五重塔その1、一から十 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.11.6日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「五重塔その1、一から五」を確認する。青空文庫の「五重塔 幸田露伴」を下敷きにする。 2005.3.22日、2006.7.10日再編集 れんだいこ拝 |
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【五重塔その1、一から十】 |
其一 |
木理(もくめ)美(うるわ)しき槻胴(けやきどう)。縁(ふち)にはわざと赤樫を用いたる岩畳(がんでう)作りの長火鉢に対(むか)いて話し敵(がたき)もなく唯一人、少しは淋しそうに坐り居る三十前後の女。男のように立派な眉を何日(いつ)掃(はら)いしか剃ったる痕の青々と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとゞめて翠(みどり)の匂いひとしお床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリヽと上り、洗い髪をぐる/\と酷(むご)く丸(まろ)めて引裂紙をあしらいに一本簪(いっぽんざし)でぐいと留めを刺した色気なしの様はつくれど、憎いほど烏黒(まっくろ)にて艶ある髪の毛のひと綜(ふさ)二(ふた)綜後れ乱れて、浅黒いながら渋気の抜けたる顔にかゝれる趣きは、年増嫌いでも褒めずには置(お)かれまじき風体(ふうてい)。 我がものならば着せてやりたい好みのあるにと好色漢が随分頼まれもせぬ詮議を蔭では為すべきに、さりとは外見(みえ)を捨てゝ堅義(りゅうぎ)を自慢にした身の装(つく)り方、柄の選択(えらみ)こそ野暮ならね高が二子(ふたこ)の綿入れに繻子襟かけたを着て何所に紅くさいところもなく、引っ掛けたねんねこばかりは往時(むかし)何なりしやら疎(あら)い縞の糸織なれど、これとて幾度か水を潜って来た奴なるべし。 |
今しも台所にては下婢(おさん)が器物(もの)洗う音ばかりして家内静かに、他には人ある様子もなく、何心なくいたづらに黒文字を舌端(したさき)で嬲(なぶ)り躍(おど)らせなどして居し女、ぷつりとそれを噛み切ってぷいと吹き飛ばし、火鉢の灰かきならし炭火体よく埋(い)け、芋籠より小巾(こぎれ)とり出し、銀ほど光れる長五徳を磨き、おとしを拭き銅壺の蓋まで奇麗にして、さて南部霰地(なんぶあられ)の大鉄瓶を正然(ちゃん)とかけし後、石尊様(せきそんさん)詣りのついでに箱根へ寄って来しものが姉御へ御土産(おみやげ)とくれたらしき寄木細工の小纎麗(こぎよう)なる煙草箱を、右の手に持った鼈甲管(べっこうふらお)の煙管(きせる)で引き寄せ、長閑(のどか)に一服吸うて線香の烟(けぶ)るように緩![]() 清吉の話しでは上人様に依怙贔屓(えこひいき)の御情(おこころ)はあっても、名さえ響かぬのっそりに大切(だいじ)の仕事を任せらるゝ事は檀家方の手前寄進者方の手前も難しかろうなれば、大丈夫。此方(こち)に命(いいつ)けらるゝに極ったこと。よしまたのっそりに命(いいつ)けらるればとて彼奴(あれめ)に出来(でき)る仕事でもなく、彼奴の下に立って働く者もあるまいなれば見事出来(でか)し損ずるは眼に見えたこととのよしなれど、早く良人(うちのひと)が愈々御用命(いいつ)かったと笑い顔して帰って来られゝばよい。類の少い仕事だけに是非為て見たい受け合って見たい、慾徳は何でも関(かから)わぬ、谷中(やなか)感応寺()の五重塔は川越の源太が作り居った、嗚呼よく出来(でか)した感心なと云われて見たいと面白がって、何日(いつ)になく職業(しょうばい)に気のはづみを打って居らるゝに、もしこの仕事を他に奪られたら何(ど)のように腹を立てらるゝか肝癪(かんしゃく)を起さるゝか知れず、それも道理であって見れば傍(わき)から妾の慰めようもない訳。 嗚呼何にせよ目出度(と)う早く帰って来られゝばよいと、口には出さねど女房気質(かたぎ)、今朝背面(うしろ)から我が縫いし羽織打ち掛け着せて出したる男の上を気遣うところへ、表の骨太格子手あらく開けて、姉御、兄貴は。なに感応寺へ、仕方がない、それでは姉御に、済みませんが御頼み申します。つい昨晩(ゆうべ)酔まして、と後は云わず異な手つきをして話せば、眉頭に皺をよせて笑いながら、仕方のないもないもの、少し締まるがよい、と云い/\立って幾干(いくら)かの金を渡せば、それをもって門口に出で何やら諄々(くどくど)押問答せし末此方(こなた)に来りて、拳骨で額を抑え、何(どう)も済みませんでした、ありがとうござりまする、と無骨な礼をしたるも可笑(をかし)。 |
其二 |
