夜昼の理

 更新日/2024(平成31→5.1栄和改元、栄和6)年.10.6日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「夜昼の理」教理を確認する。

 更新日/2016.02.29日 れんだいこ拝


【夜昼の理】
 「夜昼の理」とは、「道の理」という意味です。何十年信仰をしていても、本当の理を聞き分けていないようではならないと仰せられています。

 お指図は次の通り。
 「夜昼の理がわからにや修行に出て行くがよい。この屋敷きには五十そこ/\の年をとりてゐれど、それだけのあほはないぞ・・・・・・」。(明治26.10.5日)
 「夜の道」、「昼の道」について、諸井政一正文遺韻」が次のように記している。
 「夜昼分からんやうでは何も分からんといふ。それ夜の道といへば暗いであろう。昼の道といへば明るいであろう。その明るい道を暗いと思うて、つまづくかしらん、踏みかぶるかしらんと案じてゐては、どうも道を通るに通られん。それ、心からとて踏みかぶつたりせんならん。夜の悪い道を通りながら、暗いと思わず、気をつけずにゐたことなら、どうであらう。何につまづくとも、突き当たるとも分からうまい。そこで道を聞いても、聞き分けなかつたら、ちようど夜の道と昼の道と分からんやうなものや」。





(私論.私見)