前編第1の1(1から5) |
更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.7.16日
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【暗夜行路前編第一の一から五】 |
第一 |
一 |
時任謙作(ときとうけんさく)の阪口に対する段々に積もって行った不快も阪口の今度の小説で到頭(とぅとぅ)結論に達したと思うと、彼は腹立たしい中(うち)にも清々(すがすが)しい気持ちになった。そして彼はその読み終った雑誌を枕元へ置くのも穢(けが)らわしいような気持で、夜着(よぎ)の裾の方へ抛(ほぅ)って、電気を消した。三時近かった。 彼は矢張り興奮していた。頭も身体(からだ)も芯は疲れていながら中々眠る事ができなかった。彼は頭を転換さす為に何か気楽な読物を見ながらる睡(ね)むくなるのを待とうと考えた。が、そう云う本は大概お栄の部屋へ持って行ってあった。彼は一寸(ちょっと)拘泥(こうでい)したが、拘泥するだけ変だとも思い返して、再び電気をつけて二階を降りて行った。襖(ふすま)の外で、「一寸本を貰いに来ました」と声をかけて、「塚原卜伝は戸棚ですか」と云った。お栄は枕元の電燈(でんとう)をつけた。「床の間か、茶箪笥の上ですよ。まだ起きていたの?」。「眠れなくなったんで、見ながら眠るんです」。謙作は茶箪笥の上から小さい講談本を持って、「明日(みょうにち)」と云ってその部屋を出た。「ご機嫌よう」。こう云って、お栄は謙作が襖を締めるのを待って電燈を消した。 謙作はその気楽な講談本を読みながら、朝露のような湿り気を持った雀の快活な啼(な)き声を戸外に聴いた。翌日(あくるひ)はどんより曇った秋の日だ。午(ひる)過ぎて一時頃、彼はお栄の声で眼を覚(さ)ました。「竜岡(たつおか)さんと阪口さん」。彼は返事をしなかった。返事をするのがもの憂(う)くもあった。が、それよりも今日阪口に会うと云う事がまだはっきりしない彼の頭では甚(ひど)くこんぐらかった問題であった。「あちらへお通ししてよ。直(す)ぐ起きてくださいよ」。こう云って出て行くのを、「阪口だけ断って下さい」と彼は云った。「どうして?」。お栄は驚いたように振り返り、両手を襖に掛けたまま、立っていた。「じゃあ、よろしい。二人共通して置いて下さい。直ぐ行きます」。 謙作をそれ程に不愉快にした坂口の小説というのは、或る主人公がその家(うち)にいる十五六の女中と関係して、その女にできた赤子を堕胎する事を書いたものであった。謙作はそれを多分事実だと思った。そしてその事実も彼には不愉快だったが、それをする主人公の気持ちが如何にも不真面目(ふまじめ)なのに腹を立てた。事実は不愉快でも、主人公の気持ちに同情できる場合は赦(ゆる)せるが、阪口の場合は書く動機、態度、総てが謙作には如何にも不真面目に映った。尚(なお)その上にそれに出て来る主人公の友達と云うのはどうしても自分をモデルにしているとしか彼には考えられなかった。その友達に対する主人公の気持ちが彼を怒らせた。 主人公はその女が余りに子供らしく無邪気な為に誰からも疑われないのを利用して、平気で友達の前でその女をからかったり、いじめたりする事を書いていた。お人好しで、何も気がつかずにいる友達がそれを切(しき)りに心で同情している。主人公は尚皮肉にそれを見抜きながら、多少苛々(いらいら)もして、その女を泣かす事などが書いてあった。 謙作はその女中を実際嫌いではなかった。如何にも無邪気で人が良さそうな点を可愛く思った仔ともる。しかし阪口がこれと唯(ただ)の関係で居そうもない事は大概察していた。それが阪口の小説では何も知らぬ友達が心密(ひそ)かにその女を恋しているように書いてあった。そして主人公は腹に、動(やや)ともすると起って来る嘲笑(ちょうしょう)を抑え、それを冷ややかに傍観している事が書いてあった。主人公が他人(ひと)の心を隅から隅まで見抜いたような、とかも、それが如何にも得意らしい主人公の気持ちが謙作をむかむかさせた。 しかしそれにしても何故(なぜ)今日訪ねて来たか。その雑誌が出てからもう1週間になる。その間何か自分から烈(はげ)しい抗議の手紙でも来そうに思いながら、中々来ない。その不安に却って脅迫されて出て来たのではないかしら。それとももっと性(たち)の悪い偽善者根性から、太々(ふてぶて)しい面構(つらがま)えを自分に見せるつもりで来たのかも知れないと謙作は疑った。もしかしたら手っ取り早く、面と向かって思いきり云ってやってもいいと考えた。 謙作の考えは段々誇張されて行った。彼は顔を洗いながらこんな考えで興奮した。茶の間で着物を着かえていると、座敷の方から二人のしている話し声が聴こえて来た。二人は如何にも呑気な調子で話していた。謙作は何だか自分だけが鯱(しゃち)張(こば)っているような変な気がした。皆(みんな)が平気でいる中に一人怒っている自分が狐につままれたように馬鹿気(げ)ても見えた。そして彼は一人不愉快を感じた。「昨晩は遅かったって?」。彼が座敷へ入ると、竜岡が気の毒したと云う気持を現わして云った。「もう起きる頃だったのだ」。 阪口はお栄が出して置いたその日の新聞を見ながら何気ない顔をしていた。謙作は坂口が今自分が想像していたような気持で来たのではないない事を知った。例のだらなさなさからずるずると竜岡に誘われて来たに違いなかった。ひそれでも彼は、「君達は何処で会ったんだ」と念の為に竜岡に訊いて見た。「僕が連れ出したのさ」と竜岡は答えた。そして「此奴(こいつ)今度の小説見たかい?」と竜岡は特に「此奴」と云う言葉で一面或る親しみをも含んだ軽蔑の流し眼を坂口へ向けながら云った。謙作は返事をしなかった。「いやな小説だ。それもいいが、中に出て來る気の利かない友達は僕をモデルにして書いているのだ。昨日見てすっかり腹を立てて、今朝起きぬけに出掛けて、怒ってやったところだ」。 阪口は新聞から眼を放さず、にやにや笑っていた。竜岡は一人云い続けた。「大部分空想だと云うが、怪しいものだ。阪口のやりそうな事だ」。阪口はこんなに云われても別に不愉快な顔もしなかった。彼の腹は解らなかった。しかし彼の行為の上の趣味から云って、こんなに云われながら只にやにやしている事は確かに彼自身気に入っているに違いなかった。そういうところに優越を彼は閉めそうとしている。又一つは竜岡が全然異(ちが)う仕事をしているところからも、その余裕を持てるらしかった。竜岡はその年工科大学を出て発動機の研究の為め近く仏蘭西(ふらんす)へ行くつもりでいる。「他人の気持ちを見透かしたような書き振りが一番不愉快だと云ってやったんだよ。たまには当たる事もあるが、人間の気持ちは直ぐ動いているから、次の瞬間にはもうそれを反省しているし、或る場合、同時に反対した二つの気持ちを持っている事もある。ところが阪口の書く物では主人公に都合のいい気持ちだけ見られて、不都合な方には全(まる)で色盲なんだ」。「もう解ったよ。何遍繰り返したって同じ事だよ」。竜岡は謙作の方を向いて多少神経的に笑った。「しつっこい奴だ」と阪口が独語(ひとりごと)のように云った。「ええ?」。竜岡もむっとして云った。「このくらいの事を云われて君に腹を立つ資格はないよ。腹を立つなら、もっと幾らでも云うよ。君は一トかど悪者がっているが、悪者としてちっともなってないじゃないか。書いたものでは相当悪者らしいが、要するに安っぽい偽善者だ。---堕胎が何だい」。竜岡はつっぱなすように云った。彼は今でも快活らしくはしていたが、その実阪口のにやにやした態度に不愉快を感じているらしかった。そして、それを破裂さした。竜岡は小柄な阪口に較べては倍もあるような大男で、その上柔道三段であった。そう云う点からも阪口はすっかり圧迫されて了った。 謙作は先刻(さっき)から坂口に対する自分の態度をどう決めていいかわからないでいる内に竜岡がこんな風にやって了ったので、その白けた一座をどうしていいか分からなかった。そのまま三人は黙っていた。「船は決まったのかい?」。少時(しばらく)して謙作が沈黙を破った。「十一月十二日の船にした」。「支度はもうできたのかい」。「別に大した支度もないからネ。---それはそうと、浮世絵を少し買って行きたいと思うんだが、何時(いつ)か一緒に見に行って貰えないかな。どうせそう高い物は買えないが、彼方(むこう)で世話になる人の贈り物にしようと思うんだ」。「此方(こっち)もよくは解らないが、何時でもいい。行こう。しかしこの頃は随分高くなったらしいよ。前の相場を知っていると買う気がしないそうだ。もしかすると巴里(バリ)で買う方が安い物があるかも知れないよ」。「そいつは困るな。何か別の物にするかな」。「榛原(はいばら)の千代紙でも持って行っちゃ、どうだい。生じっかな浮世絵より子供のある家なんかは喜ぶだろう」。 