男女隔てなし、男女助け合い、恋愛論、愛想論 |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.9.24日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「男女隔てなし、男女助け合い、恋愛論、愛想論」教理を確認する。 2016.02.29日 れんだいこ拝 |
【男女隔てなし、男女助け合い論】 | ||||||||||||||
「お道教義」に於ける「女松男松の隔てなし」の「男女隔てなし論」を確認しておく。他の宗教教義、諸思想に比して独特の且つ高度深淵な理合いが説かれている。(「2011年6月月次祭神殿講話」(教科育成部研修課長 永尾洋夫)その他参照
御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
教祖は次のようにお諭しなされている。
お指図には次のような御言葉がある。
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この「女松男松の隔てなし」が「お道」教義の核心である。これによると、男女の性差を認めたうえで、それが差別に繋がるようなものではなく、互いに助け合う関係としている。男女を上下や主従関係として位置づける性差別、男尊女卑、それに基づく良妻賢母思想を否定しているところに特質が認められる。表現が難しいが、性別役割分業観に基づく新男女関係論を唱えている。但し「新」の内実は「日本古々代の出雲王朝時代に形成されていた日本式共同体下の助け合い」である。これを「新」と云うべきか「旧」と云うべきか。互いに助け合う関係の極致は、神楽づとめに於ける男女半々による手分けの参加方式、それぞれのつとめぶりの差異で表現されている。それは、西欧民主主義とは別のロジックで男女同権論に辿りついており、その意味でも注目されよう。 |
【南瓜(かぼちゃ)、茄子(なすび)の理】 | |
ある時、教祖は、山本利八に次のように諭された。(天理教稿本教祖伝逸話篇1581「月のものはな、花やで」)。山本利八は山本利三郎の父親で、明治37年に86才で出直されている。このお話の頃は60代半ば位だっただろうと思われる。当時の古いお産の習わしが物語っているように、当時の男性の中には、女性の「月のもの」を不浄と見る考え方があった。
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【愛想論】 | |
逸話篇112の「一に愛想」。教祖は、飯降伊蔵様の長女・よしゑに対して次のように諭されている。よしゑは、12歳の頃から3年間、教祖の下へ通って、教祖から直々に女鳴り物をお教え頂いた方で、おそらく10代の娘時代のよしゑに対してお仕込みくださったお話だと思われる。
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(私論.私見)