風姿花伝 | 第一、年来稽古条々(ねんらいのけいこのじようじよう) |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.6.11日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「風姿花伝第一、年来稽古条々(ねんらいのけいこのじようじよう)」を確認しておく。「古典作品一覧|日本を代表する主な古典文学まとめ」その他参照。 2005.3.22日、2006.7.10日再編集 れんだいこ拝 |
秘すれば花 | |
原文 | 秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず、となり。この分け目を知ること、肝要の花なり。 そもそも一切の事、諸道芸において、その家々に秘事(ひじ)と申すは、秘するによりて大用(たいよう)あるがゆゑなり。しかれば、秘事といふことをあらはせば、させることにてもなきものなり。これを、「させることにてもなし」と言ふ人は、いまだ秘事といふことの大用を知らぬがゆゑなり。 まづ、この花の口伝(くでん)におきても、ただ珍しきが花ぞと、みな人知るならば、「さては珍しきことあるべし」と思ひまうけたらん見物衆(けんぶつしゅう)の前にては、たとひ珍しきことをするとも、見手の心に珍しき感はあるべからず。見る人のため、花ぞとも知らでこそ、為手(して)の花にはなるべけれ。されば、見る人は、ただ思ひのほかにおもしろき上手とばかり見て、これは花ぞとも知らぬが、為手の花なり。さるほどに、人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立て、これ花なり。 |
現代語訳 |
秘密にする(ことで生まれる)花を知ること。秘密にすれば花であり、秘密にしなければ花になることはできない、ということになる。この(花となるか、ならないかの)分け目を知ることが、「花」について肝心・大切なところである。 そもそも(ところで)全てのこと、もろもろの芸道において、その(それぞれの専門の)家々に秘事(ひじ)と申しあげるのは、(それを)秘密にすることによって大きな効用があるからである。そうではあるが、秘事ということを明らかにすると、大したことでもないものなのだ。(だからといって)これを、「大したことでもない」と言う人は、まだ秘事ということの大きな効用を知らないからである。 まず、この「花」の口伝においても、ただただ珍しいことが「花」なのだと、みんなが知っているのであるならば、「それでは珍しいことがあるだろう」と予期しているような観客たちの前では、(演者が)たとえ珍しいことをしようとも、観客の心にめずらしいという感動はあるはずがない。観客にとって、「花」なのだと知らないでこそ、演者の「花」になるはずである。だから、観客は、ただ意外に面白い上手な演者とだけ見て、これは「花」なのだとも知らないのが、演者の花なのである。そういうことだから、人の心に予期していない感動を起こさせる方法、これが花なのである。 |
意訳文 (れんだいこ) |
表に出さず内に秘めることで生まれる芸の花がある。このことを知ることが肝要である。「隠すことで芸の花となり、隠さなければ芸の花となることができない。」ということがあるのだ。この秘める秘めないの分け目を知ることが、芸の花について大切なことである。 そもそも、すべてのこと、諸道や諸芸において、その家々で秘事(ひじ)と申しものがあるのは、秘密にすることによって大きな効用があることを知っているからである。そうではあるが、秘事を明らかにすると、案外とそれほどのことでもないということが能くある。これを「秘事も大したものではない」と言う人は、いまだ秘事ということの大きな効用を知らないから、そのように言うのである。 まず、この芸の花についての口伝においても、ただ珍しいということが芸の花だと、観客が皆が知っているのであるならば、「それならば珍しいことがあるに違いない」と思い待ち受けているような見物人の前では、たとえ珍しい演技をしても、見る人の心に珍しいという気持ちはある(起こる)はずがない。観客にとって、「花」なのだと分からないように秘めて演じてこそ、演者にとって本来の「花」になるはずなのだ。だから、観客は、ただ意外に面白い上手な演者とだけ見て、これは「花」なのだと分からせないのが、真打ちの演者の「花」なのである。そういう訳で、人の心に予期していない感動を起こさせる方法、これが「本来の花」なのである。 |
七歳 | |
原文 | 一、この芸において、おほかた、七歳をもてはじめとす。このころの能の稽古、必ず、その者、自然と為出だす事に、得たる風体あるべし。舞・はたらきの間、音曲、もしくは怒れる事などにてもあれ、ふと為出ださんかかりを、うち任せて、心のままにせさすべし。さのみに、よき、あしきとは教ふべからず。あまりにいたく諫むれば、童は気を失ひて、能、ものくさくなりたちぬれば、やがて能は止まるなり。ただ音曲・はたらき・舞などならではさせすべからず。さのみの物まねは、たとひすべくとも、教ふまじきなり。大場などの脇の申楽(さるがく)には立つべからず。三番・四番の、時分のよからむずるに、得たらん風体をさせすべし。 |
