「西郷南州翁遺訓」 |
(最新見直し2008.2.7日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
佐高信・氏の「西郷隆盛伝説」(角川学芸出版、2007.4.30日初版)を読み、「西郷南州翁遺訓」をサイトアップしておきたくなったので、ここにサイトを設ける。目下書店から取り寄せ中で、入手次第転写することにする。ネット検索で出てこないのは例の著作権に気兼ねしてであろうか。れんだいこは、理論的に克服しているので何の遠慮も無く良書普及に尽力したい。 2008.2.2日 れんだいこ拝 |
「南州翁遺訓を読む」(渡部昇一、至知出版社、1996.11.30日初版)を入手した。原著は、庄内藩の元家老を務めていた菅実秀・氏が、明治22年頃、生前の西郷と親しく交わり薫陶を受けた同藩の藩士・赤沢経言を主として、その他西郷に親しく学んだ同藩藩士への聞き取りを元にして書き上げたとのことである。翌明治23.4月、旧藩主・酒井忠篤が千部印刷して日本中のこれと思う有覚者に頒布したと云う。 読んでみて原文は漢文体なので、そのままではれんだいこも含め大抵の人が読めない。従って、これを訓読みにするが、現代では使わない難解文字が使われており、これを現代語に意訳することにした。その他表記もれんだいこ文法に従った。文責はれんだいこにある。以下、出航する。 2008.2.7日 れんだいこ拝 |
【遺訓1、宰相及び官吏の適正登用に配慮せよ】 |
廟堂に立ちて大政を為すは、天道を行うものなれば、些(いささ)かも私を挟みては済まぬものなり。いかにも心を公平に繰り、正道を踏み、広く賢人を選挙し、能くその職を任(たす)くる人を挙げて政柄(せいへい)を執らしむるが、即ち天意なり。 それゆえ、真に賢人と認むる以上は、直ちに我が職を譲るほどならでは叶(かな)わぬものぞ。ゆえに、なにほど国家に勤労有るとも、その職をを任(たす)けぬ人を官職を以って賞するは善からぬことの第一なり。官は、その人を選びて之を授け、功有る者には俸禄を以って賞し、之を愛しおくものぞと申さるるに付き、然らば「尚書仲き之書に『徳盛んなるは官を盛んにし、功盛んなるは賞を盛んにする』と之れ有り、徳と官と相(あい)配し、功と賞と相対するはこの義にて候いしや」と請問せしに、翁欣然として「その通りぞ」と申されき。 |
【遺訓2、朝令暮改する勿れ】 |
賢人百官を統(す)べ、政権一途に帰し、一格の国体定制無ければ、例え人材を登用し言路を聞き、衆説を容るるとも、取捨方向無く、事業雑駁にして成功有るべからず。昨日出でし命令の、今日忽ち易(か)えると云うようなるも、皆統括するところ一ならずして、施政の方針一定せざるの致すところなり。 |
【遺訓3、政治の要諦は、文、武、農の三つである】 |
政(まつりごと)の大体は、文を興し、武を振い、農を励ますの三つに在り。その他百般の事務は皆この三つのものを助けるの道具なり。この三つの中に於いて、時に従い勢いに因り、施行先後の順序は有れど、この三つのものを後にして他を先にするは更に無し。 |
【遺訓4、位上の者は率先励行せよ】 |
万民の上に位する者、己れを慎み、品行を正しくし、驕奢(きょうしゃ)を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思うようならでは、政令は行われ難し。然るに草創の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾を抱え、蓄財を謀りなば、維新の功業を遂げられまじきなり。今となりては、戊辰の義戦も偏(ひとえ)に私(わたくし)を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目無きぞとて、頻りに涙を催(もよう)されける。 |
【遺訓5、子孫に美田を残さず】 |
ある時、「幾度も辛酸を歴してこそ志が堅くなり始める。丈夫は玉となって砕けようとも、ひたすら瓦の如くに身を保全することを恥じる。一家に遺すべき事を人知らず。知る者が居るかどうか知らん。ならば教えよう。それは、児孫に美田を買ってはならぬと云う事である」との七言絶句を示されて、もしこの言に違うなば、西郷は言行反したるとて見限られよ、と申されける。 |
【遺訓6、器量を見定め人材配置せよ】 |
人材を採用するに、君子小人の弁、酷に過ぐる時は却って害を引き起こすものなり。そのゆえは、開闢以来世上一般十に七八は小人なれば、能く小人の情を察し、その長所を取りこれを小職に用い、その材芸を尽さしめるなり。東湖先生申されしは、「小人ほど才芸有りて用便なれば、用いざればならぬものなり。さりとて長官に据え重職を授くれば、必ず邦家を覆すものゆえ、決して上には立てられぬものぞ」となり。 |
【「命も要らず、名も要らず、官位も金もいらぬ」】 |
