前編第一章

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.11.6日

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 2005.3.22日、2006.7.10日再編集 れんだいこ拝


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前編第一章】
 未(ま)だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠(さしこ)めて、真直(ますぐ)に長く東より西に横たわれる大道(だいどう)は掃きたるように物の影を留(とど)めず、いと寂しくも往来(ゆきき)の絶えたるに、例ならず繁(しげ)き車輪(くるま)の輾(きしり)は、或るいは忙(せわし)かりし、或るいは飲み過ぎし年賀の帰来(かえり)なるべく、疎(まばら)に寄する獅子太鼓の遠響(とうひびき)は、はや今日に尽きぬる三箇日(さんがにち)を惜しむが如く、その哀切(あわれさ)に小(ちいさ)き膓(はらわた)は断(たた)れぬべし。
 元日快晴、二日快晴、三日快晴と誌(しる)されたる日記を涜(けが)して、この黄昏(たそがれ)より凩(こがらし)は戦(そよぎ)出(い)でぬ。今は「風吹くな、なあ吹くな」と優き声の宥(なだ)むる者なきより、憤(いかり)をも増やしたるように飾竹(かざりだけ)を吹き靡(なび)けつつ、乾(から)びたる葉を粗(はした)なげに鳴して、吼(ほ)えては走行(はしりゆ)き狂いては引き返し、揉(も)みに揉んで独(ひと)り散々に騒げり。微曇(ほのぐもり)し空はこれが為に眠りを覚(さま)されたる気色(けしき)にて、銀梨子地(ぎんしなぢ)の如く無数の星を顕(あらわ)して、鋭く沍(さ)えたる光は寒気を発(はな)つかと想(おも)わしむるまでに、その薄明(うすあかり)に曝(さら)さるる夜の街(ちまた)は殆(ほとん)ど氷らんとすなり。
 人この裏(うち)に立ちて寥々冥々(りょうりょうめいめい)たる四望の間に、争(いかで)か那(な)の世間あり、社会あり、都あり、町あることを想い得べき、九重(きゆうちよう)の天、八際(はっさい)の地、始めて混沌(こんとん)の境(さかい)を出(い)でたりといえども、万物未(いま)だ尽(ことごと)く化生(かせい)せず、風は試(こころみ)に吹き、星は新たに輝ける一大荒原の、何等(ら)の旨意も、秩序も、趣味もなくて、唯(ただ)濫(みだ)りに※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)(ひろ)く横たわれるに過ぎざる哉(かな)。
 日の中(うち)は宛然(さながら)沸くが如く楽しみ、謳(うた)い、酔(ゑ)い、戯(たわむ)れ、歓(よろこ)び、笑い、語り、興ぜし人々よ、彼らは儚(はかな)くも夏果てし孑孑(ぼうふり)の形を歛(をさ)めて、今将(いまはた)何処(いづく)に如何(いか)にしてあるかを疑わざらんとするも難(かた)からずや。多時(しばらく)静かなりし後(のち)、遙(はるか)に拍子木の音は聞えぬ。その響の消ゆる頃忽(たちま)ち一点の燈火(ともしび)は見え初(そ)めしが、揺々(ゆらゆら)と町の尽頭(はづれ)を横截(よこぎ)りて失(う)せぬ。再び寒き風は寂しき星月夜を擅(ほしいまま)に吹くのみなりけり。唯有(とあ)る小路の湯屋は仕舞を急ぎて、廂間(ひああい)の下水口より噴き出(い)づる湯気は一団の白き雲を舞い立てて、心地悪しき微温(ぬくもり)の四方に溢(あふ)るるとともに、垢臭(あかくさ)き悪気の盛んに迸(ほとばし)るに遭(あ)える綱引の車あり。勢いで角(かど)より曲り来にければ、避くべき遑無(いとまな)くてその中を駈け抜けたり。
 「うむ、臭い」。車の上に声して行過ぎし跡には、葉巻の吸殻の捨てたるが赤く見えて煙れり。「もう湯は抜けるのかな」。「へい、松の内は早仕舞でございます」。車夫のかく答へし後は語(ことば)絶えて、車は驀直(ましぐら)に走れり。紳士は二重外套(がいとう)の袖(そで)を犇(ひし)と掻合(かきあわ)せて、獺(かわうそ)の衿皮(えりかわ)の内に耳より深く面(おもて)を埋(うづ)めたり。灰色の毛皮の敷物の端(はし)を車の後に垂れて、横縞(よこじま)の華麗(はなやか)なる浮波織(ふわおり)の蔽膝(ひざかけ)して、提灯(ちょうちん)の徽章(しるし)はTの花文字を二個(ふたつ)組合わせたるなり。行き行きて車はこの小路の尽頭(はづれ)を北に折れ、稍(やや)広き街(とうり)に出でしを、僅(わづか)に走りて又西に入(い)り、その南側の半程(なかほど)に箕輪(みのわ)と記(しる)したる軒燈(のきランプ)を掲げて、※(「炎+りっとう」、第3水準1-14-64)竹(そぎだけ)を飾れる門構えの内に挽き入れたり。玄関の障子に燈影(ひかげ)の映(さ)しながら、格子(こうし)は鎖固(さしかた)めたるを、車夫は打ち叩(たた)きて、「頼む、頼む」。奥の方(かた)なる響動(どよみ)の劇(はげし)きに紛れて、取合わんともせざりければ、二人の車夫は声を合せて訪(おとな)いつつ、格子戸を連打(つづけうち)にすれば、やがて急ぎ足の音立てて人はで来(き)ぬ。
 円髷(まるわげ)に結ひたる四十ばかりの小(ちいさ)く痩(や)せて色白き女の、茶微塵(ちゃみじん)の糸織の小袖(こそで)に黒の奉書紬(ほうしょつむぎ)の紋付の羽織着たるは、この家の内儀(ないぎ)なるべし。彼の忙(せわ)しげに格子を啓(あく)るを待ちて、紳士は優然と内に入らんとせしが、土間の一面に充満(みちみち)たる履物(はきもの)の杖(つえ)を立つべき地さへあらざるに遅(ためら)えるを、彼は虚(すか)さず勤篤(まめやか)に下立(おりた)ちて、この敬うべき賓(まろうど)の為に辛(から)くも一条の道を開けり。かくて紳士の脱ぎ捨てし駒下駄(こまげた)のみは独り障子の内に取り入れられたり。

前編第一章の二】
 箕輪(みのわ)の奥は十畳の客間と八畳の中の間(ま)とを打ち抜きて、広間の十個処(じっかしょ)に真鍮(しんちゅう)の燭台(しょくだい)を据ゑ、五十目掛(めかけ)の蝋燭(ろうそく)は沖の漁火(いさりび)の如く燃えたるに、間毎(まごと)の天井に白銅鍍(ニッケルめっき)の空気ラムプを点(とも)したれば、四辺(あたり)は真昼より明(あきら)かに、人顔も眩(まばゆ)きまでに耀(かがや)き遍(わた)れり。三十人に余んぬる若き男女(なんにょ)は二分(ふたわかれ)に輪作りて、今を盛りと歌留多遊(かるたあそび)を為(す)るなりけり。蝋燭の焔(ほまお)と炭火の熱と多人数(たにんず)の熱蒸(いきれ)と混じたる一種の温気(うんき)は殆(ほとん)ど凝りて動かざる一間の内を、莨(たばこ)の煙(けむり)と燈火(ともしび)の油煙とは更(たがい)に縺(もつ)れて渦巻きつつ立ち迷へり。