現代語訳 | 一、能楽の稽古は、だいたい七歳の時分に始めるのが良い。この頃の能の稽古というものは、ともかく自然に任せるという事が肝心である。どんな子でも、それぞれがやりたいようにやらせておくと、その自然に出てくるやり方の中に、必ず個性的な有様が見えてくるものだ。舞いや仕草の中に、また謡いにのせての所作はもとより、更には例えば怒気を含んだ鬼物の所作などの場合であっても、本人が何心もなく思いついて見せる動きなど、みなその子の好きなように、心のままにやらせておくのが良い。この時分には、「こうすると良い」とか「そうしちゃいけない」とか、事細かに教えるのはかえってよくない。あまり口うるさくあれこれと注意すると、子供というものはやる気をなくして、能なんて面倒くさいなぁと思って怠る心ができるから、すなわちそこで能の進歩は行き止まりとなる。そうして、子供には、謡い、しぐさ、舞い、という基礎的な事だけを教えて、それ以上のことはさせてはいけない。子供の中には、もっと手の込んだ写実的演技などもさせればできる者もいるけれど、あえてさようなことは教えぬほうがよいのだ。格の高い大きな場所での脇能(初番の神能)のようなものには出演させてはいけない。三番目の女の舞いを主眼とした能か、四番目の世話物の能あたりの、ちょうどよさそうな時分に、その子のもっとも得意とする役柄で出してやるのがよろしい。 |
十二・三より | |
原文 | この年の頃よりは、はや、やうやう声も調子にかかり、能も心づく頃なれば、次第次第に物数(ものかず)をも教ふべし。まづ童形なれば、なにとしたるも幽玄なり。声も立つ頃なり。二つのたよりあれば、わろき事は隠れ、よき事はいよいよ花めけり。おほかた、児(ちご)の申楽(さるがく)に、さのみに細かなる物まねなどはせさすべからず。当座も似合はず、能も上らぬ相なり。ただし堪能(かんのう)になりぬれば、何としたるもよかるべし。児といひ、声といひ、しかも上手ならば、なにかはわろかるべき。さりながらこの花は、まことの花にあらず。ただ時分の花なり。さればこの時分の稽古、すべてすべてやすきなり。さるほどに一期(いちご)の能の定めにはなるまじきなり。この頃の稽古、やすき所を花に当てて、わざをば大事にすべし。はたらきをもたしやかに、音曲をも文字にさはさはと当たり、舞をも手を定めて、大事にして稽古すべし。 |
現代語訳 | このくらいの年齢になれば、謡う声もだんだんと能の音階に合わせられるようになり、もう内容的な事もちゃんと理解できる頃であるから、謡い、舞い、演技とも、順々に少しずつ数多くのことがらを教えてよい。なにぶんにも、華やかな稚児姿なので、何をどのように演じようとも華やいだ美しさがある。しかも、声もよく通るようになっている。この二つの美点があるのだから、欠点は目立たず、良いところはますます華やかに見えてくる。とはいえ、概してこうした稚児たちの申楽には、あんまり細密な写実演技などさせるものではない。そういうのは、目の当たりに見ていてもいっこうに似つかわしいとは思えないものだし、また将来上達がとまるもといである。ただし、この年代の子供の中には、どうかするととても達者になんでもできる者がある。そういう稚児は、何をどう演じてもよろしかろう。なにしろ、姿はお稚児の華やかさ、声も朗々と響く、しかも上手に演ずる子とくれば、そりゃ何をやっても悪かろうはずがない。とはいいながら、この花は本物の花ではない。言ってみれば、ちょうど良い年齢ゆえの花であるに過ぎないのだ。かかる花が備わっているからして、この時分の稽古はなんでも容易にできてしまうところがある。だからといって、この時分の稽古で達成したことが一生の芸の格として身につくというわけでもない。したがって、この時分の稽古は、年齢相応のやりやすいところを舞台で華やかに見せるようにして、一方、一つ一つの基礎的な技を丁寧に稽古することが肝心である。すなわち、動作を確実にし、謡いは発音を正しく明瞭にするように心がけ、舞いも一つ一つの所作をきちんと守って、大事に大事に稽古しなくてはいけない。 |
十七・八より | |
原文 | この頃は、またあまりの大事にて、稽古多からず。まづ声変はりぬれば、第一の花、失せたり。体も腰高になれば、かかり失せて、過ぎし頃の、声も盛りに、花やかに、やすかりし時分の移りに、手だてはたと変はりぬれば、気を失ふ。結句(けつく)見物衆(けんぶつしゆ)も、をかしげなるけしき見えぬれば、恥づかしさと申し、かれこれ、ここにて退屈するなり。この頃の稽古には、ただ指をさして人に笑はるるとも、それをば顧みず、内にては、声の届かんずる調子にて、宵・暁の声を使ひ、心中には願力を起こして、一期の境ここなりと、生涯にかけて能を捨てぬよりほかは、稽古あるべからず。ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし。総じて調子は声によるといへども、黄鐘(おうしき)・盤渉(ばんしき)をもて用ふべし。調子にさのみかかれば、身なりに癖出で来るものなり。また声も、年寄りて損ずる相なり。 |
