん。其處にて地の諸族はは亡し盡され、イスラエル人は害を受くること無くして天國に昇らん。
〇エルサレム神殿の毀たれし時以來、神はその御座に在まさず。

十二、アバルバネル法師

〇この世界に於てはイスラエル人のみ存在の意義を有す。故に彼等は小麥に比べられ、他の諸國民は籾殼に比べられる。
〇選ばれたる民のみ永遠の生命を受くるにふさはしく、他の國人は驢馬に等し。
〇總べて之等の條項(三十箇條の猶太信仰箇條)を信ぜざる者は異教徒なり。故にかかる者を憎むは吾等の義務にして、彼を賎しみ、出來得べくんばその亡ぼしまた根絶するは當然の事なり。
〇イスラエルの娘に非ざる異邦の女は畜獸なり。
〇基督教徒は異教徒なり。彼等、神は血と肉なりと信ずる故なり。

十三、マイル法師

〇彼(神)は吾等の血縁にして、從がつて吾等は神の血縁者なり。而して神以外には假令天使達とだに血縁あるとは吾々の一切信ぜざるところなり。
〇世界の創造、樂園、生命の樹、智慧の木、樂園の四つの河等に關し記されたる事は、總べて文字通りの意味に解すべきなり。そは謎にも非ず。寓話にも非ず。吾等は決してかく考ふることをせず。又イスラエル人にしてイスラエル人と見做さるることを欲する者は、古の賢者が樂園に就き語りたるところを疑無き眞理に他ならずと信ずるの義務あり。そは譬喩にも非ず、誇張にも非ず。故に彼等の語りたる事は總べて疑はずして信ぜざるべからず。

十四、ナタン法師

〇天地の間に一人の天使あり、その名をミーと言ふ。この天使の職務は、主なる神をその誓約より解放することにあり。即ち萬軍の主なる神、評定に於て定めたる事を後に悔いし時は、此の天使ミーかの決定を取消すなり。

十五、ナフタリ法師

〇惡魔の長なるシェムエル及びリリート殺され、上下の基督教徒の燒盡さるる時は、イスラエルの國は全世界に及ばん。メシヤはイスラエル人の負債を悉く拂ひ給はん。
〇背神の猶太人、即ちイスラエル人を殺し或はイスラエル人の信仰より離れし者等は、死後草木又は禽獸と化せられ、その後十二箇月は地獄にて罰を受け、然る後新たに創造され、而して濟度されんがために輪廻して、先づ無生物となり、次に禽獸となり、次に異邦人となり、最後に再びイスラエル人となるなり。
〇惡魔と世界の諸民族とは、禽獸に數へらるべきものなり。

十七、アシ法師

〇犬は異邦人より勝れたるものなり。
〇基督教徒の中最も善き者を絞殺すべし。
〇若し法師、汝の右の手を左の手と言ひ、左の手を右の手と言ふとも、彼の言葉に違ふべからず。
〇世の民は地獄に墜つべし。
〇掟の言葉より法師の言葉を敬へ。
〇汝知るべし、法師の言葉は豫言者の言葉より美し、と。

十八、イスラエル文庫(パリ發行、一八六四年)

〇吾々はタルムードがモーゼの律法書に對して絶對的優越性を有することを認むるものなり。

十九、メナヘム・ベン・シラ法師

〇ネブカドネサルその娘を我に勸めて妻となせと言ひし時、我は答へたり。「我は人の子にして獸に非ざるなり」と。
〇汝等イスラエル人は人間なれど、他の民族は人間に非ず。彼等の魂穢れし靈より出でたればなり。然るにイスラエル人の魂の聖き靈より出でたるなり。
〇神は夜の間にタルムードを學び給ふ。
〇天上に於て困難なる問題の生ずる時、主なる神この世の法師達にも諮問し給ふ。

