その5 種まきの理、修理肥の理

 更新日/2018(平成30).4.26日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「種まきの理、修理肥の理」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【種を蒔く】
 摂津国安立村に「種市」という屋号で花の種を売って歩く前田藤助、タツという夫婦があった。二人の間には、次々と子供が出来た。もう、これぐらいで結構と思っていると、慶応元年、また子供が生まれることになった。それで、タツは、大和の国に、願うと子供をおろして下さる神様があると聞いて、大和へ来た。しかし、そこへは行かず、不思議なお導きで、庄屋敷村へ帰り、教祖にお目通りさせて頂いた。

 すると、教祖は、「あんたは、種市さんや。あんたは、種を蒔くのやで」と、仰せになった。タツは、「種を蒔くとは、どうするのですか」と、尋ねた。すると、教祖は、「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻るのやで。」とお教えになった。更に、お腹の子供について、「子供はおろしてはならんで。今年生まれる子は、男や。あんたの家の後取りや」と、仰せられた。このお言葉が胸にこたえて、タツは、子供をおろすことは思いとどまった。のみならず、夫の藤助にも話をして、それからは、夫婦ともおぢばにへ帰り、教祖から度々お仕込み頂いた。子供は、その年6月18日安産させて頂き、藤次郎と名付けた。 こうして、二人は、花の種を売りながら、天理王命の神名を人々の胸に伝えて廻った。そして、病人があると、二人のうち一人が、おぢばへ帰ってお願いした。すると、どんな病人でも次々と救かった。

【貧に落ちきれ、一粒万倍】
 一粒の籾種からやがて何万という収穫が得られるように、人間が真実の心でもってつとめる時、親神様はその心を受け取って万倍の喜びを与えられるということ。
 「一粒の真実の種を蒔いたら、一年経てば二百粒から三百粒になる。二年目には、何万という数になる。これを、一粒万倍というのやで」。
 「神様の御用なら、する事、為す事、皆、一粒万倍に受け取るのやで」
 「流れる水も同じこと、低い所へ落ち込め、落ち込め。表門構え、玄関造りでは助けられん」
 「表門構え、玄関づくりでは人助けできん。貧に落ちきれ。貧に落ちきらねば、難儀なる者の味が分からん。水でも落ちきれば上がるようなものである。一粒万倍にして返す」

【貧のどん底、神の働きで先案じは一つもいらん】
 「肩あれば着せて通る。口あれば食わせて通る。先案じは一つもいらん」。

【においがけ、お助け、種蒔き】
 「自分が助かって結構やったら、人さん助けさしてもらいや。あんたの助かったことを、ひとさんに真剣に話さして頂くのやで」。
 「なむ天理王の命と唱えて、手を合わせて神さんをしっかり拝んで廻るのやで」。
 「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻るのやで」。

【修理肥の理】
 「肥えの授け」お諭し。
 教祖は、山中忠七に、「神の道について来るには、百姓すれば十分に肥も置き難くかろう」とて、忠七に、肥のさづけをお渡し下され、「肥のさづけと言うても、何も法が効くのやない。めんめんの心の誠真実が効くのやで」と、お諭しになり、「嘘か真か、試してみなされ」と、仰せになった。忠七は、早速、二枚の田で、一方は十分に肥料を置き、他方は肥のさづけだけをして、その結果を待つ事にした。

 やがて8月が過ぎ9月も終わりとなった。肥料を置いた田は、青々と稲穂が茂って、十分、秋の稔りの豊かさを思わしめた。が、これに反して、肥のさづけの肥だけの田の法は、稲穂の背が低く、色も何だか少々赤味を帯びて、元気がないように見えた。忠七は、「やっぱりさづけよりは、肥料の方が効くようだ。」と、疑わざるを得なかった。 ところが、秋の収穫時になってみると、肥料をした方の田の稲穂には、虫が付いたり、空穂があったりしているのに反し、さづけの方の田の稲穂は、背こそ少々低く思われたが、虫穂や空穂は少しもなく、結局実収の上からみれば、確かに、前者よりもすぐれていることが発見された。
 「教祖、あるとき、仰せには『神が働けば、世界一夜の間にもなむ天理王命にしてみせる』と。信者たちは喜んで、「どうぞ、そのようにしていただきとうございます」と。教祖、仰せには『世界一夜の間になむ天理王命にしたところが、誰が修理肥に行ってくれますか』と。信者たちは黙って答えません。教祖、仰せには『修理肥に行ってくれる人がなくてはどもならん。やめておこう』と」。
 (「教祖おおせには」、〔註〕奥野道三郎氏からきく。昭和六十年四月発行、高野友治著「教祖仰せには」(天理時報社)18~31pより)。

 
 「医者、薬は修理肥しゅうりこえ」。






(私論.私見)