火は別にとらぬから此方(こち)へ寄るがよい、と云いながら重げに鉄瓶を取り下して、属輩(めした)にも如才なく愛嬌を汲んで与(や)る桜湯一杯。心に花のある待遇(あしらい)は口に言葉の仇(あだ)繁きより懐かしきに、悪い請求(たのみ)をさえすらりと聴てくれし上、胸に蟠屈(わだかま)りなく淡然(さっぱり)と平日(つね)のごとく仕做(しな)されては、清吉却って心羞(うらはづ)かしく、何(どう)やら魂魄(たましい)の底の方がむづ痒いように覚えられ、茶碗取る手もおづ/\として進みかぬるばかり。 済みませぬという辞誼(じぎ)を二度ほど繰返せし後、漸く乾き切ったる舌を湿(うるお)す間もあらせず、今頃の帰りとは余り可愛がられ過ぎたの、ホヽ、遊ぶはよけれど職業(しごと)の間(ま)を欠いて母親(おふくろ)に心配さするようでは、男振が悪いではないか。清吉、汝(そなた)はこの頃仲町の甲州屋様の御本宅の仕事が済むと直に根岸の御別荘の御茶席の方へ廻らせられて居るではないか。良人(うち)のも遊ぶは随分好きで汝達の先に立って騒ぐは毎々なれど、職業(しごと)を粗略(おろそか)にするは大の嫌い。今もし汝(そなた)の顔でも見たらば又例の青筋を立つるに定って居るを知らぬでもあるまいに。 さあ少し遅くはなったれど母親(おふくろ)の持病が起ったとか何とか方便は幾干でもつくべし、早う根岸へ行くがよい。五三(ごさ)様も了(わか)った人なれば一日をふてゝ怠惰(なまけ)ぬに免じて、見透かしても旦那の前は庇護(かば)うてくれるゝであろう。おゝ朝飯がまだらしい、三や何でもよいほどに御膳を其方(そち)へこしらえよ。湯豆腐に蛤鍋(はまなべ)とは行かぬが新漬に煮豆でも構わぬはのう、二三杯かっこんで直と仕事に走りやれ走りやれ。ホヽ睡くても昨夜(ゆうべ)をおもえば堪忍(がまん)の成ろうに精を惜しむな辛防せよ。よいは弁当も松に持たせて遣るは、と苦くはなけれど効験(ききめ)ある薬の行きとゞいた意見に、汗を出して身の不始末を慚(は)づる正直者の清吉。 |
姉御、では御厄介になって直に仕事に突走ります、と鷲掴みにした手拭で額拭き/\勝手の方に立ったかとおもえば、既(もう)ざら/\ざらっと口の中へ打込む如く茶漬飯五六杯、早くも食うて了って出て来り、左様なら行ってまいります、と肩ぐるみに頭をついと一ツ下げて煙草管(きせる)を収め、壺屋の煙草入(りょうさげ)三尺帯に、さすがは気早き江戸ッ子気質。草履つっかけ門口出づる、途端に今まで黙って居たりし女は急に呼びとめて、この二三日にのっそり奴(め)に逢うたか、と石から飛んで火の出し如く声を迸(はし)らし問いかくれば、清吉ふりむいて、逢いました逢いました。しかも昨日御殿坂で例ののっそりがひとしほのっそりと、往生した鶏(とり)のようにぐたりと首を垂れながら歩行(ある)いて居るを見かけましたが、今度此方の棟梁の対岸(むこう)に立ってのっそりの癖に及びもない望みをかけ、大丈夫ではあるものゝ幾干(いくら)か棟梁にも姉御にも心配をさせるその面が憎くって面が憎くって堪りませねば、やいのっそりめと頭から毒を浴びせてくれましたに、彼奴の事故気がつかず、やいのっそりめ、のっそりめと三度めには傍へ行って大声で怒鳴って遣りましたれば漸く吃驚して梟(ふくろ)に似た眼で我(ひと)の顔を見詰め、あゝ清吉あーにーいかと寝惚声の挨拶。 やい、汝(きさま)は大分好い男児(をとこ)になったの、紺屋(こうや)の干場へ夢にでも上(のぼ)ったか。大層高いものを立てたがって感応寺の和尚様に胡麻を摺り込むという話しだが、それは正気の沙汰か寝惚けてかと冷語(ひやかし)を驀向(まっこう)から与(やっ)たところ、ハヽヽ姉御、愚鈍(うすのろ)い奴というものは正直ではありませんか。何と返事をするかとおもえば、我(わし)も随分骨を折って胡麻は摺って居るが、源太親方を対岸(むこう)に立てゝ居るので何(どう)も胡麻が摺りづらくて困る。親方がのっそり汝(きさま)為(し)て見ろよと譲ってくれれゝば好いけれどものうとの馬鹿に虫の好い答え。ハヽヽ憶い出しても、心配相に大真面目くさく云ったその面が可笑くて堪りませぬ。余り可笑いので憎気(にくっけ)もなくなり、箆棒(べらぼう)めと云い捨てに別れましたが。それ限(ぎ)りか。然(へい)。左様(そう)かえ、さあ遅くなる、関わずに行くがよい。左様ならと清吉は自己(おの)が仕事におもむきける。後はひとりで物思い、戸外(おもて)では無心の児童(こども)達が独楽戦(こまあて)の遊びに声々喧(かしま)しく、一人殺しぢゃ二人殺しぢゃ醜態(ざま)を見よ讐(かたき)をとったぞと号(わめ)きちらす。おもえばこれも順々競争(がたき)の世の状(さま)なり。 |
其三 |
世に栄え富める人々は初霜月の更衣(うつりかえ)も何の苦慮(くるしみ)もなく、紬に糸織に自己(おの)が好き/″\の衣(きぬ)着て寒さに向う貧者の心配も知らず、やれ炉開きぢゃ、やれ口切ぢゃ、それに間に合うよう是非とも取り急いで茶室成就(しあげ)よ、待合の庇廂(ひさし)繕えよ、夜半のむら時雨も一服やりながらでのうては面白く窓撲(う)つ音を聞き難しとの贅沢いうて、木枯(こがらし)凄じく鐘の音氷るようなって来る辛き冬をば愉快(こころよ)いものかなんぞに心得らるれど、その茶室の床板(とこいた)削りに鉋(かんな)礪(と)ぐ手の冷えわたり、その庇廂(ひさし)の大和がき結いに吹きさらされて疝癪(さしこみ)も起すことある職人風情は、何(どれ)ほどの悪い業を前の世に為しおきて、同じ時候に他(ひと)とは違い悩め困(くるし)ませらるゝものぞや。 とりわけ職人仲間の中でも世才に疎く心好き吾夫(うちのひと)、腕は源太親方さえ去年いろ/\世話して下されし節(をり)に、立派なものぢゃと賞められし程確実(たしか)なれど、寛濶(おうよう)の気質(きだて)故に仕事も取り脱(はぐ)り勝ちで、好い事は毎々(いつも)他(ひと)に奪られ年中嬉しからぬ生活かたに日を送り月を迎うる味気なさ。