破戒第四章、第五章、第六章

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/令和2)年.11.13日

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 2005.3.22日、2006.7.10日再編集 れんだいこ拝


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【破戒第三章】
 第参章(一)
 もとより銀之助は丑松の素性を知る筈がない。二人は長野の師範校に居る頃から、極く好く気性の合つた友達で、丑松が佐久小県さくちひさがたあたりの灰色の景色を説き出すと、銀之助は諏訪湖すはこほとりの生れ故郷の物語を始める、丑松が好きな歴史の話をすれば、銀之助は植物採集の興味を、と言つたやうな風に、互ひに語り合つた寄宿舎の窓は二人の心を結びつけた。同窓の記憶はいつまでも若く青々として居る。銀之助は丑松のことを思ふ度に昔を思出して、何となく時の変遷うつりかはりを忍ばずには居られなかつた。同じ寄宿舎の食堂に同じ引割飯のにほひを嗅いだその友達に思ひ比べると、実に丑松の様子の変つて来たことは。あの憂欝いううつ――丑松が以前の快活な性質を失つた証拠は、眼付で解る、歩き方で解る、談話はなしをする声でも解る。一体、何が原因もとで、あんなに深く沈んで行くのだらう。とんと銀之助には合点が行かない。『何かある――必ず何か訳がある』。こう考へて、どうかして友達に忠告したいと思ふのであつた。

 丑松が蓮華寺へ引越した
翌日あくるひ、丁度日曜、午後から銀之助は尋ねて行つた。途中で文平と一緒になつて、二人して苔蒸こけむした石の階段を上ると、咲残る秋草のみちの突当つたところに本堂、左は鐘楼、右が蔵裏であつた。六角形に出来た経堂の建築物たてものもあつて、勾配のついた瓦屋根や、大陸風の柱や、白壁や、すべて過去の壮大と衰頽すゐたいとを語るかのやうに見える。黄ばんだ銀杏いてふの樹の下に腰をこゞめながら、余念もなく落葉を掃いて居たのは、寺男の庄太。『瀬川君は居りますか』と言はれて、馬鹿丁寧な挨拶。やがて庄太ははうきをそこに打捨てゝおいて、跣足すあしまゝで蔵裏の方へ見に行つた。急に丑松の声がした。あふむいて見ると、銀杏に近い二階の窓の障子を開けて、顔を差出して呼ぶのであつた。『まあ、上りたまへ』と復た呼んだ。
 (二)
 銀之助文平の二人は丑松に導かれて暗い楼梯はしごだんを上つて行つた。秋の日は銀杏の葉を通して、部屋の内へ射しこんで居たので、変色した壁紙、掛けてある軸、床の間に置並べた書物ほんと雑誌のたぐひまで、すべて黄に反射して見える。冷々ひや/″\とした空気は窓から入つて来て、この古い僧坊の内にも何となく涼爽さはやかな思を送るのであつた。机の上には例の『懴悔録』、読伏せて置いたその本に気がついたと見え、急に丑松は片隅へ押隠すやうにして、白い毛布を座蒲団がはりに出してすゝめた。『よく君は引越して歩く人さ』と銀之助は身辺あたりを眺め廻しながら言つた。『一度瀬川君のやうに引越す癖が着くと、何度でも引越したくなるものと見える。まあ、部屋の具合なぞは、先の下宿の方が好ささうぢやないか』。『何故なぜ御引越になつたんですか』と文平も尋ねて見る。『どうも彼処あそこうちやかましくつて』。う答へて丑松は平気を装はうとした。争はれないもので、困つたといふ気色けしきはもう顔に表れたのである。

 『そりやあ寺の方が静は静だ』と銀之助は一向頓着なく、『何ださうだねえ、先の下宿では穢多が
逐出おひだされたさうだねえ』。『さう/\、左様さういふ話ですなあ』と文平も相槌あひづちを打つた。『だから僕はこう思つたのさ』と銀之助は引取つて、『何か其様そんな一寸したつまらん事にでも感じて、それであの下宿が嫌に成(な)つたんぢやないかと』。『どうして?』と丑松は問ひ反した。『そこがそれ、君と僕と違ふところさ』と銀之助は笑ひながら、『実は此頃こなひだ或る雑誌を読んだところが、その中に精神病患者のことが書いてあつた。こうさ。或る人がその男の住居すまひわきに猫を捨てた。さあ、その猫の捨ててあつたのが気になつて、妻君にも相談しないで、その日の中にぷいと他へ引越して了つた。こういふ病的な頭脳あたまの人になると、捨てられた猫を見たのが移転ひつこしの動機になるなぞは珍しくもない、といふ話があつたのさ。はゝゝゝゝ――僕は瀬川君を精神病患者だと言ふ訳ではないよ。しかし君の様子を見るのに、何処か身体の具合でも悪いやうだ。まあ、君は左様さうは思はないかね。だから穢多の逐出おひだされた話を聞くと、直に僕はの猫のことを思出したのさ。それで君が引越したくなつたのかと思つたのさ』。『馬鹿なことを言ひたまへ』と丑松は反返そりかへつて笑つた。笑ふには笑つたが、しかしそれは可笑をかしくて笑つたやうにも聞えなかつたのである。

 『いや、
戯言じようだんぢやない』と銀之助は丑松の顔を熟視みまもつた。『実際、君の顔色は好くない――て貰つてはどうかね』。『僕は君、其様そんな病人ぢやないよ』と丑松は微笑ほゝゑみながら答へた。『しかし』と銀之助は真面目まじめになつて、『自分で知らないで居る病人はいくらもある。君の身体は変調を来して居るに相違ない。夜寝られないなんて言ふところを見ても、どうしても生理的に異常がある。――まあ僕は左様さう見た』。『そうかねえ、そう見えるかねえ』。『見えるともサ。妄想まうさう、妄想。――今の患者の眼に映つた猫も、君の眼に映つた新平民も、みんな衰弱した神経の見せる幻像まぼろしさ。猫が捨てられたつて何だ。――下らない。穢多が逐出おひだされたつて何だ。――当然あたりまへぢやないか』。『だから土屋君は困るよ』と丑松は対手あひての言葉をさへぎつた。『いつでも君は早呑込だ。自分でこうだと決めて了ふと、もう他の事は耳に入らないんだから』。『すこしそういふ気味もありますなあ』と文平は如才なく。『だつて引越し方があんまり唐突だしぬけだからさ』と言つて、銀之助は気を変へて、『しかし、寺の方が反つて勉強はできるだらう』。『以前まへから僕は寺の生活といふものに興味を持つて居た』と丑松は言出した。丁度下女の袈裟治けさぢ(北信に多くある女の名)が湯沸ゆわかしを持つて入つて来た。
 (三)
 信州人ほど茶をたしなむ手合も鮮少すくなからう。ういふ飲料のみものを好むのは寒い山国に住む人々の性来の特色で、日に四五回づゝ集つて飲むことを楽みにする家族が多いのである。丑松も矢張やはり茶好の仲間にはれなかつた。茶器を引寄せ、無造作に入れて、濃く熱いやつを二人の客にも勧め、自分も亦茶椀を口唇くちびる押宛おしあながら、かうばしくあぶられた茶の葉のにほひを嗅いで見ると、急に気分が清々する。まあ蘇生いきかへつたやうな心地こゝろもちになる。やがて丑松は茶椀を下に置いて、寺住の新しい経験を語り始めた。『聞いてくれ給へ。昨日の夕方、僕はこの寺の風呂に入つて見た。一日働いて疲労くたぶれて居るところだつたから、入つた心地こゝろもちは格別さ。明窓あかりまどの障子を開けて見ると※(「くさかんむり/宛」、第3水準1-90-92)しをんの花なぞが咲いてるぢやないか。その時僕は左様さう思つたねえ。風呂に入りながら蟋蟀きり/″\すを聴くなんて、成る程寺らしい趣味だと思つたねえ。今迄の下宿とは全然まるで様子が違ふ――まあ僕は自分のうちへでも帰つたやうな心地こゝろもちがしたよ』。『そうさなあ、普通の下宿ほど無趣味なものはないからなあ』と銀之助は新しい巻煙草に火をけた。『それから君、種々いろ/\なことがある』と丑松は言葉を継いで、『第一、鼠の多いには僕も驚いた』。『鼠?』と文平も膝を進める。『昨夜ゆうべは僕の枕頭まくらもとへも来た。れなければ、鼠だつて気味が悪いぢやないか。あまり不思議だから、今朝その話をしたら、奥様の言草が面白い。猫を飼つて鼠を捕らせるよりか、自然に任せて養つてやるのが慈悲だ。なあに、食物くひものさへ宛行あてがつてれば、其様そんな悪戯いたづらする動物ぢやない。吾寺うちの鼠は温順おとなしいから御覧なさいツて。成る程そう言はれて見ると、も人をおそれない。白昼ひるまですら出てあすんで居る。はゝゝゝゝ、寺のなか光景けしきは違つたものだと思つたよ』。『そいつは妙だ』と銀之助は笑つて、『余程奥様といふ人は変つた婦人をんなと見えるね』。『なに、それほど変つても居ないが、普通の人よりは宗教的なところがあるさ。さうかと思ふと、吾儕わたしどもだつて高砂たかさごで一緒になつたんです、なんて、其様そんなことを言出す。だから、尼僧あまともつかず、大黒だいこくともつかず、と言つて普通のうちの細君でもなし――まあ、門徒寺もんとでらに日を送る女といふものは僕も初めて見た』。

