続々編1

更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.30日

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 2005.3.22日、2006.7.10日再編集 れんだいこ拝


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【続々編第一章】
 貫一が胸はますますく成りまさりぬ。彼をおもひ、これを思ふに、生きてあるべき心地はせで、むしろかのあやしき夢の如く成りなんを、快からずやと疑へるなり。彼はく万事をなげうちて、※(「りっしんべん+農」、第3水準1-84-64)おうのうの間に三日ばかりをしぬ。これを語らんに人なく、うつたへんには友なく、しかも自らすくふべき道はありや。ありとも覚えず、なしとは知れど、わづらふ者の煩ひ、悩む者の悩みてほしいままなるを如何にせん。彼は実にこの昏迷乱擾こんめいらんじようせる一根いつこんの悪障を抉去くじりさりて、猛火にかんことをこひねがへり。その時彼は死ぬべきなり。生か、死か。貫一の苦悶やうやく急にして、つひにこの問題の前にかうべを垂るるに至れり。値なき吾が生存は、又く値なき死亡を以つてへしむべき者か。悔にへざる吾が生の値なかりしを結ばんには、これを償ふに足るき死を以てざるべからざるか、るひは、ここに過多あやまちおほき半生の最期げて、に他の値ある後半の復活を明日みようにちに計るべきか。彼はあながちに死を避けず、又生をふにもあらざれど、ふたつながらその値なきを、ひそかいさぎよしとざるなり。当面の苦は彼に死を勧め、半生の悔ははぢを責めて仮さず。苦を抜かんが為に、我は値なき死を辞せざるべきか、あやまちを償はんが為に、我は楽しまざる生を忍ぶべきか。碌々ろくろくの生はやすし、死はかたし。碌々の死は易し、生はすなはち難し。我は悔いて人と成るべきか、死してその愚をまつたうすべきか。
 貫一は活を求めて得ず、死をもとめて得ず、居れば立つをおもひ、立てばすをおもひ、臥せば行くをおもひ、ぬれば覚め、覚むれば思ひて、夜もあらず、日もあらず、人もあらず、世もあらで、唯憂ただうれひ惑へる己一個おのれひとり措所無おきどころな可煩わづらはしきに悩乱せり。あだかもこの際なげうち去るべからざる一件の要事は起りぬ。先に大口おほぐち言込いひこみありし貸付の緩々だらだら急に取引迫りて、彼はちとの猶予もなく、自ら野州やしゆう塩原なる畑下はたおりと云へる温泉場おんせんじように出向き、そこ清琴楼せいきんろうと呼べる湯宿につきて、ひそか云々うんぬんの探知すべき必要を生じたるなり。謂知いひしらず※(「勞/心」、第4水準2-12-74)うるさしと腹立たれけれど、行懸ゆきがかりの是非なく、かつは難得えがたき奇景の地と聞及べば、少時しばしうさを忘るる事もあらんと、自ら努めて結束し、かの日よりおよそ一週間の後、彼はほとほと進まぬ足をきて家を出でぬ。そのあした横雲白よこぐもしろ明方あけがたの空に半輪の残月を懸けたり。一番列車を取らんと上野に向ふくるまの上なる貫一は、この暁の眺矚ながめうたれて、覚えず悚然しようぜんたる者ありき。
【続々編第一章の二】
 車はせ、景は移り、境は転じ、客は改まれど、貫一はかはらざる悒鬱ゆううついだきて、る方なき五時間のつかれつつ、始めて西那須野にしなすのの駅に下車せり。ただちに西北に向ひて、今尚いまなほ茫々ぼうぼうたるいにしへ那須野原なすのがはられば、天はひろく、地ははるかに、唯平蕪ただへいぶの迷ひ、断雲の飛ぶのみにして、三里の坦途たんと、一帯の重巒ちようらん、塩原はそこぞと見えて、行くほどにみちきはまらず、やうやく千本松を過ぎ、進みて関谷村せきやむらに到れば、人家の尽る処に淙々そうそうの響ありて、これにかかれるを入勝橋にゆうしようきようす。すなはち橋を渡りてわづかに行けば、日光くらく、山厚く畳み、嵐気らんきひややか壑深たにふかく陥りて、幾廻いくめぐりせる葛折つづらをりの、後には密樹みつじゆ声々せいせいの鳥呼び、前には幽草ゆうそう歩々ほほの花をひらき、いよいよのぼれば、はるか木隠こがくれの音のみ聞えし流の水上みなかみは浅くあらはれて、驚破すはや、ここに空山くうざんいかづち白光はつこうを放ちてくづれ落ちたるかとすさまじかり。道の右は山を※(「劉」の「金」に代えて「亞」、第4水準2-3-31)りて長壁と成し、石幽いしゆう蘚碧こけあをうして、幾条いくすぢとも白糸を乱し懸けたる細瀑小瀑ほそたきこたき珊々さんさんとしてそそげるは、嶺上れいじようの松の調しらべも、てこのよりやと見捨て難し。

 俥をりて白羽坂しらはざかえてより、回顧橋みかへりばしに三十尺の飛瀑ひばく※(「足へん+喬」、第3水準1-92-40)みて、山中の景は始て奇なり。これより行きて道あれば、水あり、水あれば、必ず橋あり、全渓にして三十橋、山あればいは)あり、巌あれば必ずたき)あり、全嶺ぜんれいにして七十瀑。地あれば泉あり、泉あれば必ず熱あり、全村にして四十五湯。なほ数ふれば十二勝、十六名所、七不思議、か一々さぐり得べき。そもそも塩原の地形たる、塩谷郡しほやごほりの南より群峰の間を分けて深く西北にり、綿々として箒川ははきがわの流にさかのぼ片岨かたそばの、四里にわかれ、十一里にわたりて、到る処巉巌ざんがんの水をはさまざるなきは、宛然さながら青銅の薬研やげん瑠璃末るりまつを砕くに似たり。先づ大網おほあみの湯をすぐれば、根本山ねもとやま魚止滝うおどめのたきちごふち左靱ひだりうつぼの険はりて、白雲洞はくうんどうほがらかに、布滝ぬのだきりゆう材木石ざいもくいし五色石ごしきせき船岩ふないわなんどと眺行ながめゆけば、鳥井戸とりいど前山まえやま翠衣みどりころもに染みて、福渡ふくわたの里にるなり。みちすがら前面むかひがけ処々ところどころ躑躅つつじの残り、山藤の懸れるが、はなはだ興ありと目留まれば、又このあたりこと谿たにく、水澄みて、大いなる古鏡こきようの沈める如く、深くおほへる岸樹がんじゆは陰々として眠るに似たり。貫一は覚えず踏止りぬ。

 かの逆巻さかまく波に分け入りし宮が、息絶えて浮び出でたりしそこの景色に、似たりともはなはだ似たる岸の布置たたずまひしげり状況ありさま乃至ないしたたふる水のあやも、透徹すきとほる底の岩面いはづらも、広さの程も、位置も、おもむきも、子細に看来みきたればいよいよたがはず。彼はまなじりきて寒慄かんりつせり。あやしむべきかなかつたりしところをそのままに夢むるためしはあれ、所拠よりどころもなく夢みし跡を、歴々まざまざとかく目前に見ると云ふもある事か。宮のむくろよこたはりし処も、又はおのれ追来おひきし筋も、かしこよ、ここよと、ひそかに一々しては、限りなおどろけるなり。