膝頭の抜けたを辛くも埋め綴った股引ばかり我が夫に穿かせおくこと、婦女(をんな)の身としては他人(よそ)の見る眼も羞づかしけれど、何にも彼も貧が為(さ)する不如意に是非のなく、今縫う猪之(いの)が綿入れも洗い曝した松坂縞、丹誠一つで着させても着させ栄えなきばかりでなく見ともないほど針目勝ち、それを先刻は頑是ない幼心といいながら、母様其衣(それ)は誰がのぢゃ、小いからは我(おれ)の衣服(べ)か、嬉(うれし)いのうと悦んでその儘戸外(おもて)へ駈け出し、珍らしう暖い天気に浮かれて小竿持ち、空に飛び交う赤蜻 ![]() 嗚呼考え込めば裁縫(しごと)も厭気になって来る、せめて腕の半分も吾夫(うちのひと)の気心が働いてくれたならば斯(こう)も貧乏は為まいに、技倆(わざ)はあっても宝の持ち腐れの俗諺(たとえ)の通り、何日(いつ)その手腕(うで)の顕れて万人の眼に止まると云うことの目的(あて)もない。たゝき大工穴鑿(あなほ)り大工、のっそりという忌々しい諢名(あだな)さえ負せられて同業中(なかまうち)にも軽しめらるゝ歯痒さ恨めしさ。蔭でやきもきと妾が思うには似ず平気なが憎らしい程なりしが、今度はまた何(どう)した事か感応寺に五重塔の建つという事聞くや否や、急にむら/\とその仕事を是非為(す)る気になって、恩のある親方様が望まるゝをも関わず胴慾に、この様な身代の身に引き受けようとは、些(ちと)えら過ぎると連添う妾でさえ思うものを、他人は何んと噂するであろう。ましてや親方様は定めし憎いのっそりめと怒ってござろう。お吉(きち)様はなおさら義理知らずの奴めと恨んでござろう。 今日は大抵何方(どちら)にか任すと一言上人様の御定(き)めなさる筈とて、今朝出て行かれしが未だ帰られず。何か今度の仕事だけは彼程吾夫は望んで居らるゝとも此方は分に応ぜず、親方には義理もあり旁(かたが)た親方の方に上人様の任さるればよいと思うような気持もするし、また親方様の大気にて別段怒りもなさらずば、吾夫(うちの)に為せて見事成就させたいような気持もする。ゑゝ気の揉める、何なる事か、到底(とても)良人(うち)には御任せなさるまいがもしもいよ/\吾夫の為(す)る事になったら、何の様にまあ親方様お吉様の腹立てらるゝか知れぬ。あゝ心配に頭脳(あたま)の痛む。 またこれが知れたらば女の要らぬ無益(むだ)心配、それ故何時も身体の弱いと、有情(やさし)くて無理な叱言(こごと)を受くるであろう。もう止めましょ止めましょ、あゝ痛、と薄痘痕(うすいも)のある蒼い顔を蹙(しか)めながら即効紙の貼ってある左右の顳 ![]() |
其四 |
当時に有名(なうて)の番匠川越の源太が受負いて作りなしたる谷中(やなか)感応寺の、何処に一つ批点(けってん)を打つべきところあろう筈なく、五十畳敷格天井(ごうてんじょう)の本堂、橋をあざむく長き廻廊、幾部(いくつ)かの客殿、大和尚が居室(いま)、茶室、学徒所化(しよけ)の居るべきところ、庫裡(くり)、浴室、玄関まで、或るいは荘厳を尽し或るいは堅固を極め、或るいは清らかに或るいは寂(さ)びて各々その宜しきに適い、結構少しも申し分なし。 そも/\微々たる旧基を振いて箇程(かほど)の大寺を成せるは誰ぞ。法諱(おんな)を聞けばその頃の三歳児(みつご)も合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀の朗圓上人とて、早くより身延の山に螢雪の苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね、毘婆舎那(びばしゃな)の三行に寂静(じゃくじょう)の慧劒を礪(と)ぎ、四種の悉檀(しったん)に済度の法音を響かせられたる七十有余の老和尚。 骨は俗界の葷羶(くんせん)を避くるによって鶴の如くに痩せ、眼(まなこ)は人世の紛紜に厭きて半ば睡(ねむ)れるが如く、固より壊空(くう)の理を諦(たい)して意欲の火炎(ほのま)を胸に揚げらるゝこともなく、涅槃(ねはん)の真を会()して執着の彩色(いろ)に心を染まさるゝこともなければ、堂塔を興し伽藍を立てんと望まれしにもあらざれど、徳を慕い風を仰いで寄り来る学徒のいと多くて、それ等のものが雨露凌がん便宜(たより)も旧(もと)のまゝにてはなくなりしまゝ、猶少し堂の広くもあれかしなんど独語(つぶや)かれしが根となりて、道徳高き上人の新たに規模を大うして寺を建てんと云い玉うぞと、この事八方に伝播(ひろま)れば、中には徒弟の怜悧(りこう)なるが自ら奮って四方に馳せ感応寺建立に寄附を勧めて行(ある)くもあり、働き顔に上人の高徳を演(の)べ説き聞かし富豪を慫慂(すす)めて喜捨せしむる信徒もあり。 さなきだに平素(ひごろ)より随喜渇仰の思いを運べるもの雲霞の如きにこの勢をもってしたれば、上諸侯より下町人まで先を争い財を投じて、我一番に福田(ふくでん)へ種子を投じて後の世を安楽(やす)くせんと、富者は黄金(こがね)白銀を貧者は百銅二百銅を分に応じて寄進せしにぞ、百川(ひゃくせん)海に入るごとく瞬く間(ひま)に金銭の驚かるゝほど集りけるが、それより世才に長(た)けたるものの世話人となり用人なり、万事万端執り行うて頓(やが)て立派に成就しけるとは、聞いてさえ小気味のよき話なり。 |
然るに悉皆(しつかい)成就の暁、用人頭の爲右衞門普請諸入用諸雑費一切しめくゝり、手脱(てぬか)る事なく決算したるに尚大金の剰(あま)れるあり。これをば如何になすべきと役僧の圓道もろとも、髪ある頭に髪なき頭突き合わせて相談したれど別に殊勝なる分別も出でず、田地を買わんか畠買わんか、田も畠も余るほど寄附のあれば今更またこの浄財をその様な事に費すにも及ばじと思案にあまして、面倒なり好(よき)に計らえと皺枯れたる御声にて云いたまわんは知れてあれど、恐る/\圓道或る時、思さるゝ用途(みち)もやと伺いしに、塔を建てよと唯一言云われし限(ぎ)り振り向きも為たまわず、鼈甲縁の大きなる眼鏡の中より微なる眼の光りを放たれて、何の経やら論やらを黙々と読み続けられけるが、いよ/\塔の建つに定って例の源太に、積り書出せと圓道が命令(いひつ)けしを、知ってか知らずに歟(か)上人様に御目通り願いたしと、のっそりが来しは今より二月程前なりし。 |