 込み合へる人々の面(おもて)は皆な赤うなりて、白粉(おしろい)の薄剥(うすは)げたるあり、髪の解(ほつ)れたるあり、衣(きぬ)の乱次(しどな)く着頽(きくづ)れたるあり。女は粧(よそお)い飾りたれば、取り乱したるが特(こと)に著るく見ゆるなり。男はシャツの腋(わき)の裂けたるも知らで胴衣(チョッキ)ばかりになれるあり、羽織を脱ぎて帯の解けたる尻を突出すもあり、十の指をば四(よつ)まで紙にて結(ゆ)いたるもあり。さしも息苦しき温気も、咽(むせ)ばさるる煙(けむり)の渦も、皆な狂して知らざる如く、寧(むしろ)喜びて罵(ののし)り喚(わめ)く声、笑い頽(くづ)るる声、捩合(ねぢあ)い踏み破(しだ)く犇(ひしめ)は、一斉に揚ぐる響動(どよみ)など、絶え間なき騒動の中(うち)に狼藉(ろうぜき)として戯(たわむ)れ遊ぶ為体(ていたらく)は三綱五常(さんこうごじょう)も糸瓜(へちま)の皮と地に塗(まび)れて、唯(ただ)これ修羅道(しゅらどう)を打覆(ぶっくりかえ)したるばかりなり。
 海上風波の難に遭(あ)へる時、若干(そくばく)の油を取りて航路に澆(そそ)げば、浪(なみ)は奇(くし)くも忽(たちま)ち鎮(しづま)りて、船は九死をづべしとよ。今この如何(いかに)とも為(す)べからざる乱脈の座中をば、その油の勢力をもて支配せる女王(にょおう)あり。猛(たけ)びに猛ぶ男たちの心もその人の前には和(やはら)ぎて、終(つい)に崇拝せざるはあらず。女たちは皆な猜(そね)みつつも畏(おそれ)を懐(いだ)けり。中の間なる団欒(まどゐ)の柱側(わき)に座を占めて、重(おも)げに戴(いただ)ける夜会結(やかいむすび)に淡紫(うすむらさき)のリボン飾(かざり)して、小豆鼠(あづきねずみ)の縮緬(ちりめん)の羽織を着たるが、人の打ち騒ぐを興あるように涼き目を※(「目+登」、第3水準1-88-91)(みは)りて、躬(みづから)は淑(しとや)かに引き繕(つくろ)へる娘あり。粧飾(つくり)より相貌(かおだち)まで水際立(みづぎわた)ちて、凡(ただ)ならず媚(こび)を含めるは、色を売るものの仮の姿したるにはあらずやと、始めて彼を見るものは皆な疑えり。
 一番の勝負の果てぬ間に、宮といふ名は普(あまね)く知られぬ。娘も数多(あまた)居たり。醜(みにく)きは、子守の借着したるか、茶番の姫君の戸惑(とまどい)せるかと覚(おぼし)きもあれど、中には二十人並、五十人並優れたるもありき。服装(みなり)は宮より数等(すとう)立派なるは数多(あまた)あり。彼はその点にては中の位に過ぎず。貴族院議員の愛娘(まなむすめ)とて、最も不器量極(きほ)めて遺憾なしと見えたるが、最も綺羅(きら)を飾りて、その起肩(いかりがた)に紋御召(もんおめし)の三枚襲(さんまいがさね)を被(かつ)ぎて、帯は紫根(しこん)の七糸(しちん)に百合(ゆり)の折枝(をりえだ)を縒金(よりきん)の盛り上げにしたる、人々これが為に目も眩(く)れ、心も消えて皺(しわ)めぬ。この種々(さまざま)色々の絢爛(きらびやか)なる中に立ち交(まじ)らいては、宮の装(よそおい)は纔(わづか)に暁の星の光を保つに過ぎざれども、彼の色の白さは如何なる美くしき染色(そめいろ)をも奪ひて、彼の整へる面(おもて)は如何なる麗(うるわし)き織物よりも文章(あや)ありて、醜き人たちは如何に着飾らんともその醜きを蔽(おお)う能(あた)わざるが如く、彼は如何に飾らざるもその美きを害せざるなり。
 袋棚(ふくろだな)と障子との片隅手炉(てあぶり)を囲みて、蜜柑(みかん)を剥(む)きつつ語(かたら)う男の一個(ひとり)は、彼の横顔を恍惚(ほれぼれ)と遙(はるか)に見入りたりしが、遂に思い堪(た)えざらんように呻(うめ)き出(いだ)せり。好(い)い、好い、全く好い! 馬士(まご)にも衣裳(いしよう)と謂(い)うけれど、美くしいのは衣裳には及ばんね。物それ自(みづか)らが美くしいのだもの、着物などはどうでも可(い)い、実は何も着てをらんでもいい」。「裸体なら猶(なお)結構だ!」。この強き合槌(あいづち)撃つは、美術学校の学生なり。
 綱曳(つなひき)にて駈着(かけつ)けし紳士は姑(しばら)く休息の後内儀に導かれて入り来(きた)りつ。その後(うしろ)には、今まで居間に潜みたりし主(あるじ)の箕輪亮輔(みのわりょうすけ)も附添いたり。席上は入り乱れて、ここを先途(せんど)と激しき勝負の最中なれば、彼らの来(きた)れるに心着きしは稀(まれ)なりけれど、片隅に物語れる二人は逸早(いちはや)く目を側(そば)めて紳士の風采(ふうさい)を視(み)たり。

 広間の燈影(ひかげ)は入口に立てる三人(みたり)の姿を鮮やかに照せり。色白の小(ちいさ)き内儀の口は疳(かん)の為に引き歪(ゆが)みて、その夫の額際(ひたいぎわ)より赭禿(あかは)げたる頭顱(つむり)は滑(なめら)かに光れり。妻は尋常(ひとなみ)より小さきに、夫は勝(すぐ)れたる大兵(だいひょう)肥満にて、彼の常に心遣(づかい)ありげの面色(おももち)なるに引き替えて、生きながら布袋(ほてい)を見る如き福相したり。
 紳士は年歯(としのころ)二十六七なるべく、長高(たけたか)く、好き程に肥えて、色は玉のようなるに頬(ほほ)の辺(あた)りには薄紅(うすくれない)を帯びて、額厚く、口大きく、腮(あぎと)は左右に蔓(はびこ)りて、面積の広き顔は稍(やや)正方形を成(な)せり。緩(ゆる)く波打てる髪を左の小鬢(こびん)より一文字に撫でつけて、少しは油を塗りたり。濃(こ)からぬ口髭(くちひげ)を生(はや)して、小(ちいさ)からぬ鼻に金縁(きんぶち)の目鏡(メガネ)を挾(はさ)み、五紋(いつつもん)の黒塩瀬(くろしほぜ)の羽織に華紋織(かもんおり)の小袖(こそで)を裾長(すそなが)に着做(な)したるが、六寸の七糸帯(しちんおび)に金鏈子(きんぐさり)を垂れつつ、大様(おおよう)に面(おもて)を挙げて座中を※(「目+旬」、第3水準1-88-80)(みまわ)したる容(かたち)は、実(げ)に光を発(はな)つらんように四辺(あたり)を払いて見えぬ。この団欒(まどゐ)の中に彼の如く色白く、身奇麗に、しかも美々しく装(よそお)いたるはあらざるなり。「何だ、あれは?」。例の二人の一個(ひとり)はさも憎さげに呟(つぶや)けり。「厭な奴!」。唾(つば)吐くように言いて学生はわざと面を背(そむ)けつ。
