破戒第四章、第五章、第六章 |
更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/令和2)年.11.13日
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第参章(一) | |
もとより銀之助は丑松の素性を知る筈がない。二人は長野の師範校に居る頃から、極く好く気性の合つた友達で、丑松が佐久小県あたりの灰色の景色を説き出すと、銀之助は諏訪湖の畔の生れ故郷の物語を始める、丑松が好きな歴史の話をすれば、銀之助は植物採集の興味を、と言つたやうな風に、互ひに語り合つた寄宿舎の窓は二人の心を結びつけた。同窓の記憶はいつまでも若く青々として居る。銀之助は丑松のことを思ふ度に昔を思出して、何となく時の変遷を忍ばずには居られなかつた。同じ寄宿舎の食堂に同じ引割飯の香を嗅いだその友達に思ひ比べると、実に丑松の様子の変つて来たことは。あの憂欝――丑松が以前の快活な性質を失つた証拠は、眼付で解る、歩き方で解る、談話をする声でも解る。一体、何が原因で、あんなに深く沈んで行くのだらう。とんと銀之助には合点が行かない。『何かある――必ず何か訳がある』。こう考へて、どうかして友達に忠告したいと思ふのであつた。 丑松が蓮華寺へ引越した翌日、丁度日曜、午後から銀之助は尋ねて行つた。途中で文平と一緒になつて、二人して苔蒸した石の階段を上ると、咲残る秋草の径の突当つたところに本堂、左は鐘楼、右が蔵裏であつた。六角形に出来た経堂の建築物もあつて、勾配のついた瓦屋根や、大陸風の柱や、白壁や、すべて過去の壮大と衰頽とを語るかのやうに見える。黄ばんだ銀杏の樹の下に腰を曲めながら、余念もなく落葉を掃いて居たのは、寺男の庄太。『瀬川君は居りますか』と言はれて、馬鹿丁寧な挨拶。やがて庄太は箒をそこに打捨てゝおいて、跣足の儘で蔵裏の方へ見に行つた。急に丑松の声がした。あふむいて見ると、銀杏に近い二階の窓の障子を開けて、顔を差出して呼ぶのであつた。『まあ、上りたまへ』と復た呼んだ。 |
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(二) | |
銀之助文平の二人は丑松に導かれて暗い楼梯を上つて行つた。秋の日は銀杏の葉を通して、部屋の内へ射しこんで居たので、変色した壁紙、掛けてある軸、床の間に置並べた書物と雑誌の類まで、すべて黄に反射して見える。冷々とした空気は窓から入つて来て、この古い僧坊の内にも何となく涼爽な思を送るのであつた。机の上には例の『懴悔録』、読伏せて置いたその本に気がついたと見え、急に丑松は片隅へ押隠すやうにして、白い毛布を座蒲団がはりに出して薦めた。『よく君は引越して歩く人さ』と銀之助は身辺を眺め廻しながら言つた。『一度瀬川君のやうに引越す癖が着くと、何度でも引越したくなるものと見える。まあ、部屋の具合なぞは、先の下宿の方が好ささうぢやないか』。『何故御引越になつたんですか』と文平も尋ねて見る。『どうも彼処の家は喧しくつて』。う答へて丑松は平気を装はうとした。争はれないもので、困つたといふ気色はもう顔に表れたのである。 『そりやあ寺の方が静は静だ』と銀之助は一向頓着なく、『何ださうだねえ、先の下宿では穢多が逐出されたさうだねえ』。『さう/\、左様いふ話ですなあ』と文平も相槌を打つた。『だから僕はこう思つたのさ』と銀之助は引取つて、『何か其様な一寸したつまらん事にでも感じて、それで彼下宿が嫌に成(な)つたんぢやないかと』。『どうして?』と丑松は問ひ反した。『そこがそれ、君と僕と違ふところさ』と銀之助は笑ひながら、『実は此頃或る雑誌を読んだところが、その中に精神病患者のことが書いてあつた。こうさ。或る人がその男の住居の側に猫を捨てた。さあ、その猫の捨ててあつたのが気になつて、妻君にも相談しないで、その日の中にぷいと他へ引越して了つた。こういふ病的な頭脳の人になると、捨てられた猫を見たのが移転の動機になるなぞは珍しくもない、といふ話があつたのさ。はゝゝゝゝ――僕は瀬川君を精神病患者だと言ふ訳ではないよ。しかし君の様子を見るのに、何処か身体の具合でも悪いやうだ。まあ、君は左様は思はないかね。だから穢多の逐出された話を聞くと、直に僕は彼の猫のことを思出したのさ。それで君が引越したくなつたのかと思つたのさ』。『馬鹿なことを言ひたまへ』と丑松は反返つて笑つた。笑ふには笑つたが、しかしそれは可笑くて笑つたやうにも聞えなかつたのである。 『いや、戯言ぢやない』と銀之助は丑松の顔を熟視つた。『実際、君の顔色は好くない――診て貰つてはかね』。『僕は君、其様な病人ぢやないよ』と丑松は微笑みながら答へた。『しかし』と銀之助は真面目になつて、『自分で知らないで居る病人はいくらもある。君の身体は変調を来して居るに相違ない。夜寝られないなんて言ふところを見ても、どうしても生理的に異常がある。――まあ僕は左様見た』。『そうかねえ、そう見えるかねえ』。『見えるともサ。妄想、妄想。――今の患者の眼に映つた猫も、君の眼に映つた新平民も、皆な衰弱した神経の見せる幻像さ。猫が捨てられたつて何だ。――下らない。穢多が逐出されたつて何だ。――当然ぢやないか』。『だから土屋君は困るよ』と丑松は対手の言葉を遮つた。『でも君は早呑込だ。自分でこうだと決めて了ふと、もう他の事は耳に入らないんだから』。『すこしそういふ気味もありますなあ』と文平は如才なく。『だつて引越し方があんまり唐突だからさ』と言つて、銀之助は気を変へて、『しかし、寺の方が反つて勉強はできるだらう』。『以前から僕は寺の生活といふものに興味を持つて居た』と丑松は言出した。丁度下女の袈裟治(北信に多くある女の名)が湯沸を持つて入つて来た。 |
