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【破戒第一章】 |
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破戒 島崎藤村 |
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この書の世に出づるにいたりたるは、函館にある秦慶治氏、及び信濃にある神津猛氏のたまものなり。労作終るの日にあたりて、このものがたりを二人の恩人のまへにさゝぐ。 |
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第壱章(一) |
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蓮華寺(れんげじ)では下宿を兼ねた。瀬川丑松(うしまつ)が急に転宿(やどがへ)を思ひ立つて、借りることにした部屋といふのは、その蔵裏(くり)つゞきにある二階の角のところ。寺は信州下水内郡(しもみのちごほり)飯山町二十何ヶ寺の一つ、真宗に附属する古刹(こせつ)で、丁度その二階の窓に倚凭(よりか)つて眺めると、銀杏(いてふ)の大木を経(へだ)てゝ飯山の町の一部分も見える。さすが信州第一の仏教の地、古代を眼前(めのまへ)に見るやうな小都会、奇異な北国風の屋造(やづくり)、板葺の屋根、または冬期の雪除(ゆきよけ)として使用する特別の軒庇(のきびさし)から、ところどころに高く顕(あらは)れた寺院と樹木の梢まで――すべて旧めかしい町の光景(ありさま)が香の烟(けぶり)の中に包まれて見える。たゞ一際(ひときは)目立つてこの窓から望まれるものと言へば、現に丑松が奉職して居るその小学校の白く塗つた建築物(たてもの)であつた。
丑松が転宿(やどがへ)を思ひ立つたのは、実は甚だ不快に感ずることが今の下宿に起つたからで、尤(もっと)も賄(まかなひ)でも安くなければ、誰も斯様(こん)な部屋に満足するものはなからう。壁は壁紙で張りつめて、それが煤(す)けて茶色になつて居た。粗造な床の間、紙表具の軸、外には古びた火鉢が置いてあるばかりで、何となく世離れた、静寂(しづか)な僧坊であつた。それがまた小学教師といふ丑松の今の境遇に映つて、妙に佗(わび)しい感想(かんじ)を起させもする。
今の下宿には斯(か)ういふ事が起つた。半月程前、一人の男を供に連れて、下高井の地方から出て来た大日向(おほひなた)といふ大尽(だいじん)、飯山病院へ入院の為とあつて、暫時(しばらく)腰掛に泊つて居たことがある。入院は間もなくであつた。もとより内証はよし、病室は第一等、看護婦の肩に懸つて長い廊下を往つたり来たりするうちには、自然(おのづ)と豪奢が人の目にもついて、誰が嫉妬(しっと)で噂(うはさ)するともなく、『彼(あれ)は穢多(えた)だ』といふことになつた。忽ち多くの病室へ伝(つたは)つて、患者は総立(そうだち)。『放逐して了(しま)へ、今直ぐ、それが出来(でき)ないとあらば吾儕(われ)挙(こぞ)つて御免を蒙る』と腕捲(まく)りして院長を脅(おびやか)すといふ騒動。いかに金尽(かねづく)でも、この人種の偏執(へんしふ)には勝たれない。ある日の暮、籠に乗せられて、夕闇の空に紛れて病院を出た。籠は其儘(そのまま)もとの下宿へ舁(かつ)ぎ込まれて、院長は毎日のやうに来て診察する。さあ今度は下宿のものが承知しない。丁度丑松が一日の勤務(つとめ)を終つて、疲れて宿へ帰つた時は、一同『主婦(かみさん)を出せ』と喚(わめ)き立てるところ。『不浄だ、不浄だ』の罵詈(ばり)は無遠慮な客の口唇(くちびる)を衝(つ)いて出た。『不浄だとは何だ』と丑松は心に憤つて、蔭ながらあの大日向の不幸(ふしあはせ)を憐んだり、道理(いはれ)のないこの非人扱ひを慨(なげ)いたりして、穢多の種族の悲惨な運命を思ひつゞけた――丑松もまた穢多なのである。
見たところ丑松は純粋な北部の信州人――佐久小県(さくちひさがた)あたりの岩石の間に成長した壮年(わかもの)の一人とは誰の目にも受取れる。正教員といふ格につけられて、学力優等の卒業生として、長野の師範校を出たのは丁度二十二の年齢(とし)の春。社会(よのなか)へ突出される、直に丑松はこの飯山へ来た。それから足掛三年目の今日、丑松はたゞ熱心な青年教師として、飯山の町の人に知られて居るのみで、実際穢多である、新平民であるといふことは、誰一人として知るものが無(な)かつたのである。
『では、いつ引越していらつしやいますか』と声をかけて、入つて来たのは蓮華寺の住職の匹偶(つれあひ)。年の頃五十前後。茶色小紋の羽織を着て、痩せた白い手に珠数(ず)を持ち乍(なが)ら、丑松の前に立つた。土地の習慣(ならはし)から『奥様』と尊敬(あが)められて居る斯(こ)の有髪(うはつ)の尼は、昔者として多少教育もあり、都会(みやこ)の生活も万更(まんざら)知らないでもないらしい口の利き振であつた。世話好きな性質を額にあらはして、微な声で口癖のやうに念仏して、対手(あひて)の返事を待つて居る様子。
その時、丑松も考へた。明日(あす)にも、今夜にも、と言ひたい場合ではあるが、さて差当つて引越しするだけの金がなかつた。実際持合せは四十銭しかなかつた。四十銭で引越しの出来(でき)よう筈もない。今の下宿の払ひもしなければならぬ。月給は明後日(あさって)でなければ渡らないとすると、否(いや)でも応でもそれ迄待つより外はなかつた。『こうしませう、明後日の午後(ひるすぎ)といふことにしませう』。『明後日?』と奥様は不思議さうに対手の顔を眺めた。『明後日引越すのは其様(そんな)に可笑(をかし)いでせうか』。丑松の眼は急に輝いたのである。『あれ――でも明後日は二十八日ぢやありませんか。別に可笑いといふことは御座(ござい)ませんがね、私はまた月が変つてから来(いら)つしやるかと思ひましてサ』。『むゝ、これはおほきに左様(さう)でしたなあ。実は私も急に引越しを思ひ立つたものですから』と何気なく言消して、丑松は故意(わざ)と話頭(はなし)を変へて了(しま)つた。下宿の出来事は烈しく胸の中を騒がせる。それを聞かれたり、話したりすることは、何となく心に恐しい。何か穢多に関したことになると、毎時(いつ)もそれを避けるやうにするのがこの男の癖である。『なむあみだぶ』と口の中で唱へて、奥様は別に深く掘つて聞かうともしなかつた。 |