謙作は阪口の気押されたような様子を見ると気の毒な気もしたが、あの作中の友達が竜岡の云うように竜岡をモデルにしたものとは思えなかった。成るほど書かれた場面は大概自分の知らぬ場面であった。けれどもその性格は阪口の眼に映った自分をモデルにしているとしか思われなかった。実際阪口が竜岡にそう云うかどうかは分からないが、「場面は成るほど君との場面を借りた。しかし性格がまるで異うじやないか」。こんなことを云いそうな気が謙作にはした。謙作はこれは阪口の狡(ずる)いやり方だと思った。もし自分が性格だけは僕をモデルにしたに違いないと掛け合って行けば、それは同時に自身の性格をその作中の下らない人物のそれに近いものと認めることになる。むしろ書かれた場面が実際自分との間にあった事ならば却って怒りいい。しかし性格だけを自分に取ったろうとは云いにくかった。そりほどに下らない人物に書いている。 竜岡が怒れば君をあんな性格の人間とは誰が思うものかと云い、自分が怒れば、君はああ云う性格の人間と自分で思っているのだねと云いかねない。ここに阪口の変な得意がありそうに思うと謙作は尚腹が立った。今の謙作は阪口に対しては極端に邪推深くなっていた。前に彼を信じていただけに、それを裏切られた今は、事々にこう云う邪推が浮かぶのであった。殊に愛子との事以来、それは甚だ面白くない傾向だと知りつつも、彼は妙に他人が信じられなくなった。今も前夜からの坂口に対する気持ちを考えて、竜岡が彼自身だけがモデルにされたように怒っているのを見てさえ或る疑いを持つのであった。 竜岡には昔気質(かたぎ)がある。もしかしたら作中の友達が同時に謙作をもモデルにして書かれてある事を承知の上で、故意(わざ)と自身だけがモデルかのように云って、阪口をやっつけたのではあるまいかと、謙作は思った。竜岡はそうする事で一方阪口を懲(こ)らし、他方で、二人の間を多少でも気まずくなくして日本を去りたいと思っているのではあるまいか。それでなければ阪口をわざわざ連れ出して来て、自分の前でこれ程にやっつけることが普段の彼の気質としては少し不自然に考えられた。竜岡には短気な性質もあった。しかし自分だけの問題に第三者のいる前であれ程に露骨に云う彼とも思えなかった。謙作には其処(そこ)に何か彼の昔気質から出た思惑がありそうにも思われた。 |
二 |
新開地のような泥濘(ぬかるみ)路(みち)に下品な強い光がさしている。両側の家々からは鮮やかな、しかし神経を疲らしている者は、その為め吐き気を催すかも知れないほど、あくどい色の着物を着た女達が往来を通る男に呼びかけている。それは憐憫(れんぴん)を乞うようにも、罵(ののし)るようにも聴きなされる叫び声であった。竜岡と謙作とはもうすっかり圧倒されて了った。二人は並んで往来の中ほどを真っ直ぐに急ぎ足で歩いていたが、それでも竜岡は小声で、「中々綺麗な女が居るネ」などと云った。 その日三人が赤坂福吉町の謙作の家を出たのは四時頃だった。気不味(きまず)い感情を脱(ぬ)け出せずにいる阪口は直ぐ二人と別れたがったが、竜岡は却々(なかなか)彼を離そうとしなかった。竜岡にはこのまま別れて了うのは如何にも寝覚めが悪いらしかった。彼は自身が余りに云い過ぎた事を多少悔いている風だった。そして三人は竜岡の千代紙を買うつきあいをして日本橋の方へ行ったのである。 木原店(だな)の或る料理屋で食事をした。謙作は殆(ほとん)ど飲めない方だったが、そこを出た時には他の二人はかなりに酔っていた。竜岡が突然、これから吉原見物に行きたいと云い出した。西洋へ行く前に見た事のない吉原を一度見て行きたいと云うのだ。「謙作、いいだろう? 只見物だけだ」。彼は気兼ねをしながら謙作を顧みた。謙作もまだそう云う場所を知らなかった。彼は不愛想に生返事をしたものの、心ではかなり拘泥した、そう云う場所には決して足を踏み入れまいと云う程の気はなかった。何方(どっち)かと云えば多少の興味もあった。それ故、今竜岡にそれを云われると冷淡を粧(よそお)いながら、妙にドキリとした。 ---謙作と竜岡は電信柱の多い仲の町(ちょう)まで出て、そこで遅れた阪口の来るのを待っていた。阪口は如何にも酔漢らしい様子をしながら、格子(こうし)とすれすれに、時々何か女に串戯(じょうだん)口(ぐち)をききながら歩いていた。「オイ、早く来ないか」と竜岡が声をかけた。「空模様が少し変になって来た」。阪口は聴こえない振りをして矢張りぶらぶらと歩いている。謙作は空を仰いで見た。黒い雲が建ち並んだ大きな建物の上に重苦しく被(おお)いかぶさっていた。 「俺達はもう帰るよ。一緒にカエルかい? それとも別れるかい?」と竜岡が云った。阪口は何か愚図/\云っていた。そして三人はそのままその通りを大門(おおもん)の方へ歩いた。ポツリポツリ雨が落ちて来た。三人はかなり疲れていた。結局その辺りの茶屋で少し休んで行く事にした。筆太に色々な屋号を書いた行燈を出した同じような家が両側に軒を並べている。三人はいい加減に西緑(にしみどり)と書いた、その一軒に入った。 眉毛の薄い、痩せた四十余の女将(おかみ)が、寒そうに両袖を胸の上で畳み合わせ、店先に立って、雨の降り出した往来を眺めていたが、「とうぞ」と云って、まだニスの香(か)の高い洋風の段々から彼らを表二階の座敷へ導いた。新築の白っぽい木地(きじ)には白熱瓦斯(ガス)のケバケバしい強い光が照り反(かえ)していた。そしてそれとは凡(およ)そ不調和に、文晁(ぶんちょう)とした、汚れ切った横物の山水が厚い置き床に掛けてあった。ニスの香の高い洋風の段々と云い、この不調和な生々しい座敷の様子と云い、芝居の仲の町とは大分(だいぶ)趣の異(ちが)ったものだと謙作は思った。彼は多少落ち着かない気持ちで、柱に背を寄せかけて、ジーンと音でもしていそうな疲れ切った膝から下を立膝にし、抱えていた。 女将と入れ代わって眼の細い体の大きな。象のような印象を与える女中が茶道具を持って入って来た。「小稲(こいね)と云う人は居るかい」。もの馴れた調子で阪口が訊いた。「さぁ、もう晩(おそ)うござんすから、有ればようございますが、お馴染みなんですか」。「いいえ」。阪口は済まして答えた。人のよさそうな女中はそれを真に受けていいものか、どうかを迷うらしかった。そして、「一寸見て参りましょう」と降りて行った。 謙作も竜岡も何かしらぎごちない気持ちに捉われていた。竜岡はそれを払いのけるようにちゃぶ台の煙草盆から紙巻へ火を移すと、勢いよく立ち上がって、障子を開け、一人縁へ出て行った。彼が、がたがた云わしてそこの硝子(ガラス)戸を開けると、同時に雨の音、泥濘(ぬかるみ)を急ぐ足音などが聴こえて来た。「いい格好をして駆けて行く」。彼は通りを見下ろしながら云った。女中が今云った芸者の断りと、代わりを云って来た事とを云いに来た。 間もなく、その芸者が入って来た。芸者は若かった。そして変に不愛想にしている三人を見ると、取りつき端(ば)がないように一寸赤い顔をした。芸者は長い綺麗な襟足(えりあし)を見せて、静かに高いお辞儀をした。謙作は美しい女だと思った。そして、もの馴れない自分達は仕方がないとしても、阪口までが何故かいやに冷淡な顔をしているのかしらと思った。しかし間もなく阪口は「何て云うの?」とか「何家(どこ)?」とか訊いた。登喜子と云う名であつた。小鼻の開いた、元気のいい、しかし余り上品でない、名まで男の児のような豊(ゆたか)と云う雛妓(おしゃく)が入って来た。登喜子は豊と一緒に次の間へ下ると、豊が太鼓を張る間、三味線を箱から出して、調子を合わせた。 登喜子は痩せた背の高い女であった。坐っていても何となく棒立ちのような感じがした。動作にも曲線的なところが少なかった。その癖妙に軽快な、矢張り女らしい感じがあった。豊の踊りが済むと、阪口は、「何か他の事をして遊ぼう」と云った。豊の踊りは如何にも下手だったが、済むのを待っていたように直ぐこんな風に云われたら流石(さすが)に不愉快を感じるだろうと謙作は気の毒に思った。ところが、豊は却ってそれを喜んだ。そして、直ぐ下へトランプを取りに行った。 十一時過ぎていた。謙作は硝子戸越しに戸外(そと)を眺めながら、「どうするネ?」と云った。「そうだなぁ」と竜岡も生返事して一緒に戸外を眺めた。雨はひつきりなしの本降りになつて了った。もう人通りも前ほどではなかった。一台の自動車が雨の糸をその強い光で照らしながら通り過ぎた。有耶無耶に尻を落ち着ける事になって、皆(みんな)はトランプの二十一をした。「どうかすると、石本の細君にそっくりだ」。謙作は札を撒(ま)きながら、隣の竜岡を顧みた。「そう」。竜岡は今更らしく登喜子の顔を見た。豊と何か話していた登喜子は自分の事を云われたと気付くと、負けん気らしい眼をに向けて、「こちらは私の昔の岡惚れにそりゃよく似ていらっしやるわ」と云い返した。