 「お俊(しゅん)や、一寸(ちょいと)」と内儀は群集(くんじゅ)の中よりその娘を手招きぬ。お俊は両親の紳士を伴えるを見るより、慌忙(あわただし)く起ちて来(きた)れるが、顔好くはあらねど愛嬌深く、いと善く父に肖(に)たり。高島田に結(ゆ)いて、肉色(にくいろ)縮緬(ちりめん)の羽織に撮(つま)みたるほどの肩揚したり。顔を赧(あか)めつつ紳士の前に跪(ひざまづ)きて、慇懃(いんぎん)に頭(かしら)を低(さぐ)れば、彼は纔(わづか)に小腰を屈(かが)めしのみ。「どうぞ此方(こちら)へ」。娘は案内せんと待ち構えけれど、紳士はさして好ましからぬように頷(うなづ)けり。母は歪(ゆが)める口を怪しげに動かして、「あの、見事な、まあ、御年玉を御戴きだよ」。お俊は再び頭を低げぬ。紳士は笑(ゑみ)を含みて目礼せり。「さあ、まあ、いらつしやいまし」。主(あるじ)の勧むる傍(そば)より、妻はお俊を促して、お俊は紳士を案内して、客間の床柱の前なる火鉢ある方(かた)に伴(つ)れぬ。妻は其処(そこ)まで介添えに附きたり。二人は家内(かない)の紳士を遇(あつか)うことの極(きわ)めて鄭重なるを訝(いぶか)りて、彼の行くより坐るまで一挙一動も見脱(みのが)さざりけり。その行く時彼の姿はあたかも左の半面を見せて、団欒(まどゐ)の間を過ぎたりしが、無名指(むめいし)に輝ける物の凡(ただ)ならず強き光は燈火(ともしび)に照り添いて、殆(ほとん)ど正しく見る能(あたわ)ざるまでに眼(まなこ)を射られたるに呆(あき)れ惑えり。天上の最も明きらかなる星は我が手にありと言はまほしげに、紳士は彼らの未(いま)だ曾(かっ)て見ざりし大きさの金剛石(ダイヤモンド)を飾れる黄金(きん)の指環を穿(は)めたるなり。
 お俊は骨牌(カルタ)の席に復(かえ)ると※(「にんべん+牟」、第3水準1-14-22)(ひとし)く、密(ひそか)に隣の娘の膝(ひざ)を衝(つ)きて口早に※(「口+耳」、第3水準1-14-94)(ささや)きぬ。彼は忙々(いそがわし)く顔を擡(もた)げて紳士の方(かた)を見たりしが、その人よりはその指に耀やく物の異常なるに駭(おどろ)かされたる体(てい)にて、「まあ、あの指環は! 一寸(ちょいと)ダイアモンド?」。「そうよ」。「大きいのねえ」。「三百円だつて」。お俊の説明を聞きて彼は漫(そぞろ)に身の毛の弥立(よだ)つを覚えつつ、「まあ! 好いのねえ」。※(「魚+單」、第3水準1-94-52)(ごまめ)の目ほどの真珠を附けたる指環をだに、この幾歳(いくとせ)か念(ねん)懸(が)くれども未(いま)だ容易に許されざる娘の胸は、忽(たちま)ち或る事を思ひ浮べて攻め皷(つづみ)の如く轟(とどろ)けり。彼は惘然(ぼうぜん)として殆ど我を失へる間(ま)に、電光の如く隣より伸び来(きた)れる猿臂(えんぴ)は鼻の前(さき)なる一枚のカルタを引き攫(さら)えば、「あら、貴女(あなた)どうしたのよ」。お俊は苛立(いらだ)ちて彼の横膝(ひざ)を続けさまに拊(はた)きぬ。「可(よ)くってよ、よくってよ、以来(これから)もうよくってよ」。
 彼は始めて空想の夢を覚(さま)して、及ばざる身の分(ぶん)を諦(あきら)めたりけれども、一旦ダイアモンドの強き光に焼かれたる心は幾分の知覚を失いけんようにて、さしも目覚(めざまし)かりける手腕(てなみ)の程も見る見る漸(ようや)く四途乱(しどろ)になりて、彼は敢無(あえな)くもこの時よりお俊の為に頼み難(がたな)き味方となれり。かくしてかれよりこれに伝へ、甲より乙に通じて、「ダイヤモンド!」。「うむ、ダイヤモンドだ」。「ダイヤモンド※(疑問符二つ、1-8-76)」。「成る程ダイヤモンド!」。「まあ、ダイヤモンドよ」。「あれがダイヤモンド?」。「見給へ、ダイヤモンド」。「あら、まあダイヤモンド※(疑問符二つ、1-8-76)」。「感(すばらしい)ダイヤモンド」。恐(おそろ)しい光るのね、ダイヤモンド」。「三百円のダイヤモンド」。瞬(またた)く間に三十余人は相呼び相応じて紳士の富を謳(うた)えり。
 彼は人々の更互(かたみがわり)におのれの方(かた)を眺むるを見て、その手に形好く葉巻(シガア)持たせて、右手(めて)を袖口(そでぐち)に差し入れ、少し懈(たゆ)げに床柱に(もた)れて、目鏡の下より下界を見遍(みわた)すらなように目配りしてゐたり。かかる目印ある人の名は誰しも問はであるべきにあらず、洩(も)れしは俊の口よりなるべし。彼は富山唯継(とみやまただつぐ)とて、一代分限(ぶげん)ながら下谷(したや)区に聞ゆる資産家の家督なり。同じ区なる富山銀行はその父の私設する所にして、市会議員の(うち)にも富山重平の名は見出(みいだ)さるべし。
 宮の名の男の方(かた)に持囃(もてはや)さるる如く、富山と知れたる彼の名は直ちに女の口々に誦(ずん)ぜられぬ。あわれ一度(ひとたび)はこの紳士と組みて、世に愛(めで)たき宝石に咫尺(しせき)するの栄を得ばや、と彼らの心々(こころごころ)に冀(こいねが)わざるは希(まれ)なりき。若(も)し彼に咫尺するの栄を得ば、啻(ただ)にその目の類いなく楽しまさるるのみならで、その鼻までも菫花(ヴァイオレット)の多く※(「鼾のへん+嗅のつくり」、第4水準2-94-73)(か)ぐべからざる異香(いきよう)にぜらるるの幸(さいわ)いを受くべきなり。
 男たちは自(おのづ)から荒(すさ)められて、女の挙(こぞ)りてダイアモンドに心牽(ひか)さるる気色(けしき)なるを、或るいは妬(ねた)く、或るいは浅ましく、多少の興を冷(さま)さざるはあらざりけり。独り宮のみは騒げる体(てい)もなくて、その清(すず)しき眼色(まなざし)はさしものダイアモンドと光を争わんように、用意(たしなみ)深く、心様(こころざま)も幽(ゆか)しく振る舞えるを、崇拝者は益々懽(よろこ)びて、我らの慕ひ参らする効(かい)はあるよ、偏(ひとえ)にこの君を奉じて忠(こちゅう)を全うし、美と富との勝負を唯一戦に決して、紳士の憎き面(つら)の皮を引き剥(む)かん、と手薬煉(てぐすね)引いて待ちかけたり。

 されば宮と富山との勢(いきお)いはあたかも日月(じつげつ)を並べ懸(か)けたるようなり。宮は誰と組み、富山は誰と組むらんとは、人々の最も懸念(けねん)するところなりけるが、鬮(くじ)の結果は驚くべき予想外にて、目指されし紳士と美人とは他の三人(みたり)とともに一組になりぬ。始め二つに輪作りし人数はこの時合併して一(いつ)の大いなる団欒(まどゐ)に成されたるなり。しかも富山と宮とは隣り合いに坐りければ、夜と昼との一時に来にけんように皆な狼狽(うろたえ)騒ぎて、忽(たちま)ちその隣に自ら社会党と称(とな)える一組を出(いだ)せり。
 彼らの主義は不平にして、その目的は破壊なり。則(すなわ)ち彼らは専(もっぱ)ら腕力を用ゐて或る組の果報と安寧(あんねい)とを妨害せんと為るなり。又その前面(むかい)には一人の女に内を守らしめて、屈強の男四人左右に遠征軍を組織し、左翼を狼藉組(ろうぜきぐみ)と称し、右翼を蹂躙隊(じゅうりんたい)と称するも、実はダイヤモンドの鼻柱を挫(くじ)かんと大童(おおわらわ)になれるに外(ほか)ならざるなり。果せる哉(かな)、件(くだん)の組はこの勝負に蓬(きたな)き大敗を取りて、人もなげなる紳士もさすがに鼻白(しろ)み、美くしき人は顔を赧(あか)めて、座にも堪(た)ふべからざるばかりの面皮(めんぴ)を欠かされたり。この一番にて紳士の姿は不知(いつか)見えずなりぬ。男たちは万歳を唱へけれども、女の中には掌(たなぞこ)の玉を失える心地(ここち)したるも多かりき。散々に破壊され、狼藉され、蹂躙されし富山は、余りにこの文明的ならざる遊戯に怖(おそれ)をなして、密(ひそか)に主(あるじ)の居間に逃げ帰れるなりけり。
