続編2

更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.30日

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 2005.3.22日、2006.7.10日再編集 れんだいこ拝


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【続編第四章】
 あるじ夫婦をあはせて焼亡しようぼうせし鰐淵わにぶちが居宅は、さるほど貫一の手にりてその跡に改築せられぬ、有形ありがたよりは小体こていに、質素を旨としたれどもつぱさきの構造をうつしてたがはざらんとつとめしに似たり。間貫一と陶札を掲げて、彼はこの新宅のあるじになれるなり。家督たるべき直道は如何にせし。彼は始めよりこの不義の遺産に手をも触れざらんと誓ひ、かつこれを貫一に与へて、その物は正業の資たれ。その人は改善の人たれとこひねがひしを、貫一は今この家のぬしとなれるに、なほ先代の志をひるがへさずして、ますまに例のむさぼりを営むなりき。しかれば彼と貫一との今日こんにち関繋かんけい如何なるものならん。絶えてこれを知る者あらず。そ人生箇々ここの裏面には必ずかくの如き内情もしくは秘密とも謂ふべき者ありながら、さいはひに他の穿鑿せんさくを免れて、瞹眛あいまいうちに葬られをはんぬるためしすくなからず。二代の鰐淵なる間の家のこの一件もまた貫一と彼との外にれざるを得たり。

 かくして今は鰐淵の手代ならぬ三番町の間は、その向に有数の名を成して、外には善く貸し、善く
をさむれども、内には事足る老婢ろうひつかひて、わづかに自炊ならざる男世帯をとこせたいを張りて、なほもおごらず、楽まず、心は昔日きのふの手代にして、趣は失意の書生の如く依然たる変物へんぶつの名を失はでゐたり。でてはさすがにつかれて日暮に帰り来にける貫一は、彼の常として、吾家わがいへながら人気なき居間の内を、旅の木蔭にもやすらへる想しつつ、やや興冷めて坐りもらず、物の悲きことの感じゐれば、老婢はラムプを持ちきたりて、「今日こんにち三時頃でございました、お客様が見えまして、明日みようにち又今頃来るから、是非内に居てくれるやうにと有仰おつしやつて、お名前を伺つても、学校の友達だと言へば可い、とさう有仰おつしやつてお帰りになりました」。「学校の友達?」。

 
臆測おしあてにも知るあたはざるはこのやぶから棒のぬしなり。「どんな風の人かね」。「さやうでございますよ、年紀としごろ四十ばかりの蒙茸むしやくしや髭髯ひげえた、身材せいの高い、こはい顔の、まるで壮士みたやうな風体ふうていをしておいででした」。「…………」。憶起おもひおこふしもありや、と貫一は打案じつつもは怪むに過ぎざりき。「さうして、まあ大相横柄な方なのでございます」。「明日あした三時頃に又来ると?」。「さやうでございますよ」。「か知らんな」。「何だか誠に風の悪さうな人体にんていで御座いましたが、明日みようんち参りましたら通しませうで御座いますか」。「ぢや用向は言つては行かんのだね」。「さやうでございますよ」。「よろしい、会つて見やう」。「さやうでございますか」。起ち行かんとせし老婢は又居直りて、「それから何でございました、間もなく赤樫あかがしさんがいらつしやいまして」。貫一はよろこばざる色をしてこれにこたへたり。「神戸の蒲鉾かまぼこを三枚、見事なのでございます。それに藤村ふじむら蒸羊羹むしようかんを下さいまして、まで毎度又頂戴物ちようだいものを致しましたので御座います」。彼は益す不快を禁じ得ざる面色おももちして、応答うけこたへで聴きゐたり。「さうして明日みようんち、五時頃ちよいとお目に掛りたいから、さう申上げて置いてくれと有仰おつしやつてで御座いました」。しとも彼は口にはいださで、むしめよとやうにせはしうなづけり。
【第四章の二】
 学校友達と名宣なのりし客はそのことばの如く重ねてぬ。不思議の対面におどろき惑へる貫一は、迅雷じんらいの耳をおほふにいとまあらざらんやうにはげしく吾を失ひて、とみにはその惘然ぼうぜんたるより覚むるを得ざるなりき。荒尾譲介は席のあたたまひま手弄てまさぐりに放ちもらぬ下髯したひげの、長く忘れたりし友の今を如何にとるにいそがしかり。「ほとんど一昔と謂うてもい程になるのぢやから話は沢山ある、けれどもこれより先に聞きたいのは、君は今日こんにちでも僕をじや、この荒尾を親友と思うてをるか、どうかと謂ふのじや」。答ふべき人の胸はなほ自在に語るべくもあらず乱れたるなり。「考へるまではなからう。親友と思うてをるなら、をる、さうなけりや、ないと言ふまででイエスノウかの一つじや」。「そりや昔は親友であつた」。彼は覚束無おぼつかなげに言出いひいだせり。「さう」。「今はさうぢやあるまい」。「何為なぜにな」。「その後五六年も全く逢はずにゐたのだから、今では親友と謂ふことはできまい」。「なに五六年ぜんも一向親友ではありやせんぢやつたではないか」。貫一は目をそばめて彼をいぶかりつ。「さうぢやらう、学士になるか、高利貸になるかと云ふ一身の浮沈の場合に、何らの相談もんのみか、それなり失踪しつそうして了うたのは何処どこが親友なのか」。

 その常に
ぢかつくゆる一事を責められては、えざるきずをもさかるる心地して、彼は苦しげにかたちをさめ、声をもいださでゐたり。「君の情人いろは君にそむいたぢやらうが、君のフレンドして君に負かんはずぢや。そのフレンド何為なぜに君は棄てたか。その通り棄てられた僕ぢやけれど、かうして又訪ねて来たのは、だ君を実は棄てんのじやと思ひ給へ」。学生たりし荒尾! 参事官たりし荒尾※(感嘆符二つ、1-8-75) 尾羽をは打枯うちからせる今の荒尾の姿は変りたれど、なほ一片の変らぬ物ありと知れる貫一は、夢とも消えて、去りし、去りし昔の跡なき跡を悲しとしのぶなりけり。「しかし、僕が棄てても棄てんでも、そんな事に君は痛痒つうようを感ずるぢやなからうけれど、僕は僕で、フレンドの徳義としてとにかく一旦は棄てんで訪ねて来た。で、断然棄つるも、又棄てんのも、唯今日こんにちにあるつもりじや。今では荒尾を親友とは謂へん、と君の言うたところを以つて見ると、又今更親友であることを君は望んではをらんやうじや。さうであるならば僕の方でもあへて望まん、立派に名宣なのつて僕も間貫一を棄つる!」。

 貫一は
かしられて敢て言はず。「しかし、今日こんにちまで親友と思うてをつた君を棄つるからには、これが一生のになるのぢやから、その餞行はなむけとして一言いちごん云はんけりやならん。間、君は何の為にかねこしらゆるのぢや。かの大いなるしみとする者を奪れた為に、それにへる者として金銭マネエといふ考を起したのか。それもよからう、よいとしてく。けれどもじや、それをる為に不義不正の事を働く必要があるか。君も現在ひとから苦められてゐるからだではないのか。さうなればおのれが又ひとを苦むるのはもつとも用捨すべき事ぢやらうと思ふ。それがひとを苦むると謂うても、難儀に附入つけいつて、さうしてその血をしぼるのが君の営業、殆ど強奪に等い手段を以つて金をこしらえつつ、君はそれで今日こんにち慰められてをるのか。如何金銭マネエすべての力であるか知らんけれど、人たる者は悪事を行つてをつて、一刻でも安楽に居らるるものではないのじや。それとも、君は怡然いぜんとして楽んでをるか。長閑のどかな日に花のを眺むるやうな気持で催促に行つたり、差押さしおさへをしたりしてをるか。どうかい、間」。