謙作は一寸まごついて矢が次(つ)げなかった。そして一寸沈黙が来かけると、登喜子は又軽く、「それから、こちらネ」と阪口の方を向いて云った。「私の本当の兄さんにそっくりだわ」。「公平が保てないぞ」と坂口が云った。「あら、それは本当の話なのよ」と登喜子はそれでも少し顔を赤らめながら笑っていた。 竜岡が大きな声で、「オイ、皆、賭けろ賭けろ」と云った。眼の細い連中も仲間入りをして、軍師拳の遊びをする時だった。謙作は時々登喜子と手を握り合わせねばならなかった。「今度はこれだ」。こんな事を云って、肩と肩とをつけて背後(うしろ)で暗号の指を握る。そして敵方の支度がおそかったりすると、「ちょいと、これでしたわネ」と登喜子は謙作の顔を覗き込むようにして、同じ指を握り返したりした。そんな時、他の人の場合では、感じない鋭敏さを以って、その握り方の強さを彼は計った。そして此方(こちら)から彼方(むこう)を握る場合にも、同じ鋭敏さで握り方が、それ以上、何の意味をも現わさないように注意した。彼は登喜子が多少でも意味の或る握り方をする事を恐れた。望みながら恐れた。これは矛盾だった。しかし、それが彼の神経で、又行為の上の趣味でもあつた。その癖彼はやはり何かで登喜子の好意の証(あかし)が見たかった。 ニッケル渡しの遊びをする為に、石紙(いしかみ)で三人ずつに分かれた。竜岡と阪口と女中、それから謙作と登喜子、豊という風に組んだ。親になる人が真ん中になって、五銭の白銅を握った拳(こぶし)を他の拳と重ねる。交(かわ)る交る一方を上にして、仕舞いにその白銅が何方(どっち)の手にあるか分らなくしたところで片々(かたがた)ずつ両側の子の握り拳に重ねる。そしてそれを移すとも移さぬとも見せて、最後に皆握った両手を膝の上へ置く。敵方は見ていて、白銅のない手から開けさして行って、その空の手を余計取ったほど勝ちになる、そう云う遊びである。 今、まぶしいほどの瓦斯の光の下に、謙作の組の三人が並んで行儀よく手を膝の上に出していた。豊は子供らしいふつくらした小さい手を派手な友禅模様の上に並べていた。登喜子は女としては、大きい方だが、形と皮膚の美しい手を矢張りそうしている。黒い着物の上だけに一層それは美しく見えた。その間で一人、謙作だけが、折目もなくなった着物の上に大きい節くれ立った、その上黒い毛の沢山に生えた手を節の上だけが白くなるくらい堅く握り締めて出していた。 「ここには大丈夫ないネ」と竜岡が登喜子の手を指して阪口を顧みた。「ここに渡っているよ」。こう云って阪口は凝(じっ)と豊の顔を見た。豊は下眼使いをして、黙って、その円い頤(あご)を突き出した。「彼方(むこう)から、順に開けさして行こうか」と竜岡が云った。阪口は気合を入れて、「その左。へえ、右」と続け様に登喜子の両方の手を開けさして、自身の指を二本折った。そして、「どうせ謙作にもないと思うがネ」と、もう一度、組へ確かめて置いて、「へえ、その熊のような毛の生えた手を両方」と云った。豊は大きな声を出して笑った。謙作は黙って武骨な空の手を膝の上で開けた。そして不愉快を感じた。 彼は先刻(さっき)軍師拳の遊びを始めた時から自分の武骨な手に拘泥(こだわ)つていた。或る不調和な感じが、それに平気になろう、なろうと思いながら却々(なかなか)退(の)かなかった。それを今、阪口が露骨に指摘した。勿論彼は指摘された事でも不愉快を感じたが、それよりも、そんな事で自分に不愉快を与えようとした阪口の低級な底意に尚腹を立てた。 三時、四時になると戸外(そと)も静まって来た。雨も小降りになって、地面を突きながら廻る鉄棒(かなぼう)の響きが冴えて聴こえた。阪口の眼は引っ込んで、はっきりと二タ皮になっていた。彼は何かしら苛々(いらいら)しながら肉体からも精神からも来る凋残(ちょうざん)な気持ちに自身を浸し尽くして、却ってだらしなく絶えず饒舌(しやべ)っていた。 夜が明け始めた。疲れと酔いとて、竜岡も阪口も、もうそこへ寝ころんで、うとうととしていた。豊は縁へ出て、秋らしい静かな雨の中を帰って行く人々をぼんやり眺めていた。騒ぎに着崩れた彼女の着物は、裾拡がりの不様な格好になっていた。瓦斯の光が段々に間が抜けて来た。食い残された食べ物の器とか、袋なしに転がっている巻煙草とか、トランプとか、碁石とか、それらの散らかっている座敷の様子が、如何にも何か一段落ついたと云う感じを与えた。 謙作も疲れていた。彼は前日の寝不足からもかなり疲れていたが、何かしら腹の底では亢奮していた。そして一人「席取り」の遊びに使った座布団を積み重ねた上に腰掛けていた。酒と塵埃(ほこり)で薄汚れた顔をしながら、こんなにしている自分達が甚(ひど)く醜く不愉快に感ぜられた。彼は一刻も早くこの場面から自由になりたかった。彼は自分の普段の気分を根こそぎ何処かへ持って行かれたような気がした。そしてそれを取り戻そうとでもするように下腹に力を入れて、自身の胸や肩のあたりを見廻りしたりした。 彼は不図(ふと)、兄の信行(のぶゆき)の事を思った。彼は誰よりもこの一人の兄に好意と親しみを持っていた。彼はこの兄を一寸思っただけでも、幾らか日頃の気分を取り戻せた。「もう起きたかしら」。そう思って時計を出して見た。六時半だった。彼は会談を下りて行った。階下(した)では奥の薄暗い倉座敷の中で、観世縒(かんぜより)を持った女将(にょしょう)が忙しそうにその狭いところでお百度を踏んでいた。突き当りの燈明のあがった神棚から丁度還(かえ)る所へ彼が前を通ると女将は愛想よく、「お早うございます」と、一寸頭を下げた。そして、彼が電話の場所を訊こうと思う内に、又くるりと奥を向いて行って了った。 彼は流し元に働いていた女中に電話を訊いて、兄へ掛けた。まだ寝ていると云う返事だった。一寸失望したが、起してもらうほどではないと思って電話を断(き)った。豊はもうちゃぶ台に突っ伏して眠っていた。その傍(わき)で登喜子がひとり低い爪弾(つまびき)をしていた。戸外(そと)は段々に人通りが繁くなった。謙作はそれらの人々と一緒に帰って了いたかった。そうでなければこの二人の女に早く帰って行って貰いたかった。竜岡も阪口も今は軽い鼾(いびき)をたてて眠っている。登喜子は階下(した)から掻巻(かいまき)を持って来て二人に掛けると、お辞儀をして、それから豊を起した。豊は半分眼を眠ったままお辞儀をしてふらふらと起って行った。「お豊さん、これ」。そう云って登喜子は竜岡が持って来た千代紙の太い紙包みを渡してやった。豊は前夜それを竜岡から貰っていた。九時頃、漸(ようや)く三人は無印の番傘を二本貰い受けて、しとしとと降る秋雨の中へでた。 |
三 |
謙作は午頃(ひるごろ)疲れ切って自分の家に帰って来た。門を入ろうとすると、その一週間ほど前から飼っている仔山羊(こやぎ)が赤児(あかご)のような声を出して啼(な)いていた。彼はそのまま裏へ廻って、物置と並べて作った小さい囲いの処(ところ)へ行った。仔山羊は丁度子供が長ズボンを穿(は)いたような足を小刻みに踏みながら喜んだ。「馬鹿/\」、仔山羊は小さい蹄(ひづめ)を囲いの金網へ掛けてできるだけ延びあがった。謙作は隣から塀越しに落ちる黄色い桜の葉が前日からの雨で、ピッタリ地面へくっついているのを五六枚拾ってしゃがむと仔山羊は直ぐ前へ来て、懐(ふところ)へ首を入れそうにする。「ヤイ、馬鹿」。仔山羊は美味(うま)そうにその葉を食った。揉(も)むように下顎(したあご)だけを横に動かしていると、葉は段々と吸い込まれるように口へ入って行った。一つの葉が唇から隠れると謙作は又次の葉をやった。仔山羊は立ったままの姿勢で口だけを動かし、さも満足らしく食っている。謙作はそれを見ている内に昨夜来自分から擦(す)り抜けて行った気分を完全に取り戻したような気がした。彼は一寸快活な気分になって、「さあ、お仕舞いだ」と云って、両の掌(たなごころ)に仔山羊の小さい頭を挟んでぐいと胸へ引き寄せた。仔山羊は吃驚して、一寸抵抗したが、直ぐされるままに凝然(じっ)として了つた。謙作はまだ生えていない角の処へ手をやって見た。それでもそこが少し高くなっていた。彼は二三日前近所の子犬が五月蠅(うるさ)くふざけ掛かった時に仔山羊が不意に角もない頭を相手の横腹にぶつけた様子を憶(おも)い出した。 「まあ、謙さんなの?」。お栄が勝手口から顔を出した。「声がするから、誰かと思った---」。「おからはもうやりましたか?」。「由(よし)が今買いに行きました」。茶の間へ来た。「御飯は?」。「もう済みました」。「じゃあ、コーヒー? それともお茶ですか?」。「今は欲しくありません」。「昨晩は竜岡さんへ?」。「妙な処へ行きました。吉原の引手茶屋(ひきてぢゃや)夜明しをしました」。「へえ。阪口さんのご案内なの?」カツ子。謙作は前夜からの事を簡単に話した。そして、「初めてああ云う処へ行ったんだけど、何だかそんな気がしなかった」と云った。