その3 | 教祖の回天論その3、唐、天竺批判論。日本賛美論 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「教祖の回天論その3、唐、天竺批判論。日本賛美論」教理を確認する。 2016.02.29日 れんだいこ拝 |
【教祖の回天論その3、唐、天竺批判論。日本賛美論】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ここで、元の理にみられる「にほん」(日本)と「から」(唐)、「てんじく」(天竺)について確認する。天理教教典の「元の理」には「にほん」、「から」の表現はみられないが、十四年本説話体の「こふき話」には、「人間ハ五尺ニなるまた(で)水の中の住まい。三尺より五尺ニなるまでじきもつを段々と食いまハり、からてんじくまでもまハりいくなり」(「こふきの研究」83頁)とある。また十六年本の「神の古記」には、「人かす九億九万九千九百九十九人のうち、やまとのくにゑ産みおろしたる人間わにほんの地に上り、外ゆくにゑうみおろしたる人間わじきもつを食いまわり、から、てんじくの地あたりゆきたるものなり」(同書138~139頁)との記述がみられる。 「から、てんじく、にほん」は一体いかなる意味で使われているのだろうか。 併せて、不即不離の関係にあると思われる「歴史観世界観としての、元の屋敷としての日本賛美論」教理を確認する。論じられることが少ないが、御神楽歌、お筆先には「上、高山、唐、天竺批判、日本賛美」が濃厚に記されている。これをどう拝するべきかが問われている。以下、れんだいこ流に解する。仮に「みき教理の回天論」と命名する。 「みき教理の回天論」の第三は「日本、唐、天竺論」である。「日本」の概要は創世神話「泥海古記」(「元の理」)で明らかにされており、教祖は霊能的眼力で画然と「日本賛美の思想観」を打ち出している。これに対して、「唐、天竺」は元々は「中国、インド」を指す言葉だが、さように理解しては解けない。「唐、天竺」は寓意であり、れんだいこは、教祖はペルーの黒船来航で始まるこの時代に押し寄せて来た「国際ユダ邪」になぞらえている気配がある、と解く。「国際ユダ邪」とは何者かについては別稿「ユダヤ主義考」の「別章【ネオ・シオニズム考】」で確認する。 教祖は、この回天論で、国際ユダ邪の系の者による黒船来航を端緒とする日本溶解の画策、これに鳴動した幕末回天運動、明治維新政府樹立、これに功多くあった西郷派が討伐された後、明治維新政府は国際ユダ邪の傀儡(かいらい)政権と化し、教祖在世中の明治10年代は、国際ユダ邪の指図に呼応して天皇制帝国主義国家として自己形成しつつあった。教祖は、明治政府のこの動きを鋭く批判し、「上、高山、唐、天竺批判、日本賛美」を指針せしめて対抗して行くことになった。これが為、教祖及びその教理は徹底的に弾圧されたが、その後の実際は教祖の予言通りに、日本は日清、日露、第一次世界大戦、シベリア出兵、日中、大東亜戦争へと突き進み、その定向進化の結果壊滅させられ、さしもの「サムライ国家日本」が潰えた。かくて戦前は「上、高山の暴走と挫折史」となった。敗戦国として始発した戦後日本は当然と云うべきか主体国家としての日本が座礁させられ、国際ユダ邪コントロール下で「エコノミックアニマル国家日本」の歩みを余儀なくされ、それも豚の子戦略で太らされた挙句に召し取られ、今や原発放射能、食品有害添加物、薬害、環境汚染等々の生体実験国家としての悲哀を味わわせられており、今日に至っている。 「回天論3、唐、天竺、日本論」につき、御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
教祖は次のようにお諭しなされている。 |
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お指図は次の通り。 |
【唐、天竺批判、日本賛美の歴史観世界観考】 | |||
お道教理の「唐、天竺批判、日本賛美」につき、「唐、天竺、日本」を地政学的に受け取るのか宗教的寓意的に受け取るべきかを廻って論争があるのでこれにコメントしておく。村上道昭
「No.90教理随想(41)「にほん」と「から」(1)」その他を参照する。 お道教理の「唐、天竺、日本」につき、次のように解説されている。
要するに、著名な研究者にも非常に難解なお言葉となっている。以下、これを愚考する。 「元の理」に於いては、「にほん」とは、創造期に親神様が、この世人間をお創(はじ)めになった「ぢば」の所を芯として構成される国又は人を云う。「ぢば」は、教祖がこの地に天下りしたことにより、教理をお説き下さる所ともなっており、世界助けの親里ともなっている。これに対し、「から」とは、創造期に人間が「にほん」から渡って行った所であり、従って、この度この教えを次第に普及さるべき他所の国又は人を云う。これにより、教理では、「にほんのもの」とは、最初に親神様に生み下ろされたる者。従って、この度この教えを、まず聞かしていただく者、親神様の真意を逸早く悟った者を云い、「とふじん」とは、その後に続いて生み下された者。従って、この教えを「にほん」の後から説き聞かしていただく者、まだ親神様の教えを知らぬ者を云う。「唐、天竺、日本」につき、一応はこう理解することができよう。これを踏まえて更に考究する。 松本滋氏は「陽気ぐらしへの道」の「にほんの理について」の中で、「日本人長子論」の見地から次のように述べている。
村上道昭氏は、この「日本人長子論」に否定的で次のように述べている。
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村上道昭氏の論を仮に「にほん、から、てんじく信仰的比喩論」と命名すると、れんだいこ見解は、これを却下する。松本滋氏の「日本人長子論」の方をまだしもとするが、それとも違う。即ち、松本滋氏の「日本人長子論」的な「にほん、から、てんじく」をアジア地理内に限定して受け止める必要はないとしている。即ち、「にほん=日本、から=中国、てんじく=インド」ではなく、にほん=日本は良いとしても、「から、てんじく」は実際のから=中国、てんじく=インドではなくむしろ幕末から明治維新の過程で日本に押し寄せてきた西欧列強文明の比喩として受け取るべきではなかろうか。且つ西欧列強文明の背後に潜む国際ユダ邪まで見つめて捉えているように窺いたい。 この観点が何故に重要であるのかと云うと、こかんご一行による世間に向けての初のお道の布教打ち出し時点が、国際ユダ邪の先兵としての黒船来航に深く関わっていること、これにより鎖国から不平等開国に強硬的に転換させられ、以降、日本的なるものと西欧的なるものと云う名の国際ユダ邪的なるものとの相克が始まっているという史実を踏まえたいからである。黒船来航については「補足・ペリー艦隊来航考」で考証している。爾来、この観点からのお道論はない。今後はこの観点からのものに転換されるべきだろう。なぜなら、それが正しい理解だからである。 以下、補足しておく。当時、言葉や話が通じないことを「唐人(とうじん)の寝言」と言ったように、「にほん」と「とうじん」を使い分ける通念があった。「から」とは「空(から)っぽ。殻(から)。実(身)のないこと」を比喩している。これに対して、「中身のある」ことを「実」(じつ)と云う。 2016.6.28日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)