訳出22 ゲーテ「ファウスト」の一節

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.8.3日



ゲーテ著「ファウスト」
 「悲壮劇の第一部」の「夜」のファウストの独白。
 「ああ、わしはこれで哲学も法学も医学も、よせばいいのに神学まで骨おって研究しつくした。その挙句がこの通り哀れな愚かものだ。前よりちょっとも賢くなっていない。(中略) もうかれこれ十年もあげたり、さげたり、斜めに横に、学生たちの鼻をつまんで引っぱりまわしている。そして我々は何も知りえないのだということを悟っている。この胸が焼けてしまいそうだ」。
 (高橋健二訳/河出世界文学全集)
 「はてさて、己は哲学も法学も医学も、あらずもがなの神学も熱心に勉強して、底の底まで研究した。そうしてここにこうしている。気の毒な、馬鹿な己だな。そのくせなんにもしなかった昔より、ちっともえらくはなっていない。マギステルでござるの、ドクトルでござるのと学位倒れで、もう彼此十年が間、弔り上げたり、引き卸したり、竪横十文字に、学生どもの鼻柱をまんで引き廻している。そして己達に何も知れるものでないと、己は見ているのだ。それを思えば、ほとんどこの胸が焦げそうだ。

 勿論世間でドクトルだ、マギステルだ、学者だ、牧師だと云う、一切の馬鹿者どもに較べれば、己の方が気は利いている。己は疑惑に悩まされるようなことはない。地獄も悪魔もこわくはない。その代り己には一切の歓喜がなくなった。
 一廉ひとかどの事を知っていると云う自惚うぬぼれもなく、人間を改良するように、済度するように、教えることが出来ようと云う自惚もない。それに己は金も品物も持っていず、世間の栄華や名聞も持っていない。この上こうしていろと云ったら、いぬもかぶりを振るだろう。それでれいの威力や啓示で、いくらか秘密が己に分かろうかと思って、己は魔法に這入った。その秘密が分かったら、辛酸の汗を流して、うぬが知らぬ事を人に言わいでも済もうと思ったのだ。一体この世界を奥の奥でべているのは何か。それが知りたい。そこで働いている一切の力、一切の種子しゅしは何か。それが見たい。それを知って、それを見たら、無用の舌を弄せないでも済もうと思ったのだ」。
 (森鴎外訳/)


 2018年01月05日初回公開日「ゲーテのファウストの名言「時よ止まれ、お前は美しい」の意味」。
 ドイツの文豪ゲーテの「ファウスト」は、「時よ止まれ、お前は美しい」の名言で知られた作品です。「時よ止まれ」は、流れてゆく時間のある瞬間に向かって、人に呼びかけるように口にした台詞です。「時よ止まれ」の意味や物語のあらすじなどをご紹介させていただきます。
 ゲーテのファウストの名言「時よとまれお前は美しい」の意味は?

 ドイツが生んだ文豪ゲーテの名は、ほとんどの人はご存知でしょう。作品は小説「若きウェルテルの悩み」や「ファウスト」がよく知られています。「時よ止まれ」の名言を生んだ「ファウスト」の戯曲は善と悪、人間の罪と欲望、神と信仰などがテーマで、人間の永遠の課題というべきものでしょう。 「時よ止まれ、お前は美しい」の台詞の意味は、最期の時を迎えた主人公ファウストは、「契約」を結んだ悪魔メフィストフェレスが、彼の死体を埋葬するための音を、領地を切り開く道具の音と思い違いして、人々の幸福のための貢献ができたと、その喜びから口にしてしまいます。 「時よ止まれ、お前は美しい」と、人生の最高に素晴らしいこの瞬間が、永遠に留まれとの願いから言葉にしてしまいます。

 「ファウスト」を生んだゲーテ

 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年8月28日フランク生まれ~1832年3月22日ワイマール没)ドイツの詩人、小説家、劇作家、フランクフルト・アム・マインの名家に生まれ、ライプチヒとシュトラスブルクの大学で法律を学びますが、ヘルダーとの出会いをきっかけに文学への意識に傾きます。 シュトゥルム・ウント・ドラング運動に参加し、のちの戯曲「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」、小説「若きウェルテルの悩み」を発表し、文学者としての名声を高めました。 ワイマール公国の要職を歴任し、1794年以後シラーとの交友を支えにして、ドイツ古典主義文学を揺るぎないものにします。「時よ止まれ」の台詞で有名な「ファウスト」は、2部構成で、第1部は1808年、第2部は1832年に完成させています。

 ヘルダーとシラー

 ヘルダー(1704~1803)ドイツの思想家、聖職者は、シュトラスブルクでゲーテに出会い、大きな影響を与え、シュトゥルム・ウント・ドラング運動が拡大します。シュトゥルム・ウント・ドラング運動とは、1770年から1780年にドイツで生じた文芸運動で、クリンガーの戯曲名が起源です。 シラー(1759~1805)マールバハ生まれ、ドイツの劇作家、詩人は、軍医の父を持ち、軍人学校で法律や医学を勉強しています。書き上げた戯曲「群盗」の劇の演奏が上手くいき、劇作家として華やかなスタートを切ります。 戯曲や思想詩など多く世に出し文学者としての名声を高めましたが、短い生涯でした。主な戯曲作品に「たくらみと恋」、「マリア・スチュアルト」、「ドン・カルロス」などがあります。

 「時よ止まれお前は美しい」が出てくるあらすじと背景は?