 車夫を顧みて、処の名を問へば、
不動沢ふどうざわと言ふ。物可恐ものおそろしげなる沢の名なるよ。げに思へば、人も死ぬべき処の名なり。我も既に死なんとせしがと、さすがうつつの身にもむ時、宮にはあらで山百合やまゆりの花なりし怪異を又おもひて、彼は肩頭かたさき寒くふるひぬ。にはかきびすかへして急げば、行路ゆくての雲間にふさがりて、咄々とつとつの物か、とまづかさるる異形いぎよう屏風巌びようぶいは、地を抜く何百じよう見挙みあぐる絶頂には、はらはら松もあやふ立竦たちすくみ、幹竹割からたけわり割放さきはなしたる断面は、半空なかそらより一文字に垂下すいかして、岌々きゆうきゆうたるそのいきほひほとんながむるまなことまらず。
 貫一は惘然ぼうぜんとしてたたずめり。彼が宮を追ひてまろび落ちたりし谷間の深さは、まさにこの天辺てつぺんの高きより投じたらんやうに、冉々せんせんとして虚空を舞下まひくだ危惧きぐ堪難たへがたかりしを想へるなり。われいまかつて見ざりつる絶壁! あやふしとも、可恐おそろしとも、夢ならずしていかでか飛下り得べき。又この人並ひとなみならぬ雲雀骨ひばりぼね粉微塵こなみじんに散つてせざりしこそ、まことに夢なりけれと、身柱ちりけひややかにひとみこらす彼のかたはらより、これこそ名にし負ふ天狗巌てんぐいわ、とたりがほにも車夫は案内あないす。貫一はかの夢の奇なりしより、更に更に奇なるこの塩原の実覚をば疑ひおそれつつ立ち尽せり。既にかくの如くなれば、怪はいよいよ怪に、るひは夢中に見たりしあとなほ着々ちやくちやく活現しきたりて、飽くまで我をおびやかさざればまざらんとするにあらずや、と彼は胸安からずも足にまかせて、かのいはほの頭上にそびゆるあたりに到れば、谿たに急に激折して、水これが為に鼓怒こどし、咆哮ほうこうし、噴薄激盪げきとうして、奔馬ほんばの乱れきそふが如し。

 この乱流の間に
よこたはりて高さ二丈に余り、そのいただきたひらかひろがりて、ゆたかに百人を立たしむべき大磐石だいばんじやく、風雨に歳経としふはだへ死灰しかいの色を成して、うろこも添はず、毛も生ひざれど、かたち可恐おそろしげにうづくまりて、老木の蔭を負ひ、急湍きゆうたんなみひたりて、夜な夜な天狗巌の魔風まふうに誘はれてえもしぬべき怪しの物なり。そのいにしへ蒲生飛騨守氏郷がもうひだのかみうじさとこの処に野立のだちせし事あるにりて、野立石のだちいしとは申す、と例のが説出ときいだすを、貫一はうなづきつつ、目を放たず打眺うちながめて、独りひそかに舌を巻くのみ。彼は壑間たにまの宮を尋ぬる時、この大石たいせきを眼下に窺ひ見たりしを忘れざるなり。又は流るる宮を追ひて、道なきにくるしめる折、左右には水深く、崖高く、前にはづべからざる石のふさがりたるを、ぢてに到りて進退きはまりつる、その石もこれなりけん、と肩はおのづそびえて、久しくとどまるにへず。

 
数歩すほを行けば、宮が命を沈めしそのふちと見るべき処も、彼がけたる帯をきしそのいはほも、歴然として皆なあらざるはなし! 貫一が髪毛かみのけはりの如くちてそよげり。彼の思いは前夜の悪夢を反復くりかへすにひとしき苦悩を辞する能はざればなり。夢ながら可恐おそろしくも、浅ましくも、悲くも、可傷いたましくも、く方なくて唯一図に切なかりしを、事もし一塲の夢にしてとどまらざらんには、そもそ如何! 今や塩原の実景は一々いちいち夢中の見るところ、しからばこの景既に夢ならず! 思掛おもひがけずもここに来にける吾身もまた夢ならず! ただ夢に欠く者とては宮一箇ひとりのみ。わづかに彼のここにきたらざるのみ※(感嘆符二つ、1-8-75) 貫一はかく思い到りて、我又夢に入りたるにあらざるかと疑はんとも為つ。夢ならずとば、我は由無よしなき処に来にけるよ。さいはひに夢に似る事なくてあれかし。あやしともはなはだ異し! く往きて、疾くかへらんと、にはかひきゐくるまに乗りて、白倉山しらくらやまふもと塩釜しおがま高尾塚たかおづか離室はなれむろ甘湯沢あまゆざわ兄弟滝あにおととのたき玉簾瀬たまだれのせ小太郎淵こたろうがぶちみちほとりに高きは寺山てらやま、低きに人家の在る処、即ち畑下戸はたおり

【続々編第二章】
 一村十二戸、温泉は五箇所にきて、五軒の宿あり。ここに清琴楼と呼べるは、南にあたりて箒川ははきがわゆるめぐれるかはらに臨み、しては、水石すいせき※(「隣のつくり+(巛の波が2本)」、第3水準1-89-85)りんりんたるをもてあそび、仰げば西に、富士、喜十六きじゆうろく翠巒すいらんと対して、清風座に満ち、そでの沢を落来おちくる流は、二十丈の絶壁に懸りて、※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)ねりぎぬを垂れたる如き吉井滝よしいのたきあり。東北は山又山を重ねて、※(「王+干」、第3水準1-87-83)ろうかん玉簾ぎよくれん深く夏日のおそるべきをさへぎりたれば、四面遊目ゆうもくに足りて丘壑きゆうかくの富をほしいままにし、林泉のおごりきはめ、又あるまじき清福自在の別境なり。

 貫一はこの絵をる如き清穏せいおんの風景にひて、かの途上みちすがらけはしいはほさかしき流との為に幾度いくたびこん飛び肉銷にくしようして、をさむるかたなく掻乱かきみだされし胸の内は靄然あいぜんとしてとみやはらぎ、恍然こうぜんとしてすべて忘れたり。彼は以為おもへらく。誠に好くこそ我はつれ! なんぞきたるのはなはだ遅かりし。山のうるはしとふも、つちうづたかき者のみ、川ののどけしと謂ふも、水のくに過ぎざるを、として抜く可からざる我が半生の痼疾こしつは、いかつちと水とのすべき者ならん、と歯牙しがにも掛けずあなどりたりしおのれこそ、先づ侮らるべきの者ならずや。

 
よ、看よ、木々の緑も、浮べる雲も、ひいづる峰も、流るるたにも、そばだいはほも、吹来ふきくる風も、日の光も、とりの鳴くも、空の色も、皆なおのづから浮世の物ならで、我はここにうれひを忘れ、しみを忘れ、しみを忘れ、つかれを忘れて、身はかの雲と軽く、心は水と淡く、こひねがはくは今よりかくのくして我生ををはらんかな。恋もあらず、うらみもあらず、金銭ぜにもあらず、権勢もあらず、名誉もあらず、野心もあらず、栄達もあらず、堕落もあらず、競争もあらず、執着もあらず、得意もあらず、失望もあらず、だ天然の無垢むくにして、形骸けいがいを安きのみなるこの里、我思わがおもひうづむるの里か、吾骨を埋るの里か。
 性来多く山水の美にしたしまざりし貫一は、ことに心の往くところを知らざるばかりによろこびて、清琴楼の二階座敷に案内あないされたれど、内にはらで、始より滝に向へる欄干らんかんりて、たまたま人中を迷ひたりし子の母の親にもひけんやうに、少時しばしはそのかたはらを離れ得ざるなりき。楼前の緑はやうやく暗く、遠近をちこちの水音えて、はや夕暮ゆふくるる山風の身にめば、先づ湯浴ゆあみなどせばやと、何気なく座敷に入りたる彼のまなこを、又一個ひとつ驚かす物こそあれ。かばんを置いたる床間とこのまに、山百合やまゆりの花のいと大きなるをただ一輪棒挿ぼうざしけたるが、茎形くきなりくねり傾きて、あたかも此方こなたに向へるなり。貫一は覚えず足を踏止めて、その※(「目+登」、第3水準1-88-91)みはれるまなこを花に注ぎつ。宮ははやここに居たりとやうに、彼は卒爾そつじの感につかれたるなり。既に幾処いくところの実景の夢と符合するさへあるに、またその殊に夢の夢なる一本ひともと百合のここにある事、畢竟ひつきよう偶合に過ぎずとは謂へ、さりとては余りにかの夢とこの旅との照応急に、因縁深きに似て、などかくは我を驚かすの太甚はなはだしき!