其五 |
紺とはいえど汗に褪(さ)め風に化(かわ)りて異な色になりし上、幾度か洗ひ濯(すす)がれたるため其としも見えず、襟の記印(しるし)の字さえ朧気となりし絆纏を着て、補綴(つぎ)のあたりし古股引を穿きたる男の、髪は塵埃(ほこり)に塗(まみ)れて白け、面(おもて)は日に焼けて品格(ひん)なき風采(ようす)の猶更品格なきが、うろ/\のそ/\と感応寺の大門を入りにかゝるを、門番尖り声で何者ぞと怪(あやし)み誰何(ただ)せば、吃驚(びっくり)して暫時(しばらく)眼を見張り、漸く腰を屈めて馬鹿丁寧に、大工の十兵衞と申しまする、御普請につきまして御願いに出ました、とおづ/\云う風態(そぶり)の何となく腑には落ちねど、大工とあるに多方(おおかた)源太が弟子かなんぞの使いに来りしものならむと推察(すい)して、通れと一言押柄(おうへい)に許しける。 十兵衞これに力を得て、四方(あたり)を見廻わしながら森厳(こうごう)しき玄関前にさしかゝり、御頼申すと二三度いえば鼠衣の青黛頭(せいたいあたま)、可愛らしき小坊主の、応(お)と答えて障子引き開けしが、応接に慣れたるものの眼捷(めばしこ)く人を見て、敷台までも下りず突立ちながら、用事なら庫裡の方へ廻れ、と情無(つれな)く云い捨てゝ障子ぴっしやり、後は何方(どこ)やらの樹頭(き)に啼く鵯(ひよ)の声ばかりして音もなく響きもなし。 成る程と独言しつゝ十兵衞庫裡にまわりて復(また)案内を請えば、用人爲右衞門仔細らしき理屈顔して立ち出で、見なれぬ棟梁殿、何所(いづく)より何の用事で見えられた、と衣服(みなり)の粗末なるに既(はや)侮り軽しめた言葉遣い。十兵衞さらに気にもとめず、野生(わたくし)は大工の十兵衞と申すもの、上人様の御眼にかゝり御願いをいたしたい事のあってまゐりました、どうぞ御取次ぎ下されまし、と首(こうべ)を低くして頼み入るに、爲右衞門ぢろりと十兵衞が垢臭き頭上(あたま)より白の鼻緒の鼠色になった草履穿き居る足先まで睨(ね)め下し、ならぬ、ならぬ、上人様は俗用に御関りはなされぬは。願いというは何か知らねど云うて見よ、次第によりては我が取り計うて遣る、と然(さ)も/\万事心得た用人めかせる才物ぶり。 それを無頓着の男の質朴(ぶきよう)にも突き放して、いゑ、ありがとうはござりますれど上人様に直々で無(の)うては、申しても役に立ちませぬ事、何卒(どうぞ)たゞ御取次を願いまする、と此方の心が醇粋(いっぽんぎ)なれば先方(さき)の気に触る言葉とも斟酌せず推返し言えば、爲右衞門腹には我を頼まぬが憎くて慍(いか)りを含み、理(わけ)の解らぬ男ぢゃの、上人様は汝(きさま)ごとき職人等に耳は貸したまわぬというに、取次いでも無益(むやく)なれば我が計(はかろ)うて得させんと、甘く遇(あしら)えば附上る言い分、最早何も彼も聞いてやらぬ、帰れ帰れ、と小人の常態(つね)とて語気たちまち粗暴(あら)くなり、謬(にべ)なく言い捨て立んとするに周章(あわ)てし十兵衞、ではござりませうなれど、と半分いう間なく、五月蠅(うるさい)、喧しいと打消され、奥の方に入られて仕舞うて茫然(ぼんやり)と土間に突立ったまゝ掌(て)の裏(うち)の螢に脱去(ぬけ)られし如き思いをなしけるが、是非なく声をあげて復(また)案内を乞うに、口ある人の有りや無しや薄寒き大寺の岑閑(しんかん)と、反響(ひびき)のみは我が耳に堕ち来れど咳声(しわぶき)一つ聞えず、玄関にまわりて復頼むといえば、先刻(さき)見たる憎気な怜悧(りこう)小僧(こぼうず)の一寸顔出して、庫裡へ行けと教えたるに、と独語(つぶや)きて早くも障子ぴしやり。 復庫裡に廻り復玄関に行き、復玄関に行き庫裡に廻り、終には遠慮を忘れて本堂にまで響く大声をあげ、頼む/\御頼み申すと叫べば、其声(それ)より大(でか)き声を発(いだ)して馬鹿めと罵(ののし)りながら爲右衞門づか/\と立出で、僮僕(をとこ)どもこの狂漢(きちがい)を門外に引き出せ、騒々しきを嫌いたまう上人様に知れなば、我らが此奴のために叱らるべしとの下知、心得ましたと先刻より僕人(をとこ)部屋に転がり居し寺僕(をとこ)等立かゝり引き出さんとする。土間に坐り込んで出されじとする十兵衞。それ手を取れ足を持ち上げよと多勢口々に罵り騒ぐところへ、後園の花二枝三枝剪(はさ)んで床の眺めにせんと、境内彼方此方(あちこち)逍遥されし朗圓上人、木蘭色(もくらんじき)の無垢を着て左の手に女郎花(おみなえし)桔梗(ききょう)、右の手に朱塗(しゅ)の把りの鋏持たせられしまゝ、図らず此所に来かゝりたまいぬ。 |
其六 |
