正文遺韻抄「道すがら外編一」。
あいそづかしや、捨て言葉、切り口上は、おくびにもだすやないで。 |
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諸井政一集後篇、逸話集、御講話傍聴録一の「悪く取るから」より。
人のこと悪く取らぬよう、悪く思わぬよう。悪く取るは、人を不足にして、不足の理を心に拵(こしら) える理である。世間には人の事を、嵩(かさ)を懸(か) けて言う者もある。善き事に嵩を懸けるのは少なくて、悪い事に嵩を懸ける者が多い。これも、悪く取るから、である。人のこと不足にして、わが心に不足の理を拵(こしら)えては大きな損である。 |
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明治17年2.4日、高井猶吉、岡田與之介「教祖様直々の御言葉」。
日々通らしてもらうには、人の悪しきを言わぬよう、人の悪しきを思わぬよう、人に悪しきを思わせぬよう。この三つの心がけが大事やで。この心がけ、一日一回遣うても、三日の間、さづけの理は止まるで。 |
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堀越義男「幸せを求めて」78頁「捨て言葉に就て」の「鼬(イタチ)などに生まれ変わるで」(「牛馬論考③」)。
教祖はある日、参拝された方に、『“思うようにいかん、ならん”と言うて、“それより死んだ方がましや”と言うて水に入り、井戸へ入り、川へ入って死ぬというのは、天に捨言葉(すてことば)になる理に当たる。これを“仇(かたき)の因縁”と言うて、人間に生まれ変わり出来ずして、鼬(イタチ)などに生まれ変わるで』、とお聞かせ下されている。このお言葉から類推(るいすい)し、自ら生命を絶つことは神様への捨言葉となり、来生は不幸な通り方をせねばならん事になると戒められている。 |
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