ひながた論、三年千日の理、四十九年前よりの道考 |
更新日/2025(平成31→5.1栄和改元、栄和7)年3.2日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「ひながた、三年千日の理、諭し悟り考」教理を確認しておく。ひながた論についても案外と確定されていないと思わせていただく。 2007.11.28日 れんだいこ拝 |
【ひながた論の構図考】 | |||
ここで、「お道のひながた論」を確認しておく。重要な教理でありながら案外と確定されていない。本部教理では次のように解されている。
教理では、このような「教祖みき」の「ひながた」を目標(めどう)とするよう説き、「ひながた」通りに歩むことを格別に重視している。それは良いが、「教祖みき」を「神そのもの」として崇め祀る式と、生身の人間の苦闘を通しての神として尊崇する式の二通りのひながた論がある。現在の稿本天理教教祖伝は政府に忖度した時代の名残りがあり、加えて二代真柱の「あいまいなものを徹底的に排除する」という編纂姿勢を反映し、古老からの聞き書きの類いは除かれている。それによって教祖の柔らかな微笑みや仕草や息づかいが消し去られている気がする。 ところが、「教祖ひながた」を実際に辿ろうとすると、常人のそれが及ぶべくもない壮絶なものとなっていることに気づかされる。教祖は、「貧に落ちきれ」から始まる一連の経過、宮池身投寸前事変等々を経由しながら、誤解と中傷と非難の嵐の中を、あらゆる迫害や弾圧にも屈せず、真正面から対決し、むしろ齢を重ねるごとにますます元気に活躍され、90歳で御姿を隠されるまで、世界助けに止むことのない「ひながた」を残されている。「最後のご苦労」となった際の官憲との尋問に於いても、「天皇も人間、我々百姓も同じ魂」と言いきられ、命を縮めても「つとめの理が神」のお立場を崩されていない。そのエネルギーたるや驚異的でまさに神がかりである。元の理の創造、その秘儀のつとめと手踊りの創造、70歳を過ぎてからのお筆先のご執筆、90才近い老齢の教祖を拘留するという世界に例のない苛酷な扱いを受けても示された不屈の意志とバイタリティー、それらをどのように形容しようとも筆が及ばない。 「みき」は、それまでの教えを修理肥の信仰であるとして、真の救済の道筋を解明した。「だめの教え」と云われる所以である。その特質を見るのに、1・阿弥陀信仰、2・遁世主義の排斥、3・他力と自力の合力、4・ここはこの世の極楽という此岸信仰による反彼岸主義、5・真の救いはこの世の陽気づとめと、これによる陽気遊山暮らしなる思想、6・埃り論による心入れ替え、7・つとめによる日々の更生、8・お助け、9・世直し、世の立て替え思想等々を総合させ、最後に甘露台神楽信仰に結実させたところに教理の特質が認められる。 ここには、この世と人間は、親神様のなみなみならぬ丹精によって創られ、長い年月にわたって、生成発展の守護を受けて成人してきた、かけがえのない大切な価値をもつものであるという教え、死後の恐怖話からの解放、たたり、憑き物信仰からの解放、主体的な人格者としての責任の重要性の強調、男女隔てなしの助け合いの理の称揚、陽気勇み思想等々みき教義には汲めども尽くせぬものがある。 究極、人を動かすのは「抽象的真理」ではなく、その底に息づく信仰的真実である。「ひながたの親」では次のように解説されている。
これをどう踏襲するのか、道人の各人の悟りに任されている。 次のように説法されている。
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【ひながたの起点考】 | |
ところで、「ひながたの起点」を廻って議論が生じている。本部教理では、「ひながた」を制限的に解釈しようとして、「教祖は立教以来月日の社として神そのものであった」とする観点から「天保九年(1838年)に中山みきが神懸かりして以降の苦労の道中をひながたと云う」としている。この解釈は、二代真柱中山正善氏の「ひながた論」により定式化されたものである。二代真柱中山正善氏は、第16回教義講習会第一次講習抄録に於いて、その講義に当たって次のように明言した。
二代真柱正善氏は、真柱という規範力の最高権威でもってこの観点を定着させた。これにより、天理教信者の目標として格別の意義を持つ「教祖ひながた」が「二代真柱中山正善氏のひながた論」によって仰ぎ見られることとなった。当時編成されつつあった教祖伝はこの方針を受け骨格を定めることとなった。 |
【教祖の三年千日の理教理】 |
御神楽歌、お筆先には次のように記されている。(略) 教祖は次のようにお諭しなされている。(略) |
【お指図の三年千日の理教理】 | |||||||||||
お指図には次のような御言葉がある。
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【「よふぼく三信条と三年千日の理」】 |
「よふぼく三信条と三年千日の理」。「三信条」とは天理教信仰者の信仰箇条を云う。1967(昭和42)年、二代真柱が、よのもと会の再発足に当たり、教祖の道具衆としてはたらく「よふぼく」(ようぼく)の心構えを、「神一条の精神」、「ひのきしんの態度」、「一手一つの扶け合い」と定め、これをよのもと会の新しい信条とした。これに「三年千日の理」を加えて「よふぼく三信条と三年千日の理」と云う。 |
【「教祖の一家全員ひながた論」考】 |
池田士郎氏は、教祖・中山みきだけではなく、教祖の夫・善兵衛や長男・秀司を含めて、教祖の一家全員を「ひながた」(信仰の模範)とみなす解釈を提出していると云う。本当にそのように述べているとすれば、呆れざるをえない。 |
(私論.私見)