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(三) | |
信州人ほど茶を嗜む手合も鮮少からう。こういふ飲料を好むのは寒い山国に住む人々の性来の特色で、日に四五回づゝ集つて飲むことを楽みにする家族が多いのである。丑松も矢張茶好の仲間には泄れなかつた。茶器を引寄せ、無造作に入れて、濃く熱いやつを二人の客にも勧め、自分も亦茶椀を口唇に押宛てら、香ばしく焙られた茶の葉のにほひを嗅いで見ると、急に気分が清々する。まあ蘇生つたやうな心地になる。やがて丑松は茶椀を下に置いて、寺住の新しい経験を語り始めた。『聞いてくれ給へ。昨日の夕方、僕はこの寺の風呂に入つて見た。一日働いて疲労れて居るところだつたから、入つた心地は格別さ。明窓の障子を開けて見ると紫![]() 『外にはどんな人が居るのかい』。こう銀之助は尋ねた。『子坊主が一人。下女。それに庄太といふ寺男。ホラ、君らの入つて来た時、庭を掃いて居た男があつたらう。彼がそうだあね。誰も彼男を庄太と言ふものはない――皆な「庄馬鹿」と言つてる。日に五度づつ、払暁、朝八時、十二時、入相、夜の十時、これだけの鐘を撞くのが彼男の勤務なんださうだ』。『それから、あの何は。住職は』とまた銀之助が聞いた。『住職は今留守さ』。こう丑松は見たり聞いたりしたことを取交ぜて話したのであつた。終に、敬之進の娘で、この寺へ貰はれて来て居るといふ、そのお志保の話も出た。『へえ、風間さんの娘なんですか』と文平は巻煙草の灰を落しながら言つた。『此頃一度校友会に出て来た。――ホラ、あの人でせう?』。『さう/\』と丑松も思出したやうに、『たしか僕らの来る前の年に卒業して出た人です。土屋君、そうだつたねえ』。『たしかそうだ』。 |
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(四) | |
その日蓮華寺の台所では、先住の命日と言つて、精進物を作るので多忙しかつた。月々の持斎には経を上げ膳を出す習慣であるが、殊にその日は三十三回忌とやらで、好物の栗飯を炊いて、仏にも供へ、下宿人にも振舞ひたいと言ふ。寺内の若僧の妻までも来て手伝つた。用意の調つた頃、奥様は台所を他に任せておいて、丑松の部屋へ上つて来た。丑松も、銀之助も、文平も、この話好きな奥様の目には、三人の子のやうに映つたのである。昔者とは言ひながら、書生の談話も解つて、よく種々なことを知つて居た。時々宗教の話なぞも持出した。奥様はまた十二月二十七日の御週忌の光景を語り聞かせた。その冬の日は男女の檀徒が仏の前に集つて、記念の一夜を送るといふ昔からの習慣を語り聞かせた。説教もあり、読経もあり、御伝抄の朗読もあり、十二時には男女一同御夜食の膳に就くなぞ、その御通夜の儀式のさま/″\を語り聞かせた。『なむあみだぶ』と奥様は独語のやうに繰返して、やがて敬之進の退職のことを尋ねる。 奥様に言はせると、今の住職が敬之進の為に尽したことは一通りでない。あの酒を断つたらば、とは克く住職の言ふことで、禁酒の証文を入れる迄に敬之進が後悔する時はあつても、また/\縒が元へ戻つて了ふ。飲めば窮るといふことは知りつゝ、どうしても持つた病には勝てないらしい。その為に敷居が高くなつて、今では寺へも来られないやうな仕末。あの不幸な父親の為には、どんなにかお志保も泣いて居るとのことであつた。『そう。――いよいよ退職になりましたか』。こう言つて奥様は嘆息した。『道理で』と丑松は思出したやうに、『昨日私が是方へ引越して来る時に、風間さんは門の前まで随いて来ましたよ。何故こうして門の前まで一緒に来たか、それは今説明しようとも思はない、なんて、言つて、それからぷいと別れて行つて了ひました。随分酔つて居ましたツけ』。『へえ、吾寺の前まで? 酔つて居ても娘のことは忘れないんでせうねえ。――まあ、それが親子の情ですから』と奥様は復た深い溜息を吐いた。 こういふ談話に妨げられて、銀之助は思ふことを尽さなかつた。折角言ふ積りで来て、それを尽さずに帰るのも残念だし、栗飯ができたからと引留められもするし、夜にでもなつたらば、とこう考へて、心の中では友達のことばかり案じつゞけて居た。夕飯は例になく蔵裏の下座敷であつた。宵の勤行も済んだと見えて、給仕は白い着物を着た子坊主がしてくれた。五分心の灯は香の煙に交る夜の空気を照らして、高い天井の下をおもしろく見せる。古壁に懸けてある黄な法衣は多分住職の着るものであらう。変つた室内の光景は三人の注意を引いた。就中、銀之助は克く笑つて、その高い声が台所迄も響くので、奥様は若い人達の話を聞かずに居られなかつた。終にはお志保までも来て、奥様の傍に倚添ひながら聞いた。 急に文平は快活らしくなつた。妙に婦人の居る席では熱心になるのがこの男の性分で、二階に三人で話した時から見ると、この下座敷へ来てからは声の調子が違つた。天性愛嬌のある上に、清しい艶のある眸を輝かしながら、興に乗つてよもやまの話を初めた時は、確に面白い人だと思はせた。文平はまた、時々お志保の方を注意して見た。お志保は着物の前を掻合せたり、垂れ下る髪の毛を撫付けたりして、人々の物語に耳を傾けて居たのである。 銀之助はそんなことに頓着なしで、て思出したやうに、『たしか吾儕の来る前の年でしたなあ、貴方等の卒業は』。こう言つてお志保の顔を眺めた。奥様も娘の方へ振向いた。『はあ』と答へた時は若々しい血潮が遽にお志保の頬に上つた。そのすこし羞恥を含んだ色は一層容貌を娘らしくして見せた。『卒業生の写真が学校にありますがね』と銀之助は笑つて、『彼頃から見ると、皆な立派な姉さんになりましたなあ――どうして吾儕が来た時分には、まだ鼻洟を垂らしてるやうな連中もあつたツけが』。楽しい笑声は座敷の内に溢れた。お志保は紅くなつた。こういふ間にも、独り丑松は洋燈の火影に横になつて、何か深く物を考へて居たのである。 |
