節の理、夜昼の理 |
更新日/2018(平成30).4.26日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「節の理、夜昼の理」教理を確認する。 2016.02.29日 れんだいこ拝 |
【節の理】 | |||||||||
お道では「節から芽が出る」、「ふしから芽を吹く」の「節」とか記念祭や教祖の年祭等々に「節目」とかいう言葉を使う。この意味を拝する。門松や結界に使われる竹にはたくさんの節がある。なぜ竹に節があるのかというと、竹は成長がとても速いので、もし竹に節がなかったら自分の重さを支えられなくなり倒れてしまう。それを防ぐために節がある。節があるからこそ少々の風雪や雨にも折れることなく倒れずに、一時はしなったように見えてもまたびゅんと盛り返す。これが節のお蔭である。これを人間に喩えてみると、私たちの長い人生にも様々な節がある。身上とか事情の様々な節がある。その節があるお蔭で、私たち自身の心が少々のことでは倒れないように鍛えられている。この節をどう了解し、節目をどのように受け止め通っていくかが大事と悟らせていただく。
ふしについて、「おさしづ」で次のように述べられている。
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【夜昼の理】 | ||
「夜昼の理」とは、「道の理」という意味です。何十年信仰をしていても、本当の理を聞き分けていないようではならないと仰せられています。
お指図は次の通り。
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「夜の道」、「昼の道」について、諸井政一「正文遺韻」が次のように記している。
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(私論.私見)