 彼は
いよいよ口を閉ぢたり。「恐くじや。さう云ふ気持の事は、この幾年間に一日でもありはせんのぢやらう。君の顔色がんしよくを見い! まるで罪人じやぞ。獄中に居る者のつらじや」。別人と見るまでに彼の浅ましくやつれたるおもてまもりて、譲介は涙の落つるを覚えず。「間、何で僕が泣くか、君は知つてをるか。今の間ぢや知らんぢやらう。幾多いくらかねこしらへたところで、君はその分では到底慰めらるる事はありはせん。病があるからと謂うて毒を飲んで、その病がなほるぢやらうか。君はあたかも薬を飲む事を知らんやうなものじやぞ。僕のフレンドであつた間はそんな痴漢たはけぢやなかつた、して見りや発狂したのじや。発狂してからに馬鹿な事を為居しをる奴はとがむるに足らんけれど、一婦人いつぷじんの為に発狂したその根性を、彼のフレンドとして僕がぢざるを得んのじや。間、君は盗人ぬすとと言れたぞ。罪人といはれたぞ、狂人と言れたぞ。少しは腹を立てい! 腹を立てて僕を打つともるとも為て見い!」。彼は自らいはひ、自ら憤り、なほ自ら打ちもけりんずる色をして速々そくそく答を貫一にせまれり。
 「腹は立たん!」。「腹は立たん? それぢや君は自身に盗人ぬすととも、罪人とも……」。「狂人とも思つてゐる。一婦人の為に発狂したのは、君に対して実に面目めんぼくないけれど、既に発狂してしまつたのだから、どうも今更為やうがない。折角ぢやあるけれど、このまま棄て置いてくれ給へ」。貫一はわづかにかく言ひてみぬ。「さうか。それぢや君は不正な金銭マネエで慰められてをるのか」。「まだ慰められてはをらん」。「何日いつ慰めらるるのか」。「解らん」。「さうして君は妻君をもらうたか」。「娶はん」。「何故なぜ娶はんのか、かうして家を構へてをるのに独身ぢや不都合ぢやらうに」。「さうでもないさ」。「君は今では彼の事をどう思うてをるな」。「彼とは宮の事かね。あれは畜生さ!」。「しかし、君も今日こんにちでは畜生ぢやが、高利貸などは人の心は有つちやをらん、人の心がなけりや畜生じや」。「さう云ふけれど、世間は大方畜生ぢやないか」。「僕も畜生かな」。「…………」。「間、君は彼が畜生であるのに激してやはり畜生になつたのぢやな。し彼が畜生であつたのを改心して人間に成つたと為たら、同時に君も畜生をめにやならんじやな」。「彼が人間に成る? 能はざる事だ! 僕は高利をむさぼる畜生だけれど、人を欺く事は為んのだ。いつはつて人の誠を受けて、さうしてそれを売るやうな残忍な事は決して為んのだ。始めから高利と名宣なのつて貸すのだから、否な者は借りんがよいので、借りん者を欺いて貸すのぢやない。宮の如き畜生が何で再び人間に成りるものか」。「何為なぜ成りんのか」。「何為なぜ成りるのか」。「さうなら君は彼の人間に成り得んのを望むのか」。「望むも望まんも、あんな者に用はない!」。

 
むしろそのめんつばせんとも思へる貫一の気色けしきなり。「そりや彼には用はないぢやらうけれど、君の為に言ふべきことぢやと思ふから話すのぢやが、彼は今では大いに悔悟してをるぞ。君に対して罪を悔いてをるぞ!」。貫一は吾を忘れて嗤笑あざわらひぬ。彼はその如何いやしむべきか、謂はんやうもあらぬをおもひて、更に嗤笑あざわらひ猶嗤笑ひ、めんとして又嗤笑ひぬ。「彼もさうして悔悟してをるのぢやから、君も悔悟するがよからう、悔悟する時ぢやらうと思ふ」。「彼の悔悟は彼の悔悟で、僕のあづかる事はない。畜生も少しは思い知つたと見える、それもよからう」。「先頃計らず彼に逢うたのじや、すると、僕に向うて涙を流して、そりや真実悔悟してをるのじや。さうして僕にわびをしてくれ、それが成らずば、君に一遍逢せてくれ、とすがつて頼むのじやな、けれど僕も思ふところがあるから拒絶はした。又君に対しても、彼がその様に悔悟してゐるからゆるして遣れと勧めはん、それは別問題じや。ただ僕として君に言ふところは、彼は悔悟してり苦んでをる。すなはち彼は自ら罰せられてをるのぢやから、君は君としてうらみいてよからうと思ふ。君がその怨を釈いたなら、昔の間にかへるべきぢやらうと考へるのじや。君は今のところ慰められてをらん、それで又、何日いつ慰めらるるとも解らんと言うたな、然しじや、彼が悔悟してからにその様に思うてをると聞いたら、君はそれを以つて大いに慰められはせんかな。君がこの幾年間に得た金銭マネエ、それは幾多いくらか知らんけれど、そのすくなからん金銭マネエよりは、彼がつひに悔悟したと聞いた一言いちごんの方が、はるかに大いなる力を以つて君の心を慰むるであらうと思ふのじやが、どうか」。「それは僕が慰められるよりは、宮が苦まなければならん為の悔悟だらう。宮が前非を悟つた為に、僕が失つた者を再び得られる訳ぢやない、さうして見れば、僕の今日こんにちはそれにつても慰められるところはないのだ。憎いことは彼は飽くまで憎い、が、その憎さに僕が慰められずにゐるのではないからして、宮その者の一身に向つて、僕は棄てられた怨を報いやうなどとは決して思つてをらん、畜生にあだかへす価はないさ。今日こんにちになつて彼が悔悟した、それでも好く悔悟したと謂ひたいけれど、これはもとよりさうあるべき事なのだ。始めにあんな不心得を為なかつたら、悔悟する事はなかつたらうに――不心得であつた、非常な不心得であつた!」。

 彼は
黯然あんぜんとしておもへるなり。「僕は彼の事は言はんのじや。又彼が悔悟した為に君の失うた者が再び得らるる訳でないから、それぢや慰められんと謂ふのなら、それでいのじや。要するに、君はその失うた者が取返されたらよいのぢやらう、さうしてその目的を以つて君はかねこしらへてをるのぢやらう、なあ、さうすりやその貨さへ得られたら、好んで不正な営業を為る必要はあるまいが。君が失うた者がある事は知つてをる。それが為に常に楽まんのも、同情を表してゐる、そこで金銭マネエの力につて慰められやうとしてゐる、に就いては異議もあるけれど、それは君の考えにまかする。かねこしらゆるもよい、よいとする以上は大いに富むべしじや。けれど、富むと云ふのはむさぼつてあつむるのではない、又貪つて聚めんけりや貨は得られんのではない、不正な手段をもちゐんでも、富む道は幾多いくらもあるぢやらう。君に言ふのも、な、その目的を変へよではない、だ手段を改めよじや。みちは違へても同じ高嶺たかねの月を見るのじやが」。「かたじけないけれど、僕の迷はまだ覚めんのだから、間は発狂してゐる者と想つて、一切いつせつかまひ付けずに措いてくれ給へ」。「さうか。どうあつても僕のことばもちゐられんのじやな」。「ゆるしてくれ給へ」。「何を容すのじや!貴様は俺を棄てたのではないか、俺も貴様を棄てたのじやぞ、容すも容さんもあるものか」。

 「
今日限こんにちかぎり互いに棄てて別れるについては、僕も一箇ひとつ聞きたい事がある。それは君の今の身の上だが、どうしたのかね」。「見たら解るぢやらう」。「見たばかりで解るものか」。「貧乏してをるのよ」。「それは解つてゐるぢやないか」。「それだけじや」。「それだけの事があるものか。何で官途をめて、さうしてそんなに貧乏してゐるのか、様子がありさうぢやないか」。「話したところで狂人きちがひには解らんのよ」。荒尾は空嘯そらうそぶきて起たんとなり。「解つても解らんでもよいから、まあ話すだけは話してくれ給へ」。「それを聞いてどうする。ああ貴様は何か、金でも貸さうと云ふのか。Noノオthankサンクじや、赤貧洗ふが如く窮してをつても、心は怡然いぜんとして楽んでをるのじや」。「それだからなほ、どうしてさう窮して、それを又楽んでゐるのか、それには何か事情があるのだらう、から、それを聞せてくれ給へと言ふのだ」。荒尾はことさらに哈々こうこうとして笑へり。「貴様如き無血虫むけつちゆうがそんな事を聞いたとて何が解るもので。人間らしい事を言ふな」。「さうまではづかしめられてもことばを返すことのできん程、僕のからだは腐つて了つたのだ」。「固よりじや」。「かう腐つて了つた僕のからだは今更為方がない。けれども、君は立派に学位も取つて、参事官の椅子にも居た人、国家の為に有用のうつはであることは、決して僕の疑はんところだ。で、僕は常に君の出世を予想し、又ひそかにそれをいのつてをつたのだ。君は僕を畜生と言ひ、狂人と言ひ、賊と言ふけれど、君をおもふ念の僕の胸中を去つた事はありはせんよ。今日こんにちまで君の外には一人いちにんフレンドもないのだ。一昨年をととしであつた、君が静岡へ赴任すると聞いた時は、嬉くもあり、可懐なつかしくもあり、又考へて見れば、自分の身が悲くもなつて、僕は一日飯も食はんでゐた。それに就けても、久し振りで君に逢つて慶賀よろこびも言ひたいとおもつたけれど、どうも逢れん僕のからだだから、せめて陰ながらでも君の出世の姿が見たいと、新橋の停車場ステエションへ行つて、君の立派に成つたのを見た時は、何もかも忘れて僕は唯嬉くて涙が出た」。