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(二) |
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蓮華寺を出たのは五時であつた。学校の日課を終ると、直ぐその足で出掛けたので、丑松はまだ勤務の儘の服装で居る。白墨と塵埃とで汚れた着古しの洋服、書物やら手帳やらの風呂敷包を小脇に抱へて、それに下駄穿、腰弁当。多くの労働者が人中で感ずるやうな羞恥――そんな思を胸に浮べながら、鷹匠町の下宿の方へ帰つて行つた。町々の軒は秋雨あがりの後の夕日に輝いて、人々が濡れた道路に群つて居た。中には立ちとゞまつて丑松の通るところを眺めるもあり、何かひそひそ立話をして居るのもある。『彼処へ行くのは、ありやあ何だ――むゝ、教員か』と言つたやうな顔付をして、酷しい軽蔑の色を顕して居るのもあつた。是が自分等の預つて居る生徒の父兄であるかと考へると、浅猿しくもあり、腹立たしくもあり、遽に不愉快になつてすたすた歩き初めた。
本町の雑誌屋は近頃出来(でき)た店。その前には新着の書物を筆太に書いて、人目を引くやうに張出してあつた。かねて新聞の広告で見て、出版の日を楽みにして居た『懴悔録』。――肩に猪子蓮太郎氏著、定価までも書添へた広告が目につく。立ちどまつて、その人の名を思出してさへ、丑松はもう胸の踊るやうな心地がしたのである。見れば二三の青年が店頭に立つて、何か新しい雑誌でも猟つて居るらしい。丑松は色の褪せたズボンの袖嚢の内へ手を突込んで、人知れず銀貨を鳴らして見ながら、幾度かその雑誌屋の前を往つたり来たりした。兎に角、四十銭あれば本が手に入る。しかしそれを今茲で買つて了へば、明日は一文なしで暮さなければならぬ。転宿の用意もしなければならぬ。こういふ思想に制せられて、一旦は往きかけて見たやうなものゝ、やがて、復た引返した。ぬつと暖簾を潜つて入つて、手に取つて見ると――それはすこし臭気のするやうな、粗悪な洋紙に印刷した、黄色い表紙に『懴悔録』としてある本。貧しい人の手にも触れさせたいといふ趣意から、わざと質素な体裁を択んだのは、この書の性質をよく表して居る。あゝ、多くの青年が読んで知るといふ今の世の中に、飽くことを知らない丑松のやうな年頃で、どうして読まず知らずに居ることができよう。智識は一種の饑渇である。到頭四十銭を取出して、欲いと思ふその本を買求めた。なけなしの金とはいひら、精神の慾には替へられなかつたのである。
『懴悔録』を抱いて――買つて反つて丑松は気の衰頽を感じながら、下宿をさして帰つて行くと、不図、途中で学校の仲間に出逢つた。一人は土屋銀之助と言つて、師範校時代からの同窓の友。一人は未だ極く年若な、此(この)頃準教員になつたばかりの男。散歩とは二人のぶら/\やつて来る様子でも知れた。『瀬川君、大層遅いぢやないか』と銀之助は洋杖を鳴しながら近いた。正直で、しかも友達思ひの銀之助は、直に丑松の顔色を見て取つた。深く澄んだ目付は以前の快活な色を失つて、言ふに言はれぬ不安の光を帯びて居たのである。『あゝ、必定身体の具合でも悪いのだらう』と銀之助は心に考へて、丑松から下宿を探しに行つた話を聞いた。『下宿を? 君はよく下宿を取替へる人だねえ――此頃あそこの家へ引越したばかりぢやないか』と毒のない調子で、さも心から出たやうに笑つた。その時丑松の持つて居る本が目についたので、銀之助は洋杖を小脇に挾んで、見せろといふ言葉と一緒に右の手を差出した。
『これかね』と丑松は微笑みながら出して見せる。「むゝ『懴悔録』か」と準教員も銀之助の傍に倚添ひながら眺めた。『相変らず君は猪子先生のものが好きだ』。斯(こ)う銀之助は言つて、黄色い本の表紙を眺めたり、一寸内部を開けて見たりして、『さう/\新聞の広告にもあつたツけ――へえ、斯様な本かい――こんな質素な本かい。まあ君のは愛読を通り越して崇拝の方だ。はゝゝゝゝ、よく君の話には猪子先生が出るからねえ。嘸かしまた聞かせられることだらうなあ』、『馬鹿言ひたまへ』と丑松も笑つてその本を受取つた。
夕靄の群は低く集つて来て、あそこでも、こゝでも、最早ちら/\灯が点く。丑松は明後日あたり蓮華寺へ引越すといふ話をして、この友達と別れたが、やがて少許行つて振返つて見ると、銀之助は往来の片隅に佇立んだ儘、熟と是方を見送つて居た。半町ばかり行つて復た振返つて見ると、未(ま)だ友達は同じところに佇立んで居るらしい。夕餐の煙は町の空を籠めて、悄然とした友達の姿も黄昏れて見えたのである。 |
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(三) |
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鷹匠町の下宿近く来た頃には、鉦の声が遠近の空に響き渡つた。寺々の宵の勤行は始まつたのであらう。丁度下宿の前まで来ると、あたりを警める人足の声も聞えて、提灯の光に宵闇の道を照しながら、一挺の籠が舁がれて出るところであつた。あゝ、大尽が忍んで出るのであらう、と丑松は憐んで、黙然として其処(そこ)に突立つて見て居るうちに、いよ/\それとは附添の男で知れた。同じ宿に居たとは言ひながら、つひぞ丑松は大日向を見かけたことがない。唯附添の男ばかりは、よく薬の罎なぞを提げて、出たり入つたりするところを見かけたのである。その雲を突くやうな大男が、今、尻端折りで、主人を保護したり、人足を指図したりする甲斐々々しさ。穢多の中でも卑賤しい身分のものと見え、そこに立つて居る丑松を同じ種族とは夢にも知らないで、妙に人を憚るやうな様子して、一寸会釈しながら側を通りぬけた。門口に主婦、『御機嫌よう』の声も聞える。見れば下宿の内は何となく騒々しい。人々は激昂したり、憤慨したりして、いづれも聞えよがしに罵つて居る。『難有うぞんじます――そんなら御気をつけなすつて』とまた主婦は籠の側へ駈寄つて言つた。籠の内の人は何とも答へなかつた。丑松は黙つて立つた。見る/\舁がれて出たのである。『ざまあ見やがれ』。これが下宿の人々の最後に揚げた凱歌であつた。