 奇をろうしてますます出づる不思議に、彼は益おそれして、るひはこのうちに天意の測り難き者有るなからんや、とさすがに惑ひ苦めり。やがて傍近そばちかく寄りて、幾許いかばかり似たるとむれば、打披うちひらけるはなびらとして玉をいたる如く、濃香芬々ふんふんほとばしり、葉色に露気ろき)ありて緑鮮みどりあざやかに、今朝けさりけんとおぼしき花のいきほひなり。しばらく楽まされし貫一も、これが為に興冷きようさめて、にはかに重きかしらを花の前に支へつつ、又かのうれひを徐々に喚起よびおこさんと為つ。「お風呂へ御案内申しませう」。その声に彼はをんなを見返りて、「ああ、ねえさん、この花を那裏そつちへ持つて行つておくれでないか」。「はあ、その花で御座いますか。旦那様は百合の花はおひで?」。「いや、にほひが強くて、頭痛がして成らんから」。「さやうで御座いますか。唯今ぢきに片付けますです。これはたつた一つ早咲はやざきで、めづらしう御座いましたもんですから、先程折つてまゐつて、いたづらに挿して置いたんで御座います」。「うう、成る程、早咲だね」。「さやうで御座います。来月あたりに成りませんと、余り咲きませんので、これがたつた一つありましたんで、まぐざきなので御座いますね」。「うう紛れ咲、さうだね」。「御案内致しませう」。
 風呂場にれば、一箇ひとりの客まづありて、燈点ひともさぬ微黯うすくらがり湯槽ゆぶねひたりけるが、何様人のきたるにおどろけるとおぼしく、はなはせはしげに身を起しつ。貫一が入れば、ぢきに上るとひとし洗塲ながし片隅に寄りて、色白きそびら此方こなたに向けたり。

 
年紀としのころは二十七八なるべきか。やや孱弱かよわなる短躯こづくりの男なり。しきり左視右胆とみかうみすれども、明々地あからさまならぬ面貌おもてかに認め難かり。されども、おのづか見識越みしりごしならぬはあきらかなるに、何がに人目をさくるが如きかたちすならん。華車きやしやなる形成かたちづくりは、ここ等辺らあたりの人にあらず、何人なにびとにして、何が故になど、貫一はいたづら心牽こころひかれてゐたり。

 やがて彼が出づれば、待ちけるやうに男は入れ替りて、なほ飽くまで
此方こなたを向かざらんと為つつ、蕭索しめやかつかふ音を立つるのみ。そのはだの色の男に似気無にげなく白きも、その骨纖ほねほそに肉のせたるも、又はその挙動ふるまひ打湿うちしめりたるも、その人をおそるる気色けしきなるも、すべおのづか尋常ただならざるは、察するに精神病者のたぐひなるべし。さては何の怪むところあらん。節は初夏のだ寒き、この寥々りようりようたる山中にきた宿とまれる客なれば、保養鬱散の為ならずして、湯治の目的なるを思ふべし。誠にさなり、彼は病客なるべきをと心釈こころとけては、はや目も遣らずなりけるひまに、男はゆあみ果てて、貸浴衣かしゆかた引絡ひきまとひつつ出で行きけり。

 暮色はいよいよ
こまやかに、転激うたたはげしき川音の寒さを添ふれど、手寡てずくななればやあかりも持きたらず、湯香ゆのか高く蒸騰むしのぼけむりの中に、り影暗くうづくまるも、すさまじき心地して、程なく貫一も出でて座敷に返れば、床間とこのまには百合の花もあらず煌々こうこうたる燈火ともしびの下に座を設け、ぜんを据ゑてかたはら手焙てあぶりを置き、茶器食籠じきろうなど取揃とりそろへて、この一目さすがに旅のつかれを忘るべし。先づ衣桁いこうにありける褞袍どてらかつぎ、夕冷ゆふびえの火もく引寄せてたばこふかしゐれば、天地しづか石走いはばしる水の響、こずゑを渡る風の声、颯々淙々さつさつそうそうと鳴りて、幽なること太古の如し。たちまちはたはたと跫音あしおと長く廊下にいて、先のにはあらぬ小婢こをんな夕餉ゆふげを運びきたれるに引添ひて、そこに出でたる宿のあるじは、「今日こんにちうこそ御越おこし下さいまして、さぞ御労様おつかれさまでゐらつしやいませうで御座ります。ええ、又唯今程は格別に御茶料をくだし置れまして、はなはだ恐入りました儀で、難有ありがたう存じまして、厚く御礼を申上げまするで御座います。

 ええ
前以ぜんもつておわびを申上げ置きまするのは、召上り物のところで御座りまして一向はや御覧の通何も御座りませんで、誠に相済みません儀で御座いまするが、実は、まだちよつと時候もお早いので、自然お客様のおこしも御座りませんゆゑ、何分用意とうも致し置きませんやうな次第で、然し、一両日いちりようにち中にはお麁末そまつながら何ぞ差上げまするやうに取計ひまするで御座いますで、どうぞ、まあ今明日こんみようにちのところは御勘弁を下さいまして、御寛ごゆるり御逗留ごとうりゆう下さいまするやうに。――これ、早う御味噌汁おみおつけをおへ申して来ないか」。

 
あるじの辞し去りて後、貫一は彼の所謂いはゆる何もなきわんも皿も皆な黄なる鶏子一色たまごいつしきの膳に向へり。「内にはお客は今幾箇いくたりあるのだね」。「這箇こちらの外にお一方ひとかたで御座りやす」。「一箇ひとり? あのお客は単身ひとりなのか」。「はい」。「さつきに湯殿でちよつつたが、男の客だよ」。「さよで御座りやす」。「あれは病人だね」。「どうで御座りやすか。――そんな事えで御座りやせう」。「さうかい。どこ不良わるいところはないやうかね」。「えやうで御座りやすな」。「どうも病人のやうだが、さうでないかな」。「ああ、旦那様はお医者様で御座りやすか」。貫一は覚えず噴飯ふんぱんせんと為つつ、「成る程、好い事を言ふな。俺は医者ぢやないけれど、どうも見たところが病人のやうだから、さうぢやないかと思つたのだ。もう長く来てゐるお客か」。「いんえ、昨日きのふいでになりやしたので」。「昨日来たのだ? 東京の人か」。「はい、日本橋の方のお方で御座りやす」。「それぢや商人あきんどか」。「私能く知りやせん」。「どうだ、お前達と懇意にして話をするか」。「そりやなさりやす」。「俺と那箇どつちが為る」。「旦那様とですけ? そりや旦那様のやうにはなさりやせん」。「うむ、さうすると、俺の方がお饒舌しやべりなのだな」。「あれ、さよぢや御座りやせんけれど、那裏あちらのお客様は黙つてゐらつしやる方が多う御座りやす。さうして何でもお連様つれさまぢきにいらしやるはずで、それを、まあえらう待つておいでなさりやす」。「おお、つれが後から来るのか。いや、大きに御馳走ごちそうだつた」。「何も御座りやせんで、お麁末様そまつさまで御座りやす」。

