大学

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/令和2)年.9.19日

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 2005.3.22日、2006.7.10日再編集 れんだいこ拝


【大学解説】
 儒教の経典の一つ。一巻。もとは礼記の中の一編であるが、宋代に朱子が本文を章句に分けて校訂し、自己の注釈を付して四書の一つとした。孔子の言葉を曾子が祖述したといわれる「経」(けい)一章と、経についての曾子の注釈を曾子の門人が記録したといわれる「伝」(でん)十章からなる。

【大学章句序】
01 大學之書、古之大學、所以教人之法也。
大学の書は、古(いにしえ)の大学、人を教うる所以(ゆえん)の法なり。
「古」は、夏・殷・周の三代を指す。
02 蓋自天降生民、則既莫不與之以仁義禮智之性矣。
蓋(けだ)し天の生民(せいみん)を降(くだ)してより、則(すなわ)ち既に之に与うるに仁、義、礼、智、の性を以(もっ)てせざる莫(な)し。
然其氣質之稟、或不能齊。
然(しか)れども其(そ)の気質の稟(ひん)、或(ある)いは斉(ひと)しき能(あた)わず。
是以不能皆有以知其性之所有、而全之也。
是(ここ)を以(もっ)皆な以てそのするりて、全(まった)くすること能(あた)わざるなり。
一有聰明睿智、能盡其性者、出於其閒、則天必命之、以爲億兆之君師、使之治而教之、以復其性。
一(ひとたび)聡明睿智(えいち)にして、能(よ)くその性を尽す者の、その間に出(い)づるあれば、則ち天は必ず之に命じて、以て億兆の君師と為し、之をして治めて之を教え、以てその性に復(かえ)らしむ。
03 此伏羲・神農・黄帝・堯・舜所以繼天立極、而司徒之職、典樂之官所由設也。
此(こ)れ伏羲・神農・黄帝・堯(ぎょう)・舜(しゅん)の天を継ぎて極を立つる所以にして、司徒の職、典楽(てんがく)の官の由(よ)りて設(う)くる所なり。
04 三代之隆、其法寖備。
三代の隆(さか)んなるや、その法寖(ようや)く備わる。
然後王宮、國都、以及閭巷、莫不有學。
然(しか)る後(のち)王宮・国都(こくと)より以て閭巷(りょこう)に及ぶまで、学あらざるは莫(な)し。
人生八歳、則自王公以下、至於庶人之子弟、皆入小學。
人(ひと)生まれて八歳なれば、則ち王公より以下、庶人(しょじん)の子弟に至るまで、皆な小学に入る。
而教之以灑掃・應對・進退之節、禮・樂・射・御・書・數之文。
而(しか)して之に教うるに灑掃(さいそう)・応対・進退の節(せつ)、礼・楽・射・御・書・数の文を以てす。
礼・楽・射・御・書・数を六つの技芸を六芸(りくげい)と言う。
05 及其十有五年、則自天子之元子・衆子、以至公・卿・大夫・元士之適子、與凡民之俊秀、皆入大學。
その十有五年に及べば、則ち天子の元子(げんし)・衆子(しゅうし)より、以て公・卿(けい)・大夫(たいふ)・元士(げんし)の適子と凡民の俊秀とに至るまで、皆な大学に入(い)る。
而教之以窮理正心、脩己治人之道。
而(しか)して之に教うるに理を窮(きわ)めて心を正し、己を修め人を治むるの道を以てす。
此又學校之教、大小之節所以分也。
此(こ)れ又学校の教え、大小の節の分(わ)かるる所以なり。
06 夫以學校之設、其廣如此、教之之術、其次第・節目之詳又如此、而其所以爲教、則又皆本之人君躬行心得之餘、不待求之民生日用彝倫之外。
夫(そ)れ学校の設(もう)け、その広きこと此(かく)の如く、之を教うるの術、その次第(しだい)・節目(せつもく)の詳(つまびら)かなること又かくの如きを以てして、而してその教えを為す所以は、則ち又皆な之を人君の躬行(きゅうこう)して心得(しんとく)せるの余に本(もと)づけて、之を民生日用の彝倫(いりん)の外に求むるを待たず。
是以當世之人、無不學、其學焉者、無不有以知其性分之所固有、職分之所當爲、而各俛焉以盡其力。
是(ここ)を以て当世の人、学ばざるはなく、その学ぶ者は、以てその性分の固有するところ、職分の当(まさ)に為すべきところを知りて、各〻(おのおの)俛焉(べんえん)として以てその力を尽すことあらざるはなし。
此古昔盛時、所以治隆於上、俗美於下、而非後世之所能及也。
これ古昔(こせき)の盛時(せいじ)の、治は上に隆んに、俗は下に美にして、後世の能く及ぶところ非ざる所以なり。
07 及周之衰、賢聖之君不作、學校之政不脩、教化陵夷、風俗頽敗。
周の衰(おとろ)うるに及んで、賢聖の君作(おこ)らず、学校の政修(おさ)まらず、教化陵夷(りょうい)し風俗頽敗(たいはい)す。
時則有若孔子之聖、而不得君師之位、以行其政教。
時に則ち孔子の聖の若(ごと)きあれども、君師の位を得て、てその政教をわず。
於是獨取先王之法、誦而傳之、以詔後世。
是(ここ)に於いて独り先王の法を取り、誦(しょう)して之を伝え、て後世に詔(つ)ぐ。
若曲禮、少儀、内則、弟子職諸篇、固小學之支流餘裔。
曲礼(きょくらい)・少儀・内則(だいそく)・弟子職の諸篇の若(ごと)きは、固(もと)より小学の支流余裔(よえい)なり。
而此篇者、則因小學之成功、以著大學之明法、外有以極其規模之大、而内有以盡其節目之詳者也。
而してこの篇は、則ち小学の成功に因(よ)り、以て大学の明法を著(あらわ)し、外はてその規模の大を極むるあり、内は以てその節目(せつもく)の詳(しょう)を尽すある者なり。
08 三千之徒、蓋莫不聞其説。
三千の徒、けだしその説を聞かざるは莫(な)し。
而曾氏之傳、獨得其宗。
而して曾氏(そうし)の伝、独りその宗を得たり。
於是作爲傳義、以發其意。
ここに於いて伝義を作為し、以てその意を発す。
及孟子沒、而其傳泯焉。
孟子没するに及んで、その伝泯(ほろ)ぶ。
孟子は前372~前289。戦国時代の思想家。魯の鄒(今の山東省鄒城市)の人。名は軻(か)、字は子輿。孔子の孫である子思(前483?~前402?)の門人の下で学んだ。亜聖(あせい、聖人につぐ賢人)と称される。
則其書雖存、而知者鮮矣。
則ちその書は存すと雖(いえど)も、知る者は鮮(すく)なし。
09 自是以來、俗儒記誦詞章之習、其功倍於小學而無用、異端虚無寂滅之教、其高過於大學而無實。
これより以来、俗儒の記誦(きしょう)詞章(ししょう)の習いは、その功(こう)小学に倍すれども用なく、異端の虚無寂滅の教えは、その高きこと大学に過ぐるも実なし。
其他權謀術數、一切以就功名之説、與夫百家衆技之流、所以惑世誣民、充塞仁義者、又紛然雜出乎其閒、使其君子不幸而不得聞大道之要、其小人不幸而不得蒙至治之澤。
その他権謀術数、一切以て功名を就(な)すの説と、夫(か)の百家衆技(しゅうぎ)の流れ、世を惑わし民を誣(し)いて、仁義を充塞(じゅうそく)する所以と、又紛然としてその間に雑出(ざっしゅつ)し、その君子をして不幸にして大道の要をくことを得ず、その小人をして不幸にして至治(しち)の沢(たく)を蒙(こうむ)ることをざらしむ。
晦盲否塞、反覆沈痼、以及五季之衰、而壞亂極矣。
晦盲(かいもう)否塞(ひそく)、反覆沈痼(ちんこ)、て五季の衰に及んで壊乱極(きわ)まる。
晦盲 世の中が乱れて暗いこと。
否塞 閉じふさがること。物事が滞って進まないこと。
反覆 上下がひっくり返ること。
沈痼 救いようのない不治の病。悪い風潮が長く続いていることを指す。