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(五) | |
『ねえ、奥様』と銀之助が言つた。『瀬川君は非常に沈んで居ますねえ』。『左様さ』と奥様は小首を傾げる。『一昨々日、』と銀之助は丑松の方を見て、『君がこのお寺へ部屋を捜しに来た日だ。――ホラ、僕が散歩してると、丁度本町で君に遭遇したらう。彼時の君の考へ込んで居る様子と言つたら。――僕は暫時そこに突立つて、君の後姿を見送つて、何とも言ひ様のない心地がしたねえ。君は猪子先生の「懴悔録」を持つて居た。その時僕はそう思つた。あゝ、また彼の先生の書いたものなぞを読んで、神経を痛めなければ可がなあと。彼様いふ本を読むのは、君、可(よ)くないよ』。『何故?』と丑松は身を起した。『だつて、君、あまり感化を受けるのはよくないからサ』。『感化を受けたつてもよいぢやないか』。『そりやあ好い感化ならよいけれども、悪い感化だから困る。見たまへ、君の性質が変つて来たのは、彼の先生のものを読み出してからだ。猪子先生は穢多だから、彼様いふ風に考へるのも無理はない。普通の人間に生れたものが、なにも彼の真似をしなくてもよからう――彼程極端に悲まなくてもよからう』。『では、貧民とか労働者とか言ふやうなものに同情を寄せるのは不可と言ふのかね』。『不可と言ふ訳ではないよ。僕だつても、美しい思想だとは思ふさ。しかし、君のやうに、そう考へ込んで了つても困る。何故君は彼様いふものばかり読むのかね、何故君は沈んでばかり居るのかね――一体、君は今何を考へて居るのかね』。『僕かい? 別にそう深く考へても居ないさ。君らの考へるやうな事しか考へて居ないさ』。『でも何かあるだらう』。『何かとは?』。『何か原因がなければ、そんなに性質の変る筈がない』。『僕はこれで変つたかねえ』。『変つたとも。全然師範校時代の瀬川君とは違ふ。彼の時分は君、ずつと快活な人だつたあね。だから僕はこう思ふんだ。――元来君は欝いでばかり居る人ぢやない。唯あまり考へ過ぎる。もうすこし他の方面へ心を向けるとか、何とかして、自分の性質を伸ばすやうにしたらかね。此頃から僕は言はう/\と思つて居た。実際、君の為に心配して居るんだ。まあ身体の具合でも悪いやうなら、早く医者に診せて、自分で自分を救ふやうにするが可ぢやないか』。 暫時座敷の中は寂として話声が絶えた。丑松は何か思出したことがあると見え、急に喪心した人のやうになつて、茫然として居たが。やがて気がついて我に帰つた頃は、顔色がすこし蒼ざめて見えた。『どうしたい、君は』と銀之助は不思議さうに丑松の顔を眺めて、『はゝゝゝゝ、妙に黙つて了つたねえ』。『はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ』と丑松は笑ひ紛して了つた。銀之助も一緒になつて笑つた。奥様とお志保は二人の顔を見比べて、熱心に聞き惚れて居たのである。『土屋君は「懴悔録」を御読みでしたか』と文平は談話を引取つた。『否、だ読んで見ません』。こう銀之助は答へた。『何か彼の猪子といふ先生の書いたものを御覧でしたか――私はまだ何にも読んで見ないんですが』。『そうですなあ、僕の読んだのは「労働」といふものと、それから「現代の思潮と下層社会」――あれを瀬川君から借りて見ました。なか/\好いところがありますよ、力のある深刻な筆で』。『一体彼の先生は何処を出た人なんですか』。『たしか高等師範でしたらう』。『こういふ話を聞いたことがありましたツけ。彼の先生が長野に居た時分、郷里の方でもに彼様いふ人を穢多の中から出したのは名誉だと言つて、講習に頼んださうです。そこで彼の先生が出掛けて行つた。すると宿屋で断られて、泊る所がなかつたとか。其様なことが面白くなくて長野を去るやうになつた、なんて――まあ、師範校を辞めてから、彼の先生も勉強したんでせう。妙な人物が新平民なぞの中から飛出したものですなあ』。『僕もそれは不思議に思つてる』。『彼様な下等人種の中から、とにかく思想界へ頭を出したなんて、しても私にはその理由が解らない』。『しかし、彼の先生は肺病だと言ふから、あるひはその病気の為に、彼処まで到つたものかも知れません』。『へえ、肺病ですか』。『実際病人は真面目ですからなあ。「死」といふ奴を眼前において、平素考へて居るんですからなあ。彼の先生の書いたものを見ても、何となくこう人に迫るやうなところがある。あれが肺病患者の特色です。まあ彼の病気の御蔭で豪くなつた人はいくらもある』。『はゝゝゝゝ、土屋君の観察は何処迄も生理的だ』。『いや、そう笑つたものでもない。見たまへ、病気は一種の哲学者だから』。『して見ると、穢多が彼様いふものを書くんぢやない、病気が書かせるんだ――こうなりますね』。『だつて、君、そう釈るより外に考へ様はないぢやないか。――唯新平民が美しい思想を持つとは思はれないぢやないか。――はゝゝゝゝ』。 こういふ話を銀之助と文平とが為して居る間、丑松は黙つて、洋燈の火を熟視めて居た。自然と外部に表れる苦悶の情は、頬の色の若々しさに交つて、一層その男らしい容貌を沈欝にして見せたのである。茶が出てから、三人は別の話頭に移つた。奥様は旅先の住職の噂なぞを始めて、客の心を慰める。子坊主は隣の部屋の柱に凭れて、独りで舟を漕いで居た。台所の庭の方から、遠く寂しく地響のやうに聞えるは、庄馬鹿が米を舂く音であらう。夜も更けた。 |
