諭し論その4 働く=傍楽(はたらく)の諭し

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.8.19日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「働く=傍楽(はたらく)の諭し」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


働く=傍楽(はたらく)の諭し
  お道教義では、独特の「働く=傍楽(はたらく)の諭し」がある。
 稿本天理教教祖伝逸話篇「197、働くことの意味について」。
 「ある時のお話に、『働く、というのは、はたはた(側々・傍々)の者を楽にするから、はたらく(側楽・傍楽)、と云うのや』、とお聞かせ下された」。
 昭和60.4月発行、高野友治著「「教祖仰せには」18-31p。
 「教祖におたずねいたしました。人間は、なぜ生れて来たものでございましょうか、と。教祖、おおせには、『人間は、働ききに生れてきたのやで。働くというのは、はたはた楽させることやで』、と」。

 非常に明るい労働観であり、ユダヤ―キリスト教の聖書式の労働を苦と考える労働観ではないことが注目されよう。 又、

 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。

 教祖は次のようにお諭し為されている。

 「教祖にお尋ねした。『人間はなんのために生れて来たのでしょうか』。教祖のお答えは、『人間は働きに生れて来たのである』と。そして、”はたらく”とは、”はたはた(周辺の人々)を楽さすことだ”と教えられたと伝えられている。ある人が、教祖にお尋ねした。『人間が働きに生れて来たものなら、もっと働けるように、夜昼なしにしたらどんなものでございましょうか』。教祖、そのとき、本を繰(く)っておられ、『このようなものやな』とおっしゃったという。(「もろもろの質問」、この話は、奥田勝氏から聞いた。奥田氏は松村吉太郎氏から聞いたと言っていた)
 教祖伝逸話篇「197、働く手は」。
 「教祖が、いつもお聞かせ下されたお話しに、『世界中、互いに助け合いするなら、末の案じも危なきもない。仕事は何(な)んぼでもあるけれども、その仕事をする手がない家もあれば、仕事をする手は何んぼでもあるが、する仕事がない家もある。奉公すれば、これは親方のもの、と思わず、陰日向(かげひなた)なく、自分の事と思うてするのやで。秋にでも、今日はうっとしい(鬱陶しい)と思うたら、自分のものやと思うて、莚(むしろ)でも何んでも始末せにゃならん。陰日向なく働き、人を助けておくから、秋が来たら襦袢(じゅばん)を拵(こしら)えてやろう、何々してやろう、というようになってくる。こうなってくると、双方助かる。同じ働きをしても、陰日向なく、自分のことと思うて働くから、あの人は如才(じょさい)ない(気が利く抜かりない)人であるから、あの人を雇う、というようになってくる。こうなってくると、何んぼでも仕事がある。この屋敷に居る者も、自分の仕事である、と思うから、夜昼、こうしよう、ああしよう、と心にかけてする。我が事と思うてするから我が事になる。ここは自分の家や、我が事、と思うてすると自分の家になる。陰日向をして、なまくら(鈍)すると、自分の家として居れぬようになる。この屋敷には働く手はいくらでも欲しい。働かん手は一人も要らん』と。又、ある時のお話に、『働くというのは、はたはた(側々・傍々)の者を楽にするから、はたらく(側楽・傍楽)と言うのや』とお聞かせ下された」。
 みちのとも昭和36年1月号、桝井香志朗(孝四郎)「おさづけは道の路銀、上」の「池の水」より。
 「私(桝井孝四郎)が学校を出た青年の頃に、教祖がこう仰った、と言って、母(桝井おさめ)が私に教理の仕込みをして下さった。恐らくこのお話は、私の教理の仕込み始め、であったかも知れない。まだ、私の頭の中にこびり付いている。そしてその教理が、私の日々の通り方の、心の置き所にもなっている。『働(はたら)く、というのは、はたはた(側々・傍々)に楽してもらうから、はたらく(側楽・傍楽)、と言うのや。これが天理に適(かな)う種(たね)や。銘々は今日まで、どんな因縁を重ねているや分からん。その因縁を切ってもらうためには、人のために働かしてもらわなくては、徳はもらえん。徳をもらわなくては、因縁は切ってもらえんのやで。ところが誰でも、人のために働くことは嫌なものである。我が身損をする、と言うて、なかなか働けんものや。けれど、人のために働くのは、ちょうど水に譬(たと)えて言うならば、池の水を向こうへ押すようなものやで』と仰った。『池の水をいくら向こうへ押しても/\、池の水は、すぐに横から帰ってくる。これは天理や。これが天理である如く、人のために働くことは嫌なものやけれども、池の水を向こうへ押したら、水がすぐ帰ってくるように、徳を返して下さるのやで。この徳によって、今日まで重ねてきた因縁も切って下さるのや。銘々には、前生/\の道すがらは分からん。どれだけ因縁を重ねているやら分からんのや。こうした徳によって、因縁を切って下さるのやで。ところが人間心で通るのは、人が倒れても我さえよくば、人に迷惑かけても、人を苦しめても、我さえよくばという人間の我欲で働くのは、池の水を我が方へ掻(か)き寄せるようなものや。いくら掻き寄せても/\、池の中に水の山はできようまい。水は皆な横から逃げて行くがな。池の水が逃げて行くように、徳が逃げて行くのや。徳が逃げて行ったら後に何が残るのや。徳の反対の因縁が残るのや。たとえ、物が残ったとしても、それは人を苦しめた、倒したという因縁が、形になって残っているのや。そんな物がいくらあっても我が身につくものやない。その物によって苦しむという、因縁を積むということになるのや』ということを話して下さった」。

