充分の理

 更新日/2018(平成30).4.18日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「充分の理」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【充分の理教理】

 「十のものなら八つという。後二分の処放って了うは八分という。難しい」。十のものなら八つまで通って後二分のところで放ってしまえば充分の理にならず、これまで通ってきた八分の道も意味がなくなってしまう。ここが難しい、とも仰せられている。

 逸話篇171「宝の山」。

 「大きな河に、橋杭のない橋がある。その橋を渡って行けば、宝の山に上ぼって、結構なものを頂くことができる。けれども、途中まで行くと橋杭がないから揺れる。そのために、中途からかえるから、宝を頂けぬ。けれども、そこを一生懸命で、落ちないように渡って行くと、宝の山がある。山の頂上に上ぼれば、結構なものを頂けるが、途中でけわしい所があると、そこからかえるから、宝が頂けないのやで」。

【お指図教理】
 お指図教理は次の通り。





(私論.私見)