逸話篇六一、
明治十一年、上田民蔵十八才の時、母いそとともに、お屋敷へ帰らせて頂いた時のこと。 教祖が、 『民蔵さん、私とおまはんと、どちらの力強いか、力比べしよう』と仰せになり、教祖は、北の上段にお上りになり、民蔵はその下から、一、二、三のかけ声で、お手を握って、引っ張り合いをした。
力いっぱい引っ張ったが、教祖はビクともなさらない。民蔵は、そのお力の強いのに、まったく驚嘆した。
またある時、民蔵がお側へ伺うと、教祖が、 『民蔵さん、あんた、今は大西から帰ってくるが、先になったら、おなかはんも一緒に、この屋敷へ来ることになるのやで』とお言葉を下された。
民蔵は、 「わしは百姓をしているし、子供もあるし、そんなことできそうにもない」と思うたが、その後、子供の身上から、家族そろうてお屋敷へお引き寄せ頂いた。
またある時、母いそとともにお屋敷へ帰らせて頂いた時、教祖は、『民蔵はん、この屋敷は先になったらなあ、廊下の下を人が往き来するようになるのやで』と仰せられた。後年、お言葉が、次々と実現してくるのに、民蔵は、心から感じ入った、という。
「天理教教祖伝逸話篇」107-108頁
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