 鬘(かつら)を被(き)たるように梳(くしけづ)りたりし彼の髪は棕櫚箒(しゅろぼうき)の如く乱れて、(かん)の隻(かたかた)※(「てへん+宛」、第3水準1-84-80)(も)げたる羽織の紐(ひも)は、手長猿の月を捉(とら)えんとする状(かたち)して揺曳(ぶらぶら)と垂(さが)れり。主は見るよりさも慌(あわ)てたる顔して、「どう遊ばしました。おお、お手から血が出てをります」。彼はやにはに煙管(きせる)を捨てて、忽(ゆるがせ)にすべからざらんように急遽(とっかは)と身を起せり。「ああ、酷(ひど)い目に遭(あ)った。どうもああ乱暴じゃ為様がない。火事装束ででも出掛けなくっちやとても立切(たちき)れないよ。馬鹿にしてゐる! 頭を二つばかり撲(ぶた)れた」。手の甲の血を吮(す)いつつ富山は不快なる面色(おももち)して設(もうけ)の席に着きぬ。予(かね)て用意したれば、海老茶(えびちゃ)の紋縮緬(もんちりめん)の※(「ころもへん+因」、第4水準2-88-18)(しとね)の傍(かたわら)に七宝焼の小判形の大手炉(おおてあぶり)を置きて、蒔絵(まきゑ)の吸物膳をさえ据えたるなり。
 主は手を打ち鳴して婢(おんな)を呼び、大急ぎに銚子と料理とを誂(あつら)えて、「それはどうも飛んでもない事を。外(ほか)に何処(どこ)もお怪我(けが)はございませんでしたか」。「そんなに有られて耐(たま)るものかね」。為(せ)う事なさに主も苦笑いせり。「唯今(ただいま)絆創膏(ばんそうこう)を差上げます。何しろ皆な書生でございますから随分乱暴でございませう。故々(わざわざ)御招き申しまして甚(はなは)だ恐れ入りました。もう彼地(あっち)へは御出陣にならんが宜(よろし)うございます。何もございませんがここで何卒(どうぞ)御寛(ごゆる)り」。「ところがもう一遍行つて見やうかとも思ふの」。「へえ、又いらつしやいますか」。
 物は言はで打ち笑(ゑ)める富山の腮(あぎと)は愈(いよいよ)展(ひろが)れり。早くもその意を得てや破顔(はがん)せる主(あるじ)の目は、薄(すすき)の切り疵(きず)の如くほとほと有か無きかになりぬ。「では御意(ぎょい)に召したのが、へえ?」。富山は益(ますます)笑みを湛(ただ)えたり。「ございましたろう、さうでございませうとも」。「何故(なぜ)な」。「何故もないものでございます。十目(じゅうもく)の見るところぢやございませんか」。富山は頷(うなづ)きつつ、「さうだらうね」。「あれは宜(よろし)うございませう」。「一寸(ちょいと)好いね」。「まづその御意(おつもり)でお熱いところをお一盞(ひとつ)。不満家(むずかしや)の貴方(あなた)が一寸好いと有仰(おっしゃ)る位では、余程(よっぽど)尤物(まれもの)と思わなければなりません。全く寡(すくの)うございます」。
 倉皇(あたふた)入り来(きた)れるれる内儀は思ひも懸けず富山を見て、「おや、此方(こちら)に在(いで)あそばしたのでございますか」。彼は先の程より台所に詰めきりて、中入(なかいり)の食物の指図などしてゐたるなりき。「酷(ひど)く負けて(に)げて来ました」。「それは好く迯げていらつしやいました」。例の歪(ゆが)める口を窄(すぼ)めて内儀は空々しく笑ひしが、忽(たちま)ち彼の羽織の紐(ひも)の偏(かたかた)断(ちぎ)れたるを見尤(みとが)めて、環(かん)の失せたりと知るより、慌(あわ)て驚きて起たんとせり、如何にとなればその環は純金製のものなればなり。富山は事もなげに、「なあに、宜(よろし)い」。「宜いではございません。純金では大変でございます」。「なあに、いいと言ふのに」と聞きも訖(おわ)らで彼は広間の方(かた)へ出(い)でて行けり。
 「時にあれの身分はどうかね」。「さやう、悪い事はございませんが……」。「が、どうしたのさ」。「が、大(たい)した事はございませんです」。「それはそうだらう。しか凡そどんなものかね」。「旧(もと)は農商務省に勤めておりましたが、唯今(ただいま)では地所や家作(かさく)などで暮してゐるようでございます。どうか小金もあるやうな話で、鴫沢隆三(しぎさわりゅうぞう)と申して、直(ぢき)隣り町に居りまするが、極(ご)く手堅く小体(こてい)に遣(や)っておるのでございます」。「はあ、知れたもんだね」。我は顔(がお)に頤(おとがい)を掻撫(かいな)づれば、例のダイアモンドは燦然(きらり)と光れり。「それでもいいさ。しかし嫁(く)れようか、嗣子(あととり)じゃないかい」。「さやう、一人娘のやうに思ひましたが」。「それじゃ窮(こま)るじゃないか」。「私は悉(くわし)い事は存じませんから、一つ聞いて見ませうで」。
 程なく内儀は環を捜(さが)し得て帰り来(き)にけるが、誰(た)が悪戯(いたずら)とも知らで耳掻き如く引き展(のば)されたり。主は彼に向ひて宮の家内(かない)の様子を訊(たず)ねけるに、知れる一遍(ひととうり)は語りけれど、娘は猶(なお)能く知るらんを、後(のち)に招きて聴くべしとて、夫婦は頻(しきり)に觴(さかずき)を侑(すすめ)けり。

 富山唯継の今宵ここに来(きた)りしは、年賀にあらず、骨牌(カルタ)遊びにあらず、娘の多く聚(あつま)れるを機として、嫁選(えらみ)せんとてなり。彼は一昨年(をととし)の冬、英吉利(イギリス)より帰朝するや否や、八方に手分けして嫁を求めけれども、器量望みの太甚(はなはだ)しければ、二十余件の縁談皆な意に称(かな)わで、今日が日までもなほその事に齷齪(あくさく)して已(や)まざるなり。当時取り急ぎて普請せし芝の新宅は、いまだ人の住み着かざるに、はや日に黒み、或る所は雨に朽ちて、薄暗き一間に留守居の老夫婦の額を鳩(あつ)めては、寂しげに彼らの昔を語るのみ。

前編第二章】
 カルタの会は十二時に※(「二点しんにょう+台」、第3水準1-92-53)(およ)びて終りぬ。十時頃より一人起ち、二人起ちて、見る間に人数の三分の一強を失ひけれども、猶(なお)飽かで残れるものは景気好く勝負を続けたり。富山の姿を隠したりと知らざる者は、彼敗走して帰りしならんと想えり。宮は会の終りまで居たり。彼もし疾(と)く還(かえ)りたらんには、恐らく踏み留るは三分の一弱に過ぎざりけんを、と我物顔に富山は主と語り合えり。彼に心を寄せし輩(やから)は皆な彼が夜深(よふけ)の帰途(かえり)の程を気遣(きずか)いて、わくは何処(いづく)までも送らんと、絶(したた)か念(おも)いに念いけれど、彼らの深切(しんせつ)は無用にも、宮の帰る時一人の男附添ひたり。
