古老より聞いたはなし ⑹、上田民蔵

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.9.25日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「天理教教理を学び神意を悟る」の「古老より聞いたはなし」の「上田民蔵」を確認しておく。
 

 2006.1.23日、2012.9.18日再編集 れんだいこ拝


 
 父(上田民蔵/たみぞう)の十八才の時だったと思います。教祖のお齢(よわい)は、聞いたように思いますが、忘れました。父の母(上田いそ)と一緒にお屋敷へ帰らせて頂いた時のこと、教祖が、『民蔵さん、私とおまはんと、どちらが力強いか、力くらべをしよう』と仰って、教祖は、昔のお祀り所の上段の板間の下から、ほんのわずかの高さですが、一、二、三のかけ声で、お手を取って、引っ張り合いをすることになりました。「わしは一生懸命ひっぱった。男の十八、「やぶ力」というて、思いきり、えらい力を出したのに、教祖がお勝ちになった。ビクともお動きにならへん。教祖、お齢を召しておられるのに、力のお強いこと!わしはもうビックリしてしもた」。

 またある日のこと。教祖のお側へ行かせてもらったら、『民蔵さん、あんた、今は大西から帰ってくるが、先になったら、おなかはんも一緒に、お屋敷へ来ることになるのやで』と仰った。『わしは百姓をしていて、男衆(おとこし)も雇っているし、子供もあることやし、「そんなこと出来そうにない」と思うてたが、教祖のお言葉通り、子供の身上から家族みんな、お屋敷へ寄せて頂き、結構に通らせて頂いているのや』と申しました。
   
  その話、やはり母と一緒にお屋敷へ帰らせてもらった時、教祖の仰せられたのは、『民蔵はん、お屋敷は先になったらなあ、廊下の下を、人が往き来するようになるのやで』と聞かせて頂いたことがあるが、教祖の仰せ通り、回廊の下をみんな往き来するようになった。それで父は、「教祖は、ずっと先の見えんことを仰っているが、だんだんと、仰せ通りに成ってくるのが誠に不思議なことや」と、いつも考え込むように申しておりました。みちのだい第33号「教祖特集号」27-28頁
 逸話篇六一、   
  明治十一年、上田民蔵十八才の時、母いそとともに、お屋敷へ帰らせて頂いた時のこと。 教祖が、 『民蔵さん、私とおまはんと、どちらの力強いか、力比べしよう』と仰せになり、教祖は、北の上段にお上りになり、民蔵はその下から、一、二、三のかけ声で、お手を握って、引っ張り合いをした。  力いっぱい引っ張ったが、教祖はビクともなさらない。民蔵は、そのお力の強いのに、まったく驚嘆した。
  またある時、民蔵がお側へ伺うと、教祖が、 『民蔵さん、あんた、今は大西から帰ってくるが、先になったら、おなかはんも一緒に、この屋敷へ来ることになるのやで』とお言葉を下された。 民蔵は、 「わしは百姓をしているし、子供もあるし、そんなことできそうにもない」と思うたが、その後、子供の身上から、家族そろうてお屋敷へお引き寄せ頂いた。
  またある時、母いそとともにお屋敷へ帰らせて頂いた時、教祖は、『民蔵はん、この屋敷は先になったらなあ、廊下の下を人が往き来するようになるのやで』と仰せられた。後年、お言葉が、次々と実現してくるのに、民蔵は、心から感じ入った、という。
 「天理教教祖伝逸話篇」107-108頁





(私論.私見)