大難は小難、小難は無難論

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.11.23日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「大難は小難&小難は無難論、7層倍の理、繁盛論、一粒万倍論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【大難は小難、小難は無難論】
 「大難は小難、小難は無難論」は教祖名言の一つではあるが、これは日本の古神道用語である。教祖は日本の古神道に精通しており、こういう例は他にも多々ある。

 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。

【大難は小難、小難は無難諭し】
 教祖は次のようにお諭しなされている。
 「借り物というは、常に借りているということ忘れずに、一日一日をありがたい、結構やと思うて通らせてもらうのや。その心やったら、どんな危ない中も、大難は小難、小難は無難に連れて通って下さるで」。
 喜多治郎吉氏によって語り伝えられたお諭しは次の通り。178「身上がもとや」。
 教祖の仰せに、「命あっての物種と言うてある。身上がもとや。金銭は二の切りや。今、火事やと言うたら、出せるだけは出しもしようが、身上の焼けるのも構わず出す人は、ありゃせん。大水やと言うても、その通り。盗人が入っても、命が大事やから、惜しいと思う金でも、皆出してやりますやろ。悩むところも、同じ事や。早く、二の切りを惜しまずに施しして、身上を救からにゃならん。それに、惜しい心が強いというは、ちょうど、焼け死ぬのもいとわず、金を出しているようなものや。惜しいと思う金銭・宝残りて、身を捨てる。これ、心通りやろ。そこで二の切りを以て身の難救かったら、これが、大難小難という理やで。よう聞き分けよ」と。これは、喜多治郎吉によって語り伝えられた、お諭しである。

 お指図は次の通り。





(私論.私見)