 『外にはどんな人が居るのかい』。こう銀之助は尋ねた。『子坊主が一人。下女。それに庄太といふ寺男。ホラ、君らの入つて来た時、庭を掃いて居た男があつたらう。
あれそうだあね。誰も彼男あのをとこを庄太と言ふものはない――みんな「庄馬鹿」と言つてる。日に五度ごたびづつ、払暁あけがた、朝八時、十二時、入相いりあひ、夜の十時、これだけの鐘をくのが彼男あのをとこ勤務つとめなんださうだ』。『それから、あの何は。住職は』とまた銀之助が聞いた。『住職は今留守さ』。こう丑松は見たり聞いたりしたことを取交ぜて話したのであつた。しまひに、敬之進の娘で、この寺へ貰はれて来て居るといふ、そのお志保の話も出た。『へえ、風間さんの娘なんですか』と文平は巻煙草の灰を落しながら言つた。『此頃こなひだ一度校友会に出て来た。――ホラ、あの人でせう?』。『さう/\』と丑松も思出したやうに、『たしか僕らの来る前の年に卒業して出た人です。土屋君、そうだつたねえ』。『たしかそうだ』。
 (四)
 その日蓮華寺の台所では、先住の命日と言つて、精進物しやうじんものを作るので多忙いそがしかつた。月々の持斎ぢさいには経を上げ膳を出す習慣ならはしであるが、殊にその日は三十三回忌とやらで、好物の栗飯をいて、仏にも供へ、下宿人にも振舞ひたいと言ふ。寺内の若僧の妻までも来て手伝つた。用意の調とゝのつた頃、奥様は台所をひとに任せておいて、丑松の部屋へ上つて来た。丑松も、銀之助も、文平も、この話好きな奥様の目には、三人の子のやうに映つたのである。昔者とは言ひながら、書生の談話はなしも解つて、よく種々いろ/\なことを知つて居た。時々宗教をしへの話なぞも持出した。奥様はまた十二月二十七日の御週忌の光景ありさまを語り聞かせた。その冬の日は男女をとこをんなの檀徒が仏の前に集つて、記念の一夜を送るといふ昔からの習慣を語り聞かせた。説教もあり、読経もあり、御伝抄おでんせうの朗読もあり、十二時には男女一同御夜食の膳に就くなぞ、その御通夜の儀式のさま/″\を語り聞かせた。『なむあみだぶ』と奥様は独語のやうに繰返して、やがて敬之進の退職のことを尋ねる。

 奥様に言はせると、今の住職が敬之進の為に尽したことは一通りでない。あの酒を断つたらば、とは
く住職の言ふことで、禁酒の証文を入れる迄に敬之進が後悔する時はあつても、また/\よりが元へ戻つて了ふ。飲めばこまるといふことは知りつゝ、どうしても持つた病には勝てないらしい。その為に敷居が高くなつて、今では寺へも来られないやうな仕末。あの不幸ふしあはせな父親の為には、どんなにかお志保も泣いて居るとのことであつた。『そう。――いよいよ退職になりましたか』。こう言つて奥様は嘆息した。『道理で』と丑松は思出したやうに、『昨日私が是方こちらへ引越して来る時に、風間さんは門の前まで随いて来ましたよ。何故こうして門の前まで一緒に来たか、それは今説明しようとも思はない、なんて、言つて、それからぷいと別れて行つて了ひました。随分酔つて居ましたツけ』。『へえ、吾寺うちの前まで? 酔つて居ても娘のことは忘れないんでせうねえ。――まあ、それが親子の情ですから』と奥様はた深い溜息をいた。

 こういふ
談話はなしさまたげられて、銀之助は思ふことを尽さなかつた。折角せつかく言ふ積りで来て、それを尽さずに帰るのも残念だし、栗飯ができたからと引留められもするし、夜にでもなつたらば、とこう考へて、心の中では友達のことばかり案じつゞけて居た。夕飯は例になく蔵裏くりの下座敷であつた。宵の勤行おつとめも済んだと見えて、給仕は白い着物を着た子坊主がしてくれた。五分心ごぶしんの灯は香の煙に交る夜の空気を照らして、高い天井の下をおもしろく見せる。古壁に懸けてある黄な法衣ころもは多分住職の着るものであらう。変つた室内の光景ありさまは三人の注意を引いた。就中わけても、銀之助はく笑つて、その高い声が台所迄も響くので、奥様は若い人達の話を聞かずに居られなかつた。しまひにはお志保までも来て、奥様の傍に倚添よりそひながら聞いた。

 急に文平は快活らしくなつた。妙に婦人の居る席では熱心になるのがこの男の性分で、二階に三人で話した時から見ると、この下座敷へ来てからは声の調子が違つた。天性
愛嬌あいけうのある上に、すゞしい艶のあるひとみを輝かしながら、興に乗つてよもやまの話を初めた時は、確に面白い人だと思はせた。文平はまた、時々お志保の方を注意して見た。お志保は着物の前を掻合せたり、垂れ下る髪の毛を撫付けたりして、人々の物語に耳を傾けて居たのである。