「初めてじゃあ、ありませんもの。お行(ぎょう)の松に居た頃にお祖父(じい)さんと三人で行った事がありますよ。何でもあれは国会が開けて、梅のつき出しのあつた時だったかしら」。「そんな事はない。国会の開けた年なら、僕が三つか四つだもの」。「そう? そんなら何時だろう。夜桜かしら」。お栄は、夜桜の頃の仁輪加(にわかせ)の話をした。そう云われると謙作には、それを見たような記憶がかすかにあった。謙作は直ぐ二階に床をとって貰って寝た。 夕方彼がまだ眠っているところに兄の信行が訪ねて来た。玄関へ出て行くと大きい赤皮のポオトフェリアを抱えた、会社の帰途(かえり)らしい信行が立っていた。「寝てたのか?」。「ああ」。「何処か飯を食いに出ないか」。「ああ、しかし一寸上がらない?」。「靴を脱ぐのが面倒だ。今朝電話をかけたって?」。「別に用ではなかったんだ」。お栄も出て来て仕切りに上がるよう勧めたが、信行は「お栄さんもどうですか」などと却って外出を勧めていた。 信行は日本橋の方の小綺麗な大阪料理屋へ謙作を連れて行った。謙作はここで又、兄に吉原見物の話をした。そして登喜子と云う芸者の事を云うと、「あれは却々(なかなか)いい芸者だよ。俺も半玉(はんぎょく)の時分に二三度会った事があるが、どこの土地へ連れて行っても恥ずかしくない芸者だ」。信行はこんなに云った。そして不意に、「深入りする気でもあるのか?」と云った。謙作は一寸まごついた。彼は少し赤い顔をしながら、「深入りするとすれば、どうすればいいのか僕には見当がつかないもの」と云った。信行は大きな声をして笑った。そして、「金がかかるぞ」と云った。信行は学生時代からそう云う方には通じていた。一頃(ひところ)芸者を囲っていると云うような噂を謙作は聞いた事がある。今も独身で、贅沢好きで、始終金には困っていた。二人はその家を出ると直ぐ別れた。別れ際に信行は咲子の言伝(ことづて)だと云って、もし暇なら明日(あした)、帝劇のマチネ-に咲子と妙子を連れて行ってくれと云った。 翌日(あくる日)は風邪の如く不快(いや)な日だった。午頃誘いに来た十六と十二になる妹達を連れて謙作は帝国座の女優劇を見に行った。彼の頭は絶えず淡いながら登喜子の事を考えていた。彼は身を入れて女優たちの芝居が見て居られなかった。何処かに来ていはしまいかというような気もした。彼は幕間(まくあい)毎(ごと)に妹達を連れて廊下を歩いた。三四人の知人に会ったが、勿論偶然としても登喜子は居なかった。そして茶を飲みに入った処で彼は石本に出会った。石本は、「君に少し話したい事があるんだが、---妹さんを送って行くなら晩でもいいけど」と云った。 石本は彼の友達と云うよりは寧ろ信行の友達だった。信行は自分が中学を卒業して仙台の高等学校へ行く時に謙作を石本に頼んで行った。謙作と石本とは以前からもよく知ってはいたが取り分けその時から親しくするようになった。謙作はその頃中学の三年生で、信行の眼からはそれが中学生の一番危険な時代のような気がしたからであった。 一体本郷の謙作の実家の人々が謙作に冷淡である中に信行だけが何故か彼の事をよく心にかけて心配していた。石本とすればその年頃の青年としてそう云う依頼を受ける事が既に悪い気のしない事である上に、。謙作に対する好意からもよく世話をした。謙作が代数の試験で危なかった時などは石本は自身の試験勉強を後にして、徹夜で彼にそれを教えたりした。 こういう謙作と石本との関係はそれからもずっと続いて来た。何時までも石本は先輩で、謙作は後輩だった。それはいいとして、今の謙作には昔ながらの石本の時分に対する老婆心が段々閉口になつて来た。同じ自分の事を心配してくれるのでも兄の信行のはその呑気な性質の内に神経の行き渡ったところがあるだけに彼にはそれほど気にならなかったが、石本には絶えず何か教えようとする気が見えるので、好意は認めながら彼は時々腹を立てた。石本はこの間まで或る大臣の秘書官をしていたが、内閣の更迭と共に今は割りに暇な日を送っている。 謙作は妹らが自分達だけで帰れるというので電車まで送って別れた。「料理屋だとそう長く話せないから、いやでなかつたら待合へ行こうか」と石本が云った。二人はそれから歩いて銀座を越して築地(つきじ)の方へ行った。石本はそこの或る大きい家へ謙作を連れて行った。「話しがしたいのだから、誰も呼ばずに、飯だけ食わしてくれ」。石本は女中にこう云った。 奥まった八畳の間に通された。それは茶がかっていて、しかも小細工のない気持ちのいい座敷だった。前の小さい庭も品よく出来ていた。前日の引手茶屋の座敷とは大分様子が異っていた。床には京都の絵描きの稲荷山の軸が掛けてあった。この絵描きの画を謙作は前から積極的に嫌いだった。しかしこういう家の座敷にはこんな画も悪くはないと思った。殊に水盤に生けた秋草が、その稲荷山の山路(やまみち)に合っていた。 石本の話というのは謙作の結婚の事だった。「実は信行に頼まれた事なんだがね」。こんな風に云った。「信行は自分が独身(ひとりもの)でいなから、君にそれをいうのは変な気がするらしい。しかしもし君にその気があれば僕たちは本気でいい人を探したいと思うんだが---」。謙作は断った。「何故」。「他(ひと)にそう云う心配をして貰いたくないんだ」。「何故だい」。「何故でも嫌だ」。謙作は不愛想に云った。彼は凝(じっ)と自分を見詰めている石本から顔を反向(そむ)けて、庭の方を見ながら黙っていた。彼は我ながら石本に会うと如何にも駄々っ児らしくなる自分を変に思った。そして、「第一君のそう云う老婆心がうるさいんだよ」と付け加えた。「それじゃあ、よそう」。石本も白けた気持ちで答えた。そして、二人は暫く黙っていたが、石本は直ぐ又くどくどと始めた。謙作が何か云おうとすると、「まあ、僕の云う事だけ云わしてくれ」と云った。謙作は苛々(いらいら)しながら聴いていた。しかし到頭彼は、「もう閉口だ」と露骨に不快を現わして、それを遮(さえぎ)った。石本は急に笑い出した。謙作も思わず笑った。 謙作は今の自分は精神的にいい状態に居ないのだと云う事、そして他人に対し、変に疑い深くんっていて、とても人頼りの結婚などは思いもよらないと云うような事を話した。彼は今、愛子の事を云い出したくなかったが、信行でも石本でもが、殊更に結婚の話を持ち出すのは明らかに愛子との事があったからだと思うと、矢張りそれを云うより仕方がなかった。「今、僕は愛子さんとの事を書いているんだが、どうしても彼方(むこう)の気持ちが分明(わか)らない」。こんな事も云った。彼は石本の好意には礼を云った。しかしこれからの自分には余り立ち入って貰いたくないと云う事も云った。 石本は少し淋(さび)しい顔をして黙って了った。丁度女中が食事を持って来た。間もなく二人は気楽な事に話を移した。そして気楽な気分にもなって行った。「君の奥さんに似た人を見る興味はないかい?」。謙作は先刻(さっき)から云い出したかつた事を云って見た。登喜子の事を話したいと云う欲望にも誘惑されたが、石本を誘う事で行く理由を作りたい気もあった。「別に興味もないが、一体何処に居るんだい」。謙作は登喜子の事を話した。そして、「どうかすると非常によく似ているんだ」と云った。「そのうち連れて行って貰おう」。石本はこういったが、それに余り興味はないらしかった。 石本と別れて、彼は自家(うち)まで歩いて帰った。途々(みちみち)石本が誰かの言葉として云った「若い二人の恋愛が何時までも続くと考えるのは一本の蝋燭(ろうそく)が生涯点(とぼ)っていると考えるようなものだ」と云うのを不図憶い出した。「しかし実際そうかしら?」と彼は又思った。この言葉は懐疑的になっている現在の彼には何となく悪くない響きもあったが、そう彼が思ったのは、彼の実母の両親の関係が彼に想(おも)い浮んだからであった。 二人は愛し合って結婚した。そして終生愛し合った。「成るほど最初の蝋燭は或る時に燃え尽くされるかも知れない。しかしその前に二人の間には第二の蝋燭が準備される。第三、第四、第五、前のが尽きる前に後々と次がれて行くのだ。愛し方は変化して行っても互いに愛し合う気持は変わらない。蝋燭は変わっても、その火は常燈明(じょうとうみよう)のように続いて行く」。この考えは彼に気に入った。そして、母方の祖父母は実際それだったに違いないと考えた。彼は先刻石本にそれを云ってやれなかった事を残念に思った。すると、不意に「しかし西洋蝋燭は次げないネ」と石本が云ったような気がした。ところが、同じ想像の自分が、「その二人は純粋に日本蝋燭なんだよ」と答えた。彼は歩きながらこんな事を考えて独(ひとり)で可笑しくなった。そして彼には死んだ祖父母の姿が懐かしく憶い浮んだ。 |
四 |