現代語訳 | この年頃はまた、なんとしても難しい時期で、稽古をしすぎてはいけない。まず声変わりということがある。これによって少年期の艶めかしさは失せる。また体つきも、手足が伸びて変に腰高な風情になるので、見ていて不安定な感じがする為に第一姿が悪くなる。それまでは声も朗々として美しく、姿は華やかであってなんでも自在にできた時期であったけれど、そのあとでなにもかもがぱたっと一変してしまうわけだから、どうしてもここで気力が萎えてしまう。 その結果、見物の人たちも、ありゃ変だなあと思っているらしい様子がそれとなく分かるので、やっぱり恥ずかしいし、それやこれやでこの年齢の頃に挫折してしまう事が多い。だから、この時期の稽古は、舞台では指さしして嘲られることがあろうとも、それは気にかけないこと、そして家に帰ってからは、あまり無理な高声など使わずに、そこそこ届く程度の高さの声で、宵には十分に声を出し、朝にはちょっと控えめにして発声を整える。心の中に神仏かけての願力を奮い立たせて、おのれの一生の分かれ目はここだ、と覚悟し、これから先、生涯をかけて能を捨てずに精進するということの他には稽古の方法もないのである。そうして、この時期に諦めてしまったら、もうそれっきり能は行き止まりとなる。概して、声の高低は生まれつきで決まっているものだが、それでもおおかたの所を申すならば、この変声期の時期には「黄鐘(おうしき)・盤渉(ばんしき)」あたりまでの所の声を使うのがよろしい。調子にこだわって無理に高い声などだそうとすると、その為に体つきに妙な癖がついてしまうことがある。さらには、声帯を傷めて後に中年以後に声が出なくなるというようなことも出来(しゅったい)するので、くれぐれも無理は禁物である。 |
二十四・五 | |
原文 | この頃、一期の芸能の定まるはじめなり。さるほどに、稽古の堺なり。声もすでに直り、体も定まる時分なり。さればこの道に二つの果報あり。声と身なりなり。これ二つは、この時分に定まるなり。年盛りに向かふ芸能の生ずる所なり。 さるほどによそ目にも、すは、上手出で来たりとて、人も目に立つるなり。もと、名人などなれども、当座の花に珍しくして、立合勝負にも一旦勝つ時は、人も思ひ上げ、主も上手と思ひしむるなり。これ、かへすがへす主のため仇なり。これもまことの花にはあらず。年の盛りと、見る人の一旦の心の、珍しき花なり。まことの目利きは見分くべし。 この頃の花こそ初心と申す頃なるを、極めたるやうに主の思ひて、はや申楽にそばみたる輪説(りんぜつ)とし、至りたる風体をする事、あさましき事なり。たとひ人も褒め、名人などに勝つとも、これは一旦、珍しき花なりと思ひ悟りて、いよいよ物まねをも直ぐに為(し)定め、なを得たらん人に事を細かに問ひて、稽古をいや増しにすべし。されば時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。ただ人ごとに、この時分の花に迷ひて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すは、この頃の事なり。 一、公案して思ふべし。わが位のほどをよくよく心得ぬれば、それほどの花は、一期失せず。位より上の上手と思へば、もとありつる位の花も失するなり。よくよく心得べし。 |
現代語訳 |
このころ、一生の芸能の位が定まる、ちょうどその分れ目の所に当たっている。だから、稽古もここが肝心かなめの所である。変声期は既に終わり、体も安定してくる。しかるに、能という芸能にとっては、二つの幸いがなくてはならぬ。声と体の二つである。この二つはまさにこの時期に善し悪しが定まると言ってよい。 そうして、これから段々に全盛期に向かっていく本格的芸能の生まれてくる時期がこの頃なのだと言うことが出来るであろう。さあ難しいのはここである。なにしろこの時期には、第三者から見ても「ややっ、これは上手な役者が出てきたぞ」というような事になって、やたら称賛を浴び、人目に立つということがある。その為に、たまさか名人と呼ばれるような人と能の立会い菖蒲をして、若造のくせに勝ったりする事もある。これはしかし、叙上の意味でかりそめの物珍しさの魅力で勝っただけなのだが、それでも廻りはチヤホヤするだろうし、勝った本人はすっかり舞い上がって、己はもう上手の位に上がったのだと思いこんでしまう。これは返す返すも本人の為にならぬ。この時分の魅力というものもまた、まことの花ではない。若盛りの美しさと、まだ物珍しさが見るほうにあるための、かりそめばかりの魅力なのだ。そのところを、本当に目の利く人はちゃんと見分るであろう。この時期の花こそ、芸道にとっては、ようやく「初心」という程度のことなのであるが、もういっぱし芸を窮めたようなつもりになってしまう者もいて、申楽を演ずるにもなにやら変則的なやり方で演じて見せたりして、いわゆる名人気取りの様子をすることは、これまことに浅ましいことと言わねばならぬ。それでたとい人も褒め、立会いの勝負で本当の名人に勝つことがろうとも、それはほんの一時の「物珍しさの魅力」なのだと自らに思い定めて、ますますまっすぐに定式通りの写実演技をするように励み、より高い芸格の役者衆にあれこれと細かなところまで教えを乞い、稽古はさらにいや増しに尽すのがよい。すなわち、こういうことである。一時かりそめの花をほんとうの花だと思いこんでしまう心が、真実の花に遠ざかる心である。そんなふうにして、誰もかれも、この一時かりそめの花を褒められて有頂天になる結果、すぐにその花は失せてしまうのだということも悟らない。「初心」というのは、子供時代のことでない。まさにこの人も褒める若盛りのことなのである。 一、各自内省熟慮して思うべきことがある。己の芸の格をよくよく心得て勘違いしないようにしていれば、それ相応の花は一生のあいだ失せることがない。しかし、慢心して相応の位よりも上手なのだと思い込んだら最後、それまで持っていた花もすべて消え失せてしまうのだということである。このあわいをよくよく思っておかなくてはならぬ。 |