 銀之助はそんなことに頓着なしで、
やがて思出したやうに、『たしか吾儕わたしどもの来る前の年でしたなあ、貴方等あなたがたの卒業は』。こう言つてお志保の顔を眺めた。奥様も娘の方へ振向いた。『はあ』と答へた時は若々しい血潮がにはかにお志保の頬に上つた。そのすこし羞恥はぢを含んだ色は一層ひとしほ容貌おもばせを娘らしくして見せた。『卒業生の写真が学校にありますがね』と銀之助は笑つて、『彼頃あのころから見ると、みんな立派な姉さんになりましたなあ――どうして吾儕わたしどもが来た時分には、まだ鼻洟はなを垂らしてるやうな連中もあつたツけが』。楽しい笑声は座敷の内にあふれた。お志保はあかくなつた。こういふ間にも、独り丑松は洋燈ランプ火影ほかげに横になつて、何か深く物を考へて居たのである。
 (五)
 『ねえ、奥様』と銀之助が言つた。『瀬川君は非常に沈んで居ますねえ』。『左様さやうさ』と奥様は小首をかしげる。『一昨々日さきをとゝひ、』と銀之助は丑松の方を見て、『君がこのお寺へ部屋を捜しに来た日だ。――ホラ、僕が散歩してると、丁度本町で君に遭遇でつくはしたらう。彼時あのときの君の考へ込んで居る様子と言つたら。――僕は暫時しばらくそこに突立つて、君の後姿を見送つて、何とも言ひ様のない心地こゝろもちがしたねえ。君は猪子先生の「懴悔録」を持つて居た。その時僕はそう思つた。あゝ、またの先生の書いたものなぞを読んで、神経を痛めなければいゝがなあと。彼様あゝいふ本を読むのは、君、可(よ)くないよ』。『何故?』と丑松は身を起した。『だつて、君、あまり感化を受けるのはよくないからサ』。『感化を受けたつてもよいぢやないか』。『そりやあ好い感化ならよいけれども、悪い感化だから困る。見たまへ、君の性質が変つて来たのは、彼の先生のものを読み出してからだ。猪子先生は穢多だから、彼様あゝいふ風に考へるのも無理はない。普通の人間に生れたものが、なにもの真似をしなくてもよからう――彼程あれほど極端に悲まなくてもよからう』。『では、貧民とか労働者とか言ふやうなものに同情を寄せるのは不可いかんと言ふのかね』。『不可と言ふ訳ではないよ。僕だつても、美しい思想だとは思ふさ。しかし、君のやうに、そう考へ込んで了つても困る。何故君は彼様あゝいふものばかり読むのかね、何故君は沈んでばかり居るのかね――一体、君は今何を考へて居るのかね』。『僕かい? 別にそう深く考へても居ないさ。君らの考へるやうな事しか考へて居ないさ』。『でも何かあるだらう』。『何かとは?』。『何か原因がなければ、そんなに性質の変る筈がない』。『僕はこれで変つたかねえ』。『変つたとも。全然まるで師範校時代の瀬川君とは違ふ。の時分は君、ずつと快活な人だつたあね。だから僕はこう思ふんだ。――元来君はふさいでばかり居る人ぢやない。唯あまり考へ過ぎる。もうすこし他の方面へ心を向けるとか、何とかして、自分の性質を伸ばすやうにしたらどうかね。此頃こなひだから僕は言はう/\と思つて居た。実際、君の為に心配して居るんだ。まあ身体の具合でも悪いやうなら、早く医者に診せて、自分で自分を救ふやうにするがいゝぢやないか』。

 
暫時しばらく座敷の中はしんとして話声が絶えた。丑松は何か思出したことがあると見え、急に喪心した人のやうになつて、茫然ばうぜんとして居たが。やがて気がついて我に帰つた頃は、顔色がすこし蒼ざめて見えた。『どうしたい、君は』と銀之助は不思議さうに丑松の顔を眺めて、『はゝゝゝゝ、妙に黙つて了つたねえ』。『はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ』と丑松は笑ひまぎらはして了つた。銀之助も一緒になつて笑つた。奥様とお志保は二人の顔を見比べて、熱心に聞き惚れて居たのである。『土屋君は「懴悔録」を御読みでしたか』と文平は談話はなしを引取つた。『いゝえだ読んで見ません』。こう銀之助は答へた。『何か彼の猪子といふ先生の書いたものを御覧でしたか――私はまだなんにも読んで見ないんですが』。『そうですなあ、僕の読んだのは「労働」といふものと、それから「現代の思潮と下層社会」――あれを瀬川君から借りて見ました。なか/\好いところがありますよ、力のある深刻な筆で』。『一体彼の先生は何処を出た人なんですか』。『たしか高等師範でしたらう』。『こういふ話を聞いたことがありましたツけ。彼の先生が長野に居た時分、郷里の方でもかく彼様あゝいふ人を穢多の中から出したのは名誉だと言つて、講習に頼んださうです。そこで彼の先生が出掛けて行つた。すると宿屋で断られて、泊る所がなかつたとか。其様そんなことが面白くなくて長野を去るやうになつた、なんて――まあ、師範校をめてから、彼の先生も勉強したんでせう。妙な人物が新平民なぞの中から飛出したものですなあ』。『僕もそれは不思議に思つてる』。『彼様あんな下等人種の中から、とにかく思想界へ頭を出したなんて、どうしても私にはその理由が解らない』。『しかし、彼の先生は肺病だと言ふから、あるひはその病気の為に、彼処あそこまでつたものかも知れません』。『へえ、肺病ですか』。『実際病人は真面目ですからなあ。「死」といふ奴を眼前めのまへにおいて、平素しよつちゆう考へて居るんですからなあ。彼の先生の書いたものを見ても、何となくこう人に迫るやうなところがある。あれが肺病患者の特色です。まあ彼の病気の御蔭でえらくなつた人はいくらもある』。『はゝゝゝゝ、土屋君の観察は何処迄も生理的だ』。『いや、そう笑つたものでもない。見たまへ、病気は一種の哲学者だから』。『して見ると、穢多が彼様あゝいふものを書くんぢやない、病気が書かせるんだ――こうなりますね』。『だつて、君、そうさとるより外に考へ様はないぢやないか。――唯新平民が美しい思想を持つとは思はれないぢやないか。――はゝゝゝゝ』。

 こういふ話を銀之助と文平とが為して居る間、丑松は黙つて、
洋燈ランプの火を熟視みつめて居た。自然おのづ外部そとに表れる苦悶の情は、頬の色の若々しさに交つて、一層その男らしい容貌おもばせ沈欝ちんうつにして見せたのである。茶が出てから、三人は別の話頭はなしに移つた。奥様は旅先の住職のうはさなぞを始めて、客の心を慰める。子坊主は隣の部屋の柱にもたれて、独りで舟を漕いで居た。台所の庭の方から、遠く寂しく地響のやうに聞えるは、庄馬鹿が米をく音であらう。夜もけた。
 (六)
 友達が帰つた後、丑松は心の激昂をおさへきれないといふ風で、自分の部屋の内を歩いて見た。その日の物語、あの二人の言つた言葉、あの二人の顔に表れた微細な感情まで思出して見ると、何となく胸肉むなじゝ戦慄ふるへるやうな心地がする。先輩の侮辱されたといふことは、第一口惜くやしかつた。賤民だから取るに足らん。ういふ無法な言草は、唯考へて見たばかりでも、腹立たしい。あゝ、種族の相違といふ※(「てへん+當」、第4水準2-13-50)わだかまりの前には、いかなる熱い涙も、いかなる至情の言葉も、いかなる鉄槌のやうな猛烈な思想も、それを動かす力はないのであらう。多くの善良な新平民はこうして世に知られずに葬り去らるゝのである。