 五季とは五代(梁・唐・晋・漢・周)の乱れた世を指す。「季」は末世のこと。
10 天運循環、無往不復。
天運の循環、往(ゆ)いて復(かえ)らざるなし。
宋德隆盛、治教休明。
宋の徳は隆盛にして、治教は休明(きゅうめい)なり。
休明 とは美しく明らかなさま。立派で麗しいさま。「休」は、美・善・麗の意。
於是河南程氏兩夫子出、而有以接乎孟氏之傳、實始尊信此篇、而表章之。
ここに於いて河南の程氏両夫子出で、以て孟氏の伝に接するあり、実に始めてこの篇を尊信(そんしん)して、之を表章(ひょうしょう)す。
旣又爲之次其簡編、發其歸趣。
旣(すで)にして又之が為にその簡編を次(じ)し、その帰趣(きしゅ)を発す。
然後古者大學教人之法、聖經賢傳之指、粲然復明於世。
しかる後に古の大学の人を教うるの法、聖経(せいけい)賢伝(けんでん)の指(し)、粲然(さんぜん)として復(ま)た世に明らかなり。
雖以熹之不敏、亦幸私淑、而與有聞焉。
熹(き)の不敏を以てすと雖も、また幸いに私淑して聞くあるに与(あずか)る。
11 顧其爲書、猶頗放失。
顧(おも)うにその書たる、猶(な)お頗(やや)放失(ほうしつ)すと。
是以忘其固陋、采而輯之、閒亦竊附己意、補其闕略、以俟後之君子。
ここを以てその固陋を忘れ、采(と)って之を輯(あつ)め、間〻(まま)また窃(ひそ)かに己が意を附し、その闕略(けつりゃく)を補い、以て後の君子を俟(ま)つ。
極知僭踰無所逃罪。
極めて僭踰(ゆ)にして罪を逃(のが)るる所なきを知る。
然於國家化民成俗之意、學者脩己治人之方、則未必無小補云。
然れども国家の民を化して俗を成すの意と、学者の己を修めて人を治むるの方とに於いては、則ち未だ必ずしも小補なくんばあらずと云う。
淳煕己酉二月甲子、新安朱熹序。
煕(じゅんき)己酉(きゆう)の二月の甲子、新安の朱熹序す。
淳煕己酉二月甲子 … 南宋孝宗の淳煕十六年(1189)二月四日。ちなみに朱子は年六十。
 大学の道は、明徳を明らかにするにあり。民に親しむにあり。至善に止まるにあり。止まるを知りて午(のち)定まるにあり。定まりて午能く静かなり。静かにして午能く安し。安くして午能く慮(おもんばか)る。慮りて午能く得(う)。

