その3 徳積み論、陰徳ご守護論、有徳風格論

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「徳積み論、陰徳ご守護論、有徳風格論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【徳積み論】
 お道教義では、「徳積み、徳切れの理」が重視される。これにより、「徳積み論、陰徳ご守護論、有徳風格論」を確認する。

 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。

 教祖は次のようにお諭し為されている。

 「狭いのが楽しみやで。小さいものから理が積もって大きいなるのや」。
 稿本天理教教祖伝逸話篇「63、目に見えん徳」。
 「教祖が、ある時、山中こいそに、『目に見える徳ほしいか、目に見えん徳ほしいか。どちらやな』、と仰せになった。こいそは、形のある物は、失しのうたり盗られたりしますので、目に見えん徳頂きとうございます、とお答え申し上げた」。
 昭和10年4.20日号みちのとも「雛型拾遺」の「上人とは」。
 「御教祖様は或る時、おそばに居られた某氏に、『上人とは、凡夫を離れ、色の世界を離れ、欲の世界を離れ、目先のことに囚われず、行を尽くした人のことや。しかし上人というだけではまだ小さい。自分だけの徳を積んだらよいと思うているからや。この道はそうやない。自分が因縁を切ってもらったら、人にも因縁を切るように、自分が徳を積んだら、人にも徳を積むようにせにゃならん』、とお諭しなさいました」。
※付記に、「本稿は、なくなられた山澤ひさ刀自及び桝井孝四郎氏等の話題を中心としてまとめさせて頂きました」とある。
 逸話篇「111、朝起き・正直・働き。朝、起こされるのと」。
 「教祖が、飯降よしゑにお聞かせ下されたお話に、『朝起き、正直、働き。朝、起こされるのと、人を起こすのとでは、大きく徳、不徳に分かれるで。陰でよく働き、人を褒めるは正直。聞いて行わないのは、その身が嘘になるで。もう少し、もう少しと、働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで』、と」。
 「新版 飯降伊蔵伝」。
 「ある日教祖が伊蔵先生に、『伊蔵さん、この道は陰徳を積みなされや。人の見ている目先でどのように働いても、勉強しても、陰で手を抜いたり、人の悪口を言うていては、神様のお受け取りはありませんで。何でも人様に礼を受けるようなことでは、それでその徳が勘定済みになるのやで。(中略)この埃の心が病の元となるのやで』。また教祖は、『理を立てて身が立つ。人を立てた理によって我が身が立つ。必ず人様を立てるようにして自分は上らぬようにせよ。もし人々から立てられる身になっても、高い心を使わぬようにすることが肝心や」。『頭が上がれば心が濁る。神様の働きが薄くなる』」。
 大正13年7.5日号みちのとも巻頭「神言と辻氏」の「人間は皆兄弟や」。
 「或る時、御本席が辻忠作氏に、神様が今年は米が高くなる、けれども神が不自由なしに連れて通ると仰る、と御話しになった。辻さんは、家へ帰るなり米を買い込まれた。すると左の肘へ大きな腫物が出来た。痛んで仕方がないので御教祖の所へ伺われると、『人間は皆な兄弟や、人に肘をくらわすような事してはならんで』、と仰せになった。けれども辻さんは何の事だか分からなかった。それで重ねて伺うと、『伊蔵さんから聞いた事があるやろ』、と仰せられた。それで米の事であるのが分かった。すると直ぐ、『皆な売って人々にめぐんでやれ。その心になれ』、と仰せられた。辻さんもこれは悪かったと懺悔せられると腫物がすぐ吹き切った。その時、『少しでも心が異なったら、しるしが付くで』、と仰せられた。辻さんは帰って米を売られた。ところが儲かったので、その利益だけ人に与えられた。それで後まで肘に傷が残ったとのことである」。
 お指図は次の通り。
 「贅沢(ぜいたく)していては道はつけられん。聞き分け。草鞋(わらじ)履(は)いて段々運び、重く徳積んでこそ理が効く」(明治31.11.4日)。

 本席は次のようにお諭し為されている。

 「御本席は又、陰徳を積むと云うことについて特に御心を用い給うたと云うことである。本教に入信せられる以前より、道路や橋梁などの毀損して往来に困難を感ずるような場所があれば、夜ふけて人の寝静まる時を窺うて、自分の木材を持ち出して、橋梁に修繕を加えたり、或いは石を除き土を運びて、道路の修繕をせらるゝことなどは度々のことであったということである。しかも用意周到、人よりの謝礼を避けるために、何時も人の気のつかないように之をなされたということである。されば平素の御戒めに、『当り前のことをしただけでは当り前である。さらに当り前以上に気をつけて、ためになるよう、痛まぬよう、損せぬようにするのが徳になる。これが陰徳である。例えば物干し竿一つにしても、これを外に放って置いても別に不都合という訳ではないが、夜露のかからぬよう、軒下にでも入れて置けば、二年保つ所は、三年保つことになる。また鍬などにしても、土のついたるまま仕舞うのと、土を取り払い掃除して仕舞うのと、その保て方が大変に違うものである。すべて痛まぬよう、腐らぬよう、何かにつけ、気をつけてするのが陰徳となる。この陰徳を積むように、日々万事に気をつけることが極めて肝要である云々」と。御本席がこの点に、如何に御心を用い給いしかは、これにても察せられることである」(「陰徳について(本席様の話)」)。
 「人間と云ふものはこの世で住ましてもらふには何からでも陰徳をつまして貰はねばならん。徳はいただけん。そこで人間普通のことをするのはあたりまへや。陰徳は、些細な事や、かうすれば後のためになる、人のためになる。この些細な事に気をつければ陰徳はつまれ、神様は喜んで下さるのや。人に云はれてするのは陰徳ではない。かうすればくさらぬ、いたまぬと云う心が大事や、粗末にしては天の理にかなはん」。(みちのとも、昭和十一年六月号)