 
思想かんがへに刺激されて、寝床に入つてからも丑松は眠らなかつた。目を開いて、頭を枕につけて、種々さまざまに自分の一生を考へた。鼠が復た顕れた。畳の上を通るその足音に妨げられては、猶々なほ/\夢を結ばない。一旦吹消した洋燈を細目にけて、枕頭まくらもとを明くして見た。暗い部屋の隅の方に影のやうに動くちひさな動物の敏捷はしこさ、人を人とも思はず、長い尻尾を振りながら、出たり入つたりするその有様は、憎らしくもあり、をかしくもあり、『き、き』と鳴く声はこの古い壁の内に秋の夜の寂寥さびしさを添へるのであつた。

 それからそれへと丑松は考へた。一つとして不安に思はれないものはなかつた。深く注意した積りの自分の
行為おこなひが、反つてひとに疑はれるやうなことにならうとは――まあ、考へれば考へるほど用意がなさ過ぎた。何故なぜ、あの大日向が鷹匠町の宿から放逐された時に、自分は静止じつとして居なかつたらう。何故なぜ彼様あんなに泡を食つて、斯の蓮華寺へ引越して来たらう。何故、あの猪子蓮太郎の著述が出る度に、自分はそれを誇り顔に吹聴ふいちやうしたらう。何故、彼様に先輩の弁護をして、何かこう彼の先輩と自分との間には一種の関係でもあるやうにひとに思はせたらう。何故、彼の先輩の名前を彼様あゝひとの前で口に出したらう。何故、内証で先輩の書いたものを買はなかつたらう。何故、独りで部屋の内に隠れて、読みたい時にそつと出して読むといふ智慧が出なかつたらう。思ひ疲れるばかりで、結局まとまりは着かなかつた。

 一夜はこういふ風に、
しとねの上でふるへたり、煩悶はんもんしたりして、暗いところを彷徨さまよつたのである。翌日あくるひになつて、いよ/\丑松は深くこゝろを配るやうになつた。過去すぎさつた事は最早もう仕方がないとして、これから将来さきを用心しよう。蓮太郎の名――人物――著述――一切、の先輩に関したことは決してひとの前で口に出すまい。こう用心するやうになつた。

 さあ、父の与へた
いましめは身に染々しみ/″\こたへて来る。『隠せ』――実にそれは生死いきしにの問題だ。あの仏弟子が墨染の衣に守りやつれる多くの戒も、この一戒に比べては、いつそ何でもない。祖師を捨てた仏弟子は、堕落と言はれて済む。親を捨てた穢多の子は、堕落でなくて、零落である。『決してそれとは告白うちあけるな』とは堅く父も言ひ聞かせた。これから世に出て身を立てようとするものが、誰が好んで告白うちあけるやうな真似を為よう。丑松もやうやく二十四だ。思へば好い年齢としだ。あゝ。いつまでもこうして生きたい。と願へば願ふほど、余計に穢多としての切ない自覚が湧き上るのである。現世の歓楽は美しく丑松の眼に映じて来た。たとへ奈何いかなる場合があらうと、大切な戒ばかりは破るまいと考へた。
 第四章(一)
 郊外は収穫とりいれの為にせはしい時節であつた。農夫の群はいづれも小屋を出て、午後の労働に従事して居た。の稲は最早もう悉皆すつかり刈り乾して、すでに麦さへ蒔付まきつけたところもあつた。一年ひとゝせの骨折の報酬むくいを収めるのは今である。雪の来ない内に早く。こうして千曲川の下流に添ふ一面の平野は、宛然あだかも、戦場の光景ありさまであつた。

 その日、丑松は学校から帰ると直に蓮華寺を出て、
平素ふだんの勇気を回復とりかへす積りで、何処へ行くといふ目的めあてもなしに歩いた。新町の町はづれから、枯々な桑畠の間を通つて、思はずこの郊外の一角へ出たのである。積上げた『わらによ』の片蔭に倚凭よりかゝつて、霜枯れた雑草の上に足を投出しながら、肺の底までも深く野の空気を吸入れた時は、僅に蘇生いきかへつたやうな心地こゝろもちになつた。見れば男女の農夫。そこに親子、こゝに夫婦、黄に揚る塵埃ほこりを満身に浴びながら、我劣らじと奮闘をつゞけて居た。もみを打つつちの音は地に響いて、稲扱いねこく音に交つて勇しく聞える。立ちのぼる白い煙もところ/″\。雀の群は時々空に舞揚つて、騒しく鳴いて、やがてまたぱツと田の面に散乱れるのであつた。

 秋の日は烈しく照りつけて、人々には言ふに言はれぬ労苦を与へた。男は皆な
頬冠ほつかぶり、女は皆な編笠あみがさであつた。それはめづらしく乾燥はしやいだ、風のない日で、汗は人々の身体を流れたのである。野に満ちた光を通して、丑松はこの労働の光景ありさまを眺めて居ると、ふと倚凭よりかゝつた『藁によ』のわきを十五ばかりの一人の少年が通る。日に焼けた額と、柔嫩やはらかな目付とで、直に敬之進のせがれと知れた。省吾しやうごといふのがその少年の名で、丁度丑松が受持の高等四年の生徒なのである。丑松はその容貌かほつきを見る度に、彼の老朽な教育者を思出さずには居られなかつた。『風間さん、何処どちらへ?』。こう声を掛けて見る。『あの、』と省吾は言淀いひよどんで、『母さんが沖(野外)に居やすから』。『母さん?』。『あれ彼処に――先生、あれが吾家うちの母さんでごはす』と省吾は指差して見せて、すこし顔をあかくした。同僚の細君のうはさ、それを丑松も聞かないではなかつたが、しかし眼前めのまへに働いて居る女がその人とはすこしも知らなかつた。古びた上被うはつぱり、茶色の帯、盲目縞めくらじま手甲てつかふ、編笠に日をけて、身体を前後に動かしながら、※(「足へん+昔」、第4水準2-89-36)せつせと稲の穂を扱落こきおとして居る。信州北部の女はいづれも強健つよい気象のものばかり。く働くことに掛けては男子にもまさる程であるが、教員の細君で野面のらにまで出て、烈しい気候を相手に精出すものも鮮少すくない。これも境遇からであらう、と憐んで見て居るうちに、省吾はまた指差して、彼の槌を振上げてもみを打つ男、あれは手伝ひに来たむかしからの出入のもので、音作といふ百姓であると話した。母と彼男あのをとことの間に、を高く頭の上に載せ、づつ籾を振ひ落して居る女、あれは音作の『おかた』(女房)であると話した。丁度その女房が箕を振る度に、空殻しひなほこりが舞揚つて、人々は黄色い烟を浴びるやうに見えた。省吾はまた、母のわきに居る小娘を指差して、彼が異母はらちがひの妹のお作であると話した。

 『君の兄弟は
幾人いくたりあるのかね』と丑松は省吾の顔を熟視まもりながら尋ねた。『七人』といふ省吾の返事。『随分多勢だねえ、七人とは。君に、姉さんに、尋常科の進さんに、あの妹に――それから?』。『まだ下に妹が一人と弟が一人。一番年長うへの兄さんは兵隊に行つて死にやした』。『むゝそうですか』。『その中で、死んだ兄さんと、蓮華寺へ貰はれて行きやした姉さんと、わしと――これだけ母さんが違ひやす』。『そんなら、君やお志保さんの真実ほんたうの母さんは?』。『最早もう居やせん』。こういふ話をして居ると、ふと継母まゝはゝの呼声を聞きつけて、ぷいと省吾は駈出して行つて了つた。
 (二)
 『省吾や。おめへはまあ幾歳いくつになつたら御手伝ひする積りだよ』と言ふ細君の声は手に取るやうに聞えた。省吾は継母をおそれるといふ様子して、おづ/\とその前に立つたのである。『考へて見な、もう十五ぢやねえか』と怒を含んだ細君の声は復た聞えた。『今日は音さんまで御頼申おたのまうして、こうして塵埃ほこりだらけになつてかまけて居るのに、それがお前の目には見えねえかよ。母さんが言はねえだつて、さつさと学校から帰つて来て、直に御手伝ひするのが当然あたりまへだ。高等四年にもなつて、※(「阜」の「十」に代えて「虫」、第4水準2-87-44)螽捕いなごとりに夢中になつてるなんて、其様そんなものが何処にある。――与太坊主め』。