【大学 朱熹章句】
子程子曰、大學孔氏之遺書、而初學入德之門也。
子程子曰く、大学は孔氏の遺書にして、初学徳に入るの門なり。
於今可見古人爲學次第者、獨賴此篇之存。
今に於いて古人学を為すの次第を見るべき者は、独りこの篇の存するに頼る。
而論孟次之。
而して論孟之に次ぐ。
 論孟次之 。この篇に次ぐものとして論語と孟子がある。朱子は、大学→論語→孟子→中庸という順序で学ぶべきだと説いた。
學者必由是而學焉、則庶乎其不差矣。
學者必ず是に由りて学べば、則ちその差(たが)わざるに庶(ちか)からん。

【大学 一章】
01   大學之道、在明明徳、在親民、在止於至善。
大学の道は、明徳を明らかにするにあり。民に親しむにあり。至善に止(とど)まるにあり。
02 知止而后有定、定而后能靜、靜而后能安、安而后能慮、慮而后能得。
止まるを知りて后(のち)定まるあり。定まりて后能く静かなり。静かにして后能く安し。安くして能く慮(おもんばか)る。慮りて能く得(う)。
03 物有本末、事有終始。知所先後、則近道矣。
物に本末あり。事に終始あり。先後するところを知れば、則(すなわ)ち道に近し。
04 古之欲明明德於天下者、先治其國。
古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。
欲治其國者、先齊其家。
その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉(ととの)う。
欲齊其家者、先脩其身。
その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。
欲脩其身者、先正其心。
その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正しうす。
欲正其心者、先誠其意。
その心を正しうせんと欲する者は、先ずその意(こころばせ)を誠にす。
欲誠其意者、先致其知。
意を誠にせんと欲する者は、先ずその知を致す。
致知在格物。
知を致すは物を格(ただす)にあり。
05 物格而后知至。
物格して后(のち)知至る。
知至而后意誠。
知至りて后意誠なり。
意誠而后心正。
意誠にして后心正し。
心正而后身脩。
心正して后身修まる。
身脩而后家齊。
身修まりて后家斉う。
家齊而后國治。
家斉いて后国治まる。
國治而后天下平。
 国治まりて后天下平らかなり。
06 自天子以至於庶人、壹是皆以脩身爲本。
天子自(よ)り以て庶人に至るまで、壱に是(こ)れ皆な身を修むるを以て本(もと)と為す。
07 其本亂而末治者否矣。
その本乱れて末治まる者は否(あら)ず。
其所厚者薄、而其所薄者厚、未之有也。
その厚くするところの者を薄くして、その薄くするところの者を厚くするは、未だ之れあらざるなり。
右經一章、蓋孔子之言、而曾子述之。
右経一章、蓋(けだ)し孔子の言にして、曾子之を述ぶ。
其傳十章、則曾子之意、而門人記之也。
その伝十章は、則ち曾子の意にして、門人之を記するなり。
舊本頗有錯簡。
舊本頗(すこぶ)る錯簡(さっかん)あり。
今因程子所定、而更考經文、別爲序次如左。
今は程子の定むる所に因(よ)り、更に経文を考えて、別に序次(じょじ)を為すこと左の如し。