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(六) | |
友達が帰つた後、丑松は心の激昂を制へきれないといふ風で、自分の部屋の内を歩いて見た。その日の物語、あの二人の言つた言葉、あの二人の顔に表れた微細な感情まで思出して見ると、何となく胸肉の戦慄へるやうな心地がする。先輩の侮辱されたといふことは、第一口惜しかつた。賤民だから取るに足らん。こういふ無法な言草は、唯考へて見たばかりでも、腹立たしい。あゝ、種族の相違といふ屏![]() この思想に刺激されて、寝床に入つてからも丑松は眠らなかつた。目を開いて、頭を枕につけて、種々に自分の一生を考へた。鼠が復た顕れた。畳の上を通るその足音に妨げられては、猶々夢を結ばない。一旦吹消した洋燈を細目に点けて、枕頭を明くして見た。暗い部屋の隅の方に影のやうに動く小な動物の敏捷さ、人を人とも思はず、長い尻尾を振りながら、出たり入つたりするその有様は、憎らしくもあり、をかしくもあり、『き、き』と鳴く声はこの古い壁の内に秋の夜の寂寥を添へるのであつた。 それからそれへと丑松は考へた。一つとして不安に思はれないものはなかつた。深く注意した積りの自分の行為が、反つて他に疑はれるやうなことにならうとは――まあ、考へれば考へるほど用意がなさ過ぎた。何故、あの大日向が鷹匠町の宿から放逐された時に、自分は静止として居なかつたらう。何故、彼様に泡を食つて、斯の蓮華寺へ引越して来たらう。何故、あの猪子蓮太郎の著述が出る度に、自分はそれを誇り顔に吹聴したらう。何故、彼様に先輩の弁護をして、何かこう彼の先輩と自分との間には一種の関係でもあるやうに他に思はせたらう。何故、彼の先輩の名前を彼様他の前で口に出したらう。何故、内証で先輩の書いたものを買はなかつたらう。何故、独りで部屋の内に隠れて、読みたい時に密と出して読むといふ智慧が出なかつたらう。思ひ疲れるばかりで、結局は着かなかつた。 一夜はこういふ風に、褥の上で慄へたり、煩悶したりして、暗いところを彷徨つたのである。翌日になつて、いよ/\丑松は深く意を配るやうになつた。過去つた事は最早仕方がないとして、これから将来を用心しよう。蓮太郎の名――人物――著述――一切、彼の先輩に関したことは決して他の前で口に出すまい。こう用心するやうになつた。 さあ、父の与へた戒は身に染々と徹へて来る。『隠せ』――実にそれは生死の問題だ。あの仏弟子が墨染の衣に守り窶れる多くの戒も、この一戒に比べては、寧そ何でもない。祖師を捨てた仏弟子は、堕落と言はれて済む。親を捨てた穢多の子は、堕落でなくて、零落である。『決してそれとは告白けるな』とは堅く父も言ひ聞かせた。これから世に出て身を立てようとするものが、誰が好んで告白けるやうな真似を為よう。丑松も漸く二十四だ。思へば好い年齢だ。噫。いつまでもこうして生きたい。と願へば願ふほど、余計に穢多としての切ない自覚が湧き上るのである。現世の歓楽は美しく丑松の眼に映じて来た。たとへ奈何なる場合があらうと、大切な戒ばかりは破るまいと考へた。 |
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第四章(一) | |
郊外は収穫の為に忙しい時節であつた。農夫の群はいづれも小屋を出て、午後の労働に従事して居た。田の面の稲は最早悉皆刈り乾して、すでに麦さへ蒔付けたところもあつた。一年の骨折の報酬を収めるのは今である。雪の来ない内に早く。こうして千曲川の下流に添ふ一面の平野は、宛然、戦場の光景であつた。 その日、丑松は学校から帰ると直に蓮華寺を出て、平素の勇気を回復す積りで、何処へ行くといふ目的もなしに歩いた。新町の町はづれから、枯々な桑畠の間を通つて、思はずこの郊外の一角へ出たのである。積上げた『藁によ』の片蔭に倚凭つて、霜枯れた雑草の上に足を投出しながら、肺の底までも深く野の空気を吸入れた時は、僅に蘇生つたやうな心地になつた。見れば男女の農夫。そこに親子、こゝに夫婦、黄に揚る塵埃を満身に浴びながら、我劣らじと奮闘をつゞけて居た。籾を打つ槌の音は地に響いて、稲扱く音に交つて勇しく聞える。立ちのぼる白い煙もところ/″\。雀の群は時々空に舞揚つて、騒しく鳴いて、てまたぱツと田の面に散乱れるのであつた。 秋の日は烈しく照りつけて、人々には言ふに言はれぬ労苦を与へた。男は皆な頬冠り、女は皆な編笠であつた。それはめづらしく乾燥いだ、風のない日で、汗は人々の身体を流れたのである。野に満ちた光を通して、丑松はこの労働の光景を眺めて居ると、、倚凭つた『藁によ』の側を十五ばかりの一人の少年が通る。日に焼けた額と、柔嫩な目付とで、直に敬之進の忰と知れた。省吾といふのがその少年の名で、丁度丑松が受持の高等四年の生徒なのである。丑松はその容貌を見る度に、彼の老朽な教育者を思出さずには居られなかつた。『風間さん、何処へ?』。こう声を掛けて見る。『あの、』と省吾は言淀んで、『母さんが沖(野外)に居やすから』。『母さん?』。『あれ彼処に――先生、あれが吾家の母さんでごはす』と省吾は指差して見せて、すこし顔を紅くした。同僚の細君の噂、それを丑松も聞かないではなかつたが、しかし眼前に働いて居る女がその人とはすこしも知らなかつた。古びた上被、茶色の帯、盲目縞の手甲、編笠に日を避けて、身体を前後に動かしながら、 ![]() 『君の兄弟は幾人あるのかね』と丑松は省吾の顔を熟視りながら尋ねた。『七人』といふ省吾の返事。『随分多勢だねえ、七人とは。君に、姉さんに、尋常科の進さんに、あの妹に――それから?』。『まだ下に妹が一人と弟が一人。一番年長の兄さんは兵隊に行つて死にやした』。『むゝそうですか』。『その中で、死んだ兄さんと、蓮華寺へ貰はれて行きやした姉さんと、私と――これだけ母さんが違ひやす』。『そんなら、君やお志保さんの真実の母さんは?』。『最早居やせん』。こういふ話をして居ると、継母の呼声を聞きつけて、ぷいと省吾は駈出して行つて了つた。 |