 
をんなは膳を引きて起ちぬ。貫一は顛然ころりたり。二十間も座敷の数ある大構おほがまへの内に、唯二人の客を宿せるだに、寂寥さびしさは既に余んぬるを、この深山幽谷の暗夜におほはれたる孤村の片辺かたほとりれる清琴楼の間毎にわたる長廊下は、星の下行く町の小路より、幾許いかばかり心細くも可恐おそろしき夜道ならんよ。戸一重外とひとへそとには、山颪やまおろしの絶えずおどろおどろと吹廻ふきめぐりて、早瀬の波の高鳴たかなりは、真に放鬼の名をもおもふばかり。折しも唾壺はひふき打つ音は、二間ふたまばかりを隔てて甚だ蕭索しめやかに聞えぬ。貫一はなにゆゑとも知らで、その念頭を得放れざるかの客の身の上をば、独り様々に案じ入りつつ、彼既に病客ならず、又我がる人ならずとば、何を以つて人をおそるるかたちすならん。そもそも彼は何者なりや。又何のとがむるところありて、さばかり人を懼るるや。貫一はこの秘密のかぎを獲んとして、左往右返とさまかうさまに暗中摸索もさくを費すなりき。
【続々編第二章その二】
 あくあしたの食後、貫一はづこの狭き畑下戸はたおり隅々すみずみまで一遍ひとわたり見周みめぐりて、ぼその状況を知るとともに、清琴楼の家格いへがらを考へなどして、かはらに出づれば、浅瀬にかかれる板橋の風情ふぜい面白く、渡れば喜十六の山麓さんろくにて、十町ばかり登りて須巻すまきの湯ありと教へらるるままに、そこまで往きて、ひる近き頃宿に帰りぬ。汗を流さんと風呂場に急ぐ廊下の交互すれちがひに、貫一はあたかもかの客の湯上りに出会へり。こたびも彼はおもてを見せじとやうに、慌忙あわただし打背うちそむきて過行くなり。今は疑ふべくもあらず、彼はまさしく人目を避けんと為るなり。すなはち人を懼るるなり。故は、自らとがむるなり。彼は果して何者ならん、と貫一はいよいよ深く怪みぬ。

 
昨日きのふこそ誰乎彼たそがれ※(「黯のへん+甚」、第4水準2-94-61)くらがりにて、分明さやか面貌かほかたちを弁ぜざりしが、今の一目は、みづからも奇なりと思ふばかりくも、彼の不用意のうちに速写機の如き力を以てして、その映じきたりし形をすべのがさずとらへ得たりしなり。貫一はその相貌そうぼう瞥見べつけんりて、ただちに彼の性質をうらなはんとこころむるまでに、いと善く見極みきはめたり。されども、いかにせん、彼の相するところは始めに疑ひしところとすこぶる一致せざる者あり。彼まことに人を懼るるとば、彼の人を懼るる所以ゆゑんと、我より彼の人を懼るる所以とす者とは、るひややおもむきことにせざらんや。又想ふに、彼は決して自らとがむるところなどあるに非ずして、だそのせい多羞シャイなるが故のみか、いまだ知るべからず。この二者ふたつさきのをも取り難く、さすがに後のにもうなづきかねて、彼は又あらた打ち惑へり。

 
午飯ひるめしの給仕には年嵩としかさをんな出でたれば、余所よそながらかの客の事を問ひけるに、はしをも取らで今外に出で行きしと云ふ。「はあ、めしも食はんで? どこへ行つたのかね」。「何でも昨日きのふあたりお連様つれさまがおいではずになつてをりましたので御座いませう。それを大相お待ちなすつてゐらつしやいましたところが、到頭お着がないもんで御座いますから、今朝けさから御心配あそばして、停車場ステエションまで様子を見がてら電報を掛けに行くと有仰おつしやいまして、それでお出ましに成つたので御座います」。「うむ、それは心配だらう。能くある事だ。しかし、飯も食はずに気をんでゐるとは、どう云ふつれなのかな。――年寄としよりか、をんなででもあるか」。「如何で御座いますか」。「お前知らんのか」。「存じません」。彼は覚えず小首をかたむくれば、「旦那も大相御心配ぢや御座いませんか」。「さう云ふ事を聞くと、も気になるのだ」。「ぢや旦那も余程よつぽど苦労性の方ですね」。「大きにさうだ」。「それぢやお連様がいらしつて見て、お年寄か、お友達ならよろしう御座いますけれど、もしも、ねえ、貴方あなた、おくしい方か何かだつた日には、それこそ旦那は大変で御座いますね」。「どう大変なのか」。「又御心配ぢや御座いませんか」。「うむ、大きにこれはさうだ」。
 風恬かぜしづかに草かをりて、唯居るは惜き日和ひより奇痒こそばゆく、貫一は又出でて、塩釜の西南十町ばかりの山中なる塩の湯と云ふに遊びぬ。かへればく夕暮るる頃なり。例の如く湯にりて、あがればぢきぜん持ち出で、あかしも漸く耀かがやきしに、かの客、いまだ帰りず、「閑寂しづかなのもよいけれど、外に客と云ふ者がなくて、まるでかう独法師ひとりぼつちも随分心細いね」。託言かごとがましく貫一は言出づれば、「さやうでゐらつしやいませう、何と申したつてこの山奥で御座いますから。全体旦那がお一人でゐらつしやると云ふお心懸こころがけが悪いので御座いますもの、それは為方が御座いません」。婢はわざとらしう高笑たかわらひしつ。「成る程、これは恐れ入つた。今度から善く心得て置く事だ」。「今度なんて仰有おつしやらずに、旦那も明日あしたあたり電信でお呼び寄になつたら如何で御座います」。「五十四になる老婢ばあやを呼んだつて、お前、始まらんぢやないか」。「まあ、旦那はあんな好い事を言つてゐらつしやる。その老婢さんの方でないのをお呼びなさいましよ」。「気の毒だが、内にはそれつきりより居ないのだ」。「ですから、旦那、づつとほかにお在んなさるので御座いませう」。「そりや外には幾多いくらでも在るとも」。「あら、御馳走で御座いますね」。「なあに、能く聴いて見ると、それがみんな人の物ださうだ」。「何ですよ、旦那。貴方、本当の事を有仰おつしやるもんですよ」。「本当にもうそにもその通だ。なんぞはそんな意気な者があれば、何為なにしにこんな青臭い山の中へ遊びに来るものか」。「おや! どうせ青臭い山の中で御座います」。「青臭いどころか、お前、天狗巌てんぐいわだ、七不思議だと云ふ者がある、可恐おそろしい山の中に違いないぢやないか。そこへ彷徨のそのそひまさうなかほをして唯一箇たつたひとりつて来るなんぞは、能々よくよく間抜まぬけと思はなけりやならんよ」。「それぢや旦那は間抜なのぢや御座いませんか。そんな解らない事があるものですか」。「間抜にも大間抜よ。宿帳を御覧、東京間抜まぬけ一人いちにんと附けてある」。「そのそばに小く、下女塩原間抜一人と、ぢや附けさせていただきませう」。「面白い事を言ふなあ、おまへは」。「やつぱり少し抜けてゐる所為せゐで御座います」。