 その人は高等中学の制服を着たる二十四五の学生なり。ダイアモンドに亜(い)いでは彼の挙動の目指されしは、座中に宮と懇意に見えたるは彼一人なりければなり。この一事の外(ほか)は人目を牽(ひ)くべき点もなく、彼は多く語らず、又は躁(さわ)がず、始終慎(つつまし)くしてゐたり。終りまでこの両個(ふたり)の同伴(つれ)なりとは露顕せざりき。さあらんには余所々々(よそよそ)しさに過ぎたればなり。彼らの打ち連れて門(かど)を出(い)づるを見て、始めて失望せしもの(すくな)からず。
 宮は鳩羽鼠(はとばねずみ)の頭巾(ずきん)を被(かぶ)りて、濃(こ)い浅黄地(あさぎぢ)に白く中形(ちゅうがた)模様ある毛織のシォールを絡(まと)い、学生は焦茶の外套(オーバ-コート)を着たるが、身を窄(すぼ)めて吹き来る凩(こがらし)を遣過(やりすご)しつつ、遅れし宮の辿り着くを待ちて言い出せり。「宮(みぃ)さん、あのダイアモンドの指環を穿(は)めてゐた奴はどうだい、厭(いや)に気取った奴じゃないか」。「そうねえ、だけれど衆(みんな)があの人を目の敵(かたき)にして乱暴するので気の毒だったわ。隣り合っていたもんだから私まで酷(ひど)い目に遭(あわ)されてよ」。「うむ、彼奴(あいつ)が高慢な顔をしているからさ。実は僕も横腹(よこっぱら)を二つばかり突いて遣った」。「まあ、酷いのね」。「ああ云う奴は男の目から見ると反吐(へど)が出るようだけれど、女にはどうだろうね、あんなのが女の気に入るのじゃないか」。「私は厭だわ」。「芬々(ぷんぷん)と香水の匂いがして、ダイヤモンドの金の指環を穿めて、殿様然たる服装(なり)をして、好(い)いに違いないさ」。学生は嘲(あざ)むが如く笑えり。
 「私は厭よ」。「厭なものが組になるものか」。「組は鬮(くじ)だから為方(しかた)がないわ」。「鬮だけれど、組に成って厭さうな様子も見えなかつたもの」。「そんな無理な事を言って!」。「三百円のダイアモンドじゃ到底僕らの及ぶところにあらずだ」。「知らない!」。宮はシォールを揺り上げて鼻の半(なか)ばまで掩隠(おおいかく)しつ。「ああ寒い!」。男は肩を峙(そばだ)てて直(ひた)と彼に寄り添えり。宮は猶(なお)黙して歩めり。「ああ寒い※(感嘆符二つ、1-8-75)」。宮はなお答えず。「ああ寒い!※(感嘆符二つ、1-8-75)」。彼はこの時始めて男の方(かた)を見向きて、「どうしたの」。「ああ寒い」。「あら厭ね、どうしたの」。「寒くて耐(たま)らんからその中へ一処(いっしょ)に入れ給へ」。「どの中へ」。「シォールの中へ」。「笑(おか)しい、厭だわ」。男は逸早(いちはや)く彼の押えしシォールの片端(かたはし)を奪いて、その中(うち)に身を容(い)れたり。宮は歩み得ぬまでに笑いて、「あら貫一(かんいつ)さん。これじゃ切なくて歩けやしない。ああ、前面(むこう)から人が来てよ」。かかる戯(たわむれ)を作(な)して憚(はばか)らず、女も為すままに信(まか)せて咎(とが)めざる彼らの関繋は抑(そもそ)も如何(いかに)。事情ありて十年来鴫沢に寄寓(きぐう)せるこの間貫一(はざまかんいち)は、こ年(とし)の夏大学に入(い)るを待ちて、宮が妻(めあわ)せらるべき人なり。

前編第三章
 貫一の十年来鴫沢の家に寄寓せるは、怙(よ)る所なくて養わるるなり。母は彼の幼(いとけな)かりし頃世を去りて、父は彼の尋常中学を卒業するを見るに及ばずして病死せしより、彼は哀嘆(なげき)の中に父を葬るとともに、己(おのれ)が前途の望みをさえ葬らざるべからざる不幸に遭(あ)えり。父在りし日さえ月謝の支出の血を絞るばかりに苦しき痩世帯(やせじょたい)なりけるを、当時彼なお十五歳ながら間の戸主は学ぶに先(さきだ)ちて食(くら)うべき急に迫られぬ。幼き戸主の学ぶに先ちては食うべきの急、食うべきに先ちては葬(ほうむり)すべき急、猶(なお)これに先ちては看護医薬の急ありしにあらずや。自活すべくもあらぬ幼(おさな)き者の如何にしてこれらの急を救い得しか。固(もと)より貫一が力の能(あた)うべきにあらず、鴫沢隆三の身一個(ひとつ)に引承(ひきう)けて万端の世話せしに因(よ)るなり。孤児(みなしご)の父は隆三の恩人にて、彼は聊(いささ)かその旧徳に報ゆるが為に、啻(ただ)にその病めりし時に扶助せしのみならず、常に心着(づ)けては貫一の月謝をさえ間(まま)支弁したり。
 かくて貧しき父を亡(うしな)いし孤児(みなしご)は富める後見(うしろみ)を得て鴫沢の家に引き取られぬ。隆三は恩人に報ゆるにその短き生時(せいじ)を以(もっ)て慊(あきた)らず思いければ、とかくはその忘れ形見を天晴(あっぱれ)人と成して、彼の一日も忘れざりし志を継がんとせるなり。亡(な)き人常に言いけるは、苟(いやし)くも侍の家に生れながら、何の面目(めんぼく)ありて我が子貫一をも人に侮(あなど)らすべきや。彼は学士となして、願くは再び四民(しみん)の上(かみ)に立たしめん。貫一は不断にこの言(ことば)を以(も)て警(いまし)められ、隆三は会ふ毎にまたこの言をもて喞(かこ)たれしなり。彼は言(ものい)う遑(いとま)だになくて暴(にわか)に歿(みまか)りけれども、その前常に口にせしところは明らかに彼の遺言なるべきのみ。
 されば貫一が鴫沢(しぎさわ)の家内に於ける境遇は、決して厄介者として陰(こそか)に疎(うと)まるる如き憂き目に遭うにはあらざりき。憖(なまじ)い継子(ままこ)などに生れたらんよりは、かくてありなんこそ幾許(いかばかり)か幸(さいわい)は多からんよ、と知る人は噂(うわさ)し合えり。隆三夫婦は実(げ)に彼を恩人の忘れ形見として疎(おろそか)ならず取扱いけるなり。さばかり彼の愛せらるるを見て、彼らは貫一をば娘の婿にせむとすならんと想える者もありしかど、当時彼らは構へてさる心ありしにはあらざりけるも、彼の篤学なるを見るに及びて、漸(ようや)くその心は来て、彼の高等中学校に入(い)りし時、彼らの了簡は始めて定まりぬ。
 貫一は篤学のみならず、性質も直(すぐ)に、行(おこな)いも正しかりければ、この人物を以って学士の冠を戴(いただ)かんには、誠に獲易(えやす)からざる婿なるべし、と夫婦は私(ひそか)に喜びたり。この身代(しんだい)を譲られたりとて、他姓(たせい)を冒(おか)して得謂(えい)われぬ屈辱を忍ばんは、彼の屑(いさぎよ)しとせざるところなれども、美しき宮を妻に為るを得ば、この身代も屈辱も何かあらんと、彼はなかなか夫婦に増したる懽(よろこび)を懐(いだ)きて、益(ますます)学問を励みたり。
 宮も貫一をば憎からず思えり。されど恐くは貫一の思える半ばには過ぎざらん。彼は自らその色好(いろよ)きを知ればなり。世間の女の誰か自らその色好を知らざるべき、憂ふるところは自ら知るに過(すぐ)るにあり。謂(い)うべくんば宮は己(おのれ)が美しさの幾何(いかばか)り値するかを当然に知れるなり。彼の美しさを以てして纔(わずか)に箇程(かほど)の資産を嗣(つ)ぎ、類多き学士風情(ふぜい)を夫に有たんは、決して彼が所望(のぞみ)の絶頂にはあらざりき。彼は貴人の奥方の微賤(びせん)より出で例(ためし)寡(すくな)からざるを見たり。又は富人の醜き妻を厭(いと)いて、美き妾(めかけ)に親しむを見たり。才だにあらば男立身は思いのままなる如く、女は色をもて富貴(ふうき)を得べしと信じたり。なお彼は色を以て富貴を得たる人たちの若干(そくばく)を見たりしに、その容(かたち)の己(おのれ)に如(し)かざるものの多きを見い出せり。剰(あまつさ)え彼は行く所にその美しさを唱はれざるはあらざりき。