丑松がすこし蒼ざめた顔をして、下宿の軒を潜つて入つた時は、まだ人々が長い廊下に群つて居た。いづれも感情を制へきれないといふ風で、肩を怒らして歩くもあり、板の間を踏み鳴らすもあり、中には塩を掴んで庭に蒔散らす弥次馬もある。主婦は燧石を取出して、清浄の火と言つて、かち/\音をさせて騒いだ。
哀憐、恐怖、千々の思は烈しく丑松の胸中を往来した。病院から追はれ、下宿から追はれ、その残酷な待遇と恥辱とをうけて、黙つて舁がれて行く彼の大尽の運命を考へると、嘸籠の中の人は悲慨の血涙に噎んだであらう。大日向の運命は軈てすべての穢多の運命である。思へば他事ではない。長野の師範校時代から、この飯山に奉職の身となつたまで、よくまあ自分は平気の平左で、普通の人と同じやうな量見で、危いとも恐しいとも思はずに通り越して来たものだ。こうなると胸に浮ぶは父のことである。父といふのは今、牧夫をして、烏帽子ヶ嶽の麓に牛を飼つて、隠者のやうな寂しい生涯を送つて居る。丑松はその西乃入牧場を思出した。その牧場の番小屋を思出した。『阿爺さん、阿爺さん』と口の中で呼んで、自分の部屋をあちこち/\と歩いて見た。父の言葉を思出した。
はじめて丑松が親の膝下を離れる時、父は一人息子の前途を深く案じるといふ風で、様々な物語をして聞かせたのであつた。その時だ――一族の祖先のことも言ひ聞かせたのは。東海道の沿岸に住む多くの穢多の種族のやうに、朝鮮人、支那人、露西亜人、または名も知らない島々から漂着したり帰化したりした異邦人の末とは違ひ、その血統は古の武士の落人から伝つたもの、貧苦こそすれ、罪悪の為に穢れたやうな家族ではないと言ひ聞かせた。父はまた添付して、世に出て身を立てる穢多の子の秘訣――唯一つの希望、唯一つの方法、それは身の素性を隠すより外にない、『たとへいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅はうと決してそれとは自白けるな、一旦の憤怒悲哀に戒を忘れたら、その時こそ社会から捨てられたものと思へ』。こう父は教へたのである。
一生の秘訣とはこの通り簡単なものであつた。『隠せ』。――戒はこの一語で尽きた。しかしその頃はまだ無我夢中、『阿爺が何を言ふか』位に聞流して、唯もう勉強ができるといふ嬉しさに家を飛出したのであつた。楽しい空想の時代は父の戒も忘れ勝ちに過ぎた。急に丑松は少年から大人に近づいたのである。急に自分のことが解つて来たのである。まあ、面白い隣の家から面白くない自分の家へ移つたやうに感ずるのである。今は自分から隠さうと思ふやうになつた。 |
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(四) |
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あふのけさまに畳の上へ倒れて、暫時丑松は身動きもせずに考へて居たが、て疲労が出て眠て了つた。不図(ふと)目が覚めて、部屋の内を見廻した時は、点けておかなかつた筈の洋燈が寂しさうに照して、夕飯の膳も片隅に置いてある。自分はまだ洋服の。丑松の心地には一時間余も眠つたらしい。戸の外には時雨の降りそゝぐ音もする。起き直つて、買つて来た本の黄色い表紙を眺めながら、膳を手前へ引寄せて食つた。飯櫃の蓋を取つて、あつめ飯の臭気を嗅いで見ると、丑松は最早嘆息して了つて、そこ/\にして膳を押遣つたのである。『懴悔録』を披げておいて、先づ残りの巻煙草に火を点けた。
この本の著者――猪子蓮太郎の思想は、今の世の下層社会の『新しい苦痛』を表白すと言はれて居る。人によると、彼男ほど自分を吹聴するものはないと言つて、妙に毛嫌するやうな手合もある。成る程、その筆にはいつも一種の神経質があつた。到底蓮太郎は自分を離れて説話をすることのできない人であつた。しかし思想が剛健で、しかも観察の精緻を兼ねて、人を吸引ける力の壮んに溢れて居るといふことは、一度その著述を読んだものゝ誰しも感ずる特色なのである。蓮太郎は貧民、労働者、または新平民等の生活状態を研究して、社会の下層を流れる清水に掘りあてる迄は倦まず撓まず努力めるばかりでなく、またそれを読者の前に突着けて、右からも左からも説明して、呑込めないと思ふことは何度繰返しても、読者の腹の中に置かなければ承知しないといふ遣方であつた。尤も蓮太郎のは哲学とか経済とかの方面から左様いふ問題を取扱はないで、寧ろ心理の研究に基礎を置いた。文章はたゞ岩石を並べたやうに思想を並べたもので、露骨なところに反つて人を動かす力があつたのである。
しかし丑松が蓮太郎の書いたものを愛読するのは唯それ丈の理由からではない。新しい思想家でもあり戦士でもある猪子蓮太郎といふ人物が穢多の中から産れたといふ事実は、丑松の心に深い感動を与へたので――まあ、丑松の積りでは、隠に先輩として慕つて居るのである。同じ人間でありながら、自分等ばかり其様に軽蔑される道理がない、といふ烈しい意気込を持つやうになつたのも、実はこの先輩の感化であつた。こういふ訳から、蓮太郎の著述といへば必ず買つて読む。雑誌に名が出る、必ず目を通す。読めば読む程丑松はこの先輩に手を引かれて、新しい世界の方へ連れて行かれるやうな気がした。穢多としての悲しい自覚はいつの間にかその頭を擡げたのである。