 彼は食事を
をはりて湯浴ゆあみし、少焉しばらくありて九時を聞きけれど、かの客はいまだ帰らず。寝床にりて、程なく十時の鳴りけるにも、水声く楼をめぐりて、松の嵐の枕上ちんじように落つるあるのみなり。始めよりその人を怪まざらんにはこのとがむるに足らぬ瑣細ささいの事も、大いなる糢糊もこの影をして、いよいよ彼がうたがひまなこさへぎきたらんとするなりけり。貫一はほとほと疑ひ得らるる限り疑ひて、みづからもそのぼうすぐるの太甚はなはだしきを驚けるまでに至りて、始てめんとしたり。これにいで、彼はそもそも何のりて、肥瘠ひせきも関せざるかの客に対して、かくばかり軽々しく思を費し、又おもひかくるの固執なるや、その謂無いはれなおのれをば、敢て自ら解かんと試みつ。されども、人は往々にして自らひきゐるその己を識る能はず。貫一は抑へて怪まざらんとば、理に於て怪まずしてあるべきを信ずるものから、又幻視せるが如きその大いなる影の冥想めいそうの間に纏綿てんめんして、るひは理外にある者あるなからんや、と疑はざらんとするかたはらよりかへりてまどはしむるなり。
 表階子おもてばしごの口にかかれる大時計は、病みつかれたるやうの鈍き響をして、廊下のやみ彷徨さまよふを、数ふればまさに十一時なり。かの客はこの深更しんこうに及べどもいまだ帰りず。彼は帰り来らざるなるか、帰り得ざるなるか、帰らざるなるかなど、又思放おもひはなつ能はずして、貫一は寝苦き枕を頻回あまたたびへたり。今や十二時にも成りなんにと心に懸けながら、その音は聞くに及ばずしてを催せり。日高ひだかき朝景色の前に起出づれば、座敷の外を小婢こをんな雑巾掛ぞうきんがけしてゐたり。「お早う御座りやす」。「ねむさうな顔をしてゐるな」。「はい、昨夜よんべ那裏あちらのお客様がおになるかと思つて、遅うまで待つてをりやしたで、今朝睡うござりやす」。「ああ、あのお客は昨夜ゆふべは帰らずか」。「はい、おが御座りやせん」。貫一はかの客の間の障子を開放あけはなしたるを見て、咥楊枝くはへようじのまま欄杆伝てすりづたひにおもてを眺め行くふりして、その前をすぐれば、床の間に小豆革あづきがは手鞄てかばんと、浅黄あさぎキャリコの風呂敷包とをならべて、そばに二三枚の新聞紙を引※ひつつく[#「捏」の「日」に代えて「臼」、418-16]ね、衣桁いこうに絹物のあはせを懸けて、そのすそに紺の靴下を畳置きたり。さては本意無ほいなきまでに、座敷の内には見出みいだすべき異状もあらで、彼は宿帳にりて、洋服仕立商なるを知りたると、あへそむくところありとも覚えざるなりき。

 拍子抜して
もどれる貫一は、心私こころひそかにその臆測のいりほがなりしを※(「女+鬼」、第4水準2-5-73)ぢざるにもあらざれど、又これが為に、ただちに彼の濡衣ぬれぎぬ剥去はぎさるまでに釈然たる能はずして、好し、この上はその待人まちびと如何なる者なるかを見て、疑は決すべしと、やがてその消息をもたらきたるべき彼の帰来かへりの程を、陰ながら最更いとさらに遅しと待てり。夜は山精木魅さんせいもくびの出でて遊ぶを想はしむる、陰森凄幽いんしんせいゆうの気をこらすに反してこの霽朗せいろうなる昼間の山容水態は、明媚めいびいかでかん、天色大気もほとん塵境以外じんきよういがいの感なくんばあらず。黄金こがね織作おりなせるうすものにも似たるうるはしき日影をかうむりて、万斛ばんこくの珠を鳴す谷間の清韻を楽みつつ、欄頭らんとうの山を枕に恍惚こうこつとして消ゆらんやうに覚えたりし貫一は、急遽あわただし跫音あしおとの廊下をうごかきたるにおどろかされて、起回おきかへりさまにかしら捻向ねぢむくれば、何事とも知らず、年嵩としかさをんな駈着かけつくるなり。「ちよいと旦那、参りましたよ、参りましたよ! 早くいらしつて御覧なさいまし。些と早く」。「何が来たのだ」。「何でも可いんですから、早くいらつしやいましよ」。「何だ、何だよ」。「早く階子はしごの所へいらしつて御覧なさい」。「おお、あの客が還つたのか」。彼ははや飛ぶが如くに引返して、貫一のことばは五間も後に残されたり。彼が注進の模様は、見るべき待人を伴ひ帰れるならんをと、ぐに起ちて表階子おもてはしごあたりに行く時、既におそ両箇ふたりの人影はてすりの上にあらはれたり。
 鍔広つばひろなる藍鼠あゐねずみ中折帽なかをれぼう前斜まへのめりかむれる男は、例のおもてを見せざらんとすれど、かの客なり。引連れたる女は、二十歳はたちを二つ三つも越したるし。銀杏返いてふがへし引約ひつつめて、本甲蒔絵ほんこうまきゑ挿櫛さしぐし根深ねぶかに、大粒の淡色瑪瑙うすいろめのう金脚きんあし後簪うしろざし堆朱彫ついしゆぼり玉根掛たまねがけをして、びん一髪いつぱつをも乱さず、きはめて快く結ひしたり。葡萄茶えびちや細格子ほそごうし縞御召しまおめし勝色裏かついろうらあはせを着て、羽織は小紋縮緬こもんちりめん一紋ひとつもん阿蘭陀オランダ模様の七糸しつちん袱紗帯ふくさおび金鎖子きんぐさりほそきを引入れて、なまめかしき友禅染の襦袢じゆばんそでして口元をぬぐひつつ、四季袋しきぶくろ紐短ひもみじかにげたるが、此方こなたを見向ける素顔の色あをく、口のべにさで、やや裏寂うらさびしくも花の咲過ぎたらんやうの蕭衰やつれを帯びたれど、美目のへんたる色香いろか尚濃なほこまやかにして、そぞろ人に染むばかりなり。両箇ふたりは彼の見る目の顕露あらはなるに気怯きおくれせる様子にて、先を争ふ如く足早に過行きぬ。貫一もまたその逢着ほうちやくの唐突なるに打惑ひて、なかなかくはしく看るべきいとまあらざりけれど、その女は万々彼の妻なんどにはあらじ、とり合点せり。

【続々編第三章】
 かの男女なんによ※(「女+兌」、第4水準2-5-59)いとしさにへざらんやうに居寄りて、手に手をまじへつつ密々ひそやかに語れり。「さうなの、だから私はどんなに心配したか知れやしない。なかなか貴方あなたがここで想つてゐるやうな訳に行きはませんとも。そりや貴方の心配もさうでせうけれど、私の心配と云つたら、本当になかつたの。察しるがいつて、そりや貴方、お互いぢやありませんか。ああ、私は今だに胸が悸々どきどきして、後から追掛おつかけられるやうな気持がして、何だか落着かなくていけない」。「まあ何でも、かうして約束通りへりや上首尾なんだ」。「全くよ。一昨日をととひの晩あたりの私の心配と云つたら、こりやどうだかと、さう思つたくらゐ、今考へて見れば、自分ながら好く出られたの。やつぱり尽きない縁なのだわ」。ちよと男の顔をみやりて、るるまぶたを軽くぬぐへり。「その縁の尽きないのが、究竟つまり彼我ふたりの身の窮迫つまりなのだ。もかう云ふ事に成らうとは思はなかつたが、成る程、悪縁と云ふ者は為方しかたのないものだ」。女は尚窃なほひそかに泣きゐるおもてそむけたるまま、「貴方はぢきに悪縁だ、悪縁だと言ふけれど、悪縁ならどうするんです!」。「悪縁だからかうなつたのぢやないか」。「かう成つたのがどうしたんですよ!」。「今更どうするものか」。「当然あたりまへさ! 貴方は一体水臭いんだ※(感嘆符二つ、1-8-75)」。「おい、おしず、水臭いとは誰の事だ」。