謙作は矢張り登喜子の事が忘れられなかった。彼はあの不愉快だった二三日前の夜(よ)を憶い、軍師拳で登喜子と並んでいた時の事などを想うと、不思議な悩ましさが胸に上(のぼ)って来た。彼は自分で自分の指を握って見て、握る時の感覚と、その握られた感覚とを計って見たりした。それも両方が自分では明瞭(はっきり)しなかった。しかし、彼は登喜子に深入りして行かずにはいられない程の気持ちになっているとは我ながら思えなかった。只このままで自分のこの気持ちを凋(しぼ)まして了(しま)うの何となく惜しい気がした。それにしろ、そんな下心を自ら意識しつつ出掛けて行く事は、相手がそう云う職業の女にしろ、如何にも図々しく、気がひけた。とにかく、何かしら表面的にも行くだけの理由がなければ彼には出掛けられなかった。それには矢張り石本を誘うより仕方がないと思った。 彼は早速石本に端書(はがき)を書いた。しかし何枚書いても書き損ないをした。石本を利用すると云う意識が邪魔になった。結局端書をよして、電話を掛けに行った。「明日(あした)行きたいんだ。一緒に行って貰えるかい?」。これだけを云うと、彼は一寸気を沈ませた。「よろしい、それじゃあ、その時、もう一度電話をかけてくれ給え」。謙作はほっとした。 彼は金を用意する必要があった。彼は父から分けて貰った金で、生活とか、本とか、旅行とか、その他必要な金には困らなかったが、小使銭としては子供からの習慣で時々に三円、五円と云う風に僅(わず)かずつお栄の手から貰っていたので、そう云う事には何か他の事で金を作らねばならなかつた。彼は神田の知っている古本屋に翌日朝の内、来てくれるようにと端書を出した。 それから彼は自分の持っている浮世絵を皆(みんな)売ってもいいと思った。広重の五十三次の或るものとか、式亭三馬の編纂した初代豊国と国政の似顔絵本とか、歌麿、湖竜斎(こりゅうさい)、春潮(しゅんちょう)あたりの長絵とか、その他つまらぬ物まで一緒にすると一抱えほどあった。彼はそれを持って近所の骨董屋に出掛けて行った。「朝の内、ホテルを二軒廻りましたよ」。骨董屋は謙作の顔を見るなり直ぐこんな事を云った。「祥瑞(しょうずい)の出物があって見せたら、こりやあ、本物じゃ、ねえって云やあがる」。 何の鑑識眼もなしに、度胸だけで買って、それらを西洋人の間へ持ち廻っている、こう云う商人の露骨さをいきなり見せられると、謙作は持って来た物を見せる気がしなくなった。しかし、「そりゃ、何です」。こんな事を云って、骨董屋が手を出した時に彼は矢張りそれを渡した。謙作が黙っていると、骨董屋は一枚/\、しかし故意にぞんざいに見ながら、「え---」とか「へえ」とか意味のない言葉を一人で五月蠅く繰り返していた。それらの絵の価値を如何に自分が低く見ているかを見せようと見え透いた心持が少し馬鹿/\しかった。 謙作は一切、値の話をせずに直ぐ包ませて、持って帰って来た。自家では竜岡が彼の帰りを待っていた。「これでよかったら、お餞別に進呈しよう」と謙作は今持って帰った浮世絵を包のまま、竜岡の前へ出した。「ありがとう。しかしこれは君のコレクションの全部じやないか。こんなに貰っちゃあ、済まない。僕はどうせ人にやる心算(つもり)なんだから、いい物だけを取って置いてくれ給え」。「いいんだ。皆とって貰う方がいいんだ」。 二三日前のの夜の話しが出た。「あの登喜子と云う芸者は中々立派だね」と竜岡が云った。「そうかしら?」。謙作は不意に拘泥した気持ちから、こんな風に云って了った。尤(もつと)も彼は普段から綺麗と云う言葉と立派と云う言葉とを多少区別して考えていた。立派と云う中には大きさ或いは豊かさと云う要素もなければならぬと彼は思っている。ところが、登喜子の美しさにはそれらはなかったから必ずしも彼の言葉は偽言(いつわり)ではなかつた。が、実は彼が拘泥したのは、「もし竜岡も---」と云う疑問が不意に想い浮んだからであった。「立派と云うより普通、美しいと云う方だろう」。謙作は最初の否定的に響いた言葉をこう訂正した。「つまり、そうさ」。「君は登喜子が好きかい?」。謙作は思い切って訊いて見た。「そう訊かれると困るが、君はどうだい」と竜岡は反問した。謙作は一寸困った。彼は自分で自分の顔の赤くなるのを感じながら、「僕は好きだ。しかしもし君が好きなら、僕は遠慮するよ。それができる程度だから」と云った。竜岡は大きな身体を揺すって笑った。そして、「その遠慮はいらないよ。第一僕はもう二カ月すれば彼方(むこう)へ行って了うんだ」と云った。「うん」。「しかしそれは良かった」。竜岡は尚にこにこして云った。「この間君が何だか不愉快そうな顔をしていたので、あんな場所へ君を誘った事に気が咎(とが)めていたのさ」。「不愉快は不愉快だったよ」。「どうして」。「阪口の調子が嫌だったじや、ないか」。「阪口のこの頃はいつだってああだろう」。謙作は黙っていた。「じやあ、又行って見る気があるネ」。「明日(あした)石本と行くつもれりだ」。「それなら、今晩僕と行こうか」。 その晩九時頃になって二人は西緑へ行った。しかし登喜子は居なかった。新富座へ行って、帰りは多分十一時過ぎだろうと云う事だった。この前阪口が云ったのを女中が覚えていて小稲と云う芸者を訊いたが、これもいなかった。豊だけが居た。それから、隣の茶屋の芸者が来たが、貧弱で二人は何の興味をも持てなかった。二人は一時間ほどいて帰って来た。帰る時お蔦(つた)と云う女中が、「そんなら明日(みょうにち)夕方でも一寸お電話を下さいまし」と云った。「大丈夫来るが、それでも電話をかけるのかい?」。「それでも、もし---」とお蔦は具合悪そうに云った。 翌日(あくる日)彼は八時頃眼を覚ました。戸外では烈しい雨音がしていた。樋(とい)を伝いきれない水が二階の庇(ひさし)から直接、地面まで落ちる、その騒がしい響きを聴きながら彼は困った降りだと思った。雨は別に困らないが、この降りの中をも行くと云う事が、相手にはどうしても気軽な事とは解(と)れないだろうと思うと、彼は重苦しい気持ちになった。第一、石本がこの雨ではどうかとも考えた。その上、自分が似ていると思っても「これが---?」と云われる場合を思うと気遅れがした。彼は起きてからも何となく落ち着けずに天気ばかり気にしていた。午前中と書いてやった古本屋も来なかった。しかし午頃から幾らか小降りになった。 「お端書では午前中と云う事でしたが、何しろ、えらい降りで」。間もなく来た古本屋はこう云いわけをした。謙作は次の間に出して置いた古本を見せた。総(すべ)てで五十円ほどになった。彼は母方の祖父の遺物(かたみ)として貰った法外に大きな両蓋(りょうぶた)の銀時計と、それに附いている不細工な金鎖とを出して来た。「これをどうかして貰えるか?」。「承知しました」。「しかしその金はもしかしたらかぶせかも知れないよ」。彼は全く何方(どっち)か知らないのでそう念を押した。古本屋は仔細らしく掌(てのひら)で重みを見ながら、「いいえ、かぶじゃあ、ありません。尤も彼方(むこう)へやればすぐ硝酸で擦(こす)って見るんですが、これがむくでしたら大したものですネ」。そこで古本屋は謙作の乗り気な返事を期するように口を噤(つぐ)んだ。謙作は黙っていた。古本屋は旧式な大きい時計に就いても「こう云うのは船乗りが欲しがるんですよ。熱帯辺りへ行くと、このくらいのでないと機械が膨張して狂いますからネ。とにかく、見せた上で、手紙で御返事します」。こんな事を云って大きな風呂敷包を背負って帰って行った。 夕方になって雨はすっかり上がった。彼は風呂へ入って、さばさばした気持ちになって家を出た。美しく澄み透った空が見上げられた。強雨(ごうう)に洗われて、小砂利の出ている往来には、それでも濡れた雨傘を下げた人々が歩いていた。彼は知っている雑誌屋に寄って、約束通り西緑へ電話をかけた。その後で石本へかけた。「今用事の客があるんだが、もう帰るだろうと思う。早かったら是非行く」。こう云った。尚、石本は大門を入ってどれ程行くかとか、何方(どっち)側かとか、西緑の字まで訊いて、電話を断(き)った。 三の輪まで電車で行って、さこから暗い土手道を右手に灯りのついた廓(くるわ)の家々を見ながら、彼は用事に急ぐ人ででもあるように、さっさと歩いて行った。山谷の方から来る人々と、道哲から土手へ入って来た人々と、今謙作が来た三の輪からの人々とが、明るい日本堤署の前で落ち合うと、一つになって敷石路(しきいしみち)をぞろぞろと廓の中へ流れ込んで行く。彼もその一人だった。大門を入ると路は急に悪くなった。彼は立ち並んだ引手茶屋の前を縁(ふち)に近く、泥濘(ぬかるみ)をよけながら、一軒一軒と伝って西緑の前まで来た。 登喜子はもう来て待っていた。お蔦と店へぴたりと坐って、往来を眺めながら気楽な調子で何か話していた。そして、謙作の姿を見ると、二人は一緒に「さあ、どっこいしょ」と云う心持で起ち上がった。---と、そんな気が謙作はしたのである。「お一人?」と登喜子が云った。謙作は段々を登りながら、「今に、もう一人來る」と云った。