合図立て合いの理

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、お道教理としての「合図立て合いの理、二つ一つの理」教理を確認しておく。

 2003.8.29日 れんだいこ拝


合図立て合いの理
 教祖の予告が合図となって、お道の理と世界の理が同時に立て合って起こることを、お道では「合図立て合い」と云う。一例を挙げると、明治15年の初めから教祖は「合図立て合い、合図立て合い」としばしば仰せられていた。おそばの者は、どういうことが見えてくるのかしらと心配していると、二月になって、奈良警察署からの呼び出しがあり、教祖を始めとして、お屋敷の人々に科料が言い渡された。さらに五月には警察の手によって、二段まで出来ていたかんろだいが没収された。

 明治15年といえば、道の理としては、つとめ一条のおせきこみの重大な時旬であった。教祖は、このつとめせきこみという道の理と、迫害の強化という世界の理とが立て合ってくることを仰せられ、信仰者の心の成人を促されていた。合図立て合いという親神様の大きな思召しから、道はさらに大きく飛躍していく。


 みかぐら歌、お筆先は次の通り。
 それをばな なにもしらさる こ共にな 
 とりはらハれた このさねんわな
十七号38
 このざねん なにの事やと をもうかな 
 かんろふ大が 一のざんねん
一七号58
 お指図は次の通り。






(私論.私見)