 さてはと荒尾も
心陰こころひそかうなづきぬ。「君の出世を見て、それほど嬉かつた僕が、今日こんにち君のそんなに零落してゐるのを見る心持はどんなであるか、察し給へ。自分の身を顧ずにかう云ふ事を君に向つて言ふべきではないけれど、僕はもうおのれを棄ててゐるのだ。一婦女子いつぷじよし詐如いつはりごときに憤つて、それが為に一身を過つたと知りながら、自身の覚悟を以て匡正きようせいすることのできんと謂ふのは、全く天性愚劣の致すところと、自ら恨むよりはないので、僕は生きながら腐れて、これで果てるのだ。君の親友であつた間貫一は既に亡き者に成つたのだ、とさう想つてくれ給へ。であるから、これは間が言ふのではない。君の親友の或者が君の身ををしんで忠告するのだとして聴いてくれ給へ。どう云ふ事情か、君が話してくれんから知れんけれど、君の躯は十分自重して、社会に立つてさかんなるはたらきして欲いのだ。君はさうして窮迫してゐるやうだけれど、決して世間から棄てられるやうな君でない事を僕は信ずるのだから、一箇人いつこじんとして己の為に身ををしみたまへと謂ふのではなく、国家の為に自重し給へと願ふのだ。君の親友の或者は君がその才を用る為に社会に出やうと為るならば、及ぶ限の助力を為る精神であるのだ」。
 貫一のおもては病などのたちまえけんやうに輝きつつ、かくのく潔くもうるはしことばを語れるなり。「うう、それぢや君は何か、僕のかうして落魄らくはくしてをるのを見て気毒きのどくと思ふのか」。「君が謂ふほどの畜生でもない!」。「そこじや、間。世間に貴様のやうな高利貸がある為に、あつぱれもちゐらるべき人才の多くがじや、名をきずつけ、身を誤られて、社会のほかに放逐されてく朽つるのじやぞ。国家の為に自重せい、と僕の如き者にでもさう言うてくるるのはかたじけないが、同じ筆法を以つて、君も社会の公益の為にその不正の業をめてくれい、と僕は又頼むのじや。今日こんにちの人才をほろぼす者は、いはく色、曰く高利貸ぢやらう。この通り零落おちぶれてをる僕が気毒と思ふなら、君の為になやまされてをる人才の多くを一層不敏ふびんと思うて遣れ。君がラヴに失敗して苦むのもじや、或る人が金銭マネエの為に苦むのも、苦しむと云ふ点に於ては差異かはりはないぞ。で、僕もかうして窮迫してをる際ぢやから、憂を分つ親友の一人は誠欲いのじや、昔の間貫一のやうなフレンドがあつたらばと思はん事はない。そのフレンドが僕の身をおもうてくれて、社会へ打つて出てさかんに働け、一臂いつぴの力を仮さうと言うのであつたら、僕は如何に嬉からう! 世間に最も喜ぶべき者はフレンド、最もにくむべき者は高利貸ぢや。如何に高利貸の悪むべきかを知つてをるだけ、僕はますまフレンドおもふのじや。その昔のフレンド今日こんにちの高利貸――その悪むべき高利貸! 吾又何をか言はんじや」。彼は口を閉ぢて、貫一を疾視せり。「段々の君の忠告、僕は難有ありがたい。猶自分にも篤と考へて、この腐れたからだが元の通潔白な者に成り得られるなら、それに越した幸はないのだ。君もまた自愛してくれ給へ。僕は君には棄てられても、君の大いに用られるのを見たいのだ。又必ず大いに用られなければならんその人が、さうして不遇で居るのは、残念であるよりは僕は悲い。そんなにおもつてもゐるのだから一遍君の処を訪ねさしてくれ給へ。どこに今居るかね」。「まあ、高利貸などは来てもらはん方がよい」。「その日はフレンドとして訪ねるのだ」。「高利貸にフレンドは持たんものな」。
 しとやかに紙門ふすま押啓おしひらきて出来いできたれるを、かと見れば満枝なり。彼如何なれば不躾ぶしつけにもこの席にはあらはれけん、と打駭うちおどろけるあるじよりも、荒尾が心の中こそ更にたぐふべくもあらざるなりけれ。いでや、彼はくるしみてその長きひげをばしたたかひねりつ。されど狼狽うろたへたりと見られんは口惜くちをしとやうに、にはかにその手を胸高むなたかこまぬきて、動かざること山の如しと打控うちひかへたるさまも、おのづからわざとらしくて、また見好みよげにはあらざりき。満枝はあるじ挨拶して、さて荒尾に向ひては一際ひときは礼を重く、しかもみづからは手の動き、目のるまで、ら貴婦人の如く振舞ひつつ、むともあらずおもてやはらげてしばらことばいださず。荒尾はこの際なかなか黙するにへずして、「これは不思議な所で!成る程間とは御懇意かな」。「君はどうして此方こちらつてゐるのだ」。左瞻右視とみかうみして貫一はあきるるのみなり。「そりや少し識つてをる。しかし、長居はお邪魔ぢやらう、大きに失敬した」。「荒尾さん」。満枝は※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)のがさじと呼び留めて、「かう云ふ処で申上げますのも如何で御座いますけれど」。「ああ、そりやここで聞くべき事ぢやない」。「けれどいつも御不在ばかりで、お話が付きかねると申して弱り切つてをりますで御座いますから」。「いや、会うたところでからに話の付けやうもないのじや。げも隠れも為んから、まあ、時節を待つて貰はうさ」。「それはどんなにもお待ち申上げますけれど、貴方の御都合のよろしいやうにばかり致してはをられませんで御座います。そこはお察しあそばしませな」。「うう、随分ひどい事を察しさせられるのじやね」。「近日に是非お願ひ申しに伺ひますで御座いますから、どうぞ宜く」。「そりや一向宜くないかも知れん」。「ああ、さう、この前でございましたか、あの者が伺ひました節、何か御無礼な事を申上げましたとかで、大相な御立腹で、お刀をお抜き遊ばして、つてしまふとか云ふ事が御座いましたさうで」。「あつた」。「あれ、本当にさやうな事を遊ばしましたので?」。満枝は彼にぢよとばかり嗤笑あざわらひぬ。さ知つたる荒尾は飽くまで真顔を作りて、「本当とも! 実際那奴あやつ※(「石+欠」、第4水準2-82-33)たたききつて了はうと思うた」。「しかしお考へ遊ばしたで御座いませう」。「まあその辺ぢや。あれでも犬猫ぢやなし、斬捨てにもなるまい」。「まあ、こはい事ぢや御座いませんか。なぞは滅多に伺ふ訳には参りませんで御座いますね」。そはが事を言ふならんとやうに、荒尾はうなじそらしてののめき笑ひぬ。「僕が美人を斬るか、その目で僕が殺さるるか。どれ帰つて、刀でもいて置かう」。「荒尾君、夕飯ゆふめしの支度ができたさうだから、食べて行つてくれ給へ」。「それは折角ぢやが、盗泉の水は飲まんて」。「まあ貴方、私お給仕を勤めます。さあ、まあお下にゐらしつて」。

 満枝は荒尾の立てる
脚下あしもとしとね推付おしつけて、に還さじとあるじにも劣らず最惜いとをしむ様なり。「全で御夫婦のやうじやね。これは好一対じや」。「そのおつもりで、どうぞお席にゐらしつて」。もとよりとどまらざるべき荒尾はつひに行かんとしつつ、「間、貴様は……」。「…………」。「…………」。彼はの寒かるべきを思ひて、鬱抑うつよくして帰り去れり。その言はざりしことばただちに貫一が胸に響きて、彼は人のにけるあとも、なほ聴くにおもて得挙えあげざりけり。
【第四章の三】
 程もあらずラムプはともされて、だありけるままにすくみゐたる彼のかたはらに置るるとともに、その光に照さるる満枝の姿は、更によそほひをも加へけんやうにしからず妖艶あでやかに、宛然さながら色香いろかほしいままにせる牡丹ぼたんの枝を咲撓さきたわめたる風情ふぜいにて、彼は親しげに座を進めつ。「はざまさん、あなたどうあそばして、非常におふさぎ遊ばしてゐらつしやるぢや御座いませんか」。貫一はたゆくもわづかに目を移して、「一体貴方はどうして荒尾を御存じなのですか」。「私よりは、貴方があの方の御朋友ごほうゆうでゐらつしやるとは、実に私意外で御座いますわ」。「貴方はどうして御存じなのです」。「まあ債務者のやうな者なので御座います」。「債務者? 荒尾が? 貴方の?」。「私が直接に関係した訳ぢや御座いませんのですけれど」。「はあ、さうしてたか若干どれほどなのですか」。「三千円ばかりでございますの」。「三千円? それでその直接の貸主かしぬしふのは何処どこの誰ですか」。満枝は彼のにはか捩向ねぢむきてひざすすむをさへ覚えざらんとするを見て、ゆがむる口角くちもとゑみを忍びつ、「貴方は実に現金でゐらつしやるのね。御自分のお聴になりたい事は熱心にお成りで、平生へいぜい私がお話でも致すと、まるで取合つても下さいませんのですもの」。「まあよいです」。「ちよつともよい事はございません」。「うう、さうすると直接の貸主と謂ふのがあるのですね」。「存じません」。「お話し下さいな、様子に由つてはその金は私から弁償しやうとも思ふのですから」。「私貴方からは戴きません」。「上げるのではない、弁償するのです」。「いいえ、貴方とは御相談になりません。又貴方が是非弁償なさると云ふ事ならば、私あの債権を棄てて了ひます」。「それは何為なぜですか」。「何為でもよろしう御座いますわ。ですから、貴方が弁償なさらうと思召おぼしめすなら、私に債権を棄てて了へと有仰おつしやつて下さいまし、さう致せば私喜んで棄てます」。「どう云ふ訳ですか」。「どう云ふ訳で御座いますか」。「はなはだ解らんぢやありませんか」。「勿論もちろん解らんので御座いますとも。私自分で自分が解らんくらゐで御座いますもの。しかし貴方も間さん、随分お解りに成りませんのね」。「いいや、僕は解つてゐます」。「ええ、解つてゐらつしやりながらちよつともお解りにならないのですから、私もますます解らなくなりますですから、さう思つてゐらつしやいまし」。