「亀岡さんですか」。「君に似た人と云った人の御亭主だ」。「ええ?」。「その人の奥さんが君に似ているんだよ」。彼は少し苛々した調子で早口に云った。「ああ」と登喜子は笑い出した。「何とかの御亭主だって仰(おっしゃ)るんですもの」。ちやぶ台のまわりには座布団が三つ敷いてあった。謙作がその一つに坐った時、「皆さんは?」と登喜子が訊いた。「竜岡さんとは昨晩来たよ」。「ええ、それは昨晩一寸寄って伺ったわ。それからあの方は---阪口さんは?」。「あれから会わない」。お蔦が上がって来た。そしてこの女も、「見なさんは?」と訊いた。 謙作はこう云われる度に何か非難されている気がした。こう云う場所に不馴れな自分が、それ程の馴染みでもない家に電話まで掛けて、一人で出向いて来る事はどうしても不自然で気が咎めた。石本に見せると云う事がなければ、幾ら登喜子が好きでも自分は此処へは来られなかったと思った。登喜子は笑いながら、今の「御亭主」の話をして、一人面白がった。「何だか、ちっとも解らないわ」と今度はお蔦が呑み込めない顔をした。「解らない人ネ。その方の奥さんが私に似てらっしゃるのよ。偉いでしょう?」と登喜子は反身(そりみ)になって見せた。「何が偉い」とお蔦が云った。 謙作には登喜子が何となく、前とは変わって見えた。しかし美しさは変わらなかった。「今度は又皆さんでいらっしゃいな。大勢で遊ぶ方が面白いわ。つまり此方(こっち)が遊ばして頂くんだわネ。坐ったきりで、三味線を置かせないようなお客様もありますけど、そりゃあ、そう云う方に出ていれば芸は上がるわネ。だけど、時々は全く泣きたくなるわ」。「君は踊りが上手なんだって?」。謙作は信行からそれを聴いたのを憶い出して云った。「誰がひんな事を云って?」。「君の喜三太(きさんだ)の踊りを見たと云う人から聴いた」。「へえ? 喜三太? ああ、弓張り月の喜平次です」。こう云って登喜子は一寸赤い顔をした。 夜明かしの夜の話が出た時に、「阪口さんのこれネ」と登喜子は指の長い白い手を拳固にして重ね、それを振りながら、「全くお上手だわ。人を焦(じ)らすような事ばかりなさるんですもの。仕舞いに本統に分らなくなるわ」と阪口のその技術を讃(ほ)めた。謙作がそれで腹を立てた遊びである。「お連れは何をしていらっしやるんでしょう」。「もう少ししたら電話をかけて見よう」。「早くいらっしゃればいいのにネ。二人じゃあ何にもできないわ」。「小稲と云う人は居るかしら」。「そうネ。まだ早いから、きっとあるわ」。しかし謙作は呼んで貰おうとは云わなかった。彼は今、こうして登喜子と会っている。そして余りに毒にも薬にもならない事を白けさせまいと努力しながら互いに饒舌っている。全体これが、三日も前からあれ程に拘泥し、あれ程に力瘤(ちからこぶ)を入れて来た事とどう云う関係があるのだろうと云う気がした。彼は深入りした話をしようとは、初めから少しも思ってはいなかった。しかし今話している事は、或いは話している心持は、余りに浅く、余りに平面過ぎると思った。 彼はこれがしかし一番あり得べき自然な結果だったとも思い直した。自分が一人角力に力瘤を入れ過ぎただけの事だと思った。そして今日の登喜子はともかくもこの前よりは軽い意味での親しみを現わそうとしているのだ。今はそれで満足するより仕方がない。それ以上を望むのは間違いだと思った。小稲の事で何か云うだろうと思って、彼の顔を見ていた登喜子は、彼がそのまま黙って了ったので、「初めてお眼にかかった晩にも小稲ちゃん、仰有(おっしゃ)つたんですってネ。それから昨晩もだって。中々御執心なのネ。何故なの?」。こう云って表情に富んだ一寸こすそうな眼つきをして笑った。謙作はそれをも美しいと思った。「昨日は勝手に此処の人が云ったんだ」。「でも、小稲ちゃん云いましょうか。---だって二人きりじゃあ、遊べないんですもの」。 登喜子はそれを云いに急いで起って行った。謙作は何かしら重荷を下ろしたような気安さを感じた。登喜子は却々(なかなか)昇って来なかった。彼は思い出したように袂(たもと)から巻煙草を出して吸い始めた。彼の煙草はのんでもよし、のまなくてもよしと云う程度のものだった。それはサモアと云う、函(はこ)に女の黒ン坊の顔のついた煙草だった。「小稲ちゃんありました」。こう云って登喜子が入って来た。そして坐ると、少しふざけた調子で、「これ、別嬪(べっぴん)なんですか?」とその煙草の函を取り上げて彼の前へ出した。「君はどう思う?」。「そうネ---随分黒いわネ」。「黒くちゃ、駄目かい?」。「---私、これよりも、あれが好きよ。何て云うのかしら。アルマかしら。あたまに薔薇だか何だかつけた女。あり綺麗だわ」。「そうかネ」。「そう云えば、今、階下(した)にアルマがあったわ。貰って来よう」。こう云って登喜子は又起った。「僕も一寸電話をかけて見よう」。そして、彼も一緒に降りて行った。石本は、「今、客が帰ったところだが、少し遅すぎるから今度誘ってくれないか」と云った。今は謙作もそう失望しなかった。 十分程して小稲が来た。それは姿のいい、動作の静かな如何にも女らしい感じを多分に持った女だった。謙作は入って来た瞬間その女を非常に美しく思った。小稲は入った処で一度膝をついて挨拶してから、又起って、「登喜ちゃん今晩は」と微笑しながら、ちやぶ台の側へ来て並んで坐った。「ちょいと、小稲ちゃん、これと、これと、何方(どっち)が別嬪だと思って?」。登喜子は直ぐその二つの函を小稲の前へ並べた。「どれ?」と小稲は顔を寄せたが、「そりゃあ-」と不意に、そのふつくらした身体や静かな動作などを裏切った、変にかん高い声を出して笑った。 謙作は総てで丁度登喜子と対照するような女だと思った。姿勢や動作がそうだった。又近くで見ると登喜子の米噛(こめかみ)や頤(あご)のあたりに薄く細い静脈の透いて見えるような美しい皮膚とは反対に小稲は厚い、そして荒い皮膚をしていた。謙作は段々に窮屈な気分から抜け出して行った。五六杯の酒に赤い顔をしている彼は今は気楽な遊びに没頭できる気持ちなっていた。 アルマの煙草を金口(きんぐち)の処まで灰を落とさないように吸うと云う競技を始めた。「ァ、ル、マのルまで来た」。「ちょいと見て頂戴」。小稲は怖々(こわごわ)、蛍草(ほたるぐさ)を描いた小さい扇子で下を受けながら、それを謙作の前へ出した。「漸々(ようよう)、ァの字にかかったところだね」。「字がお仕舞になってからもまだ二分(にぶ)ばかりあるのネ。こりゃあ、とても金紙までは持たないわ」。こう云って小稲は笑った。登喜子は黙って、唇を着けたまま、只無闇にすっぱすっぱ吸っていた。その内小稲の方の灰がポタリと落ちると、小稲は「あっ」と云って一寸体をはずますような事をした。その拍子に登喜子の方の灰もポタリとちゃぶ台の上に落ちて了った。「ああ、小稲ちゃん!」。登喜子は怒ったような真面目な顔をして、横目で小稲の顔を凝っと見た。「登喜ちゃん。御免なさい」。「---」。「ね、御免なさい」と云って小稲は笑った。「お前さんが始末するのよ。よくって?」。登喜子は指に残った金口を灰吹へジュッと投げ込むと、そのまま起って、「この煙(けむ)」と一寸上を見て、座敷を出て行った。小稲は懐紙(ふところかみ)を二枚ばかり器用にたたんで、それで神妙に灰を扇子へ落し、始末した。 間もなく登喜子は帰って来た。そして襖を開けると其処へ立って、「さあ、早く早く」と云って、済ました顔を見せた。それは先刻、謙作が女は入って来た瞬間に一番美しい顔をすると云ったからであった。「おかみさんやお蔦さんを狩り立てて来たわ」と云って、元の席へ坐ると、「此方(こっち)はどうかしら」とサモアの煙草を抜き取って、小稲の顔を見ながら、ついと起ってちやぶ台の小稲とは反対の側に坐り直した。そして黙って煙草盆から火を移していた。呆れたと云うような顔をしていた小稲は、「まあ、ひどい」と云って、かん高い声で笑いだした。女将(にょしょう)やお蔦も出て来た。花合わせの石を使って、トランプで二十一をした。 一時頃謙作は俥(くるま、人力車のこと)で帰って来た。赤坂までは随分の長道中だった。しかし月のいい晩で、更け渡った雨上がりの二重橋の前を通る時などは彼も流石(さすが)に晴々としたいい気持ちになっていた。帰ると古本屋からの手紙がもう来ていた。鎖は矢張りかぶせではなかったが、銅が割に多く、思った程の価(ね)にはならなかった。時計の方は色々話して見たが、どうしてもつぶしの価にしかならないのは御気の毒だと云う事が書いてあった。 |
五 |