【大学 伝一章】
01 康誥曰、克明德。
康誥(こうこう)に曰く、克(よ)く徳を明らかにすと。
02 大甲曰、顧諟天之明命。
大甲(たいこう)に曰く、この天の明命を顧みると。
大甲とは、書経の商書・大甲篇のこと。朱注には「大甲は、商書なり」(大甲、商書)とある。
03 帝典曰、克明峻德。皆自明也。
帝典曰く、克く峻徳(しゅんとく)を明らかにすと。皆な自ら明らかにするなり。
04 右傳之首章、釋明明德。
右伝の首章(しゅしょう)、明徳を明きらかにすることを釈す。

【大学 伝二章】
01 湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新。
湯(とう)の盤の銘に曰く、苟(まこと)に日に新たに、日々に新たに、又日に新たならんと。
湯は、殷(商ともいう)王朝を創始した湯王のこと。姓名は子履(しり)。成湯・商湯・天乙とも。夏の桀王(けつおう)を討って天下を統一し、殷(商)を開いた。
02 康誥曰、作新民。
康誥(こうこう)に曰く、新たにする民を作(おこ)すと。
03 詩曰、周雖舊邦、其命維新。
詩に曰く、周は旧邦(きゅうほう)なりと雖(いえど)も。その命維(こ)れ新たなりと。
04 是故君子無所不用其極。
是(こ)の故に、君子はその極を用いざるところなし。
右傳之二章、釋新民。
右伝の二章、民を新たにすることを釈す。

【大学 伝三章】
01 詩云、邦畿千里、惟民所止。
詩にう、邦畿(ほうき)千里、維(こ)れ民の止まる所と。
02 詩云、緡蠻黄鳥、止于丘隅。
詩にう、緡蠻蛮(めんばん)たる黄鳥(おうちょう)、丘隅(きゅうぐう)に止まると。
子曰、於止、知其所止。可以人而不如鳥乎。
子曰(のたまわ)く、止まるに於いてその止まる所を知る。人を以て鳥に如(し)かざるべけんや。
03 詩云、穆穆文王、於緝煕敬止。
詩に云う、穆穆(ぼくばく)たる文王、於(ああ)緝熙(しゅうき)にして敬(けい)して止(とどま)ると。
爲人君、止於仁、爲人臣、止於敬、爲人子、止於孝、爲人父、止於慈、與國人交、止於信。
人の君(くん)と為りては仁に止まり、人の臣と為りては敬に止まり、人の子(し)と為りては孝に止まり、人の父(ちち)と為りては慈に止まり、国人(こくじん)と交わりては信に止まる。
04 詩云、瞻彼淇澳、菉竹猗猗。
詩にう、彼の淇(き)澳(いく)瞻(み)れば、菉竹(りょくちく)猗猗(いい)たり。
有斐君子、如切如磋、如琢如磨。
斐(ひ)たる君子あり。切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨するが如し。
瑟兮僩兮、赫兮喧兮。
瑟(ひっ)たり僴(かん)たり、赫(かく)たり喧(けん)たり。
有斐君子、終不可諠兮。
斐たる君子あり。終(つい)に誼(わす)るべからずと。
如切如磋者、道學也。
切するが如し磋(さ)するがしとは、学を道(い)うなり。
如琢如磨者、自脩也。
琢(たく)するが如く磨するが如しとは、自ら修むるなり。
瑟兮僩兮者、恂慄也。
瑟(ひっ)たり僴(かん)たりとは、慄(じゅんりつ)なり。
赫兮喧兮者、威儀也。
赫(かく)たり喧たりとは、威儀なり。
有斐君子、終不可諠兮者、道盛徳至善、民之不能忘也。
斐たる君子あり、終(つい)に諠(わす)るべからずとは、盛徳至善にして、民の忘るる能(あた)わざるを道(い)うなり。
05 詩云、於戲前王不忘。
詩にう、ああ前王(ぜんのう)忘れられずと。
君子賢其賢、而親其親、小人樂其樂、而利其利。
君子はその賢を賢として、その親を親とす。小人(しょうじん)はその楽しみを楽しみとして、その利を利とす。
君子・小人とは、ここでは君子は後世の賢人や王を指し、小人は後世の民衆を指す。朱注には「君子は其の後賢・後王を謂い、小人は後民を謂うなり」(君子謂其後賢後王、小人謂後民也)とある。
此以沒世不忘也。
ここを以て世を没(ぼっ)するも忘れられざるなり。
右傳之三章、釋止於至善。
右伝の三章、至善に止(とど)まるを釈す。

