男女隔てなし、男女助け合い、恋愛論、愛想論

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.9.24日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「男女隔てなし、男女助け合い、恋愛論、愛想論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【男女隔てなし、男女助け合い論】
 「お道教義」に於ける「女松男松の隔てなし」の「男女隔てなし論」を確認しておく。他の宗教教義、諸思想に比して独特の且つ高度深淵な理合いが説かれている。(「2011年6月月次祭神殿講話」(教科育成部研修課長 永尾洋夫)その他参照


 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
 この木いも 女松男松は 云わんでな
 いかなる木いも 月日思惑
七号21

 教祖は次のようにお諭しなされている。
 大正12年4.20日号みちのとも「四十年祭と婦人の覚悟」の松村のぶ「龍と大蛇」。
 「或る時、男神である国常立命を龍であると説かれ、女神なる面足命を大蛇であると説かれた時、或る人が男神を龍と言い、女神を大蛇と言うのは心得難しと、御教祖様に重ねてお伺いしたことがありました。ところが御教祖は即座に、『龍(りゆう)とは「理王(りおう)」じゃ』と仰せられ、そして『大蛇(だいじゃ)とは台じゃ』、と仰せられたいう事を聞かして頂いております。御教祖様は、『男は柱や、女は柱石や』とも仰せられたことがあるのであります」。
 昭和13年2月号みちのとも「乾やす老婆の話」の屑屋乍路「女は台」。 
 「また或る時、『女は台や、味付けするにも一寸しまつをし、それをためて困ったものに施してやらねばならない』、と申された。『乞食にも施してやれ。物をやるにも紙に包んで渡せ。投げてやるような、人を見下げてはならない。どんな者で可愛い神の子や』」。
 逸話篇「113、一に愛想」。
 「教祖がある日、飯降よしゑにお聞かせ下された。『よっしゃんへ、女はな、一に愛想と言うてな、何事にもハイと言うて、明るい返事をするのが第一やで』。又、『人間の反故を作らんようにしておくれ』、『菜の葉一枚でも粗末にせぬように』、『すたりもの身につくで。いやしいのと違う』と」。
 大正10年10月号みちのとも「省るこころ」の今村英太郎「この世は~」より。
 「御教祖様は、信徒さんなどがお地場へかえってこられて親様にお目にかかられると、『よう遠い処をわざわざお帰りなされました』と仰って、相手が親様を拝む時には、親様もまた同じように相手の人に対して拍手して拝みかえされた、ということを聞いています。ある時のお言葉に、『男の人を見れば男性(おしょう)の神、女の人を見れば女性(めしょう)の神、この世は神と神との寄り合い世帯や』、と仰せられております」。

 お指図には次のような御言葉がある。
 「男女の隔てなく、一時に心澄み切りて通れば、男女の区別はない。‥この道始めたは男か女か。これから悟れば どんな事も分かる」(明治31.3.26日)。
 「男々女々働きという理ある。男女隔てない。同じ一つの理。この道始まったは、どれから始まった。皆な心間違いを改めてみれば同じ事。‥ 皆な子供たる、女たる者にしっかり言い付け。隔て心がどうもならん。信心道 日々處(ところ)むさくろしい。皆(み)んなきょうだい(兄弟姉妹)。空を見れば ほう と言う。下を見れば ほう と言う。不自由すれば、不自由は一粒万倍(いちりゅうまんばい)にして返やす。これ子供たる、女たる者に、しっかり伝えてくれ」(明治31.4.20日)。
 「この道どういう事から成った。男女隔てない。‥この道始めた教祖一代の處(ところ)は女、後席は男。男女の隔て有るか無いか。‥男女の隔てない」(明治31.10.26日 )。
 「男女やろうがどんな者でも、道隔てない。この道、この指図に遠慮気兼はない/\。銘々心に、あちらなあ こちらなあ、何も思う事要らん程に。これだけ諭したら、皆なその方 同じ心に結んでくれ。これだけ諭しおこう」(明治31.11.13日)。
(私論.私見)
 この「女松男松の隔てなし」が「お道」教義の核心である。これによると、男女の性差を認めたうえで、それが差別に繋がるようなものではなく、互いに助け合う関係としている。男女を上下や主従関係として位置づける性差別、男尊女卑、それに基づく良妻賢母思想を否定しているところに特質が認められる。表現が難しいが、性別役割分業観に基づく新男女関係論を唱えている。但し「新」の内実は「日本古々代の出雲王朝時代に形成されていた日本式共同体下の助け合い」である。これを「新」と云うべきか「旧」と云うべきか。互いに助け合う関係の極致は、神楽づとめに於ける男女半々による手分けの参加方式、それぞれのつとめぶりの差異で表現されている。それは、西欧民主主義とは別のロジックで男女同権論に辿りついており、その意味でも注目されよう。

【南瓜(かぼちゃ)、茄子(なすび)の理】
 ある時、教祖は、山本利八に次のように諭された。(天理教稿本教祖伝逸話篇1581「月のものはな、花やで」)。山本利八は山本利三郎の父親で、明治37年に86才で出直されている。このお話の頃は60代半ば位だっただろうと思われる。当時の古いお産の習わしが物語っているように、当時の男性の中には、女性の「月のもの」を不浄と見る考え方があった。
 「ある時、教祖の御前に、山本利八が侍っていると、『利八さん、外の方を見ておいで』と仰せになった。その頃は、警察の取り締まりの厳しい時であったから、それについての仰せと思い、気を付けて、辺りを見回ったが、誰もいない。それで、もどって来て、『神さん、何んにも変わりはありゃしません。向こうのあの畑には、南瓜がなっています。この畑には、茄子が沢山出けました』と申し上げると、教祖は、膝を打って、『それそれ、あの南瓜や茄子を見たかえ。大きい実がなっているが、あれは、花が咲くで実が出来るのやで。花が咲かずに実のなるものは、一つもありゃせんで。そこで、よう思案してみいや。女は不浄やと世上で言うけれども、何も、不浄なことありゃせんで。男も女も、寸分違わぬ神の子や。女というものは、子を宿さにゃならん、一つの骨折りがあるで。女の月のものはな、花やで。花がのうて、実がのろうか。よう、悟ってみいや。南瓜でも、大きな花が散れば、それぎりのものやで。むだ花というものは、何んにでもあるけれどな、花なしに実のるという事はないで。よう思案してみいや。何も不浄やないで』と、お教え下された」。

【愛想論】
 逸話篇112の「一に愛想」。教祖は、飯降伊蔵様の長女・よしゑに対して次のように諭されている。よしゑは、12歳の頃から3年間、教祖の下へ通って、教祖から直々に女鳴り物をお教え頂いた方で、おそらく10代の娘時代のよしゑに対してお仕込みくださったお話だと思われる。
 「よっしゃんえ、女はな、一に愛想と言うてな、何事にも、はいと言うて、明るい返事をするのが、第一やで」とお仕込みくださったということです。




(私論.私見)