前編第2の3(10から14) |
更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.8.3日
(れんだいこのショートメッセージ) |
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【暗夜行路前編第2の3(10から14)】 |
十 |
謙作は風呂へ入ると、そう遠くない、耳鼻咽喉専門のT病院へ往(い)った。前に咲子が暫く入っていた事のある病院で、時間外でももしいれば見て貰えるだろうと思ったのだ。彼の耳は一晩痛んだだけで、今はもう痛みはなくなっていた。只、耳のわきで、指先を擦り合わせると、いい方ではサリサリとよく聞こえるが、悪い方ではそれが少しも聞こえなかった。そして何となく重たい、鬱陶しい気持があった。医者は和服のまま、反射鏡をくわえて直ぐ診(み)てくれた。「ええ---大分充血してます。大した事はありますまい。中に少し水が溜まってるようですから、切って一寸出して置きましょう」。こう手軽そうに云った。医者は壁の帽子掛けから白い仕事着をはずし、無造作に和服の上から着た。肥った、若い看護婦が昇こう水(しょうこうすい)を湛(たた)えたヴァットから小さい矛のようなメスや、細いピンセットなどを、ガーゼの上へ並べていた。「電気はまだ来ないかネ?」。看護婦は壁のスウイッチをひねったが、まだ来ていなかった。「よしよし」と医者は云った。実際西向きの窓にはまだ、陽(ひ)があった。看護婦は柄のついた短い針金の先に何本も綿を巻きつけた。手術は直ぐ済んだ。鼓膜にメスの触れた時、ゴソッといやに大きな音がした。同時にチクりとした。そして、最初、そのメスが振れた時に彼はそれを大きなものに感じた。それだけだった。いやに手軽そうにいいながら実際は痛い事をするのではないかという気もしたが、医者の言葉通り、それは手軽く済んだ。「思ったより沢山出る」。医者は綿を巻いた針金を差し込んで、中の水を何本もそれへ吸い取らせた。綿には血がついて来た。医者は薬をつけ、あん法をすると、翌日午前中、又来るように云った。彼は待合室で薬のできるのを待っていた。 彼は去年の秋、青年をおだてて咲子へ手紙を寄越させたあの女の事を憶い出していた。来るまで、彼はそれを全く忘れていたが、今の看護婦がその女でないので、初めて憶い出した。「あの女はどうしたかしら?」。こう想い、彼はそれと会う事を何という事なし、恐れた。幸いに、その女は出て来なかった。彼はその女を嫌いではなかった。一寸美しい女だったばかりでなく、何処か賢そうなところがあり、一方食えない感じもあったが、彼に対しては割りに慎み深く、彼が話しかけるような場合にも、よく看護婦などにある型の、いやにハキハキ切口上で返事をする、そういう方ではなかった。笑いながら寧ろ好んで曖昧な返事ばかりしていた。その頃彼は大学で同じ科にいた人々の始めた或る同人雑誌に二三度、短い小説を出した。それを咲子が話したと見え、或る時、看護婦は咲子の口を通して、その雑誌を貸して貰いたいといった。そういったのはその女が謙作の書いたものを見たいといっている事---自身のついている病人の兄の書いたものを見るという興味、---とはわかっていた。が、謙作は他から借りて見るのは差し支えないが、自身で自身のもりをわざわざ見せに持って行く気はしなかった。彼は自身の物のある号だけを除き、七八冊の雑誌を置いて来た。その次ぎ行くと、黙って笑っている看護婦の代りに咲子が、不平をいった。そして間もなく咲子は退院し、それから一年ほどして、前に書いたように或る青年が咲子に手紙を寄越したのである。彼がそれに叱言(こごと)をいってやると、その看護婦に勧められて出したものだと、その青年は平謝りに詫って来た。その時、彼はその女が見かけによらず所謂不良性のある女だと思って、一寸いやな気がした。自分の書いたものなど、見せずによかったとも思った。 彼は子供らの立ち騒いでいる夕方の往来を帰りながら、そんな事を憶い出していた。あの女は今もあの病院に居るかしら? 全体、あの青年は自分のやった手紙をあの女に見せたろうか? あの女が何も知らなければいいとして、そうでなければ、両方で具合悪そうだと思った。そしてそう思う裏に、彼は知らず知らずその女に対する漠然とした下等な興味を起していた。その女に不良性のあるところに起る興味であった。自家では信行が彼の帰りを待っていた。「耳が悪いって?」。玄関へ出て来た信行は挨拶の代りにこれをいった。「水が溜まっていたので、直ぐ出してくれた」。「大した事はないね?」。「何でもんーなかった」。二人は信行を先にして、茶の間へ入って行った。其処には既に始めかけた信行の食事が出ていた。信行は坐ると改めて、「やあ---」と云って頭を下げた。謙作も黙って頭を下げた。「先にあがりかけたところなのよ。謙さんも直ぐあがりますか?」。「そうね。---どうでもかまいません」。「どうでもって、あなたのおなかの都合よ」。「そんなら、食いましょう」。お栄は甲斐/\しく謙作の食事の支度をした。「お栄さん。十歳くらい年を取ったって、そんなでもないじやありませんか」と信行が云った。「いいえ。お爺さんになりましたわ」とお栄は謙作の顔を見返しながら云った。「そんなにも思わないが、そうかな。瘠せたには瘠せたが---」。「今は少し見馴れたんで、それ程にも思いませんが、新橋でひょいと、前へ出て来られた時には、思わず、お祖父さんが---と思いましたよ」。お爺さんが何時かお祖父さんになっていた。謙作は不意に脾腹(ひばら)を突かれたような気がした。信行は直ぐ気づいたが、お栄は無頓着に続けた。「布(きれ)で頭を巻いていて、顔だけしか見えないので、尚、似て見えたのかも知れないの」。 あの安っぽい、下等な祖父に似ていると云われた事は謙作には致命傷の気がした。彼は平気でそんな事を饒舌(しゃべ)っているお栄の無神経さに腹が立った。が、同時に一方思いがけない気持の自分に起っている事に心附(づ)いた。実際それを自分ながら思いがけない気持だった。彼はかって、祖父に対して、肉親らしい愛情を感じた事はなかった。六歳の時初めて見た祖父の、いやな印象は、そのまま変らず彼に残って行った。その印象は変えようがなかった。彼の祖父は生れながらに下根(げこん)の質(たち)にできあがっていた。する事、なす事、妙に下品な調子がつきまとっていた。それ故、彼は自身が不義の児である事を知った場合にも、母と誰か、---それが祖父でない誰かであったら、まだよかったと云う気がした。母と祖父と、この結びつきが、何よりも堪えられなかった。彼はそれ程に祖父を嫌っていた。それ故、今もお栄の言葉に、堪らず、腹立たしい気持にもなったが、同時に全く思いがけない反対な気持が不意に湧き起って来た事を感じた。何と云っていいか、よく分らなかった。が、とにかく、それはやはり肉親の愛情だった。それは嫌っていながら、父親としての或る懐かしさだった。似ていると云われた事を致命的の打撃に感じながら、何処か心の奥に或る嬉しさを感じたのである。これは彼ではあり得べからざる事だった。それが不意に心へ入って来た。彼は心の混乱を感じた。 食事中、信行は尾の道での生活などを色々訊いた。謙作もできるだけ気楽な調子でそれに答えた。そして、食事が済むと、彼は、「二階へ行こうか」と信行を誘った。「うん」。信行は何気ない顔をして一緒に立ち上がっが、これから二人だけで又、いやな問題を話さなければならぬかという、何となく降参したような様子を見ると、謙作は自分の事ながら却って兄が可哀想になった。可笑しい気もした。二人は火のない火鉢を間にして、坐ったが、直ぐには話も出なかった。「一昨日(おととい)出した俺の手紙は見まいね」。「見ない」。「俺には今度の事は全く手に余る。色々書いて置いたが、やはりこの事はお前はお前の思い通り、お父さんは、お父さんの思い通りをされるより仕方がないと思ったよ。間に入って調停しようとしたところで、お父さんとお前では、結局はそういう結果になるに決まっている。俺が間へ入ろうとしても、入る余地がない。俺の軽はずみから、こんな事になってお前には済まないと思うが、一先ず俺はこの問題には沈黙しようと思うんだ。お父さんにも、一昨々日(さきおととい)それを云ったよ。無責任なようだが、仕方がない。