【朝起き、正直、働きの理】
 教祖はある時、側近の人に向かって、その手の上に「これは朝起き、これは正直、これは働き」と、籾を一粒ずつ載せ、「この三つを、しっかり握って、失わんようにせにゃいかんで」と諭された。天理教では「三つの宝」と教えられている。
 「日々に、朝起き、正直、働き、この三つを心に置いて通らしてもらうのやで。結構な日々が通れるで。借りものという事分からねば、この道は通れないで」。

 他にも、
 「朝、起されるのと、人を起すのとでは、大きく徳、不徳に分かれるで。朝起き、正直、働きは、三つの宝。この三つをしっかり握って、失わんようにせにゃいかんで」。
 「教祖が、飯降よしえにお聞かせ下されたお話しに、『朝起き、正直、働き。朝、起こされるのと、人を起こすのとでは、大きく徳、不徳に分かれるで。陰でよく働き、人を褒めるは正直。聞いて行わないのは、その身が嘘になるで。もう少し、もう少しと、働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで』と」。(逸話篇111「朝、起こされるのと」)
 「ある時、教祖は、飯降伊蔵に向かって、伊蔵さん、掌を拡げてごらん、と仰せられた。伊蔵が、仰せ通りに掌を拡げると、教祖は、籾を三粒持って、これは朝起き、これは正直、これは働きやで、と、仰せられて、一粒ずつ、伊蔵の掌の上にお載せ下されて、この三つを、しっかり握って、失わんようににせにゃいかんで、と仰せられた。伊蔵は、生涯この教えを守って通ったのである」。(逸話篇29「三つの宝」)

【働きの理】
 「世界中互いに助け合いするなら、末の案じも危なきもない。仕事はなんぼでもあるけれどもその仕事をする手がない家もあれば、仕事をする手はなんぼでもあるが、する仕事がない家もある。奉公すれば、これは親方のものと思わず、陰日向なく自分のことと思うてするのやで。秋にでも、今日は鬱陶しいと思うたら自分のものやと思うて筵でも何でも始末せにゃならん。陰日向なく働き、人を助けておくから、秋が来たら襦袢をこしらえてやろう、何々してやろう、と言うようになってくる。こうなってくると双方助かる。