【大学 伝四章】
右伝之四章、釈本末。
子曰、聽訟、吾猶人也。必也使無訟乎。
子曰く、訟(うった)を聴(き)くは、吾(われ)猶(な)お人のごときなり。必ずや訟えなからしめんか、と。
無情者、不得盡其辭。
情(まこと)なき者は、その辞(ことば)を尽すことを得ず。
大畏民志。
大いに民志を畏(おそ)れしむ。
此謂知本。
これを本をると謂う。
右傳之四章、釋本末。
右伝の四章、本末を釈す。

【大学 五章補伝】
右伝之五章、蓋釈格物致知之義。
此謂知本。此謂知之至也。
これを本を知ると謂う。これを知の至ると謂うなり。
右傳之五章、蓋釋格物致知之義。而今亡矣。
右伝の五章、蓋(けだ)し格物致知の義を釈す。而して今亡(ほろ)ぶ。
閒嘗竊取程子之意、以補之曰、
閒(このごろ)嘗(こころ)みに窃(ひそ)かに程子の意をりて、以てを補いて曰く、
〔補伝〕
所謂致知在格物者、言欲致吾之知、在卽物而窮其理也。
いわゆる知を致すは物に格るに在りとは、吾の知を致さんと欲すれば、物に即(つ)きてその理を窮むるにあるを言うなり。
蓋人心之靈、莫不有知、而天下之物、莫不有理。
けだし人心の霊は、知あらざる莫(な)くして、天下の物は、理あらざるなし。
是以大學始教、必使學者卽凡天下之物、莫不因其已知之理、而益窮之、以求至乎其極。
ここを以て大学の始教は、必ず学者をして凡そ天下の物に即(つ)きて、その已に知るの理に因って、益〻(ますます)之を窮め、以てその極に至ることを求めざる莫(な)からしむ。
至於用力之久、而一旦豁然貫通焉、則衆物之表裏精粗無不到、而吾心之全體大用、無不明矣。
力を用うること久しくして、一旦豁然(かつぜん)として貫通するに至れば、則ち衆物の表裏精粗到らざるく、而して吾が心の全体大用もらかならざるし。
此謂物格、此謂知之至也。
これを物格(いた)ると謂い、これを知の至りと謂うなり。
 子曰(のたまわ)く、訴えを聴(き)くこと吾(われ)猶(なお)人の如きなり。必ずや訴えなからしめんかと。情(まこと)なき者は、その辞(ことば)を尽すを得ず。大いに民の志を畏(おそ)れしむ。これを本(もと)を知ると謂(い)う。これを知の至りと謂うなり。

【大学 伝六章】
01 所謂誠其意者、毋自欺也
所謂(いわゆる)その意(こころばせ)を誠にすとは、自ら欺く母(な)きなり。
如惡惡臭、如好好色。
悪臭を悪(にく)むが如く、好色を好むが如し。
此之謂自謙。
これをこれ自(みずか)ら謙(こころよく)と謂う。
故君子必愼其獨也。
故に君子は必ずその独(ひとり)を慎むなり。
02 小人閒居爲不善、無所不至。
小人閑居(かんきょ)して不善を為し、至らざるところなし。
見君子、而后厭然、揜其不善、而著其善。
君子を見て、而して(のち)に厭然(えんぜん)として、その不善を揜(おお)いてその善を著(あらわ)す。
人之視己、如見其肺肝然、則何益矣。
人の己を視ること、その肺肝(はいかん)を見るが如く然れば、則ち何の益かあらん。
此謂誠於中、形於外。
これを中(うち)に誠あれば外に形(あら)わると謂う。
故君子必愼其獨也。
故に君子は必ずその独を慎むなり。
03 曾子曰、十目所視、十手所指、其嚴乎。
曽子曰く、十目の視るところ、十手(じっしゅ)の指さすところ、それ厳なるかな。
曾子とは孔子の弟子で、姓は曾、名は参、字は子輿(しよ)。
04 富潤屋、德潤身。心廣體胖。
富は屋(おく)を潤し、徳は身を潤す。心廣く體(からだ)胖(ゆたか)なり。
故君子必誠其意。
故に君子は必ずその意を誠にす。
右傳之六章、釋誠意。
右伝の六章、意を誠にするを釈す。