又俺が出ていい時もあると思うから、それまでは暫くそういう事にしようと思う。どうだろう?」。「どういう話になっているのか、知らないが、それがいいよ。君が間に入っていると、両方が徹底できないから、何時まで経っても関係が、きちんとしたところまで落ち着かないよ」。「うん」。 「君にはできるだけ今までの関係をそのまま残しておきたい気があるが、何も知らない間はいいが、これからも続けようと云うのは少し無理だ。破(こわ)れる部分は破して了い、破しても破れない部分だけ残して、其処に不安のない関係を作れたら作るより仕方がない。もし根こそぎ、打破(ぶちこ)われて了うようなら、それも止むを得ないし」。「お前の気持が其処まで決まっていれば、何にも云う事はないが---」。信行は一寸不愉快そうな眼をして謙作を見た。「しかし俺には、どうかして調停したいと云う気があつたのだ。調停が、いつも不徹底なら、仕方がないが、そうばかりも云えないからね---」。謙作は黙っていた。謙作は自身の云った事が違っているとは思わなかったが、父との関係に殆ど執着のない自分が、何処までもそれを離れられない信行に、そんな風にはきはき云って了った事は済まない気も一寸した。第一、同じく父と呼んでいるが、信行には父で、自分にはそうでない、其処からも、両方の気持が離れ離れになっているのだと思った。 女中が茶と菓子とを持って入って来た。女中が茶をついで、二人の前へ置く間、二人は黙っていた。「由(よし)! 果物を此処へ置いとくからね。差し上げておくれ」。こういうお栄の声が段々の下から聞えた。女中は返事をしながら部屋を出た。「暗い処で、ふんづけるな」と謙作が注意した。女中は笑いながら降りて行った。 「手紙に書いたことを繰返せば、お父さんは前と少しも考えは変えられないよ。尚、困るのは、お前が小説を書く時、決して自家の事を書いてはならぬといい出したのだ。俺は手紙にもあつた通り、不愉快な結果を生ずるような事はできるだけお前も、避ける筈だと云ったが、お父さんはそんな事を云っても、それは謙作の標準で云う事で、謙作は不愉快でないつもりでも俺の方が迷惑する場合がないとは限らない。絶対に自家の事は書かぬという堅い約束をして貰わぬ事には俺としては安心できない、とこう云われるのだ。心配しだせば其処まで用心しとく必要があるのかも知れないが、余り勝手だからね。それにお前も、何かの形でそれが出ないとは云えないと云っているし、俺は其処まで掣肘(せいちゆう)する事はできないと云ったのだ。お父さんは家庭小説だけが小説でもあるまい、とか云っていたが、とにかくお前の仕事に対する理解とか、同情とかいうものはまるでないからね。話がしにくいんだ。そこで、俺も---今から思うと、如何にも鼻元思案(はなもとじあん)な話だが、そんならお父さんは謙作が創作の仕事をする事に就いてはどうお考えですかと訊いてみたんだ。それは自分の仕事として、謙作がそれをやるのに少しも不服はないと、こう云われる。それなら、謙作も自分の生涯を打込んでやる仕事なのだから、多少の迷惑があるとしてもできるだけ寛大に、そんな制限をつけてやらない方がいいでしょう。何故ならお父さんでも、鉄道を高架線にするか地上線にするかの問題が起った時、仕事の都合で地上線を主張された事もあるのだし、仕事の上では他人の多少の迷惑は構っていられない場合もあるものですから、とこういったのだ。これは実際俺の云い方も悪かったが、滅茶苦茶に怒鳴りつけられたよ」。 鉄道の話は、かって信行の父が或る鉄道会社を興した場合、或る町を貫通さすのに経費の都合から地上線を敷こうとして、町民からの反対を受けたことがあるからである。地上線に決めるか、高架線に決めるかは、云いかえれば何十人---永い間には何百人の生命を犠牲にするか、しないかを決める事だと町民はそれに反対した。結局余り八釜しくなったので、会社側が譲歩して高架線を敷く事になったが、信行はこれをいったのである。「そんな事を云えば怒るに決まっている」と謙作は笑った。「しかし僕にはそんな約束はできないよ。第一高架線の場合とは異う話だし、とにかく僕はこの機会に本郷の家とはっきり関係を断つのが一番いいと思う。そうしなければこれからも色々と切りのない事だ。一時の世間体を考えて曖昧にしておくのは両方の為によくないよ」。「うん。それが本統かも知れない。しかしどういうものか、お父さんはそうはっきり、かたづけて了いたくない気があるんだ。それから、これがある。俺も今度初めて知ったが、お前の貰った金は、あれは総て、芝のお祖父さんから出たものだそうだ。表面上、お父さんが出した事になっているが、実際は一文も出していないのだそうだ」。「------」。 謙作は眼を見張った。そして一寸赤い顏をした。彼は父が自分の本統の父でない事を知った時から、この事には拘泥していた。本郷の家と、はっきり関係を断つと云いながら、貰った金だけを返さずにおくのは如何にも、それだけに眼をつぶっている、ずるい事のようで、気がとがめていた。そして二度出した信行への手紙の中でも、それへ触れようと、一方しながら、遂に触れずに了った。彼にとってその金を返して了うのは差し詰め食うに困ることだった。それが彼はいやだった。しかし、彼はその金を返すことがもっと必然になった場合、尚それに眼をつぶって平気でいられる自身でない事を知っている点で、其処に或る安心を持って、その事を放っておいたのであった。二人は暫く黙っていた。「俺はね」。信行はこんな風に今度は自身の事を話しだした。「やはり最近会社をよすつもりだ。お父さんにも一寸云って見たが、案外簡単に承知しそうなんだ」。「そう。それはいいね。で、何をするつもりなの?」。「禅をやるつもりだ」。謙作は思いがけない気がして黙っていた。「近頃俺は、つくづくお前を羨ましく思う。或る意味で、---運命的にというのか、境遇的にというのか知らないが、そう云う意味ではお前は俺より不幸な人間だ。しかし性格的にいうと、遥かに幸福な人間だと思う。しかも、何方(どっち)が、より幸福かといえば勿論性格的に幸福な方が本統の幸福だと思ったよ」。「僕が性格的に少しも幸福なものか。同時に境遇的にも君のいうように不幸な人間じやあないよ」。謙作は柄にない信行の断定的な言葉に一寸苛々して言葉を挟んだ。 「俺の云い方が悪いのかも知れない。そういう言葉をよく知らないから言葉が間違っているんだ。が、とにかく、俺はお前が俺より恵まれた人間だという気がして羨ましい。お前は強い。お前は何でもお前の思う通りにやって行こうという強い自我を持っている。ところが俺にはそれがない。ない事もないが、それが非常に弱いのだ。禅をやるというのは最近に決めた事だが、今の生活に不満を感じ出したのは随分久しい事だ。ところが、どうしても、それを直ぐよす気になれなかった。いつかお前は直ぐよしたらいいだろうと、簡単にいったが、それが俺には却々(なかなか)できなかった」。「しかし何故会社がそんなにいやになったのかしら?」。「元々すやな処なのだ。只、入りたては無我夢中で、とにかく、自分が一つの仕事に携わっているという意識でだまされていたのだ。今でも新しく入って来る若い連中を見ると皆、そうだ。親の脛を噛って、小さくなっていた奴が、自分の手で金が得られるようになると、急に一人前になった気で、妙に嬉しいんだね。中にはそれで家族を養って行かねばならぬ者もあるが、そういうのはそれ程迷わないが、それだけの必然さもない俺達のような人間になると、直ぐ仕事の興味はなくなるし、云わ妓いつまで経っても雇人(やといにん)の生活だからね。---重役になったところで同じ事だ。こんな事をしていて、一体、一生どうなるのだ、という気に段々なって来る。四十にして惑わずというが、四十くらいになると、大概、一寸そういう気になるらしい。俺なんか早い方だ」。「禅をやる事もお父さんに話したの?」。「話した。とても承知しまいと思ったが、例の(考えておこう)だから、大概いいだろうと思う。お前の事もあるし、重ねて、そんな話をするのは気の毒だったが、絶えずそういう気持で煮え切らない自分がいやで堪らなくなったのだ。今度の場合でもお前にはいつも或る一つの焦点があって、総ての針が直ぐそれを指すのが、俺は非常に羨ましかった。ところで、俺にはその焦点がないのだ。ぐうたらな性格からも来ているが、今の俺の生活が悪いのだ。どうしても其処から建て直して行かなければ駄目だと思ったのだ」。 謙作は父の信行に対する案外寛大な態度が、自分に対するそれと全く違うのを一寸不快に感じた。しかしそれが当然な事とも思った。不快に思うのが間違っているとも思った。そして信行が自身の喜びから、謙作の気持に顧慮する余裕もなく寧ろ自分のそうなる事で謙作を喜ばそうという、子供らしい、一種のフラッタリーさえあるのを見ると、謙作は信行に好意を感じないではいられなかった。しかし禅をやれば、そういう点で本統に安心できる気でいそうなところが危なっかしい気もした。謙作は近頃の禅流行(ばやり)には或る反感を持っていた。「行く寺は決めたの?」。「円覚寺へ行こうと思う。何といっても、SNは当代随一の人だからね」。謙作は黙っていた。彼は何となくそのSN和尚(おしょう)を好まなかった。三井集会所あたりでよく話をするSNを、荒れ地に種蒔く人間のような気がして好まなかった。しかし他にとう云ういい和尚があるかも全で知らなかったから、彼は黙っていた。 |