二十、ラバ・バル・ナハマニ法師

〇神アブラハムに言ひ給ふ、「僕はその主人の如くならば足れり」と。その時アブラハム問ひて言ふ、「何人の我に割禮を施さんとせしが、恐怖に襲われたり。彼年老いて弱かりし故なり。時に神自ら手を延べて、包皮を捕へ給へば、アブラハムそを切斷せり。吾等の祖アブラハム己れと家族の者總べてに割禮を施したる時、包皮を集めて積置けり。然るにそは、日の温熱により腐敗し、蛆蟲生じたる時、良き香料の匂の如き芳香を放ちたり。即ち、燔祭に投入るる良き香料の滿ちたる手の如き芳香を放てるなり。ここに神言ひ給ひけるは、「今より後アブラハムの子等罪を犯し、惡事を爲せる時には、我この芳香を憶ひ出し、彼等に憫みを示さん」と。
〇神が天上の學校に於て新しき命題を提示せざる日は一日も無し。
〇神はイスラエル人を審くには立ちてなし、尋問も簡單にして速かなり。世の諸民族を審く時は坐して、嚴格に長々と取調べをなす。
〇イスラエル人の祈祷は全能の神の限りなく悦び給ふものにして、そは香しくまた神の榮光となるものなれば、係りの天使サンダルフォンにより受入れられ、榮光の冠に編込まれて神の頭上に置かるるなり。

二十一、エリエぜル法師

〇割禮無き者と共に食する者(猶太人)は犬と共に食するに異ならず。
〇黒人が他の諸族と異る如く、イスラエル人はそのよき業の故に他の諸族とは全く異れる者なり。

二十二、アブラハム・ゼバ法師

〇イスラエル人はアダム(人間)と呼ばれん。然れども他の諸族はアダムと呼ばるることなし。
〇人間の獸に優れる如く、猶太人は他の諸民族に優れるものなり。
〇「世界は唯イスラエル人のみの爲に造られたり。」この文句は極めて明瞭なれど、人々は之をなほよく熟考しまた味ふべきなり。イスラエル人に掟の與へられし時、イスラエル人はその掟によりて種々の美點を悉く保持せしが、他の民は掟を受入れざりしにより之等の美點を全く有せざるなり。
〇イスラエル人は、他の總べての民に對し優越する者なり、他の諸族の中には賢く利き者唯一人も居らざるに、イスラエル人にあつては全部が特に賢く利き人間なり。

二十三、シェフテル・ホルヴィッツ法師

〇一人のイスラエル人の魂は神の前に於て他の民族全部の魂よりも價値多く、また神によつて悦ばるるところのものなり。

二十四、リプマン法師

〇エサウの子等は吾等が兄弟なり、と言ふ者あらば、我答へて、そは眞ならず、と言はん。彼等曾ては吾等の兄弟にして、彼等より高利を取る事も禁ぜられたりしが、今日に於ては彼等はかかる恩惠に浴する價値なきものとなれり。仇により神殿の毀たるるを見し時、吾等を助けざりし故なり。然のみならず、却つて神殿を毀つを助けたれば、彼等は吾等に縁なき者なること明らかなり。更に彼等は割禮を受けざる故に、自ら吾等の敵なりと思ひ居るなり。

二十五、キムヒ法師

〇掟は兄弟より高利を取るを禁ずれども、他の者より高利を取るは差支へなしとす。
〇基督教徒は偶像禮拜者なり。彼等十字架の前に跪く故なり。

二十六、アシェル法師

〇十字架は偶像禮拜に屬するものなり。
〇加特力教司祭が手に持つ銀の十字架及び香を焚く香爐は偶像禮拜に屬するものなり。
〇神殿の毀たれし以後、神にも安き時なし。天國に出で、正しき者等と談らふ時のみ、多少の慰めを感ずるのみ。
〇金曜日の夕の黄昏時に神は惡魔を創り給へり。然るに程無く安息日來りしにより、神は彼等の衣(肉體)を創るに到らざりしなり。また、彼等が肉體を受けざりしは、人間が肉體を受くる事を彼等好まざりし罰なり、とも言はる。
〇天使の主要職務は、夜、人間に睡眠を齎らすことなり。諸々の民の魂は惡魔より出でしものにして、畜獸の有する魂の如し。
〇神は猶太人の魂六十萬を創り給へり。聖書の各節は六十萬の解釋を有し、各々の解釋は一の魂と關係あればなり。
〇法師の言葉を嘲る者は、地獄の煮え立つ糞の中にて罰せらるべし。