今度の新著述は、『我は穢多なり』といふ文句で始めてあつた。その中には同族の無智と零落とが活きた画のやうに描いてあつた。その中には多くの正直な男女が、たゞ穢多の生れといふばかりで、社会から捨てられて行く光景も写してあつた。その中には又、著者の煩悶の歴史、歓し哀しい過去の追想、精神の自由を求めて、しかもそれが得られないで、不調和な社会の為に苦みぬいた懐疑の昔語から、朝空を望むやうな新しい生涯に入る迄――熱心な男性の嗚咽が声を聞くやうに書きあらはしてあつた。
新しい生涯――それが蓮太郎には偶然な身のつまづきから開けたのである。生れは信州高遠の人。古い穢多宗族といふことは、丁度長野の師範校に心理学の講師として来て居た頃――丑松がまだ入学しない以前――同じ南信の地方から出て来た二三の生徒の口から泄れた。講師の中に賤民の子がある。この噂が全校へ播つた時は、一同驚愕と疑心とで動揺した。ある人は蓮太郎の人物を、ある人はその容貌を、ある人はその学識を、いづれも穢多の生れとは思はれないと言つて、どうしても虚言だと言張るのであつた。放逐、放逐、声は一部の教師仲間の嫉妬から起つた。嗚呼、人種の偏執といふことがないものなら、『キシネフ』で殺される猶太人もなからうし、西洋で言囃す黄禍の説もなからう。無理が通れば道理が引込むといふ世の中に、誰が穢多の子の放逐を不当だと言ふものがあらう。いよ/\蓮太郎が身の素性を自白して、多くの校友に別離を告げて行く時、この講師の為に同情の涙を流すものは一人もなかつた。蓮太郎は師範校の門を出て、『学問の為の学問』を捨てたのである。
この当時の光景は『懴悔録』の中に精しく記載してあつた。丑松は身につまされるかして、幾度か読みかけた本を閉ぢて、目を瞑つて、やがてそれを読むのは苦しくなつて来た。同情は妙なもので、反つて底意を汲ませないやうなことがある。それに蓮太郎の筆は、面白く読ませるといふよりも、考へさせる方だ。終には丑松も書いてあることを離れて了つて、自分の一生ばかり思ひつゞけながら読んだ。
今日まで丑松が平和な月日を送つて来たのは――主に少年時代からの境遇にある。そも/\は小諸の向町(穢多町)の生れ。北佐久の高原に散布する新平民の種族の中でも、殊に四十戸ばかりの一族の『お頭』と言はれる家柄であつた。獄卒と捕吏とは、維新前まで、先祖代々の職務であつて、父はその監督の報酬として、租税を免ぜられた上、別に俸米をあてがはれた。それ程の男であるから、貧苦と零落との為め小県郡の方へ家を移した時にも、八歳の丑松を小学校へやることは忘れなかつた。丑松が根津村の学校へ通ふやうになつてからは、もう普通の児童で、誰もこの可憐な新入生を穢多の子と思ふものはなかつたのである。最後に父は姫子沢の谷間に落着いて、叔父夫婦も一緒に移り住んだ。異つた土地で知るものはなし、強ひて是方から言ふ必要もなし、といつたやうな訳で、終には慣れて、少年の丑松は一番早く昔を忘れた。官費の教育を受ける為に長野へ出掛ける頃は、たゞ先祖の昔話としか考へて居なかつた位で。
こういふ過去の記憶は今丑松の胸の中に復活つた。七つ八つの頃まで、よく他の小供に調戯はれたり、石を投げられたりした、その恐怖の情はふたゝび起つて来た。朦朧ながらあの小諸の向町に居た頃のことを思出した。移住する前に死んだ母親のことなぞを思出した。『我は穢多なり』――あゝ、どんなにこの一句が丑松の若い心を掻乱したらう。『懴悔録』を読んで、反つて丑松はせつない苦痛を感ずるやうになつた。
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第弐章(一) |
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毎月二十八日は月給の渡る日とあつて、学校では人々の顔付も殊に引立つて見えた。課業の終を告げる大鈴が鳴り渡ると、男女の教員はいづれも早々に書物を片付けて、受持々々の教室を出た。悪戯りの少年の群は、一時に溢れて、その騒しさ。弁当草履を振廻し、『ズック』の鞄を肩に掛けたり、風呂敷包を背負つたりして、声を揚げら帰つて行つた。丑松もまた高等四年の一組を済まして、左右に馳せちがふ生徒の中を職員室へと急いだのである。
校長は応接室に居た。人は郡視学が変ると一緒にこの飯山へ転任して来たので、丑松や銀之助よりも後から入つた。学校の方から言ふと、二人は校長の小舅にあたる。その日は郡視学と二三の町会議員とが参校して、校長の案内で、各教場の授業を少許づゝ観た。郡視学が校長に与へた注意といふは、職員の監督、日々の教案の整理、黒板机腰掛などの器具の修繕、又は学生の間に流行する『トラホオム』の衛生法等、主に児童教育の形式に関した件であつた。応接室へ帰つてから、一同雑談で持切つて、室内に籠る煙草の烟は丁度白い渦のやう。茶でも出すと見えて、小使は出たり入つたりして居た。
校長に言はせると、教育は則ち規則であるのだ。郡視学の命令は上官の命令であるのだ。元々軍隊風に児童を薫陶したいと言ふのがこの人の主義で、日々の挙動も生活も凡てそれから割出してあつた。時計のやうに正確に――これが座右の銘でもあり、生徒に説いて聞かせる教訓でもあり、また職員一同を指揮する時の精神でもある。世間を知らない青年教育者の口癖に言ふやうなことは、無用な人生の装飾としか思はなかつた。この主義で押通して来たのが遂に成功して――まあすくなくとも校長の心地だけには成功して、功績表彰の文字を彫刻した名誉の金牌を授与されたのである。