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(二) | |
『省吾や。お前はまあ幾歳になつたら御手伝ひする積りだよ』と言ふ細君の声は手に取るやうに聞えた。省吾は継母を懼れるといふ様子して、おづ/\とその前に立つたのである。『考へて見な、もう十五ぢやねえか』と怒を含んだ細君の声は復た聞えた。『今日は音さんまで御頼申して、こうして塵埃だらけになつて働けて居るのに、それがお前の目には見えねえかよ。母さんが言はねえだつて、さつさと学校から帰つて来て、直に御手伝ひするのが当然だ。高等四年にもなつて、だ![]() 見れば細君は稲扱く手を休めた。音作の女房も振返つて、気の毒さうに省吾の顔を眺めながら、前掛を〆直したり、身体の塵埃を掃つたりして、て顔に流れる膏汗を拭いた。莚の上の籾は黄な山を成して居る。音作も亦た槌の長柄に身を支へて、うんと働いた腰を延ばして、濃く青い空気を呼吸した。『これ、お作や』と細君の児を叱る声が起つた。『どうして其様な悪戯するんだい。女の児は女の児らしくするもんだぞ。真個に、どいつもこいつも碌なものはありやあしねえ。自分の子ながら愛想が尽きた。見ろ、まあ、進を。お前達二人より余程御手伝ひする』。『あれ、進だつて遊んで居やすよ』といふのは省吾の声。『なに、遊んでる?』と細君はすこし声を震はせて、『遊んでるものか。先刻から御子守をして居やす。なお前のやうな役に立たずぢやねえよ。ちよツ、何ぞと言ふと、直に口答へだ。父さんが過多甘やかすもんだから、母さんの言ふことなぞ少許も聞きやしねえ。真個に図太い口の利きやうを為(す)る。だから省吾は嫌ひさ。すこし是方が遠慮して居れば、どこ迄いゝ気になるか知れやしねえ。あゝ必定また蓮華寺へ寄つて、姉さんに何か言いつけて来たんだらう。それで斯様に遅くなつたんだらう。内証で隠れて行つて見ろ――酷いぞ』。 『奥様』と音作は見兼ねたらしい。『何卒まあ、今日のところは、私に免じて許して下さるやうに。ない(なあと同じ農夫の言葉)、省吾さん、貴方もそれぢやいけやせん。母さんの言ふことを聞かねえやうなものなら、私だつて提棒(仲裁)に出るのはもう御免だから』。音作の女房も省吾の側へ寄つて、軽く背を叩いて私語いた。やがて女房はその手に槌の長柄を握らせて、『さあ、御手伝ひしやすよ』と亭主の方へ連れて行つた。『どれ、始めずか(始めようか)』と音作は省吾を相手にし、槌を振つて籾を打ち始めた。『ふむ、よう』の掛声も起る。細君も、音作の女房も、復た仕事に取懸つた。 図らず丑松は敬之進の家族を見たのである。彼の可憐な少年も、お志保も、細君の真実の子ではないといふことが解つた。夫の貧を養ふといふ心から、こうして細君が労苦して居るといふことも解つた。五人の子の重荷と、不幸な夫の境遇とは、細君の心を怒り易く感じ易くさせたといふことも解つた。こう解つて見ると、猶々丑松は敬之進を憐むといふ心を起したのである。 今はすこし勇気を回復した。明に見、明に考へることができるやうになつた。眼前に展る郊外の景色を眺めると、種々の追憶は丑松の胸の中を往つたり来たりする。丁度こうして、田圃の側に寝そべりながら、収穫の光景を眺めた彼の無邪気な少年の時代を憶出した。烏帽子一帯の山脈の傾斜を憶出した。その傾斜に連なる田畠と石垣とを憶出した。茅萱、野菊、その他種々な雑草が霜葉を垂れる畦道を憶出した。秋風が田の面を渡つて黄な波を揚げる頃は、 ![]() ![]() |
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(三) | |
ふと眼を覚まして四辺を見廻した時は、暮色が最早迫つて来た。向ふの田の中の畦道を帰つて行く人々も見える。荒くれた男女の農夫は幾群か丑松の側を通り抜けた。鍬を担いで行くものもあり、俵を背負つて行くものもあり、中には乳呑児を抱擁へながら足早に家路をさして急ぐのもあつた。秋の一日の烈しい労働は漸く終を告げたのである。 まだ働いて居るものもあつた。敬之進の家族も急いで働いて居た。音作は腰を曲め、足に力を入れ、重い俵を家の方へ運んで行く。後には女二人と省吾ばかり残つて、籾を振つたり、それを俵へ詰めたりして居た。急に『かあさん、かあさん』と呼ぶ声が起る。見れば省吾の弟、泣いて反返る児を背負ひながら、一人の妹を連れて母親の方へ駈寄つた。『おゝ、おゝ』と細君は抱取つて、乳房を出して銜へさせて、『進や。父さんは何してるか、お前知らねえかや』。『俺知んねえよ』。『あゝ』と細君は襦袢の袖口で ![]() お作は八歳ばかりの女の児。麻の袋を手に提げた儘、母の権幕を畏れて進みかねる。『母さん、お呉な』と進も他の子供も強請み付く。省吾もそれと見て、母の傍へ駈寄つた。細君はお作の手から袋を奪取るやうにして、『どれ、見せな――そいつたツても、まあ、情ない。道理で先刻から穏順しいと思つた。すこし母さんが見て居ないと、直に斯様な真似を為る。黙つて取つて食ふやうなものは、泥棒だぞい――盗人だぞい――ちよツ、何処へでも勝手に行つて了へ、其様な根性の奴は最早母さんの子ぢやねえから』。こう言つて、袋の中に残る冷い焼餅らしいものを取出して、細君は三人の児に分けてくれた。