二十七、ロイベン法師

〇偶像禮拜者は畜獸と呼ばるべきものにして唯最廣義に於てのみ人間と呼ばれ得るに過ぎず。
〇イスラエル人は人間と呼ばる。然れども偶像禮拜者は汚れし靈より出でしものなれば、豚と呼ばるるなり。
〇割禮を受けずまた安息日を守らざる者は人間に非ず。
〇天上にも地上と同じき數の高等なる學園あり。神も其處にて熱心にタルムードの研究に從事す。

28、シメオン・ハダルサン法師

〇他の諸族はイスラエル人と同じ姿を有すれども、眞の人間に比ぶれは模造に過ぎず。彼等は、ダニエル書四の十四・十七に記されたる如く、劣等なる種類の人間なり。之に對しイスラエル人はアダム(人間)なる語の眞の意味に於ける高き價値ある人間にして、この故にまた單に人間とも呼ばるるなり。
〇イザヤ書の註釋に曰く、神殿の毀たれし以後神は怪巨魚と遊び給はず。その代はりに學童にタルムードを教え給ふなり。
〇もしイスラエル人無かりせば、この世に幸福なかりしならん。これ申命記二八の八に記されたる如し。またイスラエル人無かりせば、天の諸星も昇らざるべし。これエレミヤ記三三の三五に記されたる如し。また地の上に雨の降る事なかるべし。これ申命記二八の一二に記されたる如し。
〇涜神者(非猶太人)の血を流す者は、神に生贄を捧ぐるに等しきなり。

29、法師の文書(フランクフルト・アム・マイン発行、1867年)

〇平穩無事を希う爲に涜神者を慇懃に遇する者も、彼に関し善き事を語る勿れ。また鄭重なる態度を示す際にも、注意して涜神者を真に尊敬するものなりと人々の信ずる事なきよう心せよ。一般に慇懃を示す際には、その者の真の功績の故に非ず、彼の富即ち彼の幸運の故にかく爲すというが如くせよ。然し、いづれにせよかかる事は罪にして、涜神者に慇懃になす事は、涜神者勢力を得て我々を害しあるいは我々に損害を與うる恐れある場合のみに許さるるなり。但し人間(ユダヤ人)の問題にて涜神者を襃め、彼に関し善き事を言うべからず。

30、「ユダヤ祈祷集」より

〇(新年二日以前のもの)彼等非ユダヤ人の評議を狂気を以て悩まし、その思想を乱し給え。彼等の君侯を狂気ならしめ、彼等が我々になしし如く彼等になし給え。
〇(同じく新年の二日前のもの)汝の顏を隱さずして、呪われし者等我等に抗い立ち、又狂気じみたる協議をなして我等に害ある決議をなす時は、我らの危きを見そなわし給え。呪われたる者達は、我らが万軍の主と呼ばるる我らの救主に助けを求め、白と紅の衣をまとい、数万の武裝せる者に囲まるる我らの友に寄り頼むを妨げんとす。而して救主の言葉を軽んじ、彼を苦しめ、賎しむべき偶像を真の神として崇め、その像の前に身を屈め、これに仕うべきなり、と言う。この汚れし死せる神は現われて以来未だ幾何も無きものなり。故にこれを神と等しく見做す理由は何処にありや。……呪われし者共の肉体を亡ぼし、舌を硬く乾からびしめ、高慢心を卑め給え。彼ら是にて踏み蹂られんことを。彼の心は裂けよ。而して彼ら貢ぎを納むる者とならんことを。
〇ゴイに復讎をなし、諸々の民を罰し、支配権を有せる涜神者の笏を毀ち給え。偶像を亡し、汝一人盛んならんことを。





(私論.私見)

 禦→御、戀→恋、靈→霊、絲→糸、麥→麦、獸→獣、亂→乱、惱→悩、

兔に角→とにかく、

西班牙→スペイン、嘘→虚、波蘭領→ポーランド、洪牙利→ハンガリー、土耳古→トルコ、