 満枝は
金煙管きんぎせる手炉てあぶりふちちようちて、男の顔に流眄ながしめうらみを注ぐなり。「まあさう云ふ事を言はずに、ともかくもお話をなすつて下さい」。「御勝手ねえ、貴方は」。「さあ、お話し下さいな」。「唯今お話致しますよ」。満枝はにはか煙管きせるもとめて、さてかたはらに人なきごとゆるやかけふりを吹きぬ。「貴方の債務者であらうとは実に意外だ」。「…………」。「どうも事実として信ずる事はできんくらゐだ」。「…………」。「三千円! 荒尾が三千円の負債を何でしたのか、ほとんど有得べき事でないのだけれど、……」。…………」。見れば、満枝はなほも煙管を放たざるなり。「さあ、お話し下さいな」。「こんなに遅々ぐづぐづしてをりましたら、さぞ貴方じれつたくてゐらつしやいませう」。「憤つたいのは知れてゐるぢやありませんか」。「憤つたいと云ふものは、して好い心持ぢやございませんのね」。「貴方は何を言つておいでなのです!」。「はいはい恐れ入りました。それぢや早速お話を致しませう」。「どうぞ」。「たしか御承知でゐらつしやいましたらう。ぜんに宅に居りました向坂さぎさかと申すの、あれが静岡へ参つて、今ではちよつに遣つてをるので御座います。それで、あの方は静岡の参事官でおいでなのでした。さやうで御座いましたらう。その頃向坂の手から何したので御座います。究竟つまりあの方もその件から諭旨免官のやうな事にお成なすつて、又東京へお還りにならなければ為方がないので、彼方あちらを引払ふのに就いて、向坂から話が御座いまして、宅の方へ始は委任して参つたので御座いましたけれど、丁度去年の秋頃から全然すつかり此方こちらへ引継いで了ふやうな都合に致しましたの。しかし、それは取立に骨が折れるので御座いましてね、ああしてとんと遊んでおいでも同様で、飜訳ほんやくか何かばかり為さる御様子なのですから、今のところではどうにも手の着けやうがないので御座いますわ」。「はあ成る程。しかし、あれが何で三千円と云ふ金を借りたかしらん」。「それはあの方は連帯者なので御座います」。「はあ! さうして借主は何者ですか」。「大館朔郎おおだちさくろうと云ふ岐阜の民主党員で、選挙に失敗したものですから、その運動費の後肚あとばらだとか云ふ話でございました」。「うむ、如何にも! 大館朔郎……それぢや事実でせう」。「御承知でゐらつしやいますか」。「それは荒尾に学資を給した人で、あれが始終恩人と言つてをつたその人だ」。はやそのことばうちに彼の心は急にいたみぬ。おのれの敬愛せる荒尾譲介の窮して戚々せきせきたらず、天命を楽むと言ひしは、真に義の為に功名をなげうち、恩の為に富貴を顧ざりしゆゑにあらずや。彼の貧きは万々人の富めるにまされり。君子なる吾友わがともよ。さしも潔き志をいだける者にして、その酬らるる薄倖はつこうの彼の如くはなはだしく酷なるを念ひて、貫一はそぞろ涙の沸く目を閉ぢたり。

【第五章】
 にはかに千葉に行く事ありて、貫一は午後五時の本所ほんじよ発を期して車を飛せしに、咄嗟あなや、一歩の時を遅れて、二時間のちの次回を待つべき倒懸とうけんの難にへるなり。彼は悄々すごすご停車場前の休憇処にりて奥の一間なる縞毛布しまケットの上に温茶ぬるちやすすりたりしが、かどを出づる折受取りし三通の郵書のかばんに打込みしままなるを、この時取り出いだせば、中に一通の M., Shigis――と裏書せるが在り。「ええ、又寄来よこした!」。彼はこれのみ開封せずして、やがて他の※(「士/冖/一/几」、第4水準2-5-22)よみがらと一つに投入れし鞄を※(「石+殷」、第3水準1-89-11)はたと閉づるや、枕に引寄せて仰臥あふぎふすと見れば、はや目をふさぎてねむりを促さんと為るなりき。されども、彼はねぶるを得べきか。さすがにその人の筆のあとを見ては、今更に憎しとも恋しとも、絶えておもひには懸けざるべしと誓へる彼の心も、睡らるるまでに安かる能はざるなり。

 いで、この文こそは宮が送りし再度のうつたへにて、その始めて貫一を驚かせし一札いつさつは、およそ二週間前に彼の手に入りて、一字も漏れずその目に触れしかど、彼はさきに荒尾に答へしと同様の意をてその自筆の悔悟を読みぬ。こたびとてもまた同き繰言くりごとなるべきを、何の未練ありて、いたづらに目をけがし、おもひきずつけんやと、気強くも右より左に掻遣かきやりけるなり。宮は如何に悲しからん! この両度の消息は、その苦き胸をき、その切なる誠を吐きて、世をも身をも忘れし自白なるを。事もし誤らば、この手証は生ながら葬らるべき罪をるに余りあるものならずや。さしも覚悟の文ながら、彼はその一通の力を以てただちに貫一の心を解かんとは思設けざりき。に幾日の後に待ちて又かく聞えしを、この文にもなほしるしあらずば、彼は弥増いやましみの中に定めて三度みたびの筆をるなるべし。知らずや、貫一は再度の封をだに切らざりしを――三度みたび五度いつたび七度ななたび重ね重ねて百通に及ばんとも、貫一は断じてこの愚なる悔悟を聴かじとこころを決せるを。

 静にしたりし貫一は忽ち起きて鞄を開き、先づかの文をいだし、※(「火+卒」、第3水準1-87-47)マッチさぐりて、封のままなるそのはしに火を移しつつ、火鉢ひばちの上に差翳さしかざせり。一片のほのほ烈々れつれつとして、白く※(「風にょう+昜」、第3水準1-94-7)あがるものは宮の思の何か、黒く壊落くづれおつるものは宮が心の何か、彼は幾年いくとせしみと悔とは嬉くも今その人の手に在りながら、すげなきけふりと消えて跡なくなりぬ。貫一は再び鞄を枕にして始の如く仰臥あふぎふせり。しばしありてをんなどもの口々に呼邀よびむかふる声して、入来いりきし客の、障子ごしなる隣室に案内されたる気勢けはひに、貫一はその男女なんによの二人なるを知れり。彼らは若き人のやうにもあらずすこぶ沈寂しめやかに座に着きたり。「まだ沢山時間があるからゆつくりできる。さあ、すうさん、お茶をお上んなさい」。こは男の声なり。「貴方あなた本当にこの夏にはお帰んなさいますのですか」。「盆過ぼんすぎには是非一度帰ります。しかしね、お話をした通り尊父をぢさんや尊母をばさんの気が変つて了つておいでなのだから、鈴さんばかりそんなに思つてゐておくれでも、これがどうして、円く納るものぢやない。この上はもう唯諦ただあきらめるのだ。は男らしく諦めた!」。「まささんは男だからさうでせうけれど、あきらめません。さうぢやないとお言ひなさるけれど、雅さんは阿父おとつさんや阿母おつかさんの為方しかたおこつておいでなのに違いない。それだから私までが憎いので、いいえ、さうよ、私は何でもよいから、もし雅さんが引取つて下さらなければ、一生何処どこへもきはしませんから」。

 女は処々ところどころ聞き得ぬまでの涙声になりぬ。「だつて、尊父さんや尊母さんが不承知であつて見れば、幾許いくら私の方で引取りたくつても引き取る訳に行かないぢやありませんか。それも、うらむ訳もない、全く自分が悪いからで、こんなからだきずの付いた者に大事の娘をくれる親はない、くれないのがもつともだと、それは私は自分ながら思つてゐる」。「阿父さんや阿母さんがくれなくても、雅さんさへもらつて下さればよいのぢやありませんか」。「そんな解らない事を言つて! 私だつてどんなにくやしいか知れはしない。それは自分の不心得からあんな罪にも陥ちたのだけれど、実を謂へば、高利貸のわな[#「(箆-竹-比)/民」、338-17]かかつたばかりで、自分の躯には生涯のきずを付け、ひとりの母親は……殺して了ひ、又その上に……許婚いひなづけは破談にされ、……こんな情ない思を為る位なら、不如いつそ私はろうの中で死んで了つた……方がよかつた!」。「あれ、雅さん、そんな事を……」。両箇ふたりは一度にいだせり。「阿母さんがあん畜生ちきしようの家を焼いて、夫婦とも焼死んだのは好い肚癒はらいせぢやあるけれど、一旦私の躯に附いたこの疵は消えない。阿母さんも来月はすうさんが来てくれると言つて、朝晩にそればかりしみにしてゐなすつた……のだし」。はつと出でし泣音なくねの後をこらへ怺へて啜上すすりあげぬ。「も破談にる気は少しもないけれど、これは私の方から断るのが道だから、必ず悪く思つて下さるな」。「いいえ……いいえ……私は……何も……断られる訳はありません」。「私に添へば、鈴さんの肩身も狭くなつて、生涯何のかのと人に言れなけりやならない。それがお気毒だから、私は自分から身を退いて、これまでの縁とあきらめてゐるので、然し、鈴さん、私は貴方の志は決して忘れませんよ」。
 女は唯いよいむせびゐたり。音も立てずしたりし貫一はこの時忍び起きて、障子の其処此処そこここより男を隙見すきみせんと為たりけれど、つひこころの如くならで止みぬ。しかれども彼はまさしくその声音こわね聞覚ききおぼえあるを思合せぬ。かの男は鰐淵の家に放火せし狂女の子にて、私書偽造罪を以て一年の苦役を受けし飽浦雅之あくらまさゆきならずとんや。さなり、女のその名を呼べるにても知らるるを、とうなづきつつ貫一は又ひそまりて聴耳立てたり。「うそにもさうして志は忘れないなんて言つて下さる程なら、やつぱり約束通り私を引取つて下さいな。雅さんがああ云ふ災難におあひなので、それが為に縁を切るつもりなら、私は、雅さん、……一年が間……塩断しほだちなんぞ為はしませんわ」。彼は自らその苦節をおもひて泣きぬ。「雅さんが自分に悪い事を為てあんな訳に成つたのぢやなし、高利貸の奴にだまされて無実の罪に陥ちたのは、雅さんの災難だと、私は倶共ともどもくやし……悔し……くやしいとは思つてゐても、それで雅さんの躯に疵が附いたから、一処になるのは迷惑だなんと何時いつ私が思つて! 雅さん、私はそんな女ぢやありません、そんな女ぢや……ない!」。