何事に罵り騒ぐぞ、と上人が下したまう鶴の一声の御言葉に群雀の輩(ともがら)鳴りを歇(と)めて、振り上げし拳(こぶし)を蔵(かく)すに地(ところ)なく、禅僧の問答に有りや有りやと云いかけしまゝ一喝されて腰の折(くだ)けたる如き風情なるもあり、捲(まく)り縮めたる袖を体裁(きまり)悪げに下して狐鼠/\(こそ)と人の後に隠るゝもあり。天を仰げる鼻の孔より火烟(けむり)も噴(ふく)べき驕慢の怒りに意気昂ぶりし爲右衞門も、少しは慚(は)ぢてや首を俛(た)れ掌(て)を揉みながら、自己(おのれ)が発頭人なるに是非なく、有し次第を我が田に水引き/\申し出れば、痩せ皺びたる顔に深く長く痕(つ)いたる法令の皺溝(すぢ)をひとしお深めて、にったりと徐(ゆるや)かに笑いたまい、婦女(をんな)のように軽く軟かな声小さく、それならば騒がずともよいこと、爲右衞門汝(そなた)がたゞ従順(すなお)に取り次さえすれば仔細は無うてあろうものを。 さあ十兵衞殿とやら老衲(わし)について此方へ可来(おいで)、とんだ気の毒な目に遇わせました、と万人に尊敬(うやま)い慕わるゝ人は又格別の心の行き方、未学を軽んぜず下司をも侮らず、親切に温和(ものやさ)しく先に立て静かに導きたまう後について、迂濶な根性にも慈悲の浸み透れば感涙とゞめあえぬ十兵衞。段々と赤土のしっとりとしたるところ、飛び石の画趣(えごころ)に布(しか)れあるところ、梧桐(あおぎり)の影深く四方竹の色ゆかしく茂れるところなど ![]() 上人庭下駄脱ぎすてゝ上にあがり、さあ汝(そなた)も此方へ、と云いさして掌に持たれし花を早速(さそく)に釣花活に投げこまるゝにぞ、十兵衞なか/\怯(おめ)ず臆せず、手拭で足はたくほどの事も気のつかぬ男とて為すことなく、草履脱いでのっそりと三畳台目の茶室に入りこみ、鼻突合わすまで上人に近づき坐りて黙々と一礼する態(さま)は、礼儀に嫻(なら)わねど充分に偽飾(いつわり)なき情(心)の真実(まこと)をあらわし、幾度か直(すぐ)にも云い出んとして尚開きかぬる口を漸くに開きて、舌の動きもたど/\しく、五重の塔の、御願いに出ましたは五重の塔のためでござります、と藪から棒を突き出したように尻もったてゝ声の調子も不揃いに、辛くも胸にあることを額やら腋の下の汗と共に絞り出せば、上人おもわず笑(えみ)を催され、何か知らねど老衲(わし)をば怖いものなぞと思わず、遠慮を忘れて緩(ゆる)りと話をするがよい、庫裡の土間に坐り込うで動かずに居た様子では、何か深う思い詰めて来たことであろう。さあ遠慮を捨てゝ急かずに、老衲をば朋友(ともだち)同様におもうて話すがよい、と飽くまで慈(やさ)しき注意(こころぞえ)。 十兵衞脆くも梟(ふくろう)と常々悪口受くる銅鈴眼(すずまなこ)に既(はや)涙を浮めて、唯(はい)、唯、唯ありがとうござりまする、思い詰めて参上(まい)りました、その五重の塔を、斯様いう野郎でござります、御覧の通り、のっそり十兵衞と口惜(くやし)い諢名(あだな)をつけられて居る奴(やっこ)でござりまする。しかし御上人様、真実(ほんと)でござりまする、工事(しごと)は下手ではござりませぬ、知って居ります私しは馬鹿でござります、馬鹿にされて居ります、意気地のない奴でござります、虚誕(うそ)はなか/\申しませぬ、御上人様、大工は出来ます、大隅流(おおすみりゅう)は童児(こども)の時から、後藤立川二ツの流義も合点致して居りまする、為(さ)せて、五重塔の仕事を私に為せていたゞきたい、それで参上(まいり)ました。 川越の源太様が積りをしたとは五六日前聞きました、それから私は寐ませぬは、御上人様、五重塔は百年に一度一生に一度建つものではござりませぬ。恩を受けて居ります源太様の仕事を奪(と)りたくはおもいませぬが、あゝ賢い人は羨ましい、一生一度百年一度の好い仕事を源太様は為るゝ、死んでも立派に名を残さるゝ、あゝ羨ましい羨ましい、大工となって生てゐる生甲斐もあらるゝというもの。それに引代えこの十兵衞は、鑿(のみ)手斧(てうな)もっては源太様にだとて誰にだとて、打つ墨縄の曲ることはあれ万が一にも後れを取るような事は必ず/\ないと思えど、年が年中長屋の羽目板(はめ)の繕いやら馬小屋箱溝の数仕事、天道様が智慧というものを我(おれ)には賜(くだ)さらない故仕方がないと諦めて諦めても、拙(まづ)い奴らが宮を作り堂を受負い、見るものの眼から見れば建てさせた人が気の毒なほどのものを築造(こしら)えたを見るたびごとに、内々自分の不運を泣きますは、御上人様、時々は口惜くて技倆(うで)もない癖に智慧ばかり達者な奴が憎くもなりまするは、御上人様、源太様は羨ましい、智慧も達者なれば手腕(うで)も達者、あゝ羨ましい仕事をなさるか、我はよ、源太様はよ、情ないこの我はよと、羨ましいがつひ高(こう)じて女房(かか)にも口きかず泣きながら寐ましたその夜の事、五重塔を汝(きさま)作れ今直ぐつくれと怖しい人に吩咐(いひつ)けられ、狼狽(うろたえ)て飛び起きさまに道具箱へ手を突込んだは半分夢で半分現(うつつ)、眼が全く覚めて見ますれば指の先を鐔鑿(つばのみ)につっかけて怪我をしながら道具箱につかまって、何時の間にか夜具の中から出て居た詰らなさ。行燈(あんどん)の前につくねんと坐って嗚呼情ない、詰らないと思いました時のその心持、御上人様、解りまするか、ゑゝ、解りまするか。これだけが誰にでも分ってくれゝば塔も建てなくてもよいのです。どうせ馬鹿なのっそり十兵衞は死んでもよいのでござりまする、腰抜鋸(のこ)のように生て居たくもないのです。 其夜(それ)からというものは真実(ほんと)、真実でござりまする上人様、晴れて居る空を見ても燈光(あかり)の達(とど)かぬ室(へや)の隅の暗いところを見ても、白木造りの五重の塔がぬっと突立って私を見下して居りまするは、とう/\自分が造りたい気になって、到底(とても)及ばぬとは知りながら毎日仕事を終ると直に夜を籠めて五十分一の雛形をつくり、昨夜で丁度仕上げました、見に来て下され御上人様、頼まれもせぬ仕事は出来て仕たい仕事はできない口惜さ、ゑゝ不運ほど情ないものはないと私(わし)が歎けば御上人様、なまじできずば不運も知るまいと女房(かか)めが其雛形(それ)をば揺り動かしての述懐、無理とは聞えぬだけに余計泣きました。御上人様御慈悲に今度の五重塔は私に建てさせて下され、拝みます、こゝこの通り、と両手を合せて頭を畳に、涙は塵を浮べたり。 |
