「2006年小沢民主党首の政権構想考」 |
(最新見直し2007.9.5日)
Re:れんだいこのカンテラ時評その154 | れんだいこ | 2006/04/04 |
【民主党の最強タッグ小沢ー管執行部の誕生を逸早く祝す】 2006.4.3日、民主党は、極右シオニスタン前原執行部が送金メール事件騒動を受け退陣を余儀なくされたことにより、後任代表を4.7日に選出することを正式に決めた。7日午後3時から両院議員総会を開き新代表を選出する。 小沢と管が代表党首を争うことになった。これまで自重に自重を重ねた小沢が「政権交代を実現するためには最後の機会かもしれない」と抱負を述べ、管は、「どっちが負けても、一緒にやっていくという共闘が組めると良い」と答え、両者どちらが選出されても協力し合うことを確認した。いよいよ小沢党首ー管幹事長と云う最強タッグが登場することになる見込みである。 れんだいこは、この動きを歓迎する。鳩山ー岡田ー前原の右派系執行部に食傷しているのがその第一の理由である。政権与党の味をしめている小沢ー羽田ラインの重量級が揃い踏みしないと小ネズミシオニスタン政権を打倒できないというのがその第二の理由である。シオニスタン政治から決別するには、管ー横路らの社民感覚が生かされねばならないというのがその第三の理由である。 民主党内若手の自民党内若手をも凌ぐシオニスタンぶりに辟易されており、これを抑えるには小沢党首ー管幹事長体制が最も相応しいというのがその第四の理由である。横路、渡部、羽田、岩国、河村等を然るべき地位に登用し、且つ挙党一致体制にせねばならない。かくて、民主党が面白くなる。漸く政治が動き出した。 小ネズミ政権は憲政の常道に従えば本来は、昨年夏に郵政民営化法案が参院で否決された時点で退陣すべきであった。それが、国際金融資本ユダヤの選挙指南により衆院解散ー総選挙へと誘導され、なりふり構わぬ刺客騒動とメディアの太鼓持ち戦略により記録的な圧勝を結果し、以来本質的にゾンビ状態にあるのに小ネズミ政権は我が世の春を謳歌するというケッタイナ政治下にある。マスコミは名宰相と囃したて今日を迎えている。ここへ来て誰がなっても面白くもない後継者詮索に向っている。 この間、前原民主党が裏から、社共がお定まりの遠吠えでお茶を濁すという無責任政治で、小ネズミ政権を支えてきた。出来レース政治のツケが自己撞着し、お蔭でますます内政外交共々行き詰まっている。この状況を誰も変えられないまま今日まで至っている。ここに、小沢ー管コンビのニュー民主党が登場することになった。期待感に溢れているのは間違いない。 小沢登場の背景には、小沢に対する風向きが変ってきたという事情があるように思われる。これまでウヨからサヨに至るまで反小沢のアレルギーが醸成され、それにより政治改革の芽が潰されてきた。しかし、世の中は少しづつでも動く。かって角栄の子飼いであったことが災いしていたのが、ここへ来て小沢好評価へと向かいつつある。それは、小ネズミシオニスタン政治が生み出した予期せぬ副作用であろう。小ネズミが余りにも露骨に米英ユ同盟の下足番的政治をするものだから、その対極に位置していた角栄政治の良さが逆に見え始めた。小沢にとって、かって角栄の子飼いであったことが禍いから転じて福となりつつある。 それでもなお、サヨ圏が小沢批判に興じるのなら、れんだいこが論戦を引き受けようと思う。幕末、戦前、戦後の政治の変遷史から始めて角栄政治に至るまで、その後の中曽根政治から小ネズミ政治の現在に至るまで、どこからでも検証して見たいと思っている。連中の説く金権批判というものの内実について耳を傾けようと思っている。どこまでが根拠有りどこからがデタラメなのか論じたいと思う。 いずれにせよ、れんだいこは、シオニスタンばかりによる売国奴系タカ派政治を見飽きた。連中の政治は本来の政治ではない。それは事態を悪くするための政治であり、意図的でなくては出来ない種の悪政である。 考えてもみよ。地方交付金を削減したその金額がそのまま米英ユ同盟にお供えされているではないか。消費税が利率上げされようとしているが、上乗せ分を根こそぎもっていかれるのは火を見るより明らかではないか。自衛隊がイラクへ初武装派兵されたが、今後はより前線に活用されようとしているのではないのか。西欧では賢明にも原子力発電から撤退しつつあるというのに、日本ではますます深のめりしつつあるのはなぜか。頻りに景気回復が云われているがウソではないのか。