その4 教祖の回天論その4、日本ね(ねへ、ねゑ)の国、外国ゑだの国論

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「教祖の回天論その4、日本ね(ねへ、ねゑ)の国、外国ゑだの国論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【教祖の回天論その4、日本ね(ねへ、ねゑ)の国、外国ゑだの国論】
 教祖の「日本ね(ねへ、ねゑ)の国、外国ゑだの国」論が何処からどういう経緯で
教理化したのか分からない。
 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
 これからは 日本の 話しする       
 何を云うとも 分かりあるまい
二号31
 唐人が 日本の地へ 入り込んで
 ままにするのが 神の立腹
二号32
 段々と 日本助ける 模様だて
 唐人神の まゝにするなり
二号33
 この先は 日本を 分けるでな
 これ分かりたら 世界治まる
二号34
 珍しい この世創めの 甘露台
 これが日本の 治まりとなる
二号39
 高山の 日本のものと 唐人
 分ける模様も これも柱や
二号46
 唐人と 日本のものと 分けるのは
 火と水とを 入れて分けるで
二号47
 段々と 世界の心 勇むなら          
 これが日本の 治まりとなる
三号4
 これからは 人衆揃うて つとめする
 これで確か 日本治まる
三号76
 今までは 唐が日本を ままにした
 神の残念 何としょうやら
三号86
 この先は 日本が唐を まヽにする
 皆な一列は 承知していよ
三号87
 同じ木の との 事ならば
 は折れくる は栄えでる
三号88
 今までは が偉いと 云うたれど
  これから先は 折れるばかりや
三号89
 日本見よ 小さいように 思うたれど
 が表われば 恐れいるぞや
三号90
 これからは 世界の心 勇めかけ
 日本治める 模様するぞや
三号114
 この先は 日本を すみやかに
 段々分ける 模様ばかりを
四号33
 段々と よろづ助けを 皆な教え
 日本を 分けるばかりや
四号57
 日々に 日本を 分ける道
 神のせき込み これが一条
四号58
 子供さへ 早く表へ 出したなら
 日本の 地にするなり
四号66
 この道を 通り抜けたら その先は
 日本の 地いにしてある
四号102
 の地を 日本の地いに したならば
 これ末代の 行き通りなり
四号103
 今までは 日本に 従うて
 ままにしられた 神の残念
四号128
 この道に ついたるならば いつまでも
 これ日本の 古記なるのや
五号31
 日本にも 古記が出けた ことならば
 何でもを ままにするなり
五号32
 日本には 今まで何も 知らいでも
 これから先の 道を楽しめ
五号38
 今までは 日本と 云うたれど 
 これから先は 日本ばかりや
五号41
 段々と 何事にても 日本には
 知らんことをば ないと云うよに
五号69
 これまでに 通りて来たる 道筋は
 日本も 分かりないので
五号83
 この先は なんぼやと 云うたとて
 日本が負ける 試しないぞや
五号84
 こればかり どこたづねても ないほどに    
 これ日ぃ本の 真の柱や
八号85
 確固したるなら なんぼやと 云うたとて
 日本のものに これはかなわん
十号6
 これからは 日本のものは 段々と
 月日引き立て これを見ていよ
十号9
 日本には 柱を立てる ことならば
 病まず死なずに 弱りなきよに
十号11
 この台を どういうことに 思うかな
 これ日本の 親であるぞや
十号22
 これからは 日本も 知らんこと
 ばかり云うぞや しかと聞くなり
十号55
 何事も 月日の心 思うには
 日本に古記 欲しいことから
十号87
 日本にも 古記を確か こしらへて
 それ広めたら はまゝなり
十号88
 この話し 何と思うて 皆なの者
 日本のものは 皆な我がことや
十号89
 このところ どのよな古記 したるとも
 これは日本の 宝なるぞや
十号91
 このことは 一寸のことやと 思うなよ    
 これは日本の 古記なるのや
十一号32
 どのような ことも段々 知らしたさ
 日本の古記 皆なこしらえる
十一号68
 この話し 何のことをば 云うならば 
 日本も 天竺のこと
十二号7
 この助け 一寸のことやと 思うなよ
 これは日本の 一の古記や
十二号101
 この心 どういうことに 思うかな
 日本も 天竺までも
十三号77
 この台を どういうことに 思うている     
 これは日本の 一の宝や
十七号3
 そのぢばは 世界一列 どこまでも
 これは日本の 故郷なるぞや
十七号8

 教祖は次のようにお諭しなされている。

 お指図は次の通り。
 井上昭夫氏は『世界宗教への道』の中で、科学を至上視する西洋文明が崩壊し、東洋の特に日本の文化が再評価されつつある現実を、種々の具体例をあげて説明し、「欧米の近代化の超克は、欧米自身の日本化への構造的変革をおいてはない」(369頁)と断定している。日本文化が「ね」で、西洋文明が「えだ」であるとする視点からの興味深い指摘である。井上氏は、西から東への文明の逆流は「ね」が現われるという神意の具現であるとしている。(「No.91  教理随想(42) 「にほん」と「から」(2)」参照。 )





(私論.私見)