十一 |
一月(ひとつき)ほど経った。信行は望み通り会社を罷(や)め、鎌倉の西御門(にしみかど)という処に百姓家の小さい離れを借り、毎日円覚寺の僧堂に通うようになっていた。一度謙作は其処を訪ねて見たが、山の出鼻の直ぐ横の崖に添うて建てられた新しい家で、悪くない家だった。床の間には近頃買い集められた古々(ふるぶる)しい禅宗の本が沢山積んであった。 父との交渉は信行が鎌倉へ住むようになって自然有耶無耶になったが、これは謙作には却ってよかった。はっきりした解決をつけようとすれば二人の性質では却って面白くない事を惹きだしたかも知れない。有耶無耶の内に却って謙作の思い通りの解決ができていた。彼は今は全く本郷の家へ出入(ではい)りしなくなった。そして、お栄とは前通り一緒に暮らしている。しかし、これを父が平気でいる筈はなかったから、その不服を聴かされるのはやはり時々上京する信行だったに違いない。しかし信行はそれに就いて何も云わなかった。謙作の方でも、よりよき解決を得られる的もなかったから黙っていた。 それにお栄に対する心持も既に以前とは幾らか変っていた。何故変ったか、それを明らかに云う気はしなかったが、やはり信行が彼に書いたように運命に対する或る恐れ、---祖父と母と、そして又、祖父の妾と自分と、こう重なって行く暗い関係が何かしら恐ろしい運命に自分を導きそうな漠然とした恐怖が段々心に拡がって往ったのである。実際彼は信行の云うように強くはなかった。反対される事がらには否応なしに、はっきりした態度を示す割に、心持もその様に毎時(いつも)、はつきりした態度を持っているのではなかった。反対が薄らぎ、自由が来ると却って彼は迷った。自分が不義の子であったという事に就いても肯定的な明るい考えを彼は持ったが、時が経つにつれ、心の緊張が去るにつれ、彼は時々参る事が多くなった。 彼は妙に落ち着けなくなった。彼は移転と云う事を考えた。前にお栄がこの事をいい出し、尾の道から彼がそれを賛成した時に、火災保険にいた便宜から信行が会社の者に家を探さした事がある。しかし謙作の帰京と共にそれも立消えとなっていたが、今又、そんな事ででも気持を新しくし、もっと落ち着いた気持で仕事にかかれそうな気がすると、彼は又貸家探しの事を信行に頼んだ。そして或る日、信行は珍しく石本と連れ立って訪ねて来た。「あした、一緒に行こう、五反田の方に二軒、大井の自家の地所の近所に二三軒あるそうだ。それから今晩はお前の所へ泊るよ。いいかい?」。こんな風に信行は云った。 三人は暫くして、福吉町の家を出た。そしてその晩彼らは柳橋の或る待合で食事をしていた。若い芸者が二人、それとその家の女中が其処にいた。もう一人桃奴(ももやっこ)という芸者を先刻から再三いっていたが、いつも、もう直きという返事だけで却々来なかった。桃奴をいったのは謙作だった。「元、栄花(えいはな)と云った女義太夫が此処で芸者をしているそうだ。わかったらそれを呼んで貰いたい」。こういったのだ。「栄花というのは昔、君に連れて行かれて聴いた事があるよ。可愛い娘だった。何でも今川焼屋の娘だとか云ってた」。石本もその女を知っていた。 ちょう度来ている芸者の一人が路次の中で向い合せに住んでいるとか、桃奴の消息は精(くわ)しかった。幾度か電話をかけて来ないところから、その女の噂がよく出た。そして芸者も女中も桃奴には好意を示さなかった。謙作達が個人的にその女を知っているのでない事がわかると、女達は少しずつ悪意をさえ示した。おさらいの会で土地での古株の芸者と喧嘩をしたとか自動車の中で酔った客の指輪をぬき取って了ったとか、---古い事では生れたての赤児をキリキリと押し殺したとか、そして今もその男と離れずにいるのだとか、---現在一人の若い人を有頂天にさしているとか、その若い人が自動車を持っていて、いつもそれを迎いによこし、又自分で会えない時にはよく品物に手紙をつけて送り届けるとか、そんな噂をした。とにかく、昔の栄花、今の桃奴が芸者の中でも最も悪辣な女になっていて、仲間でも甚だ評判の悪い女である事がわかった。 一体、謙作は子供のうちから寄席とか芝居とか、そういう場所によく出入りした。それは祖父やお栄が行くのについて行ったので、しかし後に中学を出る頃からは段々一人でもそういう場所へいくようになった。殊に女義太夫をよく聴きに出掛けた。その頃十二三の栄花は、小柄な娘だった。美しくなる素質は見えていたが、それよりも何か痛々しい感じで謙作はこの小娘に同情を持っていた。瘠せた身体、眉毛が薄いので白狐(びゃっこ)を聯想させる、青白い顔。声は子供としても甲高い方で、それに何処か悲しい響きを持っていた。「あれは斃(たお)れて後、やむ、という女だね」。こんな事をいった彼の仲間があった。はっきりしない詞(ことば)ながら、悲し気な、痛々しい感じの中にも何処か負ん気(まけんき)らしい変な鋭さのある事を感ずると、謙作はこの評を大変適切に思った。後でも栄花を考えるとよくこれを憶い出したものである。 同級生の間に寄席行仲間が段々に多くなると、その一人の山本というのが、或る時、高座の彼女を見て、「知ってる娘だ」と云い出した。山本の家の一軒措いて隣りの、しかしそれは表通りでいうので、裏では塀一重の隣りに住んでいる今川焼屋の娘だという事だった。この事は彼らの間に一種の興味を惹き起した。が、山本と小娘との間には何の交渉もなかつた。しかし半年ほど経って夏になると、丁度山本の屋敷に非常にいい堀井戸があって、界隈での名水というくらい、近所の者がよくそれを貰いに来る、そして栄花もその一人として時々山本の屋敷へ来るようになったというのである。井戸は湯殿の前にあった。夏の事で窓は開放(あけはな)たれ、細い葭(よし)すだれが其処へ下げてある。或る夕方山本が入っていると、すだれ越しに水を汲みに来た栄花が見えた。此方(こっち)からだけ見えるつもりでいると、栄花は汲み込んだ手桶を上げるなり、山本の方を向いて礼をいって行った。そしてこういう事が二三度続いて二人は段々話すようになったと云うのである。山本は風呂の縁(ふち)へ腰掛け、栄花は井戸側へ後手に倚(よ)りかかりながら、汲んだ水の温(ぬる)むまで話し込む事もあった。茶席の内幕話(うちまくばなし)だった。暫くして、謙作は山本がやったという湯呑(ゆのみ)を高座に見た。 山本と栄花との交渉はしかし少しも深くなっては行かなかった。山本は華族だった。山本の家には謙作達がチャボと綽名(あだな)していた小さくて、頑固で、気の強い、年寄りの三太夫がいた。これだけでも深入りするには厄介だったろう。まして、深入りするほどの気もなかったらしいので、二人の間には何事もなく二年余り経った。栄花はその間にめきめきと美しくなり、肥りはしなかったが、とにかく身体も女らしく発達して行った。芸も上り、人気も段々出て来た。その頃丁度二代目の早之助というのが廃(や)める為に、栄花がその三代目を継ぎ、真打(しんうち)になる事になり、暫く寄席を退(の)き初代早之助の家へ通い、専心、芸を励んでいる筈の時だった。不意に栄花は家出をした。近所の本屋の息子と何処かへ隠れて了ったというのであった。隠れ家は直ぐ知れた。栄花の家から三町と離れない処で、若者は直ぐ連れ帰られたが、栄花の方はその為に、今川焼屋の家から絶縁されて了った。