 同じ働きをしても、陰日向なく自分のことと思うて働くから、あの人は如才ない人であるから、あの人を雇うというようになってくる。こうなってくるとなんぼうでも仕事がある。この屋敷にいるものも、自分の仕事であると思うから、夜昼こうしよう、ああしようと心にかけてする。我が事と思うてするから我が事になる。ここは自分の家や、我が事と思うてすると、自分の家になる。陰日向をしてなまくらをすると、自分の家として居られぬようになる。この屋敷には、働く手はいくらでもほしい。働かん手は一人もいらん」。
 「教祖が、いつもお聞かせ下されたお話しに、『世界中、互いに扶け合いするなら、末の案じも危なきもない。仕事は何んぼでもあるけれども、その仕事をする手がない家もあれば、仕事をする手は何んぼでもあるが、する仕事がない家もある。奉公すれば、これは親方のものと思わず、蔭日向なく自分の事と思うてするのやで。秋にでも、今日はうっとしいと思うたら、自分のものやと思うて、莚でも何んでも始末せにゃならん。蔭日向なく働き、人を助けておくから、秋が来たら襦袢を拵えてやろう、何々してやろう、というようになってくる。こうなってくると、双方助かる。同じ働きをしても、蔭日向なく自分の事と思うて働くから、あの人は如才ない人であるから、あの人を傭うというようになってくる。こうなってくると何んぼでも仕事がある。この屋敷に居る者も、自分の仕事であると思うから、夜昼、こうしよう、ああしようと心にかけてする。我が事と思うてするから我が事になる。ここは自分の家や、我が事と思うてすると、自分の家になる。蔭日向をして、なまくらすると、自分の家として居られぬようになる。この屋敷には、働く手はいくらでもほしい。働かん手は一人も要らん』と。又、ある時のお話に、『働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(註、側楽・ハタラク)と言うのや』と、お聞かせ下された」。(稿本天理教教祖伝逸話編197「働く手は」)

【家業に励むは神の望み】
 「おやさま探訪」に次の逸話が紹介されている。それによれば、教祖は梶本惣次郎氏に次のようなおふでさきを与えている。
 「日々(にちにち)に家業に心尽するは、これが第一神の望みや」。

 惣次郎氏は、教祖の次女おはるの主人で、鍛冶屋をしながら、お屋敷の御用にも昼夜をおしまず、励まれていた。その道中で、この言葉をいただかれた。「家業に励むは神の望み」との教えとして悟らせていただく。
 金光教では次のように説かれている。
 「(教祖様は、)心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう、倹約をし、誰にも言わずに行えば、これ心行なり。苦難のことにつき心願する人多し。信心の事柄を知らぬ人も数ある」。
 「子孫繁盛家繁盛」。

【麻と絹と木綿の話】
 明治5年、教祖が信者の松尾の家に滞在中のこと、御居間へ朝の御挨拶に伺うた市兵衛、ハルの夫婦に、教祖は、「あんた達二人とも、わしの前へ来る時は、いつも羽織を着ているが、今日からは、普段着のままにしなされ。そのほうが、あんた達も気楽でええやろ」と、仰せになり、二人が恐縮して頭を下げると、「今日は、麻と絹と木綿の話をしよう」と次のように諭された。(天理教教祖伝逸話編)
 「木綿や。木綿のような心の人を、神様はお望みになっているのやで」。
 「麻はなぁ、夏に着たら風通しがようて、肌につかんし、これほど涼しゅうええもんはないやろ。が、冬は寒うて着られん、夏だけのものや。三年も着ると色が来る。 色が着てしもうたら、値打ちはそれまでや。濃い色に染め直しても、色むらが出る。そうなったら、反故と一しょや。絹は、羽織にしても着物にしても、上品でええなぁ。買うときは高いけど、誰でも皆な欲しいもんや。でも、絹のような人になったら、あかんで。新しい間はええけど、ちょっと古うなったら、どうにもならん。そこへいくと、木綿は、どんな人でも使うている、ありきたりのものやが、これほど重宝で、使い道の広いものはない。冬は暖かいし、夏は、汗を掻いても、よう吸い取る。汚れたら、何遍でも洗濯ができる。色が褪せたり、古うなって着られんようになったら、おしめにでも雑巾にでもなる。形が無うなるところまで使えるのが、木綿や。木綿のような心の人を、神様はお望みになっているのやで」
 「着物は柔らかい着物着ることいらん。固い着物で結構や。身に固いもの着て心を真綿のように柔らこうせねばいかん。やわらかい着物を着て心を固うしてはいかんで」。






(私論.私見)