 見れば細君は
稲扱いねこく手を休めた。音作の女房も振返つて、気の毒さうに省吾の顔を眺めながら、前掛を〆直しめなほしたり、身体の塵埃ほこりを掃つたりして、やがて顔に流れる膏汗あぶらあせを拭いた。むしろの上の籾は黄な山を成して居る。音作も亦た槌の長柄に身を支へて、うんと働いた腰を延ばして、濃く青い空気を呼吸した。『これ、お作や』と細君の児を叱る声が起つた。『どうして其様そん悪戯いたづらするんだい。女の児は女の児らしくするもんだぞ。真個ほんとに、どいつもこいつも碌なものはありやあしねえ。自分の子ながら愛想あいそが尽きた。見ろ、まあ、進を。お前達二人より余程よつぽど御手伝ひする』。『あれ、進だつてあすんで居やすよ』といふのは省吾の声。『なに、遊んでる?』と細君はすこし声を震はせて、『遊んでるものか。先刻さつきから御子守をして居やす。そんなお前のやうな役に立たずぢやねえよ。ちよツ、何ぞと言ふと、直に口答へだ。父さんが過多めた甘やかすもんだから、母さんの言ふことなぞ少許ちつとも聞きやしねえ。真個ほんと図太づない口の利きやうを為(す)る。だから省吾は嫌ひさ。すこし是方こちらが遠慮して居れば、どこ迄いゝ気になるか知れやしねえ。あゝ必定きつとまた蓮華寺へ寄つて、姉さんに何か言いつけて来たんだらう。それで斯様こんなに遅くなつたんだらう。内証で隠れて行つて見ろ――酷いぞ』。

 『奥様』と音作は見兼ねたらしい。『
何卒どうかまあ、今日こんちのところは、わしに免じて許して下さるやうに。ない(なあと同じ農夫の言葉)、省吾さん、貴方あんたもそれぢやいけやせん。母さんの言ふことを聞かねえやうなものなら、私だつて提棒さげぼう(仲裁)に出るのはもう御免だから』。音作の女房も省吾の側へ寄つて、軽く背をたゝいて私語さゝやいた。やがて女房はその手に槌の長柄を握らせて、『さあ、御手伝ひしやすよ』と亭主の方へ連れて行つた。『どれ、始めずか(始めようか)』と音作は省吾を相手にし、槌を振つて籾を打ち始めた。『ふむ、よう』の掛声も起る。細君も、音作の女房も、復た仕事に取懸つた。

 
はからず丑松は敬之進の家族を見たのである。の可憐な少年も、お志保も、細君の真実ほんたうの子ではないといふことが解つた。夫の貧を養ふといふ心から、こうして細君が労苦して居るといふことも解つた。五人の子の重荷と、不幸な夫の境遇とは、細君の心を怒り易く感じ易くさせたといふことも解つた。こう解つて見ると、猶々なほ/\丑松は敬之進を憐むといふ心を起したのである。

 今はすこし勇気を回復した。
あきらかに見、明に考へることができるやうになつた。眼前めのまへひろがる郊外の景色を眺めると、種々さま/″\追憶おもひでは丑松の胸の中を往つたり来たりする。丁度こうして、田圃たんぼわきに寝そべりながら、収穫とりいれ光景さまを眺めたの無邪気な少年の時代を憶出おもひだした。烏帽子ゑぼし一帯の山脈の傾斜を憶出した。その傾斜に連なる田畠と石垣とを憶出した。茅萱ちがや、野菊、その他種々な雑草が霜葉を垂れる畦道あぜみちを憶出した。秋風が田の面を渡つて黄な波を揚げる頃は、※(「阜」の「十」に代えて「虫」、第4水準2-87-44)いなごを捕つたり、野鼠を追出したりして、夜はまた炉辺ろばたで狐とむじなが人を化かした話、山家で言ひはやす幽霊の伝説、放縦ほしいまゝな農夫の男女をとこをんなの物語なぞを聞いて、余念もなく笑ひ興じたことを憶出おもひだした。あゝ、穢多の子といふ辛い自覚の味を知らなかつた頃――思へば一昔――その頃と今とは全く世を隔てたかの心地がする。丑松はまた、あの長野の師範校で勉強した時代のことを憶出した。まだ世の中を知らなかつたところからして、疑ひもせず、疑はれもせず、ひとと自分とを同じやうに考へて、笑つたり騒いだりしたことを憶出した。あの寄宿舎の楽しい窓を憶出した。舎監の赤い髭を憶出した。食堂の麦飯のにほひを憶出した。よく阿弥陀あみだ※(「鬥<亀」、第3水準1-94-30)くじに当つて、買ひに行つた門前の菓子屋の婆さんの顔を憶出した。夜の休息やすみを知らせる鐘が鳴り渡つて、やがて見廻りに来る舎監の靴の音が遠く廊下に響くといふ頃は、沈まりかへつて居た朋輩がた起出して、暗い寝室の内で雑談に耽つたことを憶出した。しまひには往生寺の山の上に登つて、苅萱かるかやの墓のほとりに立ちながら、おほきな声を出して呼び叫んだ時代のことを憶出して見ると――実に一生の光景ありさまは変りはてた。楽しい過去の追憶おもひでは今の悲傷かなしみを二重にして感じさせる。『あゝ、あゝ、どうして俺は斯様こんな猜疑深うたがひぶかくなつたらう』。こう天を仰いで歎息した。急に、意外なところに起る綿のやうな雲を見つけて、しばらく丑松はそれを眺めながら考へて居たが、思はず知らず疲労つかれが出て、『藁によ』に倚凭よりかゝつたまゝ寝て了つた。
 (三)
 ふと眼を覚まして四辺そこいらを見廻した時は、暮色が最早もう迫つて来た。向ふの田の中の畦道あぜみちを帰つて行く人々も見える。荒くれた男女の農夫は幾群か丑松のわきを通り抜けた。くはを担いで行くものもあり、俵を背負つて行くものもあり、中には乳呑児ちのみご抱擁だきかゝへながら足早に家路をさして急ぐのもあつた。秋の一日ひとひの烈しい労働はやうやく終を告げたのである。