丁度その一生の記念が今応接室の机の上に置いてあつた。人々の視線は燦然とした黄金の光輝に集つたのである。一人の町会議員はその金質を、一人はその重量と直径とを、一人はその見積りの代価を、いづれも心に商量したり感嘆したりして眺めた。十八金、直径九分、重量五匁、代価凡そ三十円――これが人々の終に一致した評価で、別に添へてある表彰文の中には、よく教育の施設をなしたと書いてあつた。県下教育の上に貢献するところ尠からずと書いてあつた。『基金令第八条の趣旨に基き、金牌を授与し、之を表彰す』とも書いてあつた。『実に今回のことは校長先生の御名誉ばかりぢや有ません、吾信州教育界の名誉です』と髯の白い町会議員は改つて言つた。金縁眼鏡の議員はその尾に附いて、『つきましては、有志の者が寄りまして御祝の印ばかりに粗酒を差上げたいと存じますが――いかゞでせう、今晩三浦屋迄御出を願へませうか。郡視学さんも、何卒まあ是非御同道を』、『いや、左様いふ御心配に預りましては実に恐縮します』と校長は倚子を離れて挨拶した。『今回のことは、教育者に取りましてもこの上もない名誉な次第で、非常に私も嬉敷思つては居るのですが――考へて見ますと、これぞと言つて功績のあつた私ではなし、実はこういふ金牌なぞを頂戴して、反つて身の不肖を恥づるやうな次第で』。『校長先生、左様仰つて下すつては、使に来た私共が困ります』と痩せぎすな議員が右から手を擦みながら言つた。『御辞退下さる程の御馳走は有(あり)ませんのですから』と白髯の議員は左から歎願した。
校長の眼は得意と喜悦とで火のやうに輝いた。いかにも心中の感情を包みきれないといふ風で、胸を突出して見たり、肩を動つて見たりして、軈て郡視学の方へ向いて斯う尋ねた。『どうですな、貴方の御都合は』と言はれて、郡視学は鷹揚な微笑を口元に湛へながら、『折角皆さんが彼様言つて下さる。御厚意を無にするのは反つて失礼でせう』。『御尤です――いや、それではいづれ後刻御目に懸つて、御礼を申上げるといふことにしませう。何卒皆さんへも宜敷仰つて下さい』と校長は丁寧に挨拶した。
実際、地方の事情に遠いものはこの校長の現在の位置を十分会得することができないであらう。地方に入つて教育に従事するものゝ第一の要件は――外でもない、この校長のやうな凡俗な心づかひだ。曾て学校の窓で想像した種々の高尚な事を左様いつ迄も考へて、俗悪な趣味を嫌ひ避けるやうでは、一日たりとも地方の学校の校長は勤まらない。有力者の家なぞに、悦びもあり哀みもあれば、人と同じやうに言ひ入れて、振舞の座には神主坊主と同席に座ゑられ、すこしは地酒の飲みやうも覚え、土地の言葉も可笑しくなく使用へる頃には、自然と学問を忘れて、無教育な人にも馴染むものである。賢いと言はれる教育者は、いづれも町会議員なぞに結托して、位置の堅固を計るのが普通だ。
帽子を執つて帰つて行く人々の後に随いて、校長はそこ迄見送つて出た。て玄関で挨拶して別れる時、互にこういふ言葉を取替した。『では、郡視学さんも御誘ひ下すつて、学校から直に御出を』。『恐れ入りましたなあ』。 |
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(二) |
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『小使』と呼ぶ校長の声は長い廊下に響き渡つた。生徒はもう帰つて了つた。教場の窓は皆な閉つて、運動場に庭球する人の影も見えない。急に周囲は森閑として、時々職員室に起る笑声の外には、寂しい静かな風琴の調がとぎれ/\に二階から聞えて来る位(ぐらい)のものであつた。『へい、何ぞ御用で御座ますか』と小使は上草履を鳴らして駈寄る。『あ、ちよと、気の毒だがねえ、もう一度役場へ行つて催促して来て呉(く)れないか。金銭を受取つたら直に持つて来てくれ――皆さんも御待兼だ』。こう命じて置(お)いて、校長は応接室の戸を開けて入つた。見れば郡視学は巻煙草を燻しながら、独りで新聞を読み耽つて居る。『失礼しました』と声を掛けて、その側へ自分の椅子を擦寄せた。『見たまへ、まあ信濃毎日を』と郡視学は馴々敷、『君が金牌を授与されたといふことから、教育者の亀鑑だといふこと迄、委しく書いてありますよ。表彰文は全部。それに、履歴までも』。『いや、今度の受賞は大変な評判になつて了ひました』と校長も喜ばしさうに、『何処へ行つても直にその話が出る。実に意外な人迄知つて居て、祝つてくれるやうな訳で』。『結構です』。『これといふのも貴方の御骨折から――』。『まあそれは言はずにおいて貰ひませう』と郡視学は対手の言葉を遮つた。『御互様のことですからな。はゝゝゝゝ。しかし吾党の中から受賞者を出したのは名誉さ。君の御喜悦も御察し申す』。『勝野君も非常に喜んでくれましてね』。『甥がですか、あゝ左様でしたらう。私の許へも長い手紙をよこしましたよ。それを読んだ時は、彼男の喜ぶ顔付が目に見えるやうでした。実際、甥は貴方の為を思つて居るのですからな』。
郡視学が甥と言つたのは、検定試験を受けて、合格して、この頃新しく赴任して来た正教員。勝野文平といふのがその男の名である。割合に新参の校長は文平を引立てゝ、自分の味方に附けようとしたので。尤も席順から言へば、丑松は首座。生徒の人望は反つて校長の上にある程。銀之助とても師範出の若手。いかに校長が文平を贔顧だからと言つて、二人の位置を動かす訳にはいかない。文平は第三席に着けられて出たのであつた。『それに引換へて瀬川君の冷淡なことは』と校長は一段声を低くした。『瀬川君?』と郡視学も眉をひそめる。『まあ聞いて下さい。万更の他人が受賞したではなし、定めし瀬川君だつても私の為に喜んで居てくれるだらう、とこう貴方なぞは御考へでせう。ところが大違ひです。こりやあ、まあ、私が直接に聞いたことではないのですけれど――又、私に面と向つて、まさかに其様なことが言へもしますまいが――といふのは、教育者が金牌なぞを貰つて鬼の首でも取つたやうに思ふのは大間違だと。そりやあ成程人爵の一つでせう。瀬川君なぞに言はせたら価値のないものでせう。しかし金牌は表章です。表章が何も難有くはない。唯その意味に価値がある。はゝゝゝゝ、まあ左様ぢやありますまいか』。『どうしてまた瀬川君は其様な思想を持つのだらう』と郡視学は嘆息した。