 この心を知らずや、と
情極じようきはまりて彼のもだなげくが手に取る如き隣には、貫一が内俯うつぷしかしら擦付すりつけて、巻莨まきたばこの消えしを※(「敬/手」、第3水準1-84-92)ささげたるままによこたはれるなり。「雅さんは私をそんな女だとお思ひのは、貴方がお留守中の私の事を御存じないからですよ。私は三月みつきわづらつて……そんな事も雅さんは知つておいでぢやないのでせう。それは、阿父おとつさんや阿母おつかさんは雅さんのところへ上げる気はないにしても、私は私の了簡で、もしああ云ふ事があつたので雅さんの肩身が狭くなるやうなら、私は猶更雅さんのところへかずにはゐられない。さうして私も雅さんと一処に肩身が狭くなりたいのですから。さうでなけりや、子供の内からあんなに可愛かはいがつて下すつた雅さんの尊母おつかさんに私は済まない。親が不承知なのを私が自分の了簡通りようけんどほりに為るのは、そりや不孝かも知れませんけれど、私はどうしても雅さんのところへきたいのですから、お可厭いやでなくば引取つて下さいましな。私の事はかまひませんから雅さんが貰つて下さるお心持がおあんなさるのか、どうだか唯それを聞して下さいな」。

 貫一は身を
めぐらして臂枕ひざまくら打仰うちあふぎぬ。彼はおのれが与へし男の不幸よりも、そはれぬ女のしみよりも、づその娘が意気のさかんなるに感じて、あはれ、世にはかかる切なる恋のもゆる如き誠もあるよ、とかしらねつし胸はとどろくなり。


 さて男の声は聞ゆ。「それは、すうさん、言ふまでもありはしない。私もこんな目にさへはなかつたら、今頃は家内三人でむつましく、笑つて暮してゐられるものを、と思へば猶の事、私は今日の別が何ともいはれないほど情ない。かうして今では人に顔向かほむけもできないやうな身に成つてゐる者をそんなに言つてくれるのは、この世の中に鈴さん一人だと私は思ふ。その優い鈴さんと一処に成れるものなら、こんな結構な事はないのだけれど、尊父をぢさん、尊母をばさんの心にもなつて見たら、今の私にはそはされないのは、決して無理のないところで、子を念ふ親のじようは、何処どこの親でも差違かはりはない。そこを考へればこそ、私は鈴さんの事はあきらめると云ふので、子として親に苦労を懸けるのは、不孝どころではない、悪事だ、立派な罪だ! 私は自分の不心得から親に苦労を懸けて、それが為に阿母さんもああ云ふ事に成つて了つたのだから、実は私が手に掛けて殺したも同然。その上に又私ゆゑに鈴さんの親達に苦労を懸けては、それぢや人の親まで殺すと謂つたやうな者だから、私も諦められないところを諦めて、これから一働して世に出られるやうに成るのをしみに、やつぱり暗い処に入つてゐる気で精一杯勉強するより外はない、と私は覚悟してゐるのです」。
 「それぢや、雅さんは内の阿父おとつさんや阿母おつかさんの事はそんなに思つて下すつても、私の事はちつとも思つては下さらないのですね。私の躯なんぞはどうならうと、雅さんはかまつては下さらないのね」。「そんな事があるものぢやない! 私だつて……」。「いいえ、ようございます。もういいの、雅さんの心は解りましたから」。「鈴さん、それは違つてゐるよ。それぢや鈴さんはまるで私の心を酌んではおくれでないのだ」。「それは雅さんの事よ。阿父さんや阿母さんの事をさうして思つて下さる程なら、本人の私の事だつて思つて下さりさうな者ぢやありませんか。雅さんのところへくときまつて、その為に御嫁入道具までちやん調こしらへて置きながら、今更外へゆかれますか、雅さんも考へて見て下さいな。阿父さんや阿母さんが不承知だと謂つても、そりやあんまひどいわ、余り勝手だわ! 私は死んでもよそへは適きはしませんから、いいわ、いいわ、私はいいわ!」。

 女は身をふるはして泣き沈めるなるべし。「そんな事をお言ひだつて、それぢやどううと云ふのです」。「どうしてもよう御座います、私は自分の心でめてゐますから」。いで男の声はざりしが、間有しばしありていづれより語り出でしとも分かず、又一時ひとしきり密々ひそひそと話声のれけれど、調子の低かりければ此方こなたには聞知られざりき。彼らは久くこの細語ささめごとめずして、その間一たびも高くことばいださざりしは、互にそのこころさかふところなかりしなるべし。「きつと? きつとですか」。始て又明かに聞えしは女の声なり。「さうすれば私もその気で居るから」。

 かくて彼らの声は又低うなりぬ。されど益す絮々じよじよとして飽かず語れるなり。貫一は心陰こころひそかに女の成効を祝し、かつ雅之たる者のこれが為に如何さいはひならんかを想ひて、あたかもたへなる楽のの計らず洩聞もれきこえけんやうに、かる己をも忘れんとしつ。今かの娘の宮ならば如何ならん、吾かの雅之ならば如何ならん。吾は今日こんにちの吾たるをえらきか、はたかの雅之たるをこひねがはんや。貫一はうかく想へり。宮もかつて己に対して、かの娘にゆづるまじき誠をいだかざるにしもあらざりき。彼にしてダイアモンドの光を見ざりしならば、また吾をも刑余に慕ひて、その誠をまつたうしたらんや。唯継ただつぐの金力を以て彼女をおびやかしたらんには、またかの雅之を入獄の先に棄てたりけんや。耀かがやけるダイアモンドけがれたる罪名とは、いづれか愛をくの力多かる。
 彼は更にかく思へり。 唯その人を命として、おのれもあらず、家もあらず、何処いづこ野末のずゑにも相従あひしたがはんと誓へるかの娘の、つひに利の為に志を移さざるを得べきか。又は一旦その人に与へたる愛ををしみて、再び価高く他に売らんと為るなきを得べきか。利と争ひて打勝れたると、他の愛と争ひて敗れたると、吾等の恨は孰に深からん。彼は又かくも思へるなり。それ愛の最もあつからんには、利にも惑はず、他に又ふる者もあらざる可きを、仮初かりそめもこれの移るは、その最も篤きにあらざるをあかせるなり。そ異性の愛は吾愛の如く篤かるを得ざる者なるか、は己の信ずらんやうに、宮の愛のことに己にのみ篤からざりしなるか。吾は彼の不義不貞を憤るがゆゑに世上の恋なる者を疑ひ、かつすべてこれをしりぞけぬ。されどもその一旦のいきどほりは、これを斥けしが為に消ゆるにもあらずして、その必ず得べかりし物を失へるに似たる怏々おうおうは、吾心を食尽はみつくし、つひに吾身をたふすにあらざれば、得やは去るまじき悪霊あくりようの如く執念しゆうねく吾を苦むるなり。かかれば何事にも楽むを知らざりし心の今日たまたま人の相悦あひよろこぶを見て、又みづからよろこびつつ、の影を追ふらんやうなりしは何の故ならん。よし吾は宮の愛ならずとも、これに易ふる者を得て、とかくはこの心を慰めしむべきや。

 彼はいよいよ思廻おもひめぐらせり。宮はこの日頃吾に篤からざりしを悔いて、その悔を表せんには、何らの事を成さんも唯吾めいのままならんとぞ言来いひこしたる。吾はその悔の為にはかのいきどほりを忘るべきか、任他さはれ吾恋のむかしかへりて再びまつたかるを得るにあらず、彼の悔は彼の悔のみ、吾が失意の恨は終に吾が失意の恨なるのみ。この恨は富山に数倍せる富にりて始て償はるべきか、るひはその富を獲んとする貪欲どんよくはこの恨を移すに足るか。彼はきぬ。吾恋をやぶりし唯継! 彼らの恋を壊らんとしはそ、その吾の今千葉におもむくも、又或るいは壊り、或るいは壊らんと為るにあらざるなきか。しかもその貪欲は吾に何をか与へんとすらん。富か、富は吾が狂疾をすべき特効剤なりや。かの妨げられし恋は、破鏡の再び合ふを得て楽み、吾がさかれし愛は落花のかへるなくしてをはらんのみ! いで、吾はかくて空くうづもるべきか、風にりて飛ぶべきか、水に落ちて流るべきか。貫一は船橋をすぐともしび暗き汽車のうちにあり。