 まだ働いて居るものもあつた。敬之進の家族も急いで働いて居た。音作は腰を
こゞめ、足に力を入れ、重いたはらを家の方へ運んで行く。後には女二人と省吾ばかり残つて、もみふるつたり、それを俵へ詰めたりして居た。急に『かあさん、かあさん』と呼ぶ声が起る。見れば省吾の弟、泣いて反返そりかへる児を背負おぶひながら、一人の妹を連れて母親の方へ駈寄つた。『おゝ、おゝ』と細君は抱取つて、乳房を出してくはへさせて、『進や。父さんは何してるか、おめへ知らねえかや』。『おら知んねえよ』。『あゝ』と細君は襦袢じゆばんの袖口で※(「目+匡」、第3水準1-88-81)まぶちを押拭ふやうに見えた。『父さんのことを考へると、働く気もなにも失くなつて了ふ――』。『母さん、作ちやんが』と進は妹の方を指差しながら叫んだ。『あれ』と細君は振返つて、『誰だいその袋を開けたものは――誰だい母さんに黙つてその袋を開けたものは』。『作ちやんは取つて食ひやした』と進の声で。『真実ほんとに仕方がないぞい――彼娘あのこは』と細君は怒気を含んで、『その袋をこゝへ持つて来な――これ、早く持つて来ねえかよ』。

 お作は
八歳やつつばかりの女の児。麻の袋を手に提げた儘、母の権幕をおそれて進みかねる。『母さん、おくんな』と進も他の子供も強請せがみ付く。省吾もそれと見て、母の傍へ駈寄つた。細君はお作の手から袋を奪取るやうにして、『どれ、見せな――そいつたツても、まあ、情ない。道理で先刻さつきから穏順おとなしいと思つた。すこし母さんが見て居ないと、直に斯様こんな真似を為る。黙つて取つて食ふやうなものは、泥棒だぞい――盗人ぬすツとだぞい――ちよツ、何処へでも勝手に行つて了へ、其様そん根性こんじやうの奴は最早もう母さんの子ぢやねえから』。こう言つて、袋の中に残るつめた焼餅おやきらしいものを取出して、細君は三人の児に分けてくれた。『母さん、おんにも』とお作は手を出した。『何だ、お前は。自分で取つて食つて置きながら』。『母さん、もう一つおくんな』と省吾は訴へるやうに、『進には二つくれて、わしには一つしかくれねえだもの』。『お前は兄さんぢやねえか』。『進には彼様あんな大いのをくれて』。『嫌なら、しな、さあ返しな――機嫌くして母さんのくれるものを貰つたためしはねえ』。

 進は一つ頬張りながら、
やがて一つの焼餅おやきを見せびらかすやうにして、『省吾の馬鹿――やい、やい』と呼んだ。省吾は忌々敷いま/\しいといふ様子。いきなり駈寄つて、弟の頭を握拳にぎりこぶしで打つ。弟も利かない気。兄の耳のあたりを打ち返した。二人の兄弟は怒の為に身を忘れて、互に肩を聳して、丁度野獣けもののやうに格闘あらそひを始める。音作の女房が周章あわてゝ二人を引分けた時は、兄弟ともに大な声を揚げて泣叫ぶのであつた。『どうしてまあ兄弟喧嘩をするんだねえ』と細君は怒つて、『そうお前達にはたで騒がれると、母さんは最早もう気がちがひさうになる』。この光景ありさまを丑松は『藁によ』の蔭に隠れながら見て居た。様子を聞けば聞くほど不幸な家族を憐まずには居られなくなる。急に暮鐘の音に驚かされて、丑松は其処を離れた。

 寂しい秋晩の空に響いて、また蓮華寺の鐘の音が起つた。それは多くの農夫の為に、一日の
疲労つかれねぎらふやうにも、楽しい休息やすみうながすやうにも聞える。まだ野に残つて働いて居る人々は、いづれも仕事を急ぎ初めた。今は夕靄ゆふもやの群が千曲川ちくまがはの対岸をめて、高社山かうしやざん一帯の山脈も暗く沈んだ。西の空は急に深い焦茶こげちや色に変つたかと思ふと、やがて落ちて行く秋の日が最後の反射をに投げた。向ふに見えるもりも、村落も、遠く暮色に包まれて了つたのである。あゝ、何の煩ひも思ひ傷むこともなくて、ういふ田園の景色を賞することができたなら、どんなにか青春の時代も楽しいものであらう。丑松が胸の中に戦ふ懊悩あうなうを感ずれば感ずる程、余計に他界そとの自然は活々いき/\として、身にみるやうに思はるゝ。南の空には星一つあらはれた。その青々とした美しい姿は、一層夕暮の眺望を森厳おごそかにして見せる。丑松は眺め入りながら、自分の一生を考へて歩いた。

 『しかし、それが
奈何どうした』と丑松は豆畠の間の細道へさしかゝつた時、自分で自分を※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)はげますやうに言つた。『自分だつて社会の一員ひとりだ。自分だつてひとと同じやうに生きて居る権利があるのだ』。この思想かんがへに力を得て、やがて帰りかけて振返つて見た時は、まだ敬之進の家族が働いて居た。二人の女が冠つた手拭は夕闇に仄白ほのじろく、槌の音は冷々ひや/″\とした空気に響いて、『藁を集めろ』などゝいふ声もかすかに聞える。立つて是方こちらを向いたのは省吾か。今は唯動いて居る暗い影かとばかり、人々の顔も姿も判らない程に暮れた。
 (四)
 『おつかれ』(今晩は)とふ人毎に声を掛けるのは山家の黄昏たそがれ習慣ならはしである。丁度新町の町はづれへ出て、帰つて行く農夫に出逢ふ度に、丑松はこの挨拶を交換とりかはした。一ぜんめし、御休所、笹屋、としてあるうちの前で、また『おつかれ』を繰返したが、それは他の人でもない、例の敬之進であつた。『おゝ、瀬川君か』と敬之進は丑松を押留めるやうにして、『好い処で逢つた。何時か一度君とゆつくり話したいと思つて居た。まあ、そう急がんでもよからう。今夜は我輩に交際つきあつてくれてもよからう。こういふ処で話すのもた一興だ。是非、君に聞いて貰ひたいこともあるんだから――』。

 こ
慫慂そゝのかされて、丑松は敬之進と一緒に笹屋の入口の敷居を跨いで入つた。昼は行商、夜は農夫などが疲労つかれを忘れるのはこゝで、大なには『ぼや』(雑木の枝)の火が赤々と燃上つた。壁に寄せて古甕ふるがめのいくつか並べてあるは、地酒が溢れて居るのであらう。今は農家は忙しい時季ときで、長く御輿みこしゑるものもない。一人の農夫が草鞋穿わらぢばきまゝ、ぐいと『てツぱ』(こつぷ酒)を引掛けて居たが、やがてその男の姿も見えなくなつて、炉辺ろばたは唯二人の専有ものとなつた。『今晩は何にいたしやせう』と主婦かみさんは炉の鍵に大鍋を懸けながら尋ねた。『油汁けんちんならできやすが、それぢやいけやせんか。河で捕れたかじかもごはす。鰍でも上げやせうかなあ』。『鰍?』と敬之進は舌なめずりして、『鰍、結構。――それに、油汁と来てはこたへられない。こういふ晩は暖い物に限りますからね』。

 敬之進は酒慾の為に慄へて居た。
素面しらふで居る時は、からもう元気のない人で、言葉もすくなく、病人のやうに見える。五十の上を一つか二つも越したらうか、年の割合にはふけたといふでもなく、まだ髪は黒かつた。丑松は『藁によ』の蔭で見たり聞いたりした家族のことを思ひ浮べて、一層この人に親しくなつたやうな心地がした。『ぼや』の火も盛んに燃えた。大鍋の中の油汁けんちん沸々ふつ/\と煮立つて来て、甘さうなにほひが炉辺に満溢みちあふれる。主婦かみさんはそれを小丼こどんぶりに盛つて出し、酒は熱燗あつかんにして、一本づゝ古風な徳利を二人の膳の上に置いた。