二度目に登喜子と会う前と後では不思議なほどに謙作の気持ちは変わっていた。彼は今も登喜子を美しく思っている。そして好きだ。しかしその美しく思い方も、好き方も、前の変に重々しく息苦しかった時に較べて、妙に軽快なものになっていた。彼は漸く落ち着けた。彼は前の自分を想い、全体何を目がけて、あれ程にも力瘤を入れ、あれ程にも一人先走りしたものか解らない気がした。勿論、この変化は一つは登喜子の態度で導かれたものである。が、それよりも彼は愛子との事で、こう云う事には変に自信がなくなっていた。そして、この自信なさが、知らず知らずこの落ち着きに彼を満足させようとしているらしかった。 或る彼はもっと突き進みたがっている。しかし他の彼がそれを怖れた。愛子との事で受けた彼の傷手(いたで)はそれ程にまだ、彼には生々しかった。愛子の父は水戸の漢方医であった。そしてどう云う事情でそうしたかは謙作も知らなかったが、愛子の母は謙作の母方の祖父母を養父母として、其処からその漢方医に嫁入ったのであった。謙作の母と愛子の母とは幼馴染みで特に親しかった。彼は母の死後、よく愛子の母から実母の事を聴いた。「いい方でしたよ。涙もろい、本統に親切な方でした」。愛子の母はよくこんなに云った。芝居好きで、二人で芝居の真似をして祖母に叱られたというような話もした。 誰からも本統に愛されていると云う信念を持てない謙作は、僅かな記憶をたどって、矢張り亡き母を慕っていた。その母も実は彼にそう優しい母ではなかったが、それでも彼はその愛情を疑う事はできなかった。彼の愛されると云う経験では勿論お栄からのそれもなくはない。又兄の信行の兄らしい愛情もなくはない。しかしそれらとは全く度合いの異なった、本統の愛情は何と云っても母より他では経験しなかった。実際母が今でも猶(なお)生きていたら、それ程彼にとって有難い母であるかどうか分からなかった。しかしそれが今は亡き人であるだけに彼には益々偶像化されて行くのであつた。 そして彼は何となく亡き母の面影を愛子の母に見ていた。或る時---多分それは母の十三回忌の時であった。彼はその日本郷の実家に行って、其処で、愛子の母が旧式な大小小紋に黒*子(じゅす)の丸帯を締めて来ているのを見た。その姿が彼の心に不思議な懐かしさを起した。彼は何気なくその姿に時々眼をやっていた。すると、何かの機会に偶然並んだ愛子の母がその着物の袖を引いて見せて、「これも、帯も、今日のお仏様の御遺物(おかたみ)ですよ」と云った。彼は妙な気持ちになった。一種の感じに打たれた。そして彼は黙っていた。少時(しばらく)すると愛子の母は手を袖の中で縮めながら、「ゆきがもう出ないので、腕の方にあげをしてるの」。こんな串戯(じようだん)を云って笑った。 愛子の長兄は慶太郎と云って、中学は異(ちが)つていたが、信行とは同年、謙作よりは二つの年上で、三人は子供の頃からよく遊んだ。しかし信行も謙作も彼と親しくはなれなかった。性質に何処か合う事のできないものがあった。が、その割には謙作だけは牛込の愛子の家へよく出入りをした。彼は何よりも愛子の母に会いたかったからである。愛子は彼より五つ年下であった。子供の頃は彼は何方(どっち)かと云うと愛子を少し五月蠅く感じていた。例えば慶太郎らと何かして遊んでいる時に、何もできない癖に仲間入りをしたがったり、又或る時は愛子の母と割に真身(しんみ)り話し込んでいるような場合、「もうねんねするの。もうねんねするの」。こんな事を云って、母を自分の寝床に連れて行きたがつたりする事がよくあったからである。彼はそう云う時代から知っているでけに愛子が相当の年になっても妙に異性としては強く来なかった。 そして彼が本統に愛子を可憐に思い出したのは彼女が十五六の時に彼女の父が死んで、その葬式に白無垢(しろむく)を着て、泣いている姿を見た時からであった。愛子の女学校での英語の試験勉強の手伝いなどした事もあったが、そう云う時には彼は自分の気持ちをできるだけ現わさないように努めていた。一つは彼の臆病からも来ていたが、同時に彼の愛情はそれ程燃えてもいなかった。その上子供気の脱(ぬ)けていない愛子にはそんな事が如何にも遠い事のように感じられたからでもあった。けれども、これは彼の主観の勝った感じ方で、愛子が特別に年よりそう云う感情で遅れていたわけではなかった。愛子からすれば、子供からの関係上、謙作にはそういう感情で至極、あっさりしていられたからであつたろう。 愛子の女学校の卒業期が近づくに従ってぼつぼつ結婚の話が起こった。謙作は自分の申し出が万々一にも不成功に終る事はないと信じていたが、それでも何かしら不安が、とてもむずかしそうに私語(ささや)く事もあった。しかし彼はこの不安を謂われないものと考えていた。自分の臆病からだと思っていた。彼はこれを愛子の母に打明けたものか、慶太郎に打明けたものかと考えた。愛子の母に打明けると云う事は如何にも彼女の好意につけ込むような気がしていやだった。しかし慶太郎に一番先に云うのも彼は何となく気が進まなかった。仕事の相違、人生に対する考え方の相違、それから互いに相手を軽蔑する気持ちが作られていた。慶太郎は今、大阪のある会社に出ている。そして彼は最近その会社の社長の娘と結婚する事になっているが、それにはかなり不純な気持ちがあった。慶太郎は彼にそれを平気で公言していた。謙作は万々断られる事はないと信じながらも、こういう慶太郎に打明けて行く事は何だか気が進まなかった。 彼は矢張り本郷の家の人に打明けて、父の方から、彼方(むこう)に話して貰うより他ないと思った。一体彼はやむを得ぬ場合の他は滅多に父とは話をしなかった。それは子供からの習慣で、二人の間では殆(ほとん)ど気にも止めない事だったが、さてそう云う事を頼みに行こうとすると、それが矢張り妙に億劫な気がした。しかし或る夜、彼は思い切って父にそれを頼みに行った。「彼方で承知すれば、よかろう」と父は云った。「しかしお前も今は分家して、戸主になつているのだから、そう云う事も余り此方に頼らずに、なるべく、自身でやって見たらいいだろう。俺はその方がいいと思うが、どうだ」。 謙作は最初から父の快い返事を予期していなかった。しかし予期通りにしろ、やはり彼はかなり不快(いや)な気持ちがした。彼は悪い予期は十二分にして行ったつもりでも、それでも万一として気持ちのいい父の態度を空想していたのが事実だった。ところが父の答えは予期より少し悪かった。変に冷たく、薄気味悪い調子があった。何故乗り気で進もうとする自分の第一歩に、父がこんな一寸躓(つまず)かすような調子を見せるのだろう。彼には父の気持ちが解らなかった。 彼は兄の信行に頼もうかとも思った。この話をした時に兄は彼の為に喜んでくれた。「それがうまく行くといいネ。愛子さんは本統にいい人だよ」。こんな事をいっていた事を憶い出した。しかし、父にああ云われて了うと彼は今更、信行に頼むと云う事もできにくい気がした。どうせ同じ事だ。やはり総てを自分一人でやろう。結局その方が簡単に済む。彼はこう思って、或る日自分で愛子の家へ出掛けて行った。 ところが、愛子の母はそれを聴くと非常に吃驚したらしかった。彼がそれを切り出した時のドギマギした様子は寧ろ惨めな気さえした。謙作の方も少しドギマギした。そして、これは自分の知らない許嫁(いいなずけ)があるのかしらと思った。「とにかく、慶太郎や、此方の親類方にも相談した上で本郷の方へ御返事しましょう」。彼はこの申込は本郷とは全然無関係に自分が云い出すので、父も勿論知ってはいるが、直接申込むと云うのも実は父の意志から出た事だと話した。「へえ。それは不思議ですネ」。愛子の母は顔を曇らせて云った。 謙作は不快(いや)な気持ちで帰って来た。父の返事はとにかく予期の内だが、この返事---返事の表面上の意味は至極当然で別に不思議はないが、これに含まれた変に冷たい調子は彼の予期には全く入(はい)り得ないものだった。しかし、彼は望みを捨てなかった。最近慶太郎が上京するなら、もう一度同じ事を慶太郎に申込んで、はつきりした事を聴けばいい。愛子の母はどうかしているのだ。 慶太郎はそれから十日ほどして出て来た。彼はそれを兄の信行の口から聴いて知った。しかし先から何か知らせのあるまでに自分から出かけるのも変な気がして、心待ちに待ちながらそのまま四五日を過ごした。が、先きからは何の音沙汰もなかつた。謙作は侮辱されたような気で焦々(じりじり)した。彼は思い切って慶太郎に電話をかけて見た。慶太郎は、「君の処へも早速出たいと思っているのだが、今度は此地の支店の方へ用で来たので、それが一通り片づくまでは何処へも御無沙汰なんだ」。こんな風に如才ない調子で云った。謙作は不快な気持ちを自ら押しつけながら、「今晩は在宅(うち)かい?」と訊いてみた。「さあ。今晩は生憎(あいにく)宴会に招かれているんだがね」。「明日の晩は?」。「明日の晩か。---明日の晩、お待ちしていましょう。よかったら飯前に来てくれ給え」。慶太郎は殊更快活らしく云っているがそれが腹からのものでない事は顔は見えなくとも露骨に感じられた。 謙作は最初から愛子自身はできるだけこの話しの圏外に置いて、直接の交渉はしまいと決めていた。