「教祖にお尋ねした。『人間はなんのために生れて来たのでしょうか』。教祖のお答えは、『人間は働きに生れて来たのである』と。そして、”はたらく”とは、”はたはた(周辺の人々)を楽さすことだ”と教えられたと伝えられている。ある人が、教祖にお尋ねした。『人間が働きに生れて来たものなら、もっと働けるように、夜昼なしにしたらどんなものでございましょうか』。教祖、そのとき、本を繰(く)っておられ、『このようなものやな』とおっしゃったという。(「もろもろの質問」、この話は、奥田勝氏から聞いた。奥田氏は松村吉太郎氏から聞いたと言っていた) |
教祖伝逸話篇「197、働く手は」。
「教祖が、いつもお聞かせ下されたお話しに、『世界中、互いに助け合いするなら、末の案じも危なきもない。仕事は何(な)んぼでもあるけれども、その仕事をする手がない家もあれば、仕事をする手は何んぼでもあるが、する仕事がない家もある。奉公すれば、これは親方のもの、と思わず、陰日向(かげひなた)なく、自分の事と思うてするのやで。秋にでも、今日はうっとしい(鬱陶しい)と思うたら、自分のものやと思うて、莚(むしろ)でも何んでも始末せにゃならん。陰日向なく働き、人を助けておくから、秋が来たら襦袢(じゅばん)を拵(こしら)えてやろう、何々してやろう、というようになってくる。こうなってくると、双方助かる。同じ働きをしても、陰日向なく、自分のことと思うて働くから、あの人は如才(じょさい)ない(気が利く抜かりない)人であるから、あの人を雇う、というようになってくる。こうなってくると、何んぼでも仕事がある。この屋敷に居る者も、自分の仕事である、と思うから、夜昼、こうしよう、ああしよう、と心にかけてする。我が事と思うてするから我が事になる。ここは自分の家や、我が事、と思うてすると自分の家になる。陰日向をして、なまくら(鈍)すると、自分の家として居れぬようになる。この屋敷には働く手はいくらでも欲しい。働かん手は一人も要らん』と。又、ある時のお話に、『働くというのは、はたはた(側々・傍々)の者を楽にするから、はたらく(側楽・傍楽)と言うのや』とお聞かせ下された」。 |
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みちのとも昭和36年1月号、桝井香志朗(孝四郎)「おさづけは道の路銀、上」の「池の水」より。
「私(桝井孝四郎)が学校を出た青年の頃に、教祖がこう仰った、と言って、母(桝井おさめ)が私に教理の仕込みをして下さった。恐らくこのお話は、私の教理の仕込み始め、であったかも知れない。まだ、私の頭の中にこびり付いている。そしてその教理が、私の日々の通り方の、心の置き所にもなっている。『働(はたら)く、というのは、はたはた(側々・傍々)に楽してもらうから、はたらく(側楽・傍楽)、と言うのや。これが天理に適(かな)う種(たね)や。銘々は今日まで、どんな因縁を重ねているや分からん。その因縁を切ってもらうためには、人のために働かしてもらわなくては、徳はもらえん。徳をもらわなくては、因縁は切ってもらえんのやで。ところが誰でも、人のために働くことは嫌なものである。我が身損をする、と言うて、なかなか働けんものや。けれど、人のために働くのは、ちょうど水に譬(たと)えて言うならば、池の水を向こうへ押すようなものやで』と仰った。『池の水をいくら向こうへ押しても/\、池の水は、すぐに横から帰ってくる。これは天理や。これが天理である如く、人のために働くことは嫌なものやけれども、池の水を向こうへ押したら、水がすぐ帰ってくるように、徳を返して下さるのやで。この徳によって、今日まで重ねてきた因縁も切って下さるのや。銘々には、前生/\の道すがらは分からん。どれだけ因縁を重ねているやら分からんのや。こうした徳によって、因縁を切って下さるのやで。ところが人間心で通るのは、人が倒れても我さえよくば、人に迷惑かけても、人を苦しめても、我さえよくばという人間の我欲で働くのは、池の水を我が方へ掻(か)き寄せるようなものや。いくら掻き寄せても/\、池の中に水の山はできようまい。水は皆な横から逃げて行くがな。池の水が逃げて行くように、徳が逃げて行くのや。徳が逃げて行ったら後に何が残るのや。徳の反対の因縁が残るのや。たとえ、物が残ったとしても、それは人を苦しめた、倒したという因縁が、形になって残っているのや。そんな物がいくらあっても我が身につくものやない。その物によって苦しむという、因縁を積むということになるのや』ということを話して下さった」。 |
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