 『瀬川君』と敬之進は手酌でちびり/\始めながら、『君が飯山へ来たのは何時でしたつけねえ』。『
わたしですか。私が来てから最早もう足掛三年になります』と丑松は答へた。『へえ、其様そんなになるかねえ。つい此頃こなひだのやうにしか思はれないがなあ。実に月日の経つのは早いものさ。いや、我輩なぞが老込む筈だよ。君らがずん/\進歩するんだもの。我輩だつて、君、一度は君らのやうな時代もあつたよ。明日は、明日は、明日はと思つて居る内に、もう五十といふ声を聞くやうになつた。我輩のうちと言ふのはね、もと飯山の藩士で、少年の時分から君侯の御側に勤めて、それから江戸表へ――丁度御維新ごいツしんになる迄。考へて見れば時勢はうつり変つたものさねえ。変遷、変遷――見たまへ、千曲川の岸にある城跡を。の名残の石垣が君らの目にはどう見えるね。こうつたいちごなどの纏絡まとひついたところを見ると、我輩はもう言ふに言はれないやうな心地こゝろもちになる。何処の城跡へ行つても、大抵は桑畠くはばたけ。士族といふ士族は皆な零落して了つた。今日迄踏堪ふみこたへて、どうにかかうにか遣つて来たものは、と言へば、役場へ出るとか、学校へ勤めるとか、それ位のものさ。まあ、士族ほど役に立たないものはない――実は我輩もその一人だがね。はゝゝゝゝ』と敬之進は寂しさうに笑つた。やがて盃の酒を飲乾して、一寸舌打ちして、それを丑松へ差しながら、『一つ交換といふことに願ひませうか』。『まあ、御酌おしやくしませう』と丑松は徳利を持添へて勧めた。『それは不可いかん。上げるものは上げる、頂くものは頂くサ。え――君はこの方はらないのかと思つたが、なか/\いけますねえ。君の御手並を拝見するのは今夜始めてだ』。『なに、私のは三盃上戸さんばいじやうごといふ奴なんです』。『かく、この盃は差上げます。それから君のを頂きませう。まあ君だから斯様こんなことを御話するんだが、我輩なぞは二十年も――左様さやうさ、小学教員の資格ができてから足掛十五年になるがね、その間唯同じやうなことを繰返して来た。と言つたら、また君らに笑はれるかも知れないが、しまひには教場へ出て、何を生徒に教へて居るのか、自分ながら感覚がなくなつて了つた。はゝゝゝゝ。いや、全くの話が、長く教員を勤めたものは、皆なこういふ経験があるだらうと思ふよ。実際、我輩なぞは教育をして居るとは思はなかつたね。羽織袴はおりはかまで、唯月給を貰ふ為に、働いて居るとしか思はなかつた。だつて君、そうぢやないか、尋常科の教員なぞと言ふものは、学問のある労働者も同じことぢやないか。毎日、毎日――騒しい教場の整理、大勢の生徒の監督、僅少わづかの月給で、長い時間を働いて、くまあ今日迄自分でも身体が続いたと思ふ位だ。あるひは君らの目から見たら、今こゝで我輩が退職するのは智慧のない話だと思ふだらう。そりやあ我輩だつて、もう六ヶ月踏堪ふみこたへさへすれば、仮令たとへ僅少わづかでも恩給のさがる位は承知して居るさ。承知して居ながら、それが我輩にはできないから情ない。これから以後さき我輩に働けと言ふのは、死ねといふも同じだ。家内はまた家内で心配して、教員をめてしまつたら、どうして活計くらしが立つ、銀行へ出て帳面でもつけてくれろと言ふんだけれど、どうして君、其様そんな真似が我輩にできるものか。二十年来慣れたことすらできないものを、これから新規に何ができよう。根気も、精分も、我輩の身体の内にあるものは悉皆すつかりもう尽きて了つた。あゝ、生きて、働いて、たふれるまで鞭撻むちうたれるのは、馬車馬の末路だ――丁度我輩はその馬車馬さ。はゝゝゝゝ』。
 (五)
 急に入つて来た少年に妨げられて、敬之進は口をつぐんだ。流許ながしもと主婦かみさん、暗い洋燈ランプの下で、かちや/\と皿小鉢を鳴らして居たが、それと見て少年の側へ駈寄つた。『あれ、省吾さんでやすかい』と言はれて、省吾は用事ありげな顔付。『吾家うちの父さんは居りやすか』。『あゝ居なさりやすよ』と主婦は答へた。敬之進は顔をしかめた。入口の庭の薄暗いところに佇立たゝずんで居る省吾を炉辺ろばたまで連れて来て、つく/″\その可憐な様子をながながら、『どうした。――何か用か』。『あの、』と省吾は言淀いひよどんで、『母さんがねえ、今夜は早く父さんに御帰りなさいツて』。『むゝ、また呼びによこしたのか――ちよツ、きまりをつてら』と敬之進は独語ひとりごとのやうに言つた。『そんなら父さんは帰りなさらないんですか』と省吾はおづ/\尋ねて見る。『帰るサ――御話がめば帰るサ。母さんにこう言へ、父さんは学校の先生と御話して居ますから、それが済めば帰りますツて』と言つて、敬之進は一段声を低くして、『省吾、母さんは今何してる?』。『もみを片づけて居りやす』。『そうか、まだ働いてるか。それからの……何か……母さんはまたいつものやうに怒つてやしなかつたか』。省吾は答へなかつた。子供心にも、父を憐むといふ目付して、黙つて敬之進の顔を熟視みまもつたのである。『まあ、つめたさうな手をしてるぢやないか』と敬之進は省吾の手を握つて、『それ金銭おあしをくれる。柿でも買へ。母さんや進には内証だぞ。さあ最早もうそれでいゝから、早く帰つて。――父さんが今言つた通りに。――よしか。解つたか』。省吾は首を垂れて、しをれながら出て行つた。

 『まあ聞いてくれたまへ』と敬之進は
た述懐を始めた。『ホラ、君が彼の蓮華寺へ引越す時、我輩も門前まで行きましたらう。――実は、君だから斯様こんなこと迄も御話するんだが、彼らには不義理なことがしてあつて、住職は非常に怒つて居る。我輩が飲む間は、交際つきあはせぬといふ。情ないとは思ふけれど、そんな関係で、今では娘の顔を見に行くこともできないやうな仕末。まあ、彼寺へくれて了つたお志保と、省吾と、それから亡くなつた総領と、こう三人は今の家内の子ではないのさ。せんの家内といふのは、矢張やはり飯山の藩士の娘でね、我輩のうちの楽な時代にかたづいて来て、まだ今のやうに零落しない内にくなつた。だから我輩は彼女あいつのことを考へる度に、一生のうちで一番楽しかつた時代を思出さずには居られない。一盃いつぱいやると、きつとその時代のことを思出すのが我輩の癖で――だつて君、年を取れば、思出すより外に歓楽たのしみがないのだもの。あゝ、せんの家内はかへつて好い時に死んだ。人間といふものは妙なもので、若い時に貰つた奴がどうしても一番好いやうな気がするね。それに、性質が、今の家内のやうにかん気ではなかつたが、そのかはり昔風に亭主に便たよるといふ風で、何処迄どこまでも我輩を信じて居た。蓮華寺へ行つたお志保――彼娘あのこがまた母親にく似て居て、眼付なぞはもう彷彿そつくりさ。彼娘の顔を見ると、直にせんの家内が我輩の眼に映る。我輩ばかりぢやない、ひとが克くそれを言つて、昔話なぞを始めるものだから、さあ今の家内は面白くないと見えるんだねえ。正直御話すると、我輩も蓮華寺なぞへ彼娘をくれたくはなかつた。しかし吾家うちに置けば、彼娘の為にならない。第一、それでは可愛さうだ。まあ、蓮華寺では非常にほしがるし、奥様も子はなし、それに他の土地とは違つて寺院てらを第一とする飯山ではあり、するところからして、お志保を手放して遣つたやうな訳さ』。