 色を
せる男のまなこは、つとく涙に輝けり。「貴方の事さ!」。 女の目よりは漣々はらはらこぼれぬ。「俺の事だ※(疑問符感嘆符、1-8-77) お静……手前てめへはそんな事を言つて、それで済むと思ふのか」。「済んでも済まなくても、貴方が水臭いからさ」。「だそんな事を言やがる! さあ、何が水臭いか、それを言へ」。「はあ、言ひますとも。ねえ、貴方はひとの顔さへ見りや、ぢきに悪縁だと云ふのが癖ですよ。彼我ふたりの中の悪縁は、貴方がそんなにいはなくたつて善く知つてゐまさね。何も貴方一箇ひとりの悪縁ぢやなし、私だつてこれでも随分ふにいはれない苦労を為てゐるんぢやありませんか。それを貴方がさもさも迷惑さうに、何ぞのはしには悪縁だ悪縁だとお言ひなさるけれど、きかされる身に成つて御覧なさいな。あんまい心持は為やしません。それも不断ならともかくもですさ、この場になつてまでも、さう云ふ事を言ふのは、貴方の心が水臭いからだ――何がさうでない事が有るもんですか」。「悪縁だから悪縁だと言ふのぢやないか。何も迷惑して……」。「悪縁でも可ござんすよ!」。
 彼らは相背あひそむきてしばら語無ことばなかりしが、女は忍びやかに泣きゐたり。「おい、お静、おい」。「貴方きつと迷惑なんでせう。貴方がそんな気ぢや、私は……実に……つまらない。私はどうせう。情ない!」。お静はつひに顔をおほうて泣きぬ。「何だな、お前も考へて見るがよいぢやないか。それを迷惑とも何とも思はないからこそ、世間を狭くするやうななかにも成りさ、又かう云ふ……なあ……訳なのぢやないか。それをうそにも水臭いなんていはれりや、俺だつてくやしいだらうぢやないか。余り悔くて俺は涙が出た。お静、俺は何も芸人ぢやなし、お前に勤めてゐるんぢやないのだから、さう思つてゐてくれ」。「狭山さやまさん、貴方もそんなに言はなくたつてよいぢやありませんか」。「お前が言出すからよ」。「だつて貴方がかう云ふ場になつて迷惑さうな事を言ふから、私は情なくなつて、どうしたらよからうと思つたんでさね。ぢや私が悪かつたんだからあやまります。ねえ、狭山さん、ちよいと」。お静の顔を打矚うちまもりつつ、男は茫然ぼうぜんたるのみなり。「狭山さんてば、貴方何を考へてゐるのね」。「知れた事さ、彼我ふたりの身の上をよ」。「何だつてそんな事を考へてゐるの」。「…………」。「今更何も考へる事はありはしないわ」。狭山は徐々おもむろに目をうつして、太息といき※(「口+句」、第3水準1-14-90)いたり。「もうそんな溜息ためいきなんぞを※(「口+句」、第3水準1-14-90)くのはおしなさいつてば」。「お前二十……二だつたね」。「それがどうしたの、貴方が二十八さ」。「あの時はお前が十九の夏だつけかな」。「ああ、さう、何でもあはせを着てゐたから、丁度今時分でした。湖月こげつさんのあの池に好いお月がしてゐて、あつたかい晩で、貴方と一処に涼みに出たんですよ、善く覚えてゐる。あれが十九、二十、二十一、二十二と、まる三年に成るのね」。「おお、さうさう。昨日きのふのやうに思つてゐたが、もう三年に成るなあ」。「何だか、かう全で夢のやうね」。「ああ、夢だなあ!」。「夢ねえ!」。「お静!」。「狭山さん!」。両箇ふたりは手をり、ひざを重ねて、同じ思を猶悲なおかなしく、「ゆ……ゆ……夢だ!」。「夢だわ、ねえ!」。声立てじと男の胸に泣附く女。「かう成るのもみんな約束事ぢやあらうけれど、那奴あいつさへ居なかつたら、貴方だつて余計な苦労は為はしまいし。私は私で、ああもかうも思つて、末始終の事も大概考へて置いたのだから、もう少しの間時節が来るのを待つてゐられりや、曩日いつか御神籤通おみくじどほりな事に成れるのは、もう目に見えてゐるのを、那奴あいつが邪魔して、横紙よこがみを裂くやうな事を為やがるばかりに大事に為なけりや成らない貴方の体に、取つて返しの付かない傷まで附けさせて、私は、狭山さん、あんまり申訳がない! かん……にん……して下さい」。「そりやなあに、お互いの事だ」。「いいえ、私がもう少し意気地があつたら、かうでもないんだらうけれど、胸には色々あつても、それが思い切つてできない性分だもんだから、ついこんな破滅はめにも成つて了つて、私は実に済まないと、自分の身を考へるよりは、貴方の事が先に立つて、さぞ陰ぢや迷惑もしておいでなんだらうに、逢ふたんびに私の身を案じて、いつも優くして下さるのはあだおろかな事ぢやないと、私はうれしいより難有ありがたいと思つてゐます。だものだから、近頃ぢや、貴方に逢ふとぢきに涙が出て、何だか悲くばかりなるのが不思議だと思つてゐたら、果然やつぱりかう云ふ事になるしらせだつたんでせう。貴方にはお気の毒だ、お気の毒だ、と始終自分が退けてゐるのに、悪縁だなんぞと言れると、私は体が縮るやうな心持がして、ああ、さうでもない、貴方が迷惑してゐるばかりならまだよいけれど、取んだ者に懸り合つた、ともしや後悔しておいでなんぢやなからうかと思ふと、私だつて好い気持はしないもんだから、つい向者さつきはあんなに言過ぎて、私は誠に済みませんでした。それはもう貴方の言ふ通り悪縁には差無ちがひないんだけれど、後生だからそんな可厭いやな事は考へずにゐて下さい。私はこれで本望だと思つてゐる」。
 「生木なまきいて別れるよりは、まあましだ」。「別れる? ああ可厭いやだ! 考へても慄然ぞつとする! 切れるの、別れるのなんて事は、那奴あいつが来ない前には夢にだつて見やしなかつたのを、切れろ切れろぢや私もどの位内で責められたか知れやしない。さうして挙句あげくがこんな事に成つたのも、想へばみんな那奴のお蔭だ。ええ、い! 私はきつと執着とつついても、このうらみは返してるから、覚えてゐるがいい!」。女は身をふるはせてののしるとともに、念入おもひいりてのろふが如き血相をせり。不知しらず、この恨み、ののしり、呪はるる者は、何処いづくならんよ。「那奴も好加減な馬鹿ぢやないか!」。男は歯咬はがみしつつ苦しげに嗤笑ししようせり。「馬鹿も大馬鹿よ! 方図の知れない馬鹿だわ。畜生! 所歓いろのある女が金でなびくか、靡かないか、ちつとは考へながら遊ぶがよい。来りや不好いやな顔を為て遣るのに、それさへ解らずに、もう※(「勞/心」、第4水準2-12-74)うるさく附けつ廻しつして、了局しまひには人の恋中の邪魔を為やがるとは、那奴もく能くの芸無猿げいなしざるにできてゐるんだ。憎さも憎し、私はもう悔くて、悔くて、狭山さん、実はね、私はこの世の置土産おきみやげに、那奴の額を打割ぶちわつて来たんでさね」。「ええ、どうして!」。