地方では商店街も含めて夜のネオンまでもがゴーストタウン化しつつあるではないか。これらは政策的に故意にもたらされているのではないのか。 そういう意味で、政治が為さねばならないことは山ほどある。しなくても良いことに取り組み、しなければならないことを放置するばかりの政治なら、議会も議員も不要であろう。彼らの給与諸経費、秘書団のそれ、公的私的選挙費用、その他議員活動経費の天文学的金額を思えば、既に社会のガンであろう。為になる政治をしない為に議会と議員が存在し莫大に税金を虫食っているという構図ほど嘆かわしい事は無い。 そういう意味で、小沢ー管コンビのニュー民主党に寄せられる期待は大きい。叶うならば、戦後日本の一時期をリードしたハト派系政治を再興して欲しい。あの政治は、ならん中で戦後憲法を遵守し、内治を優先し、公共事業に取り組み、かといって国債を発行せず、外交では国際協調、平和友好、通商拡大、戦争事態忌避政策に向っていたではないか。「革命の輸出ならぬ技術輸出」により世界各地に親日ムードを生み出しつつあった。誉れであっても、貶されることではあるまい。 今、小ネズミ政治はことごとく逆の政治をしており、あたかもレイプ式首絞めの恍惚にはまっているかのようである。その小ネズミは若い頃にレイプ事件は無論のこと首絞め絞殺事件の疑いがあるとするなら由々しきことである。早速に調査され証人喚問されるべきであろう。一体誰が名宰相と囃したてているのか、相応の責任をとってもらわねばなるまい。 小沢ー管新執行部は手始めに、達増拓也衆院議員に詫びを入れさせ田中真紀子を引き寄せねばならない。郵政民営化法案で除名された国民新党、日本新党、はぐれカラスの除名無所属組に手をさしのべ連携せねばならない。目指すは、シオニスタン政治からの決別であり、戦後の国是の再称揚であり、民族と国家に対する誤り無いリードである。 その為に、小ネズミ政権下で歪められた内政、外交の軌道修正をせねばならない。直ちに自衛隊をイラクから引き戻さねばならない。増税路線から決別し、景気回復による国庫自然増を図らねばならない。真の構造改革に着手し、不必要規制の緩和、軍事防衛費削減、原子力発電政策からの転換、省庁改革、冗費節約に向わねばならない。国際協調と平和友好による親善外交に向わねばならない。国債等による国家の累積過重債務対策を懸命に図りながらも、必要な公共事業を推進し、併せて雇用拡大、格差是正、的確な社会福祉政策に向わねばなならない。 願わくば、角栄政治の見直しまで向え。ロッキード事件の総括をして冤罪を晴らし、東京地検の政治主義を叩け。ホリエモンもこの手でやられている可能性が濃厚である。 2006.4.4日 れんだいこ拝 |
【小沢民主党執行部をどう評するべきか】 |
2006.4.7日、小沢が民主党の新党首に選出され、前任の前原人事を再任して発足した。小沢執行部をどう評するべきかが問われているが、左派圏はこれに論及できていないように思われる。この不毛を如何にせんか。 爾来、小沢評価を廻って、左派圏の見解は真っ二つに割れている。れんだいこが思うに、「小沢評価問題」は現代左派理論の試金石である。徹底批判派は日共不破派であった。新左翼も確とは分からないが概ね日共見解に同調しているのではなかろうか。まことに不毛なことである。 かって細川政権が誕生した時、日共不破派は、自民党を下野させた政界流動化の功績を見ずに、憎悪を剥きだしにして批判を逞(たくま)しゅうした経緯がある。細川政権樹立の最大の功労者は小沢であるので、日共の細川政権批判はそのまま小沢問題に直結している。日共志位は不破の子飼いである。故に、かの時の不破論法を継承すると思われ、こたびの小沢執行部に対しても激しい敵意を見せるはずである。となると、日共は、自称するところの科学的社会主義の面子を賭けて小沢政治批判の正当性を立論せねばなるまい。実際にはどのようにコメントしているのだろうか。 他方で、小沢擁護派も存在する。彼らは、二大政党制こそ近代政治のモデルであるとする論拠で、細川政権以来政界を底流している「自民党に代わる政権政党創出運動」(以下、仮に「小沢路線」と云う)を好評価している。単一政党による長期政権化に政治腐敗の原因を認め、自民党に代わるもう一つの政権能力のある政党の出現による政治浄化を欲しているように見える。これは、云われてみればなるほどの論理であり、「よりまし」を求めるなら、この論理に従うのが素直というものであろう。 