【徳積み論逸話】
 昭和36年1月号みちのとも「おさづけは道の路銀(上)」桝井香志朗(桝井孝四郎さんの雅号 )「日々の通り方」より。
 「私が学校を出た青年の頃に、教祖がこう仰ったと言って、私の母が私に教理のお仕込みをして下さった。おそらくこの話は、私の教理の仕込み初めであったかも知れない。未だ私の頭の中にこびり附いている。そしてその教理が私の日々の通り方の心のおきどころにもなっている。『働くというのは、はたはた(傍々)に楽して貰うから傍楽と云うのや。これが天理に叶う種や。銘々は今日まで、どんな因縁を重ねているやらわからん。その因縁を切って貰う為には、人の為に働かして貰わなくては徳は貰えない。徳を貰わなくては因縁は切って貰えないのやで。ところが誰でも人の為に働く事は嫌なものである。我が身損をするといって、なかなか働けないものや。けれど人の為に働くのは、丁度水に譬えていうならば、池の水を向うへ押すようなものやで』、と仰った。『池の水をいくら向うへ押しても押しても、池の水はすぐに横から帰ってくる。これは天理や。これが天理である如く、人の為に働く事は嫌なものやけれども、池の水を向うへ押したら水がすぐ帰ってくるように、徳を返して下さるのやで。この徳によって、今日までに重ねて来た因縁も切って下さるのや。銘々には前生々々の道すがらは解らないけれど、どれだけ因縁を重ねているやらわからんのや。こうした徳によって因縁を切って下されるのやで。ところが人間心で通るのは、人が倒れても我さえよくば、人に迷惑かけても、人を苦しめても我さえよくばという人間の我欲で働くのは、池の水を我が方へかき寄せるようなものや。いくらかき寄せても、かき寄せても、池の中に水の山はできようまい。水はみな横から逃げて行くがな。池の水が逃げて行くように、徳が逃げて行くのや。徳が逃げて行ったら後に何が残るのや。徳の反対の因縁が残るのや。たとえ物が残ったとしても、それは人を苦しめた、倒したという因縁が形になって残っているのや。そんな物がいくらあっても、我が身につくものやない。その物によって苦しむという因縁を積むという事になるのや』、というような意味のことを話して下さった」。

【陰徳ご守護論】
 逸話篇160「柿選び」(天理青年教程第二集「教祖様のお言葉」桝井孝四郎より)。
 「こりゃ私の母さんから聞いた話でございまするが、教祖様の前へお目通り頂いた。するとちょうど盆の中に柿が積まれてあった。その時に教祖様が柿をおあがりになるのを見ておった。と、教祖様もあれやこれやと、こう御覧になっておった。だからして、教祖様も、あ、なるほど物をお取りになる時には、やっぱり人間のようにお選びになるのやな、とその時は見ておった。ところが、お取りになるその柿は、一番うまくなさそうな柿をお取りになった。あ、ほんに成る程、ああ、これが教祖様やな、一番まずそうな柿をお取りになって、『さあ、あんたも、おいしゅう頂戴しなはれや』と言って出して下さる。これが教祖様だ、我々御互い直接お接し申し上げさして頂いた時、成る程人間やない教祖様なんだ。我々人間でございましたならば、色々あれやこれやと苦心して探しまする。一番大きな、うまかりそうなものを取るのです。(笑声)あまり一番うまかりそうな大きなものを取るからして、皮をむいて、あっ渋い、しもうたという事になる。(笑声)ところが教祖様はお選りになるが、うまいものを残してやると、子供にうまいものを食べさしてやりたい親心が、一番まずそうなものをお取りになる。この事は非常に教祖様の御心を、御気持ちが、よく現れているのであります。その後で教祖様が聞かして下さった。『な、お道の者は、柿を戴く時には、どこから食べるのやな。普通の人間やったら、柿を食べるには皆うまい頭からかぶりなさるやろ』。こりゃ、あたり前の事ですね、頭からかぶる。(笑声)『頭から先にかぶったら、後に何が残ります。へたが残りますやろうな』。あたり前の事なんです。(笑声)ところが、『お道の者の食べ方は、我が身先にへたを食べなさいや。へたを食べたら、後にうまい頭が残りまっしゃろうがな』。これがお道の通り方やと仰る」。
 「産婆」(「教祖とその高弟逸話集」、天理教赤心社、昭和3年4月発行より)。
 「昔は今と違って、小児の生れる時,産婆になって取上げするのを大変嫌った。然し教祖はそんな事に頓着なく、村で子供が生れると聞くと、直ぐその家に行って、親切に産婆の役を勤められた。子が生れると、教祖は御馳走などになるのを避けて、そのままだまってお帰りになった」。
 「母に死なれた子供を」(高野友治著「創象40」7p、天理時報社印刷、昭和62年5月発行)。
 「永原村の岡本シナが病気で、教祖のところへお願いに上ったとき、これは慶応年間のことだと思うが、なかなか御守護いただけなかった。このとき、教祖仰せには、『神さまはな、母に死なれた子供を引きとって育てて下されたら一番お喜びになる』。そこで岡本シナは、近くの村で、母に死なれた乳呑み児を預かって育ててやった。育ててやっている間に、岡本シナの身上は、きれいに御守護をいただいたという。神さまがお喜びとともに、子を残して死んだ母親が、人間の目には見えないのだけれども、どれだけ喜んだか分らない。その喜びの心が、岡本シナの上にかえって来て、岡本シナの身上が達者になったとも考えられる」。