 「なあにね、貴方に別れたあの
翌日あくるひから、延続のべつに来てゐやがつて、ちつとでもそばを離さないんぢやありませんか。這箇こつちは気が気ぢやないところへ、もう悪漆膠わるしつこくてたまらないから、病気だとつて内へげて来りや、すぐ追懸おつかけて来て、附絡つきまとつてゐるんでせう。さうすると寸法は知れてまさね、ちやんわたりが付いてゐるんだから、阿母おつかさんはそばから『ちやほや』して、そりや貴方、真面目まじめぢや見ちやゐられないお手厚てあつさ加減なんだから、那奴は図に乗つて了つて、やあ、風呂をわかせだ事の、ビイルをひやせだ事のと、あの狭い内へ一個ひとりで幅をやがつて、なかなかいごきさうにも為ないんぢやありませんか。私は全で生捕いけどりに成つたやうなもので、出るには出られず、這箇こつちの事があるから、さうしてゐるそらはなし、あんな気のめた事はありはしない――本当ほんとにどうせうかと思つた。

 ええ、なあに、あんな奴は
打抛出おつぽりだしていて、這箇こつち掻巻かいまき引被ひつかぶつて一心に考へてゐたんですけれど、もうれたくて耐らなくなつて来たから、不如いつそかまはず飛び出して了はうかと、余程よつぽどさう念つたものの、丹子たんこの事も、ねえ、考へて見りや可哀かはいさうだし、あの子を始め阿母さんまで、私ばかりをにしてゐるものを、さぞや私のい後には、どんなにか力も落さうし、又あの子も為ないでも好い苦労を為なけりやなるまいと、そればかりにひかされて、色々話もあるものだから、あの子の阿母さんにも逢つて遣りたし、それに、私も出るに就いちや、しておかなけりやならない事もあるしするので、到頭遅々ぐづぐづして出損でそこなつて了つたんです。さうすると、どうでせう、まあ、那奴はその晩二時過までうで付いてゐて、それでも不承々々にかへつたのはよい。すると翌日あくるひは半日阿母さんのお談義が始まつて、好加減に了簡りようけんを極めろでせう。さう言つちや済まないけれど、育てた恩も聞き飽きてゐるわ。それを追繰返おつくりかへし、引繰返ひつくりかへし、悪体交あくたいまじりには、散々聴せて、了局しまひは口返答したと云つて足蹴あしげにする。

 なあに、私は足蹴にされたつて、
ぶたれたつて、それを悔いとは思やしないけれど、這箇こつちだつて貴方と云ふ者があると思ふから、もう一生懸命にかせいで、するだけの事はちやんとしてあるのに、何ぼ慾にきりがないと謂つても、自分の言条いひじようばかり通さうとして、ひとにはちつとでも楽をさせない算段を為る。私だつて金属かねでできた機械ぢやなし、さうさう駆使こきつかはれてお為にばかり成つてゐちや、這箇こつちの身が立ちはしない。別にどうしてくれなくても、訳さへ解つてゐてくれりや、辛いぐらゐは私は辛抱する。所歓いろいて了ふし、旦那取だんなとりはしろと云ふ。そんな不可いや真似まねを為なくても、立派に行くやうに私が稼いであるんぢやありませんか。それをさう云ふ無理を言つてからに、素直でないの、馬鹿だのと、足蹴にするとは……何……何事で……せう!それぢや私もかつとして、もう我慢が為切れなく成つたから、物も言はずに飛出さうと為る途端に、運悪く又那奴あいつが遣つて来たんぢやありませんか。さあ、つかまつて了つて、そこ場図ばつにげるには迯られず、阿母おつかさんはたりかしこしなんでせう、一処に行け行けとやかましく言ふし、那奴は何でも来いと云つて放さない。私も内を出た方が都合が好いと思つたから、まあ言ふなりに成つて、例の処へ※(「てへん+曳」、第4水準2-13-5)ひつぱられて行つたとお思ひなさい。あの長尻ながちりだから、さあ又還らない、さうして何か所思おもはくでもあつたんでせうよ、何だか知らないけれど、その晩に限つて無闇むやみとお酒をしひるんでさ。這箇こつち鬱勃肚むしやくしやばらで、飲めもしないのに幾多いくらでも引受けたんだけれど、酔ひさうにも為やしない。その内に漸々そろそろ又おきまりの気障きざな話を始めやがつて、這箇こつちが柳に受けて聞いてゐて遣りや、いいかと思つて増長して、あきれた真似まねを為やがるから、性のつく程諤々つけつけさう言つて遣つたら、さあ自棄やけに成つて、それから毒吐どくつき出して、やあ店番の埃被ほこりかぶりだの、冷飯吃ひやめしくらひの雇人やとひにんがどうだのと、聞いちやゐられないやうな腹の立つ事を言やがるから、這箇こつちも思切つて随分な悪体あくたいいて遣つたわ、私は。さうすると、了局しまひに那奴は何と言ふかと思ふと、幾許いくら七顛八倒じたばたしても金でしばつて置いた体だなんぞ、といた風な事を言ふんぢやありませんか。だから、私はさう言つて遣つた、お気の毒だが、貴方は大方目がくらんで、そりやお袋を縛つたんだらうつて」。
 聴ゐる狭山は小気味好こきみよしとばかりにうなづけり。「それで那奴あいつ全然すつかりおこつて了つて、それからの騒擾さわぎでさ。無礼な奴だとか何とか言つて、私はえりを持つて引擦ひきずたふされた。随分飲んでゐたから、やつぱり酔つてゐたんでせう。その時はもうまるで夢中で、ただ那奴の憎らしいのが胸一杯に込上こみあげて、這畜生こんちくしようと思ふと、突如いきなりそこにあったお皿を那奴の横面よこつつら叩きけてやった。丁度それが眉間みけん打着ぶつかつて血が淋漓だらだら流れて、顔が半分真赤に成つて了つた。これは居ちや面倒だと思つたから、家中大騒を遣つてゐるすきを見て、そつと飛出した事は飛出したけれど、別に往所ゆきどころもないから、丹子の阿母おつかさんの処へ駈込かけこんだの。ところが、好かつた事には、今旅から帰つたと云ふところなんで、時間を見ると、十時余程よつぽど廻つてゐるんでせう。※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きしやはもう出ず、気ばかりはくけれど、若箇道どつちみち間に合ふんぢやなし、それに話はあるしするもんだから、一晩厄介に成る事にして、髪なんぞを結んでもらひながら、ちつと訳があつて、貴方と一処に当分身を隠すのだと云ふやうに話をしてね、それから丹子の事もくはしく言いおいて遣りましたら――善い人ね、あの阿母さんは――おいおい泣出して、自分の子の事はふつつりとも言はずに、唯私の身ばかりを案じて、ああのかうのと色々言つてくれたその実意と云つたら……ああ、同じ人間でありながら、内の阿母さんは、実に、あなた、鬼ですわ! 私もあの子の阿母さんのやうな実の親があつたらば、こんな苦労はしやしまいし、又貴方のやうな方のあるのを、さぞかし力におもつて、喜びも為やうし、大事にもする事だらうと思つたら、もうもう悲くなつて、悲くなつて、如何に何でもあんまり情なくて、私はどんなに泣きましたらう。それに、私をばあんなにに為てゐた阿母さんの事だから、当分でも田舎ゐなかへ行つて了ふと云ふのを、それは心細がつて、力を落したの何のと云つたら、私も別れるのが気の毒に成るくらゐで、先へ落付いたら、どうぞ一番に住所ところを知せてくれ、初中終しよつちゆう旅を出行であるいてゐる体だから、ぢき御機嫌伺ごきげんうかがひに出ると、その事をあんなに懇々くれぐれも頼んでゐましたから、後で聞いたら、さぞ吃驚びつくりして……きつとわづらひでも為るでせうよ。考へて見りや、丹子も可愛かはいし、あの阿母さんもいとしいし。ああ、吁!」。

