成人論

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.6.7日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「成人論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【成人論】
 お道教義では、信仰生活の階梯を「成人」というお言葉で例え話しされている。
 「人が人生途上で難関にぶつかった時、成人している者としていない者との差がはっきりする。成人のできていない者はあわてうろたえ、不足をし、悲しむ。成人している者は、苦労の中でも喜んで、勇んで、有難く通れる。この心をたんのうと云う」。

 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
 だんだんと 子供の出世 待ちかねる
 神の思惑 こればかりなり
四号65
 日々に 澄むし分かりし 胸のうち 
 成人次第 見えてくるぞや
六号15
 教祖お諭しは次の通り。
 逸話篇196「子供の成人」。
 『分からん子供が分からんのやない。親の教えが届かんのや。親の教えが、隅々まで届いたなら、子供の成人が分かるであろ』。教祖は、繰り返し繰り返し、このようにお聞かせ下された。そのお陰につて、分からん人も分かり、助からん人も助かり、難儀する人も難儀せぬようになる道を、おつけくだされた。
 逸話篇133「先を永く 」。
 明治16年頃、山沢為造にお聞かせ下されたお話しに、『先を短こう思うたら、急がんならん。けれども、先を永く思えば、急ぐ事要らん』、『早いが早いにならん。遅いが遅いにならん』、『たんのうは誠』、と。
 高井猶吉「教祖より聞きし話」43-44頁の「なるほどの理」。
 『このお道のお話は、一言は十言に値する』と仰る。一言の話でも、なるほど、と腹(心)に治まったら、『救からん身上も救かる』。『治まらん事情も治まる』。なるほど、と治めるところに救かる理があるのや。教祖は『日々教理を聞いて、なるほど、そうに違いない、と感じることは、心の養(やしな)い』と仰る。 早い話は、人間は米(食料)を食うて日々の養い(栄養)を摂(と)っている。食べなければ身上(からだ)は痩(や)せる。日々に教えの理を聞かしてもらい、なるほどと感じることは心の養いである。それで心に力が出来るのである。ゆえに分かった話でも、何遍(なんべん)も何遍も聞かしてもろうて、その時の感じを腹(心)に治める。それが、『なるほどの理を治める』ということになるのである。心に納得できると、心に力ができる。この事を、成人、と言うのである。あんなところ、よう辛抱したものや。ふつうの人なら到底できん。参ってしまう。しかし、本人にしてみれば比較的平気である。ちょっとした事で心を濁らしたり、狂うたりするのは『心に力の無い証拠』である。悪いと知りつつもやめられん、ということを、世界の人からよく聞くのである。お道でも 、あの人のあれは、いづれ、ひどい目に遭わねば治まらん、とよく聞くことである。まことに忌(いま)わしいことである。『日々に教えの理を聞かせてもろうて、心に力を付けることが肝心』である。 心の成人を願う、のである。『心の成人待ちかねる 神の思惑 こればかりやで』。

【この世に無駄なもの、要らんものはない】
 教祖は、一枚の紙も、反故やからとて粗末になさらず、おひねりの紙なども、丁寧に皺を伸ばして、座布団の下に敷いて、御用にお使いなされた。次のように仰せ下されている。
 「皺だらけになった紙を、そのまま置けば、落とし紙か鼻紙にするより仕様ないで。これを丁寧に皺を伸ばして置いたなら、何なりとも使われる。落とし紙や鼻紙になったら、もう一度引き上げることは出来ぬやろ。人のたすけもこの理やで。心の皺を、話の理で伸ばしてやるのやで。心も、皺だらけになったら、落とし紙のようなものやろ。そこを、落とさずに救けるのが、この道の理やで」。
 「無駄花というものは、何んにでもあるけれどな、花なしに実るという事はないで」。
 「こんな皺紙(しわがみ)でも、やんわり伸ばしたら、きれいになって、又使えるのや。何一つ要らんというものはない」。
 「人間の反故(ほうぐ)を作らんようにしてくれ」。

【人も物も大切にしなされや】
 仲田儀三郎は教祖と共に何度も獄舎へご苦労されていた。そういう中のある時の事、教祖は反故になった罫紙を差し入れてもらい、コヨリを作って、それで一升瓶を入れる網袋を仕上げられた。監獄を出てのお帰りになってから、それを仲田にお与えになり(それは実に丈夫な上手に出来た網袋だった)、次のように諭されている。
 「物は大切にしなされや。生かしておいて使いなされや。全てが神様からのお与えものやで。さあ、家の宝にしときなされ」。

 お屋敷に参拝人のない時は、反故の紙を伸ばしたり、御供を入れる袋を作っておられた。そして、人が見えると、次のようにお諭しされている。
 「すたりもの身に付くで。卑しいのと違う」。
 「どんな花でもな、咲く年もあれば、咲かぬ年もあるで。一年咲かんでも、又、年が変われば咲くで」。

【蛙の子はおたまやで】
 明治8.11.12日、辻、村田、飯降、枡井(いずれも女)を前にしてのお諭し。
 概要「蛙の子はおたまやで、これはわかっているやろ。おたまは自分は蛙の子やとなかなか納得できないやろ。蛙とおたまはぜん/\違うからなあ。おたまは、いつまでもフナやドジョウと一緒にいたいと思うやろ。それと同じようなことが人間にも言える」。
 「人間はなあ、人間として生きる道は考えて通るやろうが、神の子としての道が本当に通れるだろうか。ここのところよう思案して見い」。
 「暗いと思う前に、まず灯をつけることを考えにゃいかんで」。

【百聞より一見に如かず】
 後に東海大教会を築くことになる加見兵四郎が入信の頃に賜った教祖のお諭し。失明し妻をおぢばへ代理参拝させた時のお言葉。
 「人言伝て(ひとことづて)は、人言伝て。人の口一人潜(くぐ)れば一人。二人潜れば二人。人の口潜るだけ、話が狂う。よって、本人が出てくるのが良い」。

 お指図には次のような御言葉がある。





(私論.私見)