【有徳の風格】
 「徳が身につくと」(「増野鼓雪選集第一巻・講壇」180-181p、道友社、昭和45年10月発行)。
 「人間の心は随分働きもし、いろいろなことを考えたりするが、人間のしたことは又すぐにこわれてしまう。これに引きかえ自然にできたものは、何でも美しいもので又強いものである。理で固め、理で治まったものは何でもよい。道の上のことでも又世上のことでも同じであるが、徳で治めたものはよいが、知恵や力でこしらえたものは、その場はよくても末代の理が治まらぬから乱れやすい。お道のことは、この徳のある者でなければ、真の治まりがつまぬ。蜂の巣をつついたようなガチャガチャした中でも、徳のあるものが治めたらすぐにも治まる。しかし俺は賢いからとか、学問があるからとかいうような人間の力では、決して治まるものではない。ことにお道は方法や手段で行くのやない。通ってきた上から付いた理で作った徳でなければ治めることはできない。徳というものは解くということで、いろいろにもつれたり思いに悩むことも、徳のある人にかかればすぐにとけて治まるものである。教祖は晩年には二重台の上へ座布団を敷いて、その上に座っておいでになった。その頃大阪の信者で易者をしていた者がお詣りに来て、非常に驚いて帰って行った。そして言うには、「あれだけの所であれだけの備えの付いた方は、日本でも陛下は別として、関白の身でなくばとても及ばぬ」と言うたそうであるが、元をたずねれば百姓の女(むすめ)である。それがあれだけの備えがあったというのは、さすが因縁をもって表われ給うた神様でなければできない。つまり徳があるからである。徳のない者は、そんな場所へ座ろうとしても座ることができぬ」。


【賢さよりも心が肝要】
 「人間は賢いだけでは」(昭和十八年二月号みちのとも「朝起・正直・働き」梶本宗太郎より)。
 「御本部で大掃除の時、御母堂様が或る青年さんに、『このタンスの下は掃除して下さいましたか』と言われたのに、『ハイ、奇麗に掃きました』と言ったが実は掃除してなかった。勿論その青年さんは、そうお答えして後で掃くつもりでした。このことを御母堂様は、『あの人は賢い人ですが、人間は賢いだけではいけませぬ』と仰った。教祖様は、『どんな処にいても、神様は胸の内だけをしっかと受け取って下さるのです』とお諭し下されたそうですが、結局、言う口でなく、言う心が肝要だと思いました」。




(私論.私見)

 「理」(り)は目には見えないもので、なかなかには証明できないものである。一般的には物事の筋道、条理、道理、法則、原理、理法等々に例えられる。お道の「理」は、親神様のお働きそのものを指す場合と、親神様がこの世を守護される上で設定されている原理や法則を指す場合があるように考えられる。これを「天の理」と呼ぶ。この天理に沿ってこの世は成り立っているのだと諭されている。その「天の理」の出発点にあるのが「元の理」である。「元の理」で必ず押さえておかなければならないことは「元の親」、「元の場所」、「元の思い」の三つである。「元の親」とは、月日様のことである。「元の場所」とは、母親なる「いざなみのみこと」の胎内に子数が宿し込まれた場所であり、その母親が子数と共に三年三月留まられた場所の中心、即ち「ぢば」の地点を云う。「元の思い」は親神様の御心であり、それに適う善い心づかいや行いは「誠」とか「真実」と呼ばれ、「功(こう)」や「徳」として積まれていく。逆に、親神様の御心に適わない悪しき心づかいや行いは「心のほこり」となり、「悪いんねん」として積まれていく。その「理」が、親神様のご守護に影響を及ぼすというのが「天の理」の基本的なルールである。明治二十五年一月十三日のおさしづに、「理は見えねど、皆帳面に付けてあるのも同じ事、月々年々余れば返やす、足らねば貰う。平均勘定はちゃんと付く。これ聞き分け」とある。私たちの身に起こってくることは、すべて私たちの心通りであり、私たち人間の心づかいの理に対する「かやし」なである。