其七 |
木彫の羅漢のように黙々と坐りて、菩提樹の実の珠数(ずず)繰りながら十兵衞が埓なき述懐に耳を傾け居られし上人、十兵衞が頭を下ぐるを制しとゞめて、了解(わか)りました、能く合点が行きました、あゝ殊勝な心掛を持って居らるゝ、立派な考えを蓄えてゐらるゝ。学徒どもの示しにも為たいような、老衲(わし)も思わず涙のこぼれました。五十分一の雛形とやらも是非見にまゐりませう。然し汝に感服したればとて今直に五重の塔の工事(しごと)を汝に任するはと、軽忽(かるはずみ)なことを老衲の独断(ひとりぎめ)で云う訳にもならねば、これだけは明瞭(はっきり)とことわってをきまする。いづれ頼むとも頼まぬとも其は表立って、老衲からではなく感応寺から沙汰を為ませう、兎も角も幸い今日は閑暇(ひま)のあれば汝が作った雛形を見たし、案内して是より直に汝が家へ老衲を連れて行てはくれぬか、と毫(すこし)も辺幅(ようだい)を飾らぬ人の、義理(すぢみち)明きらかに言葉渋滞(しぶり)なく云いたまえば、十兵衞満面に笑を含みつゝ米舂(つ)くごとく無暗に頭を下げて、唯(はい)、唯、唯と答へ居りしが、願いを御取上げ下されましたか、あゝ有難うござりまする、野生(わたくし)の宅へ御来臨(おいで)下さりますると、あゝ勿体ない。雛形は直に野生(わたし)めが持ってまゐりまする、御免下され、と云いさま流石ののっつそりも喜悦に狂して平素(つね)には似ず、大袈裟に一つぽっくりと礼をばするや否や、飛び石に蹴躓きながら駈け出して我家に帰り、帰ったと一言女房にも云わず、いきなりに雛形持ち出して人を頼み、二人して息せき急ぎ感応寺へと持ち込み、上人が前にさし置きて帰りけるが、上人これを熟(よく)視(み)たまうに、初重より五重までの配合(つりあい)、屋根庇廂の勾配、腰の高さ、椽木(たるき)の割賦(わりふり)九輪請花(くりんけばな)露盤宝珠(ろばんほうじゅ)の体裁まで何所に可厭(いや)なるところもなく、水際立ったる細工ぶり。これが彼不器用らしき男の手にて出来たるものかと疑わるゝほど巧緻(たくみ)なれば、独り私(ひそか)に歎じたまいて、箇程の技倆(うで)を有ちながら空しく埋もれ、名を発せず世を経るものもある事か、傍眼(わきめ)にさえも気の毒なるを当人の身となりては如何に口惜きことならむ、あわれ如是(かかる)ものに成るべきならば功名(てがら)を得させて、多年抱ける心願(こころだのみ)に負(そむ)かざらしめたし。 草木とともに朽て行く人の身は固より因縁(いんねん)仮和合(けわごう)、よしや惜むとも惜みて甲斐なく止めて止まらねど、仮令(たとえ)ば木匠(こだくみ)の道は小なるにせよ其に一心の誠を委ね生命を懸けて、慾も大概(あらまし)は忘れ卑劣(きたな)き念(おもい)も起さず、唯只鑿(のみ)をもっては能く穿(ほ)らんことを思い、鉋(かんな)を持っては好く削らんことを思う心の尊さは金にも銀にも比(たぐ)へ難きを、僅に残す便宜(よすが)もなくて徒らに北 ![]() よし/\、我図らずも十兵衞が胸に懐ける無価の宝珠の微光を認めしこそ縁なれ、此度(こたび)の工事を彼に命(いひつ)け、せめては少しの報酬(むくい)をば彼が誠実(まこと)の心に得させんと思われけるが、ふと思いよりたまえば川越の源太もこの工事を殊の外に望める上、彼には本堂庫裏(くり)客殿作らせし因(ちな)みもあり、然も設計予算(つもりがき)まで既(はや)做(な)し出して我眼に入れしも四五日前なり、手腕(うで)は彼とて鈍きにあらず、人の信用(うけ)は遥(はるか)に十兵衞に超たり。一ツの工事に二人の番匠、此にも為(さ)せたし彼にも為せたし、那箇(いづれ)にせんと上人も流石これには迷われける。 |
其八 |
明日辰の刻頃までに自身当寺へ来るべし、予(かね)てその方工事仰せつけられたきむね願いたる五重塔の儀につき、上人直接(ぢき)に御話示(おはなし)あるべきよしなれば、衣服等失礼なきやう心得て出頭せよと、厳格(おごそか)に口上を演ぶるは弁舌自慢の圓珍とて、唐辛子をむざと嗜(たしなみ)み食(くら)へる祟り鼻の頭(さき)にあらはれたる滑稽納所(おどけなっしょ)。平日(ふだん)ならば南蛮和尚といえる諢名(あだな)を呼びて戯談口きゝ合ふべき間なれど、本堂建立中朝夕顔を見しより自然(おのづ)と狎(な)れし馴染みも今は薄くなりたる上、使僧らしう威儀をつくろいて、人さし指中指の二本でやゝもすれば兜背形(とっぱいなり)の頭顱(あたま)の頂上(てっぺん)を掻く癖ある手をも法衣(ころも)の袖に殊勝くさく隠蔽(かく)し居るに、源太も敬ひ謹んで承知の旨を頭下げつゝ答へけるが、如才なきお吉は吾夫をかゝる俗僧(ぞくにゅう)にまで好く評(い)わせんとてか帰り際に、出したまゝにして行く茶菓子と共に幾干銭(いくら)か包み込み、是非にというて取らせけるは、思へば怪しからぬ布施の仕様なり。圓珍十兵衞が家にも詣(いた)りて同じ事を演(の)べ帰りけるが、扨(さて)其翌日となれば源太は鬚(ひげ)剃り月代(さかやき)して衣服をあらため、今日こそは上人の自ら我に御用仰せつけらるゝなるべけれと勢い込んで、庫裏より通り、とある一ト間に待たされて坐を正しくし扣(ひか)えける。 態(さま)こそ異(かわ)れ十兵衞も心は同じ張を有ち、導かるゝまゝ打通りて、人気のなきに寒さ湧く一室の中に唯一人兀然(つくねん)として、今や上人の招(よ)びたまうか、五重の塔の工事(しごと)一切汝に任すと命令(いひつけ)たまうか、もし又我には命じたまわず源太に任すと定めたまいしを我にことわるため招ばれしか。