史実は、「よりまし」を求めて硬性革命路線から平和革命路線へ転じて議会主義専一路線に向った日共が、「小沢路線」に対してここ一番で最も激しく敵対してきた。日共は何故にそれほどまでに「小沢路線」に敵対的なのか。日共の国会運営のみならず国政選挙での自民党を利する行為には目に余るものがある。目下云うところの「確かな野党戦略」は、「小沢路線に抗する野党分裂運動」であることが明瞭であるが、日共は何故にこの戦略に固執するのであろうか。 思えば、「小沢路線阻止」という一点で、自民党と共産党は阿吽の呼吸で奇妙に連動している。両者は「自共対決論」を持ち出し、最も激しく対立しているかのように見せかけつつ、その実はここ一番の肝腎な時には見事なまでに野合する。自民党長期安定政権をもたらしているのは、偏に日共のこうした裏協力により維持されている感がある。この痴態が咎められていない。 この事象を解析することが急務であるのに、れんだいこの見るところ、左派圏でこれを能く為し得る者はれんだいこ以外には見当たらない。口幅ったい言い方であるが、本当のことだから仕方ない。では、れんだいこには何故真相が見えるのか、これについてその理由を以下開陳していきたい。 もとより、れんだいこは、「小沢路線」を全面的に賛辞する訳ではない。現下の政府自民党政治との相対的な比較による「よりまし」の選択に過ぎない。もっと端的に云えば、「政治情勢の左傾化」に有利であるから相対的に支持しているに過ぎない。この点で、日共は、れんだいことは逆に、「小沢路線」を「政府自民党よりもより悪い」とみなしているようで目の仇にしてきた。ならば、日共宮顕ー不破ー志位派は、「よりまし運動」上の理論責任を果たさねばならない。そういう訳で、かの時、渡辺治なる者が登場し、珍論を展開し、日共はこれに追随してきた経緯がある。 尤も、「小沢路線」を廻って見解が分かれるのは致し方ない面がある。なぜなら、この運動が玉石混交、寄り合い世帯しており、底流の深層が見えにくいからである。玉石混交、寄り合い世帯自体はむしろ素晴らしいことで何ら問題ないが、玉石の玉の面を如何に認め、何を玉と見定め、何を引き出し育成していくのかが肝腎である。 そういう訳で、「小沢評価問題」は、現代政治に於ける「玉」とは何か、これを語らねば始まらない。このことを指摘せんが為にここまで前置きしてきた。「小沢評価問題」にいきになり言及しても、何の為に論じているのかが伝わらないと理解されない。という訳で論の前提になるものを述べてみた。 |
【れんだいこの戦後日本政治の構造解析】 |
れんだいこは、戦後日本の政治構造を次のように捉えている。戦後日本は、戦前の世界的には第二次世界大戦の地政学的には太平洋戦争、主観的な意味では大東亜戦争を通じて敗北したとはいえ予想よりも善戦した諸能力の高さが好評価され、米ソ体制と云われる二大陣営による敗戦国日本の取り込みに見舞われた。戦後日本政治史は、これに対する舵取りから始まった。 敗戦国日本の取り込みは表見的には米ソ体制の抗争として演ぜられたが、米ソ両国とも国際金融資本帝国にコントロールされていることを思えば、国際金融資本帝国の軍門に如何に下るのかその方式の問題でもあった。尤も、国際金融資本帝国は表立っては出てこずに真綿の首絞めを得意技としていることから、国際金融資本帝国による直接支配問題としては発生しない。故に、ここは留意を要するところであるが米ソ体制論で追っていかざるを得ない。 強調しておくが、戦後日本の取り込みは、日本人民大衆はそのようには認識していないように思われるが、世界史上かなり重要な案件であった。さて、戦後日本は、どのように捕捉されたのか。ここが戦後日本政治史の端緒になる。結論から云えば、米ソその他諸国による日本分割統治案も検討されたが、米国が一括管理することで決着した。このことは、米国の方がソ連よりも政治能力が高かったことを物語っている。今日判明する資料に拠れば、当時の米国の対日占領計画青写真とソ連のそれを比較する時、米国案の方が段違いの精密さを示している。 米国は日帝降伏後直ちに占領軍を送り込み、米国が主導するGHQ権力を創設し、これを通じて日帝的諸機構の解体を押し進めて行った。続いて、ソ連側の戦後日本の取り込みを牽制する必要もあり、ソ連憲法よりもより左傾的な人民民主主義理念に貫かれた主権在民憲法を施行させた。 