 なお一件(ひとつ)最も彼の意を強うせし事あり。そは彼が十七の歳(とし)に起りし事なり。当時彼は明治音楽院に通ひたりしに、ヴァイオリンのプロフェッサアなる独逸(ドイツ)人は彼の愛らしき袂(たもと)に艶書(えんしょ)を投げ入れぬ。これ素(もと)より仇(あだ)なる恋にはあらで、女夫(めおと)の契(ちぎり)を望みしなり。(ほとん)ど同時に、院長の某(なにがし)は年四十を踰(こ)えたるに、先年その妻を喪(うしな)いしをもて再び彼を娶(めと)らんとて、密(ひそか)に一室に招きて切なる心を打ち明かせし事あり。この時彼の小(ちいさ)き胸は破れんとするばかり轟(とどろ)けり。半ばは曾(かっ)て覚えざる羞(はづかしさ)の為に、半ばは遽(にわか)に大いなる希望(のぞみ)の宿りたるが為に。彼はここに始めて己(おのれ)の美しさの(すくな)くとも奏任以上の地位ある名流をその夫(つま)に値(あたい)すべきを信じたるなり。彼を美しく見たるは彼の教師と院長とのみならで、牆(かき)を隣れる男子部(だんじぶ)の諸生の常に彼を見んとて打ち騒ぐをも、宮は知らざりしにあらず。
 もしかのプロフェッサアに添わんか、或るいは四十の院長に従わんか、彼の栄誉ある地位は、学士を婿にして鴫沢の後を嗣(つ)ぐの比にはあらざらんをと、一旦抱(いだ)ける希望(のぞみ)は年と共に太りて、彼は始終昼ながら夢みつつ、今にも貴き人又は富める人又は名ある人の己を見い出だして、玉の輿(こし)を舁(かか)せて迎えに来たるべき天縁の、必ず廻り到(いた)らんことを信じて疑わざりき。彼のさまでに深く貫一を思わざりしは全くこれが為のみ。されども決して彼を嫌えめにはあらず、彼と添わばさすがに楽しからんとは念(おも)えるなり。かくの如決定(さだか)にそれとはなけれど又ありとし見ゆる箒木(ははきぎ)の好運を望みつつも、彼は怠らず貫一を愛していたり。貫一は彼の己を愛する外にはその胸の中に何もあらじとのみ思えるなりけり。

前編第四章】
 漆の如き闇(やみ)の中(うち)に貫一の書斎の枕時計は十時を打ちぬ。彼は午後四時より向島(むこうじま)の八百松(やおまつ)に新年会ありとて未(いま)だ還(かえ)らざるなり。宮は奥より手ラムプを持ちて入り来(き)にけるが、机の上なる書燈を点(とも)し了(おわ)れる時、婢(をんな)は台十能に火を盛りたるを持ち来たれり。宮はこれを火鉢(ひばち)に移して、「さうして奥のお鉄瓶(てつ)も持って来ておくれ。ああ、もう彼方(あちら)は御寝(おやす)みになるのだから」。久しく人気(ひとけ)の絶えたりし一間の寒さは、俄(にわか)に人の温き肉を得たるを喜びて、直ちに咬(か)まんとするが如く膚(はだへ)に薄(せま)れり。宮は慌忙(あわただし)く火鉢に取り付きつつ、目を挙げて書棚に飾れる時計を見たり。夜の闇(くら)く静かなるに、燈(ともし)の光の独り美しき顔を照したる、限りなく艶なり。松の内とて彼は常より着飾れるに、化粧をさえしたれば、露を帯びたる花の梢(こずえ)に月のうつろえるが如く、背後(うしろ)の壁に映れる黒き影さへ香滴(においこぼ)るるようになり。ダイアモンドと光を争いし目は惜し気もなく※(「目+登」、第3水準1-88-91)(みは)りて時計の秒(セコンド)を刻むを打ち目戍(まも)れり。火に翳(かざ)せる彼の手を見よ、玉の如くなり。さらば友禅模様ある紫縮緬の半襟(はんえり)に韜(つつ)まれたる彼の胸を想え。その胸の中(うち)に彼は今如何なる事を思えるかを想え。彼は憎からぬ人の帰来(かえり)を待ち佗(わ)ぶるなりけり。一時(ひとしきり)寒さの太甚(はなはだし)きを覚えて、彼は時計より目を放つとともに起ちて、火鉢の対面(むこう)なる貫一が※(「ころもへん+因」、第4水準2-88-18)(しとね)の上に座を移せり。こは彼の手に縫いしを貫一の常に敷くなり、貫一の敷くをば今夜彼の敷くなり。
 もしやと聞き着けし車の音は漸(ようや)く近づきて、益(ますます)轟(とどろ)きて、竟(つい)に我が門(かど)に停(とどま)りぬ。宮は疑いなしと思いて起たんとする時、客はいと酔(ゑ)いたる声して物言えり。貫一は生下戸(きげこ)なれば嘗(かっ)て酔いて帰りし事あらざれば、宮は力なく又坐りつ。時計を見れば早や十一時に垂(なんな)んとす。門の引き啓(あ)けて、酔いたる足音の土間に踏み入りたるに、宮は何事とも分かず唯(ただ)慌(あわ)ててランプを持ちて出(い)でぬ。台所より婢(おんな)も、出(いで)合えり。足の踏所(ふみど)も覚束(おぼつか)なげに酔ひて、帽は落ちなんばかりに打ち傾(かたむ)き、ハンカチイフに裹(つつ)みたる折を左に挈(さ)げて、山車(だし)人形のように揺々(ゆらゆら)と立てるは貫一なり。面(おもて)は今にも破れぬべく紅(くれない)に熱して、舌の乾(かわ)くに堪えかねて連(しきり)に空唾(からつば)を吐きつつ、「遅かったかね。さあ御土産(おみやげ)です。(かえ)ってこれを細君に遣(おく)る。何ぞ仁なるや」。「まぁ、大変酔つて! どうしたの」。「酔つて了(しま)った」。「あら、貫一(かんいつ)さん、こんな所に寐ちゃ困るわ。さあ、早くお上りなさいよ」。「こう見えても靴が脱げない。ああ酔った」。仰様(のけさま)に倒れたる貫一の脚(あし)を掻き抱(いだき)て、宮は辛(から)くもその靴を取り去りぬ。「起きる、ああ、今起きる。さあ、起きた。起きたけれど、手を牽(ひ)いてくれなければ僕には歩けませんよ」。
 宮は婢(おんな)に燈(ともし)を把(と)らせ、自らは貫一の手を牽かんとせしに、彼は踉(よろめ)きつつ肩に縋(すが)りて遂に放さざりければ、宮はその身一つさえ危(あやう)きに、ようよう扶(たす)けて書斎に入(い)りぬ。※(「ころもへん+因」、第4水準2-88-18)(しとね)の上に舁下(かきおろ)されし貫一は頽(くづ)るる体を机に支えて、打ち仰ぎつつ微吟せり。「君に勧む、金縷(きんる)の衣(ころも)を惜しむなかれ。君に勧む、須(すべから)く少年の時を惜しむべし。花あり折るに堪(た)えなば直ちに折るべし。花なきを待って空しく枝を折ることなかれ」。「貫一さん、どうしてそんなに酔ったの?」。「酔っているでせう、僕は。ねえ、宮(みぃ)さん、非常に酔っているでせう」。「酔っているわ。苦しいでせう」。「然矣(しかり)、苦しいほど酔っている。こんなに酔っているに就(つ)いては大いに訳があるのだ。そうして又宮さんなるものが大いに介抱してよい訳があるのだ。宮さん!」。「厭よ、私は、そんなに酔っていちゃ。不断嫌(きら)いの癖に何故(なぜ)そんなに飲んだの。誰に飲まされたの。端山(はやま)さんだの、荒尾さんだの、白瀬さんだのが附いていながら、酷(ひど)いわね、こんなに酔(よわ)して。十時にはきっと帰ると云うから私は待っていたのに、もう十一時過よ」。「本当に待っていてくれたのかい、宮さん。謝(しゃ)、多謝(たしゃ)! もしそれが事実であるならばだ、僕はこのまま死んでも恨みません。こんなに酔されたのも、実はそれなのだ」。
