講を結べ論

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.11.21日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「講を結べ論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【講を結べ論】
 お道教義では、道人同士の強固な結合組織として講の結成を諭されている。教祖が、「講を結べ」と、お急きこみいただいたのは、早くも文久、元治の頃に始まる。教祖にあっては、この頃において、道人の続々と列なり来る姿と、こうした道人の信者組織としての「講の結成」とが、「お道」の将来の青写真として映じていたようである。「講の結成」は、実際には明治11年の秀司を講元とする真明講を始まりとするが、「お道」のこの後の展開が「講の結成」を眼目として進展して行くこととなる点に着目を要する。

 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
 どうでも信心 するならバ
 講を結ぼや ないかいな
五下り目10

 教祖は次のようにお諭しなされている。
 126「講社のめどに」。
 明治十六年十一月(陰暦十月)御休息所が落成し、教祖は、十一月二十五日(陰暦十月二十六日)の真夜中にお移り下されたので、梅谷四郎兵衞は、道具も片付け、明日は大阪へかえろうと思って、二十六日夜、小二階で床についた。すると、仲田儀三郎が、緋縮緬の半襦袢を三宝に載せて、「この間中は御苦労であった。教祖は、『これを、明心組の講社のめどに』下さる、とのお言葉であるから、有難く頂戴するように」とのことである。すると間もなく、山本利三郎が、赤衣を恭々しく捧げて、「『これは着古しやけれど、子供等の着物にでも、仕立て直してやってくれ』との教祖のお言葉である」と、唐縮緬の単衣を差し出した。重ね重ねの面目に、「結構な事じゃ、ああ忝ない」と、手を出して頂戴しようとしたところで、目が覚めた。それは夢であった。こうなると目が冴えて、再び眠ることが出来ない。とかくするうちに夜も明けた。身仕度をし、朝食も頂いて休憩していると、仲田が赤衣を捧げてやって来た。「『これは、明心組の講社のめどに』下さる、との教祖のお言葉である」と、昨夜の夢をそのままに告げた。はて、不思議な事じゃと思いながら、有難く頂戴した。すると、今度は、山本が入って来た。そして、これも昨夜の夢と符節を合わす如く、「『着古しじゃけれど、子供にやってくれ。』と、教祖が仰せ下された」と、赤地唐縮緬の単衣を眼前に置いた。それで、有難く頂戴すると、次は、梶本ひさが、上が赤で下が白の五升の重ね餅を持って来て、「教祖が、『子供達に上げてくれ』と、仰せられます」と、伝えた。四郎兵衞は、教祖の重ね重ねの親心を、心の奥底深く感銘すると共に、昨夜の夢と思い合わせて、全く不思議な親神様のお働きに、いつまでも忘れられない強い感激を覚えた。

 お指図には次のような御言葉がある。





(私論.私見)