然(そう)にもあらば何とせん、浮むよしなき埋れ木の我が身の末に花咲かむ頼みも永く無くなるべし。唯願わくは上人の我が愚(おろか)しきを憐みて我に命令たまわむことをと、九尺二枚の唐襖に金鳳銀凰翔(かけ)り舞ふ其箔模様の美しきも眼に止めずして、茫々(ぼうぼう)と暗路(やみぢ)に物を探るごとく念想(おもい)を空に漂わすこと良(やや)久しきところへ、例の怜悧気な小僧(こぼうず)いで来りて、方丈さまの召しますほどに此方(こちら)へおいでなされまし、と先に立って案内すれば、素破(すわ)や願望(のぞみ)の叶うとも叶わざるとも定まる時ぞと魯鈍(おろか)の男も胸を騒がせ、導かるゝまゝ随いて一室の中へずっと入る。 途端に此方(こなた)をぎろりっと見る眼鋭く怒を含むで斜に睨むは思いがけなき源太にて、座に上人の影もなし。事の意外に十兵衞も足踏みとめて突立ったるまゝ一言もなく白眼(にらみ)合いしが、是非なく畳二ひらばかりを隔てしところに漸く坐り、力なげ首悄然(しをしを)と己れが膝に気勢(いきほい)のなきたそうなる眼を注ぎ居るに引き替え、源太郎は小狗(こいぬ)を瞰下(みおろ)す猛鷲(あらわし)の風に臨んで千尺の巌(いわお)の上に立つ風情。腹に十分の強みを抱きて、背をも屈げねば肩をも歪めず、すっきり端然(しやん)と構えたる風姿(ようだい)と云い面貌(きりょう)といい水際立ったる男振り、万人が万人とも好かずには居られまじき天晴小気味のよき好漢(をとこ)なり。 されども世俗の見解(けんげ)には堕ちぬ心の明鏡に照らして彼れ此れ共に愛し、表面(うわべ)の美醜に露泥(なづ)まれざる上人の却って何れをとも昨日までは択びかねられしが、思ひつかるゝことのありてか今日はわざ/\二人を招び出されて一室に待たせ置かれしが、今しも静々(しずしず)居間を出られ、畳踏まるゝ足も軽く、先に立ったる小僧(こぼうず)が襖明くる後より、すっと入りて座につきたまへば、二人は恭(うやま)い敬(つつし)みて共に斉しく頭を下げ、少時(しばらく)上げも得せざりしが、嗚呼いぢらしや十兵衞が辛くも上げし面には、未だ世馴れざる里の子の貴人の前に出しように羞(はぢ)を含みて紅潮(さ)し、額の皺の幾条の溝には沁出(にじみ)し熱汗(あせ)を湛え、鼻の頭(さき)にも珠を湧かせば腋の下には雨なるべし。膝に載(お)きたる骨太の掌指(ゆび)は枯れたる松枝(まつがえ)ごとき岩畳(がんじょう)作りにありながら、一本ごとに其さへも戦々(わなわな)顫えて一心に唯上人の一言を一期(いちご)の大事と待つ笑止さ。 源太も黙して言葉なく耳を澄まして命を待つ、那方(どちら)を那方と判(わけ)かぬる、二人の情(こころ)を汲みて知る上人もまた中々に口を開かん便宜(よすが)なく、暫時は静まりかえられしが、源太十兵衞ともに聞け、今度建つべき五重塔は唯一ツにて建てんというは汝達二人、二人の願いを双方とも聞き届けては遣りたけれど、其は固より叶いがたく、一人に任さば一人の歎き、誰に定めて命(いひつ)けんという標準(きめどころ)のあるではなし。役僧用人等の分別にも及ばねば老僧(わし)が分別にも及ばぬほどに、この分別は汝達の相談に任す、老僧は関(かま)わぬ、汝達の相談の纏まりたる通り取り上げて与(や)るべければ、熟く家に帰って相談して来よ。老僧が云うべき事は是ぎりぢゃによって左様心得て帰るがよいぞ。さあ確(しか)と云い渡したぞ、既早(もはや)帰ってもよい、然し今日は老僧も閑暇(ひま)で退屈なれば茶話しの相手になって少時居てくれ。浮世の噂なんど老衲に聞かせてくれぬか、その代り老僧も古い話しの可笑なを二ツ三ツ昨日見出したを話して聞かそう、と笑顔やさしく、朋友(ともだち)かなんぞのように二人をあしろうて、扨(さて)何事を云い出さるゝやら。 |
其九 |
小僧(こぼうず)が将(も)って来し茶を上人自ら汲み玉いて侑(すす)めらるれば、二人とも勿体ながりて恐れ入りながら頂戴するを、左様遠慮されては言葉に角が取れいで話が丸う行かぬは。さあ菓子も挟んではやらぬから勝手に摘んでくれ、と高坏(たかつき)推(おし)遣りて自らも天目取り上げ喉を湿(うるほ)したまい、面白い話というも桑門(よすてびと)の老僧等には左様(そう)沢山ないものながら、この頃読んだ御経の中につくづく成る程と感心したことのある、聞いてくれ此様(こう)いう話しぢや。 むかし某(ある)国の長者が二人の子を引きつれて麗かな天気の節(をり)に、香のする花の咲き軟かな草の滋(しげ)って居る広野を愉快(たのし)げに遊行(ゆぎょう)したところ、水は大分に夏の初め故涸(か)れたれど猶清らかに流れて岸を洗うて居る大きな川に出逢(いであ)うた。その川の中には珠のような小磧(こいし)やら銀のような砂で成(でき)て居る美しい洲のあったれば、長者は興に乗じて一尋(ひとひろ)ばかりの流を無造作に飛び越え、彼方此方を見廻せば、洲の後面(うしろ)の方もまた一尋ほどの流れで陸と隔てられたる別世界、全然(まるで)浮世の腥羶(なまぐさ)い土地(つち)とは懸け絶れた清浄の地であった。まゝ独り歓び喜んで踊躍(ゆやく)したが、渉らうとしても渉り得ない二人の児童(こども)が羨ましがって喚(よ)び叫ぶを可憐(あわれ)に思い、汝達には来ることの出来ぬ清浄の地であるが、然程(さほど)に来たくば渡らして与(や)るほどに待って居よ。 見よ/\我が足下の此磧は一々蓮華の形状(かたち)をなし居る世に珍しき磧なり。