『時代から言へば、あるひは吾儕の方が多少後れて居るかも知れません。しかし新しいものが必ずしも好いとは限りませんからねえ』と言つて校長は嘲つたやうに笑つて、『なにしろ、瀬川君や土屋君が彼様して居たんぢや、万事私も遣りにくゝて困る。同志の者ばかり集つて、一致して教育事業をやるんででもなけりやあ、到底面白くはいきませんさ。勝野君が首座ででもあつてくれると、私も大きに安心なんですけれど』。『そんなに君が面白くないものなら、何とかそこには方法もありさうなものですがなあ』と郡視学は意味ありげに相手の顔を眺めた。『方法とは?』と校長も熱心に。『他の学校へ移すとか、後釜へは――それ、君の気に入つた人を入れるとかサ』。『そこです――同じ移すにしても、何か口実がないと――余程そこは巧くやらないと――あれで瀬川君はなか/\生徒間に人望がありますから』。『さうさ、過失のないものに向つて、出て行けとも言はれん。はゝゝゝゝ、余りまた細工をしたやうに思はれるのも厭だ』と言つて郡視学は気を変へて、『まあ私の口から甥を褒めるでもありませんが、貴方の為には必定御役に立つだらうと思ひますよ。瀬川君に比べると、勝るとも劣ることはあるまいといふ積りだ。一体瀬川君は何処が好いんでせう。どうして彼様な教師に生徒が大騒ぎをするんだか――私なんかには薩張解らん。他の名誉に思ふことを冷笑するなんて、いふことがそんならば瀬川君なぞには難有いんです』。『まづ猪子蓮太郎あたりの思想でせうよ』。『むゝ。――あの穢多か』と郡視学は顔を渋める。『あゝ』と校長も深く歎息した。『猪子のやうな男の書いたものが若いものに読まれるかと思へば恐しい。不健全、不健全――今日の新しい出版物は皆な青年の身をあやまる原因なんです。その為に畸形の人間ができて見たり、狂見たやうな男が飛出したりする。あゝ、あゝ、今の青年の思想ばかりは奈何しても吾儕に解りません』。 |
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(三) |
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ふと応接室の戸を叩く音がした。急に二人は口を噤んだ。復た叩く。『お入り』と声をかけて、校長は倚子を離れた。郡視学も振返つて、戸を開けに行く校長の後姿を眺めながら、誰、町会議員からの使ででもあるか、こう考へて、入つて来る人の様子を見ると――思ひの外な一人の教師、つゞいてあらはれたのが丑松であつた。校長は思はず郡視学と顔を見合せたのである。『校長先生、何か御用談中ぢやありませんか』と丑松は尋ねた。校長は一寸微笑んで、『いえ、なに、別に用談でもありません――今二人で御噂をして居たところです』。『実はこの風間さんですが、是非郡視学さんに御目に懸つて、直接に御願ひしたいことがあるさうですから』。こう言つて、丑松は一緒に来た同僚を薦めるやうにした。
風間敬之進は、時世の為に置去にされた、老朽な小学教員の一人。丑松や銀之助などの若手に比べると、阿爺にしてもよい程の年頃である。黒木綿の紋付羽織、垢染みた着物、粗末な小倉の袴を着けて、兢々郡視学の前に進んだ。下り坂の人は気の弱いもので、すこし郡視学に冷酷な態度が顕れると、もう妙に固くなつて思ふことを言ひかねる。『何ですか、私に用事があると仰るのは』。こう催促して、郡視学は威丈高になつた。あまり敬之進が躊躇して居るので、終には郡視学も気を苛つて、時計を出して見たり、靴を鳴らして見たりして、『いふ御話ですか。仰つて見て下さらなければ解りませんなあ』。もどかしく思ひながら椅子を離れて立上るのであつた。敬之進は猶々言ひかねるといふ様子で、『実は――すこし御願ひしたい件がありまして』。『ふむ』。
復た室の内は寂として暫時声がなくなつた。首を垂れながら少許慄へて居る敬之進を見ると、丑松は哀憐の心を起さずに居られなかつた。郡視学は最早堪へかねるといふ風で、『私はこれで多忙しい身体です。何か仰ることがあるなら、ずん/\仰つて下さい』。丑松は見るに見かねた。『風間さん、其様に遠慮しない方が可ぢやありませんか。貴方は退職後のことを御相談して頂きたいといふんでしたらう』。こう言つて、て郡視学の方へ向いて、『私から伺ひます。まあ、風間さんのやうに退職となつた場合には、恩給を受けさして頂く訳に参りませんものでせうか』。『無論です、そんなことは』と郡視学は冷かに言放つた。『小学校令の施行規則を出して御覧なさい』。『そりやあ規則は規則ですけれど』。『規則にないことができるものですか。身体が衰弱して、職務を執るに堪へないから退職する――それを是方で止める権利はありません。しかし、恩給を受けられるといふ人は、満十五ヶ年以上在職したものに限つた話です。風間さんのは十四ヶ年と六ヶ月にしかならない』。『でもありませうが、僅か半歳のことで教育者を一人御救ひ下さるとしたら』。『其様なことを言つて見た日にやあ際涯がない。何ぞと言ふと風間さんは直に家の事情、家の事情だ。誰だつて家の事情のないものはありやしません。まあ、恩給のことなぞは絶念めて、折角御静養なさるが可でせう』。
こう撥付けられては最早取付く島がないのであつた。丑松は気の毒さうに敬之進の横顔を熟視つて、『どうです風間さん、貴方からも御願ひして見ては』。『いえ、只今の御話を伺へば――別に――私から御願する迄もありません。御言葉に従つて、絶念めるより外はないと思ひます』。その時小使が重たさうな風呂敷包を提げて役場から帰つて来た。のしらせを機に、郡視学は帽子を執つて、校長に送られて出た。 |
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(四) |
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男女の教員は広い職員室に集つて居た。その日は土曜日で、月給取の身にとつては反つて翌の日曜よりも楽しく思はれたのである。茲に集る人々の多くは、日々の長い勤務と、多数の生徒の取扱とに疲れて、さして教育の事業に興味を感ずるでもなかつた。中には児童を忌み嫌ふやうなものもあつた。三種講習を済まして、及第して、漸く煙草のむことを覚えた程の年若な準教員なぞは、まだ前途が長いところからして楽しさうにも見えるけれど、既に老朽と言はれて髭ばかり厳しく生えた手合なぞは、述懐したり、物羨みしたりして、外目にも可傷しく思ひやられる。一月の骨折の報酬を酒に代へる為、今茲(ここ)に待つて居るやうな連中もあるのであつた。