三十四・五 | |
原文 | この頃の能、盛りの極めなり。ここにて、この条々を窮(きわ)め悟りて、堪能になれば、定めて天下に許され、名望を得つべし。もしこの時分に、天下の許されも不足に、名望を思ふ程になくは、いかなる上手なりとも、いまだまことの花を窮めぬ為手(して)と知るべし。 もし窮めずは、四十より能は下がるべし。それ、後の証拠なるべし。さるほどに、上がるは三十四・五までの頃、下がるは四十以来なり。返すがへす、この頃天下の許されを得ずば、能を窮めたりととは思ふべからず。ここにてなほ、慎むべし。この頃は、過ぎし方をも覚え、また、行く先の手立(てだて)をも覚る時分なり。この頃極めずば、こののち天下の許されを得ん事、返すがへすかたかるべし。 |
現代語訳 | この年ごろの能は、あらゆる意味で全盛で窮める。したがって、この時期に至って、この伝書に書きおく条々をよくよく悟得(ごとく)して、行き届いた芸域に達するならば、かならずや天下の見巧者にも認められて、芸能者として一流の名を得るであろう。反対に、もしこの時期になっても、天下の見巧者には認められず、その結果大した名声も得られないのであれば、一見いかに達者に芸をするように見えても、それはいまだ「真実の花」を会得しているシテ(役者)とは考えがたい。そうして、もうこの年ごろが絶頂の時期なのだから、もしこの頃までに「真実の花」を会得し得なかったならば万事休す、四十を過ぎてからどのように芸が堕ちていくかということを見れば、その者が真実の花を会得していたか否かが分かるというものである。というわけであるから、芸の力が進歩向上するのはせいぜい三十四・五までのこと、そして芸が衰え始める境目が四十のころなのだ。くれぐれも言っておくが、だからこの三十四・五のころまでに天下に名声を確立出来なかった者は、ゆめゆめ能を窮めたなどと思ってはいけない。この時期には、なお一層自省熟慮しなければならぬことがある。すなわち、自分がそれまでに学んできたあれこれの事を反省し、またこれから先どのような方法で進んでいくべきか、そのことをよく考えるべき時だという事である。重ねて言っておくが、この時分に芸を窮め真実の花を会得していなかったならば、これから先どんなに頑張っても天下に名人の名を許されることはまずありえないのである。 |
四十四・五 | |
原文 | この頃よりは、能の手だて、おほかた変はるべし。たとひ天下に許され、能に得法(とくほう)」したりとも、それにつけても、よき脇の為手(して)を持つべし。能は下がらねども、力なく、やうやう年たけゆけば、身の花も、よそ目の花も失するなり。まづすぐれたらん美男は知らず、よきほどの人も、直面(ひためん)の申楽は、年寄りては見られぬものなり。さるほどにこの一方は欠けたり。 この頃よりは、さのみに細かなる物まねをばすまじきなり。おほかた、似合ひたる風体を、やすやすと、骨を折らで、脇の為手に花を持たせて、あひしらひのやうに、少な少なとすべし。たとひ脇の為手なからんにつけても、いよいよ、細かに身を砕く能をばすまじきなり。なにとしても、よそ目、花なし。もしこの頃まで失せざらん花こそ、まことの花にてはあるべけれ。それは、五十近くまで失せざらん花を持ちたる為手ならば、四十以前に天下の名望を得つべし。たとひ天下の許されを得たる為手なりとも、さやうの上手は、ことに我が身を知るべければ、なほなほ脇の為手をたしなみ、さのみに身を砕きて難の見ゆべき能をばすまじきなり。かやうに我が身を知る心、得たる人の心なるべし。 |
現代語訳 |
この年ごろからは、能の演じ方ががらりと変わるはずである。たとい天下に名人の声価を許されて、実際に能の奥義を得悟したとしても、大切なことは、良い助演者を持つということである。前段に言った「真実の花」を会得した名人ともなれば、そうやすやすと技量が下がっていくこともあるまいけれど、ただ年齢というものはいかんともしがたいところであって、だんだんに高齢になっていくにしたがって、身体的な華やぎも、また観客から見た魅力も失せていくのは、避けられない。たとえば、ともかく抜群の美男などは別として、相当の姿よき人であっても、面を掛けずに素顔で演じる演目(直面の能)は、年寄ってからはとうてい見られたものではない。ということは、すでにこの直面の能という一分野は欠けてしまったということである。だから、この年齢になってきたら、むやみと細密な写実の演技などはするものでない。だいたい自分に似合った風体の曲を、さほどな苦労もせずして、さらりさらりと演じつつ、むしろ若い助演者に花を持たせて、自分のほうがかえって助演者みたいな感じで内端(うちわ)内端に演じるのがよろしい。もし優れた助演者が得られないとしても、だからといって、年がいもなく、俊敏に動き回り身を砕くような演目をやるべきでない。自分ではちゃんと出来ているつもりでも、観客のほうから見れば、なんとしても見た目の花が無くなっているのだから。とはいいながら、本当の名手ならば、この年齢になってもなお見どころ魅力が十分残っているはずで、その失せないで残っている花こそが、本当の花であるにちがいない。 こ うした場合、五十近くまでなお残っている花を持っているシテならば、必ずやすでに四十以前に天下の名人の名を許されているはずのところである。そうしてさように天下に名声を得た演者となれば、なおのこと、己というものを良く心得ておいて然るべきものであって、普通の人よりもいっそう十全に助演者を吟味して、その若いものに任せるべきところは任せ、自分はさように身を砕くような写実演技などをして身の衰えを露見せしめるようなまねをするべきでない。 つまり、そういうふうに、己の身の状態をきちんと認識して、今何をすべきかを知る人が、真の芸を会得した本当の名手というべきものである。 |