元々曹長(そうちょう)の私生児とかで、本統の子ではなかったのである。 若者から引離され、養家からは離縁され、同時に三代目早之助になる望みを失った栄花が自暴自棄になったのは云うまでもない。特にその時は既に妊娠していた。もしもそれが、所謂悪阻(つわり)の時期とかち合ってでもいたら、栄花はどれほど自暴自棄になってもまだ足りない気持だったに違いない。そして実際栄花はかなり自暴自棄になった。溺(おぼ)れんとする者が選まず物を摑(つか)むように---或いはもっと本統に愛情を感じたか、それはよく分らないが、其処に出て来た一人の男に栄花は直ぐ身も心も任せて了った。腹の児は堕胎された。---そうではない、生れたてを押し殺したのだという噂を謙作はその頃聞いた。とにかく赤児はその為る全く声をつぶして了ったという話だった。間もなく栄花はその男に連れられ新潟へ行き、其処で芸者になり、それから又暫くして、北海道へ移って、其処で出ているという噂を謙作は聞いた。いつも、所謂悪足(わるあし)といわれるその男が一緒だという事だった。その男に罪の秘密を握られているので離れられないのだと云う事だった。しかし謙作の耳へ入る程度の秘密ならかなり公然の秘密でもあるらしかった。 そして二三年経って、今になり、謙作紀或る日何気なく演芸雅報を見ていると、その消息欄に栄花が柳橋から桃奴という名で出たという事が書いてあった。「場所が始まると、それは忙しくなるんですよ」。こんな事を女の一人が云った時である。「よく行くのかい?」と石本が訊いた。「大概行ってますよ」。「桟敷(さじき)はどの辺り?」。石本も角力(すもう)へはよく行く方だった。「正面」。「ふむ。石本さんの桟敷の近くかい?」。石本も仲間と桟敷を持っていたが、そういったのは石本の本家の桟敷の事である。「ええ、あの少し上---こちら何だかお見かけした事があるわ」。こんな風に女も調子を合せた。「石本さんの誰か、この辺りへ来る人があるかい?」。石本は何気なく訊いた。本家の方に甥(おい)が沢山あった。そしてそれらは道楽者が多かった。「ええ、あるわ」。こういって、女は女中と眼を見合せて変な笑い顔をした。「幾つくらいの人だい?」。「軍人さん。幼年学校というのがあるんですか? 其処の生徒さん---桃奴さんの人ってその方の事よ」。女は急に笑い出した。 先刻からの話で何という事なし木綿問屋か何かの息子という風に謙作は考えていたが、それが石本の甥だった事は一寸不思議な気がした。石本はそれとなく尚色々と訊いていた。「石本さんの子供も、そういうものに掛り合っちゃあよくないね」。「全くよ」と女もいった。遂に栄花の桃奴は来なかった。来られなければ、そうとはっきり云うのがいいのだと女中が不服を云った。九時頃三人はその家を出た。「不思議な事があるじやないか」と歩きながら石本はこの偶然を面白がった。「実は姉にそういう話を聴いたが、何処で遊んでいるのかわからなかった。最初は決して遊ばない代り自動車を買ってくれというので、五万円だけ貰う事になった中(うち)で一万円の自動車を買ったもんだ。馬鹿な話さ。遊ばないからと、それを真に受ける奴も受ける奴だし---」。信行も謙作も笑った。 「しかしいい小説の材料じゃあないか」と石本は謙作を顧(かえり)みた。「君は栄花の経歴をしっているんだし、今日の処も面白い材料じゃないか」。「うむ。いい話の種だね」と謙作は云い変えた。そう云っておかないと彼は気が済まなかった。そういう出来事とか、今日のような偶然とか、雑談の種にはいいが、これだけで直ぐ小説になると思う事には不服だった。三人はそれから散歩して、銀座の方へ行き、其処で石本と別れ、十一時頃二人は福吉町の家へ帰って来た。お栄は二人を待っていた。そして三人はそれから又暫く茶の間で話した。信行はその日の事をお栄に話した。信行の話し方はそれ程の経歴を持った、そしてそれ程に悪辣な女だというところを幾らか強調した話し振りなので、傍で謙作は余りいい気がしなかつた。すると、今度はお栄が如何にも、いまわしそうな顔つきをしながら、「ひどい女もあるものね」と云った。謙作は急に腹が立って来た。彼は「悪いのは栄花ではない」。こういってやりたい気がむらむらとした。彼には十二三の青白い顔をしたいたいたしい高座の栄花が浮んで来た。「あの小娘がどうして、ひどい女だろう---」。彼は変に苛々して来た。そして不図その時、「ああ、これは書く事ができる」と思った。 |
十二 |
翌日二人が家を出たのはもう二時過ぎていた。五反田の方から先に見た。小さい鉄工所の側(わき)から狭い坂を登り、下に四五百坪の草原になった空地を見下ろしながら廻って行くと、その一軒があったが、きたない平家で、前は割りに広い庭になっているが、日当りは余りよさそうでなく、よほど手を入れなければ住めそうもない家で、彼は気乗りがしなかった。もう一軒は周囲(まわり)が狭苦しくってとても入る気のしない家だった。二人はのんびりした心持で樫(かし)の芽の強い香りを嗅ぎながら街道路(みち)を大森の方へぶらぶらと話しながら歩いた。信行はもう一(ひと)かどの禅居士になり済ましていた。そして、丁度高等学校時代の知識欲のような知識欲で、碧巌録(へきがんろく)に載っている話しを次から次とよく覚え込んでいて話した。 「そうだ、この道は自家の地所のある処へ出る道だよ」。信行は立止って往来の前後を見較べながら、こう云い出した。「一寸寄って見るかね。生垣を作らして、まだ誰も見に行かないんだ」。「うか」。「お前はあの植木屋の亀吉を知っているかい?」。「本郷の家でいつか見たように思う。脊(せい)の低い頭の大きい馬鹿見たような奴だった」。「そうだ。全く善良そのものといったような奴だよ。手前事(こと)は天理教教祖様のお見出しにあずかりまして---そんな事を云っている」。謙作は或る時皆と茶の間で茶を飲んでいると其処へその植木屋が入って来た。その様子を憶い出した。腰を曲げ、膝を九の字なりにして、実際信行のいうようにその様子は善良そのもの、正直そのもの、そして、低能そのもののような感じを与えた。妹達はクスクス笑ったが、植木屋は少しも気がつかないような顔をしていた。話しぶりでも、恭しく茶を戴いて飲む、そういう様子でも、総てが馬鹿叮嚀で、この者に任しておいて、ずるい事をされる心配はないと誰でも思わないわけに行かないような男だった。 「しかし見た通りが本統だろうか?」。謙作はその時何となく疑う気がしたのであった。余りに見かけが好人物過ぎた。其処に眼に見えない一種の不自然さが感じられた。謙作は帰ってその事を日記に書いて置いた。「あれは君」。謙作はそれを憶い出して云った。「見かけだけの人間ではないかも知れないよ。余り見かけが好人物すぎる」。信行はそれに反対した。二人は間もなく其処へ出た。長方形に往来に添うた二千坪ばかりの地所で、今まで畑にしてあったのを宅地に直し、四つ目垣に結び、これに檜(ひのき)の苗木を植込ましたのである。「何処から入るのだ」。信行は入口を探して歩いた。「入口がないぜ」。「そんな事はあるまい」。「どこにも入る処はないよ。そういえば、俺が亀吉に見積りを出さしたのだが、入口の事を云うのを忘れたのかも知れない」。二人は笑った。そして尚、探したが完全に四つ目垣を結い廻してあって、何処にも入る処はなかった。「作りながら気がつかなかったかね」。寧ろ愛嬌だった。二人はそれから、土地を管理して貰っている百姓の家へ寄って入口の事を亀吉へ云いつける事を頼んで来た。(そしてこれはそれから二三カ月後の話であるが、亀吉は実際謙作が疑ったように本統の正直者でない事がわかつた、草刈りをしたからと、土地の広さに対しても多過ぎる手間賃を本郷の家から受け取っておいて、草は草で、生えたなりに馬の飼い葉として売り、懐手(ふところで)をしながら、両方から金儲けしていたのであった) 日が暮れかかって来た。大井の山王(さんのう)寄りに一軒建ての二階家があった。外から見たところでは一寸気の利いた家だった。謙作はもう疲れていた。そして、これで充分だと思った。「新しいだけでも気持がいい、間取りもよさそうじゃないか」と信行もいつた。で、二人は山王の大家の家へ寄って借りる事に話を決めた。 大森の停車場へ来ると(院線電車のない頃で)上りは少し間があって、下りが先へ来た。