 
歔欷すすりなきして彼はもだえつ。「さう云ふ訳ぢや、猶更なほさら内ぢや大騒をして捜してゐる事だらう」。「大変でせうよ」。「それだとあんま遅々ぐづぐづしちやゐられないのだ」。「どうで、狭山さん、先は知れてゐ……」。「さうだ」。「だからねえ、もう早い方がよぅござんすよ」。女はむせびて其処そこに泣き伏しぬ。狭山は涙を※(「目+荅」、第4水準2-82-12)しばたたきて、「お静、おい、お静や」。「あ……あい。狭山さん!」。あはれむべし、情極じようきはまりて彼らの相擁あひようするは、畢竟ひつきよう尽きせぬ哀歎なげきいだくが如き者ならんをや。
【続々編第三章の二】
 両箇ふたり此方こなたにかつ泣きかつ語れる間、彼方あなた一箇ひとり徒然つれづれの柱にりて、やうやう傾く日影に照されゐたり。その待人の如何なる者なるかを見て、疑は決すべしと為せし貫一も、かの伴ひ還りし女を見るに※(「二点しんにょう+台」、第3水準1-92-53)およびて、その疑はいよいよ錯雑して、しかも新なる怪訝あやしみの添はるのみなり。如何なればや、女の顔色もはなはすぐれず、その点の男といと善く似たるは、同じ憂を分つにあらざるなからんや。我聞く、犯罪の底には必ず女ありと、まことなりとせば、彼はまさし彼女かのをんなゆゑに如何なる罪をも犯せるならんよ。その罪のに男は苦しみ、その苦の故に女は憂ふるとば、彼らは誠に相愛あひあいするの堅き者ならず。知らず、彼らはの故に相率あひひきゐてこの人目まれなる山中やまなかにはきたれる。その罪を※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)のがれんが為か、その苦と憂とを忘れんが為か、るひはその愛を全うせんが為か、あきらかに彼らは夫婦ならず、又は、女の芸者風なるも、決して尋常の隠遊かくれあそびにあらずして、おのづから穂にあらはるるところあり。さてはの密会ならん。貫一は彼をて女をぬすみてはしる者ならずや、とまづすいしつつ、ほ如何にやなど、飽かず疑へる間より、たちまち一片の反映はきらめきて、おぼろにも彼の胸のくらきを照せり。
 彼はこの際熱海の旧夢をおもはざるを得ざりしなり。世上貫一のほかに愛する者なかりし宮は、その貫一と奔るをうべなはずして、わづかに一べつの富の前に、百年の契を蹂躙ふみにじりてをしまざりき。ああ我が当時の恨、彼が今日こんにちの悔! 今彼女かのをんなは日夜に栄のてらひ、利のいざなふ間に立ち、守るに難き節を全うして、世のれざる愛にしたがつて奔らんと為るか。爾思しかおもへる後の彼は、ひそかにかの両個ふたりの先に疑ひし如き可忌いまはしき罪人ならで、潔く愛の為に奔る者たらんを、いのるばかりにこひねがへり。もしさもあらば、彼はつぶさに彼らの苦き身の上と切なる志とを聴かんとおもひぬ。心永くきずつきて恋に敗れたる貫一は、殊更ことさらに他の成敗についてるを欲せるなり。彼はおのれの不幸の幾許いかばかり不幸に、人のさちの幾許幸ならんかを想ひて、又己の失敗の幾許無残に、人の成効の幾許十分ならんかを想ひて、又己の契の幾許薄く、人のえにしの幾許深からんかを想ひて、又己の受けし愛の幾許浅く、人のかはせるなさけの幾許篤からんかを想ひて、又己の恋の障碍さまたげの幾許強く、人の容れられぬ世の幾許狭からんかを想ひて。嗟呼ああ、既に己の恋は敗れに破れたり。知るべからざる人の恋の末終つひ如何いかならんかを想ひて。昼間の程はつとめてこもりゐしかの両個ふたりの、夜に入りて後打連うちつれて入浴せるを伺ひ知りし貫一は、例のますます人目をさくるならんよとおもへり。
 還り多時しばらく酒など酌交くみかはす様子なりしが、高声一つ立つるにもあらで、唯障子を照すともしのみいとさやかに、内の寂しさは露をも置きけんやうにて、さてはかの吹絶えぬ松風に、彼らはつひゑひを成さざるならんと覚ゆばかりなりき。す事もあらねば、貫一は臥内ふしどに入りけるが、わづか※(「目+毛」、第3水準1-88-78)まどろむとすればぢきに、めて、そのままにねむりうするとともに、様々の事思ひゐたり。

 夜の静なるを動かして、かの
男女なんによ細語ひそめきぬ。はなは幺微かすかなれば聞知るべくもあらねど、※(「女+尾」、第3水準1-15-81)びびとして絶えず枕に打響きては、なかなか大いなる声にも増して耳煩みみわづらはしかり。さなきだに寝難いねがたかりし貫一は、益す気の澄み、心のえ行くに任せて、又いたづらにとやかくと、彼らの身上みのうへ推測おしはかり推測り思回おもひめぐらすの外はあらず。彼方あなたもその幺微かすかなる声に語り語りてまざるは、思のたけ短夜たんやに余らんとするなるか。たちまちありて、ほとばしれるやうにその声はつと高く揚れり。貫一は愕然がくぜんとして枕をそばだてつ。女はにはか泣出なきいだせるなり。その時男の声音こわねは全く聞えずして、唯り女のほしいままに泣音なくねもらすのみなる。寤めたる貫一はいやが上に寤めて、自らゆゑを知らざる胸をとどろかせり。少焉しばし泣きたりし女の声はやうやく鎮りて、又湿しめがちにも語りめしが、一たびじようの為に激せし声音は、おのづから始よりは高く響けり。されどなほその言ふところは聞知り難くて、男の声はかへりてさきよりもほのかなり。
 貫一はしはぶきも遣らで耳を澄せり。るひは時に断ゆれども、又ぎ、又続ぎて、彼らの物語はかひこの糸を吐きてまざらんやうに、限も知らず長くわたりぬ。げにこの積る話を聞きも聞せもせんが為に、彼らはここに来つるにやあらん。されども、日は明日あす明後日あさつてもあるを、はなはせはしくも語るものかな。さばかり間遠まどほなりし逢瀬あふせなるか、言はでは裂けぬる胸の内か、かくあらではあきたらぬ恋中こひなかか、など思ふにつけて、彼はさすがに我身の今昔こんじやくに感なき能はず、枕を引入れ、夜着よぎ引被ひきかつぎて、寐返りたり。何時罷いつやみしとも覚えで、彼らの寐物語は漸く絶えぬ。貫一も遂に短き夢を結びて、常よりははやかりけれど、目覚めしままに起き出でし朝冷あさびえを、走り行きて推啓おしあけつる湯殿の内に、人は在らじと想ひしまなこおどろかして、かの男女なんによゆあみしゐたり。貫一ははたととざして急ぎ返りつ。





(私論.私見)