『母さん、俺にも』とお作は手を出した。『何だ、お前は。自分で取つて食つて置きながら』。『母さん、もう一つお呉な』と省吾は訴へるやうに、『進には二つくれて、私には一つしかくれねえだもの』。『お前は兄さんぢやねえか』。『進には彼様な大いのをくれて』。『嫌なら、廃しな、さあ返しな――機嫌克くして母さんのくれるものを貰つた例はねえ』。 進は一つ頬張りながら、て一つの焼餅を見せびらかすやうにして、『省吾の馬鹿――やい、やい』と呼んだ。省吾は忌々敷といふ様子。いきなり駈寄つて、弟の頭を握拳で打つ。弟も利かない気。兄の耳の辺を打ち返した。二人の兄弟は怒の為に身を忘れて、互に肩を聳して、丁度野獣のやうに格闘を始める。音作の女房が周章てゝ二人を引分けた時は、兄弟ともに大な声を揚げて泣叫ぶのであつた。『どうしてまあ兄弟喧嘩をするんだねえ』と細君は怒つて、『そうお前達に側で騒がれると、母さんは最早気が狂ひさうになる』。この光景を丑松は『藁によ』の蔭に隠れながら見て居た。様子を聞けば聞くほど不幸な家族を憐まずには居られなくなる。急に暮鐘の音に驚かされて、丑松は其処を離れた。 寂しい秋晩の空に響いて、また蓮華寺の鐘の音が起つた。それは多くの農夫の為に、一日の疲労を犒ふやうにも、楽しい休息を促すやうにも聞える。まだ野に残つて働いて居る人々は、いづれも仕事を急ぎ初めた。今は夕靄の群が千曲川の対岸を籠めて、高社山一帯の山脈も暗く沈んだ。西の空は急に深い焦茶色に変つたかと思ふと、やがて落ちて行く秋の日が最後の反射を田の面に投げた。向ふに見える杜も、村落も、遠く暮色に包まれて了つたのである。あゝ、何の煩ひも思ひ傷むこともなくて、こういふ田園の景色を賞することができたなら、どんなにか青春の時代も楽しいものであらう。丑松が胸の中に戦ふ懊悩を感ずれば感ずる程、余計に他界の自然は活々として、身に染みるやうに思はるゝ。南の空には星一つ顕れた。その青々とした美しい姿は、一層夕暮の眺望を森厳にして見せる。丑松は眺め入りながら、自分の一生を考へて歩いた。 『しかし、それが奈何した』と丑松は豆畠の間の細道へさしかゝつた時、自分で自分を激 ![]() |
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(四) | |
『おつかれ』(今晩は)と逢ふ人毎に声を掛けるのは山家の黄昏の習慣である。丁度新町の町はづれへ出て、帰つて行く農夫に出逢ふ度に、丑松は挨拶を交換した。一ぜんめし、御休所、笹屋、としてある家の前で、また『おつかれ』を繰返したが、それは他の人でもない、例の敬之進であつた。『おゝ、瀬川君か』と敬之進は丑松を押留めるやうにして、『好い処で逢つた。何時か一度君とゆつくり話したいと思つて居た。まあ、そう急がんでもよからう。今夜は我輩に交際つてくれてもよからう。こういふ処で話すのも亦た一興だ。是非、君に聞いて貰ひたいこともあるんだから――』。 こう慫慂されて、丑松は敬之進と一緒に笹屋の入口の敷居を跨いで入つた。昼は行商、夜は農夫などが疲労を忘れるのは茲で、大な炉には『ぼや』(雑木の枝)の火が赤々と燃上つた。壁に寄せて古甕のいくつか並べてあるは、地酒が溢れて居るのであらう。今は農家は忙しい時季で、長く御輿を座ゑるものもない。一人の農夫が草鞋穿の、ぐいと『てツぱ』(こつぷ酒)を引掛けて居たが、てその男の姿も見えなくなつて、炉辺は唯二人の専有となつた。『今晩は何にいたしやせう』と主婦は炉の鍵に大鍋を懸けながら尋ねた。『油汁ならできやすが、それぢやいけやせんか。河で捕れた鰍もごはす。鰍でも上げやせうかなあ』。『鰍?』と敬之進は舌なめずりして、『鰍、結構。――それに、油汁と来ては堪へられない。こういふ晩は暖い物に限りますからね』。 敬之進は酒慾の為に慄へて居た。素面で居る時は、からもう元気のない人で、言葉もすくなく、病人のやうに見える。五十の上を一つか二つも越したらうか、年の割合には老たといふでもなく、まだ髪は黒かつた。丑松は『藁によ』の蔭で見たり聞いたりした家族のことを思ひ浮べて、一層この人に親しくなつたやうな心地がした。『ぼや』の火も盛んに燃えた。大鍋の中の油汁は沸々と煮立つて来て、甘さうな香が炉辺に満溢れる。主婦はそれを小丼に盛つて出し、酒は熱燗にして、一本づゝ古風な徳利を二人の膳の上に置いた。 『瀬川君』と敬之進は手酌でちびり/\始めながら、『君が飯山へ来たのは何時でしたつけねえ』。『私ですか。私が来てから最早足掛三年になります』と丑松は答へた。『へえ、其様になるかねえ。つい此頃のやうにしか思はれないがなあ。実に月日の経つのは早いものさ。いや、我輩なぞが老込む筈だよ。君らがずん/\進歩するんだもの。我輩だつて、君、一度は君らのやうな時代もあつたよ。明日は、明日は、明日はと思つて居る内に、もう五十といふ声を聞くやうになつた。我輩の家と言ふのはね、もと飯山の藩士で、少年の時分から君侯の御側に勤めて、それから江戸表へ――丁度御維新になる迄。考へて見れば時勢は還り変つたものさねえ。変遷、変遷――見たまへ、千曲川の岸にある城跡を。彼の名残の石垣が君らの目にはどう見えるね。こう蔦や苺などの纏絡いたところを見ると、我輩はもう言ふに言はれないやうな心地になる。何処の城跡へ行つても、大抵は桑畠。士族といふ士族は皆な零落して了つた。今日迄踏堪へて、どうにかかうにか遣つて来たものは、と言へば、役場へ出るとか、学校へ勤めるとか、それ位のものさ。まあ、士族ほど役に立たないものはない――実は我輩もその一人だがね。はゝゝゝゝ』と敬之進は寂しさうに笑つた。やがて盃の酒を飲乾して、一寸舌打ちして、それを丑松へ差しながら、『一つ交換といふことに願ひませうか』。