その方が旧(ふる)い習慣を尚(とうと)ぶ彼女の母にもいい事だし、仮に直接の交渉をしたところで、それは却って愛子を当惑さすだけのものだと云う気が彼にはあった。愛子は何方かと云えばそう云う風の女だった。しかし今になれば彼は彼女を全然圏外に置いて余りに楽観していた自身の呑気さが悔いられた。実際彼は万々一にもこんなに扱われる場合は想像できなかったのである。もしかしたら何かの理由で父が裏から邪魔をしているのではないかと云うような邪推も一寸起こした。 彼はこの事を誰にも打明けない前にお栄に打明けた。その時お栄が喜びながら、一寸淋しい顔をした事を彼は憶い出して、神経質に考えればこれも何かであったかも知れないと今更に思った。しかしお栄の境遇が境遇である。自分が結婚すればお栄は自然自分と別れて行かねばならぬ。お栄がそれを思う時、喜びながらも淋しい気持ちになるのは、当然な事だと思い直した。 翌日、日が暮れると、直ぐ彼は慶太郎を訪ねた。ところが其処には二人の見知らぬ先客があって、二人は慶太郎の高等商業学校の同窓と云う事だった。「実は昼間両君と会う筈だったが、急に用事ができて会えなかったもので、晩に来て貰った。しかし僕ももう二三日で全然暇になるから、そうしたら、僕の方から出よう。色々の事はその時ゆつくり話すとして、今晩はまあ、我々長松連の話でも聴いて何かの材料にしてくれ給え」。こんな事を云って慶太郎は快活らしく笑った。謙作は我ながら露骨にむっとした。こんな見え透いた事を平気で云える慶太郎の心持を不思議にさえ思った。そして腹から腹を立てたが、しかしこれ程にも自分と会う事を重荷にしているとすればこの話は到底駄目に違いないと思った。「君は何日(いつ)まで居る?」。「さあ、彼方の仕事も忙しいる。用の済み次第帰るつもりだが、それにしろ、明後日(あさって)の晩はどうか都合して是非お訪ねしよう。君の方はいいね?」。「いい」。 謙作は1時間ほど居て、帰って来た。愛子と母親とはその日親類へ行ったとか、留守だった。この事も謙作には故意としか思われなかった。彼はそのまま自家(うち)へ帰る気がしなかったし、今お栄と顔を合わせて、何か訊かれる事も厭(いや)だった。もしもお栄が彼の肉親の者であったら、或いは彼はその懐に抱(いだ)かれるような心持で、自分を投げかけて行けたかも知れない。が、彼にはそれができなかった。彼は的(あて)もなく、人通りの少ない道を無闇に歩いた。今はもの総てが彼には白けて見えた。 十一時過ぎ、彼は漸く自家へ帰って来た。自家では兄の信行が待っていた。そして、いきなりこう云い出した。「お前はどうしても愛子さんでなければ、いけないのか? どうなんだ」。「それは、そうじゃない」。「本統にそうじゃないネ?」。「---」。「もしそうなら、俺は慶太郎や先方のお母さんと喧嘩をしてもやって見るよ。できるかどうか分からないが、とにかくやるところまではやって見る。しかしそれは、お前がどうしても、と云う場合だけだ。お前の愛子さんに対する気持ちが其処まで突き詰めていないのなら、念(おも)い断(き)ね方が俺はいいと思っている。何方なんだ」。「念い断ろえ」。「うん」と信行は一寸お辞儀でもするように点頭(うなず)いて黙った。 二人は少時(しばらく)黙った。「念い断れるのなら、念い断った方がいいだろう」と信行が云った。「お前の不愉快な気持ちはよく解る。お前にとってはこれは二重の不愉快だったのだ。しかし何しろ慶太郎がああ云う男だし、お母さんもお前に好意はあるのだが、何しろこう云う時には女は頼りにならないものだから---」。「慶さんの態度がいけない。断るなら断るだけの明瞭(はっきり)した理由を何故云わないのだ。変に一時逃ればかりして此方に不愉快を与える事で間接に断る意志を仄(ほの)めかしている」。信行は返事をしなかった。「する事が余りに良心がなさ過ぎる」。「昔からそう云う奴だよ」と信行が云った。暫くして信行は帰って行った。 謙作はもう慶太郎の来る事を、あてにしてはいなかった。しかしもし来て、明瞭した理由を云ってくれたら、自分はまいるとしても、とにかく今の一人泥田へ落ち込んだようなこの不愉快からは脱けられるのだがと思った。慶太郎は矢張り愛子の結婚を手段として何かに利用する気に違いない。理由としてはそれ以外にない。しかしそれでもはっきり云って貰う方がいいが、慶太郎もそんな事を云う筈はないと思った。 謙作の予期通り、慶太郎は来なかった。その夜九時頃に謙作は慶太郎からの速達郵便を受取った。大阪からの電報で、今から急に帰らねばならなくなりました。多分二週間したら又出て來る心算(つもり)です。しかし君の話は母からよく聴いているから、大阪へ帰り次第、書面で御返事します。度々の破約は実に恐縮の至りです。何卒(なにとぞ)不悪(あしからず)。こんな事が走り書きにしてあった。それから一週間して大阪から今度は長い手紙が来た。こんな意味だった。 実は今度上京するひと月ほど前に永田さん(彼の方の課長で、謙作の父に引き立てられた男)から話があって、やはり会社の人だが、その人に愛子をやる事にして置いたのです。勿論僕だけの意見としてではあるが。それで、その用も兼ねて上京したところが、母から突然君の話を聴いて実は僕も驚いた次第です。僕は御承知の通り滅多に自家へは便りをしない方だし、何(いず)れ近く会うという気があったので、忙しさにまぎれこの事を早く母に知らせなかったのも悪かったが、それは自分だけの考えとしてにせよ、とにかく、永田さんや当人にはその事を承知した後(あと)なので、実に僕も当惑した。 勿論僕としては旧い友達である君の所へ愛子を上げたい気は充分にあるのですが、彼方(むこう)がいわば先約の話だ。僕は仕方ないから大阪へ帰って、彼方に十分な理解を求め、それを承諾さして、それから君の方の話を進めるより他ないと考えたので。ところが、永田さんはよかったが、本人がどうしても承知しないのです。自分はもう親類だの友人にすっかり話して了った。今更それだけの事で先約を破られては自分の顔が立たない。もしも君の方でどうしてもくれないと云う事なればそれ迄の話だが、僕にそれを同意させようと云うのは君の方が余りに勝手だと、もってのほかの剣幕でした。これはこの男として無理ない事と思います。 元々結婚の問題は全然僕に任せると云う愛子の言葉をそのままに僕が実行して、よく相談もせずに、大体の約束を決めて了ったのが悪かったが、こうなっては僕としてはやはり君の話をお断りして先約を守るより仕方ありません。以上の次第ですから帰阪の際など、色々君に不愉快を与えた事と思いますが、僕の気持ちも察して何卒総てをできるだけ善意に解して頂きます。云々(うんぬん) 謙作は読みながら、「嘘つけ!嘘つけ!」と何度となく呟いた。よくも空々しくこんな事が平気で書けるものだと思った。しかし愛子はそれから三月ほどして実際大阪へかたづいて行った。それは、或る金持ちの次男であったが、慶太郎の居る会社の男ではなかった。謙作の心に受けた傷は案外に深かった。それは失恋よりも、人生に対する或る失望を強いられる点でこたえた。元々愛子は仕方なかった。それに腹を立てる事はできなかった。それから慶太郎も仕方ない。今度のやり方でも腹は立つが如何にも慶太郎のやりそうな事と思われる点で、段々それほどには思わなくなった。只一番こたえたのは愛子の母の気持ちであった。日頃その好意を信じ切っていただけに、この結果になると、その好意とは全体どう云うものだったかが彼には全く解らなくなった。断られるまでも何か好意らしいものを見せられたら彼はまだ満足できた。ところが、それらしいものを全(まる)で見せられずに彼は突き放された。彼は不思議な気がした。しかし、「世のなかはこんなものだ」。こう簡単に諦めることもできなかった。もしそう簡単に片づけられたら、彼はまだしも楽だった。が、これができないだけに彼は一層暗い気持ちになった。 彼は書いて見る事で多少でもこの事がらを明瞭さす事ができるだろうと考えた。そして書いたが、やはり或るところまで来ると、どうしても理解できないものに行き当たった。人の心は信じられないものだと云う、俗悪な不愉快な考えが知らず知らず、自分の心に根を下ろして行くのを感ずると、彼はいやな気持になった。それには近頃段々面白くなくなって来た阪口との関係もあずかって力をなしていた。しかしこう傾いて行く考えに総て人生の観方(みかた)をゆだねる気は彼になかった。これは一時の心の病気だ、彼はそう考えようとしていた。が、それにしろ、新たに同じような失望を重ねそうな事には不知(いつか)、用心深くなっていた。寧ろ臆病になっていた。そして登喜子との事が既にそれであつた。彼は自分に盛り上がって来た感情を殺す事を恐れながら、さて近づこうとして、それが最初の気持ちには全(まる)で徹しない或る落ち着きへ来ると、それでも尚、突き進もうと云う気にはどうしてもなれなかった。其処で彼の感情も一緒に或る程度に萎(しな)びて了う。 |
(私論.私見)