我が眼の前の此砂は一々五金の光を有(も)てる比類(たぐい)稀なる砂なるぞと説き示せば、二人は遠眼にそれを見ていよ/\焦躁(あせ)り渡らうとするを、長者は徐(しづか)に制しながら、洪水(おおみず)の時にても根こぎになったるらしき棕櫚(しゅろ)の樹の一尋余りなを架渡して橋として与ったに、我が先へ汝(そなた)は後にと兄弟争い鬩(せめ)いだ末、兄は兄だけ力強く弟を終に投げ伏せて我意の勝を得たに誇り高ぶり、急ぎ其橋を渡りかけ半途(なかば)に漸く到りし時、弟は起き上りさま口惜さに力を籠めて橋を盪(うご)かせば兄は忽ち水に落ち、苦しみ ![]() 爾時(そのとき)長者は歎息して、汝達には何と見ゆる、今汝らが足踏みかけしより此洲は忽然(たちまち)前と異なり、磧(こいし)は黒く醜くなり、沙(すな)は黄ばめる普通(つね)の沙となれり。見よ/\如何にと告げ知らするに二人は驚き、眼(まなこ)を ![]() |
其十 |
感応寺よりの帰り道、半分は死んだようになって十兵衞、どんつく布子(ぬのこ)の袖組み合わせ、腕拱(こまね)きつゝ迂濶/\(うかうか)歩き、御上人様の彼様(あぁ)仰やったは那方(ぢちら)か一方おとなしく譲れと諭しの謎々とは、何程愚鈍(おろか)な我(おれ)にも知れたが、嗚呼譲りたくないものぢゃ、折角丹誠に丹誠凝らして、定めし冷(ひえ)て寒からうに御寝みなされと親切で為て呉るゝ女房(かか)の世話までを、黙って居よ余計なと叱り飛ばして夜の眼も合さず、工夫に工夫を積み重ね、今度という今度は一世一代、腕一杯の物を建てたら死んでも恨みはないとまで思い込んだに、悲しや上人様の今日の御諭し、道理には違いない左様もなければならぬ事ぢゃが、此を譲って何時また五重塔の建つという的(あて)のあるではなし、一生到底(とても)この十兵衞は世に出ることのならぬ身か、嗚呼情ない恨めしい、天道様が恨めしい、尊い上人様の御慈悲は充分了って居て露ばかりも難有う無くは思わぬが、吁(あぁ)何(どう)にも彼(こう)にもならぬことぢゃ、相手は恩のある源太親方、それに恨みの向けようもなし、何様しても彼様しても温順(すなお)に此方(こち)の身を退くより他に思案も何もないか、嗚呼ないか。 というて今更残念な、なまじ此様な事おもいたゝずに、のつそりだけで済して居たらば此様に残念な苦悩(おもい)もすまいものを、分際忘れた我(おれ)が悪かった、嗚呼我が悪い、我が悪い、けれども、ゑゝ、けれども、ゑゝ、思うまい/\、十兵衞がのっそりで浮世の怜悧(りこう)な人等(たち)の物笑いになって仕舞えばそれで済むのぢゃ、連添う女房にまでも内々活用(はたらき)の利かぬ夫ぢゃと喞(かこた)れながら、夢のように生きて夢のように死んで仕舞えば夫(それ)で済む事、あきらめて見れば情ない、つくづく世間が詰らない、あんまり世間が酷(むご)過ぎる、と思うのも矢張愚痴か。愚痴か知らねど情なさ過ぎるが、言わず語らず諭された上人様の彼(あの)御言葉の真実のところを味わえば、飽くまで御慈悲の深いのが五臓六腑に浸み透って未練な愚痴の出端(でば)もない訳。 争ふ二人を何方にも傷つかぬよう捌(さば)き玉ひ、末の末まで共に好かれと兄弟の子に事寄せて尚(とうと)い御経を解きほぐして、噛んで含めて下さった彼御話に比べて見れば固より我は弟の身、ひとしお他(ひと)に譲らねば人間(ひと)らしくもないものになる、嗚呼弟とは辛いものぢゃと、路も見分かで屈托の眼(まなこ)は涙(なんだ)に曇りつゝ、とぼ/\として何一ツ愉快(たのしみ)もなき我家の方に、糸で曳かるゝ木偶(でく)のやうに我を忘れて行く途中、此馬鹿野郎発狂漢(きちがい)め、我(ひと)の折角洗ったものに何する、馬鹿めと突然(だしぬけ)に噛つく如く罵られ、癇張声に胆を冷してハッと思えば瓦落離(ぐわらり)顛倒、手桶枕に立てかけありし張物板に、我知らず一足二足踏みかけて踏み覆したる不体裁(ざまのな)さ。 尻餅ついて驚くところを、狐憑(つき)め忌々しい、と駄力ばかりは近江のお兼、顔は子供の福笑戯(ふくわらい)に眼を付け歪めた多福面(おかめ)の如き房州出らしき下婢(おさん)の憤怒、拳を挙げて丁と打ち猿臂(えんぴ)を伸ばして突き飛ばせば、十兵衞は堪らず汚塵(ほこり)に塗(まみ)れ、はい/\、狐に誑(つま)まれました御免なされ、と云いながら悪口雑言聞き捨てに痛さを忍びて逃げ走り、漸く我家に帰りつけば、おゝ御帰りか、遅いので如何いう事かと案じて居ました。まあ塵埃(ほこり)まぶれになって如何(どう)なされました、と払いにかゝるを、構ふなと一言、気のなさそうな声で打消す。その顔を覗き込む女房の真実心配そうなを見て、何か知らず無性に悲しくなってぢっと湿(うるみ)のさしくる眼、自分で自分を叱るように、ゑゝと図らず声を出し、煙草を捻って何気なくもてなすことはもてなすものゝ言葉もなし。 平時(つね)に変れる状態(ありさま)を大方それと推察(すい)して扨(さて)慰むる便(すべ)もなく、問うてよきやら問わぬがべきやら心にかゝる今日の首尾をも、口には出して尋ね得ぬ女房は胸を痛めつゝ、その一本は杉箸で辛くも用を足す火箸に挟んで添える消し炭の、あわれ甲斐なき火力(ちから)を頼り土瓶の茶をば温(ぬく)むるところへ、遊びに出たる猪之の戻りて、やあ父様帰って来たな、父様も建てるか坊も建てたぞ、これ見てくれ、と然(さ)も勇ましく障子を明けて褒められたさが一杯に罪なく莞爾(にこり)と笑いながら、指さし示す塔の模形(まねかた)。母は襦袢の袖を噛み声も得たてず泣き出せば、十兵衞涙に浮くばかりの円(つぶら)の眼を剥き出し、 ![]() |
(私論.私見)