『まあ、御酌しませう』と丑松は徳利を持添へて勧めた。『それは不可。上げるものは上げる、頂くものは頂くサ。え――君はこの方は遣らないのかと思つたが、なか/\いけますねえ。君の御手並を拝見するのは今夜始めてだ』。『なに、私のは三盃上戸といふ奴なんです』。『に、この盃は差上げます。それから君のを頂きませう。まあ君だから斯様なことを御話するんだが、我輩なぞは二十年も――左様さ、小学教員の資格ができてから足掛十五年になるがね、その間唯同じやうなことを繰返して来た。と言つたら、また君らに笑はれるかも知れないが、終には教場へ出て、何を生徒に教へて居るのか、自分ながら感覚がなくなつて了つた。はゝゝゝゝ。いや、全くの話が、長く教員を勤めたものは、皆なこういふ経験があるだらうと思ふよ。実際、我輩なぞは教育をして居るとは思はなかつたね。羽織袴で、唯月給を貰ふ為に、働いて居るとしか思はなかつた。だつて君、そうぢやないか、尋常科の教員なぞと言ふものは、学問のある労働者も同じことぢやないか。毎日、毎日――騒しい教場の整理、大勢の生徒の監督、僅少の月給で、長い時間を働いて、克くまあ今日迄自分でも身体が続いたと思ふ位だ。あるひは君らの目から見たら、今茲で我輩が退職するのは智慧のない話だと思ふだらう。そりやあ我輩だつて、もう六ヶ月踏堪へさへすれば、仮令僅少でも恩給の下る位は承知して居るさ。承知して居ながら、それが我輩にはできないから情ない。これから以後我輩に働けと言ふのは、死ねといふも同じだ。家内はまた家内で心配して、教員を休めて了つたら、して活計が立つ、銀行へ出て帳面でもつけてくれろと言ふんだけれど、どうして君、其様な真似が我輩にできるものか。二十年来慣れたことすらできないものを、これから新規に何ができよう。根気も、精分も、我輩の身体の内にあるものは悉皆もう尽きて了つた。あゝ、生きて、働いて、仆れるまで鞭撻たれるのは、馬車馬の末路だ――丁度我輩はその馬車馬さ。はゝゝゝゝ』。 |
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(五) | |
急に入つて来た少年に妨げられて、敬之進は口を噤んだ。流許に主婦、暗い洋燈の下で、かちや/\と皿小鉢を鳴らして居たが、それと見て少年の側へ駈寄つた。『あれ、省吾さんでやすかい』と言はれて、省吾は用事ありげな顔付。『吾家の父さんは居りやすか』。『あゝ居なさりやすよ』と主婦は答へた。敬之進は顔を渋めた。入口の庭の薄暗いところに佇立んで居る省吾を炉辺まで連れて来て、つく/″\その可憐な様子を眺めら、『した。――何か用か』。『あの、』と省吾は言淀んで、『母さんがねえ、今夜は早く父さんに御帰りなさいツて』。『むゝ、また呼びによこしたのか――ちよツ、極りを遣つてら』と敬之進は独語のやうに言つた。『そんなら父さんは帰りなさらないんですか』と省吾はおづ/\尋ねて見る。『帰るサ――御話が済めば帰るサ。母さんにこう言へ、父さんは学校の先生と御話して居ますから、それが済めば帰りますツて』と言つて、敬之進は一段声を低くして、『省吾、母さんは今何してる?』。『籾を片づけて居りやす』。『そうか、まだ働いてるか。それから彼の……何か……母さんはまた例のやうに怒つてやしなかつたか』。省吾は答へなかつた。子供心にも、父を憐むといふ目付して、黙つて敬之進の顔を熟視つたのである。『まあ、冷さうな手をしてるぢやないか』と敬之進は省吾の手を握つて、『それ金銭をくれる。柿でも買へ。母さんや進には内証だぞ。さあ最早それで可から、早く帰つて。――父さんが今言つた通りに。――よしか。解つたか』。省吾は首を垂れて、萎れながら出て行つた。 『まあ聞いてくれたまへ』と敬之進は復た述懐を始めた。『ホラ、君が彼の蓮華寺へ引越す時、我輩も門前まで行きましたらう。――実は、君だから斯様なこと迄も御話するんだが、彼らには不義理なことがしてあつて、住職は非常に怒つて居る。我輩が飲む間は、交際はせぬといふ。情ないとは思ふけれど、な関係で、今では娘の顔を見に行くこともできないやうな仕末。まあ、彼寺へくれて了つたお志保と、省吾と、それから亡くなつた総領と、こう三人は今の家内の子ではないのさ。前の家内といふのは、矢張飯山の藩士の娘でね、我輩の家の楽な時代に嫁いて来て、まだ今のやうに零落しない内に亡くなつた。だから我輩は彼女のことを考へる度に、一生のうちで一番楽しかつた時代を思出さずには居られない。一盃やると、きつとその時代のことを思出すのが我輩の癖で――だつて君、年を取れば、思出すより外に歓楽がないのだもの。あゝ、前の家内は反つて好い時に死んだ。人間といふものは妙なもので、若い時に貰つた奴がどうしても一番好いやうな気がするね。それに、性質が、今の家内のやうに利かん気ではなかつたが、そのかはり昔風に亭主に便るといふ風で、何処迄も我輩を信じて居た。蓮華寺へ行つたお志保――彼娘がまた母親に克く似て居て、眼付なぞはもう彷彿さ。彼娘の顔を見ると、直に前の家内が我輩の眼に映る。我輩ばかりぢやない、他が克くそれを言つて、昔話なぞを始めるものだから、さあ今の家内は面白くないと見えるんだねえ。正直御話すると、我輩も蓮華寺なぞへ彼娘をくれたくはなかつた。しかし吾家に置けば、彼娘の為にならない。第一、それでは可愛さうだ。まあ、蓮華寺では非常に欲がるし、奥様も子はなし、それに他の土地とは違つて寺院を第一とする飯山ではあり、するところからして、お志保を手放して遣つたやうな訳さ』。 聞けば聞くほど、丑松は気の毒になつて来た。成る程、そう言はれて見れば、落魄の画像の様子のうちにも、どうやら武士らしい威厳を具へて居るやうに思はるゝ。『丁度、それは彼娘の十三の時』と敬之進は附和して言つた。 |