 彼は宮の手を取りて、情に堪えざる如く握り緊(し)めつ。「二人の事は荒尾より外に知る者はないのだ。荒尾が又決して喋(しゃべ)る男じゃない。それがどうして知れたのか、衆(みんな)が知つていて……僕は実に驚いた。四方八方から祝盃(しゅくはい)祝盃だと、十も二十も一度に猪口(ちょく)を差されたのだ。祝盃などを受ける覚(おぼ)えはないと言って、手を引籠(ひっこ)めていたけれど、なかなか衆(みんな)聴かないじゃないか」。宮は窃(ひそか)笑みを帯びて余念なく聴きいたり。「それじゃ祝盃の主意を変えて、仮初(かりそめ)にもああ云う美人と一所(いっしょ)に居て寝食を倶(とも)にすると云うのが既に羨(うらやまし)い。そこを祝すのだ。次には、君も男児(おとこ)なら、更に一歩を進めて、妻君に為るように十分運動したまえ。十年も一所に居てから、今更人に奪(と)られるような事があったら、独り間貫一個人の恥辱ばかりではない、我々朋友全体の面目にも関する事だ。我々朋友ばかりではない、延(ひ)いては高等中学の名折れにもなるのだから、是非あの美人を君が妻君にするように、これは我々が心を一(いつ)にして結(むすび)の神に祷(いの)った酒だから、辞退するのは礼ではない。受けなかったら却(かえっ)て神罰があると、弄謔(からかい)とは知れているけれど、言い草が面白かったから、片(かたっぱし)から引き受けて呷々(ぐいぐい)遣付(やっつけ)た。

 宮さんと夫婦に成れなかったら、はははははは高等中学の名折になるのだと。恐れ入ったものだ。何分宜しく願います」。「よ、もう貫一さんは」。「友達中にもそう知れて見ると、立派に夫婦にならなければ、弥(いよい)よ僕の男が立たない義(わけ)だ」。「もう極(きま)っているものを、今更……」。「そうでないです。この頃翁(おじ)さんや姨(おば)さんの様子を見るのに、どうも僕は……」。「そんな事は決してないわ、邪推だわ」。「実は翁さんや姨さんの了簡(りょうけん)はどうでもよい、宮さんの心一つなのだ」。「私の心は極っているわ」。「そうかしらん?」。「そうかしらんて、それじゃ余(あんま)りだわ」。
 貫一は酔いを支えかねて宮が膝(ひざ)を枕に倒れぬ。宮は彼が火の如き頬(ほほ)に、額に、手を加えて、「水を上げませう。あれ、又寐ちゃ……貫一さん、貫一さん」。寔(まこと)に愛の潔(いさぎよ)き哉(かな)、この時は宮が胸の中にも例の汚れたる希望(のぞみ)は跡を絶ちて彼の美くしき目は他に見るべきもののあらざらんように、その力を貫一の寐顔に鍾(あつ)めて、富も貴きも、乃至(ないし)有(あら)ゆる利慾の念は、その膝に覚ゆる一団の微温の為に溶(とろか)されて、彼は唯(ただ)妙(たえ)に香(こえばし)き甘露(かんろ)の夢に酔いて前後をも知らざるなりけり。諸(もろもろ)の忌(いまわし)き妄想はこの夜の如く眼(まなこ)を閉じて、この一間(ひとま)に彼らの二人よりはあらざる如く、彼は世間に別人の影を見ずして、又この明らかなる燈火(ともしび)の光の如きものありて、特(こと)に彼らをのみ照すように感ずるなり。

前編第五章】
 或る日箕輪(みのわ)の内儀は思いも懸けず訪来(といきた)りぬ。その娘のお俊と宮とは学校朋輩にて常に往来(ゆきき)したりけれども、未(いま)だ家(うち)と家との交際はあらざるなり。彼らの通学せし頃さえ親々は互いに識(し)らで過ぎたりしに、今は二人の往来(おうらい)も漸(ようや)く踈(うと)くなりけるに及びて、俄(にわか)にその母の来(きた)れるは、如何なる故(ゆえ)にか、宮も両親(ふたおや)も怪(あやし)き事に念(おも)えり。凡そ三時間の後彼は帰り行(ゆ)きぬ。先に怪みし家内は彼の来りしよりもその用事の更に思い懸(が)けざるに驚けり。貫一は不在なりしかばこの珍(めずらし)き客来(きゃくらい)のありしを知らず、宮もまた敢えて告げずして、二日と過ぎ、三日と過ぎぬ。その日より宮は少しく食して、多く眠らずなりぬ。貫一は知らず、宮はいよいよ告げんとは為(せ)ざりき。この間に両親(ふたおや)は幾度(いくたび)となく談合しては、その事を決しかねていたり。
 彼の陰にありて起れる事、又は見るべからざる人の心に浮べる事どもは、貫一の知る因(よし)もあらねど、片時もその目の忘れざる宮の様子の常に変れるを見い出さんはさんは難(かた)き事にあらず。さもなかりし人の顔の色の遽(にわか)に光を失いたるようにて、振る舞いなど別(わ)けて力なく、笑うさえいと打ち湿(しめ)りたるを。宮が居間と謂(い)うまでにはあらねど、彼の箪笥(たんす)手道具等(なと)置きたる小座敷あり。ここには火燵(こたつ)の炉を切りて、用なき人の来ては迭(かたみ)に冬籠りする所にも用いらる。彼は常にここに居て針仕事するなり。倦(めば)琴をも弾(ひ)くなり。彼が手玩(てすさみ)と見ゆる狗子柳(いのこやなぎ)のはや根を弛(ゆる)み、真(しん)の打ち傾きたるが、鮟鱇切(あんこうぎり)の水に埃(ほこり)を浮べて小机の傍(かたえ)にあり。庭に向える肱懸窓(ひじかけまど)の明かるき敷紙(しきがみ)を披(ひろ)げて、宮は上に紅絹(もみ)の引き解(とき)を載せたれど、針は持たで、懶(ものう)げに火燵に靠(もた)れたり。彼は少しく食して多く眠らずなりてよりは、好みてこの一間に入りて、深く物思うなりけり。両親(ふたおや)は仔細を知れるにや、この様子をば怪まんともせで、唯彼の為すままに委(まか)せたり。
 この日貫一は授業始めの式のみにて早く帰り来にけるが、座敷には誰も見えで、火燵(こたつ)の間に宮の咳(しわぶ)く声して、後は静かに、我が帰りしを知らざるよと思いければ、忍び足に窺(うかが)い寄りぬ。襖(ふすま)の僅(わずか)に啓(あ)きたる隙(ひま)より差し覗(のぞ)けば、宮は火燵に倚(よ)りて硝子(ガラス)障子を眺めては俯目(ふしめ)になり、又胸痛きように仰ぎては太息(ためいき)吐(つ)きて、忽(たちま)ち物の音を聞き澄すが如く、美しき目を瞠(みは)るは、何をか思い凝(こら)すなるべし。人の窺うと知らねば、彼は口もて訴うるばかりに心の苦悶をその状(かたち)に顕(あらわ)して憚(はばか)らざるなり。貫一は異(あやし)みつつも息を潜めて、なお彼の為(せ)んようを見んとしたり。