【第六章】
 千葉より帰りて五日の後 M., Shigis ――の書信ふみは又きたりぬ。貫一は例にりて封のまま火中してけり。その筆の跡を見れば、たちまち浮ぶその人の面影おもかげは、唯継と並び立てる梅園の密会にあらざるなきに、彼はほとんど当時におなじいかりを発して、先の二度なるよりはこの三度みたびに及べるを、径廷をこがましくも廻らぬ筆の力などをて、むかしに返し得べき未練の吾に在りとや想へる、愚なる精衛のきたりて大海だいかいうづめんとするやと、かへりてかたくなに自ら守らんとも為なり。さりとも知らぬ宮はありの思を運ぶに似たる片便かたたよりも、行くべき方には音づるるを、さてかの人の如何いかに見るらん、書綴かきつづれる吾誠わがまことの千に一つも通ずる事あらば、掛けても願へる一筋ひとすぢいとぐちともなりなんと、人目あらぬ折毎には必ず筆採ふでとりて、その限りなきを写してぞ止まざりし。

 唯継は近頃彼の
もつぱら手習すと聞きて、その善きおこなひを感ずるに、良き墨、良き筆、良きすずり、良き手本まで自ら求め来ては、この難有ありがたき心掛の妻におくりぬ。宮はそれらをけがらはしとて一切用ることなく、後には夫の机にだに向はずなりけり。かく怠らずつづられし文は、又六日むゆかを経て貫一のもとに送られぬ。彼は四度よたびの文をも例の灰と棄てて顧ざりしに、日をると思ふ程もになく、五度いつたびの文は来にけり。よし送り送りて千束ちつかにも余れ、手に取るからのけむぞとあなどれる貫一も、かつて宮にはなかりし執着のかばかりなるを謂知いひしらずあやしみつつ、今日のみはすぐにもかざりしその文を、一度ひとたびひらき見んと為たり。「然し……」。彼はたやすく手を下さざりき。「ゆるしてくれと謂ふのだらう。その外には、見なければ成らん用事の有る訳はない。しあると為れば、それは見る可からざる用事なのだ。赦してくれなら赦してる、又赦さんでも既に赦れてゐるのではないか。悔悟したなら、悔悟したで、それで可い。悔悟したから、赦したからと云つて、それがどうなるのだ。それが今日こんにちの貫一と宮との間に如何いかなる影響を与へるのだ。悔悟したからあれのみさをきずえて、又赦したから、富山の事がない昔に成るのか。その点においては、貫一は飽くまでも十年前の貫一だ。宮! 貴様は一生けがれた宮ではないか。ことの破れてしまつた今日こんにちになつて悔悟も赦してくれもつたものか、無益な事だ! けがれん宮であるから愛してをつたのだ、それを貴様は汚して了つたから怨んだのだ。さうして一遍汚れた以上は、それに対する十倍の徳をおこなつても、その汚れたのを汚れざる者に改めることは到底出来んのだ。であるから何と言つた! 熱海で別れる時も、お前のほかに妻と思ふ者はない、一命に換へてもこの縁は切られんから、おれのこの胸の中を可憐あはれと思つて、十分決心してくれ、と実に男を捨てて頼んだではないか。その貫一にそむいて……何の面目めんぼくあつて今更悔悟……おそい!」。

 彼はその文を再三柱に
むちうちて、終になはの如く引捩ひきねぢりぬ。打続きて宮が音信たよりの必ず一週に一通来ずと謂ふことなくて、ひらかれざるに送り、送らるるにひらかかざりしも、はやかぞふれば十通にのぼれり。さすがに今は貫一が見るたびいかりも弱りて、待つとにはあらねど、その定りて来る文のしげきに、おのづから他の悔い悲める宮在るを忘るるあたはずなりぬ。されど、その忘るる能はざるも、にはかに彼を可懐なつかしむにはあらず、又その憤の弱れるも、彼を赦し、彼をれんと為るにあらずして、はじめに恋ひしをば棄てられ、後には棄てしを悔らるる身の、その古き恋はなほおのれに存し、彼の新なる悔は切に※(「夕/寅」、第4水準2-5-29)まつはるも、いたづらに凍えて水を得たるにかるこのふたつの者の、相対あひたいして相拯あひすくふ能はざる苦艱くげんを添ふるに過ぎざるをや。ここに於て貫一は披かぬ宮が文に向へば、その幾倍の悲きものを吾と心に読みて、かの恨ならぬ恨も生じ、かのいかりならぬ憤も発して、憂身独うきみひとりはかなき世をば如何いかにせんやうも知らで、唯安からぬ昼夜を送りつつ、出づるに入るに茫々ぼうぼうとして、彼はしばしばそのむさぼるをさへ忘るる事ありけり。

 劇
はげし
く物思ひてねざりし夜の明方近く疲睡を催せし貫一は、新緑の雨に暗き七時のねやおそはるる夢の苦くしきりうめきしを、老婢ろうひよばれて、覚めたりと知りつつうつつならず又睡りけるを、再び彼に揺起ゆりおこされて驚けば、「お客様でございます」。「お客? 誰だ」。「荒尾さんと有仰おつしやいました」。「何、荒尾? ああ、さうか」。あるじの急ぎ起きんとすれば、「お通し申しますで御座いますか」。「おお、早くお通し申して。さうしてな、唯今起きましたところで御座いますから、しばらく失礼致しますとさう申して」。貫一はかの一別の後三度みたびまで彼の隠家かくれがを訪ひしかど、つねに不在に会ひて、二度に及べる消息の返書さへあらざりければ、安否の如何いかがを満枝にただせしに、変る事なくそこに住めりと言ふに、さてはまことまじはりを絶たんとすならんを、しばらしひて追はじと、一月も打絶えたりしに、彼方あなたよりくこそ来つれ、吾がこのしみを語るべきは唯彼在るのみなるを、ともきたれるも、にかくばかり楽きはあらざらん。今日は酒をいだして一日いちじつ彼を還さじなど、心忙こころせはしきまでによろこばれぬ。絶交せるやうに疏音そいんなりし荒尾の、何の意ありてにはか訪来とひきたれるならん。貫一はその何の意なりやをおもはず、又その突然の来叩おとづれをもあやしまずして、畢竟ひつきよう彼の疏音なりしはその飄然ひようぜん主義のかからざるゆゑまじはりを絶つとは言ひしかど、よしみの吾を棄つるに忍びざる故と、彼はこの人のなほおのれを友としてれるを、あり得べからざる事とは信ぜざりき。

 
手水場てうづば出来いできし貫一は※(「目+匡」、第3水準1-88-81)はれまぶたの赤きを※(「目+荅」、第4水準2-82-12)しばたたきつつ、羽織のひもを結びもへず、つと客間の紙門ふすまひらけば、荒尾は居らず、かの荒尾譲介は居らで、うつくしよそほへる婦人の羞含はぢがましう控へたる。打惑うちまどひてりかねたる彼の目前まのあたりに、可疑うたがはしき女客もいまそむけたるおもてめぐらさず、細雨さいう庭樹ていじゆちてしたたみどりは内を照せり。「荒尾さんと有仰おつしやるのは貴方で」。彼は先づかく会釈して席に着きけるに、婦人は猶もおもてを示さざらんやうにかしらを下げて礼をせり。しかも彼はたやすくその下げたるかしら※(「てへん+(麈-鹿)」、第3水準1-84-73)つかへたる手とを挙げざるなりき。始に何者なりやとおどろかされし貫一は、今又何事なりやといよいあきれて、彼の様子を打矚うちまもれり。たちまちありて貫一のまなこ慌忙あわただしもとむらん色をして、婦人のうつむけるを※(「にんべん+乞」、第3水準1-14-8)うかがひたりしが、「何ぞ御用でございますか」。「…………」。彼はますます急に左瞻右視とみかうみして窺ひつ。「どう云ふ御用向でございますか。伺ひませう」。「…………」。露置く百合ゆりの花などのほのかに風を迎へたる如く、その可疑うたがはしき婦人のおもて術無じゆつなげに挙らんとして、又おそれたるやうに遅疑たゆたふ時、「宮※(感嘆符疑問符、1-8-78)」と貫一の声は筒抜けて走りぬ。