五十有余 | |
原文 | この頃よりは、おほかた、せぬならでは手だてあるまじ。「麒麟も老いては弩馬(どば)に劣る」と申す事あり。さりながらまことに得たらん能者ならば、物数はみなみな失せて、善悪見どころは少なしとも、花は残るべし。 亡父にて候ひし者は、五十二と申しし五月十九日に死去せしが、その月の四日、駿河国浅間(せんげん)の御前にて法楽(ほうらく)つかまつり、その日の申楽、ことに花やかにて、見物の上下、一同に褒美せしなり。およそその頃、物数をばはや初心に譲りて、やすき所を少な少なと、色へてせしかども、花はいや増しに見えしなり。これ、まことに得たりし花なるがゆゑに、能は、枝葉も少なく、老木になるまで、花は散らで残りしなり。これ、目のあたり、老骨に残りし花の証拠なり。年来稽古 以上。 |
現代語訳 | こういう年齢になったら、およそ、「何もしない」ということ以外にはこれという手だてもあるまい。「麒麟も老いては駑馬に劣る」ということわざがある。それはいかんともしがたい現実ではあるが、とは申しながら、真実奥底深く能を会得した者ならば、次第に演じる曲目も技ももうすっかり失せに失せて、いかにも見どころが少なくなってしまっていたとしても、それでもなにがしかの「花」は残っているであろう。亡父観阿弥と申すものは、五十二歳という年の五月十九日に死去したが、その同じ月の四日の日に、遠く駿河の国、浅間神社の宝前で奉納の能を奉った。その日の申楽能は一段と華やかで、見物の皆々身分の高きも賤しきも等しくこれを称賛したということがある。亡父は、およそその頃には、もうあれもこれもほとんどの演目を私ども若いものに譲ってしまって、自身は体に無理のないところを、動きは内端に内端に舞いながら、しかし、しっとりとした彩りを込めて演じたので、老いてなお花はいよいよ盛りに見えたものであった。この花は、亡父がまことに会得した真実の花であったために、実際の動きは最小限で、あたかももう枝も葉も少なくなった老木のようになっていても、それでも花は散り失せずに残っていたのである。これが、私が目の当たりにした「老いてなお残っていた花」のなによりの証拠である。年来の稽古については、以上である。 |
七歳
現代語訳一、能の芸においてはおおよそ七歳を以て稽古開始の年齢とする。 この頃の子供の能の稽古では、必ず、その子供が自然とやりだすことの中に、得意な演技というものがあるはずだ。舞・身のこなしなど、謡もしくは荒々しい鬼の演技など、なんでもよいから、ふと、自分からやりだす演じ方を、本人にまかせて、好きなようにさせるがよい。 むやみに「良い」、「悪い」と指導してはならない。あまりひどく注意すると、子供はやる気をなくして、能の稽古がいやになってしまうので、そのまま芸の成長は止まってしまう。 ただし、謡・身のこなし・舞など以外はさせてはならない。 相当込み入った物まねは、たとえ出来るにしても無理に教えるべきではない。晴れの舞台の冒頭の能には、出演させてはならない。三番目か四番目の時期の良い時を見て、得意な演技をさせるがよい。 語句■年来稽古条々-「年来}は長い年月、「条々」-心得。生涯に渡る能の稽古の心得。■七歳-後世には名子役を「七ツ太夫」ともてはやすなど、七歳以前から稽古を開始していた可能性がある。■一-以下の条に「一」なし。巻頭のみに「一」がある事の意味不明。■得たる風体-上手にできる演技。風体は歌論用語で、世阿弥は演技や芸風、能の作品などの意味で用いている。■舞-謡や囃子に合わせた舞踊的な所作。舞踊を劇中劇的に演じるものなど。■はたらき-ここは所作全般の意か。写実的な所作を指す場合もある。■音曲-能の謡のこと。■怒れる事-荒々しい鬼の演技。■かかり-演技の様式。演じ方。■いたく-ひどく。■なりたち-「なりたつ」はある事態に立ち至ること。ここは、能をやるのが嫌になってしまうこと。■能-ここの能は「芸」の意。■物まね-この場合の「物まね」は特定の演技ではなく、劇としての能一曲のこと。■大場-大きな会場。晴れの舞台のこと。■脇能-その日の冒頭の出し物。祝言能。■立つ-舞台に出ること。出演すること。■三番・四番の-一日の演目を五番程度とした場合の説かどうか。不明。 原文十二三より