 聞けば聞くほど、丑松は気の毒になつて来た。
成る程、そう言はれて見れば、落魄らくはく画像ゑすがたそのまゝの様子のうちにも、どうやら武士らしい威厳を具へて居るやうに思はるゝ。『丁度、それは彼娘の十三の時』と敬之進は附和つけたして言つた。
 (六)
 『あゝ。我輩の生涯しやうがいなぞは実に碌々ろく/\たるものだ』と敬之進は更に嘆息した。『しかし瀬川君、考へて見てくれたまへ。君は碌々といふ言葉の内に、どれほどの酸苦が入つて居ると考へる。うして我輩は飲むから貧乏する、と言ふ人もあるけれど、我輩に言はせると、貧乏するから飲むんだ。一日たりとも飲まずには居られない。まあ、我輩も、始の内は苦痛くるしみを忘れる為に飲んだのさ。今ではそうぢやない、反つて苦痛を感ずる為に飲む。はゝゝゝゝ。と言ふと可笑をかしく聞えるかも知れないが、一晩でも酒の気がなからうものなら、寂しくて、寂しくて、身体は最早もうがた/\ふるへて来る。寝ても寝られない。そうなるとほとんど精神は無感覚だ。察してくれたまへ。――飲んで苦しく思ふ時が、一番我輩に取つては活きてるやうな心地こゝろもちがするからねえ。恥を御話すればいろ/\だが、我輩も飯山学校へ奉職する前には、下高井の在で長く勤めたよ。今の家内を貰つたのは、丁度その下高井に居た時のことさ。そこはそれ、在に生れた女だけあつて、働くことは家内もく働く。霜をつかんで稲を刈るやうなことは到底我輩にはできないが――我輩がまた其様そんな真似をして見給へ、直に病気だ――ところが彼女あいつには堪へられる。貧苦を忍ぶといふ力は家内の方が反つて我輩より強いね。だから君、最早もう)こうなつた日にやあ、恥も外聞もあつたものぢやない、私は私でお百姓する、なんて言出して、馬鹿な、女の手で作なぞを始めた。我輩の家にもとから出入りする百姓の音作、あの夫婦が先代の恩返しだと言つて、手伝つてはくれるがね、どうせそううまく行きツこはないさ。それを我輩が言ふんだけれど、どうしても家内は聞入れない。もつとも、我輩は士族だから、一反歩は何坪あるのか、一つかに何斗の年貢を納めるのか、一升まきで何俵のもみが取れるのか、一体ねんに肥料がの位るものか、其様そんなことは薩張さつぱり解らん。現に我輩は家内が何坪借りて作つて居るかといふことも知らない。まあ、家内の量見では、子供に耕作さくでも見習はせて、行く/\は百姓になつて了ふ積りらしいんだ。そこでいつでも我輩と衝突が起る。どうせ彼様あんな無学な女は子供の教育なんかできよう筈もない。実際、我輩の家庭で衝突の起因おこりと言へば必ず子供のことさ。子供がある為に夫婦喧嘩もするやうなものだが、又、その夫婦喧嘩をした為に子供ができたりする。あゝ、もう沢山たくさんだ、この上できたらどうしよう、一人子供がればそれだけ貧苦を増すのだと思つても、できるものは君どうも仕方がないぢやないか。今の家内が三番目の女の児を産んだ時、えゝお末とけてやれ、お末とでも命けたらおしまひになるか、こう思つたら――どうでせう、君、直にまた四番目サ。仕方がないから、今度は留吉とした。まあ、五人の子供に側で泣き立てられて見たまへ。なか/\りきれた訳のものではないよ。惨苦、惨苦――我輩は子供の多い貧乏な家庭を見る度に、つく/″\その惨苦を思ひやるねえ。五人の子供ですら食はせるのは容易ぢやない、しまたこの上にできでもしたら、我輩の家なぞでは最早もうどうしていゝか解らん』。

 こう言つて、敬之進は笑つた。熱い涙は思はず知らず流れ落ちて、
零落おちぶれた袖を湿ぬらしたのである。『我輩は君、これでも真面目なんだよ』と敬之進は、額と言はず、頬と言はず、あごと言はず、両手で自分の顔を撫で廻した。『どうでせう、省吾の奴も君の御厄介になつてるが、彼様あんな風で物になりませうか。もう少許すこし活溌だと好いがねえ。どうも女のやうな気分の奴で、泣易くて困る。平素しよツちゆう弟にいぢめられ通しだ。同じ自分の子で、どれが可愛くて、どれが憎いといふことはありさうもなささそうなものだが、それがそれ、妙なもので、我輩は彼の省吾が可愛さうでならない。彼の通り弱いものだから、それだけ哀憐あはれみも増すのだらうと思ふね。家内はまた弟の進贔顧びいき。何ぞといふと、省吾の方を邪魔にして、無暗むやみに叱るやうなことをする。そこへ我輩が口を出すと、前妻せんさいの子ばかり可愛がつて進の方は少許ちつとかまつてくれんなんて――直に邪推だ。だからもう我輩は何にも言はん。家内の為る通りに為せて、黙つて見て居るのさ。なるべく家内には遠ざかるやうにして、そつうちを抜け出して来ては、独りで飲むのが何よりの慰藉たのしみだ。たまに我輩が何か言はうものなら、私は斯様こんな裸体はだかで嫁に来やしなかつたなんて、それを言はれると一言いちごんもない。実際、彼奴あいつが持つて来た衣類ものは、皆な我輩が飲んで了つたのだから――はゝゝゝゝ。まあ、君らの目から見たら、さぞ我輩の生涯なぞは馬鹿らしく見えるだらうねえ』。

 述懐は
かへつて敬之進の胸の中を軽くさせた。その晩は割合に早く酔つて、次第に物の言ひ様もくどく、しまひには呂律ろれつも廻らないやうになつて了つたのである。やがて二人は炉辺ろばたを離れた。勘定は丑松が払つた。笹屋を出たのは八時過とも思はれる頃。夜の空気は暗く町々を包んで、往来の人通りもすくない。気がちがつて独語ひとりごとを言ひながら歩く女、酔つてうちを忘れたやうな男、そんな手合が時々二人に突当つた。敬之進は覚束おぼつかない足許あしもとで、やゝともすれば往来の真中へ倒れさうになる。酔眼朦朧もうろう、星の光すらその瞳には映りさうにも見えなかつた。よんどころなく丑松は送り届けることにして、ある時は右の腕で敬之進の身体からだを支へるやうにしたり、ある時は肩へ取縋とりすがらせて背負おぶふやうにしたり、ある時は抱擁だきかゝへて一緒に釣合を取りながら歩いた。やつとの思で、敬之進を家まで連れて行つた時は、まだ細君も音作夫婦も働いて居た。人々は夜露を浴びながら、屋外そとで仕事をして居るのであつた。丑松がちかづくと、それと見た細君は直にこう声を掛けた。『あちや、まあ、御困りなすつたでごはせう』。





(私論.私見)