【大学 伝七章】
01 所謂脩身在正其心者、身有所忿懥、則不得其正。
所謂身を修むるには、その心を正すにありとは、身に忿懥(ふんち)するところあれば、則ちその正を得ず。
有所恐懼、則不得其正。
恐懼(きょうく)するところあれば、則ちその正しきを得ず。
有所好樂、則不得其正。
好楽するところあれば、則ちその正を得ず。
有所憂患、則不得其正。
憂患するところあれば、則ちその正を得ず。
02 心不在焉、視而不見、聽而不聞、食而不知其味。
焉(ここ)にあらざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず。
03 此謂脩身在正其心。
これを身を修むるには、その心を正すにありと謂う。
右傳之七章、釋正心脩身。
右伝の七章、心を正しくして身を修むるを釈す。

【大学 伝八章】
01 所謂齊其家在脩其身者、人之其所親愛而辟焉。
所謂その家を斉(ととの)うるは、その身を修むるにありとは、人その親愛するところにおいて辟(へき)す。
之其所賤惡而辟焉。之其所畏敬而辟焉。
その賤悪(せんお)するところにおいて辟す。の畏敬するところにおいてす。
之其所哀矜而辟焉。之其所敖惰而辟焉。
その哀矜(あいきょう)するところにおいて辟す。その敖惰(ごうだ)するところにおいて辟す。
故好而知其惡、惡而知其美者、天下鮮矣。
故に好んでその悪を知り、悪(にく)みてその美を知る者は、天下に鮮(すく)なし。
02 故諺有之曰、人莫知其子之惡、莫知其苗之碩。
故に諺(ことわざ)にあり。曰く、人はその子の悪を知る莫(な)く、その苗の碩(おお)いなるを知る莫しと。
03 此謂身不脩、不可以齊其家。
これを身修まらざれば、以てその家を斉うべからずと謂う。
右傳之八章、釋脩身齊家。
右伝の八章、身を修め家を斉うることを釈す。

【大学 伝九章】
01 所謂治國必先齊其家者、其家不可教、而能教人者無之。
所謂国を治むるには、必ず先ずその家を斉うとは、その家教うべからずして、能く人を教うる者はなし。
故君子不出家、而成教於國。
故に君子は家を出でずして、教えを国に成す。
孝者所以事君也。弟者所以事長也。慈者所以使衆也。
孝は君に事(つか)うる所以なり。弟は長に事うる所以なり。慈は衆を使う所以なり。
02 康誥曰、如保赤子。心誠求之、雖不中不遠矣。
曰く、赤子(せきし)を保(やす)んずるが如しと。心誠に之を求めば、中(あた)らずと雖も遠からず。
未有學養子、而后嫁者也。
未だ子を養うを学びて、而る后(のち)に嫁ぐ者あらざるなり。
03 一家仁、一國興仁、一家讓、一國興讓、一人貪戻、一國作亂。其機如此。
一家仁なれば、一国仁に興り、一家譲なれば、一国譲に興り、一人(いちにん)貪戻(たんれい)なれば、一国乱を作(おこ)す。その機かくの如し。
此謂一言僨事、一人定國。
これを一言事を僨(やぶ)、一人国を定むと謂う。
04 堯舜帥天下以仁、而民從之。
堯舜(ぎょうしゅん)天下を師(ひき)いるに仁を以てして、民之に従う。
桀紂帥天下以暴、而民從之。
桀(けつ)紂(ちゅう)は天下を師いるに暴を以てして、民之に従う。
其所令、反其所好、而民不從。
その令するところ、その好むところに反すれば、民従わず。
是故君子有諸己、而后求諸人。
この故に君子は諸(これ)を己に有して、る后に諸を人に求む。
無諸己、而后非諸人。
諸を己になくして、る后に、諸を人に非とす。
所藏乎身不恕、而能喩諸人者、未之有也。
身に蔵するところ恕(じょ)ならずして、能く諸を人に諭(さと)す者は、未だこれあらざるなり。
05 故治國、在齊其家。
故に国を治むるには、その家を斉うるにあり。
06 詩云、桃之夭夭、其葉蓁蓁。
詩に曰う、桃の夭夭(ようよう)たる、その葉は蓁蓁(しんしん)たり。
之子于歸、宜其家人。
この子于(ここ)に帰(とつ)ぐ、その家人に宜しからん、と。
宜其家人、而后可以教國人。
その家人に宜しくして、る后に、以て国人(こくじん)を教うべし。
07 詩云、宜兄宜弟。
詩に曰く、兄に宜しく弟に宜しと。
宜兄宜弟、而后可以教國人。
兄に宜しく弟に宜しくして、に、以て国人を教うべし。
08 詩云う、其儀不忒、正是四國。
詩に曰く、その儀忒(たが)わず、この四国を正(ただ)すと。
其爲父子兄弟足法、而后民法之也。
 その父子兄弟と為りて、法(のっと)るに足りて、而る后に、民之に法(のっと)るなり。
09 此謂治國在齊其家。
これを国を治むるには、その家を斉うるにありと謂う。
右傳之九章、釋齊家治國。
右伝の九章、家を斉え国を治むることを釈す。