現代語訳この年齢頃からは、すでに次第に謡の声も笛の調子に合うようになり、演技にも自覚が生まれる時期なので、すこしづつ、いろいろな演目を教えるのがよい。 まずは稚児姿なので、何をやっても可愛らしい美しさがある。声も明瞭で華やかに聞こえる時期である。この二つの利点があるので、欠点は隠れ、美点はいよいよ魅力的に見えるのだ。だいたい、子供の申楽では、むやみに手の込んだ演技の能などはさせてはならない。 実際の舞台でも不似合いだし、芸も上達しない傾向がある。ただし、非情非常にに優れた子供であったなら、どんなふうにやってもよかろう。稚児姿といい、よい声といい、しかも上手ならば、どうして悪いことがあろうか。 しかしながら、この「花」は、真実の芸の力から生まれた花ではない。たんなるその時限りの花である。であれば、この年頃の稽古は、この「時分の花」に助けられて、万事につけて容易(たやす)いのだ。そういうわけで、この時期の芸は一生の芸の良し悪しを見定める判断材料には決してならないのだ。 この時期の稽古には、やすやすと出来る芸で魅力を発揮し、正確に演じることを大事にしなければならない。すなはち、所作でもしっかりと正確に動き、謡もはっきりと発音して歌い、舞も型をしっかりと習得して、一つ一つの技術を大事にして稽古するがよい。 語句■十二三-観阿弥・世阿弥父子が足利義満の目にとまったのが、世阿弥十二歳、二条良基より藤若の幼名を賜ったのが世阿弥十三、四歳の年。■調子にかかり-音程が外れない事。■能-ここは「芸」や「演技」の意。■心付く-自覚する。自覚的に演技するようになることが、「能も心付く」。能役者としての自覚が生じる事ではあるまい。■物数-能の番数。転じて演目。■童形(とうぎやう)-稚児姿のこと。■幽玄-ここは愛らしいこと。■声も立つ-華やかに聞こえること。■細かなる物まね-演技力を要する複雑な演技。■相(さう)-前兆。■まことの花-決して散る事のない花に例えられる、役者の魅力。■時分の花-その時限りの魅力。■やすき所を花にあてて-得意技で魅力を発揮すること。■わざ-能の技術。■確やかに-正確に演じること。■文字-謡の文句。■さはさはと-明瞭な発音で歌うこと。つかえずに歌うことではあるまい。■手-舞の型。 原文十七八より
現代語訳この頃は、また、よほど気をつけなければならない時期で、稽古を多くしない方がよい。何故かというと、まず、声変わりしているので、少年期の声の美しさという第一の花は無くなってしまった。身体も背が伸びて腰がひょろついてくるので、稚児の愛らしさはなくなり、過去の声も美しく、姿も華やかで何をやってもたやすく喝采を浴びた時期に比べて、今までのやり方が全く通用しなくなるので、がっかりするのだ。あげくのはてに、当人にも、見物の人々が冷笑しているよう思え、はづかしさといい、あれやこれやで、この段階で嫌になってしまうのである。 そこで、この時分の稽古では、ひたすら指をさされて人に笑われようとも、それを気にせず、家では、声が無理なく出せるような調子で、宵の口と明け方に出やすい声の使い分けをして、心の中では神仏に願をかけて、「一生の分かれ目はここだ」と、生涯にわたって能を捨てぬ決心を固める以外に稽古の方法はない。ここで止めてしまえばそのまま能は終わってしまう。 そもそも声の調子は声の質によるとはいうものの、この時期の声の調子の出し方は黄鐘と盤渉との間を基準として使うがよい。調子にあまりこだわると、姿勢に癖が出てくるものである。また、声も年をとってから駄目になる傾向がある。 語句■大事-大変な時期であるので、の意。■声変はりぬれば-変声期の声変わりのこと。■第一の花-歌声の魅力。■体-身体。第二次性徴期(思春期)で身長が急激に伸びることをいう。■かかり-ここでは姿の美しさのこと。■移り-変化。■結句-あげくのはてに。■をかしげなる-冷笑しているような様子。■見え-この「見え」は他動詞(目的語を伴う動詞)で「見せ」に同じ。■内-室内。ただしここは自宅での稽古をいうか。■とづく-「とどく」と同意。■宵・暁の云々-夜間と早朝が稽古の時間であったらしい。■願力を起こして-神仏に願を掛け、その願いを貫こうとする気力。■一期の境-一生の分かれ目。■黄鐘-十二律(中国や日本の音楽の12の標準楽音。1オクターブ間に約半音間隔で12音が配される。基音を長さ9寸(約27センチ)の律管の音とする。)の一つ。イ音に相当。謡に先立つ音取りの音の指定であろう。■盤渉-十二律の一つ。ロ音に相当。■かかれば-こだわると。■身なり-姿勢。 原文二十四五
現代語訳この頃は一生の芸の確定する最初の時期である。であるから、稽古の本格化する境目である。声もすでに正常に直り、体の成長も止まり、成人としての体格が定まる頃である。そのために、見物人も「上手な役者が現れたぞ」といって注目するのである。かっては名声のあった役者などが相手であっても、新人の魅力に観客が新鮮さを感じて、競演の勝負などで若い役者が一度でも勝ってしまうと、周囲も過大に評価し、本人も上手だと思い込んでしまう。これはどう考えても、本人の為には害悪である。これは本当の魅力ではない。血気盛んな年齢と、観客が一時的に感じた新鮮さのもたらす魅力である。本当に鑑識眼のある観客は、この人気が偽物であることを見分けるであろう。 この時期こそは花が一時的にあったとしても、、初心時代というべき時期なのに、もう申楽を極めたように自分で思って、さっそく申楽について的外れの独善的見解を持ち、名人気取りの演技をするのは、嘆かわしい事だ。たとえ、人も褒め、名人に勝つ事があっても、これは一時的な魅力によることを悟り、ますます能をしっかりとやり、名声を獲得している役者に事を細かに聞いて、稽古に精進することだ。要するに一時的な魅力を身に備わった永遠の魅力と思い込むことが、ほんとの魅力からさらに遠ざかっていくのだ。まさに、人はみな、この一時的な魅力に自分を見失って、すぐに魅力が失せてしまうのにも気づかない。