命も要らず、名も要らず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。この始末に困るも人ならでは艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。 去れ共、かようの人は、凡俗の眼には見得られぬぞと申さるるに付き、孟子に、「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行ふ、志を得れば民と之に由り、志を得ざれば独り其道を行ふ、富貴も淫(いん)すること能はず、貧賎(ひんせん)も移すこと能はず、威武も屈(くつ)すること能はず」と云ひしは、今仰せられし如きの人物にやと問ひしかば、いかにも其の通り、道に立ちたる人ならでは彼の気象は出ぬ也。 |
【「己に克つ」】 |
:「総じて人は己に克つをもって成り、自ら愛するをもって敗るるぞ」。すべての人間は己に克つことによって成功し、己を愛することによって失敗するものである。はじめはよく己を慎んで事を慎重にするから成功もし、名を顕われてくる。ところが成功して有名になるに従っていつのまにか自分を愛する心がおこり、畏れつつしむという精神がゆるんで、おごりたかぶる気分が多くなり、そのなし得た仕事をたのんで何でもできるという過信のもとにまずい仕事をするようになり、ついに失敗するものである。常に自分に打ち克って人が見ていない時も聞いていない時も自分を慎み戒めることが大事なことである。 |
【「功に碌を、能に位を」】 |
「功のあった人には禄を与えて、能力のある人には位を与えよ」 |
【「毀誉は塵に似たり」】 |
「世上(せじょう)の毀誉(きよ)軽きこと塵(ちり)に似たり」。 |
【「至誠天に通ず」】 |
「それ天下誠に非ざれば動かず。才に非ざれば冶まらず。誠の至るものその動くや通し」。 「節義、廉恥の心を失うようなことがあれば国家を維持することは決してできない。人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽し、人を咎(とが)めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。どんな制度や方法を議論してもそれを説く人がりっぱな人でなければ、うまくいかないだろう。立派な人があってはじめて色々な方法は行われるものだから人こそ第一の宝であって、自分がそういう立派な人物になるよう心掛けるのが何より大事なことである」。
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【「敬天公平」】 |
「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也」。 |
【「過ちを取り繕うことなかれ」】 |
「過ちを改むるに、自ら過ったとさへ思ひ付かば、それにて善し。其事をば棄てて顧みず、直に一歩踏出すべし。過ちを悔しく思い、取繕はんと心配するは、例えば茶碗を割り、その欠けらを集め合せ見るも同じにて、詮(せん)もなきこと也」。 「自分を愛すること、即ち自分さえ良ければいいというような心はもっともよくないことである。過ちを改めることの出来ないのも自分のたいしたことのない功績を誇り高ぶるのも自分を愛することからで、決してそういう利己的なことはしてはいけない」。 |
【「通ぜざるは我が誠の足らずを思え」】 |
「己を尽くして人を咎めず 我が誠の足らざるを常にたずぬるべし 我を愛する心を以って人を愛せ 自己を許すが如く人を許せ 人を責めるが如く自己を責めよ」。 |
【「為すとならば決然と行い、為さざると思わば断然行わぬべし」】 |
「道は決して多端なものでない。まことに簡単なものである。ただ白と黒の区別があるだけである。心慮りて白と思えば決然として行う。しばらくも猶予すべからず。心慮りて黒と思えば断然これを行わないことである」。 |
【「正道を歩み、詭計を避けよ」】 |
「どんな大きい事でもまたどんな小さな事でも、いつも正し道をふみ、真心を尽くし、決していつわりのはかりごとえを用いてはならない。人は多くの場合、あることにさしつかえが出来ると何か計略をつかって、そのさしつかえを通せば何とかなったかのように見えるが計略したがための心配がでたりして失敗するものである」。 「人をごまかして、かげでこそこそ事を企てる者は、たとえその事ができようとも物事を見抜くことが出きる人が見れば、みにくいことこのうえない」。 |
【「大事には生死を賭けよ」】 |
「道を行うものはどうしても困難な苦しいことに会うものだが、どんな難しい苦難に遭遇しても成功するか、失敗するかということや自分が生きるか死ぬかというようなことに少しもこだわってはならない」。 |
(私論.私見)