丑松は敬之進と一緒に職員室へ行かうとして、廊下のところで小使に出逢つた。『風間先生、笹屋の亭主が御目に懸りたいと言つて、先刻から来て待つて居りやす』。不意を打たれて、敬之進はさも苦々しさうに笑つた。『何? 笹屋の亭主?』。笹屋とは飯山の町はづれにある飲食店、農夫の為に地酒を暖めるやうな家で、老朽な敬之進が浮世を忘れる隠れ家といふことは、疾に丑松も承知して居た。けふ月給の渡る日と聞いて、酒の貸の催促に来たか、とは敬之進の寂しい苦笑で知れる。『ちよツ、学校まで取りに来なくてもよささうなものだ』と敬之進は独語のやうに言つた。『いゝから待たしておけ』と小使に言含めて、て二人して職員室へと急いだのである。
十月下旬の日の光は玻璃窓から射入つて、煙草の烟に交る室内の空気を明く見せた。彼処の掲示板の下に一群、是処の時間表の側に一団、いづれも口から泡を飛ばして言ひのゝしつて居る。丑松は室の入口に立つて眺めた。見れば郡視学の甥といふ勝野文平、灰色の壁に倚凭つて、銀之助と二人並んで話して居る様子。新しい艶のある洋服を着て、襟飾の好みも煩くなく、すべて適はしい風俗の中に、人を吸引ける敏捷いところがあつた。美しく撫付けた髪の色の黒さ。頬の若々しさ。それに是男の鋭い眼付は絶えず物を穿鑿するやうで、一時も静息んでは居られないかのやう。これを銀之助の五分刈頭、顔の色赤々として、血肥りして、形も振も関はず腕捲りしながら、談したり笑つたりする肌合に比べたら、その二人の相違はであらう。物見高い女教師連の視線はいづれも文平の身に集つた。
丑松は文平の瀟洒とした風采を見て、別にそれを羨む気にもならなかつた。たゞ気懸りなのは、彼新教員が自分と同じ地方から来たといふことである。小諸辺の地理にも委敷様子から押して考へると、何時何処で瀬川の家の話を聞かまいものでもなし、広いやうで狭い世間の悲しさ、あの『お頭』は今これ/\だと言ふ人でもあつた日には――無論今となつて其様なことを言ふものもあるまいが――まあ万々一――それこそ彼教員も聞捨てにはまい。こう丑松は猜疑深く推量して、何となく油断がならないやうに思ふのであつた。不安な丑松の眼には種々な心配の種が映つて来たのである。
やがて校長は役場から来た金の調べを終つた。それ/″\分配するばかりになつたので、丑松は校長を助けて、人々の机の上に十月分の俸給を載せてやつた。『土屋君、さあ御土産』と銀之助の前にも、五十銭づゝ封じた銅貨を幾本か並べて、外に銀貨の包と紙幣とを添へて出した。『おや/\、銅貨を沢山くれるねえ』と銀之助は笑つて、『斯様にあつては持上がりさうもないぞ。はゝゝゝゝ。時に、瀬川君、けふは御引越ができますね』。丑松は笑つて答へなかつた。傍に居た文平は引取つて、『どちらへか御引越ですか』。『瀬川君は今夜から精進料理さ』。『はゝゝゝゝ』と笑ひ葬つて、丑松は素早く自分の机の方へ行つて了つた。
毎月のこととは言ひながら、俸給を受取つた時の人々の顔付は又格別であつた。実に男女の教員の身にとつては、労働いて得た収穫を眺めた時ほど愉快に感ずることはないのである。ある人は紙の袋に封じた儘の銀貨を鳴らして見る、ある人は風呂敷に包んで重たさうに提げて見る、ある女教師は又、海老茶袴の紐の上から撫でゝ、人知れず微笑んで見るのであつた。急に校長は椅子を離れて、用事ありげに立上つた。何事かと人々は聞耳を立てる。校長は一つ咳払ひして、さて器械的な改つた調子で、敬之進が退職の件を報告した。ついては来る十一月の三日、天長節の式の済んだ後、この老功な教育者の為に茶話会を開きたいと言出した。賛成の声は起る。敬之進はすつくと立つて、一礼して、て拍子の抜けたやうに元の席へ復つた。
一同帰り仕度を始めたのは間もなくであつた。男女の教員が敬之進を取囲いて、いろ/\言ひ慰めて居る間に、ついと丑松は風呂敷包を提げて出た。銀之助が友達を尋して歩いた時は、職員室から廊下、廊下から応接室、小使部屋、昇降口まで来て見ても、もう何処にも丑松の姿は見えなかつたのである。 |
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(五) |
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丑松は大急ぎで下宿へ帰つた。月給を受取つて来て妙に気強いやうな心地にもなつた。昨日は湯にも入らず、煙草も買はず、早く蓮華寺へ、と思ひあせるばかりで、暗い一日を過したのである。実際、懐中に一文の小使もなくて、笑ふといふ気には誰がならう。悉皆下宿の払ひを済まし、車さへ来れば直に出掛けられるばかりに用意して、さて巻煙草に火を点けた時は、言ふに言はれぬ愉快を感ずるのであつた。
引越は成るべく目立たないやうに、といふ考へであつた。気掛りなは下宿の主婦の思惑で――まあ、この突然な転宿を何と思つて見て居るだらう。何か彼放逐された大尽と自分との間には一種の関係があつて、それで面白くなくて引越すとでも思はれたらしよう。あの愚痴な性質から、根彫葉刻聞咎めて、何故引越す、こう聞かれたら何と返事をしたものであらう。そこがそれ、引越さなくても可ものを無理に引越すのであるから、何となく妙に気が咎める。下手なことを言出せば反つて藪蛇だ。『都合があるから引越す』。理由はそれで沢山だ。こう種々に考へて、疑つたり恐れたりして見たが、多くの客を相手にする主婦の様子は左様心配した程でもない。さうかうする中に、頼んで置いた車も来る。荷物と言へば、本箱、机、柳行李、それに蒲団の包があるだけで、道具は一切一台の車で間に合つた。丑松は洋燈を手に持つて、主婦の声に送られて出た。