初心というのはこの頃のことをいうのである。 一、よく工夫して考えよ。自分の芸の程度をきちんと認識していれば、その芸程度の魅力は一生消えることはない。自分の実力以上に上手いとうぬぼれると、元来身に備わった芸の魅力も失せてしまうのである。この点にくれぐれも注意せよ。 語句■一期の芸能の定まる初めなり-前々条の「一期の能の定め」と対応する表現。「芸能」と「能」が同意であることの好例。■声もすでに直り、体も定まる-発声も体格も安定する。■この道-能の道。■果報-幸せなこと。ここは申楽のために有利な能力の意。■声とみなり-歌声と舞台姿。■年盛りに-主語は「声と身なり」。年盛りにふさわしい意。「年盛り」は必ずしも三十四五歳をいうのではなく、二十四伍歳でもそうである。■名人-名声のある人。現代のお名人とは意味が異なる。■当座の花-その場限りの魅力。■立合勝負-複数の役者が同一舞台上で同時に、または同日に交互に、演じること。将軍の御前で近江猿楽犬王と世阿弥が交互に能を演じるなどのことがあったのであろう。前者の例は、翁の特殊演出に現在も残る。■思ひ上げ-実力以上に過大評価すること。■主-本人。■思ひ染(し)むる-思い込む。■目利き-鑑識眼のある人。■初心と申す頃-未熟な段階。■輪説-箏(しょう)の変奏法をいう雅楽用語で、正統でない異見の意として連歌論にも見える。「そばみたる輪説」で的外れな独善的見解のこと。■至りたる風体-名人気取りの演技。■物まねをも直にし定め-能を正確にきちんと演じること。■知る-誤認する。■一-追記するときの常套的書式。書状などにも見られる。■公案-工夫の意味の禅語をサ変動詞化したもの。■それほどの-その程度の。■位-「ほど」と同意。 原文三十四五
現代語訳この頃の能が最も油の乗った時期である。この時期に、この風姿花伝の心得の一つ一つを会得して理解してしまい、上手になっていれば、きっと天下に認められ、名声を得ることができるであろう。もし、この時期に天下から認められず、名声も思うように得ることが出来なければ、いかに上手に芸ができても、いまだ本当の花を知らない芸人であることを理解すべきである。 もし、能の極みを会得することができなければ、40歳を過ぎたのち、その芸は下降線をたどることになろう。それは後になってでてくる。この時期の未熟の証拠であろう。芸が向上するのは三十五歳までの頃、下落するのは40歳を過ぎてからである。返す返すも、この頃に都での名声を獲得できなければ、芸の奥義を極めたと思ってはならない。 ここにきてなお、自重せねばならない。この時期は過去の舞台の数々を思い出し、また、これから先の芸の演じ方をも、あらかじめ考える時期である。こういう時期に能の奥義に達していなければ、此の後、天下に認められることは、非常に難しかろう。 語句■三十四伍-世阿弥が一条竹ヶ鼻で将軍隣席の下、三日間の勧進申楽を挙行したのが、応永六年(1399)、三十七歳の頃、『花伝』巻三までを執筆したのは、その翌年。■盛り-芸の絶頂期であるが、たんなるピークという意味ではなく、後半生に飛躍するための極限点の意味があろう。自身の体験に基づくか。■この条々を-『花伝』の条々(一つ一つの箇条によって書かれている文書)であるが、どの範囲を指すかは不明。ここでは巻三までの条々が想定されていたか。■天下-都での名声。具体的には将軍の愛顧を獲得することのみならず、広く世間の評価を獲得することを意味しよう。■名望-名声。■得つべし-世阿弥が好んで用いる強意の言い回し。■為手(して)-役者。■下がる-芸が下り坂になること。■後の証拠-四十歳以降で芸が衰えることが、三十四伍で天下の許されるを得ていなかった証拠になる。■行く先の手立-老後の芸を演じるための方法。■覚る-心の準備をする意。■返すがえす-ほんとうに、ひじょうに、まったく。■かたかるべし-難しいだろう。 原文四十四五
現代語訳この年頃から、芸のあり方はまったく変わってしまうであろう。たとえ世間に認められ、能の奥義を体得していたとしても、それにつけても、すぐれた控えの役者を傍に置いておくがよい。芸は下がらなくとも、しかたがないことながら、次第に年齢が高くなっていくので姿の魅力も、観客のもてはやしも、失せてしまう。まずもって、非常な美男子ならばともかく、かなりの容姿の役者であっても、素顔で演じる能は、年をとっては見られたものではない。であるから、この直面という一分野は、持ち芸から脱落するのである。 この年頃からは、あまり手の込んだ出し物を演じるべきではない。だいたいの所は、自分の年齢相応の能を、楽々と無理なく、骨を折らず、二番手の役者に多くの演目を譲って、自分は添え物のような立場で、控えめ控えめに出演するがよい。たとえ、二番手の役者がいない場合でも、それならなおさら手の込んだ能はするべきではない。なにをしても、傍目からは魅力が無いからである。 もし、この年頃まで無くならない芸の魅力があったとしたら、それこそ「真実の花」である。それは、五十歳近くまで芸の魅力を失わない役者ならば、四十以前に世間の名声を得ていたであろう。 たとえ、世間から認められた役者であっても、そのような上手は、ことに自分自身を知っており、さらに脇の為手を育成して、あまり身を砕いて難しい能で欠点をさらすようなことをするはずがない。このように自分を知る心こそ、奥義に達した人の心得というものであろう。 