 「時よ止まれ」の名言で知られる「フェウスト」は、「天上の序曲」で始まります。悪魔メフィストフェレスが主(神)に言います。あなたが作った人間は、理性ある人間とは言い難く、逆のことばかりしていると嘲笑いました。 主(神)は、常に自己を高めようと、懸命に努めている者の典型としてファウスト博士の名を口にします。今は秩序がなく乱れているが、いつかは道理にかなった道の方向に行けるようにしてやるのだと神は言います。 それを聞いて悪魔メフィストフェレスは、それではファウストを誘惑し、彼の魂を邪悪なる方へ引き込めるか賭けをしてみませんかと、主(神)に促します。主(神)は、人間は懸命に頑張るうちは、進む道を迷い続けるものだといい、賭けを許しました。 「時よ止まれ」を巡る魂の契約を結ぶきっかけとなるエピソードです。

 悪魔メフィストフェレスの登場

 「時よ止まれ」の台詞が印象に残る「ファウスト」の主人公ファウスト博士は、さまざまな学問の研究に身を捧げてきた高名な学者で、多くの人々から敬意を払われていました。 学識を高めましたが、いまだ明らかにできない多くの謎や、なお研究しなければわからない分野があり、人の知の限界を身に染みて感じます。人生をさまざまな学問の研究に捧げて、その最高峰に上り詰めましたが、ファウスト博士の心は空虚でした。 これまでの人生を振り返り、学問を忘れるほど本気で愛した女性の存在はなく、何でも打ち明けられる友人もいなかったと寂しさや虚無感を強く感じます。ファウスト博士は悲観して、自害しようとします。すると突然黒いむく犬が現れます。 ファウスト博士が、人生にこれほど後悔していなかったら、「時よ止まれ」がキーワードとなる魂の契約を結ばなかったでしょう。

 悪魔メフェストフェレスとの契約

 黒いむく犬は、悪魔メフィストフェレスが変身した姿でした。正体をあらわすと言いました。「人生を一から初めてみたくないか、その気があるなら満足させてやるよ」と、肉体が若返るという怪しい液体を見せます。 その報酬として、ファウスト博士が亡くなったら、魂をもらいたいと要求しました。ファウスト博士は、もし人生最上の時を迎えたその刹那に「時よ止まれ、お前は美しい」と口にしてしまったら、私の魂をくれてやろうと約束してしまいます。 ファウスト博士はこうして悪魔メフィストフェレスと、「時よとまれ」の契約を交わしてしまいます。彼にもし愛する妻や子供がいて、腹蔵なく話せる親しい友に恵まれていたら「時よ止まれ」の契約は決して交わさなかったでしょう。

 第一部

 若返りの魔法水を飲んで青年になったファウストは、グレートヘンを一目みて好きになり、メフィストフェレスに何とかしてくれと頼みます。メフィストフェレスは、グレートヘンがファウストに心を奪われて相思相愛になるように仕掛けます。 そして2人が密会できるように、グレートヘンの母親に飲ませる睡眠薬をファウストに渡しました。言われたとおりファウストは、グレートヘンに、母親に飲ませて眠らせるようにと指示します。このときファウストは「時よ止まれ」と言いたくなるほど幸福だったことでしょう。しかしグレートヘンの母親は死んでしまいます。 グレートヘンの兄は、堕ちた妹をたぶらかしたファウストに、悪魔の仕業と怒り、互いのどちらかが死ぬまで闘うことで決着をつけようとします。しかしメフィストフェレスが兄を殺してファウストを助けました。

 魔女の祭典

 ファウストの子を産んだグレートヘンは、精神状態がおかしくなり、赤ん坊に手をかけてしまいます。自分の子を殺した罪で牢獄に入れられ、死刑に処されます。 その頃魔女の祭典「ワルプルギスの夜」がひらかれていて、ファウストは、祭りの夜にすっかり我を忘れていい気分に浸っていました。この時彼は、グレートヘンの母親と兄を死なせてしまったのは自分で、殺したも同然だという自覚はなかったでしょう。 「時よ止まれ」と思わず口にしてしまいそうになるくらい妖しい夜に陶酔していたのでしょう。この時グレートヘンの苦しむ幻影を見て、ようやく我に返ります。





(私論.私見)