【大学 伝十章】
01 所謂平天下在治其國者、上老老而民興孝、上長長而民興弟、上恤孤而民不倍。
いわゆる天下を平(たい)らかにするはその国を治むるにありとは、上老をとして民孝に興(おこ)り、上長を長として民弟に興り、上孤を恤(あわ)れみて民倍(そむ)かず。
是以君子有絜矩之道也。
ここを以て君子は絜矩(けっく)の道あるなり。
02 所惡於上、毋以使下。所惡於下、毋以事上。
上に悪むところ、以て下を使う毋(な)かれ。下に悪むところ、以て上に事うるかれ。
所惡於前、毋以先後。所惡於後、毋以從前。
前に悪むところ、以て後ろに先だつなかれ。後ろに悪むところ、以て前に従うなかれ。
所惡於右、毋以交於左。所惡於左、毋以交於右。
右に悪むところ、以て左に交わるなかれ。左に悪むところ、以て右に交わるなかれ。
此之謂絜矩之道。
これを之れ絜矩の道と謂う。
03 詩云、樂只君子、民之父母。民之所好好之、民之所惡惡之。此之謂民之父母。
詩に云う、楽しき君子は民の父母と。民の好むところは之を好み、民の悪むところは之を悪む。これを之れ民の父母と謂う。
04 詩云、節彼南山、維石巖巖。赫赫師尹、民具爾瞻。
詩に云う、節たる彼(か)の南山、維(こ)れ石巌巌(がんがん)たり。赫赫(かくかく)たる師尹(しいん)、詩に云う、民具(とも)に爾(なんじ)を瞻(み)る、と。
有國者不可以不愼。辟則爲天下僇矣。
国を有(たも)つ者は以て慎しまざるべからず。辟すれば則ち天下の僇(りく)と為る。
05 詩云、殷之未喪師、克配上帝。儀監於殷、峻命不易。
詩に云う、殷の未だ師(もろもろ)を喪(うしな)ざるや、克(よ)く上帝に配す。儀(よろ)しくに監(かんが)みるべし、峻命(しゅんめい)易(やす)からず、と。
道得衆則得國、失衆則失國。
衆を得れば則ち国を得、衆を失えば則ち国を失うを道う。
06 是故君子先愼乎德。有德此有人、有人此有土、有土此有財、有財此有用。
この故に君子はず徳を慎む。徳あればここに人あり、人あればここに土(ど)あり、土あればここに財あり、財あればここに用あり。
07 徳者本也。財者末也。
徳は本なり。財は末なり。
08 外本内末、爭民施奪。
本を外にし末を内にすれば、民を争わしめて奪うことを施す。
09 是故財聚則民散。財散則民聚。
この故に財聚(あつま)れば則ち民散ず。財散ずれば則ち民聚まる。
10 是故言悖而出者、亦悖而入。貨悖而入者、亦悖而出。
この故に言悖(もと)りて出づる者は、また悖りて入る。貨悖りて入る者は、また悖りて出づ。
11 康誥曰、惟命不于常。道善則得之、不善則失之矣。
康誥に曰く、惟(こ)れに于(おい)てせず、と。善なれば則ち之を得、不善なれば則ち之を失うを道う。
12 楚書曰、楚國無以爲寶、惟善以爲寶。
楚書に曰く、楚国は以て寶(たから)と為すなきも、惟(ただ)善以て寶と為すと。
13 舅犯曰、亡人無以爲寶。仁親以爲寶。
舅犯(きゅうはん)曰く、亡人て宝と為すし、するをす、と。
14 秦誓曰、若有一个臣、斷斷兮無他技、其心休休焉、其如有容焉。
秦誓(しんせい)に曰く、若(も)し一个(いっか)の臣あり、断断兮(だんだんけい)として他技なく、その心休休(きゅうきゅう)として、それ容(い)るるあるが如し。
人之有技、若己有之、人之彥聖、其心好之。
人の技あるは、己之れあるが若(ごと)く、人の彦聖(げんせい)なるその心之を好(よ)む
不啻若自其口出、寔能容之、以能保我子孫黎民。
啻(ただ)にその口より出ずるが若(ごと)きのみならず、寔(まこと)に能く之を容(い)れ、以て能く我が子孫・隷民を保(やす)んぜん。
