その1 教祖の回天論その2、大社、高山、谷底論

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「教祖の回天論その2、大社、高山、谷底論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【教祖の回天論その2、大社、高山、谷底論】
 その2「高山、谷底論」につき、御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
 高山の お池に沸いた 水なれど
 出端は濁り 五目混じりで
二号25 
 これからは 高山池へ 飛び入り
  いかな五目も 掃除するなり
二号29
 高山に 火と水とが 見えてある
 誰が目えにも これが見えんか
二号40
 高山の 説教聞いて 真実の
 神の話を聞いて 思案せ
三号47
 高山は 世界一列 思うよう
 まヽにすれども 先は見えんで
三号48
 高山に 育つる木も 谷底に
 育つる木も 皆な同じこと
三号125
 今までは 高い山やと 云うたとて
 用木見えた ことはなけれど
三号140
 この先は 高山にても 段々と
 用木見出す 模様するぞや
三号141
 高山の 説教聞いて 真実の
 神の話を聞いて 思案せ
三号148
 今までは 高い山やと 云うてある
 谷底にては 意見ばかりを
四号120
 これからは 高山にても 谷底も
 元始まりを 云うて聞かする
四号121
 見えるのも 何のことやら 知れまいな
 高い山から 往還の道
五号57
 それ知らず 高山にては 何もかも
 何と思うて ままにするぞや
六号66
 高山は 何を云うても 思うにも
 皆な人間の 心ばかりで
六号69
 今までは 高い山やと はびかりて
 何かよろづを ままにしたれど
六号72
 真実に 返しと云うは このことや
 高山は皆な 承知していよ
六号79
 それ知らず 今のところ 高山
 皆なはびこりて ままにしている
六号89
 どのような 大社高山 油断しな
 何時(なんどき)月日 飛んで出るやら
六号92
 この返し 大社高山 取り払い
 皆な一列は 承知していよ 
六号115
 どのような 高い山でも 水がつく
 谷底やとて 危なげはない
七号13
 どのような 高いところと 云うたとて
 月日のたあには 皆な我が子
八号64
 どのような 高いところの 者やとて
 自由よう次第に 話しするなり
八号88
 日々に 高山にては 段々と
 どんなことをば 頼み訪ねる
十二号168
 しかと聞け 高山にても 谷底
 見れば月日の 子供ばかりや
十三号26
 高山に 暮らしているも 谷底
 暮らしているも 同じ魂
十三号45
 月日より 真実思う 高山
 戦い災禍 治めたるなら
十三号50
 このつとめ 高山にては 難しい
 神がしっかり 引き受けをする
十三号53
 しかと聞け 高山やとて 谷底
 ままにしられた ことであれども
十三号56
 高山で どのよなものが はびかるも
 この真実を 誰も知るまい
十三号97
 この話し どこのこととも 云わんでな
 高山にても 谷底までも
十三号109
 今日までは 大社高山 はびこりて
 ままにしていた ことであれども
十四号30
 これまでは 高山からは 何もかも
 どんな指図も 受けたなれども
十四号43
 この世界 高山にても 谷底
 親のたぁには 子供ばかりや
十四号53
 今までは 高山やとて けんけんと 
 ままにしていた ことであれども
十五号57
 これからは 如何ほど高い でもな
 谷底ままに 更にでけまい
十五号58
 このことは 高山にても 谷底
 油断なきよに 心定めよ
十五号71
 高山も 谷底までも 世界中
 一列を皆な あっちこっちと
十六号62
 いかほどの 高いところと 云うたとて
 もう今日からは 文句代わるで
十六号78
 この先は 世界中はどこまでも
 高山にても 谷底までも
十七号61

 教祖は次のようにお諭しなされている。

 「諸井政一集後篇/御講話傍聴録三」。
 大社、高山取り払い、心の高山取り払い、心のたかびく(高低)ないやうに、心ろくぢに踏み均(なら)す、神の思惑。
 諸井政一「正文遺韻」119頁。
 今までの長者というは、金持ちが長者や。長者一夜にも倒れるで。これからの長者は、ころりと違うで。
 お指図は次の通り。





(私論.私見)