こうして車の後に随いて、とぼ/\と二三町も歩いて来たかと思はれる頃、今迄の下宿の方を一寸振返つて見た時は、思はずホツと深い溜息を吐いた。道路は悪し、車は遅し、丑松は静かに一生の変遷を考へて、自分で自分の運命を憐みながら歩いた。寂しいとも、悲しいとも、可笑しいとも、何ともかとも名の附(つ)けやうのない心地は烈しく胸の中を往来し始める。追憶の情は身に迫つて、無限の感慨を起させるのであつた。それは十一月の近いたことを思はせるやうな蕭条とした日で、湿つた秋の空気が薄い烟のやうに町々を引包んで居る。路傍に黄ばんだ柳の葉はぱら/\と地に落ちた。
途中で紙の旗を押立てた少年の一群に出遇つた。音楽隊の物真似、唱歌の勇しさ、笛太鼓も入乱れ、足拍子揃へて面白可笑しく歌つて来るのは何処の家の子か――あゝ尋常科の生徒だ。見ればその後に随いて、少年と一緒に歌ひながら、人目も関はずやつて来る上機嫌の酔漢がある。蹣跚とした足元で直に退職の敬之進と知れた。『瀬川君、一寸まあ見てくれ給へ――是が我輩の音楽隊さ』と指しながら熟柿臭い呼吸を吹いた。敬之進は何処かで飲んで来たものと見える。指された少年の群は一度にどつと声を揚げて、自分達の可傷な先生を笑つた。
『始めえ――』。敬之進は戯れに指揮するやうな調子で言つた。『諸君。まあ聞き給へ。今日迄我輩は諸君の先生だつた。明日からは最早諸君の先生ぢやない。そのかはり、諸君の音楽隊の指揮をしてやる。よしか。解つたかね。あはゝゝゝ』と笑つたかと思ふと、熱い涙はその顔を伝つて流れ落ちた。無邪気な音楽隊は、一斉に歓呼を揚げて、足拍子揃へて通過ぎた。敬之進は何か思出したやうに、熟とその少年の群を見送つて居たが、て心づいて歩き初めた。『まあ、君と一緒にそこ迄行かう』と敬之進は身を慄はせながら、『時に瀬川君、まだこの通り日も暮れないのに、洋燈を持つて歩くとはいふ訳だい』。『私ですか』と丑松は笑つて、『私は今引越をするところです』。『あゝ引越か。それで君は何処へ引越すのかね』。『蓮華寺へ』。
蓮華寺と聞いて、急に敬之進は無言になつて了つた。暫時の間、二人は互に別々のことを考へながら歩いた。『あゝ』と敬之進はまた始めた。『実に瀬川君なぞは羨ましいよ。だつて君、左様ぢやないか。君なぞはまだ若いんだもの。前途多望とは君等(ら)のことだ。何卒して我輩も、もう一度君らのやうに若くなつて見たいなあ。あゝ、人間も我輩のやうに老込んで了つては駄目だねえ』。 |
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(六) |
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車は遅かつた。丑松敬之進の二人は互に並んで話し/\随いて行つた。とある町へ差掛かつた頃、急に車夫は車を停めて、冷々とした空気を呼吸しら、額に流れる汗を押拭つた。見れば町の空は灰色の水蒸気に包まれて了つて、僅に西の一方に黄な光が深く輝いて居る。いつもより早く日は暮れるらしい。遽に道路も薄暗くなつた。まだ灯を点ける時刻でもあるまいに、もう一軒点けた家さへある。その軒先には三浦屋の文字が明白と読まれるのであつた。
盛な歓楽の声は二階に湧上つて、屋外に居る二人の心に一層の不愉快と寂寥とを添へた。丁度人々は酒宴の最中。灯影花やかに映つて歌舞の巷とは知れた。三味は幾挺かおもしろい音を合せて、障子に響いて媚びるやうに聞える。急に勇しい太鼓も入つた。時々唄に交つて叫ぶやうに聞えるは、囃方の娘の声であらう。これも、招ばれて行く妓と見え、箱屋一人連れ、褄高く取つて、いそ/\と二人の前を通過ぎた。
客の笑声は手に取るやうに聞えた。その中には校長や郡視学の声も聞えた。人々は飲んだり食つたりして時の移るのも知らないやうな様子。『瀬川君、大層陽気ぢやないか』と敬之進は声を潜めて、『や、大一座だ。一体今宵は何があるんだらう』。『まだ風間さんには解らないんですか』と丑松も聞耳を立てながら言つた。『解らないさ。だつて我輩は何にも知らないんだもの』。『ホラ、校長先生の御祝でさあね』。『むゝ――むゝ――むゝ、左様ですかい』。一曲の唄が済んで、盛な拍手が起つた。また盃の交換が始つたらしい。若い女の声で、『姉さん、お銚子』などと呼び騒ぐのを聞捨てゝ、丑松敬之進の二人は三浦屋の側を横ぎつた。
車は知らない中に前へ行つて了つた。次第に歌舞の巷を離れると、太鼓の音も遠く聞えなくなる。敬之進は嘆息したり、沈吟したりして、時々絶望した人のやうに唐突に大きな声を出して笑つた。『浮世夢のごとし』――それに勝手な節をつけて、低声に長く吟じた時は、聞いて居る丑松も沈んで了つて、妙に悲しいやうな、可痛しいやうな心地になつた。『吟声調をなさず――あゝ、あゝ、折角の酒も醒めて了つた』と敬之進は嘆息して、獣の呻吟るやうな声を出しながら歩く。丑松も憐んで、やがてこう尋ねて見た。『風間さん、貴方はどこ迄行くんですか』。『我輩かね。我輩は君を送つて、蓮華寺の門前まで行くのさ』。『門前迄?』。『何故我輩が門前迄送つて行くのか、それは君には解るまい。しかしそれを今君に説明しようとも思はないのさ。御互ひに長く顔を見合せて居ても、こうして親しくするのは昨今だ。まあ、いつか一度、君とゆつくり話して見たいもんだねえ』。
やがて蓮華寺の山門の前まで来ると、ぷいと敬之進は別れて行つて了つた。奥様は蔵裏の外まで出迎へて喜ぶ。車はもうとつくに。荷物は寺男の庄太が二階の部屋へ持運んでくれた。台所で焼く魚のにほひは、蔵裏迄も通つて来て、香の煙に交つて、住慣れない丑松の心に一種異様の感想を与へる。仏に物を供へる為か、本堂の方へ通ふ子坊主もあつた。二階の部屋も窓の障子も新しく張替へて、前に見たよりはずつと心地が好い。薬湯と言つて、大根の乾葉を入れた風呂なども立てゝくれる。新しい膳に向つて、うまさうな味噌汁の香を嗅いで見た時は、第一この寂しげな精舎の古壁の内に意外な家庭の温暖を看付けたのであつた。 |