尚亦有利哉。
尚(こいねが)わくば亦利あらん哉。
人之有技、媢疾以悪之、人之彦聖、而違之俾不通。
人の技ある、媢疾(ぼうしつ)として以て之を悪み、人の彦聖(げんせい)なる、之に違(たが)いて通ぜざらしむ。
寔不能容、以不能保我子孫黎民。亦曰殆哉。
寔(まこと)に容るる能わず。以て我が子孫・隷民を保んずる能わず。亦曰く(ここ)に殆(あや)うい哉と。
15 唯仁人放流之、逬諸四夷、不與同中國。
唯(ただ)仁人のみ之を放流し、諸(これ)を四夷に迸(しりぞ)けて、興(とも)に中国を同じうせず。
此謂唯仁人爲能愛人能惡人。
これを唯仁のみ人能く人を愛し、能く人を悪むを為すと謂う。
16 見賢而不能舉、舉而不能先、命也。
賢を見て挙ぐる能わず。挙げて先んずる能わざるは命(おこたり)なり。
見不善而不能退、退而不能遠、過也。
不善を見て退くる能わず。退けて遠ざくる能わざるは過ちなり。
17 好人之所惡、惡人之所好、是謂拂人之性。葘必逮夫身。
人の悪むところを好み、人の好むところを悪む。是を人の性に払(もと)ると謂う。菑(わざわい)必ずその身に逮(およ)ぶ。
18 是故君子有大道。必忠信以得之、驕泰以失之。
この故に君子に大道あり。必ず忠臣以て之を得、驕泰(きょうたい)以て之を失う。
19 生財有大道。生之者衆、食之者寡、爲之者疾、用之者舒、則財恆足矣。
財を生ずるに大道あり。之を生ずる者衆(おお)くして、之を食らう者寡(すく)なく、之を為(つく)る者疾(はや)くして、之を用うる者舒(おもむろ、ゆるやか)なれば、則ち財恒に足る。
20 仁者以財發身、不仁者以身發財。
仁者は財を以て身を発(おこ)し、不人者は身を以て財を発(おこ)す。
21 未有上好仁、而下不好義者也。未有好義、其事不終者也。未有府庫財非其財者也。
未だ上仁を好みて、下義を好まざる者はあらざるなり。未だ府庫の財、その財に非ざる者はあらざるなり。
22 孟獻子曰、畜馬乘、不察於雞豚。伐冰之家、不畜牛羊。百乘之家、不畜聚斂之臣。與其有聚斂之臣、寧有盜臣。
孟献子(もうけんし)曰く、馬乘を畜(か)えば、鶏豚を察せず。伐(ばつひょう)の家には、牛羊を畜(か)わず。百乘(ひゃくじょう)の家には、斂(しゅうれん)の臣を畜わず。その斂の臣あらんよりは、寧(むし)ろ盗臣あれと。
此謂國不以利爲利、以義爲利也。
これを国は利を以て利と為さず、義を以て利と為すと謂うなり。
23 長國家而務財用者、必自小人矣。
国家に長として財用を務むる者は、必ず小人に自(よ)る。
(彼爲善之、)小人之使爲國家、葘害並至。
(彼は之を善(よ)くすと為し、)小人をして国家を為(おさ)めしむれば、災害並び至る。
雖有善者、亦無如之何矣。
善者ありと雖も、亦之を如何ともするなし
此謂國不以利爲利、以義爲利也。
これを国は利を以て利と為さず、義を以て利となすと謂うなり。
右傳之十章、釋治國平天下。
右伝の十章、国を治め天下を平らかにすることを釈す。
凡傳十章。前四章統論綱領指趣。後六章細論條目工夫。
凡(およ)そ伝十章、前の四章は綱領の指趣(ししゅ)を統論す。後の六章は条目(じょうもく)の工夫を細論す。
其第五章、乃明善之要。第六章、乃誠身之本。
その第五章は、乃(すなは)ち善を明きらかにするの要、第六章は、乃ち身を誠にするの本。
在初學、尤爲當務之急。
初學にありて、尤も当(まさ)に務むべきの急と為す。
讀者不可以其近而忽之也。
読者その近きを以て之を忽(ゆるが)せにすべからざるなり。





(私論.私見)