 宮は少時(しばし)ありて火燵に入りけるが、遂に櫓(やぐら)に打ち俯(ふ)しぬ。柱に身を倚せて、(ななめ)に内を窺ひつつ貫一は眉を顰(ひそ)めて思い惑えり。彼は如何なる事ありてさばかり案じ煩(わずら)うならん。さばかり案じ煩うべき事を如何なれば我に明さざるならん。その故のあるべく覚えざるとともに、案じ煩う事のあるべきをも彼は信じ得ざるなりけり。かく又案じ煩へる彼の面も自(おのづ)から俯(うつむ)きぬ。問わずして知るべきにあらずと思い定めて再び内を差し覗(のぞ)きけるに、宮はなお打ち俯していたり。何時(いつ)か落ちけむ、蒔絵(まきえ)の櫛(くし)の零(こぼ)れたるも知らで。
 人の気勢(けはい)に驚きて宮の振り仰ぐ時、貫一は既にその傍(かたわら)にあり。彼は慌(あわ)てて思い頽(くづを)るる気色(けしき)を蔽(おお)わんとしたるが如し。「ああ、吃驚(びっくら)した。何時御帰んなすって」。「今帰ったの」。「そう。些(ちっと)も知らなかつた」。宮はおのれの顔の頻(しきり)に眺めらるるを眩(まば)ゆがりて、「何をそんなに視(み)るの、厭(いや)、私は」。されども彼はなお目を放たず、宮はわざと打ち背(そむ)きて、裁片(きれ)畳(たたふ)の内を撈(かきさが)せり。「宮さん、お前さんどうしたの。ええ、どこか不快(わるい)のかい」。「何ともないのよ。なぜ?」。かく言いつつ益(ますます)急に撈(かきさが)せり。貫一は帽を冠(かぶ)りたるまま火燵に片肱(かたひじ)掛けて、斜めに彼の顔を見遣(や)りつつ、「だから僕は始終水臭いと言うんだ。そう言えば、直に疑り深いの、神経質だのと言うけれど、それに違いないじゃないか」。「だって何ともありもしないものを……」。「何ともないものが、惘然(ぼんやり)考えたり、太息(ためいき)を吐(つ)いたりして鬱(ふさ)いでいるものか。僕は先之(さっき)から唐紙(からかみ)の外で立って見ていたんだよ。病気かい、心配でもあるのかい。言つて聞かしたっていいじゃないか」。宮は言うところを知らず、纔(わずか)に膝の上なる紅絹(もみ)を手弄(まさぐ)るのみ。「病気なのかい」。彼は僅(わずか)に頭(かしら)を掉(ふ)りぬ。「それじゃ心配でもあるのかい」。彼はなお頭を掉れば、「じゃどうしたと云うのさ」。
 宮は唯胸の中(うち)を車輪(くるま)などの廻(めぐ)るように覚ゆるのみにて、誠にも詐(いつわ)りにも言(ことば)を出(いだ)すべき術(すべ)を知らざりき。彼は犯せる罪の終(つい)に秘(つつ)む能(あた)わざるを悟れる如き恐怖(おそれ)の為に心慄(おのの)けるなり。如何に答えんとさえ惑えるに、傍(かたわら)には貫一の益々詰(なじ)らんと待つよと思えば、身は搾(しぼ)らるるように迫り来る息の隙(ひま)を、得も謂(い)われず冷(ひやや)かなる汗の流れ流れぬ。「それじゃどうしたのだと言うのに」。貫一の声音(こわね)は漸(ようや)く苛立(いらだ)ちぬ。彼の得言はぬを怪しと思えばなり。宮は驚きて不覚(そぞろ)に言い出せり。「どうしたのだか私にも解らないけれど、……私はこの二三日どうしたのだか……変に色々な事を考えて、何だか世の中がつまらなくなって、唯悲しくなって来るのよ」。呆(あき)れたる貫一は瞬(またたき)もせで耳を傾むけぬ。「人間と云うものは今日こうして生きていても、何時(いつ)死んで了(しま)うか解らないのね。こうしていれば、楽しみな事もある代わりに辛(つら)い事や、悲しい事や、苦しい事なんぞがあって、二つ好い事はなし、考えれば考えるほど私は世の中が心細いわ。不図(ふっと)そう思い出したら、毎日そんな事ばかり考えて、心地(こころもち)になって、自分でもどうかしたのかしらんと思うけれど、私病気のように見えて?」。目を閉ぢて聴(きき)いし貫一は徐(しず)かに※(「目+匡」、第3水準1-88-81)(まぶた)を開くとともに眉を顰(ひそ)めて、「それは病気だ!」。宮は打ち萎(しを)れて頭(かしら)を垂れぬ。「しかし心配する事はないさ。気にしてはいかんよ。いいかい」。「ええ、心配しはしません」。
 異(あやし)く沈みたるその声の寂しさを、如何に貫一は聴きたりしぞ。「それは病気の所為(せい)だ、脳でも不良(わるい)のだよ。そんな事を考えた日には、一日だって笑って暮せる日はありはしない。固(もと)より世の中と云うものはそう面白い義(わけ)のものじゃないので、又人の身の上ほど解らないものはない。それはそれに違いないのだけれど、衆(みんな)が皆(みんな)そんな了簡(りょうけん)を起して御覧な、世界中御寺ばかりになって了(しま)う。儚(はかな)いのが世の中と覚悟した上で、その儚い、つまらない中で切(せめ)ては楽しみを求めようとして、究竟(つまり)我々が働いているのだ。考えて鬱(ふさ)いだところで、つまらない世の中に儚い人間と生れて来た以上は、どうも今更為方がないじゃないか。だから、つまらない世の中を幾分(いくら)か面白く暮そうと考えるより外はないのさ。面白く暮すには、何か楽しみがなければならない。一事(ひとつ)こうと云う楽しみがあったら決して世の中はつまらんものではないよ。宮さんはそれでは楽しみと云うものがないのだね。この楽しみがあればこそ生きていると思う程の楽しみはないのだね」。宮は美くしき目を挙げて、求むるところあるが如く偸(ひそか)に男の顔を見たり。「きっとないのだね」。彼は笑みを含みぬ。されども苦しげに見えたり。「ない?」。
 宮の肩頭(さき)を捉(と)りて貫一は此方(こなた)に引向けんとすれば、為すままに彼は緩(ゆる)く身を廻(めぐら)したれど、顔のみは羞(はじがまし)く背(そむ)けていたり。「さあ、ないのか、あるのかよ」。肩に懸けたる手をば放さで連(しき)りに揺(ゆす)らるるを、宮は銕(くろがね)の槌(つち)もて撃ち懲(こら)さるるように覚えて、安き心もあらず。冷(ひやや)かなる汗は又一時(ひとしきり)流れ出(いで)ぬ。「これは怪(け)しからん!」。宮は危(あやぶ)みつつ彼の顔色を候(うかが)いぬ。常の如く戯るるなるべし。その面は和(やわら)ぎて一点の怒気だにあらず、むしろ唇頭(くちもと)には笑みを包めるなり。「僕などは一件(ひとつ)大きな大きな楽しみがあるので、世の中が愉快で愉快で耐(たま)らんの。一日が経(たっ)て行くのが惜しくて惜しくてね。僕は世の中がつまらない為にその楽しみを拵(こしら)えたのではなくて、その楽しみの為にこの世の中に活きているのだ。もしこの世の中からその楽しみを取り去ったら、世の中はない! 貫一という者もない! 僕はその楽しみと生死(しょうし)を倶(とも)にするのだ。宮さん、羨(うらやまし)いだろう」。
 宮は忽(たちま)ち全身の血の氷れるばかりの寒さに堪えかねて打ち顫(ふる)いしが、この心の中を覚(さと)られじと思えば、弱る力を励して、「羨(うらやまし)いわ」。「羨ければ、お前さんの事だから分けてあげよう」。「何卒(どうぞ)」。「ええ悉皆(みんな)遣(や)ってしまえ!」。彼は外套(オーバーコート)の衣兜(かくし)より一袋のボンボンを取り出して火燵の上に置けば、余力(はずみ)に袋の口は弛(ゆる)みて、紅白の玉は珊々(さらさら)と乱れ出でぬ。こは宮の最も好める菓子なり。




(私論.私見)