 宮は嬉し悲しの
心昧こころくらみて、身も世もあらず泣伏したり。「何用あつて来た!」。いかるべきか、この時。恨むべきか、この時。はぢしむべきか、悲むべきか、さけぶべきか、ののしるべきか、責むべきか、彼は一時に万感の相乱あひみだれて急なるが為に、吾を吾としも覚ゆる能はずして打顫うちふるひゐたり。「貫一かんいつさん! どうぞ堪忍かんにんして下さいまし」。宮はやうやう顔を振挙げしも、すさまじく色を変へたる貫一のおもてに向ふべくもあらでしをしぬ。「早く帰れ!」。「…………」。「宮!」。幾年いくとせ聞かざりしその声ならん。宮は危みつつも可懐なつかしと見る目を覚えず其方そなたうつせば、鋭く※(「目+是」、第4水準2-82-10)みむかふる貫一のまなこ湿うるほへるは、既に如何いかなる涙の催せしならん。「今更お互に逢ふ必要はない。又お前もどの顔で逢ふつもりか。先達而せんだつてからしきりに手紙を寄来よこすが、あれは一通でも開封したのはない、来ればすぐに焼棄てて了ふのだから、以来は断じて寄来さんやうに。は今病中で、かうしてゐるのも太儀たいぎでならんのだから、早く帰つて貰ひたい」。彼は老婢を召して、「お客様のおたちだ、お供にさう申して」。取附く島もあらず思悩おもひなやめる宮をきて、貫一は早くも独り座を起たんとす。「貫一さん、わたしは今日は死んでもつもりでお目に掛りに来たのですから、貴方あなたの存分にどんな目にでもあはせて、さうしてそれでともかくも今日は勘弁して、お願ですから私の話を聞いて下さいまし」。「何の為に!」。「私は全く後悔しました! 貫一さん、私は今になつて後悔しました※(感嘆符二つ、1-8-75) くはしい事はこの間からの手紙に段々書いて上げたのですけれど、まるで見ては下さらないのでは、後悔してゐる私のどんな切ない思をしてゐるか、お解りにはならないでせうが、お目に掛つて口では言ふにいはれない事ばかり、たとひ書けない私の筆でも、あれをすつかり見て下すつたら、ちつとはお腹立も直らうかと、自分では思ふのです。色々おわびは為るつもりでも、かうしてお目に掛つて見ると、面目がないやら、悲いやらで、何一語ひとことも言へないのですけれど、貫一さん、とても私は来られるはずでない処へかうして来たのには、死ぬほどの覚悟をしたのと思つて下さいまし」。「それがどう為たのだ」。「さうまで覚悟をして、是非お話を為たい事が有るのですから、御迷惑でもどうぞ、どうぞ、貫一さん、ともかくも聞いて下さいまし」。涙ながらに手を※(「てへん+(麈-鹿)」、第3水準1-84-73)つかへて、吾が足下あしもと額叩ぬかづく宮を、何為らんとやうに打見遣りたる貫一は、「六年ぜんの一月十七日、あの時を覚えてゐるか」。「…………」。「さあ、どうか」。「私は忘れは為ません」。「うむ、あの時の貫一の心持を今日お前が思知るのだ」。「堪忍して下さい」。

 
見る間に出行いでゆく貫一、咄嗟あなや紙門ふすまは鉄壁よりも堅くてられたり。宮はその心に張充はりつめし望を失ひてはたと領伏ひれふしぬ。「豊、豊!」と老婢を呼ぶ声はげし縁続えんつづき子亭はなれよりきこゆれば、ぢきに走り行く足音の響きしが、やがて返しきたれる老婢は客間にあらはれぬ。宮は未だかしらを挙げずゐたり。可憐しをらしき束髪の頸元深えりもとふかく、黄蘖染おうばくぞめ半衿はんえり紋御召もんおめし二枚袷にまいあはせを重ねたる衣紋えもんあやづ謂はんやうなく、肩状かたつきやさし内俯うつふしたるそびら金茶地きんちやぢ東綴あづまつづれの帯高く、勝色裏かついろうら敷乱しきみだれつつ、白羽二重しろはぶたへのハンカチイフに涙をおほへる指に赤く、白く指環リングの玉を耀かがやかしたる、ほとんど物語の画をもるらん心地して、この美き人の身の上に何事の起りけると、豊は可恐おそろしきやうにも覚ゆるぞかし。「あの、申上げますが、主人は病中の事でございますもので、唯今生憎あいにくと急に気分が悪くなりましたので、相済みませんで御座いますが中座を致しました。恐入りますで御座いますが、どうぞ今日こんにちはこれで御立帰おたちかへりを願ひますで御座います」。

 
おもてを抑へたるままに宮は涙をすすりて、「ああ、さやうで御座いますか」。「折角おいでのところを誠にどうもお気毒さまで御座います」。「唯今ちよつと支度を致しますから、もう少々置いていただきますよ」。「さあさあ、貴方あなた御遠慮なく御寛ごゆるりと遊ばしまし。又何だか降出して参りまして、今日こんにちはいつそお寒過ぎますで御座います」。彼の起ちしあとに宮は身支度をするにもあらで、始めてよみがへりたる人の唯あるが如くに打沈みてぞゐたる。ややひさしかるに客の起たんとする模様あらねば、老婢は又出来いできたれり。宮はその時にはか※(「刷のへん+又」、第4水準2-3-62)みづくろいして、「それではおいとまを致します。ちよつと御挨拶だけ致して参りたいのですから、何方どちらにおつておいでですか……」。「はい、あの何でございます、どうぞもうおかまひなく……」。「いいえ、御挨拶だけちよつと」。「さやうで御座いますか。ではこちらへ」。

 
あるじ本意ほいならじとはおもひながら、老婢は止むを得ず彼を子亭はなれ案内あないせり。昨夜ゆふべの収めざるとこの内に貫一は着のまま打仆うちたふれて、夜着よぎ掻巻かいまきすそかた蹴放けはなし、からうじてそのはし幾度いくたび置易おきかへられしかしらせたり。思ひも懸けず宮の入来いりくるを見て、起回おきかへらんとせし彼の膝下ひざもとに、早くも女のまろび来て、立たんと為ればたもとを執り、なほひしと寄り添ひて、物をも言はず泣伏したり。「ええ、何の真似まねだ!」。突返さんとする男の手を、宮は両手にいだめて、「貫一さん!」。「何を為る、この恥不知はぢしらず!」。「私が悪かつたのですから、堪忍して下さいまし」。「ええ、やかましい! ここを放さんか」。「貫一さん」。「放さんかと言ふに、ええ、もう!」。その身をたてに宮は放さじと争ひてますます放さず、両箇ふたりが顔は互に息の通はんとすばかり近く合ひぬ。一生又相見あひみじと誓へるその人の顔の、おのれながめたりし色はく失せて、ゆゑ今のべつ※(「艷のへん+盍」、第4水準2-88-94)えんなるも、なほ形のみは変らずして、にかの宮にして宮ならぬ宮と、吾は如何いかにしてここに逢へる! 貫一はその胸の夢むるひまうつつともなく彼をまもれり。宮はほとんど情きはまりて、わづかに狂せざるを得たるのみ。

 彼は人の
かしらより大いなるダイアモンドを乞ふが為に、この貫一の手をる手をばかざらん。大いなるダイアモンドか、幾許いかばかり大いなるダイアモンドも、宮は人の心の最も小き誠に値せざるを既に知りぬ。彼のたるダイアモンドはさせる大いなる者ならざれど、その棄て去りし人の誠は量無はかりなきものなりしが、嗟乎ああ、今何処いづこにありや。そのかつて誠を恵みし手はひややかに残れり。むなしくその手をいだきて泣かんが為にきたれる宮が悔は、幾許いかばかり大いなる者ならん。「さあ、早く帰れ!」。「もう二度と私はお目には掛りませんから、今日のところはどうとも堪忍して、つなり、たたくなり貫一さんの勝手にして、さうして少小すこしでも機嫌を直して、私のおに来た訳を聞いて下さい」。「ええ、うるさい!」。「それぢや打つとも殴くともして……」。身悶みもだえして宮のすがるを、「そんな事でおれの胸がれると思つてゐるか、殺してもあきたらんのだ」。「ええ、殺れてもよい! 殺して下さい。私は、貫一さん、殺して貰ひたい、さあ、殺して下さい、死んで了つた方がよいのですから」。「自分で死ね!」。

 彼は自ら手を
くだして、この身を殺すさへいさぎよからずとまでにおのれいやしむなるか、余につらしと宮はみぬ。「死ね、死ね。お前も一旦棄てた男なら、今更みつともないざまを為ずに何為なぜ死ぬまで立派に棄て通さんのだ」。「私は始めから貴方を棄てる気などはありはしません。それだからとつくりとお話を為たいのです。死んで了へとお言ひでなくても、私はもうとうから自分ぢや生きてゐるとは思つてゐません」。「そんな事聞きたくはない。さあ、もう帰れと言つたら帰らんか!」。「帰りません! 私はどんな事してもこのままぢや……帰れません」。宮は男の手をば益すゆるめず、益す激する心のうちには、夫もあらず、世間もあらずなりて、唯この命をふる者を失はじと一向ひたぶるに思入るなり。