鎌倉へ帰る信行を送りがてら、横浜まで品料理を食いに行く事にして、そして晩(おそ)くなって謙作だけが東京へ帰って来た。五日ほどして、謙作は其処へ引越した。しかしその家は夕方、気忙(きぜわ)しく見て思ったよりは、遥かにいやな家だった。本統の貸家向きに建てた家で、二階で少し烈しく歩くと家が揺れた。そして誰か下の部屋で新聞でも展(ひろ)げていれば、その上にバラバラと音がして天井のごみが落ちて来た。「此方(こっち)へ来てから髪がよごれて仕様がないのよ」。下の部屋にばかりいるお栄はこんな事をいってこぼした。 謙作の気分は幾らか変わった。彼はこの機をはずさず仕事をしようと考えた。尾の道でかかっていた長いものには一寸手がつかなかったから、彼は栄花の事を書く事にした。実際会えばどうだかわからなかった。が、離れていて考えると彼は心から栄花に同情できた。それには、一方不確かな感じもあった。会ってどうだか知れない人間に対し、離れているが為に同情できるのだという事は仕事の上からも面白い事ではなかった。しかし実際会えば、そして第三者よりも何かの意味で近づけば、それでも自分は現在の栄花に対し同情が持てるのかどうか、彼は甚だ心もとなかった。元々書こうと思う動機が同情---お栄が少しも同情なしに何かいったのに対する腹立ちにあっただけにこの事は拘泥しないではいられなかった。彼は或る時栄花に会って見てもいいと思った。しかし妙に億劫な気もし、却々(なかなか)実行はできそうもなかった。 そして彼は自分が栄花に会った場合を想像して見て、栄花がどういう調子で自分に対するか? そうなる前の栄花を知る自分に対し、栄花も多少その頃の気持を呼び起すであろうか。それとも、そう見せかけ、その頃をなつかしむような風を見せ、心は現在を少しも動かない、そう云う荒んだ調子であるか? 何方(どっち)とも想像できた。しかし何れにしろ、彼はそういう絶望的な栄花に矢張り同情できそうに思えた。絶望的な境地から栄花を救う、こういう気持も彼には起った。児殺し、それから数々の何か罪、そういうものを総て懺悔し悔い改めた栄花。が、それを考えて見て、狩りはやはり妙に空ろな栄花しか考えられなかった。もし自分が栄花に会う場合、こういう風に、所謂基督(キリスト)信徒根性で簡単にこんな望みを起すとすれば、それは余り感心できない事だと考えた。本統に一人の人が救われるという事は容易な事ではないと思った。 彼は先年京都で、蝮(まむし)のお政(まさ)という女を見た事がある。それを憶い出した。祇園の八坂神社の下の場末の寄席といったような小屋で自身の一代記を芝居にしていた。それを見物したのではなかったが、夜おそくその前を通ると、入口に頭を綺麗に丸めた女が口上をいっている絵看板が上げてあった。口上には懺悔する意味で自身、一代記を演ずると書いてあった。彼はそれを見てから何気なく其処を立去ろうとすると、中から数人の若い女の声がして、その一番先に立って来たのが、長いマントを着、坊主頭に所謂宗匠(そうしょう)帽を被った、大きな一見男と思われる、---その絵看板を見ていなければ勿論、男と思ったろう、五十余りの蝮のお政であった。絵看板をはずしに来た若い男が、挨拶をすると、お政は一寸顔を上げて点頭(うなず)いた。丁度電燈の下で謙作はその顔をよく見る事ができた。それは気むずかしそうな、非常に憂鬱な顔だった。心が楽しむ事の決してないような顔だった。 彼は蝮のお政については何も知らなかった。長い刑期を神妙にして、そして悔改めた事を認められ、何かの機会に出獄して、そして、今は生活の為に一座を組織し、旅から旅と自身の過去の罪を売り物に、芝居をして廻っている。---これだけの事が考えられるのであった。そしてこれだけでも彼はその時見たお政の顔つきからその心持を察するには十二分だった。それが妙にはっきり映って来た。彼は淋しい、いやな気持になった。彼はお政のした悪い事を知らなかったし、それに何の同情も持てなかったが、それでもそういう悪事を働きつつあった時の心の状態に比し、今が、よりいい状態だとは云えない気がして、変に淋しい不快な気持になった。それは何れもいい状態でないに違いない。しかしお政自身の心として何方がより幸福な状態であるかを想像すると、悪事を働きつつあった頃の生き生きとした張りのある心の上の一種の幸福は今は全く彼女から消え去ったに違いないと思わないわけには行かなかった。そして、その代わりに今何があるか。自身の罪を芝居にして廻っている。それは全く芝居に違いなかった。懺悔でも何でも要するに芝居に違いなかった。しかも見物はそれが当の人物であるところに何らかの実感を期待するだけに一層彼女には苦しい偽善が必要となるに違いなかった。こういう生活が彼女よくする筈はない。そして、一度罪を犯した者は悔改めてからも、仮令(たとい)お政ほど罪に露骨な関係を持った生活をしないまでも、屹度こういう心の不幸に苦しめられないものはないだろうと彼は思った。 お政は脊(せい)の高い男性的な強い顏をした女だった。若い頃は押出しの立派な女だったろうと思われるところがある。謙作は今、栄花の事を書こうと思うと、かって見たその女を憶い出さずにはいなかった。彼は現在の栄花を考え、気の毒なそして息苦しいような感じを持ちながら、しかし所謂悔改めをしてお政のような女になる事を考えると一層それは暗い絶望的な不快な気持がされるのであった。本統の救いがあるならいい。が、真似事の危なっかしい救いに会うくらいならやはり「斃(たお)れてのちやむ」それが栄花らしい、寧ろ自然な事にも考えられるのであった。彼は会いに行く機会を作る事が億劫だったので、そのまま書き出した。或る時彼は山本に会った時、その事を話すと、山本は、「ああ、先日ネ、家内と牡丹(ぼたん)を見に行く時、両国で船に乗ろうとして待っていると路次の口に立って此方を見ているのが、どうも栄花じゃあないかと思った。やはりそうだったのだネ」と云った。実際その路次に栄花の桃奴の家はあったのである。「会って見る興味はないかい?」。「そうだネ、ない事もないが---」。山本は言葉を濁し、乗り気な風を見せなかった。 |
十三 |
謙作は又段々と参り出した。気候も悪かった。湿気の強い南風の烈しく吹くような日には生理的に彼は半病人になっていた。そして生活も亦乱れて来た。彼は栄花の事を書こうとすると、勢い女の罪と云う事を考えなければならなかった。男ではそれほど追って来ない罪の報いが女では何故何時までも執拗につきまとって来るか。或る時、元、栄花のいた辺りを歩き、その本屋の前を通って、彼よりも若いその男が、何時か赤坊(あかんぼう)の父となっているのを見て一寸変な気がした事があった。赤坊を膝に乗せ、ぼんやの店から往来を眺めているその様子は過去にそういう出来事のあつた男とは思えぬほど、気楽に落ち着いて見えた。それはそういう男でも或る時、過去の記憶で心を曇らす事はあるだろう。殺された自身の初子(ういご)、こんな事を憶い出す事もあるだろう。が、それにしろ、それらは皆その男にとって今は純然たる過去の出来事で、その苦しかった記憶も今は段々薄らぎ遠退(の)きつつあるに違いない。 ところが、栄花の場合、それは同じく過去の出来事ではあるが、それは現在の生活とまだ少しも切り離されていないのは、どうした事か。今の生活は寧ろその出来事からの続きである。---こういう事は必ずしも女にかぎった事ではないかも知れない。人の罪から惰性的に自暴自棄な生活を続けている男は幾らもあるだろう。が、女の場合は男の場合に較べて更にそれが絶望的になる傾きがある。元々女は運命に対し、盲目的で、それに惹きずられ易い。それ故周囲は女に対し一層寛大であっていい筈だ。子供の事だからというように、女だからといって赦(ゆる)そうとしてもいい筈だ。ところが周囲は女に対して何故か特に厳格である。厳格なのはまだいいとして、周囲は女が罪の報いから逃れる事を喜ばない。罪の報いとして自滅するのを見て当然な事と考える。何故女の場合特にそうであるか、彼は不思議な気がした。 彼はこんな事を想うにつけ、亡き母はまだしも幸福な女だったと思わないわけに行かなくなった。母の周囲が、もっと愚かな人々で取り巻かれていたら母はもっともっと不幸な女になっていたに違いない。ひいては自分の存在もどうなっていたか分らない。