赤衣のお下がり考

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.20日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「赤衣のお下がり」教理を確認しておく。

 2003.8.29日 れんだいこ拝


【赤衣のお下がり考】
  逸話篇「136、赤い襦袢のお下がり」。
 「教祖が監獄署からお帰りになつた時、教祖は、お伴をして帰って来た仲田儀三郎に、監獄署でお召しなっていた赤い襦袢(じゅばん)を脱いでお与えになり、『さあ、これを持ってお助けに行きなはれ。どんな病人も助かるで』とのお言葉を下さった。儀三郎は、大層喜んで、この赤衣を風呂敷に包んで、身体にしっかりと巻き付け、お助けに東奔西走させていただいた。そして、なむてんりおうのみこと なむてんりおうのみこと と唱えながら、その赤衣で病人の患っているところをさすると、どんな重病人も、たちまちご守護を頂いた」。
 稿本天理教教祖伝逸話篇「149、卯の刻を合図に」。
 「明治17年秋、おぢば帰りをした土佐卯之助は、門前にあった福井鶴吉の宿で泊っていた。すると、夜明け前に、誰か激しく雨戸をたたいて怒鳴っている者がある。耳を澄ますと、阿波の土佐はん居らぬか。居るなら早よう出て来い、と。それは山本利三郎であった。出て行くと、土佐はん、大変な事になったで。神様が、今朝の卯の刻(午前6時頃)を合図に、なんと、月日のやしろにかかっているものを、全部残らずおまえにお下げ下さる、と言うておられるのや。おまえは日本一の仕合わせ者やなあ、と言うて、お屋敷目指して歩き出した。後を追うて歩いて行く卯之助は、夢ではなかろうかと、胸を躍らせながらついて行った。やがて、山本について、教祖のお部屋の次の間に入って行くと、そこには、真新しい真紅の着物、羽織は言うまでもなく、襦袢から足袋まで、教祖が、昨夜まで身につけておられたお召物一切取り揃えて、丁寧に折りたたんで、畳の上に重ねられていた。卯之助は、呆然となり、夢に夢見る心地で、ただ自分の目を疑うように坐っていた。すると、先輩の人々が、何をグズグズしている。神様からおまえに下さるのや、と注意してくれたので、初めて上段の襖近くに平伏した。涙はとめどもなく頬をつたうが、上段からは何んのお声もない。ただ静かに時が経った。卯之助は、私如き者に、それは余りに勿体のうございます、と辞退したが、お側の人々の親切なすすめに、では、お肌についたお襦袢だけを頂戴さして頂きます、とようやく返事して、その赤衣のお襦袢だけを、胸に抱いて、飛ぶように宿へ持ってかえり、嬉し泣きに声をあげて泣いた、という」。

 




(私論.私見)