 折から縁に足音するは、老婢の来るならんと、貫一は取られたる手を引放たんとすれど、こは
如何、宮はちとゆるめざるのみか、そのかたちをだに改めんと為ず。果して足音は紙門ふすまの外にせまれり。「これ、人が来る」。「…………」。宮は唯力をきはめぬ。不意にこのていを見たる老婢は、けたる紙門ふすまの陰に顔引入れつつ、「赤樫あかがしさんがおいでになりまして御座います」。窮厄の色はつと貫一のおもてのぼれり。「ああ、今そつちへ行くから。――さあ、客があるのだ、好加減に帰らんか。ええ、放せ。客があると云ふのにどうするのか」。「ぢや私はここに待つてゐますから」。「知らん! もう放せと言つたら」。用捨もあらず宮は捻倒ねぢたふされて、落花の狼藉ろうぜきと起きへぬ間に貫一は出行いでゆ
【第六章の二
 座敷外に脱ぎたる紫裏むらさきうら吾妻あづまコオトに目留めし満枝は、かつて知らざりしその内曲うちわの客を問はで止むあたはざりき。又常に厚くめぐまるる老婢は、彼の為に始終の様子をつぐるの労ををしまざりしなり。さてはと推せし胸の内は瞋恚しんいに燃えて、可憎につくき人のく出でよかし、如何なるかほして我を見んとらん、と焦心せきごころに待つ間のいとどしうかりしに、貫一はなかなかで来ずして、しかも子亭はなれのほとほと人気ひとけもあらざらんやうに打鎮うちしづまれるは、我に忍ぶかと、いよいよ満枝はこらへかねて、「お豊さん、もう一遍旦那だんな様にさう申して来て下さいな、今日は急ぎますから、ちよつとお目に懸りたいと」。「でも、は誠に参りにくいので御座いますよ、何だかお話が大変込入つておいでのやうで御座いますから」。「かまはんぢやありませんか、私がさう申したと言つて行くのですもの」。「ではさう申上げて参りますです」。「はあ」。老婢は行きて、紙門ふすまの外より、「旦那さま、旦那さま」。「こちらにおいでは御座いませんよ」。かく答へしは客の声なり。豊は紙門ふすまを開きて、「おや、さやうなので御座いますか」。あるじは在らずして、在るが如くその枕頭まくらもとに坐れる客の、猶悲なほかなしみの残れるおもてに髪をば少し打乱うちみだし、左の※(「ころもへん+各」、第4水準2-88-15)わきあけの二寸ばかりも裂けたるままに姿も整はずゐたりしを、にはか引枢ひきつくろひつつ、「今し方そちらへおいでなすつたのですが……」。「おや、さやうなので御座いますか」。「那裡あちらのお客様の方へおいでなすつたのでは御座いませんか」。「いいえ、貴方、那裡あちらのお客様が急ぐと有仰おつしやつてで御座いますものですから、さう申上げに参つたので御座いますが、それぢやまあ、那辺どちらへいらつしやいましたらう!」。「那裡あちらにもゐらつしやいませんの!」。「さやうなので御座いますよ」。

 老婢はここを
倉皇とつかは起ちて、満枝が前に、「こちらへもいらつしやいませんで御座いますか」。「何が」。「あの、那裡あちらにもゐらつしやいませんので御座いますが」。「旦那様が? どうして」。「今し方這裡こちらへ出ておいでになつたのださうで御座います」。「うそ、嘘ですよ」。「いいえ、那裡あちらにはお客様がお一人でゐらつしやるばかり……」。「嘘ですよ」。「いいえ、どういたして貴方、決して嘘ぢや御座いません」。「だつて、こちらへおいでなさりは為ないぢやありませんか」。「ですから、まあ、何方どつちへいらつしやつたのかと思ひまして……」。「那裡あちらにきつと隠れてでもおいでなのですよ」。「貴方、そんな事が御座いますものですか」。「どうだか知れはしません」。「はてね、まあ。お手水てうづですかしらん」。

 
随処そこら尋ねんとて彼は又倉皇とつかは起ちぬ。有効無ありがひなきこの侵辱はづかしめへる吾が身如何にせん、と満枝は無念のる方なさに色を変へながら、ちとも騒ぎ惑はずして、知りつつみし毒のしるしを耐へ忍びゐたらんやうに、得もいはれずひそかに苦めり。宮はその人ののがれ去りしこその綱は切られしなれと、はや留るべき望もなく、まして立ち帰るべき力はあらで、罪のむくいは悲くも何時まではかなきこの身ならんと、打ち俯うちふし、打ち仰ぎて、太息ためいき※(「口+句」、第3水準1-14-90)くのみ。と空のくらみ行く時、軒打つ雨はやうやく密なり。戸棚押入ほか捜さざる処もあらざりしに、つひあるじ見出みいださざる老婢は希有けうなるかほして又子亭はなれ入来いりきたれり。「何方どちらにもゐらつしやいませんで御座いますが……」。「あら、さやうですか。ではお出掛にでも成つたのでは御座いませんか」。「さやうで御座いますね。一体まあどうなすつたと云ふので御座いませう、那裡あちらにも這裡こちらにもお客様を置去おきざりなすつてからに。はてね、まあ、どうもお出掛になる訳はないので御座いますけれど、家中には何処どつこにもゐらつしやらないところを見ますと、お出掛になつたので御座いますかしらん。それにしても……まあ御免あそばしまして」。

 彼は又満枝の
もとに急ぎ行きて、事のよしを告げぬ。「いいえ、貴方あなた、私は見て参りましたので御座いますよ。子亭はなれにゐらつしやりは致しません、それは大丈夫で御座います」。彼はにはかに心着きて履物はきものあらため来んとて起ちけるに、いで起てる満枝の庭前にはさきの縁に出づると見れば、※(「にんべん+從」、第4水準2-1-81)つかつかと行きて子亭はなれの入口にあらはれたり。宮は何人なにびとの何の為に入来いりきたれるとも知らず、おどろきつつも彼を迎へてかたちを改めぬ。吾が恋人の恋人を拝まんとてここに来にける満枝の、意外にも敵のおのれよりわかく、己より美くしく、己より可憐しをらしく、己よりたつときを見たるねたさ、憎さは、唯この者ありて可怜いとしさ故に、ひとなさけも誠も彼は打忘るるよとあはれ、一念の力をつるぎとも成して、この場を去らず刺殺さしころさまほしう、心はをどかかり、躍り襲らんと為るなりけり。

 宮は
稍羞ややはぢらひて、葉隠はがくれに咲遅れたる花の如く、夕月のすずしむねを離れたるやうに満枝は彼の前に進出すすみいでて、互に対面の礼せし後、「始めましてお目に掛りますで御座いますが、間様の……御親戚? でゐらつしやいますで御座いますか」。憎き人をば一番苦めんの満枝が底意なり。「はい親類筋の者で御座いまして」。「おや、さやうでゐらつしやいますか。手前は赤樫満枝と申しまして、間様とは年来の御懇意で、もう御親戚同様に御交際を致して、毎々お世話になつたり、又及ばずながらお世話も致したり、始終お心易く致してをりますで御座いますが、ついぞ、まあ従来これまでお見上げ申しませんで御座いました」。「はい、つい先日まで長らく遠方に参つてをりましたもので御座いますから」。「まあ、さやうで。余程何でございますか、御遠方で?」。「はい……広島の方に居りまして御座います」。「はあ、さやうで。唯今は何方どちらに」。「池端いけのはたに居ります」。「へえ、池端、およろしい処で御座いますね。しかし、かねて間様のお話では、御自分は身寄りも何もないから、どうぞ親戚同様に末の末まで交際したいと有仰おつしやるもので御座いますから、全くさうとばかり信じてをりましたので御座いますよ。それに唯今かうして伺ひますれば、御立派な御親戚がおあり遊ばすのに、どう云ふおつもりであんな事を有仰つたので御座いませう。何も親戚のおありあそばす事をお隠しになるには当らんぢや御座いませんか。あの方は時々さう云ふ水臭い事を一体なさるので御座いますよ」。

 
うたがひの雲は始めて宮が胸にかかりぬ。父がかつて病院にて見し女の必ず訳あるべしとせしはこれならん。さては客来きやくらいと言ひしもいつはりにて、るひは内縁の妻と定れる身の、吾をとがめて邪魔立せんとか、彼人かのひとのこれ見よとてここに引出ひきいだせしかと、今更にたがはざりし父がことばを思ひて、宮はあだの為に病めるをむちうたるるやうにも覚ゆるなり。いよいよ長く居るべきにあらぬ今日のこの場はこれまでと潔く座を起たんとしたりけれど、何処いづくにか潜めゐる彼人かのひとの吾が還るを待ちてたちまち出で来て、この者と手をり、おもてを並べて、可哀あはれなる吾をば笑ひののしりもやせんと想へば、得堪えたへず口惜くちをしくて、如何にせばきと心苦ためらひゐたり。「お久しぶりで折角おいでのところを、生憎あいにくと余義ない用向の使が見えましたもので、お出掛になつたので御座いますが、ちよつと遠方でございますから、お帰来かへりの程は夜にお成りで御座いませう、近日どうぞ又御寛ごゆつくりとおで遊ばしまして」。「大相長座ちようざを致しまして、貴方の御用のおあり遊ばしたところを、心ないお邪魔を致しまして、相済みませんで御座いました」。「いいえ、もう、私共は始終上つてをるので御座いますから、ちよつとも御遠慮には及びませんで御座います。貴方こそさぞ御残念でゐらつしやいませう」。「はい、誠に残念でございます」。「さやうで御座いませうとも」。「四五年ぶりで逢ひましたので御座いますから、色々昔話でも致して今日こんにちは一日遊んで参らうとしみに致してをりましたのを、実に残念で御座います」。「大きに」。「さやうなら私はおいとまを致しませう」。「お帰来かへりで御座いますか。丁度唯今小降で御座いますね」。「いいえ、幾多いくら降りましたところがくるまで御座いますから」。互に憎し、口惜くちをしとしのぎを削る心のやいばを控へて、彼らは又相見あひみざるべしと念じつつ別れにけり。




(私論.私見)