語句■この頃-本条執筆当時、世阿弥自身はこの年齢に達していないことに注意。■能の手立-芸の工風。■大かた-ここは「まったく」の意。■得法-悟りを得た証明を師から受ける意味の禅語。ここは能の奥義を体得したと自他ともに認めること。■脇の為手-一座を統率する棟梁の為手の次席役者。■能は下がらねども-芸は下がらなくても。以下、身体的衰えが、能芸の魅力に決定的な意味を持っていたことを示す。■身の花-姿の魅力。■よそ目の花-観客のもてはやし。■よきほどの人-よほどの人。■直面-面をつけず素顔で演じること。■見られぬ-正視に堪えぬこと。■細かなる物まね-手の込んだ出し物。■花をもたせて-自分より多く演じさせる意。■あひしらひ-添え物の意。■少なすくなと-演技ではなく演目をいうのであろう。■身を砕く能-体を激しく動かす能。修羅能や鬼能などの類をいう。■それは-「まことの花」とは、の意。■脇の為手-脇の為手を前もって育てること。棟梁の為手の立場の論である以上、自分自身が脇の為手に徹する意味ではあるまい。 原文五十有余
現代語訳この年頃からは、まったく何もしない以外、適当なやり方はあるまい。「駿馬も老いては凡馬に劣る」ということわざがある。しかしながら、本当に奥義に達した名人ならば、出来る演目はほとんど無くなって、とにかく見所は少なくなったとはいっても、芸の魅力は残るであろう。 亡き父観阿弥は、五十二歳の五月十九日に亡くなったが、その同じ月の四日に、駿河の国浅間神社の御宝前で能を奉納した。その日の申楽はことに華やかで、見物衆の身分の上下無く、皆一同に絶賛したのであった。だいたい、その頃は演目のかなりのものは若いころの私に任せて、老人でもたやすくできる演目を少しづつ工夫して演じていたが、その魅力はさらに際立って見えたのである。 このことは、本当に奥義を極めた「花」であったがゆえに、芸としてはできる演目も少なくなり、演技も枯れてしまってはいたが、それでも芸の花は散らずに残ったのである。これこそが私が実際に目にした、老体の身に残った「花」の証拠なのである。 年来稽古(ねんらいけいこ)は以上である。 語句■せぬならでは手立(てだて)あるまじ-何も演じない以外に方法はあるまい。出演を控える意。■麒麟(きりん)も老いては弩馬(どば)に劣る-駿馬も年老いれば足の遅い凡馬に先を越される意で、すぐれた人物でも老いれば凡人に劣ること。■能者-堪能の人。能役者の意ではない。■少なしとも-「少なしといふとも」をつづめて強めた言い方。■亡父-観阿弥のこと。「・・・にて候ひし者」は、死没した近親者を指すときの謙譲表現。■浅間-今川氏の本拠であった駿河府中(静岡市)の浅間神社であろう。■法楽-神仏に奉納する芸能。■初心-世阿弥のこと。当時数え二十一、二歳。■やすき所-老人にもたやすくできる演目。■少なすくなと-えんぎのことではなく、演目の数をいうか。■色へてせしかども-演技を彩ること。■眼のあたり-直接見た。目の当たりにした。 |
「風姿花伝:年来稽古条々(ねんらいけいこでうでう)」の現代語訳 十七、八より このころはまた、あまりの大事にて、稽古多からず。 まづ、声変はりぬれば、第一の花失うせたり。 体たいも腰高になれば、かかり失せて、過ぎしころの、声も盛りに、花やかに、易かりし時分の移りに、手立てはたと変はりぬれば、気を失ふ。 結句けつく、見物衆けんぶつしゆもをかしげなる気色見えぬれば、恥づかしさと申し、かれこれ、ここにて退屈するなり。 このころの稽古には、ただ、指を指して人に笑はるるとも、それをば顧みず、内にては、声の届とづかんずる調子にて、宵、暁の声を使ひ、心中しんぢゆうには願力を起こして、一期いちごの境ここなりと、生涯にかけて能を捨てぬよりほかは、稽古あるべからず。 ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし。 二十四、五 このころ、一期の芸能の定まる初めなり。 さるほどに、稽古の境なり。 声もすでに直り、体も定まる時分なり。 されば、この道に二つの果報あり。 声と身形みなりなり。 これ二つは、この時分に定まるなり。 年盛としざかりに向かふ芸能の生ずるところなり。 さるほどに、よそ目にも、「すは、上手出いで来たり。」とて、人も目に立つるなり。 もと名人などなれども、当座たうざの花にめづらしくして、立ち合ひ勝負にも一旦勝つ時は、人も思ひ上げ、主ぬしも上手と思ひ染しむるなり。 これ、かへすがへす主のため仇あたなり。 これも、まことの花にはあらず。 年の盛りと、見る人の一旦の心のめづらしき花なり。 まことの目利きは見分くべし。 このころの花こそ初心と申すころなるを、極めたるやうに主の思ひて、はや申楽さるがくに側そばみたる輪説りんぜつをし、至りたる風体ふうていをすること、あさましきことなり。 たとひ、人も褒め、名人などに勝つとも、これは一旦めづらしき花なりと思ひ悟りて、いよいよ物まねをもすぐにし定め、名を得たらん人に事を細かに問ひて、稽古をいや増しにすべし。 されば、時分の花をまことの花と知る心が、真実しんじちの花になほ遠ざかる心なり。 ただ、人ごとに、この時分の花に迷ひて、やがて花の失するをも知らず。 初心と申すはこのころのことなり。 脚注
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(私論.私見)