幸いに芝の祖父でも、本郷の父でも、賢い人々だった。自分はこの事だけでも本郷の父へは心から感謝しなければ済まないわけだと考えた。---彼の感情は却々其処まで行かなかったけれども。 彼は栄花の事を書き出した。栄花の事を書くのに彼自身の立場から書くと余りに材料が少なく、あっさりし過ぎるので、彼は栄花自身の立場から、自由に想像を入れて書く事にした。栄花が或る時蝮のお政に会う事を書いてもいいかも知れないと思った。それから、その頃丁度やはり寄席芸人として出ていた、箱屋殺しの花井お梅という女を見る事なども書いていいかも知れないと考えた。謙作は実際或る時高座にその女を見て、惨めな、不快な感じを受けた事がある。寧ろ罪を罪のままに押し通している女の心の張り、その方に彼は遥かに同感が起るのであった。彼はこれまで女の心持になって、書いた事はなかった。その手慣れない事も一つの困難だったが、北海道へ行くあたりから先が、如何にも作り物らしく、書いて行く内に段々自分でも気に入らなくなって来た。 そして、彼は何という事なし気持の上からも、肉体の上からも弱って来た。心が妙に淋しくなって行った。彼が尾の道で自分の出生に就いて信行から手紙を貰った、その時の驚き、そして参り方はかなりに烈しかったが、それだけにそれをはね退けよう、起き上がろうとする心の緊張は一層強く感じられた。しかしその緊張の去った今になって、丁度朽ち腐れた土台の木に地面の湿気が自然に浸み込んで行くように、変な淋しさが今ジメジメと彼の心へ浸み込んで来るのをどうする事もできなかった。理屈ではどうする事もできない淋しさだった。彼は自分のこれからやらねばならぬ仕事---人類全体の幸福に繋がりのある仕事---人類の進むべき路へ目標を置いて行く仕事---それが芸術家の仕事であると思っている。---そんな事に殊更頭を向けたが、弾力を失った彼の心はそれで少しも引き立とうとはしなかった。只下へ下へ引き込まれて行く。「心の貧しき者は福(さいわい)なり」。貧しきという意味が今の自分のような気持をいうなら余りに残酷な言葉だと彼は思った。須磨の心の状態が自身これでいいのだ、これが福になるのだとはどうして思えようと彼は考えた。もし今一人の牧師が自分の前へ来て、「心の貧しき者は福なり」といったら自分はいきなりその頬を撲(なぐ)りつけるだろうと考えた。心貧しい事ほど、惨めな状態があろうかと思った。実際彼の場合は淋しいとか苦しいとか、悲しいとかいうのでは足りなかった。心が只無闇と貧しくなった---心の貧乏人、心で貧乏する---これほど惨めな事があろうかと彼は考えた。 これは確かに生理的にも来ていた。尾の道にいた頃、既に彼はそうなりかけていた。其処に自身の出生に就いて知った。この事はしかし一時的に彼の心を緊張させる上に却って有効な刺激となった。が、その刺激がなくなり緊張が去ると其処には一層悪いものが残された。これなしにさえ弱って行きつつあった彼の心はその為め不意に最も悪い状態まで沈められて了った。 信行は時々彼を訪ねて来た。彼の方も近頃は今までになく信行に親しみを感ずるようになった。そして彼は信行から色々禅の話を聴く事を喜んだ。ぐてい一指頭の禅とか、南泉猫児(なんせんびょうじ)を斬る話とか、石革(いしかく)の毒箭(どくせん)を向ける話とか、船子和尚(せんすおしょう)とかっ山(かっさん)の話とか、徳山(とくさん)が竜たんの処で悟る話とか、それから百杖(ひやくじょう)、い山(いさん)、黄檗(おうばく)、睦州(ぼくしゅう)、臨済(りんざい)、普化(ふけ)、そういう連中の色々な話など、総てが、現在の謙作には理想的な心の境地であった。「何々、こつ然大悟(たいご)す」。其処へ来ると彼はよく泣きそうになった。殊に徳山托鉢(たくはつ)という話などでは彼は本統に泣き出して了った。その話が彼の貧しい心に心の糧(かて)として響くからばかりでなく、一方それの持つ一種の芸術味が、烈しく彼の心を動かした。 彼がそういう話に腹から感動するのを見ると信行は遠慮しながら、鎌倉へ来る事を勧める事もあった。しかしそうなると謙作は素直になれない方だった。師につくという事が、いやだった。禅学は悪くなかった。が、悟り済ましたような高慢な顔をした今の禅坊主につく事は閉口だった。もし行くなら、まだ行った事はないが、高野山とか、叡山(えいざん)の横川(よかわ)あたりに行きたい、そう彼は考えた。彼は四十枚近く書いて又行き詰って了った。今のような気持で、内の力を外へ働きかける、書くというような仕事のうまく行く筈はなかった。 無為な。しかし彼には息苦しい淋しい日が何週間か経って、或る日の事である。それは蒸し暑い風の吹くいやな日だった。彼は昼の食事を済ますと急に気が重くなり、何をするのも億劫なような気持で、茶の間に寝ころんで其処にあった翻訳小説を読み続ける気もなしに二三頁(ページ)読んでいた。 「それはそうと由を博覧会へやるのは何日がいいでしょう」。南洋館というので土人の踊りがある。宮本が喜んでよくそれを見に行くという、そうその朝、枡本という友達からの便りがあった。それを憶い出して、彼は傍で針仕事をしていたお栄に話しかけた。「何日でもかまいませんよ。一人でやるんですか、それとも誰か連れて行ってやるの?」。「一人で行けるでしょう」。こういいながら彼は直ぐ「少し無理かな」と考えたそして何日やろうかと考えると、それは却々決められない、何かしらむずかしい事のように彼には思われるのだ。これは前からもあったが、近頃になって段々烈しくなつた一つの癖である。決めて了うと何か其処に困る事が起りそうに思われるのである。何の根拠もない単に自身の心の病気から来ている事と承知しながら、それで却々彼には超越して考えられなかった。いつそ、これから自分で連れて行ってやってもいい、と彼は考えた。それを云うと、お栄は、「でも、今日は信さんがお見えになる筈じゃないんですか」と云った。「この前来た時そんな事をいってたような気がするんですがね。或いは僕だけそう思ってるのかも知れない」。こういいながら、今日由を連れて行かずに済む事を何かしらほっとするような気持で彼は感ずるのである。 三時になった。三時七分に横須賀からの汽車が着く。来ればそれだ。それで来なければ今日はもう来ない。そう思って彼は何となく落ち着かない心持でその辺りまで出て見る事にした。一重羽織を着て、時計を帯へ巻くと、財布も懐へ入れた。信行に会えば否応なしその日の行動は決まるが、もし来ないとすると、それから先がどうなるか自身でも全でわからなかった。しかし実は漠然とした心持はあった。が、それをそうとはっきりさすと、同時に厭になる近頃の癖から、一方、はっきりしている事すら、はっきりさせないでおくようになっていた。 「ちょっと出ます。めし迄には大概帰ります。信さんに会えば一緒に直ぐ帰って来ます」。そういって家を出た。信行には会わなかった。あてにしていた列車は鹿島谷(かしまだに)と云う処を歩いている時に姿は見えなかったが、烈しい地響きだけを残して東京の方へ走って行った。大森の停車場へ来たが新橋行までは尚三十分ほどあった。彼は品川行の電車の方へ廻った。間もなく電車は来た。彼は懐から西鶴の小さい本を出して本朝(ほんちょう)二十不孝の仕舞いの一節から読みだした。彼は二三日前お栄から日本の小説家では何という人が偉いんですか、と訊かれた時、西鶴という人ですと答えた。そういったのは、丁度その前読んだ二十不孝の最初の二つに彼は悉(ことごと)く感服していたからであった。それは余りにと云うほど徹底していた。病的という方が本統かも知れない。彼はもし自分が書くとすれば、ああ無反省に残酷な気持を押し通して行く事は如何に作り物としてもできないと考えた。親不孝の条件になる事を並べ立てて書く事はできるとしても、それをあの強いリズムで一貫さす事は却々できる事ではないと思った。---弱々しい反省や無益な困惑に絶えず苦しめられている今の彼がそう思うのは無理なかった。で、実際西鶴には変な図太さがある。それが、今の彼には羨ましかった。自身そういう気持になれたら、如何にこの世が楽になる事かと思われるのであった。 彼は仕舞いから見て行くと、どれも最初の二つとは較べ物にならなかった。品川で市の電車に乗り換えると、もう読むのも少し面倒臭くなった。