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(六) | |
『噫。我輩の生涯なぞは実に碌々たるものだ』と敬之進は更に嘆息した。『しかし瀬川君、考へて見てくれたまへ。君は碌々といふ言葉の内に、どれほどの酸苦が入つて居ると考へる。こうして我輩は飲むから貧乏する、と言ふ人もあるけれど、我輩に言はせると、貧乏するから飲むんだ。一日たりとも飲まずには居られない。まあ、我輩も、始の内は苦痛を忘れる為に飲んだのさ。今ではそうぢやない、反つて苦痛を感ずる為に飲む。はゝゝゝゝ。と言ふと可笑しく聞えるかも知れないが、一晩でも酒の気がなからうものなら、寂しくて、寂しくて、身体は最早がた/\震へて来る。寝ても寝られない。そうなると殆んど精神は無感覚だ。察してくれたまへ。――飲んで苦しく思ふ時が、一番我輩に取つては活きてるやうな心地がするからねえ。恥を御話すればいろ/\だが、我輩も飯山学校へ奉職する前には、下高井の在で長く勤めたよ。今の家内を貰つたのは、丁度その下高井に居た時のことさ。そこはそれ、在に生れた女だけあつて、働くことは家内も克く働く。霜を掴んで稲を刈るやうなことは到底我輩にはできないが――我輩がまた其様な真似をして見給へ、直に病気だ――ところが彼女には堪へられる。貧苦を忍ぶといふ力は家内の方が反つて我輩より強いね。だから君、最早うなつた日にやあ、恥も外聞もあつたものぢやない、私は私でお百姓する、なんて言出して、馬鹿な、女の手で作なぞを始めた。我輩の家に旧から出入りする百姓の音作、あの夫婦が先代の恩返しだと言つて、手伝つてはくれるがね、どうせそううまく行きツこはないさ。それを我輩が言ふんだけれど、どうしても家内は聞入れない。尤も、我輩は士族だから、一反歩は何坪あるのか、一束に何斗の年貢を納めるのか、一升蒔で何俵の籾が取れるのか、一体年に肥料が何の位要るものか、其様なことは薩張解らん。現に我輩は家内が何坪借りて作つて居るかといふことも知らない。まあ、家内の量見では、子供に耕作でも見習はせて、行く/\は百姓になつて了ふ積りらしいんだ。そこででも我輩と衝突が起る。どうせ彼様な無学な女は子供の教育なんかできよう筈もない。実際、我輩の家庭で衝突の起因と言へば必ず子供のことさ。子供がある為に夫婦喧嘩もするやうなものだが、又、その夫婦喧嘩をした為に子供ができたりする。あゝ、もう沢山だ、この上できたらしよう、一人子供が増ればそれ丈貧苦を増すのだと思つても、できるものは君どうも仕方がないぢやないか。今の家内が三番目の女の児を産んだ時、えゝお末と命けてやれ、お末とでも命けたら終になるか、こう思つたら――どうでせう、君、直にまた四番目サ。仕方がないから、今度は留吉とした。まあ、五人の子供に側で泣き立てられて見たまへ。なか/\遣りきれた訳のものではないよ。惨苦、惨苦――我輩は子供の多い貧乏な家庭を見る度に、つく/″\その惨苦を思ひやるねえ。五人の子供ですら食はせるのは容易ぢやない、しまたこの上にできでもしたら、我輩の家なぞでは最早していゝか解らん』。 こう言つて、敬之進は笑つた。熱い涙は思はず知らず流れ落ちて、零落れた袖を湿したのである。『我輩は君、これでも真面目なんだよ』と敬之進は、額と言はず、頬と言はず、腮と言はず、両手で自分の顔を撫で廻した。『どうでせう、省吾の奴も君の御厄介になつてるが、彼様な風で物になりませうか。もう少許活溌だと好いがねえ。どうも女のやうな気分の奴で、泣易くて困る。平素弟に苦められ通しだ。同じ自分の子で、どれが可愛くて、どれが憎いといふことはありさうもなささそうなものだが、それがそれ、妙なもので、我輩は彼の省吾が可愛さうでならない。彼の通り弱いものだから、それ丈哀憐も増すのだらうと思ふね。家内はまた弟の進贔顧。何ぞといふと、省吾の方を邪魔にして、無暗に叱るやうなことをする。そこへ我輩が口を出すと、前妻の子ばかり可愛がつて進の方は少許も関つてくれんなんて――直に邪推だ。だからもう我輩は何にも言はん。家内の為る通りに為せて、黙つて見て居るのさ。なるべく家内には遠ざかるやうにして、密と家を抜け出して来ては、独りで飲むのが何よりの慰藉だ。稀に我輩が何か言はうものなら、私は斯様に裸体で嫁に来やしなかつたなんて、それを言はれると一言もない。実際、彼奴が持つて来た衣類は、皆な我輩が飲んで了つたのだから――はゝゝゝゝ。まあ、君らの目から見たら、さぞ我輩の生涯なぞは馬鹿らしく見えるだらうねえ』。 述懐は反つて敬之進の胸の中を軽くさせた。その晩は割合に早く酔つて、次第に物の言ひ様も煩く、終には呂律も廻らないやうになつて了つたのである。て二人はの炉辺を離れた。勘定は丑松が払つた。笹屋を出たのは八時過とも思はれる頃。夜の空気は暗く町々を包んで、往来の人通りもすくない。気が狂つて独語を言ひながら歩く女、酔つて家を忘れたやうな男、そんな手合が時々二人に突当つた。敬之進は覚束ない足許で、やゝともすれば往来の真中へ倒れさうになる。酔眼朦朧、星の光すらその瞳には映りさうにも見えなかつた。拠なく丑松は送り届けることにして、ある時は右の腕で敬之進の身体を支へるやうにしたり、ある時は肩へ取縋らせて背負ふやうにしたり、ある時は抱擁へて一緒に釣合を取りながら歩いた。漸の思で、敬之進を家まで連れて行つた時は、まだ細君も音作夫婦も働いて居た。人々は夜露を浴びながら、屋外で仕事をして居るのであつた。丑松が近くと、それと見た細君は直にこう声を掛けた。『あちや、まあ、御困りなすつたでごはせう』。 |
(私論.私見)