れんだいこの観るところ、戦後日本憲法は世にも珍しい世界初のプレ社会主義国法とでも評されるべき秀逸法となっており、それ故に護憲の値打ちあるものである。その功あって、日本人民大衆は戦後憲法を導入した米国統治を歓迎し、こうして日本人民大衆の民心を得た米国は大衆的支持を背景にしつつソ連の介入を斥け、単独対日支配に成功していった。 この間、戦後冷戦構造が進行し、米ソに大陣営による世界分割戦が一層進んだことにより、米国はそれまでの日帝的諸機構の解体を重視していた対日支配政策を転換させ、朝鮮動乱の勃発を奇禍として日本を東アジアに於ける反共の橋頭堡とするべく再建させることになった。これを受け、日本の主権的独立と日米安保条約締結が同時的に遂行された。これにより、戦後日本は、米国側陣営の一員として体制的に取り込まれ、その庇護下での戦後復興に向うことになった。 戦後日本は、この時より二大矛盾を抱えることになった。二大矛盾とは、GHQの初期政策である戦後憲法秩序とGHQの後期政策である日米安保体制秩序との相克を云う。この時より戦後日本は、この二原理を主軸にして左右に舵を取る体制に入り、これを廻って様々な党派、派閥、運動が誕生し、分岐することになった。「戦後憲法秩序と日米安保体制秩序の二原理の確執と協調と妥協」政治に入った。これが戦後日本政治史の特質となった。ここを踏まえないと、戦後日本の政治構造が理解できない。 この観点を踏まえて、これをどう簡略に叙述すれば良いのだろうか、ここが問われている。れんだいこは、分かり易くするため戦後憲法秩序派のハト派、日米安保体制秩序派のタカ派の抗争政治と捉えている。この二大対立軸に更に民族派と国際派、官僚と党人、帝大と非帝大、与党と野党、政治家と官僚等々の様々な対立項を重ねて複雑な政治模様が構成されていると捉えている。急所として押えておくべきは、ハト派とタカ派の識別であり、これこそ真の対立軸であろう。 れんだいこは何故以上のような見取り図を指摘するのか。何を隠そう、「小沢評価問題」は見事なまでにこれに関係するからである。ここを踏まえないと「小沢評価問題」に解が為し得ないからである。今、極悪タカ派の小泉政権が戦後長期政権の三番手として我が世の春を謳歌している。この政治路線に対する真の抵抗者の群像を確認すれば、見事なまでにほぼ全てがハト派である。凡俗な政治評論家やマスコミは、この対立軸から目をそらさせ、小泉名宰相論をのべつくまなくぶち上げている。 もとへ。小沢の政治的師匠は田中角栄である。その田中角栄こそ戦後ハト派の巨魁であった。角栄時代に形成された角栄ー大平の政治同盟は、戦後政治史上に花開いたハト派の日輪であった。戦後から角栄ー大平の政治同盟による政権獲得時代は、世界史上珍しく政治が政治らしく機能した時代である。この時、日本は未曾有の経済的発展を遂げ、国内のみならず国際関係に於いても大きな貢献をしている。このことは好評されるべきであるが、凡俗な政治評論家やマスコミは、批判を得意としている。その対極に位置する中曽根ー小泉政権の売国奴政治路線を称揚している。 周知のように、角栄ー大平の政治同盟は、ロッキード事件を契機として強権的に解体させられていった。大平首相は急死し、角栄もロッキード裁判に張り付けにされ政治的影響力を殺がれていった。最終的に、田中派内部から生まれた竹下ー金丸派の経世会旗揚げに連動する形で失脚した。角栄の愛弟子的立場に位置していた小沢は、竹下ー金丸派に同調し、角栄イデオロギーからの脱却を図り、タカ派への転身を見せていくことになった。その後紆余曲折するが、一度刻印されたイデオロギーは容易には抜けない。ましてや角栄イデオロギーの方が秀逸であれば、先祖がえりする方が賢明であろう。という訳で、小沢は、再びハト派としての自負を強めていくことになった。 れんだいこは、この時点から「小沢路線」が生みだされたと思っている。左派から見て、本来は「小沢路線」は支持されるべき流れであろう。その「小沢路線」を寄ってたかって批判轟々していったのが誰であるか。タカ派ならさもありなんであろうが、日本左派運動の方からも敵対していったとしたら、我々はさような運動を左派運動と認めるべきであろうか。日共がこれを強力に進めていった訳であるが、日共の変調をどう見立てるべきであるか。「小沢評価問題」にはこういう問題が宿されている。 |
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(私論.私見)