彼は只ぼんやりと車中の人々の顔を見ていたが、その内不図前にかけている人の顔が、写楽の眼に映ったような一種のグロデスクな面白みを持って、彼の眼に映って来た。 薩摩原の乗換へ来ると、本郷の家へ行って見ようかしらという気がちょっと起った。暫く会わない咲子や妙子に会いたい気が急にしたのである。しかし父がいるかも知れないし、それに咲子とでも気持がしっくり行きそうもない気が直ぐして来ると、彼は矢張りそのまま乗り越して了った。宮本か枡本かの家へ行ってもいいと思うが、妙にいそうもなき、仮にいても今の気分で行けば、屹度気まずい事をするん、云うかしそうで彼は気が進まなくなる。気まずい事を避けようと気持ちを緊張さすだけを考えてもつらくなるのであった。打克てない惨めな気持ちを隠しながら人と会っている苦しみ、そしてへとへとに疲れて逃れ出て来る憐れな自分、それを想うと、何処へも行く処はないような気がするのであった。結局只一つ、彼が家を出る時から漠然頭にあった、悪い場所だけが気軽に彼の為に戸を開いている、そう思われるのだ。彼の足は自然その方に向かうのである。 そして彼は同じ電車の誰よりも自身を惨めな人間に思わないではいられなかった。とにかく、彼らの血は循環し、眼にも光を持っている。が、自分はどうだろう。自分の血は今はっきり脈を打って流れている血とは思えなかった。生温(なまぬる)く、只だらだらと流れ廻る、そして眼は死んだ魚のよう、何の光もなく、白くうじゃじゃけている、そんな感じが自分ながらした。 |
十四 |
小さい女は髪結いの処で丁度解いたところを呼ばれたのだと云って、その沢山ある髪の毛を紅い球(たま)のついた髪差(かんざし)で襟首の上に軽く留めておいた。「朝鮮の女のようでしょう?」。こんな事を云って横を向いて見せたりした。戸外はまだ明るかったが、天井の電燈がひとりでについた。風の音がして、それで部屋の中は甚(ひど)く蒸し/\している。小さい女は彼に早く帰って貰いたいように如何にも落ち着かない様子をしながら、何かしら絶えず饒舌(しやべ)っていた。彼は起ち上った。そして部屋を出ようとすると、小さい女は「失敬」と云って手を挙げた。彼もちょっと手を挙げて、一人先に段々を降りて来た。そして出ようとすると、彼は其処に若い女が坐っているのを見た。美しい女だった。何処か感じのいい処があると彼は思った。 戸外へ出た。そして電車路(みち)の方へ歩きながら、今からならやお栄に云って来たように、明るいうちに帰れそうだと思った。それはそうと、何故あの女はあんな処に坐っていたろう。客が来ていてあんな処にいるのも変だと思った。この次行けば、あの女を自分は望むだろう、と彼は思った。どんな人でしたと訊かれる。その時どう云えばいいか。云うような事は何もない。実際何の特徴らしい特徴も自分は見ていなかった。俺が帰る時、下に坐っていた女だ。美しい女だ。せいは? それは分からない。肥っていましたか? 瘠せた方ではなかった。こんな事で結局要領を得そうもない。 彼はこりのの電車に乗って了うのが惜しい気がした。今の小さい女がまだいるかも知れない。或いは近所で会うかも知れない。「忘れ物をした」。こういえばいい。そう思って彼は又、前の家へ引き返して行った。彼は格子(こうし)の中に立って女中と話した。「今、其処に居たのはお客さんで来ているのか?」。女中にはこれだけで通じた。「今、上に一人呼んでいるんです。直ぐですから、お上りなさい」。「俺を先にしないか」。女中は顔をしかめて見せた。そして又、「直ぐです」と云った。彼は下駄を脱いだ。次の間を通る時、その襖のかげに今の会話を聴いていた女が隠れるようにして立っていた。彼は見ないようにして二階へ上って行った。が、上ると直ぐやはり後は困ると思って、彼は手を叩いて女中を呼んだ。隣りにはその客というのずいるので彼は小声で云った。「隣りは別の奴を呼べばいいじゃないか」。「いいえ名指しなんです。それに先刻顔をみちゃったんです」。「困るな」。彼は気むずかしい顔つきをして黙って了った。 彼は別に根拠もなしにさの女をおとなしい、素人臭い、善良な女と云う風に何時か心で決めて了っていた。隣りから一人の女が出て行った。間もなくその女がその部屋に入って行った。彼はじっとしていられない気持になった。そして又手を叩いた。女中は入って来て、彼が何も云わない先に、「今入ったところです。直ぐです」と、なだめ顔に云った。彼は、「硯(すずり)を貸してくれ」と云った。懐から白紙を出し、それをちやぶ台の上に延べて彼は下腹に力を入れて習字を始めた。慈眼視衆生(じげんししゅじょう)、福聚海(ふくじゅかい)無量、こんな文句を書いた。が、こんな文句をこんな場所で書くのは勿体ない気がしてそれは直ぐやめたが、とにかく彼は隣りを頭に浮かべたくなかったのである。 女が入って来た。笑い顔をした。いやな顔ではなかったが、彼が勝手に決めていた顏とは大分異っていた。「ありがとう」。少し斜めに向いて膝を突き、彼の顔を見ながら高いお辞儀をした。それが如何にも只のプロスティチュートだった。先刻の神妙らしい様子とは別人だった。「何時から出ているんだ」。「二カ月ほど前から」。女はあやふやな調子で答えた。「お前ははたちだろう?」。「十九よ」。「本統か?」。「本統。ほんまどっせ」。彼は女を膝へ抱き上げてやった。女は自由になっていた。そして物憂げそうに首を傾け、彼の肩へその頬を押当て、休んでいた。「俺と一緒に何処かへ行く気はないか?」。「何処へ?」。「遠くへだ」。「連れてって下さい」。「俺は笑談(じょうだん)で云っているんじやないよ」。「私だって笑談じゃないよ」。女は頬をつけ、眼を閉じたまま、だるそうに云った。彼は肩を揺すり、「オイ」と起してやると、女も、「オイ」と眼を開きざま、彼の鼻先でその二重になった白い顎を突き出した。 「貴様は俺が出鱈目を云っていると思っているな。馬鹿な奴らしいから、解るまいな」。「馬鹿だから解らない」。女は彼の膝に腰かけたまま恥ずかし気もなく、科の顔を上から凝然と見下ろしていた。女は少し本気になり出した。実は半年ばかり前から出ている事、自家は深川で、母と姉だけだが、母は姉夫婦が見る事になっているから自分は只、それを助けるだけでいいのだというような話をした。「姉さんの御亭主は何をしているんだ」。女は暫く黙っていたが、「納豆屋」といつて笑い出した。うそか本統かはっきりしなかった。女は今居る家に、70円ばかり借金をしているが、それさえ返して貰えば、何処へでも行けるのだと云った。女は何故か時々京都訛(なま)りを真似た。「きったいな事を云いなはる」などいつた。「奇体」と「結体」を混同していると彼は思った。「京都は好きか」。女は乗り気らしい返事をした。 何もはっきりした話はせず、間もなく彼は其処を出て、真直ぐに自家へ帰って来た。そして翌日になり、夕方になると、又彼は前日と同じような気持で、妙落ち着いていられなくなった。彼は用意のできかけた食事を待つ間も苦しいような気持で家を飛び出した。鎌倉の信行は今日も来なかった。屹度素通りをして本郷の家へ往ったのだと思うと、ちょっと不愉快な気分に被(おお)われた。軽蔑されたような気がした。ひがみだとは知っていた。が、そう思っても何だか彼は愉快でなかった。彼は前から総ての人が自分に悪意を持っている、こう感ずる事がよくあった。しかし、それは本統はひがみで何の根拠もないものだと打消してはいたのだが、今自分の出生を知り、それをもし却って皆が前から知っていたとしたら、皆は自分の背後に何時も何か醜い亡霊を見、それに顔を背向ける気持ちを持っていたのではなかろうか、そう今更に彼には想い起されるのであった。皆のその気持が自分に反映する。自分は知らず知らずに意固地な気持を又皆へ投げ返す。ひそして人々から更に何かしら悪意らしいものを感ずる。こんな事ではなかったか。 実際近頃の彼にとって接するもの総てが屈辱の種でないものはなかった。何故そうか、そう思っても自分では分からなかった。只、彼はもの皆がそう云う風に感ぜられるのであった。彼にとっては、根こそぎ、現在の四囲から脱け出る。これより道はない気がするのだ。二重人格者が不意に人格が変って了う、そのように自分も全く別の人間になる。どんなに物事が楽になる事か。今までの自分、---時任謙作、そんな人間を知らない自分、そうなりたかった。 そして、今まで呼吸していたとは全く別の世界、何処か大きな山の麓の百姓の仲間、何も知らない百姓、しかも自分がその仲間はずれなら一層いい。其処で或る平凡な醜い、そして忠実なあばたのある女を妻として暮らす、如何に安気な事か、彼は前日の女を想って少し美し過ぎると思った。しかしあの女がもし罪深い女で、それを心から苦しんでいるような女だったら、どんなにいいか。互に惨めな人間として薄暗い中に謙遜な心持で静かに一生を送る。笑う奴、憐れむ奴、などがあるにしても、自分達は最初からそういう仮令(たとい)笑っても憐れんでも、それは決して自分達の処までは聴えて来ない。自分達は誰にも知られずに一生を終って了う。如何にいいか---。 汽車で新橋へ着くと、とにかく彼は自働電話に入った。前日枡本からの手紙で、「一昨日三越の前で宮本に会って、君が郊外に引き移った事を始めて聞いた。近くお訪ねしたいが、いい日を知らして貰いたい」こう書いてあった。それを憶い出し、枡本を訪ねて見てもいいと思ったのであるが、ベルを鳴らすと、もう彼は迷い出した。幸い交換手が直ぐ出なかったので、彼はそのまま受話器をかけて出て了った。銀座に夜店あきうどの出始める頃だった。彼は夜店のない側の人道を京橋の方へ歩いて行った。できるだけしっかりした足取りで歩こう。彼は下腹に力を入れて、口を堅く結んでみた。そして毎時のように、きょろきょろせずに穏やかな眼で行く手を真直ぐに見て歩こう、そう思った。松が叫び、草が啼(な)いている高原の薄暮を一人、すうっと進んで行く、そうありたかった。現在銀座を歩きながら、そう云う気持で居たかった。多少そんな気持がしないでもなかった。これは何でも寒山詩(かんざんし)か何かにあるのだと信行から聞いた。今の彼には実に理想的な心の境地であった。寒山詩を買おう。日本橋へ行くまでに二三軒漢籍を売る家があった筈だと思う。 間もなく彼は彼より五つほど年上の旧い友達が若い細君らしい女と一緒に彼方(むこう)から来るのを見た。そういえばもう少し前にも彼は彼より年下の知人が肉附きのいい矢張り細君らしい若い人と往来の向側(むこうがわ)を歩いていたのを知っていた事を今更に心附いた。二間ほどの近さに来て友は漸く気がついた。両方で立止った。「僕は今、我善坊(がぜんぼう)の***番地に居る。夜は何時でも居る。遊びに来給え」と云った。彼は素より行く気はなかった。しかし我善坊と云うとどの辺りだったかなと考えた。知っているようで思い出せなかった。あれは狸穴(まみあな)だったかな、など心で迷った。そして、「我善坊というと、どの辺りだっけ」。こう云おうとしたら、「我」を「がん」と云いかけて、ドギマギして了った。「芋洗坂(いもあらいざか)の下だったかネ」。こんな事をいった。「まるで異うさ」。後ろにいた細君が何か注意すると、「ああ電話を教えておこう。芝の三千七百四十六だ」と云った。「とても覚えられない」。「ミナヨムと覚えておき給え。いつでも夜は居るよ」。別れる時細君は叮嚀にお辞儀をした。その時彼は何処かで見た事のある人だと思ったが、憶い出せなかった。彼はちょつと気持ちを乱された。こんな事では駄目だと思った。 松山書店と書家の書いた看板をあげている古本屋へ来た。顔真卿(がんしんけい)の千字文の楷書(かいしょ)があった。しかし余り上等でないので、彼はそれから、両側の高い書棚を叮嚀に見て廻った。聞いたことのあるような、ないような本が一杯につまっていた。一休何とか双紙という紙切れを見て、一休の随筆のようなものかと思って下ろして見たが、それは柳下亭種員(りゅうかていたねかず)の戯作(げさく)だった。「寒山詩はないかい」。「丁度持ち合わしませんでしたな」。「宗門葛藤集(しゅうもんかっとうしゅう)は?」。「へえ、それも生憎持ち合わしませんでした」。丸善の前へ来た。店を仕舞って、小僧たちが横手の口から帰るところだった。飾り窓には埃及(エジプト)模様をつけた悪趣味の書棚が飾ってあった。青木嵩山堂(すうざんどう)という本屋に来る。その前に小林嵩山堂という、やはり旧い本屋があった筈だがと思ったが、見落したのか、もうなくなったのか気がつかなかった。彼は青木嵩山堂で李白の小さい詩集を買った。十年ほど前にも同じ本をこの店で買った事がある。しかしあの本などは何処へ行って了ったろうと考えた。 腹は空いてもすなかったが、食事をするなら、この辺りがいいように思い、彼は魚河岸(うえがし)の中へ入って行った。顔馴染みのある怠け者のすし屋が珍しく屋台を出していたが、彼はその前を素通りにして、先の天ぷら屋へ行った。彼はすし屋がその前を素通りにする自分を怒って、どうかしはしまいかという不安をちょっと感じた。そして、暫くして天ぷら屋を出る時にも、其処にすし屋が待伏せしていて自分を袋叩きにしはしまいかという愚にもつかぬ不安を感じた。自分ながら馬鹿気た不安と気がついたが。それから橋を二つ渡って、彼は右へ折れて行った。前日彼は其処を少し行った処の時計屋で、多分プラチナだろうと思う時計を見て、ちょっと欲しい気を起した。百九十円という札がついていた。彼はそれをもう一度見て、もし今日も欲しい気がしたら、買ってもいいと考えた。三カ月ほど貧乏暮らしで我慢すればいいのだと思った。が、今日見ると前日ほど欲しい気はしなかった。それはちょっと淋しい気持でもあった。五六年前までは欲しいと思い出すと、例えば浮世絵のようなものでも、手に入れるまでは気になって仕方ない方だったが、段々に近頃は一つ物に妙に執着が感じられなくなった。物を欲しいと思う、前日既にそれを珍しい事だと思っていたが、案の定、今日はもうそんな気がしなくなっている。これは彼にはやはり淋しい事だった。が、同時に貧乏せずに済んで却ってよかったとも思った。 彼は尚暫く、その飾り窓をガラス越しに眺めていた。その内ふと、店の者が自分を泥棒と思いはしまいかという気がした。彼はちょっと顔の赤くなるのを感じた。そして歩き出した。前日の家へ来た。下の部屋では、三味線を弾いて騒いでいた。彼は二階へ上(あが)ると、「昨日の人を呼んでくれないか」と云った。女中は降りて行った。彼は本屋で包んでくれた李白の詩集をほどいて見始めたが、「昨日の人」だけでは不充分だったと気がついた。手を叩くと異う女中が登(あが)って来た。「昨日の後の人だ」。女中もそれを呼びに行ったのだと云った。彼は安心したが、家にいればいいがと、ちょっと不安な気もした。 詩集の初めに伝記が二つついていた。それは現在の彼には実に理想的に思える生活だった。が、余りに性格が異なっている。---階下の騒ぎが八釜しい。尤も「白猶与飲徒酔於市」(はくなおいんといちによう)。こんな事が書いてある。李白ならこんな中でも平気に自分だけの世界にして呼吸していたろうと思う。「嚢中(のうちゅう)自(おの)ずから銭あり」。こんな事をいって酒屋で仰向けになっている李白を杜甫か誰かがうたっているのを想い出す。李白が酒好きだった事は鬼に金棒に違いなかった。しかし六十余歳で死んだのは酒の為であるところを見ると、酒から来る不快もあったにはあったろう、など考える。彼は酒はどうしても好きになれなかった。それ故その鉄棒は別に羨ましくも感じなかった。---女は却々(なかなか)来ない。 雑に本文(ほんもん)を見る。「荘周夢胡蝶。胡蝶為荘周」(そうしゅうこちょうをゆめむ。こちょうそうしゅうとなる)。何という事なし、こんな句が彼の心を惹いた。漸く女が来た。前日とは大分異った印象を彼は受けた。前日ほど女のいい処が彼に映って来なかった。何か表情をするとやはり美しかった。笑う時八重歯の見えるのが妙に誘惑的だった。しかし済ましていると、如何にも平々凡々だった。多少裏切られたような心持で彼は一切前日の話は持ち出さなかった。女も忘れたように云わなかった。彼はしかし、女のふっくらとした重みのある乳房を柔らかく握って見て、云いようのない快感を感じた。それは何か値打ちのあるものに触れている感じだった。軽く揺すると、気持ちのいい重さが掌(てのひら)に感ぜられる。それを何と云い現わしていいか分からなかった。「豊年だ!豊年だ!」と云った。そう云いながら、彼は幾度となくそれを揺す振った。何か知れなかった。が、とにかくそれは彼の空虚を満たしてくれる、何かしら唯一の貴重な物、その象徴として彼には感ぜられるのであった。 |
(私論.私見)